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2014年8月11日月曜日

バッハの記譜

バッハが生きた17世紀末から18世紀前半、当然今のようにパソコンなどはありません。

自分は音楽家ではありませんので、作曲などする由もありませんが、例えば作曲支援ソフトを利用すれば楽譜を作るのもそれほど大変ではないかもしれません。

もっとも、いくら楽譜ができても、そこに記載された音符が、人を感動させるだけの力を持っているかどうかは、いくら技術が進歩しても、作曲家の感性の問題ですけど。

今時の作曲家であれば、いわゆる「打ち込み」 と呼ばれるような方法もあります。ちょっと変えるたびに、すぐにその音の効果を耳で確認できます。

これは文章を執筆するような作業でも、同じことが言えます。ワープロというものが一般的になったのが、1980年代半ばから。ちょっと直したければ、簡単に書き直すことができる。

全体を見渡して、文章の流れがおかしければ、いとも簡単に一字一句を修正することができますし、段落ごとコピペで移動したりもお茶の子さいさい。

このような電子文具がなかった時代であっても、鉛筆というのは強力なツールだったろうと思います。まずは鉛筆で書いておいて、上から清書して、消しゴムで鉛筆を消せばいいわです。

楽譜を記載する、つまり記譜という作業では、鉛筆の登場は多くの作曲家を嬉しがらせたのではないでしょうか。特に合奏の譜面を書いていくとなると、各パートの整合性を保つために書き直しは何度も行う作業であろうと思います。

鉛筆らしきものが発明されたのは16世紀なかば、現在のような鉛筆は17世紀なかばにステッドラーが最初といわれています。ただし、重要なのは消せる事。消しゴムが発明されるのは、1770年のこと。

残念ながら、バッハは鉛筆をもっていたかもしれませんが、消して書き直せる道具としては利用した可能性はありません。実際、バッハの直筆譜はいずれもペンによるインクで書かれたもの。

ペンで書いたものは、後から間違いに気がついたら、紙の表面を削るしかありません。本物を見た事はありませんが、直筆譜では削った跡が、ちょろちょろあるらしい。

晩年は、ゆっくりとじっくり熟考しながら作曲活動をしていたのでしょうから、時間的な余裕はそれなりにあったんでしょうけど、毎週新しいカンタータを用意していたライプチィヒ時代の最初の頃は、もう想像を絶する忙しさでしょう。

そう考えると、バッハの頭の中には他人から見ればいとも簡単に音楽の全貌が浮かび上がっていて、さっさと楽譜にしていたように思えます。このあたりは、まさに職人といえる力量の見せ所だったかもしれません。

17世紀半ばには現在のような五線譜による記譜が行われるようになっっていたそうですが、まだ速度については書き記す一定の方法はまだありません。速さの解釈は、現代の演奏家によって大きく異なるポイント。

また、手書きなので連続的に音を出すスラーのような記号も、どの音符からどの音符までかかっているのかも、いろいろと論議を起こすところなんだそうです。

バッハの直筆譜を研究する専門家に言わせると、もちろんバッハにも間違いはあるらしい。明らかにインクを削って書き直した跡があるそうですが、その結果別のパートの演奏が矛盾してしまうこともある。

中には、間違いを知ってか知らずか、そういう明らかな間違いを放置している部分もあったりして、このあたりは大作曲家といえど人間ぽいところかもしれません。

そしてバッハは、直筆譜の最後には必ずSDGと書いていました。これはSoli Deo Gloriaの略で、ただ神にのみ栄光というプロテスタントの基本的な教えのひとつだそうです。