アメリカン・ニュー・シネマ・・・という用語があり、1967年の「俺たちに明日はない」から始まり、1979年の「地獄の黙示録」に終わる時期に作られ、ベトナム戦争に対する反戦意識から、反体制的な心情を表現する内容を持つアメリカ映画と定義できます。
まさにこの時期に、多感な中高生時代を過ごした自分としては、映画と言うのはこういうものという意識を刷り込まれた作品群がそこにあります。
第2次世界大戦で消耗したのはハリウッドも同じでしたが、そこから50年代までは一気に国力を回復し、映画も大作主義的な作品が増え、スター・システムにより内容よりも豪華絢爛な俳優が活躍する作品がもてはやされました。
しかし、60年代はテレビの普及により、映画業界は縮小を余儀なくされます。国内ではテレビに太刀打ちできないため、差別化のためヨーロッパに出ていく作品が増えました。その中で、60年代後半に若い監督・演出家・俳優などの中から、もう一度国内の身近な所で誰にでもありそうな内容のストーリーを映画化する動きが始まりました。
そこには、ベトナム戦争が泥沼化し、人種差別が強まったことなどの社会的な背景が強く関係しています。自由を求める若者たちは、時には反体制運動を活発化させ、一方でドラッグに溺れ現実から逃避する傾向が顕著となります。
概して、これらの映画は、どの時代を描いても若者が中心の話であり、暴力を映像美として積極的に描き、たいていハッピー・エンドでは終わらない。悲劇と喜劇が同居して、容姿よりも演技力が俳優に求められました。作り物のセットよりも、屋外でのロケ撮影が中心になり、それらが映画製作にかかる費用を抑えることにつながりました。
しかし、これらの映画は今までになかった視点を観客に提供すると同時に、しだいに現実から来る窒息感もあったわけで、72年のコッポラの「ゴッド・ファーザー」の成功以後、70年代半ばからは映画の娯楽性が復権することになり、アメリカン・ニュー・シネマによって構築された作家主義的な作りに「商業的成功」を伴うエンターテイメント性が求められるようになったのです。
これには73年のアメリカ軍撤退、75年のサイゴン陥落、ベトナム戦争終結が大きく関係しており、若者は反戦の対象を喪失し、人々はよりハッピーなものを求めるようになりました。その流れのなかで、アフター・ニュー・シネマの代表的な映画監督としてハリウッドを牽引した一人は、間違いなくスピルバーグです。
世界恐慌の1930年代に実在した犯罪者を「ヒーロー」として描き、それまでタブーとされていた内容を多くスクリーンに描写したことで、「俺たちに明日はない」は画期的な作品でした。
特にラスト・シーンはあまりにも有名で、たくさんの銃弾を浴びて殺される主役のボニーとクライドが、スローで捉えられ踊るように死んでいく姿は「死のバレエ」と呼ばれ、観客だけでなく映画関係者にも大きな影響を与えました。
監督はアーサー・ペン、制作は主役のクライド・バロウを演じたウォーレン・ベイティ。ボニー・パーカーには、デヴュー間もないフェイ・ダナウェイ。クライドの兄バックはジーン・ハックマン、その妻ブランチはエステル・パーソンズ、車の整備係のC・W・モスはマイケル・J・ポラードが演じました。
刑務所から出所したばかりのクライドは、平凡な毎日に飽き飽きしていたボニーと知り合い、バック、ブランチ、C・Wを仲間してバロウズ・ギャングとして、銀行強盗を繰り返していました。貧しい銀行は襲わないことが評判でした。
テキサスの公安を担うヘイマーは彼らの逮捕に執念を燃やし、まずバックとブランチを捕らえます。彼らの自白により居所を突き止め、ついに車に乗っていたボニーとクライドを射殺。映画は音楽無しで、衝撃のラストとともに「THE END」で幕を閉じます。
監督は、超アップと遠景を多用し、また見上げるような急角度の撮影を織り交ぜて、見ている物に不安感を抱かせることに成功している。唐突に終わるところで、衝撃の余韻は長く続き、二人の行いを正当化もしませんが、否定もしない。
旧来の分類でいえば「ギャング映画」ですが、ボニーとクライドは本来の悪党ではなく、仲間に入った連中も元々は恐慌吹き荒れる中で普通に生活していた者たち。悪事を働きつつ、普通の生活に戻ることに憧れ、時にはそれをコミカルに描き、刹那主義的な反体制側の人間像を浮き彫りにしました。
メディアは、批評に際して今までになかったタイプの映画と直感し、「アメリカン・ニュー・シネマ」という代名詞を冠したことで、その先駆けとして今日まで認知される名作映画となっています。
ちなみに原題は「Bonnie and Cryde」ですが、当然アメリカの犯罪者の名前など知られていないので、日本公開に際して配給会社が考えた邦題が「俺たちに明日はない」でした。安保闘争などが盛んだった時代の雰囲気とマッチした、優れた命名と評価されています。
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