2014年8月31日日曜日

三位一体節後第11主日

今日は、キリスト教の教会歴では三位一体節後第11主日。この三位一体節後第××主日というのは、本当に無風地帯みたいなもので、とりたててイベントもほとんどなく、さぞかしバッハも淡々と毎日の仕事をこなしていたんだろうと思えます。

がーディナー先生のカンタータ全集では、順次発売されていた時にはほとんどが2枚組でしたが、全集ボックスになって教会歴ごとに1枚ずつ56枚。12枚目からスタートしたので、今日の37枚目で半年分を聴いたことになります。

ただし、この日の分はもともとArchivの頓挫した企画として発売された分。ガーディナー自ら立ち上げたSDGレーベルからの単売のものには含まれていません。

天下のArchivですから、さすがにガーディナーに悪いと思ったのか、ボックス化するにあたっては、SDGに音源を提供してくれました。

この日のためのカンタータは3つ。

BWV199 わが心は血の海に漂う (1713)
BWV179 心せよ、汝の敬神の偽りならざるかを (1723)
BWV113 主イエス・キリスト、汝こよなき宝 (1724)

BWV179は、なんかタイトルからしても、実際に聴いた曲の印象も、「怒りのカンタータ」という感じ。毎週せっせと教会に集まってくるライプチィヒの善男善女に対して、ちゃんと信心しているのか問いただすような内容。

BWV199はワイマール時代の初期の作品で、これもタイトルはなかなか激しい。でも、いきなりソプラノのレシタティーボから始まり、アリアと交互にソプラノの独り舞台という構成は珍しい。

BWV113は、比較的典型的なコーラル・カンタータ。可もなし不可もなしというところ。

2014年8月30日土曜日

頼れるドクター 田園都市 2014-2015年版

最初に「田園都市の頼れるドクター」として出たのが2008年。

以来、毎年刊行され、昨年からは「頼れるドクター」という名前になっています。これは出版元り田園都市ドットコムが、順調に事業を拡大して地域が広がったためでしょう。

今年で7冊目。いよいよ発売になります。うちのクリニックは、今や唯一の「広告媒体」として、創刊以来ずっとページを使わせてもらっています。

医療機関の広告はいろいろの制約が多くて、医者の得意なところを簡単に宣伝できない。逆に、患者さんの側からも、こんなときはどこに行けばいいのか判断がしずらいものです。

この本は、取材によって出版側が書くものですから、こちらの強調したいポイントに絞って広告の制約を越えた内容を載せる事ができます。


一家に一冊、困ったときに開くアナログな媒体としては、すべての医療機関が載っているわけではありませんが、わかりやすく有用な編集がされていると思います。

是非、ご活用いただければと思います。ちなみに、今年の表紙は青葉区のケセラさん。皮膚科の女医さんですが、大学の同級生でして、まだまだお美しい!!

2014年8月29日金曜日

あすなろ淡水魚館 ~ 橙色軍団

お尻のところに三つの黒い●があって、"ミッキーマウス"プラティと呼ばれて人気の淡水魚。

もともと2匹いたのですが、5月に片方がお腹が膨らみ始め、6月に3度にわたる出産ラッシュ。

自然淘汰で、大き目の他の魚に食べられたりすることもあるでしょぅし、特別にブリーディングしないと育つのは無理だろうと思っていたら・・・この有様です。

1回の孵化で、数えられるだけでも十数匹のベイビーがいたのですが、今や数える気力もでないほど、水槽の中は橙色のプラティだらけになってしまいました。

写真の中にいるのだけでも20匹くらいで、写っていないので倍はいると思います。

さすがにこの水槽で、これだけのプラティは多すぎで、水槽内の環境を維持するのにも問題。里子に出したいのですが、いかがでしょうか。

2014年8月28日木曜日

何故カンタータなのか?

なんで、そんなに声楽の宗教曲ばかり聴いているの?

という、クラシックをあまり聴かない人からすれば、ごく当たり前の質問をされました。そりゃ、そうでしょう。自分だって、声楽というのは特殊なジャンルだと思っていましたし、そもそも歌物は大の苦手だと散々書いてきました。

それでも、苦手を克服しようと思って、バロック音楽のボックス・セットを購入したことがありますが、60枚のうち半分くらいには声楽が混ざっていて、結局聴いたのはバッハとヘンデルの器楽曲くらい。

ヴィバルディのボックスを手に入れても、格安でイ・ムジチを聴きたかったわけで、「3000円ちょっとでイ・ムジチ全集20枚組に歌物20枚がおまけについている」と書くくらいで、最初から声楽は捨てている。

クラシック音楽そのものも、10年くらい前まではほとんど聴かなかったのですが、元々ジャズは大好きで、グレン・グールドのゴールドベルク変奏曲に「JAZZ」を感じたのがきっかけではまったわけです。

つまり、クラシックというのは譜面通りに演奏するわけで、誰が演奏しても同じで、有名曲を一通り聴けば十分と思っていたのですが、グールドの演奏で解釈の仕方によってまったく別の曲のように聴くことができると知らされました。

ですから、編成が少人数であるほど、奏者の個性が出やすいので、室内楽、器楽曲と呼ばれるジャンルを中心に楽しむクラシック・ファンとしては、かなり偏屈な聴き方をしていたのです。

もともと、カラヤンという大指揮者は好きではありませんでした。権威主義をかざして、大袈裟すぎて、やたらともったいをつけているような印象だったわけで、そのせいでオーケストラ物に興味が無かったというのもあります。

器楽曲や室内楽曲の有名どころを大方揃えてしまうと、だんだん新たに発掘できるものないので、編曲物に手を出してかなりマニアックな方向に進むのですが、そこで見つけたのがモーツァルトのレクイエムの弦楽四重奏版でした。これが、かなりよかったので何度も聴いてメロディに馴染んだわけです。

それと、ベートーヴェンのピアノ・ソナタからピアノ協奏曲をたどっていって出会ったのが、ジョン・エリオット・ガーディナーでした。室内楽版のおまけがついているという理由からのチョイスだったのですが、このオーケストラの音がなかなかよかった。

それじゃ、せっかくだからベタな感じですが、ベートーヴェンの交響曲全集も一つくらいもっていてもいいだろうということでガーディナーの名盤とされているセットを購入。

ここで、初めてオーケストラも面白いと感じたわけです。カラヤンと違うのは、いい意味で軽いというところ。それがピリオド奏法であり、古めかしいところにこだわるわけではありませんが、ひとつのジャンルとして楽しめる事がわかりました。

というわけで、そのガーディナーが演奏するモーツァルトのレクイエムなら、ひょっとしたら最後の苦手の声楽を克服できるかもと思ったわけです。しかも、DVDで映像があると音だけよりも集中力がアップします。

これが、なかなかよかった。となると、歌っている内容が知りたくなる。さらにミサ曲の成り立ちを調べていくうちに、基本的な約束事がわかってくると、他の宗教曲も聴けるようになってくる。

そこからは、坂道を転がるが如く・・・ で、そこに決定的だったのが、ガーディナーのバッハ・カンタータ全集の発売でした。宗教曲を聴き始めると、すぐにぶち当たるのがカンタータです。特にバッハのものはクラシックのエベレストみたいな存在であるわけで、いきなり聴くのはかなり大変。

そこで教会暦に沿って作られたカンタータを、実際に教会暦に沿ってガーディナーは1年間かけて演奏したわけですから、聴くほうも1年間かけて暦通りに聴いていこうと思い立ったというわけ。

そこに日本を代表する鈴木雅明のカンタータ全集の完成が拍車をかけ、これだけのものを単なるBGMとしてだけ聴き流すのはあまりにももったいない。歌詞の内容だけでなく、時代背景や曲の成り立ちなどを知りたくなるというのは自然の流れです。

このブログで、これらのエントリーを最初から呼んでいただければ、そのあたりのエッセンスがわかってもらえると思います。ここに出てくるくらいのことを知って聴くだけで、相当楽しみは増えると思いますので、是非、一緒に聴いてみてください。

2014年8月27日水曜日

夏終、秋始

昨日は一日中、陽が射すことが無く、にわか雨がふったり止んだり。おかげで気温は上がらず、暗くなってだいぶ涼しい感じでした。

クリニックからの帰りに、畑がある付近ではうるさいくらいに鈴虫の鳴き声が聞こえて、急速に秋が近づいたことがわかります。

去年は、日本の旧暦に興味を持ってブログで話題を書いていました。8月23日からは二十四節気で処暑(しょしょ)に入っており、暑気退かんとするという意味。

しかも、明日からの七十二候は天地始粛(てんちはじめてさむし)というわけで、暦の上でも寒さが強調されててる。地球温暖化とは言っても、暦の動きと言うのは意外と変わらないものです。

夏に木々に咲く花としては、代表的なものが百日紅。 うちの周りにも、たくさん植えてあり、強い太陽の日差しから少し目をそらすと、美しい紅色にほっとします。

気がつくと、8月後半になって、花は減ってきて実がなり始めている。このあたりも、夏の終わりを演出しているんですね。

こどもたちも、夏休みもそろそろ終わりです。宿題、大丈夫ですか?

2014年8月26日火曜日

高校野球

・・・と、言えば甲子園。

昨日は今年の夏の甲子園大会の決勝でした。三重高と大阪桐蔭の対決となり、大阪桐蔭の逆転勝ちで、さぞかし盛り上がった事でしょう。

それにしても、高校野球については、多少の疑問というものがあって・・・

そんな大袈裟なものではありませんが、とにかく金がかかっているということ。知り合いの某有名高校、今回も出場した学校の先生に聞いたら、とにかく甲子園に行くとなると大変だそうです。

ユニフォームやら道具を新調し、選手たちの宿舎を確保。数百人の応援団をかき集め、バスをチャーター。

昔は、日帰りでしたが、バスの運転手さんの連続走行距離に制限が出来たため、今はその日のうちに帰って来れない。

応援団の宿泊の手配、数回分の食事の用意等は、確かに考えただけでも相当なもので、とにかく一試合でも数百万円が必要になるそうです。

教職員や生徒の父兄、卒業生などから寄付を受けてのことですが、そもそもその寄付を募るのも大変苦労する。応援に行くとなると、自分の夏休みの予定も立てられないし・・・

オリンピックだって、聖地はアテネに固定ですけど、開催地は世界を巡るわけですから、「甲子園」は聖地として扱い、開催する球場は全国を順番にまわってはいけないですかね。

せめて、春は東京とかに分散しても・・・まぁ、無理でしょうけど。

あと、もう一つ。各都道府県から出場できるのが一つの高校というところ。この不公平感だけは、何とかして欲しい。

甲子園をめざして頑張っている高校球児の数を考えると、どこと比べてとは言いませんが、東京、神奈川あたりはあまりにハードルが高い。政治選挙の一票の格差と同じことが、確実にあるわけです。

まぁ、とりあえず、そんなことを言ってもしょうがない。また、来年を目指して、球児たちはがんばりが始まります。

2014年8月25日月曜日

女子バレー

先週は、女子バレーボールが熱かった。

日本は、新戦術「ハイブリッド6」をかかげ、優勝リーグを4連勝で、昨夜は最終戦世界一のブラジルと対戦。残念ながら、破れて準優勝でしたが、真鍋監督になってから、最も強いチームになった感がありました。

それでも、ブラジルは圧倒的に強かった。新戦術を出すゆとりをあたえてくれない、強烈なアタックが高い身長から繰り出されていました。

新戦術は、リベロ以外が全員アタック姿勢になって誰もが攻撃態勢に入るというものらしい。これは、しっかりレシーブして、全員が守備から攻撃に切り替わる時間的な余裕が必要です。

とりあえず、東京オリンピックに向けて希望を見出すステップとしては、一定の成果を出せたのかもしれませんね。

それにしても、バレーボールで2点気になるのは・・・男子のイマイチが続いていることと・・・そして、特定のテレビ局だけが盛り上がる事でしょうか。

2014年8月24日日曜日

三位一体節後第10主日

今日の日曜日は、三位一体節後第10主日にあたります。

実際の教会で行われた演奏会の模様を収録したDVDは、ガーディナー先生に限らずいろいろあります。それらを見ると、たいがい礼拝堂の前方をフルに使って、歌手、楽器奏者が並んでいます。

このくらいの人数、つまりガーディナー先生の場合ならモンテヴェルディ合唱団とイングリッシュ・バロック・ソロイストの面々で合わせて30~40人くらいは何とか檀上に上がれるものだと思ってしまいます。

しかし、18世紀前半、バッハが実際に毎週教会で行っていたのは、あくまで礼拝の一部を構成する音楽であって、コンサートではありません。礼拝の中心は、あくまで説教であり、そして聖餐ですから、檀上をすべて音楽隊で占領できたはずはない。

ちょっと前に、バッハがライプチィヒ市に出した請願書からバッハの音楽隊の構成のことを書きました。しかし、さらにいろいろ調べているうちに、これはあくまで「せめて、このくらいは常時欲しい」という希望を述べたものであって、現実にはもっと厳しい状況で毎週の仕事をこなしていたことが理解できました。

ですから、リフキンの提唱したOVPP(One Voice per Part、一声部一人)が、必ずしも嘘っぽい話というわけではないと思い始めました。礼拝堂の前の隅っこの方に全部で20人程度の音楽隊が並んでいるという光景は、現実的な状況なのかもしれません。

三位一体節後第10主日のために書かれたカンタータは、次の3曲がのこされています。
BWV46 考え見よ、われを襲いしこの痛みに (1723)
BWV101 われらより取去りたまえ、主よ、汝 真実なる神よ (1724)
BWV102 主よ、汝の目は信仰を顧るにあらずや (1726)

これらは、いずれも深い悲しみをテーマにしているようで、比較的重々しい響きが多い。

BWV46の冒頭、 厳粛な合唱から、フーガになっていくところが素晴らしい。途中のトランペットの使い方も、なかなか面白い。

BWV101は荘厳な弦の響きが印象的。BWV102は20分程度の7曲からなる標準的な長さですが、前半4曲と後半3曲で2部構成だったようです。

2014年8月23日土曜日

バッハの時代の礼拝

毎週毎週、教会歴に沿ってカンタータを聴くのはさぞかし大変かと思うでしょうが、数年分をまとめて聴いたとしても20分程度のものを数曲ですから、時間的にはたいしたことはありません。

しかし、リアルタイムでバッハが作曲して演奏するカンタータを聴いた18世紀のライプチィヒの人々にとっては、どうだったのでしょぅか。

毎週日曜礼拝で1曲聴くだけなら、短ければ15分、長くても40分です。ただし、カンタータの演奏は、礼拝の中で神の教えを分かりやすく伝えるための一手段に過ぎません。

単純に音楽を楽しむだけならキリスト教徒ではない自分にとってはどうでもいいことですが、当時の礼拝の様子を知ると、カンタータに対してより深い理解が得られそうです。

バッハの時代の日曜礼拝は、日常生活の中にしめる割合はきわめて重要でした。基本的には、午前7時から始まる聖餐(せいさん)の説教が11時まで、昼前から昼の説教、午後1時から晩祷と呼ばれる説教が午後4時くらいまでという一日がかりのイベントでした。カンタータは、最も重視されていた聖餐の説教の中で演奏されていました。

カトリックでは、ミサは厳格に式次第が決まっていて、そのほとんどがラテン語で一字一句変更することは許されません。その文言を歌詞にして、楽器の伴奏をつけたものがミサ曲で、式の中でバラバラに演奏されていました。

バッハの所属するルター派プロテスタントの教会では、一部カトリックの要素を残しながら、基本的にはドイツ語で語られ、集まった人々(会衆)が一緒に讃美歌を歌う部分が多く含まれます。バッハ自身が、カンタータの譜面に礼拝式次第をメモしているので、実際の様子はかなりはっきりとわかっています。

午前7時になると、トーマス学校の生徒による合唱隊と10人程度の楽器奏者が入場し位置につき、オルガンの前奏が始まります。続いて4人の生徒によるチェンバロ伴奏によるモテットが歌われます。

続いてラテン語によるキリエとグロリアの器楽伴奏による歌唱があり、その途中で牧師が入ってきます。その日の教会歴に見合った使徒書の朗読に続いて、会衆によるコラール歌唱、福音書の朗読の後、いよいよカンタータの演奏です。

カンタータの歌詞は、当日朗読された聖書の内容に沿ったもので、当然この後の説教につながる内容が厳密に割り当てられていました。会衆に、その日の教えを分かりやすくする目的と、より親しませることが重要な課題であったことは容易に想像できます。

ここまで終わって、午前8時からいよいよ主任牧師による説教が始まりますが、これがだいたい1時間かかる。毎週音楽を用意するバッハも大変でしょうけど、毎週1時間の講演をする牧師さんも変わらず大ごとだったことでしょう。

そのあといくつかの讃美歌が歌われ、聖餐式(最後の晩餐に由来する、パンとワインを信者に与える儀式、カトリックでは聖体拝領)が始まりますが、これにかなりの時間がかかるので、その間にカンタータの第2部やオルガンの演奏が行われました。

とりあえずバッハが一仕事終えるのが午前11頃というわけで、バッハは自分の部屋に一目散に戻って、すぐさま来週の準備にとりかかったことでしょう。

市民は、まだまだ残っていて、ここでいろいろな情報交換をしたんでしょうね。隣の国が戦争したがっているとか、あそこの誰々が恋仲になっているとか、何しろ新聞もラジオも、ましてやネットもないわけですから、礼拝の場は生活の基本です。

さらにテレビ、映画もなく、娯楽としての要素も兼ね備えていたのが礼拝であり、その中でカンタータの役割はことさら重要であったことは容易に想像できます。

そういう意味でも、プロテスタントが歌っていたコラールを、バッハが積極的にカンタータの中に埋め込んでいくことにこだわったこともわかる気がします。会衆が馴染みのある曲が出てくることで、より大衆参加型の娯楽性が強まることになるのです。

2014年8月22日金曜日

指が痛い

指が痛い・・・というのは、それほど珍しい症状ではありません。

外来でも、しばしば遭遇するわけですが、大半の患者さんは関節リウマチという病気を心配されている。しかし、実際のところ、リウマチは少ない病気とは言えませんが、だからといってやたらとあるわけではありません。

リウマチは30~50歳くらいで発症することが多く、男性に比べ女性のほうが数倍多いことが知られています。

それよりも若い場合には、外傷性の問題か、使いすぎによる痛み、典型的には腱鞘炎での症状であることが圧倒的に多い。それよりも高齢の場合は、ほとんどが加齢性の関節の変化が原因です。

通常、腱鞘炎は指の付け根付近、手のひら側に痛みの中心があります。加齢性の変化は、一番はじの関節、時には真ん中の関節に痛みがあり、いずれも動かさなければ痛みが無いのが普通。

やっかいなのは、リウマチも含めて、指の痛みがあると、だいたいとの場合でもこわばりを感じることです。こわばりは、なんとなく動かしにくいというものから、はっきりと動かせないというものまで様々。たいてい、起床時の朝に強く感じるというのも共通の話です。

以前使われていたリウマチの診断基準の中に、「朝のこわばり」という項目があったため、これがよく知られるようになって、指の痛みがあって朝動かしにくいとリウマチを心配するのが、なかば「常識」になってしまいました。

また、高齢化に伴い、リウマチを発症する年齢も上がってきていて、最近は70代、80代でもリウマチとしか言いようがない症状を初めて出す方も珍しくなくなりました。

痛みが出てから病院に行くまでの期間もずいぶんと短縮されてきたので、ぱっと見てすぐに判断ができるようなケースはほとんどない。リウマチを専門で診療している医者でも、加齢性の変化による痛みは、しばしば診断に悩むものです。

少なくとも、一番はじの関節から始まるリウマチは、ほぼ「無い」と言っていいと思います。真ん中の関節は、どっちとも言えない。付け根の関節、手の甲側の痛みはリウマチの可能性があります。

また、一番心配するのは腫れているかどうかということ。ごつごつして、骨の隆起を想像する腫れ方は、ほぼ加齢性のもの。腱鞘炎では、指全体が浮腫むような腫れ方をする場合があります。リウマチでは、関節の部分に限局して、皮膚と関節部分の間にマットが入っているような腫れ方をします。

しかし、痛みが出てから数日から数週間程度では、診察だけで確信を持つ事はなかなか難しく、後は血液検査と画像検査、レントゲン、MRI、超音波などの客観的なデータと合わせて判断するしかありません。

2014年8月21日木曜日

患者・・・感謝

自業自得・・・なんですけど、何しろ先週丸々休ませてもらって・・・休むと決めたのは自分。

休み明けの月曜日、火曜日、水曜日と3連チャンで激疲れです。

もともと、100人患者さんが来るとびっくりしているクリニックです。普通の整形外科は、1日の患者さんは150人から、多いところだと200人くらいらしい。

初診の方は、特に時間もかかるわけですが、いつもはだいたい15人くらい。ところが、この3日間で受診した方は400人弱。そのうち、初診の方が100人弱という状況でした。

正直、毎日終わるとへとへと。

診察が雑にならないようにしながら、でも急がないといけない。ハイテンションでダッシュをするのですが、もうどうアクセルを踏んでも、スピードが上がらないことも・・・

再診のリウマチの患者さんだと、知っている顔ですごくホッとします。患者さんには申し訳ないのですが、ちょっと一息ついて雑談したりしました。

でも、わざわざ来ていただいた患者さんに感謝!! の気持ちで、今日もガンバロウ!!

2014年8月20日水曜日

辛味噌ラーメン @ 横濱家

横濱家は、今までにも何度も登場してきた、自分の中ではスタンダード店。ただし、基本的な味は豚骨醤油味。

久しぶりに行ってみたら、新しいメニューに辛味噌がありました。早速注文したわけですが、あ~、確かに横濱家の味噌味はこんなんだろうと思う味。

基本的に味噌ラーメンを食べたいときは、自分の場合尻手黒川道路の稗原の交差点から少し入ったところにある初代という店がスタンダード。

白味噌ベースで、ちょっと甘味のある濃厚な味が癖になる。また、ここの辛味噌が絶品です。

横濱家も、らしくていいのですが、辛味噌となると残念ながら初代には勝てない感じ。まぁ、それぞれの店の個性ですから、それはそれでいいのかも。

ただし、昭和人とってラーメンの基本は、鶏がら醤油で細麺の「支那そば」という気持ちがあるので、辛味噌もバリエーションの一つであることにかわりはありません。

2014年8月19日火曜日

金のパイたい焼

とあるところで売っている、まぁ、いわゆるB級グルメと言えそうな食べ物。

全体はパイ生地で、その中身はジャムバター。タイ焼器で型を押さえてあるのが特徴。でもって、名称が「金のパイたい焼」なんだそうで、確かに色も金色っぽい。

味は、想像通りで、それなりなんですが、これ金色ということは、あまり焼かないのでしょうか。

パイは薄い生地が層状になって、さくさく感を出すところが美味しさのポイント。これは「濡れ煎」状態で、さくさくしていませんでした。

厚めのクレープみたいな・・・何とも言えない残念感が漂います。

一緒に買った他のものは・・・


ふっくら膨らんで、層状に焼けたパイ生地がさくさく。

そのかわり・・・金色じゃなくて、茶色ですかね。このあたりの、出来不出来が、B級のB級たる所以ということなんですかね。

そう割り切れば、ある程度楽しめるかもしれません。ただし、はずれにだけ当たると、そうとうがっかり感がありますけどね。

2014年8月18日月曜日

診療再開

クリニックの夏休みは終了し、今日からは通常通りの診療に戻ります。ご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした。

こどもたちの夏休みも、あっという間にすぎさって、あと2週間。宿題がまだの子は、そろそろ焦り始めるころ。大学生は、まだまだ余裕で遊んでいるかもしれません。

クリニックを始めてみて、一番勤務医と違うと思ったのは、簡単には休めないということ。勤務医は簡単に休めるわけではありませんし、実際予定外で休んだことは一度もありません。

それでも、何かあればなんとか替わってもらえるという気持ちがありましたが、開業医は交代要員はいません。簡単には休みにはできないというのは、けっこうなプレッシャーです。

停電のような非常事態を除くと、過去に早じまいを一度、臨時休診を2度しています。早じまいは、情けないことに虫歯の痛みががまんできなくなって歯医者に駆け込んだとき。

臨時休診の一度は、開業当初に必ず健康保険の組織から呼び出される個人指導のための半日休診。そして、もう一度は今年の義母の葬儀。

他にもクリニックをたくさん受け持っている税理士さんに聞きましたら、家族の葬儀でも休診にするという話はほとんど聞いたことがないそうです。

つまり、自分が喪主であれば、日程をうまく調節して診療に影響が極力出ないようにしているところが多いのだそうです。

少なくとも、自分の健康の問題で急な休診にすることだけは避けなければなりません。ところが、年を取ると医者だって、そうそうむやみに自信を持っているわけにはいきません。

健康管理のためにも、自分の休みを増やして・・・って、まだまだそんなことができる立場ではありませんね。


2014年8月17日日曜日

三位一体節後第9主日

三位一体節後も第9主日まで来ました。キリスト教的には、大きなイベントもないので、ローマ法王も比較的時間にゆとりがあるのか、今週は韓国を訪問したりする余裕があるようです。

教会歴順カンタータの旅のほうも、このくらいだとかなり余裕です。わけもわからず聴き飛ばしていた最初の方を、もう一度聴き直すしたり、受難曲のような大曲も再チャレンジすることもできます。

バッハのカンタータ群を除いて、四大宗教曲と呼ばれているのは、マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ曲、そしてクリスマス・オラトリオ。

最低でもこの4曲のCDが出ている人が、だいたいバッハ演奏の専門家といえるわけです。実はバッハの宗教曲は、カンタータの充実ぶりがすごいのですが、それ以外となると意外に少ない。

あとはマニフィカト、4つの小ミサ曲、モテット、復活祭オラトリオ、昇天祭オラトリオでほとんどすべてということになります。ここまですべて網羅しているのはリリングくらいでしょうか。

我がガーディナー先生や鈴木雅明、コープマンは、あと一歩及ばす。ヘレヴェッヘがこれを追いかけているところ。リヒターも若死にしなければ、全曲制覇を狙っていたかもしれません。

カンタータの聴き比べというのは、集めるだけで大変ですが、大曲は比較的廉価盤になったセットがたくさん出回っていますので、この時期に合わせてやっておきたい目標の一つです。

三位一体節後第9主日のためにバッハが用意したカンタータは、3曲あります。
BWV105 主よ、汝の下僕の審きにかかずらいたもうなかれ (1723)
BWV94 われいかで世のことを問わん (1724)
BWV168  務めの報告をいだせ!と轟く雷のことば (1725)

ガーディナー盤では、もともとArchivからリリースされていたCDに収録されています。Archivが全集を断念して企画が頓挫したため、ガーディナー自ら立ち上げたSDGレーベルが引き継ぎました。全集ボックスでは、Archiv発売のものも含まれているので助かります。

BWV94はフルートが印象的。この曲が作られた頃に、優秀なフルート奏者がバッハの楽団にいたことが想像されています。

 BWV105は、タイトルからは分かりにくいのですが、内容は使い込みをした部下を主人が許すというもので、神(またはイエス)の寛大さを説くものなのでしょうか。前半は罪がばれて不安な状況、後半は許された喜びと神を讃える気持ちを謳いあげます。

BWV168は、いきなり勢いのある弦の合奏からスタートし、バスのソロがそのままの勢いを引き継いで歌いだす感じが他にない新鮮な印象です。ある意味、オペラ的というのは言い過ぎか。

2014年8月16日土曜日

最初のカンタータ

バッハが最初に作曲したカンタータは何番?

というのは、なかなか難しい問題です。何しろ300年前の話ですから、残された証拠は限られています。バッハの書簡、教会の記録などが主な資料となるわけですが、どこかにはっきりと書かれているわけではありません。

まぁ、何番が最初で、何番がいつ作曲されたかなんてことは、音楽を純粋に楽しむだけのことならば、無くて困るわけではありません。ただし、カンタータを作曲順に聴いて行こうとか、あるいは教会暦に従って聴いて行こうとか、あるいはパロディ関係を把握しながら聴いて行こうという時にはけっこう重要なポイントになるのです。

さらに、実はバッハの作曲したものではないものが混ざってくるので、話はより複雑になってしまいます。バッハは、自分の作品だけで毎週の礼拝の音楽を回していくのは、さすがに難しいときがありますから、他人の作品を写譜して、ある程度のストックを持っていました。

これが、場合によってはバッハの直筆譜だけが残っていて、もともとの作品の譜面が消失している場合には、バッハの作品として位置づけられてしまうわけです。

もともと、BWV15の番号がふられていた「汝、わが魂を冥府に捨て置きたまわざれば」というカンタータは最も初期に作られてと考えられていました。

1726年に演奏されている事がわかっているのですが、古くから多くの評論家がこの時期のバッハの作品としては稚拙であると指摘していたにもかかわらず、ネタに困って昔の作品をあらためて持ち出したとしていたのです。

実際にヘルヴィヒの偽作集に収録されている曲を聴いて見ると、確かに素人が聴いてもあまり面白くない。比較的単調な曲調で、まぁ習作と考えればしょうがないという程度の感じです。

ところが、この時期に親戚のヨハン・ルードヴィヒ・バッハ(J.L.Bach)の作曲したカンタータを何曲か使いまわしたことが判明していて、その中の1曲だけが不明になっていたのです。

1950年代末に、 BWV15が実はJ.L.バッハの曲を写譜して使った最後の1曲であることが証明されました。
ですから、現在は1706年から1708年あたりにかけて作曲された考えられている、BWV4、BWV150、BWV106、BWV131のどれかが残されているものとしては最初のものと位置づけられるようなりました。

この証明されるまでの過程というのは、ちょっとしたミステリーの謎解きのような面白さがあります。推理小説のジャンルで安楽椅子探偵(Armchair Detective)と呼ばれているものがあって、探偵がどこかに出かけていかずに、集められた情報だけの中から推理していくもの。

殺人事件は起きませんが、バッハにまつわる謎を解くと言うのは、まさに安楽椅子探偵的な面白さがあるものです。興味がわいたら、是非そこらあたりを突っ込んでみると、よりカンタータが面白くなってきます。

2014年8月15日金曜日

バッハ復活

ヨハン・セバスチャン・バッハの宗教曲は、ぼう大なカンタータを除くとそれほどたくさんあるわけではありません。

当時の人気作曲家だったテレマンなどは、バッハよりもはるかに多作であったといわれています。また、ヘンデルもテレマンに負けじ劣らずで、地方都市のカントルであったバッハは彼らに比べるとかなり地味な存在です。

ですから、1750年に亡くなった後は、バッハは急速に時代の記憶の中から忘れられていきました。今のように録音技術が無い時代ですから、当然と言えば当然。

しかし、今日「音楽の父」とまで呼ばれ、偉大な作曲家としてクラシック愛好家でなくても、その名前を知るようになったのは、1829年3月11日を境にしてのこと。

この日に行われたのが、マタイ受難曲の復活上演であり、これを企画実行したのが、フェリックス・バルトルディ・メンデルスゾーンでした。

メンデルスゾーンというと、おそらく「夏の世の夢」の中の「結婚行進曲」しか知らないという方も多いかもしれませんが、 ロマン期の重要な作曲家であることは論を待たないところです。

メンデルスゾーンは14歳のときに、祖母からのクリスマス・ブレゼントとしてマタイ受難曲の写譜を手に入れました。また大叔母はバッハの息子らとの直接の関係があり、バッハの直筆譜の収集家でもあったことから、早くから大バッハへ傾倒と研究をするのは自然の流れだったようです。

そして、なんと20歳で復活上演を行ったのですが、当時の聴衆にもわかりやすく親しみやすいように工夫をこらしています。楽器は当時の現代楽器に置き換え、通奏低音は自らピアノを弾いています。いくつかの曲は省略して、「わかりやすく」して、受けやすいオーケストレーションを加えました。

また慈善公演として行った事も加わって、復活上演は大成功を収め、メンデルスゾーンの人気を確定すると同時に、忘れ去られようとしていたバッハを再認識する道筋に灯りを燈したわけです。

現在、このメンデルスゾーン版を聴く事ができるCDは、シュペリング指揮のものがおそらく唯一ではないでしょうか。ただし、ここで演奏されているのは1841年にバッハの本拠地ライブツィヒで行われた再蘇演時のスコアをもとにしたものです。

おそらくメンデルスゾーン自らも理解していた事だろうと想像されますが、彼の行った改変は「必要悪」であり、その後のマタイ受難曲を初めとして、多くの演奏家によって多くの楽曲の派手な(聴衆が喜びそうな)演奏を認める流れも作った事は間違いありません。

マタイ受難曲に限って言えば、ピリオド奏法が始まるのが1950年代、知られるようになったのが1970年代のことです。メンデルゾーンの蘇演以来150年にわたって、厚化粧のマタイ受難曲が演奏されることになりました。

録音に残されているものとしては、1939年のメンゲルベルクから始まり、1972年の絶頂期だったカラヤン指揮ベルリンフィルなどが代表的な演奏でしょう。カラヤンのものは、いかにも、らしい演奏で、表現は悪いかもしれませんが、とにかくもったいをつけて一気に盛り上げる感じです。

それらの中で、リヒターの1958年盤はそれらの厚化粧マタイの終着点です。もちろん、今でも稀代の名盤として知られていて、マタイ受難曲を聴く上では避けては通れない演奏。そこまで高い評価を得ているのは、深い精神性の表現ということに尽きるようです。現在はリマスターされたProfil盤がおすすめ。

最後になりますが、フランス・ブリュッヘン氏の訃報が届きました。8月13日にアムステルダムの自宅で亡くなったそうです。古楽器を用いたピリオド奏法を実践してきた、代表的な演奏家の一人でした。合掌。

2014年8月14日木曜日

盆入り


この時期は、昔は民族大移動などと呼ばれ、一斉に帰省が始まったものです。

最近は、休みをとるタイミングがだいぶバラけたせいか、一斉というほどではなくなりました。

それでも、やはり「お盆」いう習慣は、日本人には深く浸透しているわけで、前後1週間に休む人が集中するため、交通機関の混雑する期間はむしろ長くなったような気がします。

お盆というのは、簡単にいうと先祖の霊が家に帰ってくる期間。迎え火で家に入れ、家族が元気でいることを報告し、日頃守ってもらうことを感謝します。

霊は安心して、送り火とともに帰っていくわけで、先祖がいたから自分が存在し、そして未来を子孫に託すことを確認するイベントは終了します。

とくに、終戦記念日が重なったことが、お盆を不滅の記念日にしたことは間違いない。もしも、違う時期だったら社会人の夏休みは、もっとばらけていたでしょう。

しかも、個を大事にする時代ですから、休みも純粋に楽しむだけのものになっていたのかもしれません。
この辺りの考え方は、やはり仏教的なんでしょう。自分の場合、多くの日本人もそうだと思いますが、積極的な仏教徒とは言えません。

でも、仏教的なイベントは生活の中に染み込んでいて、それが日本人の常識を形成している一部であることは疑いようもないことです。

宗教哲学が表にはっきりと出る国もたくさんありますが、日本は仏教を倫理的規範のベースとしている国ということなんでしょう。

2014年8月13日水曜日

SUPER MOON

8月11日の夜、台風が過ぎ去りつつ・・・雨雲が強風でだいたい消えて、空は晴天。

月齢は満月でしたが、特別な満月を見る事ができました。それはスーパー・ムーン。セーラー・ムーンの親玉ではありません。

月の楕円軌道で、最も地球に接近したときの満月のことで、天文学ではPerigee full moonと呼ぶらしいです。

18年に一度、再接近と完全な満月が重なり、今年はそれにあたります。一番遠いところでの満月に比べて、大きく明るい月を見る事ができるということで貴重。

写真に撮ってみると・・・写真ではあまり違いがわかりませんが、少なくともかなり明るかった。たいぶしぼりこまないと、真っ白けでした。


2014年8月12日火曜日

永遠の0 (2013)

昨年末に公開された、百田尚樹原作のベストセラー小説を原作とした邦画で、映画も87億円の興行収入を叩き出す大ヒットとなった作品。

最近の映画としては、珍しくテレビ局が制作に関与していません。監督は「三丁目の夕日」シリーズの山崎貴で、山崎は日本のCGを駆使した特撮で有名な白組出身で、もともといろいろなメディアを通じて様々な映像作家からノウハウを吸収して成長した人物と言えるのかもしれません。

ヒット作の宿命とも言えるのが、作品に対するバッシング。この作品についても、有名映画監督らを含め多くの文化人らが批判を展開しました。基本的には「戦争、特に特攻隊を美化」することで「戦争の責任を忘れて太平洋戦争を悲劇としてとらえる」というようなものでした。

自分の感想は、これらの批判を相容れるものではありませんでした。確かに映画としては、見事な空中戦のシーンなど「戦争エンターテイメント」とも言えるような部分を含んだフィクションであるものの、あくまで一人の「零戦乗り」を主役とし戦争を否定した内容だと思います。

作中に出てくる会話で、「特攻はテロだ」という現代社会における意見に対して、「特攻の対象は一般人ではなく、戦争兵器」であるが、「九死に一生なら命をかけられるが、十死に零生ではもはや作戦とは言えない」と否定しています。

すべての人が「お国のため」に命を捧げた時代ですが、本音の部分で家族のために生きて帰りたいと願っていた兵士がいても不思議はありません。そういう戦争によって、個人のレベルでは多くの悲劇が起こったことは現実だろうと思います。

ですから、国が戦争を起こす事の責任論とは別物と考えるべきではないでしょうか。軍を主体として描いていれば、戦争責任の逃避と批判されるかもしれません。戦争映画が、実際の史実に忠実でなければいけないというルールは存在しません。

事実に由来する幾多の大戦を舞台にした映画がありますが、庶民が主人公のものは「戦争による個々の悲劇」を描いたものであり、それを通じて戦争を否定するものです。

例えフィクションであったとしても、むしろフィクションだからこそ、軍隊という組織の中にいて反戦思想を口にする一兵士を主人公にすることができたのかもしれません。

いずれにしても、反戦や特攻批判を目的とした話ではなく、いかにして生き抜くかが本当のテーマなのだろうと考えれば、良質なエンターテイメントなのではないでしょうか。

☆☆☆☆

2014年8月11日月曜日

バッハの記譜

バッハが生きた17世紀末から18世紀前半、当然今のようにパソコンなどはありません。

自分は音楽家ではありませんので、作曲などする由もありませんが、例えば作曲支援ソフトを利用すれば楽譜を作るのもそれほど大変ではないかもしれません。

もっとも、いくら楽譜ができても、そこに記載された音符が、人を感動させるだけの力を持っているかどうかは、いくら技術が進歩しても、作曲家の感性の問題ですけど。

今時の作曲家であれば、いわゆる「打ち込み」 と呼ばれるような方法もあります。ちょっと変えるたびに、すぐにその音の効果を耳で確認できます。

これは文章を執筆するような作業でも、同じことが言えます。ワープロというものが一般的になったのが、1980年代半ばから。ちょっと直したければ、簡単に書き直すことができる。

全体を見渡して、文章の流れがおかしければ、いとも簡単に一字一句を修正することができますし、段落ごとコピペで移動したりもお茶の子さいさい。

このような電子文具がなかった時代であっても、鉛筆というのは強力なツールだったろうと思います。まずは鉛筆で書いておいて、上から清書して、消しゴムで鉛筆を消せばいいわです。

楽譜を記載する、つまり記譜という作業では、鉛筆の登場は多くの作曲家を嬉しがらせたのではないでしょうか。特に合奏の譜面を書いていくとなると、各パートの整合性を保つために書き直しは何度も行う作業であろうと思います。

鉛筆らしきものが発明されたのは16世紀なかば、現在のような鉛筆は17世紀なかばにステッドラーが最初といわれています。ただし、重要なのは消せる事。消しゴムが発明されるのは、1770年のこと。

残念ながら、バッハは鉛筆をもっていたかもしれませんが、消して書き直せる道具としては利用した可能性はありません。実際、バッハの直筆譜はいずれもペンによるインクで書かれたもの。

ペンで書いたものは、後から間違いに気がついたら、紙の表面を削るしかありません。本物を見た事はありませんが、直筆譜では削った跡が、ちょろちょろあるらしい。

晩年は、ゆっくりとじっくり熟考しながら作曲活動をしていたのでしょうから、時間的な余裕はそれなりにあったんでしょうけど、毎週新しいカンタータを用意していたライプチィヒ時代の最初の頃は、もう想像を絶する忙しさでしょう。

そう考えると、バッハの頭の中には他人から見ればいとも簡単に音楽の全貌が浮かび上がっていて、さっさと楽譜にしていたように思えます。このあたりは、まさに職人といえる力量の見せ所だったかもしれません。

17世紀半ばには現在のような五線譜による記譜が行われるようになっっていたそうですが、まだ速度については書き記す一定の方法はまだありません。速さの解釈は、現代の演奏家によって大きく異なるポイント。

また、手書きなので連続的に音を出すスラーのような記号も、どの音符からどの音符までかかっているのかも、いろいろと論議を起こすところなんだそうです。

バッハの直筆譜を研究する専門家に言わせると、もちろんバッハにも間違いはあるらしい。明らかにインクを削って書き直した跡があるそうですが、その結果別のパートの演奏が矛盾してしまうこともある。

中には、間違いを知ってか知らずか、そういう明らかな間違いを放置している部分もあったりして、このあたりは大作曲家といえど人間ぽいところかもしれません。

そしてバッハは、直筆譜の最後には必ずSDGと書いていました。これはSoli Deo Gloriaの略で、ただ神にのみ栄光というプロテスタントの基本的な教えのひとつだそうです。

2014年8月10日日曜日

三位一体節後第8主日

クリスマスまでは、まだまだ遠い三位一体節後第8主日です。

バッハの残されているこの日のための教会カンタータは3曲あります。
BWV136 神よ、願わくばわれを探りて (1723)
BWV178 主なる神われらの側にいまさずして (1724)
BWV45  人よ、汝はさきに告げられたり、善きことの何なるか (1726)

BWV136は比較的華やかな合奏から始まりますが、コーラスとコラールでソロをはさんだ普通の構成で、長さもそれほどありません。標準的な出来上がりというところでしょぅか。

BWV178は、なんとコラールとソロを交互に織り交ぜる、まさに「コラールカンタータ」と呼べるもの。ソプラノだけ独唱がないので、比較的低音域の広がりを感じます。

バッハはライプチィヒに赴任して2年目の1724年から、カンタータの中にコラールを取り込むことを強く意識しだしたといわれています。

コラールは、当時ルター派の教会で会衆者全員で歌う合唱曲、つまり讃美歌で、その歌詞は聖書に匹敵するキリストの教えを反映したものであり、また信者にも知られたものでした。

バッハは2年目になって、明確にコラールを取り込んで、カンタータをより教会と参列した市民の間を取り持つ重要な存在にしようという意図が出てきたものと考えられています。

1726年のBWV45は、スタートは通常の合唱で最後だけがコラールでしめくくる、普通の進行の曲。いずれの曲も、比較的華やかさがあり、夏の日差しの中で清涼感のある輝きを意識したのかもしれません。

2014年8月9日土曜日

明日から夏休み

いろいろとご迷惑をおかけすることと思いますが、明日から1週間はクリニックは休診になります。

顔見知りの患者さんからは、「静養してください」とか、「楽しんでください」などといった声をかけていただきました。

中には「お大事に」と立場が逆転したものもありましたが、いずれも、ありがたいことではあります。

ただ、天気は台風11号のゆっくりとした接近により、だいぶ怪しい。気温が下がるのは助かりますが・・・

いつ休みにするかは、多少試行錯誤しましたが、結局お盆を中心とした時期は港北ニュータウンと呼ばれる近隣の範囲は、人が流出する時期で、患者さんはあまりこない。

他のクリニックも同じ頃に休むところが多く、患者さんもその頃は休みだと思っている方が多い。

でも、結局この時期は、一番休む人が多いわけで、どこに行くにも車は渋滞、列車や飛行機も満席だったりして、値段も高く旅行シーズンとしては最悪です。

来年は、思い切って、大幅にずらしてみようかななどとも考えています。自分も、どうせ休むならしっかり休みたい年になってきたのかもしれません。

2014年8月8日金曜日

割子蕎麦 @ 市ヶ谷

うちの近くにお気に入りの蕎麦屋がありまして、名前は更科。

増田屋という蕎麦屋もよく見かけますが、これは明治以後にはじまったもので基本的には暖簾分けで増えたもの。関東中心に200店くらいあるらしい。

江戸時代に信州更科蕎麦として、麻布永坂に最初の店ができたとされています。分家関係にあるのか無いのかはわかりませんが、基本的には蕎麦殻を除いて精製したそば粉を使うのが特徴らしいです。


ですから更科の蕎麦は、白い。一見小麦粉のつなぎがたくさん入っているのか思いますが、食べてみると蕎麦の味がしっかりします。

つゆはやや醤油が強い感じですが、なんともいえない出汁のバランスは、家にあるような調味料ではとてもだせない美味しさ。

比較的近いところで、市ヶ谷にも更科がありまして、そちらにも行ってみました。蕎麦は同じように、白くて比較的細め。でも、しっかりとこしがある感じで、確かに更科。

割子蕎麦を注文してみました。たぶん、ざるの大盛りくらいの量になるのではないかと思いますが、5つつに分けられたそれぞれが別々の味。梅キュウリ、山芋、いくら、なめこおろし、なめこ山菜です。

蕎麦つゆは、いつも行く店より醤油が強い感じ。お手軽に、いろいろな味を一度に楽しめて、お得な気分になりました。

2014年8月7日木曜日

焼肉弁当 @ 某店

焼肉弁当です。

とある席でいただきました。

大変「美味しい」ロースだと思います。

自分の活動地域では、比較的知られるようになったお店の物ですが、この店は超高級店で知られており・・・ということは、ほとんど脂の肉を出すので有名。

筋肉繊維よりも脂の方が多いくらいなので、年をとると正直辛い。ロースはまだまし。

ただ、この弁当、細かい事ですが、肉の大きさ3cm四方くらい、厚みは数mm程度が7枚。あとはナムルとキムチだけです。

スーパーで同じようなセットを買ってきて用意すると、けっこう高めの肉を使っても500円程度でしょうか。

もちろん、そこらで買えるものより、もっともっと高級なのかもしれませんが・・・

これで2500円 !! !! !! だそうです。

ご馳走になったので大きなことは言えませんが、いくらなんでも高すぎ。せこいようですが、明らかに相手をみています。

幕の内弁当のようなものよりも、手間はかかっていないのは間違いないし、せいぜい1500円くらいというのが良心的な価格かと。

普通の弁当屋とはいいませんが、例えばデパ地下とかの「なんたら味の市」みたいなところでも、これは売れないだろうという感じ。

・・・とは言え、文句を言ってはいけません。ありがたくいただきました。

2014年8月6日水曜日

ザクロ

ザクロは果実として扱われていますが、自分が子供のときはすぐ近くの家にザクロの木があって、いつも目にする普通の木の一つという印象でした。

さらに、まずいことに熟した実がいつも道路に落下した光景をしょっちゅう目にしていたのです。

これはまさに「石榴を割ったような・・・」という表現に相当するのですが、たぶん推理小説のどれかで読んでいたのだと思いますが、道路にいくつも落ちて割れ、踏まれてさらにぐしゃぐしゃになっている様子は気持ちのよいものではありません。

医者になってみると、ごくまれに悪性腫瘍を未治療で放置していて、体表面に盛り上がった部分が爆発してから病院を訪れる方がいて、それも似たような表現で表されることがあったりします。

そんなわけで、食用になることは以前から知っていましたが、どうもイメージが悪すぎて・・・

でも、今もザクロは近所に木があってよく見るのですが、この家の方は道路に実を落とすような事はしないとみえ、そんな怖い思いはしなくてすんでいます。

夏の高い青空のもと、ぷっくらとなったザクロの実は、けっこう絵になる感じです。

まだまだ猛暑が続きそうですが、体調維持にはザクロは役に立たなさそうです。女性ホルモン類似物質が含まれるというので、ザクロジュースというのが一時流行ましたが、実際効果は内容です。寄生虫の駆除の効果はあるようですので、もともの時には・・・

2014年8月5日火曜日

ワイルド・キャンプ

台風12号の影響で西日本、特に四国ではものすごい量の雨が降って、さぞかし大変。台風11号が遅れて上がってきているので、一難去ってまた一難というところ。

大雨による事故というのは、関東でもありまして、丹沢のキャンプ場の事故は痛ましい限りです。自分もこどもたちが小さかった頃は、せっせとキャンプ場に行っていたので気になりました。

那須でキャンプしたときに、大雨で管理者から注意されたことがありました。サイトが比較的高いところにあったのと、上に川や湖が無い場所だったので、早めにテントの周囲に深い溝を掘ったりしてじっとしていました。

箱根では、大量の雹が降ってきて、テントが破れるのではないかと心配しながら、ぼこぼこ当たる音を聞いたこともあります。大風でテントが飛ばされそうで、通常四隅に打てばいい杭を倍使ったり、木立にも紐で結んだりもしました。

いろいろと経験しましたが、少なくとも川の中洲にテントを設営するキャンプ場というのは見た事がありません。だいぶ前に中津川のキャンプ場で、中洲で遊んでいて増水による事故が起こった事がありました。

キャンプに行くと、ちょっと自由になって冒険心を満たしたくなるものですが、やはり中洲というのは好天が続いているときに、ちょっと渡ってみるくらいの場所と考えたほうがよさそうです。

電気も使えて、サイトもきれいに整備されたキャンプ場は安心ですが、時にはワイルドなところも確かに面白い。

本栖湖のキャンプ場は、キャンプスペースは決まってなく、空いていれば好きなだけ広く使えます。ただし、地面は凸凹で斜面になっていたりと、いかにうまく平地を確保するかが重要。そのかわり、自然の中にうまく溶け込む気分は満喫できます。

キャンプはオートキャンプと言えども、いろいろな危険を伴う可能性があるわけですから、過信は禁物。夏休みはこれからが本番。もう、悲惨な事故が起きないといいですよね。

2014年8月4日月曜日

大人

40歳を超えたときに、人生の半分が終わって、それまでに知ることができた様々なことと同じだけのものは、もう頭には入ってこないんだと思いました。

あきらかに老眼が始まり、ちょうどパソコンの普及も進んでいたことから、急速に本を読むということをしなくなったのも同じころ。さらに、日ごろ患者さんに説明している変形性頸椎症のせいで、左腕がしびれて手術にも不安を感じるようになりました。

そういうもろもろのことがきっかけで、それまで漠然としていた開業というものを、具体的に考えるようになりました。開業してみると、生活は一変して、実際にはそれまで知らなかったこと、知らなくてすんでいたことにたくさん遭遇しました。

年をとっても、いろいろな知識を増やしたいという気持ちがあれば、まだまだ勉強になることは山ほどあるものです。ただ、若い頃よりもその知識を整理して記憶にとどめるためには、より一層の努力が必要だということも間違いないところ。

最近送られてきた、学会のニュースで新任教授が紹介されていました。そのいずれもが、自分より医学部卒業が後なんです。もう、自分よりも若い教授が活躍するようになったんだなぁと思うと、急に何歳が老け込んだような気分になります。

まぁ、総理大臣だって、自分との年の差は片手で足りるほどですから、今更そんなことで気落ちしてもしょぅがない。とにかく、40年かけて学んできたことを、社会に還元していくのが次の40年のテーマですし、その実践のために勉強し続けるしかない・・・

大人ってのは、そんなもんでしょう、と急に達観したようなことを考えてしまいました。

2014年8月3日日曜日

三位一体節後第7主日

鈴木雅明の全集も手に入れたのはいいのですが、実はまだまったくの手つかず。というのも、こちらは成立年代順に収録されているので、教会歴に沿って行くと、いくつかのCDからとっかえひっかえしないといけない。

もっとも、バッハも毎週二つも三つもカンタータを演奏していたわけではありませんから、実際のバッハの作曲順に沿ってバッハの人生を振り返るというのも・・・50年くらい、いや端折って5年くらいに圧縮してもいいのですが。

がーディナー先生に日ごろからお世話になっていますので、がーディナー盤でまた聴いていないカンタータを、先に別の演奏で聴くのも、なんとなく気が引けるというところもあったりするんですよね。

ところで、鈴木雅明 & BCJ のカンタータ全集は、定価10万円という、一度に使うにはかなりの高額商品でした。もっとも、初期の半分くらいの通常CDもSACD化したり、解説も1000ページもある、それなりの価値がある日本独自企画による限定盤というもの。

販売店ではほぼ完売で、こういうものに価値を感じる人がけっこういるということなんでしょうが、発売元は2匹めのどしょうを狙って、今度はバッハの4大宗教曲を中心にしたセットを発売する計画です。

12枚組で、カンタータ全集と並べて困らないデザインです。解説もバラバラではなく、一冊にして日本語対訳などもしっかりつけるというもの。カンタータ全集を購入した者としては、買わざるを得ないという代物です。

ところが、問題はすでにSACDで発売されているものがあるにもかかわらず、すべて通常CDだということ。数年前に、4大曲を通常CDのボックスで発売済ですし、 どうせ同じ企画意図であるなら、マタイ、ヨハネ、クリオラもSACD化すべきでしょう。

ボックスと残りもすでに所有(amazonの中古ですが)している身としては、かなり悩ましい。足元見られた思いです。カンタータ全集でたまったポイントを、ここで一気に吐き出すしかないかんじでしょぅか。

さて、三位一体節後第7主日です。三位一体節後第×主日というのは、クリスマス前の待降節まで続くわけで、まだまだ半分もいっていません。ところが、さすがにめりはりがない長い期間で、多少教会歴に沿ってカンタータを聴くと決めたのはいいけど、少し気持ちがだれ気味。

そんなところが影響しているのか、この日のためのカンターータは3曲あるのですが、比較的地味な印象です。

BWV186 魂よ、躓づくなかれ (1723)
BWV107 汝なんぞ悲しみうなだるるや (1724)
BWV187 彼らみな汝を待ち望む (1726)

BWV186は、ワイマール時代に作曲したものに、数曲を追加した使い回し。バッハ自身も、多少疲れがたまっているんでしょうか。ただ、この曲と、BWV187は2部構成になっていて、カンタータの中では長めです。BWV107も、バスとテノールが中心で、そういうところが華やかさを抑えているのかもしれません。


2014年8月2日土曜日

リウマチ治療の費用

リウマチの治療で欠かす事ができない薬。基本的には「治らない」ということを前提に考えると、薬の価格と言うのは無視できない要素です。

実際、いろいろなデータが示す理想的な治療をしようとすると、かなり高額なことが多く、できるだけ安いにこしたことはないと思うのは当たり前と言えば当たり前。

昭和の頃によく使っていたシオゾールという注射薬がありますが、1本400円弱で、毎週筋肉注射をして1ヶ月で1600円、3割負担で500円程度です。

古くからある内服薬で最近でも比較的使われるのは、アザルフィジン、リマチル、メタルカプターゼといったところですが、いずれも1錠が50~100円。毎日服用して1ヶ月間で3割負担なら数千円でしょう。

リウマチ治療を大きく変えたリウマトレックスは1カプセルが285円で、ジェネリック品だと185円です。標準的な週に3カプセルの服用だと、3割負担で月に1000円ちょっと、ジェネリックなら700円弱となります。

 アラバ、ケアラムといった平成になって登場した内服薬も1錠200円程度で、だいたい似たような負担が必要になってきます。

ただし免疫抑制薬に分類されるプログラフだけは飛びぬけて高くて、通常使う5mgのもので3094円。毎日一つを服用して、1ヶ月で3割負担で月に約28000円です。

 昨年登場した内服薬のタイプの新しい生物学的製剤であるゼルヤンツは、1錠が2600円、1日2回、毎日服用で3割負担で月に約47000円。


生物学的製剤の薬価を並べてみると、
レミケード 89536円/本
エンブレル 15746円/本
ヒュミラ 65144円/本
シンポニー 126622円/本
シムジア 63494円/本
アクテムラ 39291円/本
オレンシア 27947円/本

今日の治療の主力である注射薬のタイプの生物学的製剤は、だいたい値段がそろってきました。いずれを使っても、3割負担で月に25000円~40000円程度が3割負担の方で必要になります。使う頻度や量はさまざまですから、3割負担でいくらとは決めにくいので、主治医の先生によく確認してください。

これらに、痛みを抑えるための薬や、副作用のための薬などが加わるわけですから、これだけというわけにはなかなかいきません。さらに、定期的な検査も必要です。

年間だと、リウマチの治療を受けると、おおよそ5~10万円程度の負担になるのかもしれません。ただし、生物学的製剤や新しい薬を使うと、50万円近く必要になります。


2014年8月1日金曜日

成長

あっいうまに7月が終わり、きょうから8月。湿度が高い蒸し暑さは、けっこう体力的にも消耗しやすくて、年を取るとなおさらきついです。

とは言え、水をせっせと飲んだり、扇風機やエアコンを使いながら、それなりに少しでも快適さを求めて、日々頑張るしかありませんが・・・

さて、3月に水につけて始めたアボカドの種。実は、数週間たっても変化は無し。

こりゃダメかいな、と思いましたが、せっかくなので鉢植えにしてほったらかしにしてみました。そしたら、7月になった頃にやっと芽がでできた。

基本的に寒冷地の植物ではないので、温かさが必要だったんでしょうか。一度伸びだすと、ぐんぐん大きくなり、1ヶ月間で15cmくらい、先端の葉も開いて植物らしくなってきました。

もう少し大きくなったら、植え替えをした方がよさそうです。つまらないことですが、こんなことが日々のちょっとした楽しみになりますね。