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2021年1月31日日曜日

地獄の黙示録 (1979)

アンチ・ヒーロー・・・というのが、アメリカン・ニュー・シネマを読み解くキーワードならば、「フレンチ・コネクション(1971」や「ダーティ・ハリー(1971)」のような、一定の枠からはみ出した刑事が活躍する映画も、それまでには無かったタイプのものです。

一定の枠からはみ出る、ということは体制側に組み敷かれるのではなく、時には体制に逆らい、自分の独自の価値観で行動するということで、まさにベトナム戦争に対する疑念からいらだつアメリカ一般市民を代弁するキャラクター。

しかし、ペンタゴン機密文書漏洩やウォータゲート事件により、ホワイトハウスの欺瞞が明らかになり、ベトナム撤退が現実になると、これらを主役にしつらえた映画は急速に勢いを無くしていきました。

どちらかと言えば、明るく楽しいエンターテイメント重視した作品が増えるようになりますが、しかし一度病んだアメリカの良心は回復することはなく、アンチ・ヒーローはむしろ社会に定着した普通の存在になりました。

そして70年代後半は、ベトナム戦争を正面から描く映画が次から次へと制作され、「ディア・ハンター1978)」を皮切りに戦争の狂気の中で、兵士たちも一般のアメリカ市民も自分たちの古き良き価値観が崩れ去ったことを総括していくことになります。

そして登場したのが、アメリカン・ニュー・シネマと呼ばれる最後の作品である、「地獄の黙示録」なのです。

原案は、アフリカ大陸コンゴ川の奥地で神のように崇められる人物を描いた1902年のジョゼフ・コンラッドの小説「闇の奥」で、70年代初めにまだ学生だったジョージ・ルーカスらがベトナムに置き換えて映画化しようとしたもの。

しかし、戦時下では実現は無理な話で、ルーカスは「スター・ウォーズ」の制作費を得るために、「ゴッド・ファーザー」の大ヒットで名を上げたフランシス・フォード・コッポラに権利を譲りました。コッポラは、これに様々なモチーフを付け加え、この困難な作品を映像化しました。

泥沼化したベトナム戦争の中で、アメリカ軍ウィラード大尉(マーティン・シーン)は、ジャングルの奥地に自らの王国を作った元グリーンベレーのカーツ大佐(マーロン・ブラント)の暗殺指令を受けます。

ウィラードは哨戒艇で川を遡り、目にしたのはサーフィンをするためベトコンの基地を襲撃する指揮官や、慰問のプレイメイトに狂喜する兵隊、もはや指令も目的も無くただ戦い続ける最前線の兵士などの戦争の狂気です。仲間もウィラード自身も、しだいにその狂気の中に飲み込まれていくのです。

それでも、カーツの王国にたどり着いたウィラードは、カーツからこの戦争でのアメリカの嘘を指摘され、敵と呼んでいた人々がどれほど信念をもって戦っているかを聞かされます。その一方で、暗殺者がいつか来ることは感じていたカーツは、みじめな脱走者ではなく軍人として死ぬことを望んでいることを感じ取ったウィラードはついに使命を決行します。

哨戒艇に戻ったウィラードは、静かにゆっくりと川を下っていく。すべての価値観が失われ、ウィラードの心には恐怖だけが残っていました。殺す側、殺される側の両者が「アンチ・ヒーロー」であるこの映画は、エンド・クレジット無し(後の版では追加)で漆黒の闇の中に消えゆく様に終わります。

1976年3月に始まった撮影はフィリピンの熱帯雨林で行われ、様々なアクシデントに見舞われ、またコッポラの完全主義もあり1年近くかかっています。その後の編集も2年かかり、制作費は予定の1200万ドルを大幅に超過して3000万ドル以上になりましたが、なんと半分近くはコッポラが自ら拠出して完成させました。

1979年の劇場公開版は約2時間半でしたが、2001年に使用されなかったアメリカ批判的なシーンを1時間近く追加して完全版が作られています。さらに無駄をそぎ落とした約3時間のディレクターズ・カット版も2019年に登場しています。

公開当初は、賛否両論がありましたが、特に国外からは高い評価を受けました。現在では、アメリカ国内でも映画史上に残る傑作のひとつとして認知され、「ゴッド・ファーザー」と共にコッポラ監督の代表作とされています。

2021年1月30日土曜日

大統領の陰謀 (1976)

1970年代初め、時のアメリカ合衆国大統領はリチャード・ニクソン。ニクソン政権は、ペンタゴン機密文書漏洩により、メディア、特にワシントン・ポストとの確執を抱えていました。

そして、1972年6月17日、ニクソンの所属する共和党に対抗する民主党本部があるウォーターゲートビルに不法侵入者がいることに気がついた警備員の通報により、5人の男が逮捕されたのです。これが、アメリカ史上、初めて任期途中で大統領を辞任に追い込んだウォーターゲート事件の発端でした。

2018年のスピルバーグ作品「ペンタゴン・ペーパース」では、まさに警備員が不法侵入者に気がつくところで映画が終わっています。そして、そのシーンは、この映画の始まりとほとんど同じ構図になっており、間違いなく意図的につながるようにしています。

撮影はおそらく1975年ですから、1974年8月のニクソン辞任直後から映画化の企画は始まっていると思われます。ワシントンポストの二人の記者、カール・バーンスタインとボブ・ウッドワードは不法侵入事件には大きな陰謀があることを嗅ぎ付け、この大統領にまで疑惑が及んだ事件の取材を続け記事を書きました。彼らが著した「大統領の陰謀 ニクソンを追いつめた300日」を映画の原作としています。

監督は「アラバマ物語」などのアラン・J・パクラ。派手なアクションがあるわけではない、どちらかと言うと地味な政治ドラマですが、手堅くまとめています。ただ、事件関係者の登場人物が多く、事件の概要が中心で、主役になる二人の記者の人間性などの描き込みは物足りない。

外国人としては、あらかじめウォーターゲート事件の一通りの知識を整理しておかないと、ちょっと辛いかもしれません。映画はほぼ事件をなぞっていき、登場人物も実名ですので、ストーリー紹介は省略します。二人の記者は、ニクソン大統領の再選委員会が中心になって、さまざまな違法行為をしていたことを記事にしますが、裁判ではあっさりと証言を翻され、政府機関全体が加担していることが示されます。

最後は、それでも記事を書き続けていくうちに、しだいに事実が明るみに出てくることを示して終了します。さすがに2時間18分の映画では、本当の意味で「大統領の陰謀」を暴き切るには時間が不足です。本来は、パート2、パート3くらいまであって、ニクソンがホワイトハウスを去るところまでを描いて欲しかったところ。

とは言え、やはり二人の記者を演じたもダスティン・ホフマンとロバート・レッドフォードの二人の演技が良い。二人の上司に、ジャック・ウォーデンとマーティン・バルサムという渋い名脇役を配し、「ペンタゴン」でトム・ハンクスが演じた編集主幹ブラッドリーはジェイソン・ロバーズ、ウッドワードの極秘の内部情報提供者「ディープ・スロート」はハル・ホルプロックです。

アカデミー賞では8部門にノミネートされ、助演男優賞(ジェイソン・ロバーズ)、脚色賞、録音賞、美術賞を獲得しました。後期アメリカン・ニュー・シネマの範疇に含まれる作品として、一度は見て損はありません。

ちなみにですが、ディープ・スロートの正体は長らく秘密にされていましたが、2005年になって当時のFBI副長官であったマーク・フェルトであったことが公表されました。ディープスロート本人に焦点を当てた「ザ・シークレット・マン」が2017年に制作されています。

2021年1月29日金曜日

ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書 (2017)

スティーブン・スピルバーグは、2016年7月、「BFG」に続く次回作ととして「レディ・プレイヤー1」の撮影に入りました。数か月後には撮影は終了し、ポスト・プロダクションで多忙な時期、同時進行で急遽別の映画の制作を始めたのです。

2016年12月、第45代合衆国大統領選挙において、共和党のドナルド・トランプがヒラリー・クリントンを破って当選を果たしました。トランプ氏は大統領になる前から、メディアとの対決姿勢を表に出していましたが、当選後、その傾向は顕著となり各メディアの報道を「フェイク・ニュース」と言い切り、自らはSNSを用いた根拠のない主張をするようになりました。

民主党支持者というだけでなく、スピルバーグをはじめとするメディアに携わる人々は、この新しい大統領に対して大いなる危機感を持ったことは想像できます。アメリカ合衆国憲法修正第1条に規定される言論・出版の自由をトランプ氏に突き付けることを、スピルバーグは「今」やらないといけないと思ったのです。

2017年5月に撮影が始まり、11月に映画が完成、その年のクリスマスには公開されるという、早撮りで有名なスピルバーグとしても驚異的な速さで世に送り出しました。

タイトルの「ペンタゴン・ペーパース」とは、アメリカ国防総省の機密文書であり、60年代のアメリカのベトナムへの参戦を中心に、この戦争に対する政策決定の流れを客観的にまとめあげたもので、1971年、ニクソン大統領の元に提出されていました。

そこには、歴代大統領が欺瞞に満ちた理由により、多くの若者を戦地に送り出していた実態が膨大な資料と共に書き綴られていたのです。最初こそ、友好国の南ベトナムを助けるため、共産圏の進出を抑えるためという大義がありましたが、時が経つにつれ自分が敗戦の大統領にはなりたくないということが最大の戦争継続の理由となっていったのです。

執筆者の一人、実際の戦場も視察してきたダニエル・エルズバーグは、この内容を国民にも知らしめることが正義と考え、機密文書をコピーしニューヨーク・タイムズへ提供し、1971年6月13日にこのベトナム戦争の真実をスクープ掲載したのです。

ベトナム戦争の早期撤退を公約に掲げ票を獲得していたニクソン大統領でしたが、実際大統領に就任後の動きは鈍く、この記事により政府批判が高まることを大変恐れました。あわてたニクソンは、国家の機密の漏洩は重大な犯罪だとして、ニューヨーク・タイムスに記事の差し止めを指令します。


そこで登場するのが、この映画の主人公たち、ワシントン・ポストの人々です。ニューヨーク・タイムスに比べて、当時のワシントン・ポストは一地方紙に過ぎない扱いで、社主は女性のキャサリン・グラハムです。ワシントン・ポストは、キャサリンの父が築いたもので、父の死後は夫が社を継承していました。しかし、夫が急死したため1969年に突然会社を受け継いだのです。

ワシントン・ポストも、エルズバーグに接触し機密文書を手に入れ、急遽このスクープの続報を記事にしようとします。ポストの編集主幹、ベン・ブラッドリーは、報道の自由を守るためにも、当初消極的だったキャサリンを説得します。記事を載せることは、差し止められたニューヨーク・タイムスと同罪であり場合によっては投獄される危険がありました。

それまで、社主でありながら、あまり物言えぬキャサリンでしたが、新聞に対する父や夫の信念を思い起こし、GOサインを出すのです。その結果、両新聞社はニクソン政権から訴訟を起こされ、最高裁まで争いますが、判事は「建国の父たちは報道の保護を与え、それは民主主義の基本である。報道が仕えるのは統治者ではなく国民である」として政権の訴えを退けるのでした。

そして、映画ではニクソンが、今後はワシントン・ポストをホワイトハウスから一切締め出すように通達しているシーンにかぶさるように、民主党本部への不法侵入者に警備員が気がつく場面で終了します。いつも余計な後日譚で水を差すスピルバーグですが、これは明らかにニクソンが任期途中での辞任に追い込まれた引き金であるウォーターゲート事件のイントロダクションです。

ペンタゴン・ペーパース漏洩と合わせて、近代アメリカ政治の黒歴史を語る上で絶対に外せないところであり、絶妙なエンディングと言えると思います。スピルバーグは、ニクソンをそのままトランプに置き換えても成立するような作りの中で、トランプ氏の未来を暗示していたのかもしれません。

現実に、トランプ氏は二期目の当選を逃し、大統領の椅子に固執した姿はあまりにも見苦しい。途中辞任はなかったにせよ、アメリカ政治史に大きな汚点を残した議会乱入事件を先導するような結果に終わったことがすべてを物語っているようです。

トランプ氏の仮装をしたりして、批判側の一人だったのが大女優メリル・ストリープ。対してトランプ氏は「過大評価された女優」とやり返したりしていました。ストリープは、おそらく二つ返事でキャサリン役を承諾したのではないでしょうか。

ストリープは、まだ社主として未熟で自信なさげなキャサリンが、記事をのせるという社運を賭ける大決断をするまでの苦悩と共に成長する様子を見事に演じています。この演技で、アカデミー主演女優賞にノミネートされ、21回目というアカデミー最多ノミネート記録になっています。

スクープの匂いに敏感に反応し食いついていく、まさに新聞屋ベン・ブラッドリーはトム・ハンクス。スピルバーグ作品は5回目の登場で、勝手知ったる現場でスムーズな現場進行にも寄与しただろうと思います。

この映画に満足したら、どうしてももう一本見ておくべき映画があります。その話は次回に。

2021年1月28日木曜日

追憶 (1973)

60年代後半から始まり、70年代に世界中に広がった女性の権利解放運動がウーマンリブ(Women's Liberation)でした。今は、女性に限らずLGBT全体も含めての権利獲得運動が続いており、女性に特化した表現は過去の物になっています。

ウーマンリブが主題ではありませんが、そういう時代の空気とうまくマッチしたことで、アメリカン・ニューシネマの恋愛部門の代表作となった作品です。中島みゆきは大ヒットした「糸」で男女のめぐり逢いを縦と横に糸に例えましたが、この映画では布に織られることが無く、そのまま縦は縦のまま、横は横のまま伸びていくのです。

監督はシドニー・ポラック。原案と脚本がアーサー・ローレンツで、ローレンツは政治色の強い女性活動家をメインにした内容を作り上げましたが、ポラックは男女のロマンスを中心にしようとして対立しました。結果としては、学生運動主体であればすでに「いちご白書」のような秀作が登場していたので、ポラック趣味が適度に混ざったことでこの映画独自の世界が表現されたと言えそうです。

主役は、理想主義者で政治的主張が強いケイティは、ユダヤ系アメリカ人で歌手としても名をあげていたバーバラ・ストライサンド、いわゆるノンポリで皆の人気者であるハベルは、70年代を代表するイケメン俳優のロバート・レッドフォードがそれぞれ演じています。

レットフォードは、すでに「明日に向かって撃て」、「スティング」などで人気はうなぎ上りでしたし、ポラック監督との相性も良く、この後多数の作品に出演しました。

第2次世界大戦前、学生時代に知り合い別々に歩んでいたケイティとハベルは、戦後に偶然再会し、恋人同士氏となり結婚します。ハベルは脚本家になり、明るく楽しく生活し、ある程度いい加減なところもある。一方、学生の頃から政治活動をしていたケイティは、几帳面でハベルの仲間たちの軽いところが好きになれない。

50年代になると、いわゆる「赤狩り」が始まり、ハベルが盗聴器を仕掛けらたのをきっかけに、ケイティは政治運動を再開するのです。二人は関係はどんどん離れ、ついには別れることになりました。それから何年もたち、政治活動中のケイティは偶然にハベルと再会しますが、両者とも新しいパートナーを見つけて別々の人生を歩んでいて、再び交わることはありませんでした。

ハベルのブルジョアとしての調子の良いところと、ケイティの理想に走る青臭さは、どちらもわかる気がします。そして、あまりにも正反対の二人が、ハッピーエンドにならないことは当然といえば当然。ハベルにあと少しの忍耐、ケイティに妥協する勇気が無かったということでしょうか。

テーマ曲はストライサンド自ら歌い大ヒットし。今ではポップスのスタンダードとして知らない人はいないと思います。あの頃の思い出はいろいろあったけど、もう交わることのない二人は別々の道を生きていくという内容を切々と歌い上げています。

2021年1月27日水曜日

M★A★S★H マッシュ (1970)

アメリカン・ニュー・シネマは、シリアスな悲劇的なものばかりを取り上げていたわけではありません。コメディ・・・それも、目一杯ブラックな笑いを詰め込んだ作品がこれ。

1950年に始まった朝鮮半島を南北に分けて同じ民族が戦う事態に、ここでも共産圏の侵攻を阻止しようとアメリカが参戦します。1953年に休戦しましたが終戦ではないため、実は形式的には今でも北朝鮮とアメリカは交戦状態が続いているというのが、いまだに問題になっている。

それはともかく、この戦争で前線に近い場所に仮設されていた野戦病院が、マッシュと呼ばれる陸軍移動外科病院(MASH, Mobile Army Surgical Hospital)です。ここを舞台に、ロバート・アルトマン監督が、戦争に関わる人々を皮肉たっぷりに描いた映画です。

特に何も考えずに見ると、メインとなる明確なストーリーが無いため、くだらない笑いの連続のドタバタ・コメディになってしまうかもしれません。

ホークアイ(ドナルド・サザーランド)とデューク(トム・スケリット)の二人の外科医が赴任してくるところから始まり、さらに昔なじみのトラッパー(エリオット・グールド)も加わります。彼らは軍の階級としては大尉。かれらは手術室を離れると、下品で節操という物がなく、それでも大半の仲間と打ち解けていきます。

元からいたいまいちな外科医、バーンズ少佐(ロバート・デュヴァル)は聖書バカで、そんな彼らを疎んじている。そこに新看護婦長(今は師長と呼びますが)として、ちょっと美人ですが軍紀を重んじる堅物のホット・リップス(サリー・ケラーマン)が赴任。

バーンズとホット・リップスは、MASHの風紀の乱れを上に直訴したりするうちに深い仲になっちゃう。いちゃいちゃしているところを隠しマイクでMASH中に放送され、バーンズは精神的に不安定になって更迭。ホット・リップスは、シャワー中にテントが取り払われて皆の見世物になってしまう。

歯科医が自分がゲイであることに気がつき、男としての自信を無くして自殺すると言い出し、皆で最後の晩餐を行うことになる場面は、まさにダ・ヴィンチの「最後の晩餐」のパロディ。冒頭のタイトルバックとこの場面で流れるのはMASHのテーマで、「自殺は痛くない」と歌い上げます。ちなみにこのメロディにほれ込んだのが、ジャズ・ピアノのビル・エバンスで、何度も取り上げた重要なレパートリーになっています。

ホークアイととラッパーは日本に出張して、ここでもハチャメチャぶりを発揮します。視察に来た准将が率いるフットボール・チームと対決することになって、貧弱なMASHチームは、相手の中心選手に鎮静剤を注射したりして何とか勝利します。そして、ホークアイとデュークに帰国命令が届き映画も終了。

医者の立場からみると、手術室では劣悪な条件下でも医師としてはまともな仕事をしている(ように見える)ところは嬉しい。だからこそ、ふだんのバカげた行いとの対比が際立つというものです。

セリフはほとんどがアドリブで、脚本を書いたリング・ラードナーは仕事を台無しにされたと激怒しましたが、皮肉にもアカデミー賞で脚本賞のみを獲得しています。監督は離れた場所からズームでの撮影を多用して、俳優が自由に演技をできるようにしています。

逆に俳優からすれば、今誰が撮られているのかよくわからず、あちこちで勝手に演技をして会話も被りまくるという不思議な状況。一時は、こういうやり方に対して監督との対立もあったらしい。

しかし、この出演者の出たとこ勝負のようなリアルなライブ感が、普通に作ったらめりはりのない平坦なストーリーに起伏をもたせる推進力になっています。そしてとにかく最初から最後まで、徹底的に戦争を笑い飛ばし皮肉ることで、当時の多くのアメリカ人の留飲を下げたことは間違いありません。

もっとも、10年以上前の朝鮮を舞台にしたからできたわけで、現在進行形だったベトナム戦争を映画が直接扱えるようになったのは1973年のアメリカの完全撤退後からです。

2021年1月26日火曜日

エナジードリンク


一頃から、何か流行ったもの。

エナジードリンク・・・

って、元気がでる飲み物ってことですか?

それだったら、もともと日本語的には滋養強壮飲料というジャンルがあって、何か力になりそうな成分がてんこ盛りになったのがたくさんあります。

元気が出る素は、一番が即効的にエネルギーに変換できるブドウ糖。それと、興奮作用があるカフェインなんかが主な成分。

ビタミン類は、まぁ、オマケみたいなものかと。

カタカナで呼ぶようになっても、中身はたいして変化ありませんが、オヤジの飲み物から若者に消費者を拡大した功績はありますね。

2021年1月25日月曜日

イージー・ライダー (1969)

泥沼のベトナム戦争の中で、同時代のアメリカの若者たちを描いたこの映画は、やはりアメリカン・ニュー・シネマの代表作の一つとして記憶されてます。

麻薬で一儲けしたキャプテン・アメリカと呼ばれるワイアット(ピーター・フォンダ)とビリー(自ら監督も務めたデニス・ホッパー)の二人は、改造バイクでロサンジェルスから南に向かってあてのない自由な旅に出ます。

そもそも西部開拓時代の名保安官を連想させる、ワイアットというネーミングからして皮肉たっぷり。しかも別名がキャプテン・アメリカで、被るヘルメットには星条旗があしらわれているという念のいりよう。ビリーと言えば、同じく西部開拓時代のアウトロー、ビリー・ザ・キッドを思い出します。

ステッペン・ウルフのノリノリの「ワイルドで行こう(Born to Be Wild)」は、かれらのバイク行のテーマであり、曲としても大ヒットしたので馴染みがある人は多い。しかし、まだまだ昔ながらの雰囲気が強く残る南部の地域では、彼らのような若者は当然忌み嫌われ、宿は断られ野宿をするしかない。

たまたま通りかかった街でパレードに遭遇し一緒になって楽しむと、許可なしにパレードに参加したことで牢屋に入れられてしまいます。ここで、酔っ払いの弁護士ジョージ・ハンスン(ジャック・ニコルソン)と知り合い、三人でニュー・オリンズの謝肉祭(マルディ・グラ)に行くことになる。

しかし、南に下るほど彼らに対する風当たりは強くなり、野宿中に何者かに闇討ちにあったりするのです。マルディ・グラも何の感動も与えてもらえず、ワイアットとビリーは再びバイクのたびに出発しますが、一台のトラックがビリーに対して散弾銃を放つ。さらにワイアットにも発砲し、バイクもろとも吹っ飛んだキャプテン・アメリカは死んでしまうのでした。

これが、まさに60年代末のアメリカの過酷な現実だったのだろうと思います。束縛を嫌い自由と愛と麻薬に生きる若者と、古き良きアメリカを知る人々との対立の深刻さ。そこにはアメリカン・ドリームと呼ばれるような、楽観的な希望は介在する余地がありません。

体制に背を向けることは、少なくとも勝者にはならない。そういうあきらめにも似た心境が、若者たちの間に蔓延していたのかもしれません。しかし、その中で、明らかに今でも確実に残されている文化が育ったことも否定できない事実です。

2021年1月24日日曜日

俺たちに明日はない (1967)

アメリカン・ニュー・シネマ・・・という用語があり、1967年の「俺たちに明日はない」から始まり、1979年の「地獄の黙示録」に終わる時期に作られ、ベトナム戦争に対する反戦意識から、反体制的な心情を表現する内容を持つアメリカ映画と定義できます。

まさにこの時期に、多感な中高生時代を過ごした自分としては、映画と言うのはこういうものという意識を刷り込まれた作品群がそこにあります。

第2次世界大戦で消耗したのはハリウッドも同じでしたが、そこから50年代までは一気に国力を回復し、映画も大作主義的な作品が増え、スター・システムにより内容よりも豪華絢爛な俳優が活躍する作品がもてはやされました。

しかし、60年代はテレビの普及により、映画業界は縮小を余儀なくされます。国内ではテレビに太刀打ちできないため、差別化のためヨーロッパに出ていく作品が増えました。その中で、60年代後半に若い監督・演出家・俳優などの中から、もう一度国内の身近な所で誰にでもありそうな内容のストーリーを映画化する動きが始まりました。

そこには、ベトナム戦争が泥沼化し、人種差別が強まったことなどの社会的な背景が強く関係しています。自由を求める若者たちは、時には反体制運動を活発化させ、一方でドラッグに溺れ現実から逃避する傾向が顕著となります。

概して、これらの映画は、どの時代を描いても若者が中心の話であり、暴力を映像美として積極的に描き、たいていハッピー・エンドでは終わらない。悲劇と喜劇が同居して、容姿よりも演技力が俳優に求められました。作り物のセットよりも、屋外でのロケ撮影が中心になり、それらが映画製作にかかる費用を抑えることにつながりました。

しかし、これらの映画は今までになかった視点を観客に提供すると同時に、しだいに現実から来る窒息感もあったわけで、72年のコッポラの「ゴッド・ファーザー」の成功以後、70年代半ばからは映画の娯楽性が復権することになり、アメリカン・ニュー・シネマによって構築された作家主義的な作りに「商業的成功」を伴うエンターテイメント性が求められるようになったのです。

これには73年のアメリカ軍撤退、75年のサイゴン陥落、ベトナム戦争終結が大きく関係しており、若者は反戦の対象を喪失し、人々はよりハッピーなものを求めるようになりました。その流れのなかで、アフター・ニュー・シネマの代表的な映画監督としてハリウッドを牽引した一人は、間違いなくスピルバーグです。

世界恐慌の1930年代に実在した犯罪者を「ヒーロー」として描き、それまでタブーとされていた内容を多くスクリーンに描写したことで、「俺たちに明日はない」は画期的な作品でした。

特にラスト・シーンはあまりにも有名で、たくさんの銃弾を浴びて殺される主役のボニーとクライドが、スローで捉えられ踊るように死んでいく姿は「死のバレエ」と呼ばれ、観客だけでなく映画関係者にも大きな影響を与えました。

監督はアーサー・ペン、制作は主役のクライド・バロウを演じたウォーレン・ベイティ。ボニー・パーカーには、デヴュー間もないフェイ・ダナウェイ。クライドの兄バックはジーン・ハックマン、その妻ブランチはエステル・パーソンズ、車の整備係のC・W・モスはマイケル・J・ポラードが演じました。

刑務所から出所したばかりのクライドは、平凡な毎日に飽き飽きしていたボニーと知り合い、バック、ブランチ、C・Wを仲間してバロウズ・ギャングとして、銀行強盗を繰り返していました。貧しい銀行は襲わないことが評判でした。

テキサスの公安を担うヘイマーは彼らの逮捕に執念を燃やし、まずバックとブランチを捕らえます。彼らの自白により居所を突き止め、ついに車に乗っていたボニーとクライドを射殺。映画は音楽無しで、衝撃のラストとともに「THE END」で幕を閉じます。

監督は、超アップと遠景を多用し、また見上げるような急角度の撮影を織り交ぜて、見ている物に不安感を抱かせることに成功している。唐突に終わるところで、衝撃の余韻は長く続き、二人の行いを正当化もしませんが、否定もしない。

旧来の分類でいえば「ギャング映画」ですが、ボニーとクライドは本来の悪党ではなく、仲間に入った連中も元々は恐慌吹き荒れる中で普通に生活していた者たち。悪事を働きつつ、普通の生活に戻ることに憧れ、時にはそれをコミカルに描き、刹那主義的な反体制側の人間像を浮き彫りにしました。

メディアは、批評に際して今までになかったタイプの映画と直感し、「アメリカン・ニュー・シネマ」という代名詞を冠したことで、その先駆けとして今日まで認知される名作映画となっています。

ちなみに原題は「Bonnie and Cryde」ですが、当然アメリカの犯罪者の名前など知られていないので、日本公開に際して配給会社が考えた邦題が「俺たちに明日はない」でした。安保闘争などが盛んだった時代の雰囲気とマッチした、優れた命名と評価されています。

2021年1月23日土曜日

BFG (2016)

スティーブン・スピルバーグもついに70才、映画監督としてメジャー・デヴューして45年を迎えたこの年、送り出した映画は・・・得意なファンタジー。イギリスの児童文学作家として有名なロアルド・ダールが1982年に著した「BFG: ビッグ・フレンドリー・ジャイアント」です。

ダールは、ティム・バートンの監督作でお馴染みの「チャーリーとチョコレート工場」の原作者。ウェス・アンダーソン監督の「ファンタスティックMr.FOX」の原作でも有名です。他には「007は二度死ぬ」や「チキ・チキ・バン・バン」の映画脚本も手掛けています。

「BFG」の原作は「オ・ヤサシ巨人BFG」という邦題で出版されています。キャスリーン・ケネディらが映画化の企画を始めたのは1991年に遡り、紆余曲折があってスピルバーグが監督で軌道に乗ったは2014年の話。

スピルバーグは「タンタンの冒険」で用いたモーション・キャプチャー技法によって、巨人たちをスクリーンに再現しました。「タンタン」のようにほぼCGアニメーションという構成だったらちょっと辛いところなのですが、ここでは巨人に限られる。主役のBFGは、前作「ブリッジ・オブ・スパイ」でソ連のスパイを演じたマーク・ライランスが演じ、巨人向けにデフォルメした外見で、極端な特殊メークをした感じなので許せるところ。

もう一人の主役、孤児院で育った10歳のソフィーを演じるルビー・バーンヒルはオーディションで選ばれ、中盤まではほとんど出すっぱりの一人芝居みたいなもので、難しい役柄ながら度胸が据わった演技を見せてくれます。

ある夜、たまたまBFGを目撃してしまったソフィーは、人に喋られると困るため、BFGによって巨人の国に連れ去られます。BFGは不思議な泉で「夢」を捕まえて、それを街に出た時に寝ている人々に見させることを仕事にしていました。

巨人の国には、BFGよりも大きな9人の獰猛な巨人がいました。彼らは人間のこどもさらっては食べてしまう連中で、BFGのことをチビ呼ばわりしてバカにしています。BFGのところにソフィーがいることに気がついた9人は、家をめちゃめちゃにして探し回るのです。

ソフィーはBFGに、こどもたちが巨人に食べられる怖い夢を調合して、何とバッキンガム宮殿で就寝中の女王に見させ、驚いて目が覚めた女王にBFGを引き合わせます。そして、悪い巨人を退治してほしいとお願いしました。

女王は軍を出動させ、巨人たちを捕獲し遠い遠い孤島に隔離し、BFGは安心して暮らせるようになりました。ソフィーも宮殿で暮らせるようになり、めでたし、めでたし。

・・・と。まぁ、荒唐無稽な話で、言ってみればスピルバーグにとってはお茶の子さいさいのジャンル。家族向けで安心して見れるファンタジー・アドベンチャーとしては、それなりにまとまっています・・・が、やっぱり、スビルバーグを全部見ると決めなきゃ見ないかなと思いました。

2021年1月22日金曜日

ブリッジ・オブ・スパイ (2015)

今回のスティーブン・スピルバーグの監督作は、1957年に実際にあったソビエト連邦のスパイ逮捕から話が始まり、主要人物は実名で登場しています。

ジェームス・ドノバンはアメリカの有能な弁護士で、ソビエトのスパイ活動をしていたルドルフ・アベルの弁護をすることになります。アベルは二重スパイになることを拒否し、黙秘を貫いていました。

当時は、東西冷戦の緊張がどんどん増している時期で、アメリカ人は本当にソビエトが核攻撃をするかもしれないという潜在的な恐怖を抱いていたのです。アベルを裁判にかけることは、形の上で正義を守った体裁を整えるためで、当然死刑が妥当と誰もが思っていました。

しかし、ドノバンは自らの信念に従い、アベル逮捕の違法性などを指摘し、いずれ何かの時・・・つまり、アメリカ人が敵国に捕まった時の交換要員として重要であると司法を説得し、死刑を回避することに成功しました。このため、ドノバンは周囲から誹謗中傷を受けることになります。

実際には5年後の1962年のことですが、映画では同時進行で、ソビエトを高高度からスパイするためにU-2偵察飛行機で飛び立つゲーリー・パワーズ大尉と、東ドイツのアメリカ人大学生、フレデリック・ブライヤーの話が交錯します。U-2は撃墜されパワーズはソビエト側に捕まり、連日過酷な尋問をうけます。プライヤーは、ベルリンの壁が築かれたため、西側に脱出しようとして東ドイツにスパイ容疑で逮捕されました。

アメリカ政府はパワーズを奪還するために非公式の交渉人としてドノバンを指名します。ベルリンに渡ったドノバンはまだ未来があるプライヤーのことを知ると、ソビエトのKGBとはパワーズ、東ドイツとはプライヤーをアベルと交換で開放するように折衝しました。

そして、ポツダムのグリーニッケ橋で、アベルとプライヤーを交換。同時に別の場所の国境検問所でプライヤーが開放されたことを確認し、ドノバンは高度な政治的難題を見事に解決することができました。

ドノバンを演じたのは、スピルバーグ作品では4度目の登場となったトム・ハンクス。いかにも正義を貫くアメリカ人らしく、祖国への忠誠を崩さないアベルに対しても理解を示し、家族に対しても誠実な父親という役柄はぴったりです。

アベルはマーク・ライランスで、本作でアカデミー助演男優賞を獲得し、この後もスピルバーグの常連になりました。沈着冷静で、自分の立場に怖れをなすことがなく、死ぬかもしれないことがあっても、それを怖がることは何の役にも立たないと平然としています。

タイトルは橋の上で人質交換をしたことから来ており、ドノバンが1964年に著した「Strangers on a Bridge」を原作としています。おそらく基本的には事実通りでフィクションはあまり多くはないように思いますが、列車でベルリンに入る際、ドノバンが壁を越えようとする市民が銃撃されるのを目撃するシーンはストーリーをより深める映画的な部分。

ドノバンが地下鉄に乗っていると、以前は新聞に載った自分の写真からスパイの味方をしたと非難の眼差しを向けられました。しかし、ニューヨークに戻り、困難な人質交換を成功させたことが報じられると人々は祝福の眼差しを送るのです。そして、ふと外に目を移すと、こどもたちが家の裏庭の柵を乗り越えていく様子が見え、ここには危険が無いことに安堵するシーンで映画は終わります。

ここで、例によってスピルバーグの親切と言うか、大きなお世話と言うか、ドノバン、アベル、パワーズ、プライヤーのその後が文字で語られる。アベルやパワーズは敵国に情報を漏らしたと疑われ辛い目にあったかもという心配はありますが、それはこの映画で語られるところではありません。そこまで、何でも説明しなくてもいいと思うんですけどね。

ちなみに音楽を担当したのは、「ジョーズ」以来、長年ほとんどの作品で担当してきたジョン・ウィリアムスが体調不良のため降板し、トマース・ニューマンが初めて起用されています。

いわゆるスパイ・アクション物ではありませんが、現実的なスパイの人間性、そして民間人がスパイではないにもかかわらず奔走する様子を描く作品として上々の仕上がりになっています。



2021年1月21日木曜日

捨てられた自転車は・・・


ふだん行き来する道路沿いにある光景。

なんか、ガチャガチャと金物っぽい残骸が積み上げられています。多い時は、もっとたくさんのこともある。

複数の外国人労働者らしき人が、せっせと積んでいるのを見たこともありますが、この日は無人。粗大ごみ置き場のような様相。

これ、実は、全部自転車。

よく見るとタイヤらしき丸い所や、買い物かごが見て取れます。けっこうかさばりそうな物ですが、手慣れたもので実に見事に束ねられています。

まだまだ使えそうな自転車もあったかもしれませんが、少なくともここではかなり潰さないと、こう上手くは重ねられない。

金物として、何かに再利用するために売り買いしているんでしょうか。

何となく、自転車の墓場という雰囲気。こどもが成長したなどの理由で、自分もまだ使える自転車を廃棄したことが何度かあるので、これを見るとちょっと後ろめたい感じがします。

2021年1月20日水曜日

リンカーン (2012)

スティーブン・スピルバーグ監督の、アメリカ奴隷制度が関連してくるテーマを持った映画としては、「カラー・バープル」、「アミスタッド」に続く3作品目。タイトル通り、世界的な偉人であるリンカーンを題材にしたもの。

・・・ですが、日本人としては、リンカーンについてどれだけ知っているか。昔、世界史で教わったのは、アメリカの昔の大統領の一人で「人民の人民による人民のための政治( government of the people, by the people, for the people)」を目指すという演説をし、南北戦争を乗り越えて奴隷解放を実現させた人・・・というのがほぼすべてかもしれません。

アメリカの国民にとってはどうなんでしょうか。我々が、例えば伊藤博文について知っていることと言えば、恥ずかしながら、松下村塾の出身で以前の千円札に描かれた政治家。そして満州で暗殺された人というくらいかもしれません。

ほとんどその程度の知識で映画を見ても、もちろん楽しめるとは思いますが、おそらくアメリカ人にとっても、やはり前後の状況を予備知識として知っておくことが大変重要です。ですから、この映画では大変珍しいことに、一番最初に黒のスーツ姿のスピルバーグが自ら登場し、最小限の歴史的背景を話すことから始まるのです。

1809年にケンタッキーで比較的裕福な農場主の家に生まれたエイブラハム・リンカーンは、元々奴隷制に反対する父親とともに、奴隷制度が無かったインディアナ州に移り住みます。20代後半から優秀な弁護士として名を上げ、1942年、メアリー・トッドと結婚します。

1843年に長男ロバート、1846年に次男のエドワード、1850年ら三男のウィリアム、そして1953年に四男タッドをもうけています。しかし、エディは1850年2月に結核で、同年12月にはウィリアムもチフスで失っています。

1846年に国政に進出し下院議員に当選し、その後共和党に入党。当初より奴隷制度に反対する運動を行い、1860年に共和党からの始めての第16代大統領に選出されます。これに対して奴隷制維持を考える南部諸州は連邦からの離脱することになり、1861年4月、ついに南北戦争が始まりました。

1862年9月、リンカーンは奴隷解放宣言を行い、南部地域の奴隷たちの解放を命じたが、それに従うことはほとんどなく、またこの宣言も戦時下の臨時的なものにすぎないことはリンカーン自ら自覚していました。しかし、この宣言によって、奴隷を開放する国民的な議論が大きく進んだことは間違いありません。

北軍が戦いを有利に進める中で、1863年7月のゲティスバーグ(ペンシルバニア州)で行われた有名な演説が、まさに「人民の人民による人民のための政治」です。1964年に大統領に再選されると、奴隷解放を永続的な物とするため憲法の改正を目指すことになりました。

リンカーンが目指した憲法修正第13条は「奴隷制もしくは自発的でない隷属は、アメリカ合衆国内およびその法が及ぶ如何なる場所でも、存在してはならない」というものでした。この修正条項が批准されれば、南北戦争を終結させる力があると考えられていました。

しかし、先に南北の和平が成立させようとすると、南部の奴隷制維持に妥協することになりかねず、また平和になるならわざわざ憲法を修正するまでも無いと考えられていました。リンカーンは憲法改正を急ぎましたが、和平より優先することでより多くの兵士が死ぬかもしれないというジレンマの中にいたのです。

さて、最低限このくらいの歴史的な事実を把握しておいて、いよいよ映画で扱うリンカーン最後の4か月間のストーリーが始まります。しかし、それでもいきなり共和党保守派、共和党急進派、民主党、南部連合、そしてリンカーンの家族を含む近い人々がどんどん出て来ますし、またセリフの多さにはある程度の忍耐が必要です。

ここでリンカーンを演じるのは、名優中の名優、ダニエル・デイ=ルイス。何しろ「マイ・レフト・フット(1989)」、「ゼア・ウィル・ビー・ブラッド(2007)」で2度のアカデミー主演男優賞を獲得し、この「リンカーン」で何と3度目の受賞をすることになります。リンカーンは193cmの長身でしたが、デイ=ルイスは187cm。6cmの差を感じさせない大柄な感じと、長身から来る軽度の猫背などの雰囲気作りはさすがです。

妻のメアリーは「ノーマ・レイ(1979)」、「プレイス・イン・ザ・ハート(1984)」で2度のアカデミー主演女優賞に輝くサリー・フィールドです。こどもを立て続けに二人亡くしたことや、この映画のエピソードが始まる数カ月前に目の前で夫が暗殺未遂に遭っていることなどから、精神的に不安定なところをさらりと演じています。

多くの登場人物の中で、特に注目は共和党内の保守派重鎮を演じるハル・ホルブルックと急進派リーダーを演じるトミー・リー・ジョーンズです。二人とも、リンカーンとの駆け引きで自分の理想を実現させようとしますが、まさにこれらの立場の違いの人々とうまく渡り合うことができるのが大統領としての資質なのかもしれません(時には嘘もつきますが)。異なる立場の人々を切り捨てていくようでは、長く支持されません。

なかなか賛成票を集めきれない状況で、投票日が刻々と迫ってきます。ロビーイストらによる反対勢力の懐柔策を進めてきましたが、リンカーンは、ついに自ら反対の立場をとる人々を一人一人説得して回るのでした。そして、1865年1月31日下院での投票でついに批准されることが決定し、リンカーンの奴隷解放の理念が永続的に維持されることになったのです。

4月1日、北軍のグラント将軍は、南軍のリー将軍の部隊を壊滅に追い込み、4月9日に降伏、ついに南北戦争は終結をみます。そして、4月15日に妻らと観劇中のリンカーンは後ろから銃撃され56歳でこの世を去ることになりました。映画で語られるのはここまで。

21世紀になってから、スビルバーグは政治的発言・活動が増えており、民主党支持者であることは周知の事実です。この政治色の強い映画では、リンカーンの最後の4か月間に絞り、リンカーンの伝記ではなく憲法修正第13条にまつわる政治ドラマを、共和党・民主党・南部連合のそれぞれの立場を比較的公平に描いているとように思います。

現代にも通じるような政治決定がなされるまでのプロセスを、リンカーンを主軸に描いたことで、実は奴隷制度に対する議論そのものはほとんど横に置かれている。もちろん、スピルバーグが奴隷制度を肯定していることはないわけですが、そこはアメリカ人が触れて欲しくない過去なのだと思います。

奴隷制度が無くなっても、搾取される人々の裾野が黒人だけから白人も含んで広がっただけという側面もある。現に、今現在でも黒人に対する不当な扱い方が頻繁にニュースになっていて、すべてを受け入れる自由で民主的なアメリカというイメージとはかなりかけ離れた現実が見えてきます。

単純に名優たちの名演技を見るだけでも良しとしますが、スピルバーグにはあと少し踏み込んだ映画を期待したい。また、それらを公平に評価するだけの器をもった賞があると素晴らしいと思います。アカデミー賞では、12部門にノミネートされ、主演男優賞と美術賞を獲得しています。

2021年1月19日火曜日

戦火の馬 (2011)

スティーブン・スピルバーグが、初めて第1次世界大戦を取り上げた作品ですが、スピルバーグ作品としては比較的レヴューがされていないので、ちょっと見るのがためらわれた・・・ですが、やられた感じ。いや、やっぱり動物を主人公にするのはずるい。感動するしかない映画です。

原作は児童文学家のマイケル・モーパーゴが1982年に発表した物で、2007年に舞台化されたものを、プロデューサーとしてスピルバーグの長年二人三脚をしてきたキャスリーン・ケネディが観劇し、映画化を勧めました。

舞台では当然人形の馬が登場していたわけですが、ここでは本物の馬(なんだかんだで十数頭使われた)が、雄大な牧歌的な自然の中から、戦場に駆り出され、たくさんの人々の手を経て元の飼い主のもとに戻るまでを演じるのです。

一見馬が主役のようですが、このジョーイと名付けられた馬に関わるそれぞれの人々が、その時々の主役であり、馬を通して戦争の敵味方、そして戦争の犠牲になる民間人などが繋がっていくところが素晴らしい。それらは、すでに戯曲の時点で大筋が出来ているわけですが、スピルバーグは、比較的短期間の間にリアルな映像として仕上げてしまいました。

冒頭、20世紀初頭、イギリスの田舎、広大な田園風景からしだいに寄っていくところは、「サウンド・オブ・ミュージック」を思い起こします。近くの牧場で生まれた仔馬が、町で競りに出され、貧しい農家を営むテッドは、地主と競り合い農耕馬向けではないサラブレッドを連れて帰ります。

息子のアルバート(ジェレミー・アーヴァイン)は、馬をジョーイと名付け、一手に世話をして農耕馬にも負けない仕事ができるほどに調教します。しかし、イギリスとドイツが開戦したため、金が無い父親はジョーイを軍用馬として売ってしまいました。

ニコルズ大尉の元で、ジョーイは抜群の走破能力を開花させ、フランスで騎馬隊として初の実戦に臨みますがニコルズは戦死、ジョーイと盟友トップソーンは殺されるところを若いシュレーダー兄弟の提案でドイツ軍の傷痍兵輸送馬車をさせられるのです。

兄は馬の世話、弟は前線に向かわされることになり、弟を守るという母との約束のために兄は弟を連れ出しジョーイとともに脱走しますが、風車小屋に隠れているところを軍に発見され、二人は銃殺されてしまうのでした。

馬を発見した少女エミリーは、ジャム作りで生計を立て祖父と二人暮らし。両親は戦争で亡くなっていて、最初は馬を飼うことを反対した祖父もエミリーの熱心さに負け、母親が使っていた鞍を与えます。しかし、ドイツ軍に見つかり「戦争は皆から大切なものを奪う物さ」と言われ、大砲を引く馬として取り上げられてしまいます。

次に二頭の世話をするのはドイツ兵のフリードリヒで、二頭が名馬で大砲を引くような過酷な仕事には向かないことを知っていました。しだいに弱っていくトップソーンをかばうジョーイでしたが、ついにトップソーンは倒れます。敵の戦車が向かって来る中で、フリードリヒは「何とか逃げてくれ」とジョーイを放つのでした。ジョーイは戦場の中を突っ走りますが、有刺鉄線がからだに絡まってついに動けなくなります。

その姿を発見したのは、お互いの塹壕の中からにらみ合っていたイギリス軍とドイツ軍でした。双方から、コリンとペーターが中央のジョーイのところに行き、協力して助けます。コイントスで、コリンがジョーイを連れていくことになり、二人は握手をしてそれぞれの陣地に戻るのです。

コリンは自軍の基地にジョーイを連れて帰ると、戦火の中を生き延びた馬の話は瞬く間に噂になっていました。ケガをしているジョーイは殺されることになってしまいますが、出征していたアルバートと奇跡的な再会を果たすのです。

終戦によりジョーイは競売に出されるのですが、仲間たちが金を工面しアルバートを応援します。しかし、大金で競り落としたのは、エミリーの祖父。死んだ孫娘のためでしたが、ジョーイの素振りからアルバートが本当の飼い主と理解し、ジョーイをアルバートに渡すのです。アルバートとジョーイは、連れ立ってついに故郷に帰ることができるのでした。

夕日の中、農場に戻ってくる様子は「シェーン」の逆バージョンのようです。そういうスピルバーグの名作映画に対するオマージュのようなところも垣間見えますが、全編を通して、美しい田園と狂気の戦場の対比が素晴らしい。戦争の中では、両者が隣り合わせであることが伝わります。

「プライベート・ライアン」では人が死んでいくことを、リアルな戦場の残酷さの中に描き切ったスピルバーグですが、この映画でもCGなどに頼らない描写は冴えています。ただし、今回は、あくまでも人や馬がいかにして生き延びるかという視点からの演出です。ジョーイに関わった人々は、現在の不幸を一時忘れて、同様に生きることを考えるようになるのです。馬からみれば、敵味方は無く、民間人も関係ない、すべてがただの人間に過ぎないということ。

2012年のアカデミー賞では6部門でノミネートされましたが、この年は現代に蘇ったサイレント映画「アーティスト」にさらわれてしまい、無冠で終わっています。しかし、この映画よりも先に企画がスタートしていた次作「リンカーン」で雪辱を晴らすのです。

2021年1月18日月曜日

iPhone12


スマホをiPhoneに変えたのは2017年5月。

アップルが大嫌いなのに、iPhoneの軍門に下るというのは屈辱的だったんですが、まぁそれはいいとして、3年使ったあたりから明らかにバッテリーの減りが早くなった。

まぁ、家では充電できるし、クリニックでも充電できるし、後は車の中だけという生活ですから、まぁいいやと思っていた。

ところが、さすがに車の中でも充電していないと不安な状況になってきて、さすがに不安。ついに、年末には充電を忘れて一晩で1%になっていた。

これはさすがに怖いです。

使っている7plusは、次の8の次のXの次の11の次の12が出ましたから、デジタルガジェットとしては紀元前みたいな扱い。

通信方法については5Gが話題。とは言っても、テリトリーの横浜市北部で5Gが使えるのはいつのことになるのかわからない。

でも、また次に買い替えるのは少なくとも3年くらいは先の事になるんでしょうから、機能的には11でもいいんですが、ここはiPhone12を買うことにしました。

以前のようにXPERIAに戻ろうかと本気で考えたんですが、機種変更でのデータ移行の面倒を考えると、もうiPhoneでもどうでもよくなった。

なにしろiOS12以降備わった、クイックスタートと呼ばれているiPhone同士の機種移行の簡単さは飛び抜けています。LINEだけ、事前にアプリ独自でバックアップしておく必要がありますが、他は新旧iPhoneを並べて置いておくだけ。

バカチョンで、数分間でパーフェクトです。Gmailだけでなく複数のPCメールをまとめて受信できるサードパーティのメールだけ心配でしたが、これも問題無しです。

ちなみにお金がかかるのでiCloudは増量もしていないし、そもそもシステムのバックアップ以外では使っていません。

7Plusと12と比べると、狭額縁になった分、大きさは小さいのに画面の面積はほぼ同じなんですね。はっきり言って、iPhoneのカメラには期待していないので、もうplusとかMAXとかいらない。

年取るとこだわりが増して頑固になる部分と、あっさりこだわらなくなるところがある、スマホについては後者ということでしょぅかね。

2021年1月17日日曜日

ウィズ (1978)

映画「オズの魔法使」のヒットもあり、この話をモチーフとした派生作品はこれまでにたくさん作られています。しかし、1939年の映画のインパクトが強すぎるためか、どれも成功とは云い難い。


その中で、キャストを全員黒人にしたブロードウェイ・ミュージカル「ザ・ウィズ」は、1975年のトニー賞を総なめにして大ヒットになりました。当時、ブラック・ミュージックの総本山だったモウタウン・レコードは、早速、映画化権を取得しました。

監督はアカデミー名誉賞に輝く名匠シドニー・ルメット。舞台でのチャーリー・スモールズの主な楽曲はそのままに、クインシー・ジョーンズが手を加え、よりポップな出来映えの音楽が聴きごたえがあります。

キャストは、主役のドロシーには、自ら半ば強引に売り込んだダイアナ・ロス。当時のモウタウンの稼ぎ頭であり大スターです。かかしには、やはり人気急上昇中のマイケル・ジャクソン。マイケルは、この映画でクインシーと出会い、タッグを組んだことでその人気が爆発的なものになりました。

リアルタイムでも最高のキャスティングで、さぞかし凄いヒットを飛ばしたのかと思うと、他の関連映画と同様に興行的には大失敗。巨額な制作費を回収できず、批評家たちからもボロカス扱いされました。

最大の理由は、34才のダイアナ・ロス。16才だったジュディ・ガーランドでさえ、よりこどもの役作りに苦労したというドロシー役ですから、いくら設定を学校の先生に変えても、無理があるというものです。言ってみれば、吉永小百合が「おしん」の子供時代を演じるようなもの。

すでに少女としてドロシーは国民的なイメージが出来上がっていいたので、いくらダイアナ・ロスが歌唱で評価されても、これを受け入れることは難しかったようです。

しかし、スタジオとニューヨークの各所での大がかりなロケ、今でも通用する斬新なダンス・シークエンス、そしてマイケル唯一の映画出演などにより、その価値はじわじわと認められ、いわゆるカルト映画として命をつないでいます。

実は、まだビデオが普及していなかった時代で映像は見ていなかったにもかかわらず、自分は2枚組のサントラ・レコードを持っていました。まさに二人の人気歌手の競演という理由だけで買ったんですが、音楽だけでもわくわくして大変楽しかったものです。

今では簡単に高画質で映像を簡単に楽しめるなんて、思いもよりませんでした。あらためて見ると、やはりマイケルはすごい。そしてダイアナ・ロスの演技は、表情や台詞がオーバー・リアクションで見るに忍びない。巨大なピアノを演奏しているのが、実はクインシーというのが発見だったりします。

というわけで、マイケル・ジャクソン、モウタウンの音楽のファンは一見の価値がある映画ということでいいんじゃないでしょうか。

2021年1月16日土曜日

オズの魔法使 (1939)

1931年、日本で公開されたゲイリー・クーパーとマレーネ・ディートリヒが主演した映画「モロッコ」は、国内初のトーキーであり、これをきっかけに「悪魔の手毬歌」事件が岡山県の総社で起こりました・・・って、そっちの事は金田一さんに解決してもらうことにして、世界で最初の映像と音声が同期して映写されたトーキー映画は1927年の「ジャズ・シンガー」と言われています。

それまでは、サイレント映画で、基本的に映像だけ。時々最低限の文字画面が出るだけ。日本では、活弁士と呼ばれる「解説者」が、ストーリーや台詞を代弁して説明するスタイルでした。まぁ、動く紙芝居みたいな感じでしょうか。

映画産業にとって、トーキーの発明は革命的だったわけで、特に音楽を重視した映画については、トーキーの発明無くしてはありえなかったことは疑いの余地がありません。1936年公開の「巨星ジークフェルド」は、最初の成功したトーキーのミュージカル映画とされている。

・・・らしいです。なんたって。85年前ですよ。85年前って想像できます? 昭和のおじさんでも、戦争を知らないこどもたちには無理、無理。でもって、精一杯、寄せて知っているのは「オズの魔法使」ということになるわけです。

魔法使い、だろうと思うかもしれませんが、「魔法使」で送り仮名が無いのが正式の邦題。1939年の公開で、巨星に続いてMGM映画です。ハリウッドのミュージカル映画については、40年代から50年代にかけて、MGMが間違いなく先頭を切って引っ張っていました。

特に「オズの魔法使」は、当時としては超珍しいカラー作品で、公開時から大評判になりました。ところが、残念ながらアカデミー賞は「風と共に去りぬ」に持っていかれてしまいましたけどね。もっとも、どっちも監督はヴィクター・フレミングですから、どっちに転んでも監督は嬉しい。

原作は1900年に発表されたライマン・フランク・ボームの児童文学の傑作で、ストーリーについては言うまでも無いくらい有名。嵐で魔法の国に飛ばされたドロシーが、知恵が欲しいかかし、心が欲しいブリキ男、勇気が欲しいライオンと旅をしてオズの大魔王に願いを叶えてもらいに行く。

自分が欲しがっていた物は、実は最初から持っている。人は誰でも大事なものを備えていて、頑張ることで初めてその存在に気が付ける。そして、自分の住む場所、そして仲間や家族の大切さを伝えようという、なかなか奥深い内容のストーリーです。

こども向けの冒険ファンタジー物ですが、原作に忠実に変にこねくりまわしていないし、ミュージカルとしての楽しみがあります。特にメイン・テーマとなった「虹の彼方に(Over the Rainbow)」は、大ヒットして永遠のスタンダードとして有名です。また、主演したジュディ・ガーランドはこの映画をきっかけに人気スターとなり、(必ずしも幸福とは言えない方向に)人生が変わってしまいました。

最初と最後、現実のシークエンスは当時普通だった白黒映像、魔法の世界は色とりどり世界が広がるカラーで、人々は驚愕しただろうことは容易に想像できます。それは、今どきの3Dで「すっげぇ~」とか言っているレベルでは無いと思います。

80年前にもかかわらず、今見ても見劣りしない特殊効果も見事ですし、鮮明な映像が残されていることも驚異的です。良質な作品は、どんなに古くてもその価値を減ずることが無いという典型的な一例です。

2021年1月15日金曜日

ナバロンの要塞 (1961)

アクション戦争物の原作者として有名なのは、ジャック・ヒギンズとアリステア・マクリーン。マクリーンの作品の中でも、特に名が知れているのが「ナバロンの要塞」じゃないでしょぅか。

それを映画化したこの作品は、登場する俳優も豪華で、2時間半の中で作戦そのものを描くだけでなく、登場人物の背景も適度に含ませることで、映画としての奥行きを深くしています。


監督はアクション系戦争物を得意とするJ・リー・トンプソン。脚本は「真昼の決闘」、「戦場にかける橋」のカール・フォアマン。音楽はTV「ローハイド」、ジョン・ウェインの多くの西部劇にスコアを提供したディミトリ・ティオムキンです。

舞台となるのは、地中海、ギリシャとトルコの間にあるナバロン島。映画内で示される地図では、ロードス島の北西に位置していますが、これは完全に架空の島。近くのケロス島(これも実在しない)に取り残された二千名のイギリス兵をドイツ軍から守り帰還させるために6隻の駆逐艦を送ることになりました。

問題はナバロン島の絶壁の上にそびえるドイツ軍の要塞で、超巨大な大砲を設置し、通過する船を簡単に沈めてしまうことができるのです。そこで、ジェンセン准将は、特殊任務に長けたマロリー大尉(グレゴリー・ペック)に海から絶壁を登り、大砲を破壊するよう命令します。

不可能に近いこの作戦には、フランクリン少佐(アンソニー・クエイル)が同行し、少佐と旧知の爆発物の専門家であるミラー伍長(デヴィッド・ニーヴン)、ギリシャ出身でマロリーが信頼するスタブロス(アンソニー・クイン)、ナイフの達人ブラウン(スタンリー・ベイカー)、父親が現地のレジスタンスであるパパディモス(ジェームズ・ダーレン)の計6名で臨むことになりました。

准将は、彼らを見送って「成功する見込みは無い」と言い、「失うのには惜しい連中だが、私は任務の伝達者に過ぎない」と部下を死地に送ることを自ら納得させようとするのです。

6人は漁船で何とか島の崖にとりつきますが、悪天候の中で、フランクリンが滑落し足を骨折。担架で運びながら進みますが、フランクリンの足は感染し状態が悪くなる一方。足手まといを恐れたフランクリンは自殺しようとしますが、マロリーは「作戦は中止。上陸部隊が来るので心配ない」と嘘をついて安心させます。

遺跡で協力してくれるレジスタンスの女性二人と合流しますが、一人はパパディモスの姉のマリア(イレーネ・パパス)、そしてもう一人は拷問されて声が出なくなったアンナ(ジア・スカラ)でした。しかし、彼らの行動は敵に簡単に察知されていて、要塞のあるふもとの町で、彼らはドイツ軍に包囲され逮捕されます。

隙をついて脱出する時に、マロリーはフランクリンだけは置いていくことにしました。マロリーは仲間に、フランクリンはこの後自白剤を使って尋問を受けるだろうが、嘘の上陸作戦を自白するだろうと説明します。ミラーはフランクリンを見捨てたと、マロリーを強く責めるのでした。

いよいよ要塞に潜入するという時になって、爆弾の多くが使い物にならない状態であることが発覚し、ミラーはこの中にドイツ軍に情報を提供している者がいると言い出します。拷問の怖さからアンナの仕業であったことがわかり、ミラーはマロリーに処分するよう迫ります。しかし、マロリーが銃の引き金を引こうとする前に、アンナを撃ったのはマリアでした。

嘘の上陸作戦のため大半のドイツ軍は反対側の海岸に移動します。ブラウンとマリアは脱出用の船を奪いに行き、残存部隊はスタブロスとパハディモスが囮になって引き付け、手薄になった隙にマロリーとミラーは砲台に侵入し爆薬をセットするのです。

ギリギリのところで要塞は爆発・崩壊し、駆逐艦は砲撃を免れ、マロリーとミラーはマリアが操舵する船に拾い上げられますが、ブラウンは死亡しており、またスタブロスからパパディモスも死んだことを告げられるのでした。マロリーとミラーは駆逐艦で帰途に就き、スタブロスとマリアは戦わねばならないと言って島に戻っていくのでした。

コンピュータ処理など思いもよらない時代ですから、あくまでも手作りの映像ですが、巨大ブールで嵐に揺れる船を再現したり、イギリス軍・ギリシャ軍全面支援による大量の重火器の登場など迫力においては今のCGに負けていません。

基本的には、一見不可能と思える任務をこなす元祖ミッション・インポッシブルな話ですが、ブラウンはどこか人を殺すことにはためらいがあるようですし、ミラーも直接的な殺人はしたくないために出世は断っている。マロリーの温情が仇になって妻子を失ったスタブロスは、マロリーには戦争が終わったら殺しに来ると思われている。もちろんアンナも仲間を裏切っている後ろめたさがある。

誰もが好んで戦争に参加しているわけではなく、国のためという大義名分のもとに命の危険を冒している。しかし、彼らは一人の人間であり、それぞれ抱えている物は違うのです。それでも、一つの目的に向かって必死に協力した時、やっとお互いを分かり合えるところがあることを言いたいのかもしれません。

アクション・シーンだけで言えば、マクリーン原作映画としては「荒鷲の要塞」の方が、スリル&サスペンスは優っているように思いますが、こういった登場人物の心の葛藤を含ませた分、ドラマとしての面白みが出ています。あと、イギリス人は英語、ギリシャ人はギリシャ語、ドイツ人はドイツ語を基本的に話すのは当たり前ですが、好感が持てるところです。

マクリーンは、1968年にマロリー、ミラーらが再登場する続編「ナバロンの嵐」を発表し、これも映画化されています。マロリーにはロバート・ショー、そして共同作戦をとるアメリカ軍中佐にハリソン・フォードが登場しています。

2021年1月14日木曜日

鷲は舞いおりた (1976)

真っ向から戦場を描いた「史上最大の作戦」とか、戦争時の人間ドラマに切り込む「戦場にかける橋」とか、まだ戦後という表現が生々しかった70年代までは、第2次世界大戦を舞台にした映画は数多く作られています。それらとは一線を画する娯楽アクション映画といわれるジャンルもあって、それらの原作者として有名なのが、ジャック・ヒギンズとアリステア・マクリーンだと思います。

マクリーンと比べると、ヒギンズは別名で書いたものも含めると作品は多く、1975年に発表された「鷲は舞い降りた」は、ヒギンズの代表作として有名ですぐに映画化されました。何故か映画では「降りた」が「おりた」になっています。


第2次世界大戦物は、当然のことながら太平洋では日本が悪者ですし、ヨーロッパではナチス・ドイツが敵役です。ほとんどの映画は勝者の側から描かれるのですが、この映画の一番の特徴は、ナチスの視点から作戦が失敗するという視点で描かれた戦時スパイ映画というところ。

監督はジョン・スタージェス。多くの西部劇、あるいは「大脱走」などのアクション物で腕をならした名匠ですが、この映画が遺作となりました。音楽は「スパイ大作戦」、「燃えよドラゴン」、「ダーティ・ハリー・シリーズ」などで有名なラロ。シフリン。

1943年にドイツ軍が行ったムッソリーニ救出作戦の成功をヒントに、さらにヒットラーがイギリスのチャーチル首相を誘拐しようと思いついたというストーリーが作られました。

現実的ではないと反対の立場をとるカナリス将軍(アンソニー・クエイル)をさしおいて、親衛隊比のヒムラー(ドナルド・プレザンス)は、ラードル大佐(ロバート・デュヴァル)にヒットラーの命令書を渡す。ラードルは、功績のあるシュタイナー中佐(マイケル・ケイン)に白羽の矢をたて、田舎の村にお忍びで静養に来るチャーチルの誘拐または殺害を命じます。

ここでシュタイナーは、勇敢で正直、部下思いの人物として描かれる。本来なら「悪者」なんですが、ヒットラーの思い付きに踊らされる気の毒な人として十分に感情移入できるようになっています。

さらにランドールは、対イギリスで共闘するIRAのデヴリン(ドナルド・サザーランド)を先に村に潜入させ、本隊の到着の準備をさせます。ところが、デプリンは村の娘にちょっかいを出してしまう色男ぶり。何でアイルランド? と感じますが、IRAの登場は、アイルランド育ちのヒギンズの作風の特徴の一つのようです。

いよいよシュタイナーらが海岸沿いにパラシュート降下し、ポーランド軍を装って村で軍事演習を始めます。思いもよらぬミスから正体が露見し、シュタイナーは村人らを人質に教会に立てこもりました。本国でも、失敗を恐れたヒムラーにより、ラードル大佐は越権行為の罪で銃殺されていました。

駐屯していたアメリカ軍に包囲され全滅する中、シュタイナーだけはチャーチルのもとへ向かいついに射殺するのですが、その直後に銃弾に倒れます。実はチャーチルは替え玉で、シュタイナーは「犬死だった」と声をかけらるのでした。脱出のため用意されていた魚雷艦は浅瀬で座礁して身動きが取れなくなり、デプリンはも一人去っていきました。

まず、映画本編を見ていると時間の流れがはっきりとしないため、ほんの数日間の出来事のように感じられ、物語の進行に深みが感じられません。すべての台詞が英語で、ドイツ語がまったく出てこないのも違和感ありです(しょうがないけど)。

ドナルド・サザーランドは面長で、いわゆるイケメン俳優ではないのに(ゴメン!!)、急に若い娘と親密になるのもピンとこない。嫉妬した村の若者がデプリンの正体に気づいたことで、娘に射殺されるという話も出てくるんですが、本筋との関連が感じられない。教会を包囲するアメリカ軍の司令が実戦経験がなく、功を焦って飛び出していくというのも何かなぁというところ。

原作を読んだ方は、この映画を酷評し、緻密に練り上げたストーリーの表面をなぞっただけのような批評が多い。原作を未読の自分が見ても中途半端な印象で、犬死になるような作戦に邁進せざるをえないシュタイナーの心情をもっと掘り下げたら良かったと思いました。

と、まぁ、批判ばかりしているようですが、名優を大勢揃えて、それぞれの頑張りは見所になっています。老スタージェスのあと少しの気合があれば、もっと良くなったのかもしれません。


2021年1月13日水曜日

ずわい蟹ポーション


蟹です。

年末年始は、どこにも行かず、ほぼ食っちゃ寝生活。その中で、一度、こんなん食べた。

以前からちょっと気になっていたのは、こういうのを「ポーション」と呼ぶこと。

ポーション(portion)とは英語で、切り離された一部分というような意味。ということで、一匹丸ごとではなく、蟹の硬い殻を取り除いた剥き身の状態の物のこと。

ふぅ~ん、確かに食べやすい。

昆布だしでしゃぶしゃぶで食べるのが定番です。ポン酢で蟹の甘みが引き立ちます。

ズワイガニよりもタラバガニの方が身がしっかりしていて食べた感はありますが、こういう食べ方ではズワイがパクパクいけるので向いている感じ。

値段も安いので嬉しいというところです。。。。




2021年1月12日火曜日

タンタンの冒険 / ユニコーン号の秘密 (2011)

スティーブン・スピルバーグのの監督作品を順番に全部見ようという・・・何しろ、良く言えばバラエティに富んだ作品群、悪く言えばジャンルがめちゃくちゃなので、正直言って進んで見たいなと思う物と、どうも気乗りがしない物が混在しているんです。

特に、子供向け、あるいはファンタジー色の強い作品は、ちょっと敷居が高い。例えば「ビターパン」だとか、「ピノキオ」がモチーフというだけで、できることなら後回しにしたくなる。ただ、本当に後回しにするとたぶんそのまま見ない。

自分が決めた順番にというルールがあるから、何とか見ようかということになります。インディ・ジョーンズ・シリーズの後、ちょっと横に置いておいたのがこの映画。

そもそもタンタンって、ベルギーの漫画家エルジェの作品が原作。日本でも、誰もが目にした事があるキャラクターです。少年記者のタンタンが、愛犬スノーウィと共に世界中で冒険をする話。

スピルバーグは、少年向けインディ・ジョーンズという位置づけをして、最初のインディ物の映画以降、ずっと温めてきた企画です。

ただし、この映画の取っつきにくい所は、簡単に言えば3Dアニメーション作品だということ。元が漫画ですから、アニメ化するのはあり・・・なんですが、そこはスピルバーグ、モーション・キャプチャー技法をフルに使った、アニメと実写のあいの子みたいな仕上がりにしました。

モーション・キャプチャーは、人物にたくさんの動体検知センサーを装着し、立体的な動きをパソコンでトレースする手法。3D化したCGのキャラクターを、実際に演技をする俳優の動きに合わせて動かすことで、CGがとてもリアルな動きを再現できます。

ですから、実際に俳優がキャスティングされていて、主役のタンタンはジェイミー・ベル、ハドック船長はアンディ・サーキス、悪者サッカリンはダニエル・クレイグ、そして刑事デュポンはサイモン・ペッグという具合。画面に出てくる顔は俳優とは必ずしも同じではなく、リアルっぽいけど漫画的という不思議な感じです。

「ロード・オブ・ザ・リング」でふんだんにモーション・キャプチャーを多用したピーター・ジャクソンが全面的に協力して仕上げています。ちなみに、スピルバーグとしては、初めての3D映画になりました。

そんなわけで、確かにスピルバーグらしい冒険活劇が展開するのですが、中途半端なリアル感の世界に入っていけるかどうかは個人の好き好きで、自分の場合はあまり気に入ったとは云い難い結果に終わっています。

2021年1月11日月曜日

M:I-6 フォールアウト (2018)

もっかのところ、トム・クルーズ制作・主演の「ミッション・インポッシブル・シリーズ」の最新作がこれ。前作を監督したクリストファー・マッカリーが監督続投です。

タイトルは核爆発後の「死の灰」を意味する"fallout"ですが、"fall out"と区切れば「落下」という意味で、映画の中で高い所から落下する怖いアクションがふんだんに盛り込まれました。

また、冒頭でハントとジュリア(ミシェル・モナハン)との結婚式が登場し、「嘘をついて二重生活で苦しめることを誓いますか」と聞かれ驚いて神父を見ると、なんとソロモン・レーン((ショーン・ハリス))なのです。

前作「ローグ・ネーション」で捕らえたシンジケートのボスが夢に手出来てハントを苦しめる。つまり、アクション中心のシリーズで、初めてハントの内面、心の葛藤を強く引き出すことが、今作の目的の一つになっているところも注目です。

シンジケートの残党どもがアポストル(神の使徒)と名乗り、金で請け負ったテロを世界で繰り返しているという状況。アポストルの新たな雇い主であるジョン・ラークと呼ばれる人物が、核爆弾を使って世界を大混乱に陥れようとしていることを察知したIMFはハントに計画の阻止を指令します。

ハント、ルーサー(ヴィング・レイムス)、ベンジー(サイモン・ペッグ)の三人は、マフィアに盗まれたプルトニウムをラークが手に入れる前に取り戻そうとしますが、アポストルに襲撃される。ハントはルーサーの危機を救うことを優先したため、プルトニウムは奪われてしまいます。

IMFのハンリー長官は、プルトニウムの受け渡しで武器仲介専門のホワイト・ウィドー(女性!)とラークがパリで会うという情報を得たため、ハントらを向かわせようとしますが、CIA長官のスローン(これも女性!!)が、強引に自分の部下ウォーカー(ヘンリー・カヴィル、現役スーパーマン)を作戦に帯同させます。

二人はヘイロー・ジャンプと呼ばれる超高空から落下し超低空でパラシュートを開く超絶アクションをこなして、密会場所に潜入、ラークらしき男と格闘になり危うい所をMI6(イギリス諜報局)のイルサ・ファウスト(レベッカ・ファーガソン)に助けられる。ラークを装ったハントは、ホワイト・ウィドーから護送中のレーンの奪還と交換でプルトニウムを渡すと言われます。

ハントは、何とかフランス警察に人的被害がでない方法でレーンを奪取し、途中でレーンを殺害しようとするイルサの銃撃を受けますが、何とか逃げ切りました。ここでのクルーズ本人による超絶バイク・チェイスも見所です。イルサはレーンを殺すことで、MI6を裏切っていないことを示そうとしていたのです。

ここらで、敵味方と繋がりが混乱を極めるんですが、ラークはアポストルを率いてプルトニウムを手に入れた。そして教祖的存在のレーンを取り戻すために、ホワイト・ウィドーを仲介してハントらにレーンの脱走をさせようということ。

つまり、ハントがラークに成りすましていることは、アポストルは御見通しということです。またCIAもホワイト・ウィドーと繋がりがあり、ラークは実際にはハントなのではないかと疑っているため、これをはっきりさせるため嘘の情報を流している。

この二つの作戦が成立するためには、勘のいい人は気がつくと思いますが、これまで登場したCIA関係者、つまりスローン長官かウォーカーのどちらかが本物のラークであるという結論になる。

隠れ家でハンリー長官から、ハントに対する疑惑があるため作戦は中止といわれますが、ラークの正体がウォーカーであることを突き止めアポストルとの銃撃戦になり、長官は死亡、ウォーカーとレーンには逃げられてしまうのでした。

彼らはインドのカシミールで核爆発を起こし、地球上の人口の1/3を消し去ろうという計画でした。ハント、ルーサー、ベンジー、そしてイルサの4人は、阻止するために現地に向かいますが、そこには民間医療団の一員としてジュリアが働いていたのです!!

この後、ヘリコプターのチェイスもあるのですが、これもこのために操縦免許を取得したクルーズ自身が危険なアクロバティックな飛行を見せてくれます。また、途中でビルとビルとの間を飛び越えるシーンでは、クルーズが壁に激突し足の骨折をしたのはニュースにもなった有名な話。

とにかく、見る者を喜ばせたい一心で何でも挑戦するクルーズには頭が下がるばかり。また、その間違えば命に関わる危険なスタントを支える、製作スタッフも素晴らしいし、一級の画像として作り上げる監督の手腕もなかなかのものです。

ジュリアを不幸にしたと思っているハントの心の苦しみ、大勢を救いたいのはもちろんだが、一人の命も大事という、スパイとしては「甘い」考えの部分が、映画の主人公として大きな魅力になっていることは間違いなく、本作はシリーズ最高傑作という評価も納得できます。

コロナ禍で撮影が中断したりして難航していますが、現在次回作の制作が行われています。多くの登場人物が引き続き出演し、ハント以外のメンバーの内的描写も膨らませる内容と言われており、前後編の二部作として2021~2022年に公開予定となっています。

2021年1月10日日曜日

M:I-5 ローグ・ネーション (2015)

トム・クルーズ主演、スパイ物アクション映画のシリーズも5作目となりました。

監督はクルーズの映画で脚本を数多く手がけたクリストファー・マッカリーが起用され、前作に続いてJ・J・エイブラハムが制作で参加しています。タイトルの"rogue nation"は無法国家、あるいはならず者国家という意味。

今回のキャスティングでは、唯一全作品で登場するルーサー(ヴィング・レイムス)が作戦に参加し、3作連続のベンジー(サイモン・ペッグ)、前作に続いてのブラント(ジェレミー・レナー)らがチームに登場するため、シリーズとしての楽しみが増しています。

またクルーズ自ら行うスタントも冒頭から全開で、本作の象徴的なシーンとなった飛行機の外側にとりついて離陸してしまうというアクションには度肝を抜かれます。当然、万全の対策のもとで撮影しているんでしょうけど、実際にかなりの時間飛行したのは本当のようです。ところが、このスタントは映画の開始の合図程度のもので、ほぼ使い捨てなのがさらに驚きです。

ストーリーは複雑で、これまでは個々の裏切り者による陰謀が多く、やっと前作でやっと普通の善対悪の図式に戻ったように思えましたが、今回はもっと大がかりな「裏切り」のため、イーサン・ハントがさらなる孤立無援状態で戦うという話。

前作の最後で、これからシンジケートとの闘いが始まると予告されていました。シンジケートは、国籍関係なく死亡したか、あるいは行方不明となった元スパイとして活躍した者たちの集合体で、国家と無関係に世界中でテロを起こしている闇の組織・・・つまりローグ・ネーションです。

ハントはIMFからのいつもの指令を受けようとしますが、これが偽物でシンジケートに拉致されました。しかし、敵のはずのイルサ・ファウスト(レベッカ・ファーガソン)の手引きで脱出することができました。しかし、IMFの上部組織であるCIAのハンリー長官は、シンジケートはIMFが組織の存続を正当化するための架空存在と考え、暴走するIMFを解体し、ハントを国際手配します。

シンジケートの存在を確信したハントは、イルサを探して合流したベンジーと共にウィーンに向かい、イルサが実はイギリス諜報部の潜入スパイであることを知りますが、オーストリア首相の暗殺を阻止できませんでした。

イルサは、シンジケートの中心人物はイギリスの元スパイ、ソロモン・レーン(ショーン・ハリス)であり、モロッコの発電所地下に厳重に保管されているデータによりシンジケートの存在を証明できると教えます。しかし、危険な潜入の末に何とか手に入れたメモリーは、イルサに奪われてしまうのです。

イルサはイギリス情報部にメモリを渡し任務を終了にしてもらおうとしますが、アトリー局長にそれが本物かわからないと拒否されます。レーンのもとに戻りメモリーを渡しますが、実はアトリーの手によって内容は遠隔消去されており、窮地に立たされるのです。

用意周到なベンジーはコピーを作っていたので、ルーサー、ブラントらも合流しメモリーを調べると、セキュリティ解除のためにはイギリス首相の肉体的な三重認証が必要であることが判明します。しかし、ベンジーがレーンに拉致され、解読済みのデータを要求されたハントは・・・さぁ、どうする!?

ヒロインのイルサが、敵なのか味方なのか、助けられたり裏切られたりという微妙なバランスが興味深い。また、シンジケートの成り立ちや存在理由に、多少説得力にかけるところはありますが、あくまでもハントが活躍するためのきっかけ、つまり壮大なマクガフィンという位置づけ。

かなり構成に凝ったところがありますが、監督のマッカリーはストーリーとアクションのバランスをうまくこなしており、適度な緊張感を持続させています。とは言え、このシリーズは、もう完全にトム・クルーズを見るための映画と化しています。もちろん、それが「かっこいい」ので文句のつけようはありません。何しろ撮影時53才ですから、明らかに本人が自ら行いスタントの数々には恐れ入る。これだけ動ける中年おじさんには、多少の映画の矛盾などは消飛んで脱帽するしかありません。

2021年1月9日土曜日

緊急事態宣言下の診療について


新型コロナウイルスの新規感染者数の急増により、東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県に対して1月7日に政府から緊急事態宣言が発せられました。

対象となる期間は1月8日から2月7日までの1か月間とされていますが、状況によって延長されることがあるとしています。

私たちが取るべき基本的な対策は、今まで言われていることと大きな違いはありません。

不要不急の外出を控える
三密の回避
マスクの着用、手洗い・うがいの励行

もうすでにやっている、いまさらどうすればいいのか、と言った声があがっていますが、本当にこれらの注意を守れているなら感染拡大はありません。あらためて、各人の周りを確認してみることは重要と考えます。

クリニックでの診療は、今まで通り通常の診療時間を維持していきます。現状で行っている主な感染対策については、スタッフ一同さらに徹底していきます。ただし、診療体制を急に変更せざるをえない場合が起こることもありますので、その場合は随時ホーム・ページ、または当ブログでお知らせします。

クリニックでの主な感染対策は以下の通りです
なお、当院は発熱患者の診療は原則として行っていません

来院時検温 入口に非接触体温計測装置を設置
来院時手指消毒 トイレ内に消毒用アルコール・薬用ハンドソープを設置
来院者へのマスク着用のお願い
受付カウンター 飛沫防止シートの設置
院内の広さに見合った空気清浄機の設置
エアコン使用中でも一定時間ごとに換気実施
待合室の個々の椅子の距離を開け、適宜次亜塩素酸希釈液で清拭
診察室は原則としてドアの開放
使用したリハビリ機器は患者さんごとに次亜塩素酸希釈液で清拭
スタッフはマスク着用し患者さんごとに手指の消毒

2021年1月8日金曜日

M:I-4 ゴースト・プロトコル (2011)

トム・クルーズ主演、スパイ・アクション映画のシリーズ第4弾。ただし、正式タイトルにはシリーズ番号は入っていません。

監督は「Mr.インクレディブル」などを作ったブラック・バード。前作の監督をしたJ・J・エイブラムスは、クルーズと共に制作に回っています。

タイトルの「ゴースト・ブロトコル」は「幽霊としての取り決め」という意味で、国はもとよりCIA、IMFですら「何かあっても関与しない」という必ず付いてくる任務の付帯条件が、最大限発揮されるもの。つまり、IMFそのものを解体して組織として無かったことにするというもので、当然諜報員たちは幽霊扱いです。

暗号名コバルトと呼ばれている危険人物が、ロシアの核ミサイルの発射コードを手に入れる直前にIMF部員が奪取。しかし、女殺し屋ザビーヌによって直後に殺害されます。

残されたメンバー、ジェーン(ポーラ・パットン)と前作に続いて登場のベンジー(サイモン・ペッグ)は、IMFからの指示でモスクワの刑務所に収監されていたイーサン・ハントを脱獄させ、クレムリンに保管されているコバルトの情報を手に入れることになりました。

前作でジュリアと結婚したハントは、旅先でテロリストに妻を殺害されたため、ミッションではない私的な行動として犯人に復讐し殺人犯として逮捕されたのです。

ハントがクレムリンに潜入するとコバルトに先を越され、コバルトは核兵器発射制御装置を盗み出し、自分の情報記録も消去したのです。さらに、コバルトが仕掛けた爆弾によるクレムリン爆破犯人として、ハントはロシアから追われることになりました。

IMFのブラント分析官(ジェレミー・レナー)からハントが目撃したのは核戦争論者ヘンドリックスであると教えられますが、ロシアとの外交上、コースト・プロトコルが発動し、チームは完全に孤立無援状態に陥るのでした。

ドバイの世界最高の高さを誇るブルジュ・ハリファでヘンドリックスとザビーヌが接触することを知ったチームは、エレベータで上がってくる両者を違う階に誘導し、発射コードと制御装置の両方を手に入れようとしますが、ザビーヌに気づかれジェーンと格闘の末、ザビーヌは転落死。コードを手に入れたヘンドリックにはそのまま逃走されてしまう。

そもそもなんでザビーヌが高層ビルから転落したかと言うと、部屋のガラスをはずしていたから。エレベータの制御をするのにビルのサーバー室に忍び込むため、ハントがビルの外壁を登っていったわけで、この映画で一番話題になったクルーズ自身による極めつけのスタントです。

ヘンドリックスは、宇宙衛星を介して潜水艦に核ミサイルの発射を指示。ハントらは居場所を突きとめますが、間一髪間に合わずミサイルは発射されてしまうのでした!!

今までのよくあるパターンだと、ぎりぎり発射を阻止してめでたしめでたしなんですが、この話はその上を行くスリルでさらに見せ場を作ります。ただし、どう見てもハントよりも年寄りの設定っぽいヘンドリックスが、ハントと互角に戦える体力があるのはちょっとどうなのという感じ。

エピローグでは、お馴染みのルーサーとIMFの再開を祝し、ジェーン、ベンジー、ブラントに新しいミッションを伝えます。ブラントは実は、極秘でハントの護衛についていたにもかかわらずジュリアを殺されたことを告白しますが、ハントは実は殺されたことにしてジュリアにこれ以上危険が及ばないようにしたと教えます。そして、彼らから離れた店に入っていくジュリアが映し出されるでした。

シリーズとして馴染みが出てきた人物も登場して、続けて見ているファンにとっても楽しめる。ジュリアに関するエピソードは多少無理やり感がありますが、前回はIMF内勤だったベンジーが活躍する辺りはなかなか楽しいところ。

これまでが、IMF内部の裏切り者が関与する事件ばかり扱っていましたが、今回は完全に外部の悪人を敵に回してのストーリー。そういう意味でも、ストレートなスパイ物として今まで以上に緊張感がある出来になっているように思います。

2021年1月7日木曜日

雅遊庵 風の陣 @ 港北区新吉田


都筑区の手打ちの蕎麦店といえば、センター南とセンター北の間にある「おおつか」さんか、「風の陣」です。

風の陣は、第三京浜の都筑ICの近く、けっこうわかりにくい場所にあり、土地勘が無いと初めての人は探せないかもしれません。ですが、大変な人気店で、たいてい満席。

今回は、久しぶりに年末恒例、年越しそばということで行ってみました。

昼過ぎだったので、もしかしたら売り切れになるかもしれないと言われたんですが、着席した時は大丈夫。椅子やテーブルを減らして、間隔を空けてました。

このご時世ですから、さぞかし経営も大変なんだろうと思います。

蕎麦については、特徴は言いにくいのですが、比較的普通ですけど蕎麦の香りがよく立っている感じ。

つゆが美味しい。昆布、鰹系だと思いますが、醤油臭くなく、甘みもちょうど良い。

また、外食がさらに難しい状況になりそうですから、当分美味しい蕎麦にはありつけないかもしれませんね。

2021年1月6日水曜日

M:I-3 (2006)

トム・クルーズ主演、スパイ・アクション映画の第3弾。

今回の監督は、「スター・トレック」シリーズや、また「スターウォーズ」最新シリーズ3部作で、今やハリウッドでお金を生み出す監督の一人に数えられるJ・J・エイブラムス。

前作で恋をするスパイとして人間味を出したイーサン・ハントでしたが、ここではさらに何歩も進んで、いきなり冒頭、女性を殺すと脅迫され泣いて辞めてくれと懇願するシーンから始まります。

何でそんな状況になったかということで、時間を戻してストーリーが進行するわけですが、冒頭のシーンを見せられているので、ハントが無茶をしてでも勝手な行動をするのはしょうがないと思わせることに成功しています。

ハントは現場を退いて訓練教官になっていましたが、「ラビットフット」と呼ばれる新兵器を狙っている武器商人のデイヴィアン(フィリップ・シーモア・ホフマン)を監視していた教え子のファリスが拉致され、上司のマスグレイブから救出作戦への参加を指示されます。

ハントは病院の看護師をしているジュリア(ミシェル・モナハン)との結婚を控えていましたが、1日だけ出張と偽りベルリンに向かいます。チームはシリーズ・レギュラーのルーサー(ヴィング・レイムス)、ゼーン(マギー・Q)、デクラン(ジョナサン・リース=マイヤーズ)の三人。

何とかファリスを救出した物の、頭蓋内に埋め込まれた爆弾によりファリスは死亡。ラビットフットについての情報も得られませんでした。IMFの局長であるブラッセル(ローレンス・フィッシュバーン)は、ずさんな計画だとチームを叱責します。

次にハントらは独自にバチカンでデテヴィアンを捕らえることに成功しますが、IMFに連行する途中で強大な火力を擁する部隊に攻撃されデイヴィアンを奪還された上、ジュリアを誘拐され48時間以内にラビットフットを持ってこないと殺すと脅迫されるのです。

ハントは勝手な行動とその失敗によりIMFに連行されますが、マスグレイブの手引きで逃亡し、チームは上海で再集結。大企業の研究施設からラビットフットを盗み出し、ハントは一人でジュリアが捕らえられている場所に向かいました。

ここからが冒頭のシーンになるわけですが、ハントも爆弾を頭に埋め込まれジュリアを殺される絶望を味わいます。そこへ登場するのがマスグレイブで、殺されたのは変装した別人だったことが明かされます。デイヴィアンと通じていたマスグレイブは、ファリスが持っていたはずの裏切り者についての情報を聞き出そうとしますが、ハントは脱出しジュリアがいる場所に向かいます。しかし、頭の爆弾が起動してしまうのでした!!

・・・と、まぁ、こんな具合でシリーズ名物のアクションも随所に見られるものの、愛する人を守るというヒューマン・ドラマ的な要素を強く打ち出した作品になりました。結局ラビットフットそのものについては最後までよくわからないのですが、これはいわゆるヒッチコック流の「マクガフィン」であって、物語を始めるきっかけであって、中身はどうでもいいもの。

ヒッチコックお得意の間違えられて事件に巻き込まれていくサスペンスの常套手段ですが、この作品でも、妻のジュリアを巻き込んで、ハントは本来やりたくない仕事に引きづり込まれていくところは秀逸な構成です。冒頭シーンも、二度目は胆となるところだけを繰り返すにとどめ、丸々同じシーンを繰り返さないのは正解。

それにしても、一作目では裏切り者にやられるしハントに機密情報を盗み出され、2作目でも裏切りにあいました。今回も、内部に裏切り者がいてハントには施設内から逃亡されるというのは、IMFってどんだけザルな組織なんですかということ。内輪のしくじりで話を作っていくのは、どうも残念な感じがします。

2021年1月5日火曜日

M:I-2 (2000)

トム・クルーズ主演のアクション・スパイ映画がシリーズ化され、今作はその第2弾。

前作で過去のキャラクターを清算して、トム・クルーズ=イーサン・ハントが、名実ともにストーリーの中心人物に据えられました。

監督は香港出身でアクション物に定評のあるジョン・ウー。筋肉命のクルーズとのタッグは、まさにアクションの連続・・・なんですが、ハントがかなり人間味あふれるところを出していて、これまた賛否両論の出来になっています。

冒頭、クルーズ本人が危険なロック・クライミングをしているところから、もうワールド全開。命綱は使っていたそうですが、映画では消し去られていてスリル満点。頂上に立ったところに、ヘリコプターが現れ指令の記録されたサングラスをランチャーで打ち込んでくるというのも斬新。

ハントの替え玉役をしていたショーン・アンブローズ(ダグレイ・スコット)が、IMFを裏切って製薬会社が密かに開発したキメラ・ウィルスの治療特効薬ベレロフォンを奪いました。アンブローズは、製薬会社を脅迫して大金をえようという計画。ちなみにIMFは、Impossible Mission Force の略でCIAの下部機関。

そこで、ハントにキメラとベレロフォンの奪取という指令が下るのですが、具体的な話を聞きに上司のもとを訪れちゃうと言うのはどうしたものか。それはともかく、この上司であるスワンベックを演じるのは、なんとアンソニー・ホプキンス。

スワンベックが言うのは、アンブローズの元カノで優秀な宝石泥棒であるナイア(タンディ・ニュートン)を引き込んで、アンブローズに接触させ情報を引き出せという話。泥棒とは言え、民間人を引き込むことに疑問を感じるハント。

元々はCIAの女性職員の設定だったのが、ウー監督が「おしゃれ泥棒」のオードリー・ヘップバーンをヒントにキャラを変更したそうです。泥棒シーンはハントとの出会いで描かれますが、その後は泥棒である利点はイマイチな感じ。今回のミッションにハントが選んだ仲間は、前作に続いて登場のルーサー(ヴィング・レイムス)とビリーの二人。

ハントはいきなりナイアに恋しちゃう展開も、ちょっと違和感ありありです。何かもっと頭を使ってやれよというところは、アクションバカと筋肉バカが力で押し切ってしまうところが多い。最後の最後、ハント対アンブローズの喧嘩対決も長い。

本当は3時間半で出来上がったところを、2時間に削りに削ったため、話の展開も唐突な部分が無いわけでもない・・・と、残念な感じが多いのですが、それらを我慢しろとバカ力で押し切った感じの出来だとなのかなと思います。

2021年1月4日月曜日

ミッション・インポッシブル (1996)

スパイ物のアクション映画で、最も有名なシリーズは「007 ジェームズ・ボンド」であることは疑いの余地はありません。

ただし、最近のボンドは好評価されているものの、どこか初期の設定が時代と共に現実味が薄れ緊張感がなくなり、長いシリーズの中でだれてしまったことは否定できません。

ジョージ・ルーカスとスティーブン・スピルバーグの「インディ・ジョーンズ」シリーズは、時代設定を過去に戻し、冒険要素を出したことで、設定自体は普遍的に使えるようになっています。

今の時代にマッチしたスパイ物で、ダントツに輝いているシリーズと言えば、間違いなく「ミッション・インポッシブル」でしょう。第1作から主演を兼ねて制作に携わるトム・クルーズの気合の入り方が違う。

日本では、そもそも1967~1972年に「スパイ大作戦」としてテレビ放映されていた1時間1話完結のドラマが元ネタ。当時、これにはまらないこどもはいなかったと思います。

「おはよう、フェルプス君。今回の任務は・・・、なおこのテープは5秒後に消滅する」みたいな出だしからしてワクワクしていました。遂行不能と思われる難度の高い任務を、変装、特殊な道具、だいたんな仕掛けなどで次々にこなしていくのは痛快そのもの。

懐かしいあのテーマ曲が現代風に蘇り、フェルプス(ジョン・ボイド)がリーダーとして登場。飛行機の中で指令を受け取るところはテレビ・シリーズを彷彿とさせます。

今回の指令は、若いチームを率いてCIAの欧州要員リストの奪還を目指すというものですが、何とフェルプスを含めてチームはイーサン・ハント(トム・クルーズ)を除いて全滅という衝撃の幕開けです。

実は、今回の任務はCIA内部のスパイをあぶりだすためのもので、生き残ったハントに密通者の嫌疑がかかる。ハントは、フェルプスの妻クレアと共に、かつてCIAで活動していた腕利きルーサー・スティッケル(ヴィング・レイムス)、フランツ・クリーガー(ジャン・レノ)を味方につけて本当の裏切り者を探すことになります。

監督は、サスペンス映画で実力があるブライアン・デ・パルマ。ハントが聖書の裏表紙から裏切り者に気がつくところとか、裏切り者がどうやってチームを潰したのか回想するシーンなどでの演出はらしさが出ているところ。ただし、アクションがメインのこの映画では、その実力は発揮しきれていないかもしれません。

やはり、スタント無しのクルーズの体を張ったアクションが見所。巨大水槽を爆発させ、大量の水流から飛び出してくるところとか、高速鉄道やヘリコプターが絡んだ格闘などの動的なアクションと、CIA本部に侵入し宙吊りでデータを盗み出す有名な静的なアクションのバランスが素晴らしい。

1973年にテレビ・シリーズが終了して20数年たって、ついに映画化された「ミッション・インポッシブル」は賛否両論を巻き起こしました。つまり、テレビ・シリーズを引き継ぐ唯一のキャラクターであるフェルプスの扱い方が物議をかもし、テレビ・シリーズの出演者らから批判を受けることになります。

しかし、考え方によっては、フェルプスを利用する事でテレビのイメージを簡単に継承できたわけですが、逆にそれが足かせになる。新しい映画として、ハントが新たな世界観を作るためには、潔い決断だったと思います。


2021年1月3日日曜日

インディ・ジョーンズ/クリスタル・スカルの王国 (2008)

一年の始めにふさわしいスティーブン・スピルバーグの映画はこれ。スピルバーグが映画製作に携わってちょうど40年目です。

というほどのものではありませんが、スピルバーグが自ら監督し続けているインディ・ジョーンズ・シリーズの第4作、前作から19年ぶりの登場です。

映画の設定も19年が経過していて、1957年の出来事として描かれます。さすがに主演のハリソン・フォードは撮影時に65才ですから、スタントを入れたとしてもあまり激しいアクションは嘘過ぎる。

そこで登場するのが、これまでのシリーズだけでなく、いろいろな身近な映画からのオマージュなどで、オールド・ファンを喜ばせてくれる。何と言っても、第1作のヒロイン、マリオン・レイヴンウッド(カレン・アレン)の再登場は嬉しい限りです。

スタートから、いきなりルーカスの監督出世作「アメリカン・グラフィティ(1973)」さながらの50年代アメリカン・ボーイズ&ガールズがオープンカーで飛ばしてはしゃいでいるのは楽しい限り。

彼らにあおられるアメリカ軍の車両は、そのまま軍事秘密の保管庫であるエリア51基地に向かいます。実は、彼らは冷戦下のソビエトの兵士たちで、守衛を射殺して倉庫に到着。車から無理やりだされたのがインディ・ジョーンズでした。リーダーは女性で冷徹なスパルコ大佐(ケイト・ブランシェット)。

ジョーンズが関わった1947年のロズウェル事件で見つかった謎の物体の保管場所を教えろと詰め寄ります。ちなみにロズウェル事件は、実際にあった話で、宇宙人の遺体を捕獲したらしいというもの。ここで格闘になり、崩れた箱の中からアークがチラ見えるのは大サービスです。

目的の物は奪われ、ジョーンズは何とか逃げ出しますが、何故かマネキンだらけの街に。まるで今どきのMattのCMの「オーマイキー」の世界。実はこれは核実験場で、爆発のカウントが始まり、ジョーンズは鉛製冷蔵庫の中に入って生還するという奇跡を見せてくれます。ただし、この核爆発シーンは唐突で意味がわからない。

この時代のアメリカは共産主義者をとらえる赤狩りの時代。ソビエトと関わったジョーンズも疑いをかけられ国外脱出をすることになります。この時机には、ショーン・コネリーら歴代のキャラの写真が飾ってある。そこへ登場するのはまさに「乱暴者(1953)」のマーロン・ブランドさながらの、バイクに乗ったマット(シャイア・ラブーフ)と名乗る若者。

マットは、ジョーンズの旧友のオックスリーが行方不明で、母親のマリオンが助けを求めているという話。託された手紙から、オックスリーは南米の奥地、伝説のエルドラド(黄金郷)にクリスタル・スカル(水晶の頭蓋骨)を持っていこうとしていたらしい。

ここでもKGBに襲われますが、「ウエストサイド物語(1961)」さながらの若者グループの喧嘩を引き起こしてその場を逃げ出す。ちなみに現在準備中のスピルバーグの最新作が、そのリメイクです。

南米に向かったジョーンズとマットは、スパルコに捕らえられていたオックスリーとマリオンと再会。マリオンは、ジョーンズが結婚式直前に逃げ出したため、言いそびれていたがマットは二人の間に生まれた子であることを告げます。つまり、マットはヘンリー・ジョーンズ3世ということが判明し、皆で逃げ出すところでは、肉体的なアクションは若者マットが「ターザン」のように頑張っています。

ジョーンズらはクリスタル・スカルがもともとあった神殿の中に入ると、そこには何体ものクリスタルの骸骨が鎮座している。そこへ追いかけてきたスパルコにスカルを奪われ、スパルコが頭部のない骸骨にスカルを近づけると、スカルが頭部に戻りすべての骸骨が合体し始めるのです。

その姿は「未知との遭遇」で登場した宇宙人の怖いバージョンともいえる姿で、神殿と思っていたのは宇宙船でした。すべてが崩壊していく中で、ジョーンズらは何とか脱出し、宇宙船は消えていくのです。

一般には、シリーズとしての評価は悪い。ハリソン・フォードが年を取って、往年の切れ味が無いこともありますが(とは言え頑張っている)、結局CGに頼った絵作りが、このシリーズの特色であるアクションを嘘っぽくしたことが一因にあることは否めない。

特に最後の宇宙船の登場はルーカスのアイデアで、スピルバーグはやり過ぎと考えていたようです。最後のシーンはジョーンズとマリオンの結婚式。すべてが丸く収まってめでたしめでたしでシリーズは完結・・・と思ったら、何と第5作が準備中。コロナ禍が無ければ、2021年の公開予定でしたが、70才を超えたジョーンズがどうなっているのかも知りたいところではあります。

2021年1月2日土曜日

元旦の原宿


例年、原宿、表参道は正月は上の写真のような感じ。

元旦の表参道なんてもんは、用事が無ければ行くもんじゃない。何しろ明治神宮への初詣の人々を中心にものすごい人出。

ハローウィンのスクランブル交差点じゃあるまいし、まともに歩けたもんじゃない。

ふだん横浜のはずれで生活していると、こういう状態のところにいると空気が足りない感じで、長居をしたいとは思いません。

ところが、ところがですよ。

2021年元旦は、すごいことになっていました。


人がいないわ。

数えられるくらいしか歩いていません。そもそも、ほとんどのお店は開いていませんし。

コロナ恐るべし・・・としか言いようがない。大晦日に発表された1日の感染者数が1000人の大台をらくらく突破しましたしね。

これはこれで、ぞっとする光景。

あとは、良くなるしかないと思いたいものです。




2021年1月1日金曜日

謹賀新年 2021


あけましておめでとうございます

2021年、令和三年、元旦となりました。今年こそ、本当に良い一年になることを心から祈らずにはいられません。

年末から強力な寒気が日本に張り出てきて、各地で雪などに対して警戒するように言われています。首都圏では雨雪の予報は出ていませんが、体調を崩さぬよう注意が必要です。

クリニックは4日(月)まで休診とさせていただいています。

5日(火)から通常診療を再開いたします。よろしくお願いいたします。