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2014年8月15日金曜日

バッハ復活

ヨハン・セバスチャン・バッハの宗教曲は、ぼう大なカンタータを除くとそれほどたくさんあるわけではありません。

当時の人気作曲家だったテレマンなどは、バッハよりもはるかに多作であったといわれています。また、ヘンデルもテレマンに負けじ劣らずで、地方都市のカントルであったバッハは彼らに比べるとかなり地味な存在です。

ですから、1750年に亡くなった後は、バッハは急速に時代の記憶の中から忘れられていきました。今のように録音技術が無い時代ですから、当然と言えば当然。

しかし、今日「音楽の父」とまで呼ばれ、偉大な作曲家としてクラシック愛好家でなくても、その名前を知るようになったのは、1829年3月11日を境にしてのこと。

この日に行われたのが、マタイ受難曲の復活上演であり、これを企画実行したのが、フェリックス・バルトルディ・メンデルスゾーンでした。

メンデルスゾーンというと、おそらく「夏の世の夢」の中の「結婚行進曲」しか知らないという方も多いかもしれませんが、 ロマン期の重要な作曲家であることは論を待たないところです。

メンデルスゾーンは14歳のときに、祖母からのクリスマス・ブレゼントとしてマタイ受難曲の写譜を手に入れました。また大叔母はバッハの息子らとの直接の関係があり、バッハの直筆譜の収集家でもあったことから、早くから大バッハへ傾倒と研究をするのは自然の流れだったようです。

そして、なんと20歳で復活上演を行ったのですが、当時の聴衆にもわかりやすく親しみやすいように工夫をこらしています。楽器は当時の現代楽器に置き換え、通奏低音は自らピアノを弾いています。いくつかの曲は省略して、「わかりやすく」して、受けやすいオーケストレーションを加えました。

また慈善公演として行った事も加わって、復活上演は大成功を収め、メンデルスゾーンの人気を確定すると同時に、忘れ去られようとしていたバッハを再認識する道筋に灯りを燈したわけです。

現在、このメンデルスゾーン版を聴く事ができるCDは、シュペリング指揮のものがおそらく唯一ではないでしょうか。ただし、ここで演奏されているのは1841年にバッハの本拠地ライブツィヒで行われた再蘇演時のスコアをもとにしたものです。

おそらくメンデルスゾーン自らも理解していた事だろうと想像されますが、彼の行った改変は「必要悪」であり、その後のマタイ受難曲を初めとして、多くの演奏家によって多くの楽曲の派手な(聴衆が喜びそうな)演奏を認める流れも作った事は間違いありません。

マタイ受難曲に限って言えば、ピリオド奏法が始まるのが1950年代、知られるようになったのが1970年代のことです。メンデルゾーンの蘇演以来150年にわたって、厚化粧のマタイ受難曲が演奏されることになりました。

録音に残されているものとしては、1939年のメンゲルベルクから始まり、1972年の絶頂期だったカラヤン指揮ベルリンフィルなどが代表的な演奏でしょう。カラヤンのものは、いかにも、らしい演奏で、表現は悪いかもしれませんが、とにかくもったいをつけて一気に盛り上げる感じです。

それらの中で、リヒターの1958年盤はそれらの厚化粧マタイの終着点です。もちろん、今でも稀代の名盤として知られていて、マタイ受難曲を聴く上では避けては通れない演奏。そこまで高い評価を得ているのは、深い精神性の表現ということに尽きるようです。現在はリマスターされたProfil盤がおすすめ。

最後になりますが、フランス・ブリュッヘン氏の訃報が届きました。8月13日にアムステルダムの自宅で亡くなったそうです。古楽器を用いたピリオド奏法を実践してきた、代表的な演奏家の一人でした。合掌。