2021年1月31日日曜日

地獄の黙示録 (1979)

アンチ・ヒーロー・・・というのが、アメリカン・ニュー・シネマを読み解くキーワードならば、「フレンチ・コネクション(1971」や「ダーティ・ハリー(1971)」のような、一定の枠からはみ出した刑事が活躍する映画も、それまでには無かったタイプのものです。

一定の枠からはみ出る、ということは体制側に組み敷かれるのではなく、時には体制に逆らい、自分の独自の価値観で行動するということで、まさにベトナム戦争に対する疑念からいらだつアメリカ一般市民を代弁するキャラクター。

しかし、ペンタゴン機密文書漏洩やウォータゲート事件により、ホワイトハウスの欺瞞が明らかになり、ベトナム撤退が現実になると、これらを主役にしつらえた映画は急速に勢いを無くしていきました。

どちらかと言えば、明るく楽しいエンターテイメント重視した作品が増えるようになりますが、しかし一度病んだアメリカの良心は回復することはなく、アンチ・ヒーローはむしろ社会に定着した普通の存在になりました。

そして70年代後半は、ベトナム戦争を正面から描く映画が次から次へと制作され、「ディア・ハンター1978)」を皮切りに戦争の狂気の中で、兵士たちも一般のアメリカ市民も自分たちの古き良き価値観が崩れ去ったことを総括していくことになります。

そして登場したのが、アメリカン・ニュー・シネマと呼ばれる最後の作品である、「地獄の黙示録」なのです。

原案は、アフリカ大陸コンゴ川の奥地で神のように崇められる人物を描いた1902年のジョゼフ・コンラッドの小説「闇の奥」で、70年代初めにまだ学生だったジョージ・ルーカスらがベトナムに置き換えて映画化しようとしたもの。

しかし、戦時下では実現は無理な話で、ルーカスは「スター・ウォーズ」の制作費を得るために、「ゴッド・ファーザー」の大ヒットで名を上げたフランシス・フォード・コッポラに権利を譲りました。コッポラは、これに様々なモチーフを付け加え、この困難な作品を映像化しました。

泥沼化したベトナム戦争の中で、アメリカ軍ウィラード大尉(マーティン・シーン)は、ジャングルの奥地に自らの王国を作った元グリーンベレーのカーツ大佐(マーロン・ブラント)の暗殺指令を受けます。

ウィラードは哨戒艇で川を遡り、目にしたのはサーフィンをするためベトコンの基地を襲撃する指揮官や、慰問のプレイメイトに狂喜する兵隊、もはや指令も目的も無くただ戦い続ける最前線の兵士などの戦争の狂気です。仲間もウィラード自身も、しだいにその狂気の中に飲み込まれていくのです。

それでも、カーツの王国にたどり着いたウィラードは、カーツからこの戦争でのアメリカの嘘を指摘され、敵と呼んでいた人々がどれほど信念をもって戦っているかを聞かされます。その一方で、暗殺者がいつか来ることは感じていたカーツは、みじめな脱走者ではなく軍人として死ぬことを望んでいることを感じ取ったウィラードはついに使命を決行します。

哨戒艇に戻ったウィラードは、静かにゆっくりと川を下っていく。すべての価値観が失われ、ウィラードの心には恐怖だけが残っていました。殺す側、殺される側の両者が「アンチ・ヒーロー」であるこの映画は、エンド・クレジット無し(後の版では追加)で漆黒の闇の中に消えゆく様に終わります。

1976年3月に始まった撮影はフィリピンの熱帯雨林で行われ、様々なアクシデントに見舞われ、またコッポラの完全主義もあり1年近くかかっています。その後の編集も2年かかり、制作費は予定の1200万ドルを大幅に超過して3000万ドル以上になりましたが、なんと半分近くはコッポラが自ら拠出して完成させました。

1979年の劇場公開版は約2時間半でしたが、2001年に使用されなかったアメリカ批判的なシーンを1時間近く追加して完全版が作られています。さらに無駄をそぎ落とした約3時間のディレクターズ・カット版も2019年に登場しています。

公開当初は、賛否両論がありましたが、特に国外からは高い評価を受けました。現在では、アメリカ国内でも映画史上に残る傑作のひとつとして認知され、「ゴッド・ファーザー」と共にコッポラ監督の代表作とされています。