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2021年1月14日木曜日

鷲は舞いおりた (1976)

真っ向から戦場を描いた「史上最大の作戦」とか、戦争時の人間ドラマに切り込む「戦場にかける橋」とか、まだ戦後という表現が生々しかった70年代までは、第2次世界大戦を舞台にした映画は数多く作られています。それらとは一線を画する娯楽アクション映画といわれるジャンルもあって、それらの原作者として有名なのが、ジャック・ヒギンズとアリステア・マクリーンだと思います。

マクリーンと比べると、ヒギンズは別名で書いたものも含めると作品は多く、1975年に発表された「鷲は舞い降りた」は、ヒギンズの代表作として有名ですぐに映画化されました。何故か映画では「降りた」が「おりた」になっています。


第2次世界大戦物は、当然のことながら太平洋では日本が悪者ですし、ヨーロッパではナチス・ドイツが敵役です。ほとんどの映画は勝者の側から描かれるのですが、この映画の一番の特徴は、ナチスの視点から作戦が失敗するという視点で描かれた戦時スパイ映画というところ。

監督はジョン・スタージェス。多くの西部劇、あるいは「大脱走」などのアクション物で腕をならした名匠ですが、この映画が遺作となりました。音楽は「スパイ大作戦」、「燃えよドラゴン」、「ダーティ・ハリー・シリーズ」などで有名なラロ。シフリン。

1943年にドイツ軍が行ったムッソリーニ救出作戦の成功をヒントに、さらにヒットラーがイギリスのチャーチル首相を誘拐しようと思いついたというストーリーが作られました。

現実的ではないと反対の立場をとるカナリス将軍(アンソニー・クエイル)をさしおいて、親衛隊比のヒムラー(ドナルド・プレザンス)は、ラードル大佐(ロバート・デュヴァル)にヒットラーの命令書を渡す。ラードルは、功績のあるシュタイナー中佐(マイケル・ケイン)に白羽の矢をたて、田舎の村にお忍びで静養に来るチャーチルの誘拐または殺害を命じます。

ここでシュタイナーは、勇敢で正直、部下思いの人物として描かれる。本来なら「悪者」なんですが、ヒットラーの思い付きに踊らされる気の毒な人として十分に感情移入できるようになっています。

さらにランドールは、対イギリスで共闘するIRAのデヴリン(ドナルド・サザーランド)を先に村に潜入させ、本隊の到着の準備をさせます。ところが、デプリンは村の娘にちょっかいを出してしまう色男ぶり。何でアイルランド? と感じますが、IRAの登場は、アイルランド育ちのヒギンズの作風の特徴の一つのようです。

いよいよシュタイナーらが海岸沿いにパラシュート降下し、ポーランド軍を装って村で軍事演習を始めます。思いもよらぬミスから正体が露見し、シュタイナーは村人らを人質に教会に立てこもりました。本国でも、失敗を恐れたヒムラーにより、ラードル大佐は越権行為の罪で銃殺されていました。

駐屯していたアメリカ軍に包囲され全滅する中、シュタイナーだけはチャーチルのもとへ向かいついに射殺するのですが、その直後に銃弾に倒れます。実はチャーチルは替え玉で、シュタイナーは「犬死だった」と声をかけらるのでした。脱出のため用意されていた魚雷艦は浅瀬で座礁して身動きが取れなくなり、デプリンはも一人去っていきました。

まず、映画本編を見ていると時間の流れがはっきりとしないため、ほんの数日間の出来事のように感じられ、物語の進行に深みが感じられません。すべての台詞が英語で、ドイツ語がまったく出てこないのも違和感ありです(しょうがないけど)。

ドナルド・サザーランドは面長で、いわゆるイケメン俳優ではないのに(ゴメン!!)、急に若い娘と親密になるのもピンとこない。嫉妬した村の若者がデプリンの正体に気づいたことで、娘に射殺されるという話も出てくるんですが、本筋との関連が感じられない。教会を包囲するアメリカ軍の司令が実戦経験がなく、功を焦って飛び出していくというのも何かなぁというところ。

原作を読んだ方は、この映画を酷評し、緻密に練り上げたストーリーの表面をなぞっただけのような批評が多い。原作を未読の自分が見ても中途半端な印象で、犬死になるような作戦に邁進せざるをえないシュタイナーの心情をもっと掘り下げたら良かったと思いました。

と、まぁ、批判ばかりしているようですが、名優を大勢揃えて、それぞれの頑張りは見所になっています。老スタージェスのあと少しの気合があれば、もっと良くなったのかもしれません。