2022年12月31日土曜日

北海道ラーメン きむら 初代 @ たまプラーザ


2022年の〆は、ラーメン。

と言っても、もう新たな店を探してチャレンジする元気も無いので、ホームの店、初代です。もう、何度も何度もブログに登場していますから、特に書き加えることも思いつかない。

コロナ渦で飲食業が大打撃を受ける中、この店も大変だったと思いますが、久しぶりに訪れたらちょっと変わった点があった。

一つ目は、駐車場が拡大されていました。今の場所で当初は店の前に4台くらいのスペースでした。すぐに隣の土地に10台くらいの場所を確保していましたが、それでも昼時ともなると公道に駐車待ちが並んでいました。そして、今回行ったら、さらにその隣にも10台分くらいの場所をおさえていました。

もう一つは、入り口が二重になるガラス扉が設置されていたこと。元々は雰囲気のある手動の重たい引き戸だけだったので、しばしば客が閉め切れずに、この時期冷たい隙間風に身を屈めることはよくありました。これが解決されたことは拍手を送りたい。

さて、自分にとっては定番は辛味噌なんですが、今回は年末特別チャレンジということで、鉄火麺を選択しました。辛いのが苦手な人でも食べれる程度のものが辛味噌ですが、自分はたいていテーブルに置いてある自家製豆板醤やラー油を追加してしまいます。そこで、それだったら大辛でもいいじゃん、ということで・・・

ずっと前に一度食べたのですが、けっこう辛いけど、何とか食べれる辛さという印象。辛さチャレンジャーでは無いので、辛さ××倍という場合でも基本中間くらいを選択します。あらためて食べてみると、鉄火麺は極端な辛さではありませんが、自分的にもけっこう辛い方です。それでも、ベースの味噌スープの味を感じることができます。

いつものように、麺を吸うようにズルズルと入れると、辛さが喉の奥にいきなり届いてむせてしまいます。ポイントは吸わずに、口の中に入れることというですね。

今年一年分の大汗を流し去って、卯年を迎えることができるというものです。それでは、皆さん、良いお年を!!

2022年12月30日金曜日

2022年の地球


比較的静かに始まった2022年だったと思います。 コロナは相変わらずでしたが、最初の大きなニュースと言えば、北京で行われた冬季オリンピックでした。日本勢の大活躍は記憶に新しいところです。

ところが、オリンピックが終わったとたんに世界中に衝撃を与えたのが、ロシアのウクライナ侵攻です。我々日本人には、なかなか理解が困難な両国の関係があるので、うかつな発言は難しいところ。

しかし、一方的に攻め込んで力で「ここはロシアの領土だ」と宣言するロシアのプーチン大統領のやり方には、まったく共感を持てるはずもない。まして、ウクライナ政権を「ナチ」と呼ぶところはまったく理解できません。

長期化してくることで、西側諸国が軍事的援助をウクライナにすることで、共産主義国家と自由主義国家の代理戦争の様相も呈し、世界中に物価上昇などの悪影響も顕著になりました。秋以降、劣勢が報じられるプーチン大統領は、核攻撃の是非をちらつかすようになり、出口がいまだに見えない状況です。

3月に少なからず日本に影響があるかもしれなかったのが、韓国の大統領選挙でした。あからさまに北朝鮮にすり寄り、ことごとく日本を敵視てきた前政権が終わったことで、さまざまな問題の解決に向けての動きが期待されました。しかし、久しぶりに両国首脳が対面したということ以外は、ほとんど何の進展もありません。

4月には、プロ野球、ロッテの佐々木朗希投手が日本の球界28年ぶりの完全試合を成し遂げました。そして、一番メディアでも取り上げられた国内のニュースと言えば、知床の観光船沈没事故。ずさんな管理のもとに起こるべくして起こったことが判明し、いまだに行方不明の乗客もいる悲惨な事故でした。

5月は、渡辺裕之さん、上島竜兵さん死去に驚きました。自殺と報道されていて、コロナ渦になってから芸能人の不安定な基盤が揺らいでいることは度々話題になっていましたが、少しずつ芸能界も活動も再開していた矢先ですから、どれだけの闇が広がっているのか我々には想像もできません。

ウクライナ侵攻による原油価格高騰などの影響もあり、国内では電力が逼迫することが予想され始めたのが6月。夏のエアコン使用などで電気使用量が増えると計画停電もあるというので、できるだけこまめに電気のスイッチを切るようにしました。

7月に今年の最大の事件、世界中にも驚きを与えたのが安倍元首相暗殺です。参議院選挙の運動期間に起こったこの事件は、政治的な背景ではなく、新興宗教被害者による逆恨み的な犯行とされました。この事件を契機に、宗教団体による政権与党に深くすり寄った多くの事案が明らかになり、大きな問題になっています。

夏は暑かった。もう他の事が思い出せないくらい、ますます猛暑が当たり前になりました。9月に、イギリスのエリザベス女王が亡くなり国葬が営まれました。6月に在位70周年の話題があったばかりでした。ここで、日本政府がほとんど議論もないままに安倍氏を国葬にすると決めたことが、さらに大きく問題視されましたが、政権は葬儀を強行しています。国民の過半数が異議を唱えたことは、どのように生かされるのか不明のままです。

10月はプロ野球、ヤクルトの村上宗隆選手の三冠王。王貞治を越えたシーズン56本塁打と共に。大きな話題になりました。その一方で、唖然としたのが韓国の繁華街での雑踏事故。街中の狭い路地に驚くべき過密状態が発生し、120人を超える人々が圧死したという驚くべき事件に言葉を失いました。

11月はアメリカで中間選挙が行われ、現バイデン政権がなんとかぎりぎりで国民から信任された結果でした。前大統領のトランプ氏は、かなり奮闘していましたが、低調な結果に終わり相当荒れたらしい。大きな発表をすると言って、何と自身のトレーディングカードを売り出したのも開いた口がふさがらない。

11月末から始まったサッカーのワールドカップは、強豪国ドイツ、スペインを撃破した日本の活躍は記憶に新しいところ。ベスト8には届かなかったものの、今回の大会の台風の目として大きく日本が注目されたことは嬉しかったですよね。

秋以降、急激な円高で物価高騰に拍車がかかる中、暴走気味の岸田政権は、防衛費増額についてもまたもや議論が無いままに増税をぶち上げてきました。秋以降、閣僚は不祥事で次々に辞任・更迭されている中で、不安定な舵取りをなすがままにさせている弱小野党にも大きな問題がありそうです。

今年も残すところ、今日と明日の二日だけ。来年はどんな地球になるのでしょうか。

2022年12月29日木曜日

手打ちそば おおつか @ センター南


横浜市都筑区の手打ち蕎麦の名店と言えばここ。

いろいろな店を食べ歩きましたが、もう、ほとんど日本蕎麦の外食となると、本格手打ちなら「おおつか」、リーズナブルな町の蕎麦屋はすすき野の「更科」しか行かなくなりました。

さて、昨日は仕事納め。間に合うかどうかギリギリだったのですが、ダメ元で駆け付けたら、何とか間に合いました。次に入ってきたお客さんは、もう蕎麦が無いと断られていました。

天ぷらせいろで、揚げたての天ぷらの美味しさは格別です。そばに関しては申し分ない。ちょっと早目の「年越しそば」を堪能しました。


「おおつか」さんの年内は30日までは通常営業ですが、大晦日はテイクアウトの「年越しそば」のみの販売です。ここの蕎麦は細めですので、しっかりと沸騰したお湯で、ほとんどお湯にくぐらせる程度の超短時間で茹でます。

できれば鴨の酒蒸しも合わせて購入して、家で贅沢に「おおつか」を味わうというのもお勧めです。

2022年12月28日水曜日

新年準備


クリニックの年内の診療は、本日(12月28日)が最終です。なお午後は、いろいろな片付けなどをするため、午前のみ(受付12時半終了)となっています。

クリスマスツリーは、クリスマスの2週間前からクリニックでも飾ります。当然、クリスマスが終わるとすぐさま片付けて、代わりに登場するのが松飾。これが置かれると、年の終わり感が強くなります。

ただ、クリスマスツリーに比べると、松飾が出ているのは最大1月7日で、その間年末年始休診が入るので、実質的には年内数日、年明け数日しか人の目に触れません。

そういう意味では、自分的にはクリスマスツリーよりも気に入っているものなので、ちょっと残念。

松自体は本物ではありませんが、いろいろと縁起物がぶら下がり見ていても楽しいものなので、運気アップ間違いなしなんですよね。

2022年12月27日火曜日

自宅居酒屋 #51 大根とホタテのサラダ


これは、メチャ旨いのですが、食材としてホタテの貝柱が高価なので、居酒屋メニューとしてはちょっと難点があるかもしれません。

たまたま、冷凍庫の整理をしていたら、だいぶ古いホタテの貝柱が数個見つかったので利用しました。大根は細目に千切り。ホタテは軽く茹でてバラバラにします。

写真を見ると、白い大根に白いホタテ、味付けが白いマヨネーズなので、全部白でよくわかりません。ちょっとでも見た目を良く出来るかと、青のりを少しふってあります。

レシピも何もないくらい単純な料理なのですが、注意点は水っぽくなりやすいので、少しだけ塩コショウで加えておいた方が味が締まります。

2022年12月26日月曜日

俳句の勉強 65 年末の季語


否が応にも年末はやってくる。そして、一年が終わると新年を迎えて、また一年の繰り返し・・・毎年、同じ年末のように思いがちですが、年を取るといろいろと感慨も変わってくるものです。

年末に相応しい季語を探してみました。

当然12月31日は「大晦日」で季語。陰暦では月の最後の日は「三十日(みそか)」なので、元々は12月29日を大晦日の前日として「小晦日(こつごもり)」と呼ぶ季語になります。今の暦では12月30日でもかまいません。

春や来し年や行きけん小晦日 芭蕉

「大晦日」でも「小晦日」でも、どっちでも構わなさそうな句。さすがの芭蕉も、一日の違いを詠み分けるのは難しかったのかもしれません。

漱石が来て虚子が来て大三十日 正岡子規

子規のもとに友人や弟子たちが集まって来る様子。本当に子規にとっては、心待ちにしていたかけがえのない時間を過ごしたことでしょう。

もう今年もわずかだなという感慨を込めた季語が「年惜しむ」、あるいは「惜年」です。 大晦日の夜に限定して使われるのは「年越」というのはわかりやすい。

ポケットの胡桃鳴らしつ年を越す 加藤楸邨

テレビが普及していなかった時代には、大晦日というと静かに過ごす感じだったのでしょうかね。カリカリと胡桃がこすれる音が聞こえてきます。

面白いものとしては「年末賞与」というのがあります。いわゆるボーナスのことで、元々は越年資金という意味合いがありました。

懐にボーナスありて談笑す 日野草城

さぞかしポケットの中は暖かかったことでしょう。自然と笑って、同僚たちと喋る余裕があったということ。自分はボーナスをもらった経験が無いので、この嬉しさはピンとこない。

家では神棚をささやかに、神社仏閣では大々的に内外を掃き清める行事が「煤払(すすはらい)」です。年末というよりは、もう少し早めのことが多いのですが、年の瀬の風物詩になっています。

煤掃きや調度すくなき人は誰 蕪村

家財道具が少なければ、煤払いも楽ちんというもの。蕪村もとぼけた句を詠んだものです。誰? っと聞いていますが、たぶん自分の事なのではないでしょうか。

キリスト教救世軍の歳末行事で、駅前なので行う募金活動で「社会鍋」です。三脚に鍋を吊るして行うわけですが、もう今のご時世では見かけなくなりました。

来る人に我は行く人慈善鍋 高濱虚子

鍋の前をたくさんの人通りがある様子でしょうか。みんな鍋の前を行き過ぎるだけで、なかなか募金する余裕がある人は多くはありません。虚子も通り過ぎた一人なのかもしれません。

新年を迎える飾り物はそれぞれ新年の季語なので、初春を迎えてから使います。ただし、その準備である「門松立つ」、「注連飾る」などは年末の季語。飾るのは遅くとも30日までに行います。大晦日に飾るのは「一夜飾り」と言って忌み嫌われます。

松立ててをりちんどん屋賑やかに 村山古郷

ちんどん屋も今の人にはわからない。自分が子供時には、よく家の前にもちんどん屋が通り過ぎたものです。鐘と太鼓をチンチン、ドンドンと賑やかに鳴らして、動く広告活動ということですが、年末になると商店街の歳末大売り出しの宣伝をしていたんでしょうね。

大晦日の近辺には、各神社などではいろいろな神事が行われますが、お寺では最後の最後、「除夜の鐘」で年を越します。煩悩の数である108回、約1時間ほどかけて鐘を突くのは今でも一般的に知れ渡っています。

奥武蔵雪山ならぶ除夜の鐘 水原秋櫻子

おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘 山口青邨

他にもいろいろありますが、時代が変わって過去の遺物化した季語も少なくありません。自分が経験したことが無い言葉を無理に使っても、そうそう良い俳句が作れるものじゃありません。季語の中身をしっかりと理解して使うことが肝腎ですね。

2022年12月25日日曜日

ローストチキン


クリスマスの定番料理と言えば、ロースト・チキン。昔は、鶏丸ごと買ってきて作りました。

冬のキャンプで食べたくて、丸ごとが入る大きめのダッチ・オープン(17インチ)をわざわざ買ったことがあります。

今では、食べきれませんから、一人脚1本。

この時期、スーパーでは総菜売り場にたくさん並んでいるので、それでも良しとするなら、この後は読む必要はありません。

しかし、出来合いの物は・・・旨くない。鶏肉よりもタレの味しかしません。

今時、どこの家でも電子レンジはオーブン機能がある。そうです、使ったことがないという方が圧倒的に多いと思いますが、まずはオーブンを使う初歩的料理として、ロースト・チキンは簡単で最適なんです。

今夜にまだ間に合いますから、是非、ロースト・チキンは自家製で味わってもらいたい。

脚2本だと、タレは醤油 大さじ2、砂糖 小さじ1、塩 少々、胡椒 少々くらい。ニンニクはお好みの雰囲気でどうぞ。凝りたければ、いろいろなハーブもお好きで。

脚は、フォークを何か所か刺して穴を開け、タレが染み込みやすくします。ビニール袋に脚とタレを入れて、空気を抜くように密閉して、約30分程度置いておきます。

あとは皮面を上にして、オーブンで焼くだけ。予熱して220度30分くらいで、こんがりと美味しそうに焼けて完成です。皮はパリパリ、中はしっとり、鶏肉の味をしっかり感じることができます。

丸ごと一羽で作りたい場合は、タレは上に書いた量の3~4倍用意して、こまめに回しかけます(ちょっと手間)。羽はぐるっと後ろ向きにすると安定します。

にじみ出てくる汁を吸わせるために、お腹にクズ野菜などを詰めておき、お尻のところを爪楊枝で止めれば、あとは焼くだけ。大きいので200度40~60分くらいでしょうか。途中で向きを変えた方が、全体がこんがりと焼けます。

食べ終わったら、残った骨はよく洗って冷凍。正月にガラスープを取ればお雑煮にも使えます。一石二鶏!! です。

2022年12月24日土曜日

俳句の勉強 64 鳥雲に入るで苦心


長い季語です。「鳥雲に入る(とりくもにいる)」は、仲春の季語で、春になって北に帰っていく渡り鳥の群が雲間に入って見えなくなるということ。そこらに普通にいる鳥が夕方になって、巣に帰っていくことではありません。

単に北へ帰るだけなら「鳥帰る」という別の季語もあります。鶴に特化した表現だと「引鶴(ひきづる)」、鴫(しぎ)なら「戻り鴫」、白鳥は「白鳥帰る」、雁なら「春の雁」あるいは「帰雁(きがん)」、鴨は「引鴨」などなど。

「鳥雲に入る」は「鳥雲に」と短く使っても良い事になっていますが、単に帰るだけでなく遥か雲の合間に消えていくところがポイント。そこには、寂しくなるという感傷が確実に含まれていて、使用する場合に意識しないといけなさそうです。

鳥雲に入りて草木の光かな 闌更

鳥は北に帰って行って寂しいけれど、春が近づき草木が生き生きと大地に芽生え始めたのが輝いて見えるというところでしょうか。この季語に対しては、教科書的な模範解答ともいえる句だと思います。

鳥雲に娘はトルストイなど読めり 山口青邨

この場合は、あくまでも仲春という季節感を出すために使われている感じがします。わざわざトルストイという固有名詞を出して字余りにするのは勇気がいるところ。にもかかわらず、「など」として絶対的じゃなくしたのは不思議です。

少年の見遣るは少女鳥雲に 中村草田男

もしかしたら、ちょっと気になる同級生の女の子が転校で去って行ってしまうのを、少年がセンチメンタルになって見送る様子なんかが想像できる。何かちょっとした青春映画の冒頭の一シーンを見ているような気がします。

それにしても真っ向からこの季語を使うと7文字ですから、上句・下句なら字余り、中句だと全部使ってしまう。これは困った。盛り込みたいことを思いついても、とても字数が足りません。泣き言を言ってもしょうがないので、とにかく考えましょう。

校門を出れば大鳥雲に入る

これ、どうでしょう。いきなりちょいと捻った使い方ですが、下句を「雲に入る」だけと分解した形ですが、うまく五七五に収まりました。卒業で校門を出ていくと、こどもたちは思った以上に大きく成長していて、雲の中に消えていくように巣立つという感じ。

ちょっとひっかかるのは、仲春の季語ということは、基本的にまだ2月。卒業自体は3月で晩春の季語とされています。春の季語で夏の事をいっているわけではないので、許容範囲にできるものでしょうか。

鳥雲に人は夢無く地にはべる

これは鳥と人の対比。けっこう悲観的な内容。大空を自由に飛び回れる鳥たちと比べると、人は地上から自分の力で飛ぶことはできません。毎日、同じところであくせくと働いているだけです。本当は「人は」ではなく「吾は」でもいいくらい。

「入る」の二文字を省略すると、かなり自由度は高くなる感じですが、分離がはっきりする分、季語の持つイメージを生かすのが難しいように思います。

2022年12月23日金曜日

キャベツ鍋


大量にキャベツを消費する鍋。

ほぼポトフみたいなものですが、安っ!! っと思って買ったのはいいけど、なかなか減らないキャベツを使い切るのには都合が良いと思います。

一緒に入れる野菜は、どんものでもたいがい問題ありませんが、一応、定番的なものはじゃがいもとタマネギ、にんじんなどでしょうか。

しめじ、エリンギなども合いますが、今回はマッシュルームを入れています。そして、やはり味のポイントはソーセージ。味出しの目的なので、特に高価なものでなくてもまったく問題ない。

コンソメで適度な味にしたら、トマト缶1/2くらいを使いました。生トマトなら、中くらいの大きさならみじん切りにして3個程度。それも無ければ、トマト・ジュースでもOK。トマト・ケチャップだと甘くなるので注意。

味に飽きても、カレー粉や、ピザ用ミックス・チーズを追加して味変させると楽しめます。お腹に余裕があったら、最後はご飯を入れて最後までどうぞ。

2022年12月22日木曜日

きりたんぽ鍋


もともとは、マタギ(猟師)が冷や飯を食べるために、すり潰して棒に巻き付けるように焼いたものが「たんぽ餅」で、これを切って鍋にして食べるのが「きりたんぽ鍋」です。秋田の郷土料理として定番の一つとして、全国的にも有名です。

秋田と言えば、比内地鶏。国の天然記念物に指定されている比内鶏を品種改良して、濃厚な味を保ちつつ繁殖率を高め商品化したもの。きりたんぽ鍋の味の決め手になります。

きりたんぽ鍋には、もちろんたんぽ餅を食べやすく切って入れるわけですが、他には比内地鶏を切り身にしたり、つみれ団子にして濃厚な鶏ガラの味わいを楽しむのが定石。

他に必ず入れたいものが、舞茸、牛蒡のささがき、大きめに切った長ネギなどですが、絶対にはずしたくないのがセリ。ちなみに、せっかくの比内地鶏の味わいを変えてしまうので、椎茸は入れてはいけないとされています。

比内地鶏は高価なので、普通にスーパーで売っている鶏モモ肉などでも代用はできますが、味わいは薄くなります。セリも高めの食材ですが、香りがよく合うので必須。舞茸の代わりにしめじならOKです。しらたき、豆腐はお好みで。

なお、セリは根っこの部分も食べれます。切って捨ててしまってはもったいない。最近は、根っこ付きのまま売っているものが出回るようになりました。

冬です。寒いです。鍋の季節です。じわーとしるのしみ出るたんぽ餅が体を温めてくれますので、鍋メニューのローテーション入りです。

2022年12月21日水曜日

2022年総決算


今年もあと10日ほどを残すのみとなりました。この時期になると、毎年「日記」らしく、1年を振り返ってみています。

あらためて、昔の「総決算」を読み返してみると、随分と頑張っていたなぁ、と我ながら思います。とにかく、クリニックを軌道に乗せるのに必死でしたから、ほとんど休み無しで働いていました。

10年くらいたって安定してきたので、土曜日夕から月曜日朝までの当直バイトはだんだん減らして、5年ほど前に辞めました。木曜日の午後も、クリニックは休診でしたが、他の病院で診療したいたのですが、これも少しずつ減らして、一昨年からは完全休養にしています。

ところが、そこへ降ってわいたように始まったのが新型コロナ問題。患者さんが激減して、半分以下に落ち込んだこともあります。その後は、感染者数が減ると来院者は少し増え、また増えるとどっと減るの繰り返しで、多い時でもコロナ渦前の7割程度。

ただ、何とかクリニックを維持できているのは、一番大きいのが人件費削減。何の経営でも同じですが、一番大きな経費は人件費。スタッフには、出勤はコロナ前の2割程度に減らして協力してもらっています。そして何より一番大きいのが自分の給料。

自分の取り分を半分以下にして、生活費と住宅ローンの支払いに必要な分・・・それと多少のお小遣い程度をもらうだけにしました。あせらずにすんでいるのは、こどもたちの教育がおわっているから。そのかわり、やっと「老後の資金」が貯金できると思ったのに・・・そしてクリニックとしても良かったのは、開業時の借金がすでな返済済だから。

ただし、長年使ってきた医療機器の故障という問題もボチボチ出てくるのが悩みの種。医療器械というだけで、やたらと高額になっています。例えばレントゲン画像をため込むためのサーバーは、普通レベルのパソコンとソフトウェアだけですが、数百万円という価格設定。それでもって、いまだにWindows7で動いているから甚だ寂して限りです。

いつ何が壊れても診療に支障をきたしますので、ある程度の突然の支出はいつでもありうると考えておかないといけないのが辛い所です。幸い、今年は無事に年を越せそうですが、毎日ひやひやするのは来年も同じ。

コロナについては、今年は感染拡大で昨年までは何とかスタッフから一人も感染者出していませんでしたが、今年は数人が次々に欠勤を余儀なくされました。自分が感染した場合は、休診にするしか選択肢がありませんが、スタッフの欠員が出た場合は残りのメンバーでやりくりするしかない。文句を言わず頑張ってくれたスタッフには感謝しかありません。

個人的な総決算は、イタリア料理と俳句に尽きます。去年からの続きで映画三昧で始まった年頭でしたが、ふとしたきっかけでイタリア料理にはまった。いろいろな面で勉強になりましたが、だいたい家で作れそうな主なレシピは制覇したと思います。そうそう、いつまでやってられない。というのは、食材にかかるお金がバカにならないというのと、いつのまにか増えたのが体重。やばいです。

そう思って、つぎにはまったのが俳句です。これは体重は増えませんが、カロリー消費もありません。今まで、何となくこんなもんだろうくらいに思っていたのですが、いざ本気で始めてみると、あまりの奥の深さに面食らうことばかりです。

正直、俳句くらいできるさと思っていたのが大間違い。知れば知るほど自分の貧困な想像力にがっかりすることばかりです。いろいろな俳人の句を読んでみると、その人それぞれの句柄というものがあるのがわかりました。いろいろ作句していくうちに、自分の句柄が出来上がって来るのだろうと思いますが、ちっとやそっとのことではありません。これは長く続けるしかなさそうです。

日本を取り巻く世界を見てみると、一番大きな出来事はロシアのウクライナ侵攻と安倍前首相暗殺でしょう。ますます世界情勢は不安定になって、それぞれの国のナショナリズムが際立ってきているのが大きな不安材料です。その波に乗せられたのか、ここにきて政府は防衛政策を転換しようとしています。ウクライナ侵攻が大きく関係する世界中の物価高騰も生活を直撃していて、一般市民の生活も転換点にきているのかもしれません。

スポーツ界では、北京冬季オリンピックとサッカーのワールドカップでの日本勢の活躍が記憶に残りました。また、ボクシングの井上尚弥の勝利も歴史的な快挙として記憶されるべきことだと思います。暗い話ばかりの今年でしたが、これらが明るい話題として日本を少しでも元気づけてくれたのは幸いです。

そんなわけで、毎日大人しく過ごした一年でしたが、自分もさすがに年齢を実感する年になってきましたので、体調だけはくずさないように日々精進し続けるしかありませんね。

2022年12月20日火曜日

サッカー・ワールドカップ2022 終幕


日本が敗退しても、当然ワールドカップは続いていたわけで、BEST16がBEST8、BEST4になり、準決勝、三位決定戦、そして昨日(日本時間)ついに決勝が行われ終了しました。

日本人的には、もともとかなりきつい組み合わせだったので、格上のドイツ、スペインを激破してBEST16に進んだだけでも十分に盛り上がりました。残念ながら、BEST8という「新しい景色」が見れなかったのは残念ですが、戦った選手たちには万雷の拍手が送られたと思います。

でも世界を見ると、こういう扱いは異例なのかもしれません。敗れ去った国によっては、自国から大きなバッシングを受けることは珍しい話ではなく、過去には帰国後殺された選手もいたりします。また、これは例外的ではありますが、某国では帰国後、選手たちは死刑になるのではと心配されていたりもします。

もともとスポーツが戦争の代替的なものとして始まったことを考えれば、人間の本能的な部分で日本人は甘いのかもしれませんが、「綺麗ごと」を排除したら本当に血なまぐさいことになるし、ナショナリズムが先鋭化しつつある昨今では、日本の態度は捨てられない部分だとは思います。

今回の大会中に、ちょっと面白いと思ったどうでもいいこととどうでもよくないことを一つずつ紹介します。

まずはどうでもいいこと。日本では一般にBEST Four、BEST Eightと英語表現を使うのですが、なぜかBEST16だけは「じゅうろく」と日本語になってしまう。言われてみれば、確かにそう。「シックスティーン」だと長いから、あるいは「シックスティ」と間違えやすいからなどの理由が考えられます。

どうでもよくないことは、テレビ問題。日本のテレビという文化を支配してきた地上波放送の凋落ぶりは、今回の大会でもはっきりしました。何しろネット・テレビのAmebaが、全試合を無料で生放送したのですから、若者中心にサッカー好きは地上波にそっぽ向いた形。

好きな番組を好きな場所で、好きなだけ見るという、メディアに対する人々の姿勢が明確になったということ。一方的におしつけられる従来のテレビの在り方が敬遠されているということです。また地上波局の予算も激減して、放送権料が高額なワールドカップのような大会にはなかなか手が出なくなっているという、悪循環も指摘できそうです。

ただ、ある評論家の意見として、見たい人しか見ないようでは、いわゆる「にわかファン」が生まれない。そうなると、国全体の盛り上がりも限定的になりますし、新規の参入者も減ってしまうだろうというものがありました。

これは一理ある。自分も普段のJリーグを見るわけではなく、たいてい日本代表の登場する国際試合しか見ません。周りには、もっと見てないのにやたらの盛り上がっている方々も大勢いるわけです。サッカーの裾野を広げるためには、誰にでもアピールできる地上波テレビはそれなりに重要な意味があるので、ネットとのバランスがうまくいくようにしてもらいたいものです。

さて、決勝はアルゼンチン対フランス。決勝戦も激闘になりました。寝るに寝れない、延長戦、そしてPK戦。結果はもうご存じの通りで、アルゼンチンの勝利で、リオネル・メッシ選手にとって、念願だったトロフィーを手にしたことは全世界のサッカー・ファンも納得のことと思います。

日本選手の登場する試合ではありませんが、ここので白熱した戦いを見せてもらえれば、国を越えてどちらも応援したくなるというものです。もちろん、ここに日本が絡んでくれれば最高ですが、今回の大会で足掛かりの一部を見ることができたように思えた所は収穫でした。

ガンバレ、NIPPON、SAMURAI BLUE !! !!

がんばれ、世界中のアスリート !! !!

2022年12月19日月曜日

俳句の鑑賞 52 三島由紀夫

三島由紀夫。自分にとっては、1970年11月25日、市ヶ谷の自衛隊に籠城して割腹自殺を図ったことが、この人物を知ることになった最初。戦後の高度経済成長のピークを象徴した、大阪で開催された日本万国博覧会で盛り上がった日本人に冷水を浴びせかける事件だったと思います。


最初の出会いが衝撃的でしたが、その後、昭和を代表する小説家の一人であり、「仮面の告白」、「金閣寺」、「宴のあと」などの多くの後世に残る作品を発表しています。

三島は大正14年(1925年)、東京四谷に生まれました。華族出身の祖母の厳格なしつけの影響もあって、昭和6年、学習院初等科に入学。高等科に進学した際に、実は2級上に波多野爽波がいました。爽波の作った「木犀会」に参加した三島は、ここで俳句の指導を受けることになります。

実際、三島は俳句に深入りすることは無かったので、残された句も多くはありませんし、その内容も習作の域を出ない物が多いようですが、さすがに後に偉大な文学者・思想家となる人物ですから、一度は読んでみて損は無い。


ワイシャツは白くサイダー溢るゝ卓
 三島由紀夫

真夏の喫茶店でしょうか、真っ白な開襟シャツを着て、炭酸の泡が溢れ出そうなサイダーとの取り合わせで暑さを表現しています。

三島由紀夫全集(新潮社、昭和51年)には、約40句が収載されています。

アキノヨニスゞムシナクヨリンリンリ 三島由紀夫 六歳

6歳の時の句があるというのは驚きですが、いかにもこどもらいし句。鈴虫が鳴くのは秋の夜と決まっているようなものなので、上句の5文字は不要。下句は「リンリン」では字足らずなので、「リ」一文字を追加したのかもしれませんが、かえって鳴き続けている感じが出て好印象です。

おとうとがお手手ひろげてもみぢかな 三島由紀夫 七歳

これもいかにもこどもの句。こどもの手を「もみぢ」と表現するのはありきたりで、大人がやると陳腐の誹りを免れません。

ふとレコード止みつ彫像の鋭き冷え 三島由紀夫 十五歳

さすがに高校生の年頃ですから、俳句の中身に奥行きが出てきました。レコードの音楽が止んで、静かになった居間でしょうか。部屋にある彫像の冷たさが急に思い出されたらしい。

三島は俳句に対する考え方をエッセイとして残していて、「問題は俳句の制作に当つて、いかにして、五七五の形式にむりやり押し込められたといふ緊迫感が得られるかといふことである・・・(中略)・・・俳人の心の中に、五七五といふ檻にふさはしい限界状況がひそんでゐなければならぬ筈である」と述べています。

角川の大歳時記では三島の命日は「三島忌」、「由紀夫忌」、あるいは「憂国忌」として季語にしています。文学者・思想家としての三島が、多くの俳人にも影響を与えたということでしょう。

三島忌の男美学の首飾り 井沢正江

少年の耳輪の揺れや憂国忌 黒川江美子

憂国忌美学の底に潜む修羅 丹治法男

副葬の口紅と刷毛憂国忌 江里昭彦

終わりに俳句ではありませんが、三島が自決する直前に詠んだ辞世の句を紹介します。

散るをいとう 世にも人にも

 さきがけて散るこそ花と 吹く小夜嵐 三島由紀夫

益荒男が たばさむ太刀の 鞘鳴りに
 幾とせ耐えし 今日の初霜
 三島由紀夫




2022年12月18日日曜日

俳句の鑑賞 51 波多野爽波


波多野爽波(はたのそうは)、本名、波多野敬栄は、大正12年(1923年)に東京に生まれ、戦後の「ホトトギス」を牽引した俳人の一人。

学習院に初等科から入学し、中等科、高等科と進学しています。この間に体調をくずし療養している時に「ホトトギス」を読むようになり、昭和15年から投句を始め、星野立子の「玉藻」例会にも参加するようになりました。

学習院高等科で俳句仲間を増やし、昭和17年、京都大学入学。翌年、召集され中国の戦線で実戦を経験し、陸軍少尉として終戦を迎えます。帰国すると。すぐ「ホトトギス」、「玉藻」の再建に尽力し、1949年、最年少の「ホトトギス」同人になりました。

昭和28年、主宰誌「青」を創刊。その後、いろいろな俳句誌の垣根を超えた活動を通して、戦後俳壇の中心となっています。平成3年没、68歳でした。

チューリップ花びら外れかけてをり 爽波

爽波の有名な句の一つ。植物を題材にする時、特に花が咲く場合は、その盛りの美しさに目が行きがちです。しかし、ここでは花が開き切ってまさに花弁が落ちようとしている寸前を切り取ったところが新鮮です。

実は、高濱虚子によって爽波の「青」はチューリップに例えられたことがあり、ある意味、チューリップは爽波自身を表す花であり、「ホトトギス」との関係が暗に詠まれていると考えられています。また、この句が作られたのは平成2年で、病弱の爽波の自身の健康に対する不安も垣間見られます。

葭切や水を飛ぶとき茶色の羽 爽波

葭切は、大きな鳴き声が特徴の夏の水辺に見られる鳥。鳴き声で葭切の存在に気付いて、水辺を見ると、ちょうど飛び立った葭切の茶色の色だけが目に焼き付いたということでしょう。

一瞬の自然界の光景を客観写生する、発想力・描写力は、まさに虚子の直弟子として「ホトトギス」によって培われたものであることは間違いありません。ただ漠然としたムードよりも、写真で切り取るような現実に注目しているところが都会的かもしれません。

鳥の巣に鳥が入つてゆくところ 爽波

これも面白い。鳥の巣に入っていく寸前の鳥の描写です。動きが完結するところではなく、そのちょっと前か後を俳句にすることが特徴としてありそうです。完結していないことで、その後の小さなドラマをいろいろと想像できるのが楽しい。

朝に踏まれ寒星の下かへる靴 爽波

社会人としての爽波は銀行員でした。通勤地獄とも呼ばれる、仕事の行き来のラッシュを嫌と言うほど経験したのでしょう。朝はぎゅうぎゅう詰めの電車で靴を踏まれることは、まさに日常のこと。冬の帰り道、仕事に疲れて星空の下を帰る時は靴は踏まれることは無く、平穏を取り戻すのです。

冬空や猫塀づたひどこへもゆける 爽波

猫がするすると家の間を駆け抜けたかと思うと、ひょいと塀に飛びつき消えていく一瞬を目撃した作者は、その自由な動きが羨ましたかったのかもしれません。サラリーマンとしての不自由さみたいなものが、「冬空」という季語に凝縮しているように思います。

爽波の俳句実践は、自ら「俳句スポーツ説」として述べています。俳句は理論より実行。スポーツのように練習を繰り返すことが重要で、ものに即して反射的に対応し写生するための「体力づくり」が必要ということ。ですから、爽波は多作多捨を信条としていました。実はこのような考え方は、しばしば「俳句は筋トレ」と言う夏井いつき先生にも通じるところで、夏井先生も一つの季語で百句のような荒行を推奨しています。

2022年12月17日土曜日

残骸


こどもにお歳暮。

親としては、多少いいとこ見せたくて蟹を送りました。

早速、食べたよぉ~とLINEが入りました。

添付されていた写真は・・・残骸。

まぁ、旨かったということは伝わる。良しとしましょう。

単に蟹というと、俳句では沢蟹とかになって夏の季語。ずわい蟹とすれば、冬の季語になる。

黙々と殻を積み上げずわい蟹

2022年12月16日金曜日

カンタータ年鑑、始まります

アドベントです。

それ、何? という反応が普通なので、知らなくても問題ない・・・大多数の日本人は。

これはキリスト教の話で、アドベント(advent)と は、イエス・キリストの誕生を静かに待ち望む期間のことで、日本語では待降節(たいこうせつ)と呼ばれます。教会暦は、アドベントが一年のスタート。


2022年は、11月27日の日曜日からすでにスタートしており、クリスマスまでの4週間の期間があてられています。

なんでアドベントか・・・数年前にJ.S.バッハの教会カンタータにはまって以来、毎年この時期になると、膨大な量があるカンタータを聞き始めたいと思うから。ただ、このブログに毎週感想を書いていた時はモチベーションが保てたのですが、その後はなかなか一年を通して聞くというのが難しい。

以前の記事を読み返してもらえばわかるとは思いますが、それだけでも相当根気がいることと思いますので、超短く説明すると、バッハ先生はライプツィヒにあるルター派プロテスタントの聖トーマス教会の音楽監督になって、毎週日曜日のミサのためのカンタータ(キリストの教えを歌に乗せて伝える物)をせっせっと作ったということ。

現在演奏可能な形で残されているものは約200曲あり、毎週の日曜日ごとに数曲ずつあります。もちろんその年に演奏するのは1曲だけですが、バッハ先生は作曲して譜面に起こし、メンバーを集めて練習、そして日曜日に実演という超多忙な毎日を送っていたわけです。

さてさて、今のところカンタータ全集を完成させているのは、ジョン・エリオット・ガーディナー、トン・コープマン、そして我らが日本の誇る鈴木雅明の三人。本当はあと二人いますが、そっちは現代楽器による現代的な演奏なのでちょっと興味が半減。

バッハが活躍したのは300年前ですから、今の楽器とは構造が異なり音の響きも違っていました。細かいことを言えば演奏法も違うし、そもそも狭い教会ではフル・メンバーのオーケストラが入れるはずもない。バッハ先生はお金が足りなくて、必要な楽団員を集めるのにも相当苦労していたようですしね。

より、バッハの時代を再現しようというのがOVPPと呼ばれているもので、One Voice Per Part の略。これはそれぞれの歌手や楽器担当が原則一人という意味。風通しの良い重苦しくない音楽がなかなかいい感じで、できればこの形式で聞きとおしたい。OVPPでカンターターを出したのが、シギヴァルド・クイケンです。

かなり期待して、出るたびにせっせとCDを買い込んでいたのですが、楽団運営の経営難のため企画は縮小しCD18枚、64曲で終了してしまいました。それでも、何とか1年分は収録したので(地味な選曲なんですが)、今年はクイケンを基本に、時間の余裕があれば他の人のも混ぜていこうかなと思います。今はボックスになって安くなりましたので是非、是非、是非。今ならクリスマスに間に合います。

2022年12月15日木曜日

自宅居酒屋 #50 レタス・サラダ (韓国風)


これは、大量のレタスを美味しく食べる方法です。

韓国風というのは、コチュジャンや韓国のりを使うからなんですが、韓国料理にこのようなレシピがあるのかどうかはわからない。どこで覚えたのか忘れるくらい、けっこう前からうちの定番メニューの一つになっています。

今回はレタスは1/2個使いました。他にいろいろな野菜を混ぜても合いますが、定番はキュウリ(1本)と長ネギ(1/2本)。どちらも細切りにしています。長ネギの辛味は、水の中で何度か握って絞るようにすると落ち着きます。

問題のドレッシング。
コチュジャン 大さじ1くらい 多めかなと思うくらいでOK
塩 適量
コショウ 少々
レモン汁 大さじ2~3くらい
ごま油 大さじ2くらい
炒りごま 適量

ここに用意した野菜を混ぜるだけ。最後に韓国のりをバラバラと混ぜ合わせれば出来上がりです。日本のりだと、形が崩れてぐちゃぐちゃになるのでお勧めしません。

本当にめちゃめちゃ旨い。いくらでも食べれます。是非、お試しを。

2022年12月14日水曜日

サンタさん出動


クリスマスまで2週間くらいとなり、クリニックでは例年通り受付にサンタクロースが出動しました。

サンタさんの折紙のことです。左の検索ボックスに「サンタ 折り紙」と入れると、たくさんエントリーがでてきます。

今年も、11月になって、スタッフ総出で暇を見つけては折り紙を折ってきました。以前は色とりどりのものをたくさん並べて、患者さんに好きな色の物を選んで差し上げていました。

コロナになってからは、どれも同じものにして選ぶ必要がないようにしていますので、ちょっと味気ない。そのかわりと言ってはなんですが、ことしはサンタがサンタの折り紙を持っている感じにしています。

数に限りはありますが、よかったらどうぞ!!

クリニックの年末・年始は臨時休診があります。12月28日(水)が年内最終日ですが、午前のみの診療です。

12月29日(木)~1月4日(水)は休診です。ご注意ください。

2022年12月13日火曜日

俳句の鑑賞 50 飯島晴子

飯島晴子は、大正10年(1921年)、京都に生まれ京都の高等女学校を卒業。戦後に、東京で田中千代服装学院で学び、服飾関係の仕事に就きます。昭和34年、夫の代理で「馬酔木」句会に出席したのをきっかけに俳句を作りだした遅咲きの俳人です。

昭和39年、藤田湘子が「鷹」を創刊すると、晴子も「鷹」に移動して初めから湘子を補佐します。「鷹」の代表俳人として活躍しますが、指導することが好きで得意だった湘子と違い、孤高を愛し、吟行も「大勢でがやがやして句作できるはずがない」と考えていたようです。

句会では立場上、参加者の指導を行わなければならない状況がありましたが、もしかしたら晴子にとっては忍耐を強いられる苦行のようなものだったのかもしれません。句柄は、写生を基本とするも、情に流されることが無く明晰な分析に基づく緊張感を持ったものと言われています。


泉の底に一本の匙夏了る
 晴子

夏の屋外での食事などの後に、たまたま使い捨てのスプーンが泉の底に落ちて揺らめいているのを発見したのでしょうか。夏の行楽が終わったことを実感した瞬間なのかもしれません。

これ着ると梟が啼くめくら縞 晴子

「めくら縞」は紺色の無地の布のことで、比較的年配の方が着る着物に多い。めくら縞を着るということは、自分が年を取ったということなのか、あるいは落ち着いて見られたい気持ちなのか、知恵者と言われるフクロウは「よく似合う年になった」と啼くのか、あるいは「まだまだ早いよ」と啼いているのか・・・

この二句だけでも、他の女流俳人とはどこかが違う印象を持ちます。定番の「切れ字」を使わないことで、変に余韻を残さず言い切るところが緊張感の所以なのかもしれません。

さるすべりしろばなちらす夢違ひ 晴子

百日紅と言えば、普通は花色は赤。白い百日紅の花があたり一面に散っている幻想的な様子を平仮名で書ききって、下句では漢字で強い印象を与えるところが鋭い。「夢違い」は、良くない夢が正夢にならないように祈ること。

百合鷗少年をさし出しにゆく 晴子

百合鷗(ユリカモメ)は、カモメの仲間ですが雑食性で、しばしば人の食べ物も口にします。「少年が」ではなく「少年を」としたのはどういう意味なんでしょうか。主語は百合鷗になっています。少年が手に持っていた食べ物めがけて襲って来るところなんでしょうか。

茶の花に押し付けてあるオートバイ 晴子

茶の花は椿に似た小ぶりの白い花ですが、そこに無造作に置かれたオートバイとの取り合わせが、大袈裟に言えば文明による環境破壊のような高度経済成長期の日本の縮図を見た思いなのかもしれまぜん。

恋ともちがふ紅葉の岸をともにして 晴子

男性の誰かと見事な紅葉に彩られた川岸とかを歩いている様子。「恋とも違う」という否定的な表現は、「恋なのかしら」と感じたからこそ出てくる気持ちなので、表ではなく裏を見せられているような感じです。

豆ごときでは出て行かぬ鬱の鬼 晴子

節分です。普通なら「鬼は外」と楽し気に豆まきをするところのはずですが、晴子の鬼は出て行かない。晴子は次第に老人性うつ病に悩まされることになったのです。平成12年、79歳の晴子は自ら人生に幕を下ろしたのでした。

2022年12月12日月曜日

俳句の鑑賞 49 藤田湘子

藤田湘子(しょうし)、本名、良久は大正15年(1926年)に小田原に生まれています。御幸の浜海水浴場の近くに生家はあります。中学は東京・芝公園近くの正則中学校に入学し、16歳の時に水原秋櫻子の「現代俳句論」に感化されて俳句を始め、17歳から「馬酔木」に入会します。

昭和20年、工学院大学に入学しましたが、徴兵され終戦を迎えます。鉄道省、後に国鉄に勤務し、昭和22年、「馬酔木」復刊記念大会で秋櫻子と初めて面会しました。

風音のやめば来てゐし落葉掻 湘子

記念大会の句。この句で初めて巻頭に選出され、昭和24年同人となりました。昭和30年に第一句集を刊行します。秋櫻子は序の中で、湘子の指導者として素質を指摘し、その理由として「立派な現役作者」であると評しています。

蝌蚪の水湧くがごとしや野かがやき 湘子

「蝌蚪(かと)」はおたまじゃくしのこと。晩春の季語となっていますが、カエルの種類によって一年中見られ多くは夏。ここでは、3月ともなって野原に緑が増えてきた様子ということ。第一句集の跋(あとがきのこと)は石田波郷によるもので、ムードを伝えることでは優れているが、形象が弱いことが弱点であると指摘し、年齢と共に成熟することを期待するとしています。

昭和32年、「馬酔木」の編集長となり秋櫻子を支えます。昭和39年、秋櫻子の了解を得て、衛星誌として「鷹」を創刊し代表同人となりますが、しだいに秋櫻子との関係が悪化してしまいます。湘子は「馬酔木」同人を辞退し、「鷹」を主宰することになりました。

暮れてきし血の冷たさに花林檎 湘子

音もなく紅き蟹棲む女医個室 湘子

波郷の指摘の通りで、ムードは満点なんですが、正直に言うと何を言いたいんだかわからない。物事の例え方が独特で、説明をしてもらわないと理解しずらい句です。また、説明してもらっても、だれもが納得するのか疑問が残りそう。

とは言え、「鷹」一筋となった湘子は、現代俳句協会でも実績を重ね、日本の高度経済成長期の俳壇を牽引する句作、評論、教育に活躍しました。著書としては昭和60年の「実作俳句入門」、昭和63年の「20週俳句入門」は、作句指南書として現在も多くの支持を集めており、再販が続いています。

羽抜鶏見て奥の間の磔刑図 湘子

枯山に鳥突きあたる夢の後 湘子

年を重ねて、ややわかりやすくなったような感じの句。何となく雰囲気を伝えるというところから、鋭角的に切れ込んでくる表現方法が強くなったように思います。昭和58年から丸3年間は、毎日一日十句を作り、「鷹」にすべてを発表しています。


けむり吐くやうな口なり桜鯛
 湘子

年号が平成となった元年の句。春に捕れる鯛は、桜鯛と呼ばれ赤色が強く美味とされています。パカっと開いた口から火を噴きそうということ。やや前衛的ともいえる表現から、伝統的な写生を基にした表現に変わってきたようです。

平成17年、終の棲家となった横浜市青葉区の自宅にて死去、79歳でした。

2022年12月11日日曜日

俳句の鑑賞 48 大野林火


大野林火、本名、大野正は 明治37年(1904年)、横浜市出身の俳人です。中学生の頃から俳句を始め、昭和2年、東京帝国大学を卒業し、昭和5年に県立商工実習学校(現横浜創学館高等学校)の教師となりました。

昭和14年に初の句集を刊行し、「馬酔木」の水原秋櫻子らと交流を通じて本格的に俳人として活動するようになります。終戦後、俳誌「濱」を主宰、「俳句研究」や角川「俳句」誌の編集長を歴任し活躍し、昭和57年、78歳で亡くなりました。

雁や市電待つにも人跼み 林火

戦後の混乱期の市中を詠んだもの。ここでは「跼み」は「かがみ」と読みます。遥か上空を飛び去っていく雁と、混乱の中でいつ来るともわからぬ市電(おそらく路面電車)を待っている人々は、寒さにかがんで辛抱強く待ち続けているという光景が対比されています。

冬雁に水を打つたるごとき夜空 林火

きっと林火は空を見上げている時間が好きだったのではないかと思うのですが、この句でも雁がゆったりと上空を滑るように飛んでいる様子が見えてきます。

蔦紅葉巌の結界とざしけり 林火

「巌」はしばしば信仰の対象になる巨石のことで、蔦紅葉が生い茂ってまるで結界を作っているように見えるということ。深い森の中の幻想的な光景が思い浮かんできます。

雪の水車ごつとんことりもう止むか 林火

「ごっとん、ことり」という擬音が童謡のような楽しさ、懐かしさを醸し出しています。雪が積もって、動きを鈍くした水車ですが、「あー、止まっちゃう・・・あら、また動いた」という愉快な句。

風立ちて月光の坂ひらひらす 林火

「風立つ」は、一陣の風がすーっと吹き抜ける様子。月の光に照らし出される坂道が、その風によってゆらゆらと揺れたように見えたということでしょうか。静けさが一瞬乱れて、またもとに戻るような観念的な「ゆらぎ」を言葉にした感じがします。

「ホトトギス」との関係はありませんが、基本的に有季定型、自然を素直に豊かな叙情性を持って詠む作風と言われています。難解な言葉を使うわけではありませんが、じわーっとしみ出る余韻を残すような句に好感を持てました。

2022年12月10日土曜日

なんちゃってフライド長いもポテト


数少ないよく見るテレビ番組の一つに、「家事ヤロウ(テレビ朝日)」というのがあります。家事初心者という扱いのタレント、バカリズム、カズレーザー、中丸雄一の三人が、家事を教わっていくバラエティ番組。

中心となる企画は調理なんですが、特にコーナーを引っ張っているのが和田明日香。和田家の嫁、姑が平野レミというなかなかすごい環境で鍛えられ、料理素人からレシピ本を出版するまでに成長した方。

この前の番組で、和田家の2022年年間レシピBEST10というのをやってまして、その中でこれはやってみたいと思ったのがこれ。なんちゃってフライド長いもポテトというもの。

材料は、長芋 400g、塩 少々、小麦粉 適量、バター 15g、しょうゆ 小さじ2、青のり 適量と紹介されています。今回は、ほぼレシピ通りに用意して作ってみました。

長芋をよくあるフライドポテト風に切って、塩と小麦粉と一緒にビニール袋に入れ、シャカシャカと振って全体にまぶします。長芋は崩れやすいので、強く振ってはいけません。

フライパンにバターを溶かして、長芋を入れて焼きます。基本的に長芋は生でも食べれるので、完全に火が通る必要はありません。表面が色づいたら、醤油をさっとかけ回し、青のりを散らしたら出来上がり。

簡単です。注意が必要と思ったのは、表面のカリカリ感を出そうと焼き過ぎると、芋が柔らかくなって長芋のシャキシャキした食感が減ってしまうところ。焼き色を出すには、けっこう時間がかかるので、このあたりは好みの問題で調節が必要です。

これは、超美味しい。長芋の新しい食べ方として、我が家でも定着しそうです。

2022年12月9日金曜日

俳句の勉強 63 雪女で苦心


雪女と言えば、怪奇譚に出てくる怖いものを想像します。白装束で吹雪の中から、もわーっと出てきて、口から超低温の域を吐き浴びると人は凍って死んでしまう・・・みたいな。

一方、雪男というのもありますが、こちらはファンタジー色はおとなしめ。人里から遠くヒマラヤあたりの雪山の奥深くに、毛むくじゃらの巨大獣風の類人猿という感じで、雪女よりは実在する期待が多め。

実は、どっちも季語になっているから驚きます。

とはいっても、「雪女」は気象・天文の季語で、「雪男」、「雪女郎」、「雪の精」、「雪坊主」などが傍題に上がっています。結局の所、雪によって迫って来る闇とか吹雪の風切り音とか、あるいは猛烈な寒さなどの過酷な様子全般を含むようなイメージを持っているようです。

季語としては、蕪村よりも前から使われていたようでけっこう古い物。昔の方が、雪の恐怖みたいなものは人々が切実に感じていたのでしょうけど、現代の首都圏に住んでいると、恐怖を感じるほどの雪の経験がない。

黒塚のまことこもれり雪女 其角

其角は芭蕉の直弟子で江戸時代の人ですから、本気で雪女、雪の精を信じていたのかもしれません。ホワイトアウトするような猛吹雪の中、おぼろげに見えている黒塚。そこが雪女の棲家なんだということか。

雪女旅人雪に埋もれけり 正岡子規

子規も雪女を信じていたのかな。冬の深山で、傘をかぶり蓑を羽織って雪をかき分け進む旅人を雪女が襲うイメージです。「八甲田山」の映画のシーンを思い出します。

かく行けば平屋は住まず雪女郎 阿波野青畝

そもそも平屋という作りは、豪雪地帯を想定していない家の構造ですから、雪女が出るはずもない。東北の方まで行けば、当然雪で一階から出入り出来ないこともありますね。

みちのくの雪深ければ雪女郎 山口青邨

わかりやすい句ですが、青畝は盛岡の出身ですから、おそらく明確な実体験から詠まれたもの。もしかしたら、雪女を見たことがあったりして・・・

雪女郎おそろし父の恋恐ろし 中村草田男

ファンタジーの雪女郎は平仮名で「おそろし」として、おそらく父親の「老いらくの恋」の方が「恐ろし」と漢字にしたことで現実感が強くなったように思います。

何にしても、少なくとも楽しいものを想像する季語ではありません。何とか、考えてみます。

雪女口紅の端吊り上がり

白いモノトーンの中から、雪女が姿を現し、真っ赤な口紅だけがくっきりと見えてくる。そして、にやっと笑ったのか、口角が上がると・・・あー怖い。

いっこうにまつ恋醒めぬ雪男

最後はダジャレ。まぁ、わかる人はわかる。

やっぱり、経験のない情景の季語は難しい。しかも、ファンタジー色のある気象のことですから、なおさらどう使っていいのか悩むしかありませんね。







2022年12月8日木曜日

来年は卯年


気がつけば12月。気がつけば今年もあと3週間。

あ~、12月は祝日がなくなったんだっけ・・・

月初は雑用が多いので、そんなことをバタバタとすましているうちに、周りの話題も年の瀬のことばかりになっていました。

来年の干支は何だっけ?

今年は・・・そうそう寅年だった。ということは、ね、うし、とら・・・う、うさぎです。

来年は兎年。

ちなみに「卯」は方角で言うと東。時刻だと午前5時から午前7時の間が「卯の刻」です。

兎角に人の世は住みにくい。一年は「脱兎のごとく」駆け抜けますが、物事は途切れ途切れの「兎の糞」。「兎の祭文」にならぬように、来年は頑張ろう。

2022年12月7日水曜日

俳句の勉強 62 季節感の無い季語

季節を表す語だから季語なんですけど、中には季節感というものがあまり感じられないものもあったりします。こうなると、季語を使わずに残りの部分でその季節っぽい雰囲気を出したくなるので、えらく難しい挑戦になってしまいます。

特に食べ物がそう。何しろ、栽培方法と保存方法が確立して、運送の手段も早くなり、季節限定という食材は少なくなりました。夏でもみかんを食べることができるご時世ですから、こと食べ物に関しては季節感は薄れてしまいました。

例えば、晩春の季語である「山葵漬(わさびづけ)」などは、年がら年中スーパーで売っています。本来は、4月から5月の若い山葵の葉や茎を酒粕に漬けこんだものですが、なんだったら冷凍が可能なので、ちびちびと一年中食べることも可能です。


白子干す低き廂に浪荒び
 福田蓼汀

殺生の目刺の藁を抜きにけり 川端茅舎

「白子」は「しらこ」ではなくて「しらす」のこと。カタクチイワシの稚魚を塩茹でして干したものが一般的で、地域によってはちりめんじゃことも呼ばれます。基本的には春全般に渡って使える季語なんですが、生しらすならともかく白子干ともなると、まぁ手に入らない時期は皆無。「廂」は「庇(ひさし)」と同じで、「荒び」は「すさび」と読みます。

少し成長した鰯を干したもの。藁を目に通して5尾ずつくらいをまとめて売っている。最近は藁ではなくてストローだったり、最初から藁やストローは抜いてあったりします。さらに大きめのものを鰓を通してまとめたものは頬刺と呼びます。これも、春の季語ですけど、春だからってことさら美味しいという実感はありません。

木の下に其梅漬ける小庭かな 尾崎紅葉

梅干して人は日陰にかくれけり 中村汀女

スーパーに青梅が並ぶには初夏のころ。その梅を塩漬けにして数日すると日向に干すということを繰り返して作るのが梅干し。昔は各家庭で自家製で用意することが普通だったのでしょうから、「梅干」が夏の季語というのは納得できる。ただ、現代ではほぼスーパーで買って来るので、梅干そのものは季節感はありません。季語として使うのは、あくまでも梅を干すという工程に限られるようです。

軽くのどうるほすビール欲しきとき 稲畑汀子

缶ビール旅のはじまる男たち 大井雅人

「ビール」夏の季語。これを夏の俳句でしか使えないとなると、かなり無理があります。確かに夏にかーっとジョッキを開けるというのは爽快なんですが、これはあくまでもビャホールとかビヤガーデンでの話。夏以外でも、まったく問題なくビールは飲みますので、季節限定はきつい。

ぴいと啼く尻声悲し夜の鹿 芭蕉

猪の荒肝を抜く風の音 宇多喜代子

これは何が季語? と思ってしまいますが、「鹿」と「猪」が秋の季語です。花札は秋が盛んだった・・・わけではなく、鹿は秋が交尾の季節で、猪は晩秋になると里に出てきてしばしば暴れるかららしい。うーん、かなり無理があるな。

サッカーの勝利の顔も拭かず立つ 福井貞子

声あげて吾を過ぐさっかー少年ら 大井氏悦子

確かにサッカーの高校生の大会は年末から年明けにかけて行われていますが、わざわざ冬限定でサッカーをするということはまずありません。冬の季語になったのは意味不明で、理解不能です。ラグビーなら多少そうかもと思えますけどね。

結局、時代の変遷が季節感を無くしているわけでしょうから、季語も進化させていかないと、ただの伝統芸能みたいになってしまいます。このあたりは、もう少し自由でもいいんじゃないかと思いますが、次代の歳時記に期待したいと思います。

2022年12月6日火曜日

サッカー・ワールドカップ2022 日本 VS クロアチア

 


上がってきました、日本。決勝トーナメントです。

各地域の予選を勝ち抜き、本選のカタールにやって来て、グループ・リーグを2勝1敗の1位で駆け上がりBEST16に名を連ねました。

勝てばBEST8。日本のサッカー史上、まだ見たことが無い景色。

相手は、格上の格上、クロアチアです。しかし、恐れる必要はありません。何しろドイツとスペインを倒してきたんですから。

というわけで、皆さん結果はすでにご存知のことと思いますが・・・

残念!!

惜しい!!

先制したものの、延長、PKで惜敗です。

日本のワールドカップは終了しました。

でも、格上と言われていた国々と互角の戦いを見せてくれたチームに拍手を送ります。日本のサッカーが、確実に力を付けていることを実感させてくれました。

アリガトウ、NIPPON、SAMURAI BLUE !! !!

2022年12月5日月曜日

俳句の勉強 61 暦とずれがある季語

細かいことを言えば、日本で使われてきた暦はけっこう変更されています。平安時代の途中から使われるようになった宣明歴(せんみょうれき)は、約800年の間、最も長く使われましたが、江戸時代なかばからは4回も使われる暦が変更され、最後の天保歴がいわゆる旧暦と呼ばれている最後の物になります。

旧暦は太陰暦と呼ばれ、月の満ち欠けを基本として成り立っていましたが、時代は明治となり、維新政府の都合もあって西洋と同じ太陽暦を使用することに決定されました。明治5年12月2日をもって天保歴を廃止し、翌日はグレゴリオ暦(新暦)を使用した明治6年1月1日となりまし。

結果として、新暦と旧暦では実際の季節の変化として1か月くらいのずれが生じることになります。さて、そこで俳句で問題になるのが季語の扱い方です。季語が本格的に整備されるのは明治以降ではありますが、当然芭蕉らの江戸時代から旧暦に沿った形で知られていた旧暦を基にした四季・二十四節気・七十二候をもとにした言葉なので、旧暦の区切りをそのまま使用しているのです。

当然のことながら、体感的には冬なのに春、春なのに夏、夏なのに秋、秋なのに冬といったずれが生じていて、これがけっこう混乱する要因になっています。旧暦で考える季語の季節分けは、現在の新暦で1月~3月が春、4月~6月が夏、7月~9月が秋、そして10月~12月が冬となります。新暦との間には2か月のずれがある。このあたりは、伝統を守るという考え方もありますが、俳句が旧態然とした進歩を制限する悪習ということも言えそうです。


バレンタインデイと言えば、男性諸氏がうきうきする真冬の寒い時期のイベントですが、こういう昭和になって根付いたものでも、季語として「バレンタインの日」を使う場合は初春です。

バレンタインデー心に鍵の穴ひとつ 上田日差子

罪のなき嘘の煌めくバレンタイン 高見悠々

まぁ、どちらも何となくわかりますよね。これは生活・人事に関する事なので、ちょっと間違えると川柳になってしまいそうですが、寒い時期だからと言って寒さを表すようなものを入れ込んではいけません。

青柳の泥にしだるる汐干かな 芭蕉

汐干狩夫人はだしになりたまふ 日野草城

「潮干狩(汐干狩)」は初夏の風物詩というイメージですが、これは晩春の季語。つい、うっかり「海」とか使いたくなりますが、「海」は夏の季語で季違いの季重なりになってしまいます。

五月雨や大河を前に家二軒 蕪村

五月雨や湯に通ひ行く旅役者 川端康成

五月雨といえば、字のごとく五月の雨。普通なら春。ところが季語は仲夏です。「さみだれ」または「さつきあめ」と読みますが、「ごがつあめ」とは言わない。五月雨は梅雨の事ですから、「空梅雨」、「走り梅雨」、「送り梅雨」なども夏の季語なので注意が必要。夏の風物詩として定着している「七夕」、「盆踊り」は夏ではなく秋。食べ物だと、スイカ、枝豆、トウモロコシなども夏っぽいけど、全部秋の季語になります。

降る雨も小春也けり知恩院 一茶

小春日や鹽り青き蟹の甲 水原秋櫻子

一般には小春日和というと、春の暖かさとしてはちょっと寒い気候と想像する人もいますが、それは間違い。小春は陰暦10月の別称で、春のように暖かい日のことをさします。陰暦10月ということは初冬の季語になる。

他にも探せばたくさんこのような例は出てきますが、季語は少ない文字でしっかり情景を伝えるために機能しているので、面倒でもその役割を尊重しないと独りよがりな俳句になってしまうということです。




2022年12月4日日曜日

セブンのおにぎり 2


セブンイレブンのおにぎり売り場に、な、な、なんと、モンスター・ボールが置かれている!!

・・・と、思ったら、いつも売っているものの包装が変わっただけ。

なんですが、今まで有りそうで無かったアイデアです。ちょっと、嬉しい。

でも、昨日店に寄ったら、元の普通の包装に戻っていました。ちょっと、残念。

話は変わりますが、なにげなく「おにぎり」と書いていますが、昔から「にぎる」のか「むすぶ」のか論争というのがよくある。

結局のところ、どっちも同じものを指す言葉として、差が無いらしいというのが広辞苑の見解。

一般には東日本は「おにぎり」と呼ぶ人がが多く、西日本は「おむすび」が多いと言われていますが、地域によっては、三角型だと「おむすび」、俵型だと「おにぎり」と呼んだりするところもあったりして明確にわかれているわけではないらしい。

話は時を遡り、古事記の時代。そもそも最初の最初、天ができてそこに登場するのが、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)、高御産巣日神(タカミムスビノカミ)、神産巣日神(カンムスビノカミ)の三柱。「おむすび」は、この名前の中の「ムスビ」が語源であるという説があります。

一方、作っている様子から「握り飯」、「おにぎり」が発生し、「鬼切り」にかけて悪霊退散を意味するというのが、「おにぎり」の語源らしい。

まぁ、どっちでもいいんですけどね。

2022年12月3日土曜日

サッカー・ワールドカップ2022 日本 VS スペイン


昨日の早朝の試合。昨日は一日、興奮冷めやらぬ・・・だったですか?

日本が2-1でスペインを破り、決勝トーナメントへの進出を決めました。それにしても、開始早くに1点取られて、大差で負けそうな気分にもなりましたが、ドイツ戦の時のように後半になって逆転。その後、スペインの猛攻を防ぎきってのアディショナル・タイムの7分が長く感じましたね。

今回のワールド・カップは、Amebaが全試合インターネット中継していて、しかも無料というから嬉しい。このあたりにも地上波テレビ局の凋落が・・・それはさておき、パソコンで見れるというのは、新しい楽しみ方にもつながりました。

日本がBEST16に残るかどうかは、同時刻に始まったドイツ対コスタリカ戦の結果が大きく影響します。パソコンだと、この両方の試合を同時に画面に出して観戦できるんですよね。

最初は日本もコスタリカも0-1で劣勢。日本は、負けたら無条件に終わり。コスタリカが勝っても上に上がれません。両者引き分けなら可能性が有りなので、コスタリカがんばれ~

ところがほとんど同じくらいのタイミングで、両者とも逆転です。このまま日本が勝てば問題ありませんが、なんとコスタリカ同点から逆転されてしまう。こうなると、より日本のBEST16が濃厚になります。よっしゃ、ドイツがんばれ~

ところがドイツが4点目を取ってしまい、日本が勝っても得失点差で落ちてしまう可能性が出てきた。コスタリカ、1点だけでいいからがんばれ~

そんなわけで、ただ一つの試合をみているよりも、ハラハラドキドキでした。

日本の2点目は、ビデオ判定になりましたが、本当にギリギリ一杯フィールドの中にボールが残っていた。目視だけなら、完全にアウトな感じだったので、本当にビデオ様様です。最後まであきらめずにおいかける気持ちの勝利でした。

初のBEST8がかかる相手はクロアチア。FIFAランキングはドイツに次ぐ12位です。
ガンバレ、NIPPON、SAMURAI BLUE !! !!

2022年12月2日金曜日

自動車運転免許証更新


車の運転免許を持っている方には、免許証の更新という大事な作業が付いて回ります。免許証は、「×年×月×日まで有効」という部分が、色のついた枠で囲ってあるんですが、普通はブルー。他にゴールドとグリーンがあります。

グリーンは免許取り立ての人。無条件に最初は緑色。3年たって最初の更新でもらえるのがブルー。この場合は「初回更新者」で有効期限は、また3年間。そのあと、無事故無違反で経過した場合は、次に更新した時もらえるのがゴールドで、有効期限は5年間になります。ただし、過去5年間に違反したり事故を起こすと、次の免許証はブルーです。

今度、再び更新するんですが、実は初めて「優良運転者」となりました・・・って、まったく威張って言えることじゃないんですが。

もう、30年以上前に免許を取得してから、何年かに一度、おもにスピード違反で取り締まられています。そんなわけで、更新というと、毎回、二俣川まで行くというのが当たり前になっていて、今回はじめて近くの警察で済ませられるというのはとても新鮮。

もっとも、ほぼ毎日車を運転しているので、小さな事故は何度かありますが、全部物損で警察のお世話にはなったことはありません。ただし、直近5年間は、完全な無事故・無違反ですから、大手を振ってゴールドを貰いたいと思います。

2022年12月1日木曜日

俳句の勉強 60 映像の強い季語


季語を使う上で、季語が持つイメージが強烈な物もあります。この場合は、その季語を使った時点で、内容が固定化されてしまいやすく、句作りを難しくしてしまいます。

そのような季語は、一般に行事関連の物が多い。例えば、三月三日の桃の節句は「雛祭」という仲春の季語になります。厳格に言えば、その日一日だけの行事ということになりますが、この季語から傍題として、雛壇、雛人形、親王雛、内裏雛、五人囃子、三人官女などなどの関連するものはたいてい傍題となっている。

こうなると、もうほとんどイメージは固定化してしまいますので、なかなか想像が膨らまない。膨らまないということは、類想・類句になりやすいということです。

雛祭る都はづれや桃の月 与謝蕪村

歳時記に載っているので秀句なんでしょうけど、「雛祭」、「桃」、「月」という三重の季重なりですし、雛祭りよりも月の美しさにフォーカスが当たっているようなきがします・・・

もたれ合ひて倒れずにある雛かな 高濱虚子

これは、立派な何段もある雛壇にたくさんの人形が飾ってあるという光景でしょうか。もたれ合うほど人形があるんですね。

雛の前今誰もゐず坐り見る 星野立子

そのたくさんの雛を飾ってもらった立子さん。おそらく来客が多い家でしょうから、なかなかじっくりと眺めるチャンスがなかったんでしょう。

どこの家庭にもありそうな風物詩的な「雛祭」よりも、神社仏閣が中心になって行われる地域のお祭りとなると、より大々的で雰囲気はかなり固定されてしまいそうです。五月十五日、上賀茂神社・下賀茂神社の共同の例祭は、京都三大祭りの一つである「葵祭」という初夏の季語。一番の見所は、牛車を中央に絢爛な古式豊かな衣装を纏った人々の行列です。行列は葵の葉を飾り、人々は葵の花を身につけたようです。

白髪にかけてもそよぐ葵かな 小林一茶

しずしずと馬の脚掻や加茂祭 高濱虚子

うちゑみて葵祭の老勅使 阿波野青畝

おそらく、いずれも祭りの行列を見物しての句だと思いますが、それぞれ注目した先がいろいろというところが面白い。皆が同じ光景を思い浮かべやすいわけですから、全体的なところを俳句にしたら同じになってしまいます。細かいところですが、あまり他人が注目しなさそうなポイントを探すことが大事ということ。

正月は固定化された季語のオン・パレードですが、例えば「出初」もその一つ。消防出初式という消防隊の儀式で、東京では1月6日に行われます。現代ではほぼ梯子を登って曲芸的な動きを見せてくれる所だけが思い出されます。

他の紅は劣る真紅な出初式 山口誓子

出初式ありて湘南草の庵 高濱虚子

巨匠と呼ばれるこの二人の句も、正直あまり面白くはない(と思います)。誓子は真正面から出初式を見て、真っ赤な色の印象が強かったことを句にしました。虚子は、出初式そのものはあきらめて、静かな自分の家のことを詠んでいます。

結局、どれでも俳句を作るのは難しいということなんですけど、映像を強く持っている季語を使う場合は、真正面から立ち向かわず、できるだけ端っこの方を突いてネタを見つけたわぅが良いということですかね。