2022年12月26日月曜日

俳句の勉強 65 年末の季語


否が応にも年末はやってくる。そして、一年が終わると新年を迎えて、また一年の繰り返し・・・毎年、同じ年末のように思いがちですが、年を取るといろいろと感慨も変わってくるものです。

年末に相応しい季語を探してみました。

当然12月31日は「大晦日」で季語。陰暦では月の最後の日は「三十日(みそか)」なので、元々は12月29日を大晦日の前日として「小晦日(こつごもり)」と呼ぶ季語になります。今の暦では12月30日でもかまいません。

春や来し年や行きけん小晦日 芭蕉

「大晦日」でも「小晦日」でも、どっちでも構わなさそうな句。さすがの芭蕉も、一日の違いを詠み分けるのは難しかったのかもしれません。

漱石が来て虚子が来て大三十日 正岡子規

子規のもとに友人や弟子たちが集まって来る様子。本当に子規にとっては、心待ちにしていたかけがえのない時間を過ごしたことでしょう。

もう今年もわずかだなという感慨を込めた季語が「年惜しむ」、あるいは「惜年」です。 大晦日の夜に限定して使われるのは「年越」というのはわかりやすい。

ポケットの胡桃鳴らしつ年を越す 加藤楸邨

テレビが普及していなかった時代には、大晦日というと静かに過ごす感じだったのでしょうかね。カリカリと胡桃がこすれる音が聞こえてきます。

面白いものとしては「年末賞与」というのがあります。いわゆるボーナスのことで、元々は越年資金という意味合いがありました。

懐にボーナスありて談笑す 日野草城

さぞかしポケットの中は暖かかったことでしょう。自然と笑って、同僚たちと喋る余裕があったということ。自分はボーナスをもらった経験が無いので、この嬉しさはピンとこない。

家では神棚をささやかに、神社仏閣では大々的に内外を掃き清める行事が「煤払(すすはらい)」です。年末というよりは、もう少し早めのことが多いのですが、年の瀬の風物詩になっています。

煤掃きや調度すくなき人は誰 蕪村

家財道具が少なければ、煤払いも楽ちんというもの。蕪村もとぼけた句を詠んだものです。誰? っと聞いていますが、たぶん自分の事なのではないでしょうか。

キリスト教救世軍の歳末行事で、駅前なので行う募金活動で「社会鍋」です。三脚に鍋を吊るして行うわけですが、もう今のご時世では見かけなくなりました。

来る人に我は行く人慈善鍋 高濱虚子

鍋の前をたくさんの人通りがある様子でしょうか。みんな鍋の前を行き過ぎるだけで、なかなか募金する余裕がある人は多くはありません。虚子も通り過ぎた一人なのかもしれません。

新年を迎える飾り物はそれぞれ新年の季語なので、初春を迎えてから使います。ただし、その準備である「門松立つ」、「注連飾る」などは年末の季語。飾るのは遅くとも30日までに行います。大晦日に飾るのは「一夜飾り」と言って忌み嫌われます。

松立ててをりちんどん屋賑やかに 村山古郷

ちんどん屋も今の人にはわからない。自分が子供時には、よく家の前にもちんどん屋が通り過ぎたものです。鐘と太鼓をチンチン、ドンドンと賑やかに鳴らして、動く広告活動ということですが、年末になると商店街の歳末大売り出しの宣伝をしていたんでしょうね。

大晦日の近辺には、各神社などではいろいろな神事が行われますが、お寺では最後の最後、「除夜の鐘」で年を越します。煩悩の数である108回、約1時間ほどかけて鐘を突くのは今でも一般的に知れ渡っています。

奥武蔵雪山ならぶ除夜の鐘 水原秋櫻子

おろかなる犬吠えてをり除夜の鐘 山口青邨

他にもいろいろありますが、時代が変わって過去の遺物化した季語も少なくありません。自分が経験したことが無い言葉を無理に使っても、そうそう良い俳句が作れるものじゃありません。季語の中身をしっかりと理解して使うことが肝腎ですね。