2025年4月30日水曜日
鹿男あおによし (2008)
小川孝信(玉木宏)は、生まれてこのかた不運続きで、何事に対しても後ろ向きに考える陰性キャラ。大学の研究室で、何かとトラブルの責任を押し付けられ、教授から君は神経衰弱だと言われ、奈良女学館高校の理科の臨時教員としてていよく追い出されてしまい、付き合っていた彼女にもふられてしまうのです。
飲み屋もしている下宿先には、高校の同僚となる歴史教師の藤原道子(綾瀬はるか)や美術教師の福原重久(佐々木蔵之介)らも住んでいました。担当したクラスには堀田イト(多部未華子)という不思議な生徒がいました。小川の初日に遅刻してきた堀田に理由を聞くと、いきなり「先生は嫌いです」と言われてしまいます。
小川が奈良公園でボーっとしていると、一頭の鹿が近づいてきました。驚いたことに、鹿は小川に話しかけてきたのです。「あんたは運び番に選ばれた。60年に一度の鎮めの儀式をしなければならないので、あんたは狐の使い番から人間がサンカクと呼んでいる目を受け取らなければならない」と言い、最近始まった群発地震は大鯰が暴れているためで、儀式をしないと大鯰の封印が解けて日本は壊滅すると説明しました。
神経がまいっていると自分を納得させる小川ですが、次から次へと起こることで鹿の言うことを信じるしかならなくなります。奈良女学館は、京都女学館、大阪女学館という姉妹校があり、奈良は鹿、京都は狐、そして大阪では鼠が大鯰の尾をおさえる役目を担っていました。
話す鹿は、三校恒例の対抗体育祭で狐の使い番から目を受け取れと言いますが、狐の使い番と思われた京都のマドンナ先生と呼ばれている長岡先生(柴本幸)から小川が受け取ったのは菓子の八つ橋の包みでした。体育祭の優勝盾が三角形であったため、小川はその盾がサンカクだと考えます。自分が顧問になった剣道が優勝の鍵となることから、小川は剣道上級者の堀田を何とか協力させるのです。
様子がおかしい小川を問い詰めた藤原は、小川の説明を信じることにして、サンカク探しに協力するのです。藤原も歴史好きが高じて周りの空気が読めずに、たくさんの失敗をしてきた過去があります。小川への好意が勘違いかもしれないという思いを抱きながらも、二人は消えたサンカクの謎に迫っていくのでした。
素晴らしいのは話す鹿です。これは少しだけ動く全身のものと、話すときのアップ用の首から上だけのアニマトロニクスが製作されています。動き回っているところはCGで作られているという映画ばりの手の込みようです。これが実にリアルで、本当に生きている鹿が演技しているようです。ちなみに、鹿の声を担当しているのは山寺宏一です。
音楽もかっこいい。担当したのは、「仮面ライダー」シリーズや「戦隊もの」で活躍する佐橋俊彦で、ここでもめいはりのきいたびしっとした音楽が実に心憎い。映像は全体に黄色がかった色調に統一されていて、ファンタジー調を強めているのも興味深いところです。
「のだめ」で人気急上昇の玉木宏もさることながら、綾瀬はるかもこの年は映画も多くのりにのっている時期です。他にも話題性のある多部未華子というキャスティングもはまっています。脇を固めているのは、教頭の児玉清、学年主任の篠井英介、校長の田山涼成なとのベテラン勢です。
とにかくドラマとしての出来はかなり高評価できます。邪馬台国や卑弥呼の謎もからまった内容は、単なるミステリー・ファンだけでなくを超えて古代史ファンにも十分に楽しめる内容になっていると思います。ちなみに「あおによし」は、奈良にかかる枕詞で、古都・奈良の美しさを褒めたたえる言葉として使われます。
2025年4月29日火曜日
湯道 (2023)
東京で個人で建築事務所を営む三浦史朗(生田斗真)は、仕事がうまくいかず実家の銭湯「まるきん温泉」を廃業してマンションにしようと考え戻ってきます。父は2か月前に亡くなり、史朗は葬儀も顔を出さなかったため、今は銭湯を仕切っている弟の悟朗(濱田岳)は冷たくあしらいます。
住み込みの唯一の従業員である秋山いずみ(橋本環奈)は働き者で、まるきん温泉の看板娘になっていました。また父の代から「風呂仙人」と呼んでいる不思議ないで立ちの老人(柄本明)が、無償で薪にする廃材を集めてくれていました。
常連には、朝一に訪れて大声で美声を響かせる小林良子(天童よしみ)、近くの食堂の夫婦(寺島進、戸田恵子)、銭湯に来るのが楽しみな老夫婦(笹野高史、吉行和子)などがいて、さらに風呂にこだわる山岡(浅野和之)、その娘の婚約者アドリアン(厚切りジェイソン)などもいます。
もうじき定年を迎える郵便配達の横山(小日向文世)は、二之湯薫明(角野卓造)が主宰する湯道に参加していて、定年を機に自宅の風呂を檜にしようと計画していましたが、妻と娘たちにはその気持ちを理解してもらえないでいました。湯道は茶道や華道のように風呂を極めることを目的としており、薫明を家元とし、弟子の梶斎秋(窪田正孝)が補佐して、いかにして湯につかることで心の安静を得るかを説くのです。
史朗が銭湯の廃業の話を切り出したことで悟朗と大喧嘩になり、窯場でボヤ騒ぎを起こしてしまい、悟朗は入院してしまいます。しかたがなく史朗は風呂仙人に手ほどきを受けながら、湯を作ることを覚えるようになります。退院した悟朗は、冷静になると確かに銭湯を続けるのは無理だと考えるようになり、父親も廃業するように遺言を遺していたのです。
まるきん温泉がなくるとにショックを受けたいずみは姿を消してしまい、兄弟は横山からいずみが薫明の体験した生涯最高の風呂の話を詳しく聞き出していたことを耳にして、その風呂がある山の中のすでに廃業した茶屋に向かうのでした。
風呂好きにはよく知られた権威のある評論家の太田与一(吉田鋼太郎)は、源泉かけ流し主義を第一とし、温泉でも循環式は否定します。ましてや銭湯が「温泉」と名乗ることなどもってのほかで、昭和の遺物と切り捨てまったく認めようとはしません。太田は、その遺物が今も存在するミステリーを解明するため、まるきん温泉にやって来るのでした。
湯道というのは、当然実在はしないわけですが、昔家を買う時に不動産屋が言っていた、「男性客は風呂、女性客は台所を気に入れば商談成立」という言葉を思い出しました。今は時代も変わって、そんな単純なことではすまないと思いますが、誰でも大なり小なり風呂にはこだわりがあるものです。
ここでは高級料亭のような湯道と居酒屋のような銭湯を対比させて、どちらにも入浴することの幸せがあることを描いています。湯道に偏ると陳腐さがめだってしまいそうなところを、両者の間を横山という一人の人物だけでつなげて、銭湯の良さを中心に展開させたところが上手いと思ました。
ここではいつもコメディ担当の濱田岳が実にかっこよく、むしろかっこいいはずの生田斗真のほうが情けない感じなのも面白い。何をやっても橋本環奈なのはその通りですが、ここでは脇役でちょうど良いくらいの出方になっているので、監督の役者の使い方がさすがというところだと思います。
2025年4月28日月曜日
巫女っちゃけん。 (2018)
宮地嶽神社の宮司(リリー・フランキー)は離婚して、巫女として神社を手伝う娘のしわす(広瀬アリス)と二人暮らし。しわすは自分が母親に捨てられたトラウマを抱えていて、早く就職して巫女をやめたくてしょうがないので、神に仕える身としてはかなりいい加減な振る舞いが多い。
ある時、参道で放火とみられるボヤ騒ぎがあり、賽銭が度々ぬすまれるようになりました。夜回りをしていたしわすは、その犯人である少年を捕えますが、少年は一言も口をききません。しわすが世話をして神社でしばらく預かることになりましたが、質の悪いいたずらを辞めようとしませんでした。
児童相談所がやっと母親(MEGUMI)を見つけてきて、少年は5歳の健太という名前であることがわかり、母親に引き取られて帰りますが、母親は恋人の前ではいい顔をしますが、健太には強く当たりしばしば暴力を振るっていたのです。
そのことに気がついたしわすは、健太を連れ出しますが、相談所の担当者の前で健太は殴られた顔のあざの犯人としてしわすを指さすのでした。自分ではないと言っても、だれもしわすの言うことには耳を貸そうとしません。しわすは自分を捨てた母親を訪ねることにするのですが、健太も後をついてくるのでした。
まず感心するのは宮地嶽神社というそれなりに全国に名が知れた大きな神社が、よくもまぁこんなに協力したものだということ。神社の俗物的な内情の一端も描かれているので、まずくないのかなぁと心配してしまいます。
それはそれとして、そのような部分をコメディにしつつ、しわすと健太と言う育児放棄された二人と児童虐待と言う社会性の強い問題をさらりと描いた作品ということが言えそうですが、実際にはそれほど堅苦しさはありません。
しわすより巫女らしい巫女、現代風の冷めきった巫女なども出てくるのですが、描き込は少ない。結局のところ、広瀬アリスの豪快でファイト一発的なキャラに頼り切った未熟な人物の成長物語という感じで、期待を裏切らない普通の進行をしています。
広瀬アリスのファンは必見だとは思いますが、映画としては普通で、それ以上でもそれ以下でもないというところでしょうか。
2025年4月27日日曜日
自宅居酒屋 #92 中華サラダ
スーパーのお総菜売り場の定番の一つです。
だいたい、春雨とキュウリが主役で、あとはもやしとかワカメとかが入っていることが多い。ちょっと高級になると、ハムとか錦糸卵、さらにはクラゲなどが登場します。
今回は、少しだけ残っていたキクラゲを入れてますが、基本の春雨・キュウリ・もやしだけです。
甘酸っぱい味付けで、まぁ、嫌いで食べられないという人はあまり見かけません。
フライパンに水を入れて、春雨を煮ます。このままだと長いので、柔らかくなったら料理ばさみで真ん中へんできって2分割しておきます。ついでにもやしとキクラゲも入れて、火が通ったらざるにあげて水で冷やします。
この間に、キュウリを細切りにしておき、味付けの準備をします。
当然誰もが思うのは、醤油・酢・砂糖・ごま油なんですが、これだけだと何か物足りない。醤油や酢が前面に出てとんがった味になってしまう。
そこで、あと一つ。騙されたと思って是非使ってほしいのが、鶏ガラスープの素。できれば塩抜きのものがベスト。これを控えめに混ぜることで、全体がまろやかにまとまり、よりスーパーの味に近づきます。
春雨ともやしは少し絞って水気を減らしてから、全部を混ぜ合わせて、ちょっとゴマをふれば出来上がり。材料さえあれば、10分かからないのでお手軽です。
2025年4月26日土曜日
野菜アヒージョ
アヒージョ(ajillo)は、伝統的なスペイン料理の一つで、食材とニンニクをオリーブオイルで煮込んだもの。
食材の種類は多岐にわたりますが、日本ではシーフードを使用したものが一般的です。エビ、イカ、タコ、貝類などを入れると、食材からの水分と塩気に加えて最高のダシが出て、ほとんど何も加えなくてもメチャメチャ旨い。
今回は野菜メインのアヒージョをやってみました。
ただし、野菜だけだとダシが物足りないので、あくまで味だし用のシーフードとして、少量のヤリイカ、ムキエビ、ホンビノス貝を使っています。
入れた野菜は、ブロッコリー、オクラ、アスパラガス、トマト、ジャガイモ、ピーマン、エリンギ、マッシュルームなどです。煮崩れしない野菜なら何でもOKだと思いますが、特にトマトは天然の「味の素」ですから必須です。
入れたニンニクは3片ほどで、鷹の爪を少量使いました。さすがに味が弱いので、少量の塩を加えました。オリーブオイルは、全体がつかるほど入れるとすごい量になってしまうので、下1/3ほどが漬かるほどにしています。
食材の食感を残るくらいが美味しいので、5~10分ほどで火にかければ出来上がり。薄切りにしたバゲットを用意して、ワインと一緒に食べれば最高のひと時です。
2025年4月25日金曜日
Glenn Gould
伝統と格式を重んじていた20世紀までのクラシック音楽界の中で、グレン・グールドほど異彩を放つ存在は皆無と言ってもよいかもしれません。
それはヨーロッパではなくカナダ出身というところも大いに関係していることだろうと思いますし、隣国のアメリカとの往来が容易であったことで自由な空気に触れることが多かったことも影響したことでしょう。
1932年にトロントに生まれたグールドは、音楽に理解のある両親のもとで幼いうちからピアノに親しみ、わずか13歳でプロ・デヴューを飾り、15歳でリサイタルを開催しました。世界中に名が知れ渡ったのは、1955年に発売されたデヴュー・レコードのJ.S.バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」でした。
この曲は、バッハの時代にならって基本的にはチェンバロで演奏し、最初と最後のメイン・テーマのアリアに挟まれた30の変奏曲からなる曲で、通常1時間以上かかるのが「普通」と思われていたのですが、グールドは何とピアノで快速に飛ばして、わずか38分で弾き切ったのです。しかもペダルを使わないため、その弾むような音色は独特の魅力を放っていました。
さらに同じ演奏技法を駆使して、ベートーヴェン、ハイドン、モーツァルトなどを矢継ぎ早に発表して世界中を驚かせます。そんな中で、自分がバッハのチェンバロ曲を聴きたくて中学1年生の時に買ったレコードが「2声と3声のインベンションとシンフォニア」でした。当然グールドがどんな人か知らないわけで、何でピアノで弾いているの? という違和感で、ほとんど聴きもせず放置してしまいました。
それから時は流れて、2006年、クリニックを開業したすぐ後、グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」の新録音に接する機会があり本当に驚いた。クラシック音楽は楽譜通りに演奏するのだから、誰が演奏しても同じと思って、アドリブ主体のジャズの方に興味が移っていたのですが、この演奏は誰も真似できないグールドのゴールドベルグだと思ったのです。
他の演奏家や他の楽器で奏でられる「ゴールドベルグ」を集めてみると、クラシックと言っても演奏する人が違うとこんなにも違いのかといまさらのように気がつかせてくれたのです。グールド本人の演奏ですら、旧録音(1955年)と新録音(1981年)ではまったくの別の演奏です。
グールドの演奏は奇抜であるとしばしば言われます。モーツァルトのトルコ行進曲は、普通よりかなり遅いのですが、これは行進曲として足を運ぶリズムを合わせたから。ブラームスの協奏曲では、あまりに遅いテンポ設定に、指揮者のバーンスタインがわざわざ「これは私の考えではない」と始まる前にアナウンスするという前代未聞の出来事が記録されています。極めつけは、演奏会を否定して1964年に「コンサート・ドロップアウト」して、以後はスタジオにこもってレコード録音とラジオ・テレビ出演だけで活動したことです。
確かに「普通」ではないかもしれませんが、今のように多様性を認める時代であれば、グールドはもっと楽に生きれたのかもしれません。確かに多くのクラシック演奏家とは違う解釈や弾き方なんですが、一度ファンになると、グールドの音楽は「グールド」という特別なジャンルとして認めざるをえないくらい楽しいのです。
そのほとんどの業績は、CBSレコード(現Sony)に80枚くらいのレコードとして残されています。レコード会社は手を変え品を変えいろいろなフォーマットでグールドの作品を再発売してきましたが、2015年にリマスターされ大きなボックスで「The Complete Columbia Album Collection」で今のところは打ち止めになっています。
自分もゴールドベルグの新録音だけでも4回くらい買わされていますが、さすがにもうこれ以上は必要ありません。その後にゴールドベルグの別テイク集も出ていますが、未完成の部品を聴く意味は感じませんので手を出していません。
グールドは1982年に急逝しましたが、その人生は2つのゴールドベルグの録音に挟まれた、数々の変奏曲のようなものだったのかもしれません。自分の中では、クラシック音楽趣味を復古させた原動力になったグレン・グールドは、今でも時々原点回帰のように聴きたくなる大きな存在と言えます。
2025年4月24日木曜日
自宅居酒屋 #91 ブロッコリーのバター醤油炒め
タイトルがすべてというレシピ。
久しぶりの伝統ある「自宅居酒屋」シリーズに加えていいものか、ちょっと悩みましたが、安い・早い・簡単・旨いという居酒屋メニューとしては、まさにすべての条件を満たしているのでよしとします。
安い。今はブロッコリーが安い。高い時は一株300円近かったのですが、今は200円以下で、スーパーによっては150円くらいのこともあり、この時期、実にお財布に優しい食材です。
早い。10分程度で、ほとんど手間もかかりません。
簡単。ブロッコリーは、生のまま多少こまかく切ります。茎も食べれますから、捨てないでください。バターとにんにく、そしてブロッコリーをフライパンに入れて炒めるだけ。ただし、最初の5分くらいは蓋をして蒸し焼きにしましょう。最後に醤油をかけて味付すればできあがりです。
旨い。食べればわかります。ブロッコリーの食べ方としては、この手があったかとうなること請け合いです。
2025年4月23日水曜日
八重桜
4月の始め前後にいっせいに咲いて、誰もが嬉しくなるサクラはほとんどがソメイヨシノ。ソメイヨシノが散った後に、いよいよ自分たちの出番とばかりに咲き誇るのが八重桜です。
ソメイヨシノと違って、幾重にも花びらが重なってボリューム感があり、色も濃い目です。
八重桜にもいろいろ種類があるようですが、自分が通勤途中に毎年楽しむ街路樹として植えてあるのは、枝が比較的真っすぐ伸びて、ソメイヨシノより小ぶりな大きさのカンザンと呼ばれる品種だと思います。
開花期間も比較的長めなので、楽しめる期間が長いところが嬉しいポイント。
突然ですが、綾瀬はるかが主演した大河ドラマ「八重の桜」なんかを思い出して楽しむのもありかもしれません。
2025年4月22日火曜日
ARC (2021)
17歳のリナ(芳根京子)は、男の子を産み落としますが、名前も決まらないうちに両親に預けて姿を消してしまいました。
エマの弟であるアマネ(岡田将生)は、プラスティネーションを応用・発展させ、細胞分裂を止めない特殊な培養液を注入することで、永遠に老化しなくなる技術を開発します。エマは引退し、リナからの不老処置の勧めも断ります。
30歳のリナは、アマネと結婚し揃って不老処置を行い、世界初の不老女性となります。エマは自らプラスティネーションを行い、「永遠の命だけが幸せではない」という言葉を残して亡くなります。不老処置は急速に世間に浸透していきますが、処置を受ける人と受けない人に人々を分断していくことになります。信念を理由にする場合もありますが、経済的な理由も大きな要素になっていました。
アマネは瀬戸内海の小島に、不老処置を受けない、受けられない人々が平穏に人生を全うするための施設を開設し、無償で高齢になった人々を受け入れることにします。リナも施設で入居者を世話する生活を続けることになりました。
85歳のリナは、姿は相変わらず。そして、娘のハルを産みます。しばらくして、施設にリヒト(小林薫)とフミ(風吹ジュン)という高齢夫婦が訪れます。入所したフミは末期がんでしたが、リヒトは自らの意思で不老処置は受けておらず、浜辺の小屋を借りて住むと言い入所しませんでした。
90歳のリナは、何気なくリヒトがハルのスケッチブックに描いた絵を見て、リヒトが自分が17歳の時に産んだ子であることに気がつくのでした。
この映画はカラー映像で、リナが不老処置を受けるまでの前半を時系列に追いかけていきます。しかし、不老処置を受けてからは後半は映像は白黒になり、時折フラッシュバックする過去のシーンだけがカラーになるという作りになっています。
前半では、よくぞ日本にこんな無機質な近未来を想像させる建物があったと思わせるシーンが続きます。これらは香川県庁舎や瀬戸内海歴史民俗資料館などがロケで使われています。後半は、ほとんどが小豆島でのロケですが、白黒であることで未来的ではない島の風景の「今感」を最小限にする効果があるように思います。
カラー映像の中に白黒が混ざるのは、過去の回想とか夢で見たことなどの場合が多いのですが、もしかしたら不老になること自体が「夢」のようなものだというとらえ方をしているのかもしれません。
この映画の究極のテーマは「生と死」であることは間違いなく、「死があるから人は生を大事にする。死ななくするのは生への冒涜ではないか」と言うセリフがあり、それに対してリナに「それは死ぬことが前提の考え方であり、不死になれば意味をなさない」と答えさせています。
しかし、映画の中で不死となった人が増えたことで、出生数は激減し自殺者が増加しているというニュースで語られるように、社会的にも個人的にも必ずしも幸福とは言い切れない状況は現実的に出現しそうな気配です。
プラスティネーションと不老処置という似て非なるものは、死を永遠とするのか生を永遠とするのかという違いがありそうです。ある意味アナログとデジタルの対比にも似ています。というのは、磁気テープにしてもレコードにしても、そしてCDでさえも媒体の経年劣化は避けることができません。
デジタルとして保存すれば、媒体を変え続ければ(まるでクローンのように)永遠保存も可能となります。しかし、音楽については今でもアナログの需要は絶えないし、サブスク中心となったデジタルは使い捨てのような扱いを受けていることは否定できません。
複雑で難解なシチュエーションが続きますが、登場する俳優陣の達者な演技に支えられて、最後まで集中して見続けることができました。特に芳根京子の硬派な演技には驚きました。見た目は30歳なのに中身は90歳、風吹ジュンよりも年上という設定のギャップを抱え、まったく動じない様子は素晴らしいものです。
2025年4月21日月曜日
異動辞令は音楽隊! (2022)
捜査一課の刑事、成瀬(阿部寛)は昔ながらのゴリゴリの人物で、犯人逮捕のためなら違法な事でも平気でやってしまうような、今どきのコンプライアンスのかけらもありません。バディの坂本(磯村勇斗)も、とてもついていけないと困惑するばかりの毎日です。家族は、あきれた妻には別れられ、娘の法子(見上愛)にも愛想をつかされ、認知症の母(倍賞美津子)と二人暮らし。
投書によって傍若無人の振る舞いが上の知るところとなり、成瀬には警察音楽隊への移動の辞令が下りてしまいます。音楽隊が専門職なのは隊長の沢田(酒向芳)とドラムを担当することになった成瀬だけで、他の隊員は交通課や機動隊、あるいは事務職との兼務で、音楽だけをやっていられるような呑気な者はいません。
刑事にこだわる成瀬に、トランペットの来島春子(清野菜名)は全員が上も下も無く音楽はチームプレイだと力説します。自分が捜査していたアポ電強盗事件が再び発生し、成瀬は思わず捜査会議に乱入しますが追い出され、自分の立場に向き合う決心がつくのでした。
しかし警察本部長は音楽隊は不要と考えていて、次の定期演奏会が終わったら解散させるつもりでした。新たに強盗事件が発生し、今回は初めて被害者が死亡します。亡くなったのは、いつも音楽隊の演奏を楽しみにしていたお年寄りでした。坂本の情報から、音楽隊は主犯が現れる場所でピエロに扮装して待ち受けることにするのです。
一番の見所は、阿部寛史上、最もいかつい強面から最も優しいおじさんにまで変貌していく演技の幅の広さです。最初は、昭和でもこんなに怖い刑事はいなかったんじゃないかと思わせる悪童ぶりです。人との関わり方を学ぶにつれて、ドラムが上手くなるところがなかなか良い。
警察音楽隊が必要なのか不要なのかという問題もある作品なんですが、考えて見れば自衛隊にも、消防隊にもあるわけで、いろいろなキャンペーン活動などを通して社会と組織をつなぐということも大事な仕事だということが描かれています。兼務している隊員たちの、ふだんのより警察っぽい仕事ぶりも織り込まれて、「税金の無駄使い」には当たらないことを盛り込んでいました。
順当なストーリー展開で、安心して見れる作品ですが、多少の嘘には目をつぶる必要はあります。ただし、楽器演奏は役者さんが本当に頑張って練習して実演しているらしいので、そこも見どころになっています。
2025年4月20日日曜日
Claudio Abbado
クラウディオ・アバドは、1933年生まれで2014年に80歳で亡くなった、個人的にはクラシック音楽指揮者として最後の「巨匠」です。フルトヴェングラーやカラヤンに代表されるクラシック界の巨匠と呼ばれる指揮者を聴いて育った世代(つまり昭和の有名な評論家諸氏)からすると、カリスマ性が薄れた中庸な存在と批評されることが多い。
クラシック音楽、特にオーケストラ全体で奏でる交響曲というジャンルでは、アバドの果たした役割は指揮者と楽団員の間に過去の巨匠が作った垣根を取り払ったことではないかと思っています。世界で最も有名なオーケストラの一つであるベルリン・フィルハーモニーで長年にわたって「帝王」として君臨したカラヤンは、オーケストラを自分の意図した音を出すための楽器として扱っていたと思います。しかし、次第に楽団員との軋轢が生じ、晩年は関係が悪化していたのは有名な話。
カラヤンと同時期に活躍したバーンスタインは、自由闊達ななアメリカ人として楽団員と友好的な関係を作った指揮者ですが、後半生は常任はせず客演指揮者に徹しました。アバドはイタリア・ミラノ出身ですが、カラヤンの後を継いで1990年にベルリンフィルの常任指揮者に就任し、カラヤンの負の遺産からスタートしましたが、少しづつ指揮者と楽団員との関係を良好な方向へ修正したことは間違いありません。
ただし、2000年に胃がんを発症したため、ベルリンフィルの芸術監督を辞任せざるをえなくなったことで、評論家からは仕事として未完成で終わったという評価になってしまったのが残念なところです。しかし、病から立ち直って2014年に亡くなるまでは、主として自分が組織したオーケストラで充実した功績を残したことは特筆に値します。
その象徴とも言えるルツェルン祝祭管弦楽団は、もともとスイスの音楽祭のための臨時編成的な色が濃いオーケストラですが、多くの有名オーケストラ員や独奏者が、アバドとの共演を希望して集結たスーパー・オーケストラとして病気から快復したアバドを支えました。また、モーツァルト管弦楽団、マーラー室内管弦楽団を創設し、若手の演奏家たちの育成にも力を入れ、彼らが晩年のアバドの手兵となっていたのです。
アバドもまたマーラーに取りつかれた指揮者の一人で、マーラーの交響曲全集を複数のオーケストラで完成させています。全集としてはシカゴ交響楽団とベルリンフィルで完成した音源が有名ですが、ルツェルンでのチクルスは映像として残されたことで、自分がオーケストラを楽しめる大きなきっかけになったという意味で、絶対的なスタンダードとなりました。
また、ピアノ奏者として自分もほとんどの音源を網羅しているマルタ・アルゲリッチなどを中心に、多くの独奏者との協奏曲録音も多いのがアバドの特徴にあげられます。さらに言うと、自分は不得意分野ではありますが、イタリア出身というだけあってオペラ作品も、かなり力を入れていました。
アバドの残された音源を制覇するのは、亡くなってから多くのボックスが発売されたので可能ですが、自分の場合はすでにマーラー物や協奏曲などは単独で所有しているものが多いので、「Symphony Edition (DG)」だけ新たに購入しました(マーラーだけ丸被り)。そして、病気復活後の映像作品を中心に、その業績を楽しむことができるのは本当に幸せなことだと思います。
2025年4月19日土曜日
正体 (2024)
2024年の各映画賞を総なめにした作品で、原作は染井為人の小説です。2022年に先にWOWWOWのオリジナル・ドラマとして、中田秀夫監督、亀梨和也主演で放映され好評でした。劇場版の監督は「新聞記者(2019)」で注目された藤井直人、脚本は藤井直人と小寺和久が共同であたっています。
民家で夫婦と娘の三人が惨殺される事件が発生し、現場にいた近くの高校生、18歳の鏑木慶一(横浜流星)がその場で逮捕されました。鏑木は一貫して否認しますが、裁判で死刑判決が下ります。そして3年後、鏑木は拘置所から脱走します。鏑木を逮捕・送検した又貫刑事(山田孝之)は全力で捜索しますが、なかなか行方をつかむことができません。
日雇い現場で静かに暮らしていた鏑木は、仕事の同僚の野々村がけがしたことで、上司に掛け合い治療費を出させるのです。野々村はともだちになろうぜと言って、二人は酒を酌み交わします。しかし、野々村はニュースになっていた鏑木であることに気がついてしまい、あせって警察に電話をしてしまいます。それに気がついた鏑木はその場から逃走します。
それから数か月して、出版社に「ナス」と名乗りフリーのライターとして出入りするようになった鏑木は、編集部の安藤沙耶香(吉岡里穂)から文章の上手さを褒められ信頼されるのです。ネットカフェに寝泊まりしていることを安藤に見つかり、安藤は自分のマンションにいてもいいと言うのでした。
その頃、安藤の父(田中哲司)は、痴漢を疑われ裁判でも冤罪を晴らすことができませんでした。安藤の父の事件を追っていたフリー・ジャーナリストは、偶然に安藤のマンションに出入りする男が鏑木に似ていることに気がつき警察に通報します。
又貫はマンションに踏み込みますが、安藤が邪魔したため鏑木は逃走してしまうのです。安藤は、鏑木の人柄を見て人殺しをするような人ではないと確信して、野々村に連絡を取りお互いの鏑木に対する印象を共有するのです。
さらに数か月して、諏訪の老人施設で介護士として働く桜井と名乗る青年が鏑木でした。同僚の坂井舞(山田杏奈)が、たまたまネットにあげた桜井の様子から、桜井が鏑木であることが判明してしまい、又貫らは施設に急行し包囲するのでした。
鏑木慶一は養護施設育ちで、彼を育てた養護教員は絶対に彼が犯人ではないと信じています。野々村も、あらためて思い返すと彼は親切で純粋な人間であると思う。安藤も、そして坂井も、彼と関わった人間は皆、外見はいろいろでも鏑木を信じるようになるのです。又貫は、どこかで鏑木は犯人ではないのかもという疑念を持ちつつも、一度進みだした流れに逆らうことができない自分を自覚しているのです。
映画では約2時間という制約で、鏑木に関わる人は少なくなっていて、ややあわただしい感じは否めませんが、文字や言葉ではなく映像に中で足りない部分を補完しているので物足りなさは感じません。制作者は、鏑木を信じられるかどうか見ている者を試しているのかもしれません。
横浜流星はさすがに注目度No.1の若手と言いたくなる熱演を見せてくれるのですが、ちょっとカッコ良すぎる。つまり、どう見ても悪い人ではないだろうという先入観が働いてしまうので、信じるしかないところに誘導されてしまうのがちょっと不満です。
基本的に冤罪という社会性の高い問題と、人をどう見るかという個人の印象がテーマとしてある作品だと思います。しかし、結末はその不満点に流され過ぎているようで、現実の世界は善人だけではないところを描くことも必要ではないかと思いました。
2025年4月18日金曜日
勝手にふるえてろ (2017)
26歳、独身、会社の経理で働く江藤良香(松岡茉優)は、中学の同級生の一之宮(北村匠海)、通称一(いち)にずっと片思いで、恋愛経験は無し。絶滅生物が大好きで、アンモナイトの化石を手に入れて喜んでいます。
埠頭で釣りをするおじさんやバスで一緒になるおばさん、駅員さん、コンビニ店員、整体師など、単なる顔なじみに本能に流されない自分の気持ちを話しては満足しているのです。
しかし、良香は思いがけず営業課の霧島(渡辺大知)、通称二(に)に付き合ってほしいと告られます。とりあえず喜んでしまいますが、特に好きでもないことに躊躇するのです。ある日、部屋でボヤ騒ぎを起こしてしまった良香は、人間いつ死ぬかわからないので、一を脳内召喚しているだけじゃなく、中学の同窓会を企画して直接一に会うことを決意します。
良香は同級生の名を騙って同窓会を開き、一と再会することに成功し、さらに少人数での新年会をするとになりました。そこで一から言われたことは・・・・
まぁ、こじらせ系女子のラブコメなんで、得意分野ではありませんからあまり感想とかも無いんですが、屈折した主役を演じた松岡茉優は確かに評価に値する存在と感じました。
松岡ファンであれば、絶対に外せない作品だと思いますが、この監督の面白いのは一番のイケメン・キャストに北村匠海を持ってきたところ。このイケメンは、片思いで妄想膨らむ相手なのですが、現実的な相手となる渡辺大知との対比が際立っています。
はじめは妄想の中で一番なのは一で、現実の二はウザ男なんですが、良香が暴走し始めると一と二の立場が逆転していく描写が絶妙です。
タイトルの意味は・・・最後まで見ればわかります。
2025年4月17日木曜日
安物スニーカー
実は、もう何年も運動靴というものを持っていなかった。
ふだんはく靴はひとつだけなんですが、ずいぶんと傷んできたので新調することにしたのをきっかけに、そこらに買い物行くのに使えるスニーカーを買ってみたんです。
と言っても、いつものAmazonで実物は見ない・・・というのは、いち末の不安は感じるのですが、タイムセールでめちゃ安の1,999円ひとつにしました。
レヴューを参考にしてサイズは26cmでいいだろうと判断。
翌日には届いて、履いてみるとぴったし・・・というか本当にぴったしです。まぁ、いいかと外にでてみたら、30分もたつと足の圧迫が強くなってきました。
足がすこし浮腫んできてきつきつになったようです。これは無理と思ったのですが、もう外で履いちゃったので、返品というわけにもいかないのでしかたがない。
そこでもう一度商品ページを開いてみると、タイムセールは終わっていましたが、20%OFFクーポンがついていて2,079円となっている。
なんだ、80円しか違わない。タイムセールってなんなん? と文句を言いたくなるのはグっとおさえて、27cmを追加購入。
今度はさすがにOKでした。
無駄物買いをしてしまいました。やはり靴は靴屋で買いましょうという教訓ですが、安い割には履き心地は悪くないので良しとします。
2025年4月16日水曜日
ガパオライス
もはや、日常的なレパートリーになりました。
ガパオは良く知られたタイ料理の一つですが、比較的簡単に本格的な味を楽しめます。
必要な物は、鶏ひき肉、(生)バジル、ニンニク、鷹の爪、オイスターソース、ナンプラー、以上です。
うちの場合は、これらは調味料は常備されているので、肉とバジルさえ買えばいつでも作れるやんと言ったら、そんなもん、普通家には無いと怒られてしまいました。
でも一度買えば冷蔵庫で長期保存可能ですから、是非、そろえてほしいものです。
ポイントはバジル。これは扱っていないスーパーも珍しくないし、傷みやすいので保存がきかないので、見つけたら即買い、即ガパオといきたいところです。
ひき肉は一人前150g程度で、あとのものは好きな分量を入れればいいのですが、バシルは多いほうが美味しい。ひき肉はあまり細かく炒めず、塊感を残した方がよさそうです。
付け合わせの温泉卵は、絶対ではありませんが、あればより雰囲気が出て美味しくなります。冷蔵庫から出したばかりの生卵を沸騰したお湯に、火を止めて7分間つけておくだけです。
正味15分もあれば完成しますから、忙しい時でも比較的作りやすいと思います。
2025年4月15日火曜日
セブンのおにぎり 64
セブンのおにぎり・シリーズ、早くも、復活!!
いつも寄るセブンの店舗が閉店してしまい、このシリーズは強制終了かと思われましたが、何とかここならという新たな店がほぼ決まりました。
ただし、通勤経路はやや遠回りになります。しょうがないのですが、数分の違いなので許容範囲ということで・・・
そんなわけで、今回は中国風と韓国風の紹介です。
「世界ごはん万博」となっているのが「具だくさんおにぎり かに玉」です。
おにぎりに玉子焼きがのっているだけ・・・なんですが、それ以上でもそれ以下でもない。材料にはかにほぐし身となっていますが、かにの味はわかりませんでした。
具だくさんシリーズで値段も高いのですが、はっきり言って「???」という評価をするしかない。たけのこ入り中華あんとも書いてありますが、おにぎりにあんをたくさん入れられるはずもない。
興味を持った方は自分で食べて評価してみてください。
もう一つは、「玉子をのせたキムチ炒飯」です。ということなんですが・・・普通です。
復活を記念して景気の良いものにしたかったのですが、やはりセブンの変わり種シリーズは当たりはずれがけっこうあるということを再認識する結果です。
2025年4月14日月曜日
SAKURA 2025 @ 小学校
今年の桜は、週末の雨でほぼ終了。
じっくり花見をした方、通りすがりで満足した方、そして興味のない方など、いろいろだと思いますが、四季を感じる風物詩として欠かすことができないのは誰も同じだと思います。
今年は、まとまって見れる桜より、ちょっとだけでもより季節を感じられるものを探してみました。
あらためて思ったのは、学校と桜とは相性がよいなということ。
特に小学校は、今年はちょうど入学式のタイミングと開花が重なりましたので、新生活へのお祝いに「花を添える」形になりました。校舎と桜は実によく合うと思います。
卒業式で桜も悪くは無いのですが、やはり何かが始まるワクワク感と桜の方がグっとくる感じがします。
ただ、勝手に学校の中に入るわけにもいかないので、外から見ると魅力が半減するのは残念ですが・・・
2025年4月13日日曜日
100本のスプーン @ あざみ野
あざみ野ガーデンズ開業当初からあるファミリーレストランが「100本のスプーン」です。
もちろん存在は知っていましたが、あざみ野ガーデンズへは買い物以外で出かけたことは無く、ましてやこの店はファミリーレストランという概念からすれば「高級」という噂を聞いていたので、まったく興味はありませんでした。
今回、息子夫婦の希望で、初めて出かけてみました。
まず入って最初の印象は、「明るい、広い、おしゃれ」という感じで、若い夫婦、特に小さい子連れが楽しめるように特化した店だと知りました。店の中に遊べるスペースが作ってあり、メニューにもそのことがうかがえます。
次に思ったのは・・・た、た、高い(++;)・・・こりゃ、いわゆるファミレスと思ったら大間違いで、何段も格上のなかなか手ごわいレストランです。
とは言え、メニューはなかなか美味しそうなものが並んでいて、どれも食べて見たくなる。そこで、手っ取り早く、いろいろなものが少しずつ盛られた「ビッグプレート」にしてみました。
個々の感想はともかく、どれもがクオリティの高くとても美味しいく頂きました。
結論としては、食事だけなら高いとは思いますが、家族で楽しむための全体的なサービス込みと考えれば、リーズナブルなレストランだと思いました。
2025年4月12日土曜日
Leonard Bernstein
クラシック音楽史上、偉大な指揮者はマエストロと呼ばれ崇拝されています。自分がクラシックを聞き始めた頃は、フルトヴェングラー、クレンペラー、トスカニーニ、ワルターが四大巨頭でしたが、すでに過去の人でした。現役で活躍していたのは、何と言ってもヘルヴェルト・フォン・カラヤンとレナード・バーンスタイン、そしてカール・ベームで、やや遅れて登場したのがクラウディオ・アバドとゲオルク・ショルティだったと記憶しています。
活動年数が長いカラヤンが一番多いのは当然かもしれませんが、バーンスタインもリリース頻度を考えるまったく負けていません。'60~'80は、ほぼこの二人が世界のクラシック音楽界を牽引していたと言っても過言ではありません。
もちろんもっと聞き込んでいれば、他にも多くの有名な指揮者はいたわけですが、何しろその頃は「クラシックは譜面通りに演奏するから、一人の演奏を聞けば十分」と思っていたので、基本的に有名な人だけで足りてしまっていました。
カラヤンは主としてベルン・フィルを手兵として、音楽に重厚感のある極限的な美しさを求めたと言われていますが、実はこれが自分が大オーケストラ作品を聞かなくなった一番の原因でした。悪く言えば、重たくもったいぶった演奏からは「どうだ、聞かせてやる」的な奢った印象しか持てずに、とても音楽を楽しむ雰囲気が感じられませんでした。
なので、自分にとってクラシックの最初のアイドル的な存在だったのはレナード・バーンスタインということになります。これは、レコードを買い始めた頃にソニーがCBSと契約して日本でレコード業界に進出しバーゲン価格のセットを大量に発売したので、バーンスタインを聞くハードルが低かったというのもあります。
アントルモンのピアノによる「ラフマニノフ/ピアノ協奏曲第2番」、バーンスタイン自らのピアノが聞ける「ガーシュイン/ラプソディ・イン・ブルー、パリのアメリカ人」は、ストレートに音楽の楽しさを十二分に伝えてくれたのです。またバーンスタインのナレーション(もちろん英語でわからなかったけど)が入っている「ピーターと狼、動物の謝肉祭」はこども心にも響く音楽でした。当然、それらのオーケストラはニューヨーク・フィルですから、ベルリンよりニューヨークが上と感じていたのは自然の成り行きと言えます。
レニーの愛称で親しまれたレナード・バーンスタインのイメージは、ユダヤ系アメリカ人。ブルースやジャズのようなアメリカ独自の音楽文化のバックグラウンドを持ちつつ、クラシック音楽においても「音楽は楽しむものだ」ということを終生実践し続けた人だと思います。
残されたビデオからも指揮ぶりは、まるでダンスをしているかのようで、本人が本当に楽しんでいる様子がひしひしと伝わります。ちなみに、典型的なカラヤンの指揮姿は、閉眼して口をへの字に閉じて、指揮棒だけをチョイチョイと動かす感じで、バーンスタインとはまるっきり違います。
バーンスタインの偉大なポイントは、ヨーロッパ至上主義が根強いクラシック音楽において、初めて天下を取った生粋のアメリカ人であり、カラヤンと人気を二分したということです。カラヤンとの違いは、さらに自らも作曲活動を行ったこと、そして積極的な教育・啓蒙活動を続けた点も忘れてはなりません。
そして、重要な業績として必ず指摘されるのが、作曲家グスタフ・マーラーの復興です。ユダヤ系のマーラーの作品は、戦争と共にほぼ忘れられた存在になっていたのですが、バーンスタインは「まるで自分が作曲したかのようだ」と述べて、60年代からマーラーの楽曲を掘り起こし、現在のマーラー人気に火をつけるきっかけを作りました。
1918年生まれのバーンスタインは、1943年にワルターの代演を成功させて一躍脚光を浴び、1969年まではニューヨーク・フィルハーモニーの常任指揮者として若さ溢れる演奏で活躍しました。その後は、常任にはつかずに最も人気のある客演指揮者として、ニューヨークだけでなく主としてウィーン・フィル、イスラエル・フィルなどと円熟の演奏で魅了しました。
人物としてはかなり俗物感がある人で、十代からのヘヴィースモーカーであることや、妻子がいても男色も好んだという話は有名です。最近「マエストロ」という映画にもなっているので、興味がある方はご覧になると面白いかもしれません。若いころから肺気腫と言われ、結局、肺がんのために1990年に72才でその生涯を閉じました。
さすがにクラシックのCDも相当な量のものを所有しているので、バーンスタインもかなりあるだろうと思ったら大間違いで、実は数枚しか持ってないんです。その後オーケストラ物に興味を持たせてくれたのが古楽系のJ.E.ガーディナーであり、アバド、そしてその続きのサイモン・ラトルだったので、ある程度それらで満足してしまったというところでしょうか。
そこで、あらためてバーンスタインの偉業を再確認してみたくなってきました。幸いなことに、簡単に全部が揃う巨大ボックスの中古市場もだいぶこなれてきたので、そろそろ大人買いするチャンス到来かと思います。逆にこれ以上待っていると、むしろプレミア価格になってしまうかもしれません。
2025年4月11日金曜日
僕たちの戦争 (2006)
もとはTBSのテレビドラマで、現代の若者が戦時下にタイムスリップする・・・だけなら凡庸ですが、この話のポイントはタイムスリップした上に人物の入れ替わりも起こるというところが面白い。
原作は「愛しの座敷わらし」の萩原浩の小説で、テレビで活躍した山元清多が脚本、「逃げるは恥だが役に立つ」の金子文紀が演出を担当、主題歌にTHE BLUE HEARTSを起用したりと、テレビとしてはけっこう力が入った作りになっています。
平成17年(2005年)の世界で、茨城の海で尾島健太(森山未來)はサーフィンをしている最中に巨大な波に飲み込まれ溺れてしまいます。昭和19年(1945年)の世界では、霞ケ浦予科練で飛行訓練をしていた練習生の石庭吾一(森山未來)は、突然の悪天候に巻き込まれ海に墜落します。
1944年の浜に打ち上げられた健太は、町の様子が一変していることに気がつきます。空腹でふらふらしていいる健太を、孫の文子(内山理名)と二人暮らしの)沢村キヨ(樹木希林)は家に招き入れ休ませるのでした。その夜、空襲警報がなり、健太は少しずつ事態を理解し始めます。
同じく、2005年の浜に打ち上げられた吾一は病院に収容されますが、周囲の様子の変化に戸惑いパニックにり逃げ出します。街には敵国の文字が溢れ、道行く人々もとても日本人には見えない。病院に連れ戻された吾一は、やってきた人々が皆、自分のことを健太と呼ぶことに戸惑います。そして健太の恋人のミナミ(上野樹里)が、記憶が戻るように親身になってくれるのでした。
班長の山口(桐谷健太)に見つかった健太は予科練に連れ戻され、吾一として練習機を墜落させたことを強く責められます。戦況はどんどん悪くなり、予科練の隊員は特攻隊として出撃するように言われ、健太もその一員に選抜されてしまいます。
吾一は歴史書を読み漁り、次第に自分の状況を理解していき、優しくしてくれるとミナミとの生活に慣れていきます。そして石庭家の墓に詣でると、墓石には自分の名前があり沖縄で死んだことになっていたのです。おそらく自分と入れ替わりに過去に行ってしまった健太が身代わりになったと考えた吾一は、ミナミを連れて沖縄に向かうのでした。
健太は人間魚雷「回天」の乗組員として沖縄に向かうことになり、その船で鴨志田祐司(玉山鉄二)と知り合いますが、偶然に鴨志田が沢村文子と結婚し、孫にあたるのがミナミであることに気がつきます。鴨志田が死んでしまったら、ミナミは存在しなくなってしまうと考えた健太は、何が何でも鴨志田だけは死なせてはならないと決意するのでした。
現在から過去へ、そして過去から現在へのタイムスリップが同時に起こり、さらにタイムスリップした人間が入れ替わってしまうというなかなか凝ったプロットで興味深いのですが、その二人は家族でさえ気がつかないほど瓜二つということで成立するストーリーです。
さすがにそれは作り過ぎという感じがしますが、そこさえ我慢できれば、現在と過去を交互に描きながら、しだいに両者が沖縄の海に向かって時空を超えて収束していく流れはなかなかよく出来ています。
太平洋戦争の時代から80年たち、直接的に戦争を知る方々の多くが亡くなり、今や外国の戦争を他人事のように感じているのが現代の日本人です。現代人を戦争中にタイムスリップさせるというのは、現代と戦時中のあまりに大きな違いを際立たせる手法として効果的であることは間違いありません。
ただし、この手のドラマにしても映画にしても、そこからあと一つ、じゃあどうすればいいのかみたいなポジティブな部分が見えてこないのが惜しまれます。もちろん過去を変えたら未来が変わるという大原則がある以上、結局何もしないというのが正解なのかもしれませんが、どの作品もちょっと物足りなさを感じてしまうのが残念なところでしょうか。
2025年4月10日木曜日
SAKURA 2025 @ 茅ケ崎中央
茅ケ崎中央というのは、センター南の中心部ということ。
海が無いのに茅ケ崎・・・って20年間、不思議と思っているんですが、積極的に郷土史を調べていないので由来はよくわかりません。
毎年、この時期に桜のきれいな場所を見て回りますが、どうしても同じ場所ばかりになってしまって、あまり変わり映えのしないネタになっている。
そこで、初登場の桜を紹介。
ごく普通の民家の庭先に植えてある・・・これは珍しい。しだれ桜です。
まぁ、桜と言えば、ほとんどがソメイヨシノですが、シダレザクラはなかなかお目にかかれない。これはやや赤味の強い花がついているので、もしかしたらベニシダレかもしれません。
人とは違ったところで、ちょっと住んでいる方の個性みたいなものがありそうで、思わず見入ってしまいます。
今年の桜もいよいよラストスパート。そろそろ、花散らしの雨が来そうですから、週末まではもたないかもしれませんね。
2025年4月9日水曜日
SAKURA 2025 @ 寿福寺
公園とかでまとまった花を見るのも楽しいかもしれませんが、街中のスポットを探してみると、なかなか見事な桜を見つけた時はけっこう嬉しいものです。
センター南の駅周囲では茅ヶ崎城址公園が一番たくさん桜の木がある場所だと思いますが、そのすぐ下のあたりにある寿福寺観音堂は、道路からでも2本の立派な桜に囲まれていて見応えがあります。
よく見ると観音堂は改築されていて、入り口がサッシになっているのが無粋に感じるところですが、まぁ、いろいろ事情があるんでしょうからしかたがない。まぁ、全体の佇まいは保たれているので、雰囲気はばっちりです。
それにしても、一番残念なのは「電線」です。新しいはずの街なのに、電線を埋設するとかなんでしないのかと思います。日本の空から電線が消えたら、どんだけ景色が生まれ変わることかと・・・でも、電気は大切ですからね。
2025年4月8日火曜日
あの花が咲く丘で、君とまた出会えたら。 (2023)
雨の中飛び出した百合は、古い洞穴のような場所で雨宿りをしているうちに寝入ってしまいました。雨は強くなり雷も鳴り出しました。そして、目が覚めると朝になっていて、外に出た百合は、野原と雑木林しかない光景を目にして呆然とします。百合は、ふらふらと歩いているうちに、ついに道端に倒れこんでしまいます。
ちょうど通りかかった軍服を着た佐久間彰(水上恒司)に助けられ、町の鶴屋食堂に連れて行かれます。一人で店を切り盛りしているツル(松坂慶子)は、百合に食事を与え、店を手伝うように言うのです。食堂は軍の指定になっていて、特攻に出撃する兵士たちが利用する店で、彰もその一人でした。
少しずつ自分の置かれた状況を理解していく百合は、ツルを手伝いながら、勤労奉仕をしている千代(出口夏希)とも仲良くなります。彰は妹に似ているからと、何かと百合を気にかけ、一面ユリの花が咲く丘を見せるのでした。百合は、国のためと特攻に志願する彰やその仲間たちと交流していくうちに、彼らがそれぞれ大事な人を守るために命を懸けていることを知ります。
町が空襲を受けて、百合は動けなくなりますが、彰が駆けつけて助けてくれました。彰は「命が一番大事だ」と言い、少しずつ気持ちが通じ合っていくのです。しかし、いよいよ彰たちにも出撃命令が下るのでした。
百合が寝入った洞穴は防空壕の跡だったわけで、そこへ雷が落ちたことがきっかけでタイムスリップ・・・夢ではなかったことは、ラストではっきりします。この作品では、タイムスリップした百合は、積極的に未来人であることは口にしません。未来を変えるような行動もしません。
自分を否定的に見ていた高校生が、特攻に出撃する人々を直接的に知ることで、生きることの大事さを認識して成長する姿を描くことが主要なテーマということ。ですから、積極的に反戦を訴えるわけではありませんが、戦争が人々の考え方を狂わせていたことだけは強く伝わってきます。
現代人がタイムスリップするということは、歴史の教科書の中だけの知識だけでは理解しきれない、戦争を疑似体験させることで、その意味を考えるきっかけを作りたいということだと思います。たしかに戦時中の人物だけでも、似たようなストーリーは作れるのですが、タイムスリップによってよりその目的は明快になっているようです。
2025年4月7日月曜日
SAKURA 2025 @ あざみ野
昨日の日曜日は、天気予報は怪しかったのですが、何とかもちました。
各地で盛大にお花見が行われたことだと思います。
自分のテリトリーで、一番見応えのあるのは、あざみ野の通称「桜通り」です。今年も見頃を迎えています。
ただし、ここは街路樹なのでシートをひいて花見を楽しむことはできません。
500m近く、道の両側植えられた桜が花のトンネルを作っているので、車で通るだけでも実に気持ちが良い。
この時期は、ちょっとだけ遠周りをして、何回かは楽しみたいと毎年思います。
ちょっと気になるのは、昨年に比べると、ちょっとボリューム感がないような・・・まあ、そんなことは気にしないで、今年の桜を楽しみましょう。
2025年4月6日日曜日
ねずみ騒動
近頃話題になった、某牛丼店でのねずみ混入・・・じゃなくて、もっともっと身近な話。
ハムスターとかだと、ペットとして飼ったことがあるかもしれませんが、いわゆる家鼠と呼ばれるのはドブネズミ、クマネズミ、ハツカネズミの3種類で、自分も小学生の頃には風呂場をはい回る、たぶん(大きさからして)ドブネズミを目撃したことがありました。
ですから、その頃は「ウィラード」というイエネズミを主役にしたアメリカ映画がヒットしても、特別な違和感もなく受け入れることができたように思います。
さすがに下水管理が向上して衛生面では格段に改善されたご時世ですから、ネズミを見かけることなんて・・・何と、あったから驚きです!!
帰宅して台所の灯りを付けた途端に、換気扇のあたりから床に何かが飛んできてゴミ箱の裏の方に走り込んでいったんです。大きさは10cmないくらいのもので、隠れる瞬間に細い尾のようなものを視認できたので、どう考えてもネズミとしか思えない。家の中でネズミと遭遇するなんて60年ぶりのことです。
さすが殺鼠剤なんてものは常備しているわけもなく、すぐに手に取れたのは殺虫剤のキンチョール。適時、キンチョールをまきながら、懐中電灯であちこち探していると、電子レンジの裏側にいるのを発見。その後ろはすぐ窓なので、キンチョールをまきつつ窓を一気に開け放ち・・・一応、気配が無くなったので外に出て行ってくれたのかと一安心しました。
しかし、翌日またもや登場したのです。こりゃ本気でかからないと無理と判断して、ホームセンターでネズミ捕りを購入。罠になっている生け捕り用のかごもありましたが、とりあえず安いものを用意しました。わかりやすくいえば、強力な粘着剤による巨大なゴキブリホイホイです。
ゴミ箱の裏を中心に通りそうな場所に3個仕掛けて、1日たってどうなったか・・・おお~、見事に捕獲していました。たぶんハツカネズミなんでしょうか、びくりともしなくてすでにお亡くなりになっているようでした。とりあえず、めでたしめでたしなんですが、ゴキブリみたいに1匹みたら大量にいるなんてことは・・・無いことを祈ります。
2025年4月5日土曜日
SAKURA 2025 @ 茅ケ崎城址公園
今年の桜は、ある程度開花してから1週間。
冷たい雨が降る天気が続いていたので、ずっとせっかくの桜も見栄えの良い物ではありませんでした。
でも、昨日はやっと晴れ間が見えて、この週末は本格的なお花見をする方も多いことと思います。
センター南の茅ケ崎城址公園は、それほど広い公園ではありませんが、まとまって桜が見れるお花見スポットとしておすすめです。
今日のお花見は、ちょっと夕方から天気が怪しいので、明るいうちがおすすめです。
2025年4月4日金曜日
晴れたらいいね (2025)
テレビ東京開局60周年記念として製作されたドラマですが、1月にAmazon Prime Videoで配信されていたので、先日の地上波放送を待たずにすでにご覧になった方も多いかもしれません。原作は藤岡陽子の小説で、多くのヒット作を手掛けた岡田惠和が脚本、深川栄洋が監督をしています。
東京の病院で働く看護師の高橋紗穂(永野芽郁)は、中堅どころで仕事はできますが、もうひとつ生きがいみたいなものを見出せずに、日々の業務をこなしているだけになっていました。特別室に入院している名誉師長の雪乃サエ(倍賞美津子)の担当だった紗穂は、サエの病室にいた時に大きな地震があり気を失ってしまいます。
気がつくと、そこは何と昭和20年のフィリピンのジャングルの中。周りにいるのは、野戦病院で働く仲間たちで、紗穂のことを雪乃サエと呼ぶのでした。サエと一番仲が良い藤原美津(芳根京子)は、何から何まで忘れてしまったかのようなサエを不思議に思い、ついに「顔はサエでもあなたは誰なの?」と尋ねます。
紗穂は実は私は80年後の未来から来た、と美津に話しますが、美津は話を信じるのです。現代の病院とは違って何もない現場で、紗穂は少しずつ仕事に慣れていきます。ある時、何か歌ってと頼まれた紗穂は、当時としてはかわった曲であるドリカムの「晴れたらいいね」を歌いますが、その楽しさは仲間にも伝わるのでした。
病院を統括している軍医の佐治(稲垣吾郎)に、病院を放棄して前線の軍と合流するように命令がおります。佐治は看護婦たちは民間人なので、内地に戻るように言いますが、ただし港まで独力でいくしかないと伝えます。婦長の菅原(江口のり子)は、紗穂、美津らを連れて出発しますが、女性だけでジャングルを抜け崖を上る行軍は過酷なものでした。
ついにもともと足が悪い婦長が動けなくなり、自分を置いて先に進むように言い出します。紗穂は「全員が無事に帰ることが大事なんだから、そんなことは許さない」と声を上げ、「自分は未来から来た。雪乃サエさんは未来で生きているんだから、私といれば絶対に帰れる。皆を守ることが私がここに来た理由だと思います」と説得するのでした。
現代人が戦時中にタイムスリップするという、定番のシチュエーションなんですが、そこに人物の入れ替わりを加えた欲張りな設定がユニークです。
ただし、正直時空移動のきっかけが弱い。映像的に地震で主人公がかなりショックを感じるような状況はいくらでも作れそうなんですが、どこか予算不足? みたいな感じ。実は、主人公が現代に戻るところもあっさりしています。
なので、そこのところはあまり触れないでおきますが、野戦病院の緊迫感というところも、看護婦たちが主役ですからそれほど描かれているとは言えません。「生きて帰る」ことが大事であると言いたいのはわかりますが、国のために死ぬことを厭わない時代ですから、もっと死と隣り合わせの状況を描いてほしかったように思います。
何とか最後まで見れるのは、永野芽郁、芳根京子、江口のり子らの演技の素晴らしさのおかげ。芳根京子は「研修医まどか」とずいぶんと違うキャラを好演していますし、永野芽郁も突然理解できない世界に放り込まれた困惑を見事に演じていますので、ファンの方々は楽しめると思います。
2025年4月3日木曜日
終わりに見た街 (2024)
2024年9月にテレビ朝日で放送されたスペシャル・ドラマです。もともとは、脚本家の山田太一が1981年に発表した小説が原作で、1982年に自らの脚本でドラマ化されました。その後2005年にも、山田太一自身が現代に追加あわせて改変したドラマが放送されています。その間には、舞台劇としても上演されている作品。
今回は宮藤官九郎が、さらに令和の今を反映させた脚本を作り、テレビ朝日出身の片山修が演出を務めています。スマートホンを効果的に使ったりして、いかにも今風のアレンジがなされています。
あまり有名ではない脚本家の田宮太一(大泉洋)は、妻のひかり(吉田羊)、生意気盛りの高校生の信子(藤間み)、小5の稔(今泉雄土哉)、認知症の母親・清子(三田佳子)との五人暮らし。終戦ドラマの脚本を頼まれ、膨大な資料を呼んでいるうちに寝込んでいるうちに雷鳴と共に家ごと昭和19年6月にタイムスリップしてしまうのです。売れない役者の小島敏夫(堤真一)と息子の小島新也(奥智哉)も、一緒にタイムスリップしていました。
小島親子と合流して、付近を探索してしだいに状況が理解してきた太一でしたが、兵隊が突然現れた家を不審に思いやってきます。彼らは逃げ出しますが、家は燃えてしまい愛犬も殺されました。少しずつ時代に適応しようとみんなが努力をし始めるのですが、新也が清子の初恋の人、敏夫の叔父の敏彦に似ていることがわかります。しかし、新也は突然いなくなってしまいます。
11月になり空襲が始まります。太一もこの時代に溶け込むことで精一杯でしたが、未来を知っている太一は3月10日の大空襲で少しでも助かる人を増やそうと、清子を占い師に仕立て、3月10日は逃げるようにふれまわることにします。
深夜に大空襲が始まるという時に、新也が突然戻ってきますが、彼はしばらく見ないうちに戦時思想にすっかり染まっていました。新也は太一や敏夫を非難し、信子や稔までもが「国のために、勝つために行動すべき時だ」と言い出すのです。その時、突然、空襲警報が鳴り響きます。太一は混乱の中で何とか稔の手を取って走り出すのでした。
もともとこの話は読んでも見てもいなかったので、大泉洋主演で、共演が吉田羊という洋羊コンビですから、タイトルに一抹の不安を感じながらも笑って終われるものとたかをくくっていたら大間違いでした。
知らずに見ると、あまりのバッド・エンドに愕然とします。しかし、それは徹底的に戦争というものの理不尽さを訴えるものだと言えそうです。家ごと家族ごとタイムスリップという設定は他では見たことが無い。さすが人気作の多い山田太一、目の付け所が一味も二味も違う。
タイムスリップから戻れてめでたしめでたしで終わると、戦争の悲惨さが薄れてしまうところを、さらなる悲劇で追い打ちをかけるという発想は衝撃的です。大泉洋も出だしだけはしがない中年風情ですが、タイムスリップ後は笑いの要素はゼロで、彼の体験を通して戦争の過酷な状況を現代人の我々に伝えることに徹しています。
もしも未見の方は、再放送の機会があれば、あるいは配信で是非ご覧ください。ただし、その時は襟を正して、ラストシーンまで一瞬たりとも気を抜かずに見ることを強くお勧めします。
2025年4月2日水曜日
恋は雨上がりのように (2018)
橘あきら(小松菜奈)は、母親のともよ(吉田羊)と二人暮らしの17歳。陸上部の短距離の有望な選手でしたが、練習中にアキレス腱断裂を起こし、もとからの寡黙な性格に磨きがかかってしまいます。やたらとアタックしてくる同級生の吉澤(葉山奨之)とは同じファミレスでバイトをしていていますが、そこの店長は冴えない中年男でばつ一で子持ちの近藤正己(大泉洋)でした。
ケガをした日に店に入った時、近藤がすごく優しくしてくれたことから、あきらは近藤の事が好きになってバイトに入ったのです。ある日、忘れ物をした店の客を走って追いかけたあきらは、まだ完治していない足を痛めてしまいました。心配した近藤はあきらを病院に連れて行きますが、ついにあきらは近藤に「好きです」と告白してしまいます。
一度口にしたら、あきらはどんどん積極的にアプローチするのですが、近藤はなかなか気を許してくれません。ずっと一緒に陸上をやってきた親友のはるか(清野菜名)は、あきらのことをずっと心配していましたが、たまたま近藤に対して楽し気に笑っているのを見てショックを受け、喧嘩別れしてしまうのです。
近藤は、学生の頃に同人誌仲間で、今は売れっ子小説家になった九条ちひろ(戸次重幸)と久しぶりに会います。近藤は、すぐに学生時代に戻れる自分に気がつきます。近藤は、あきらに「ともだちをあきらめたら、ずっと立ち止まったままになってしまうよ」と話します。あきらに憧れて自分もアキレス腱断裂から立ち直った倉田みずき(山本舞香)も、あきらに陸上に戻るように迫ります。
バイト仲間の加瀬(磯村勇斗)はあきらの想いに気がついていて、「あまり店長を追い詰めるな。君は無くした楽しさを求めているんだろうけど、店長は何とかその楽しさを思い出させてあげようとしている」と話します。あきらは雨の中、近藤のアパートに走るのです。
恋愛物が苦手・・・っていうか、見てて何か体がかゆくなっちゃう自分でも、安心して最後まで見れる映画でした。何しろ主役が大泉洋ですから・・・って本人に怒られてしまいますが、ダメダメ中年の大泉洋が、だんだんすごくいい人に見えてくるので不思議です。
中年男と高校生じゃ、はたから見れば援助交際とかにしかならなさそうなんで、女子高生をうまいことまっすぐな道に戻してあげる大泉洋はかっこいい。もちろんそれだけではなく、女子高生のおかげで、あきらめていた夢にもう一度立ち向かう力を逆にもらう中年に拍手したくなるというところでしょうか。
あきらと近藤の会話をする場面はいつも雨が降っているのですが、雨がやんできらきらと光る地面に新しい何かが産まれているというタイトルなのかなと思います。多少ストーリー展開は早めで、たくさんいる登場人物を整理しきれていない感じはありますが、110分という時間制限のある中では、ぎりぎりセーフというところでしょうか。
2025年4月1日火曜日
SAKURA 2025 @ 早渕川 此岸
4月1日、新年度、新学期の始まり。エイプリル・フールです。
向こう側と比べると、ボリューム感はやや劣りますが、ソメイヨシノが満開となりました。
ただ、天気がいまいちで気温も低くて、いわゆる「花冷え」ですから、盛り上がりに欠けるのはしょうがない。
でも、その影響は開花期間を長引かせて、楽しめるチャンスが増えることにつながるのかもしれないので、必ずしも悪いことではありません。