年末年始の間も、インフルエンザの猛威は収まるどころか、さらに勢いづいているようです。12月に入ってすぐに急速な流行がはじまり、その立ち上がりは例年の数倍の速さ。
いつもだと、1月末にピークを迎えるので、12月中の予防接種でもある程度の抑止効果は期待できましたが、今年は11月中までに予防接種を済ませなかった場合は、していないのと同じかもしれません。
予防接種をした方でも、発症するケースもかなりありますので、皆さん、体調管理には十分に注意をしてください。大方の医療機関は、新年は1月5日から始まります。
さて、今日は1月3日。正月三が日というくらいで、ここまでは新年気分が続き、ついつい昼間からアルコールが入ったりします。
こどもたちは、この3日間が一番の稼ぎ時。物心つくころから20歳まで、あるいは学生の間は、お年玉を貰ってこどもたちの懐は、親とは反比例して暖かい。
自分ももちろん貰いましたが、40~50年前の話で、多くて2万円くらい集まったでしょうか。うちは、親戚が多くないし、また遠いので周りの友人に比べると少ない方でした。
こども心に鮮烈な記憶が残るお年玉が、2つあるんです。頂ものですから、貰っておいて文句を言うのは筋違いですが、どちらも当然少なさに唖然としたもの。
一つは、年始の挨拶に来た父親の友人。他人ですから、少なくて当然ですけど、伊藤博文さんが数枚入っているのが普通だった頃に、ポチ袋の中身は、当時はもうあまり見かけなくなってきた板垣退助さんが一枚。
本来、貰えないかもしれない人からの、エキストラの収入ですからそれでもありがたいはずですが、これにはさすがにびっくりしました。今の感覚からすると、数百円という感じでしょうか。
もう一つは、だいぶ年上の従兄からで、就職して初めての正月ということで、お年玉をくれました。これは、重くて驚いた。何と、五円硬貨の穴に糸を通してまとめたもので、たぶん100枚、500円分だったのではないかと思います。
毎日、牛乳かなんかを飲んで、お釣りを集めたものだったようです。さすがに500円くらいあると貰った気にはなりますが、ずっしりとしたさしの重さはなかなか。さすがに、これを持っておもちゃ屋さんにもいけない感じです。できれば岩倉具視さんにしてほしかった。
ラーメン一杯が100~200円、山手線の初乗りが30円の頃の話です。