今日の日曜日は、三位一体節後第10主日にあたります。
実際の教会で行われた演奏会の模様を収録したDVDは、ガーディナー先生に限らずいろいろあります。それらを見ると、たいがい礼拝堂の前方をフルに使って、歌手、楽器奏者が並んでいます。
このくらいの人数、つまりガーディナー先生の場合ならモンテヴェルディ合唱団とイングリッシュ・バロック・ソロイストの面々で合わせて30~40人くらいは何とか檀上に上がれるものだと思ってしまいます。
しかし、18世紀前半、バッハが実際に毎週教会で行っていたのは、あくまで礼拝の一部を構成する音楽であって、コンサートではありません。礼拝の中心は、あくまで説教であり、そして聖餐ですから、檀上をすべて音楽隊で占領できたはずはない。
ちょっと前に、バッハがライプチィヒ市に出した請願書からバッハの音楽隊の構成のことを書きました。しかし、さらにいろいろ調べているうちに、これはあくまで「せめて、このくらいは常時欲しい」という希望を述べたものであって、現実にはもっと厳しい状況で毎週の仕事をこなしていたことが理解できました。
ですから、リフキンの提唱したOVPP(One Voice per Part、一声部一人)が、必ずしも嘘っぽい話というわけではないと思い始めました。礼拝堂の前の隅っこの方に全部で20人程度の音楽隊が並んでいるという光景は、現実的な状況なのかもしれません。
三位一体節後第10主日のために書かれたカンタータは、次の3曲がのこされています。
BWV46 考え見よ、われを襲いしこの痛みに (1723)
BWV101 われらより取去りたまえ、主よ、汝 真実なる神よ (1724)
BWV102 主よ、汝の目は信仰を顧るにあらずや (1726)
これらは、いずれも深い悲しみをテーマにしているようで、比較的重々しい響きが多い。
BWV46の冒頭、 厳粛な合唱から、フーガになっていくところが素晴らしい。途中のトランペットの使い方も、なかなか面白い。
BWV101は荘厳な弦の響きが印象的。BWV102は20分程度の7曲からなる標準的な長さですが、前半4曲と後半3曲で2部構成だったようです。