2018年8月31日金曜日

ネパール・フェスティバル2018


前回の日曜日に都内に用事があったので、駒沢オリンピック公園により道をしました。いろいろと運動をしている人々が多い場所なので、何か面白い写真が撮れるかなとおもったんですが、何かのイベントをしていて、けっこうな賑わいでした。

この炎天下の下、何をしているのかと思ったら、「ネパール・フェスティバル」というものらしい。さすがに直射日光を避けて、テントなどがあるところに人々は集まっていましたが、けっこう盛大なイベントです。

これを主催していたのは、Non-residet Napali Associationという団体で、日本語だと海外在住ネパール人協会というもの。民族衣装を着ている方々にはけっこう日本人も多くて、それなりに活発な交流活動が行われていることを想像させます。

自分の様にネパールに対しス知識が乏しいものには、エベレストへの玄関口というのが一番わかりやすいのですが、その場の雰囲気としては服装とか、出展されていた食事とかは、インドに近い印象でした。

ステージではギターを抱えた歌手(プロ? アマ?)が歌っていて、けっこう良かったです。ネパール語だろうと思いますので、歌詞の内容はわかりませんが、割と洋楽っぽい感じでした。

ステージ横に大きなモニターが設置されていて、ステージが映し出されていました。ビデオ・カメラが前にあって、写っているものが後ろに見えているのが面白いと思って写真を撮ってみたんですが、これは失敗写真ですね。

カメラが目立たなさ過ぎて、ステージ横に集まっている人々をただ撮影しただけみたいな写真になってしまいました。

モニターを背景にかぶせて、ビデオ・カメラを正面から写せるとよかった感じなんですが、そうすると自分がステージに上がっていることになっちゃいますから無理ですよね。

2018年8月30日木曜日

空気感 (4) Goal Net

f/5.6  1/200sec ISO-100  300mm

察しのいい方は気がついていると思いますが、今週使っている写真は、この前の日曜日に東京の駒沢オリンピック公園で撮影したものです。

ただ、カメラを持ってブラブラしているだけでもかなり暑くてしんどいのに、その中で運動をしようという方々には頭が下がります。ただ、脱水、熱中症にはくれぐれも注意してもらいたいとも思います。

さて、この写真のタイトルは「ゴール・ネット」です。そう、主役はネット。まぁ、ぶっちゃけキーパーはどうでもいい。

ここで目指したものは、3次元の中で菱形が広がる2次元の平面の面白さ・・・なんて書くとかっこいいのですが、平たく言えばネットの模様かいいなと思ったという事。

フィールドやキーパーが写ることで、サッカーの試合をしているところだというのがわかりますが、ネットを強調したくて、やや白を強調する現像をしています。

ソール・ライター風を意識したのは。主役のネット越しに見える脇役の人から、ストーリーが浮かび上がってくるということ。これは、ゴールを決められた後に一瞬できる、緊張感が過ぎ去って気が抜けた空気です。

ただ漠然とシャッターを切るのではなく、どんなものを撮りたいのかを意識するようになって、無駄な画像ファイルの数はだいぶ少なくなりました。

2018年8月29日水曜日

空気感 (3) ないものを写す

f/5.3  1/1000sec  ISO-100  105mm

そもそも空気は見えないし、存在感を意識するものではないので、写真に写すことはできません。だから、感覚として「雰囲気」と呼ぶような感じの事を空気感と呼んでいるんだと思います。

だから、写真に写る空気感というのは、直接写っていないけど感じられるもの、あるいは見えてくるもの、つまり写真から伝わってくるある種のストーリーの一部ということかなと。

ソール・ライターの写真が「いいな」と思うのは、そういう雰囲気をうまくとらえているから。ライターは人を写しても、人が写真の主役ではありません。あくまでも、その場の雰囲気を伝えるための小道具で、空気感の要素の一つなんだと思います。

昨日のエントリーで、搬入口がのぞいて見えていた審判員の方を、位置を移動してスタンドから見下ろしてみた写真です。

ここではフィールドのトラックが主役。人はあくまでも、空気感を感じるためのアクセントなので、わざと三分割構図を崩してできるだけ右下に寄せてみました。

左上から競って走ってくる選手が「見える」ようなら、あるいはせめて走ってくる足音が「聞こえる」ようなら大成功です。

2018年8月28日火曜日

空気感 (2) Hot & Cool

f/5.6  1/200sec  ISO-100  90mm

写真の大部分を占めるのが、曇った窓ガラス、あるいは天蓋だったり、時には板だったりして、その一部に隙間から垣間見るように人々を写し撮る手法は、ソール・ライターのわかりやすい特徴の一つです。

写真を見る視点は主として見えているところに行くので、見えていない部分が小さいと忘れられてしまいます。隠れた部分を大きめに入れることで、注目する部分のバランスが取れるという事なのかと思います。

そういう写真を撮れないかと、いろいろ歩きまわっていると、ちょうど陸上競技場のフィールドへの搬入口で見つけました。

ピーカンの天気で、フィールドはかなり暑くなっていると思いますが、搬入口は暗くてひんやりした感じ。開いたドアから見える審判員に焦点を当てて撮影してみました。

内外の温度差の雰囲気・・・たぶんそれも「空気感」と呼べるものなのかと思いますが、ある程度はその対比を出せたのではないでしょうか。

2018年8月27日月曜日

空気感 (1) Hot & Wide

f/5.6  1/320sec  ISO-80  300mm

バスケットボールは、競技人口が多いとは言いにくいスポーツだと思うのですが、ゴールポストはけっこういろいろな所に設置されていたりして珍しくない。

けっこう誰でも体育の授業以外の場面で、シュートしたことがあると思います。

外国だと、特にプロリーグが人気あるアメリカだと思いますが。街の公園なんかで遊んでいるこどもたちの映像をよく見かけたりします。

普通なら屋内の体育館で行うスポーツですが、この真夏の炎天下にだだっ広い屋外でゴールめがけてシュートするというのも、練習? 遊び? の中だからできることですね。

ここでは、相変わらずソール・ライターを目指して、ゴールポスト以外には何もない空間の広がり、つまり空気感を意識して撮影してみました。ゴールポストと人がアクセントになっています。

ライターの写真は、一見、被写体と思われるものが脇役で、何も写していないかのような部分が主役だったりするものがよくあります。

広いね・・・とか、暑そうだね・・・というようなところを感じてもらえれば、まぁまぁの写真というところでしょうか。

2018年8月26日日曜日

鎮魂の8月

f/4.5  1/4000sec ISO-640 55mm

今年の8月は暑かった・・・というか、どんどん沸騰しつつある日本列島で、まだまだ暑さは続くようです。

夏休みがあったりして、8月は楽しいイメージが多いのですが、遅ればせながら、8月は終戦記念日がある月。1945年のことで、70年以上がたちました。

自分たちは「戦争を知らないこどもたち」と呼ばれる戦後生まれの世代で、荒廃した国土を立て直そうと日本国中が一致団結して復興に力を注いだ高度経済成長期に成長しました。

もっとも、今ではそれらの話も含めて「昔話」となり、毎年この時期になるとメディアでは「どうやって若い世代に伝えていくか」という特集がたくさん組まれます。

戦争を直接体験した世代は大多数は亡くなっていますから、もはやまた聞きになるので、伝えるべき話の力もどうしても落ちていくことは避けられません。

歴史は勝者の記録ということはよく言われますが、記憶にあった話を記録に変えて、少しでも正確な情報として残していくことは大事。毎年8月は、記録を増やしていく、あるいは重ねていくきっかけを作る月ですね。

2018年8月25日土曜日

質感 (2)

f/5.6  1/80sec  ISO-250  260mm

自動車と違って、バイクはメカニカルな部分が露出していて、それはそれでかっこいい。

バイクのことはよく知らないのですが、このバイクのように、持ち主がこだわりを持ってバイクをいかにもチューンナップしていそうという場合は、よりメタリックな美しさが際立ちます。

自然に白と黒のコントラストがより精悍な感じを出していて、オレンジのランプがワンポイントのカラーとして映える感じがします。

でも、この写真は失敗だろうと・・・何故かというと、中央にピントが合っているのですが、奥行きの関係で左右が中途半端にぼけています。メカのシャープな感じを捕らえるには、絞って全体にフォーカスするような撮り方の方が良かったのではないかと思っています。

また、ぎりぎり背景はかっとしてメカに集中しようとしたのはいいのですが、その結果、全体がごちゃごちゃしすぎました。視点がウロウロしてしまい、どこを見るべきなのかよくわからない写真です。

もっと角度をつけて、ポイントをはっきり、ボケるところはしっかりぼかす。あるいは、正面に捉えた方がよかったのかもしれません。

2018年8月24日金曜日

質感 (1)

f/4  1/400sec  ISO-100  120mm

車のヘッドライトというのは、けっこうインスタ映え、いやフォトジェニックな被写体でして、びしっと決まるとかなりかっこいい。

前回は赤のフェラーリ。これは現像処理でコントラストを落として、わざとメタリック感を減らしてみたんですが、ちょっと見るとガンダムにでも出てくるモビルスーツのドアップのようになりました。

今回は白のフェラーリです。前とは逆に、コントラストをシャープにくっきりさせてみたら、立体感が強調されました。

なだらかに湾曲するボディのラインがよくわかり、ランプもきりりと引き締まった感じがなかなかいい感じです。

こういうところは、いわゆる写真の「質感 (detail)」ということなんですが、いじりすぎて「嘘」になってしまうと、絵画に近くなってしまい、そのままを記録する写真の特性がなくなってしまいます。

あくまでも、強弱をつける範囲にとどめるべき処理だと思います。

2018年8月23日木曜日

田園都市リウマチフォーラム 番外編

田園都市リウマチフォーラムは、自分が世話人の一人に連なる、関節リウマチ及び周辺疾患を勉強するための会。地域での病診連携、診診連携をスムースに行うために、顔がわかる交流にも寄与したいということで始めたもの。

年に3回を基本に開催し、主として世話人が相談した「リウマチ診療の今にはこの知識が必要」と思えるテーマに沿って最適な講師を招いて講演をしてもらい、また普段の診療で疑問に思うことをディスカッションする内容で、これまでに23回行ってきました。

昨夜は定例の会とは別に、製薬会社主導で番外編的な講演会を行いました。これはこのフォーラムが回を重ねるにしだがって、地域のリウマチ関連研究会として着実に根を張り、対外的にも認められる勉強会になって来たということだと理解しています。

2010年にこの会が始まってから、実は番外編はこれで4回目なんです。過去には、最初は一般向けの啓蒙的な講演会、2度目は関節エコー検査実技を習得するための研修会、そして今回の様に製薬会社からのリクエストによる薬の解説を主体とする講演会がありました。

この場合は、製薬会社の意向に沿って、やや宣伝的な内容に傾くのはしかたがないところですが、田園都市リウマチフォーラムの名前を冠して行うからには、少なくとも演者については世話人の意向を反映していただきました。

今回の講師は東邦大学大森病院の亀田先生で、リウマチの病態の基本に大きく関わるサイトカイン研究の第一人者で、各地の講演会に招聘される多忙な先生の話は大いに刺激を受けることがたくさんありました。

自分はよく患者さんに「どんな薬も2~3割の方には効果が出なく、それは使ってみないとわからない」というような話をするのですが、亀田先生の話から実はそれは「どんな薬も8割の人に効く様に作られ、効くかの事前の判断はできないわけではない」ということだったということが理解できました。

これは、けっこう衝撃的なことです。リウマチで病気に関係したサイトカイン濃度を測ると、患者さんによってその幅はかなり広く、そのすべてに効果が出るように薬の濃度をデザインすると、大多数の患者さんには量が多くなりすぎます。

そこで、薬は7~8割程度の患者さんに十分な効果が出るような量に調節されているということ。そして、本来はターゲットになるサイトカインの種類と量を特定し薬を選択すべきところなんですが、現実には簡単に計測する方法が確立していないわけです。

最近のリウマチ薬は効果は絶大ですか価格も高く、事前に患者さんごとに最適な薬を使用前から確定できる方法があれば、医療経済的にも大変効果的だと思っていますが、複数のサイトカインを低価格で簡便に計測するキットの開発は絶対に必要だと思います。

次回は10月に定例会です。まだまだ勉強しないといけないことは、いろいろありますね。

2018年8月22日水曜日

日常から (10) Ombre

f/5  1/125sec  ISO-200  82mm

商業ビルでよくある、通り抜けできる通路というのも、何となく見てればそれまでのものですが、しばらく止まって眺めていると写真になりそうな瞬間があったりします。

それは、向こう側を人が通り過ぎる時なんですが、人に限らず何か動くものがあると、静と動の対比が生まれてくるということなのかと思います。

ソール・ライター視点は、人をたくさん写しているのですが、人そのものを撮ることを目的にしているというより、写真の中に人が写り込むことでアクセントの一つに利用している感じというところがありそうです。

人が主役ではないという点は、気楽にシャッターを切れるところがあっていいんですが、ただ現代では、下手すると法的な問題になる場合がある。

営利目的に利用する場合は、確実に写った人の同意が必要だったりしますし、場合によっては看板などのロゴとか店名も問題になることがあるようです。

趣味の写真のレベルでは、直接その人を撮影することが目的の場合はエチケットとして声をかけることは必要ですが、基本的に写り込んでしまうだけの場合は良しとされているようです。ただし、そのあたりの境界ははっきりしません。まして、SNSやブログにのせてしまうなら、それなりの配慮が必要になる。

この写真では、通り抜け通路の暗と静、通路の向こう側の明と動の変化が面白いかなと思ったのですが、歩行者があっちを向いていてくれればよかったのですが、たまたまこっちを見ちゃっているんですよね。

もともと、明の部分は左下1/4程度のつもりだったんですが、結局、顔をぼかす修正をして、通路内にある店看板をできるだけ削るようにトリミングしたら、むしろ人が中心に近いところにでてしまい、明暗の比率が1:1に近くなってしまいました。

本来ならボツ写真ということなんですが、人が写っていないのもたくさん撮影しているんですが、人がいる方が圧倒的に絵になる見本ということで、人を写す難しさを含めて出してみました。

いつも無理やりつけているタイトルは、「明暗 (ombre)」としましたが、英語だとLight and Darknessとか、ちょっと怖い感じなので短めのフランス語にしてみました。

2018年8月21日火曜日

iPhoneカメラ

f/1.8  1/2660sec  ISO-20  4mm

自分が使用しているスマートフォンは、現在はiPhone7 plusですが、以前にも再三書いてきたように、実はAppleは嫌いなんです。

嫌いな理由とか、嫌いなのになんで使っているのかとかは横に置いておいて、結論から書けば、他のスマートホンと比べて、iPhoneはものすごく性能が高いわけではないということ。それは、内臓カメラ・レンズにも言えると思っています。

Appleのすごいところは、そのプレゼン能力だと思います。モダンでスタイリッシュなCMを作って、「誰でも簡単にかっこいいことができてしまう」と思わせる力はたいしたものです。

今回は、久しぶりにiPhoneで撮影した写真を出してみました。デジタル一眼レフカメラを、マニュアル設定で撮るようになって、あらためてiPhoneのカメラの実力を考えてみます。

上の写真は、撮ったままだと3024×3024、72dpiのところをブログ用に1200×1200に解像度を落とした以外は、何もいじっていません。王禅寺にあるゴミの焼却場にある煙突なんですが、数年前に改築されて、煙突らしからぬモダンな外観に変わりました。

まず、今までカメラの撮影モードにあるスクエアというのは、使ったことがありませんでした。フォーマットとしてスクエアは、中判以上の大型カメラで使えるもので、ちょっと玄人っぽい感じがします。

撮影のための設定は、マニュアルではほぼ何もできません。フルオートの撮影になります。センサーサイズは4.8×3.6mmですから、フルサイズの1/50の面積しかありません。焦点距離4mmはフルサイズ換算で30mmで、スナップ撮影用としては無難な範囲の広角です。

普通なら、広角でf1.8はかなり明るいレンズと言いたいところなんですが、実際の写真では、実際の肉眼で見えていた光景から比べて、かなり暗い写りです。煙突はもっと白っぽく見えていましたが、黄色味かがっています。雲が多めの青空も、青というよりは黒っぽくて雨雲が広がっているように見えます。

センサーが小さいですから、できるだけISOを下げていないとノイズだらけになるということなのか、ISOは20まで下がって、その分シャッター速度は1/2660secという極端な短さになっている。

結果として、ノイズの少ないクリアな画を得るために、コントラストや色彩のディテールは後回しになっている写真という感じでしょうか。

実際、室内での撮影ではISO感度はかなり上がってしまうので、ノイズがかなり出ますから、SNSレベルでそのままのサイズで使用するのが限界。まして、クロップはできません。

スマートホン搭載のカメラのせいで、コンデジを含めてカメラ全体の売れ行きはかなり落ち込んだというのは事実なんですが、じゃあコンデジ以上の性能なのかと言うとそれは無いと思いますね。気楽にバシャバシャと電子シャッター音を響かせても、あくまでも小さなスマートホンの画面の中で楽しむ以上の写真にはならない。

カメラ業界は技術の開発は当然重要ですが、より優秀なクリエイターをハンティングして、Appleに負けない商品の魅力の発信を行うことが必要ではないでしょうか。

2018年8月20日月曜日

線香花火

f/5.6 1/30sec ISO-6400 300mm

夏です。
夏と言えば花火。

花火大会で、どでかい花火がバンバン上がっているのも見応えがありますが、昔から線香花火のなんとも言えない「物の哀れ」のような切なさも好まれます。

デカくても、小さくても、花火は撮影するのがけっこう難しい被写体ですね。とりあえず、線香花火の撮影に挑戦してみました。

撮影の注意として、まず、火花が散るので近づきすぎるのは危ない。これは、ある程度離れて望遠で引き寄せました。そのため、ピントの合った火花と、ぼけた火花が混在しました。

シャッター速度も試行錯誤が必要。遅くして、火花をシャワーのように捉えるというのもありますが、それだと火花のラインがはっきりしなくなる。早くすると、写せる火花が少なくなってしまいます。

あとは、そもそも線香花火がどんだけ頑張ってくれるかにかかっていますよね。

これは、ちょっといまいち。火花が肉眼で見ても寂しい。まぁ、その分だけ派手過ぎず、切なさ感は出ているかもしれませんけど。

花火そのものを吟味して、もう一度挑戦したいと思います。

2018年8月19日日曜日

日常から (9) True or False

f/4.8 1/125sec ISO-100 68mm

突然ですが、急に思い出した言葉で、「うつし世はゆめ、夜の夢こそまこと」というのがあって、これは日本の推理小説の草分けの一人である江戸川乱歩が好んで色紙に書いたもの。

うつし世は現実世界のことで、現実が嘘で、嘘が現実みたいな、本当のものなんてどこにもないという、乱歩らしい不思議さが凝縮した「名言」です。

写真は、本来あるがままの実態をそのまま写しして記録するものです。ところが、日常のなかの一瞬に「あれっ?」と思うような光景はところどころにあって、それをうまく切り取ることができれば、なかなか面白い写真になりそうです。

この写真は、どれが実態で、どれがガラスへの反射なのか、ちょっと見るとどこまでがカメラの前に実際にあるものなのかわからない感じが楽しい。外から中を覗いているのか、中から外を覗いているのか、知らずに見るといろいろと想像できそうです。

ここでのソール・ライター視点は・・・まず縦構図。ライターの写真は縦が多いのですが、横への広がりがわかりやすい横構図と違って、縦構図は高さの表現とか奥行き感が出しやすい特徴があります。

ガラスを通して向こう側を見る、あるいはガラスに反射してカメラが向いていないものを見るというワンクッションもライターっぽいところだと思います。

タイトルはやや大げさですが、夢なのか現実なのかみたいな感じで「嘘か真か (True or
 False)」ということにしておきます。

2018年8月18日土曜日

日常から (8) Wrought Mist

f/8 1/15sec ISO-50 180mm

二子玉川は、モダンな街として「マダム」たちに好まれています。街のおしゃれ感を醸し出す細工は随所にみられるのですが、極めつけはこれかなと。

建物沿いにサンシェードがつけられ、暑い日差しを弱めています。緑もまぁまぁ涼し気でリゾート風。そして、霧が出て・・・って、街中でこんなことはありえません。

この霧は人工的なもので、上にパイプが通してあり、細かい水を噴出して作っているんですね。この区画だけではありますが、なかなか手の込んだ仕掛けで、この酷暑の中では通行する人をホッとさせます。

この写真でのソール・ライター視点は、たぶん赤。比較的色彩の少ない景色の中で、歩いている女性の赤い服がワンポイントの色を加えてくれました。

ソール・ライターのカラー写真では、直接に人を写しているものはあまりない。写っている人は、あくまでも景色を作る要素の一つみたいな感じで、そのかわりひときわ目立つ色彩・・・特に赤色がしばしば視線を固定するのに使われます。

霧をできるだけ多く写真の中に広げたかったので、シャッター速度をかなり長めにしています。その分、ぶれも大きいのですが、人物を無理なくぼかしてくれました。

タイトルは都会での人工的な「作られた霧 (Wrought Mist)」という感じです。

2018年8月17日金曜日

日常から (7) Lattice Sky

f/11 1/80sec ISO-100 52mm

単なる商業ビルの壁面です。1階分が3~4分割されたような、細かい窓で構成されています。半分くらいには、あまりセンスがあるとは思えない木目調のシートが張ってあるようですが、シートのないところは綺麗に青空が反射していました。

青空を格子で区切ったように見たところが面白いと思い、写真に収めてみました。これ以上広角だと、周囲の余分なものが入ってくるし、できるだけたくさんの格子を入れたいので望遠にしてもダメ。やはりこういう時は、ズームで画角を自由にできるのは便利です。

現像作業は、下から見上げているので、上に向かって狭まっていく格子の歪みを修正しています。また、できるだけ普通の青空に見えるように明暗と色調を調整しました。

ソール・ライター風視点としては、被写体を直接ではなく何かを通して見るというところでしょうか。ライターの写真の特徴の一つに、隙間やガラス窓越に見る視点があります。ある種のフィルター効果によって、見えている物を和らげたり、逆に強調したりするということだと思います。

当たり前に広がって注目することもない青空ですが、格子に区切られパズルのように抜けて見えないところがあって、そこに隠れたものを想像するのも楽しいのではないでしょうか。

2018年8月16日木曜日

日常から (6) Blinking

f/8 1/160sec ISO-60 300mm

実は、最近の投稿の流れというと・・・先月、たまプラーザの写真室、AT WORK STUDIOの松岡伸一先生に写真の個人レッスンをお願いしたんですが、当然ながらそも「どんな写真をとりたいのか」という話から始まったわけです。

絶景を撮りに行くわけでもなく、モデル撮影会に出かけるわけでもない。基本は、カメラを持ち歩くだけはして、自分の行動範囲内でのお散歩カメラ、つまりスナップ写真が主たるもの。

そこで、松岡先生が「だったら、こんなのはどう」ということで、教えてもらった写真家の中で、たぶん一番自分の感性に近くて共感できる写真かなと思えたのがソール・ライターだったんです。

でもって、恐れ多くも、ソール・ライターの写真を意識した「日常シリーズ」を続けてきたわけ。とても真似ができるわけでもないのですが、何となくということでお許しを。

渋谷ほどで大きくはありませんが、最近じゃあまり見なくなったスクランブル交差点です。横断歩道の模様の交差だけでも画になる感じなんですが、当然緑の歩行者マークが点滅し始めても渡る人は必ずいるものです。

ですから、タイトルは信号機の点滅ということで「点滅 (Blinking)」です。実際は、ほぼ赤に変わっているから急いでいるわけですけどね。ここに、小さなドラマがあったりしますよね。

何回か信号が変わるのを見ながら、一番ちょうどいい感じだったのがこれ。他人が写真に写る場合、それが被写体の主たるものでなければOKなのですが、明らかに意識的に撮影している場合は個人を特定できない(顔が写らない)ことが求められます。

ですから、そもそもソール・ライターのように撮りたいと思っても、SNSや、このようなブログに使うというのなら現代では簡単にはいきません。カメラを隠して撮影しているわけではありませんので(だいたい一眼レフは隠せません)、盗撮とかいわれる筋合いはありませんけどね。

2018年8月15日水曜日

現像ソフトで星をくっきり

f/3.5 2sec ISO-10000 28mm

これは無料の物も、有料の物もたくさんあって、どれを使うかというのは悩みどころです。現在の自分の様に、NIkonのカメラにNikkorレンズしか使用しないという場合は、ニコンのHPから無料ソフトウェアをダウンロードして使用するのが一番無難。

・・・のはずなんですが、ニコンのRAWファイル全体を管理するためソフトウェアが使いずらいことこの上ない。今どきの広い画面に対して文字が小さすぎて、老眼にはとてもしんどいものがある。

現像ソフトウェアも悪くはないのですが、やたらと細かい操作ができることは確かなんですが、痒いところに手が届かないもどかしさがある。カメラ・レンズを知り抜いている人にはいいのかもしれませんが、もう少しお手軽さもあってもいいと思います。

となると、サードパーティのものに頼ることになるわけですが、実は10年前に最初のデジタル一眼レフ(Sonyでした)を購入した時も、純正ソフトでは無理という事で、Capture Oneというソフトウェアを、けっこうな値段を出して購入しました。

正直、よくわかっている人でないと使いこなせないような高級ソフトで、ほとんど宝の持ち腐れ。しかも、別のPCに再インストールできない仕様だったので、ほとんど使えず終了してしまいました。

結局、RAWファイルの方がいいのはわかっていても、いろいろと扱いやすいJPEGだけで撮った写真をいじることで落ち着いてしまったという経緯があります。10年前は、選択肢もほとんど無かったのですが、その後AdobeのLightroomが登場し、今ではけっこういろいろなものが手頃な価格で使えるようになりました。

当然、Lightroomはデフォルトの地位を獲得しているという状況で、普通に考えればLightroomを使えば、ネットでの情報量もたくさんありますし問題はない・・・んですが、どうしても今のAdobeの月額課金制に納得いかない。

LightroomとPhotoshopの二つが使えて毎月980円ですから、一見安いようですが、年間で1万2千円、何もしないとずっと取られ続けるんですよね。カメラを毎年買い替えるとか、新しく発売になったレンズをどんどん購入していくとかなら、新しい機器に対応するためにそれもありかもです。

ただ、マニュアル的な操作でデジタル現像をするなら、いちいち新製品に対応してなくてもあまり問題はありません。買い切りのソフトウェアは、Lightroomを意識してかだいたい1万円~1万5千円くらいの価格設定で、新製品への対応はしてくれます。

そこで、ほとんどが一定期間試用することができるので、自分の使い勝手に合うのかどうか試してみました。いろいろありますが、現実的な候補として2つ。一つは日本製のSilkypixで、もう一つは海外のDxO Photolabです。

Lightroomは確かに使いやすいし、プロでもアマチュアでも必要な機能がうまくこなれているんだと思います。他のソフトは、気の毒なことにどうしてもLighroomと比較してという感じになりやすい。ただ、住めば都、どんなソフトも使い慣れれば、基本的に出きることはそう大差はありません。

Silkypixは悪くはありませんが、かなり細かい調整項目があって、逆にわかりにくい。DxOは、自分にはちょうどいい感じですが、現在DxOという会社自体が破産?という噂があるようで不安。

いずれも、現像操作はこんなもんでしょうというところですが、デジタル一眼レフから大量に発生したRAWファイルの管理というところでは、Lightroomにはだいぶ差をつけられている感じでしょうか。

現像作業だけでいうなら、実はもう一つ選択肢があって、何とフリーウェアでそれなりに新製品にも対応しているというのがRaw Therapeeという超優れもの。日本語にもほぼ対応できています。無料というが大きな魅力なんですが、インターフェースがやや使いずらいことと、かなり出きる項目がマニアックでわかりにくいところが難点でしょうか。

さて、でもって上の写真なんですが、「満点の星」とか「星降る夜」なんて歌の歌詞に出てきそうな状況は、小さい時に確か日光あたりで見た記憶はあるものの、ほとんど都会で生活しているとまったくの無縁です。

今夜も星は数えるくらいしか見えていないと思いつつも、何気なく夜空に向けてシャッターを切ってみて驚きました。カメラのセンサー感度の向上のおかげなんでしょうけど、肉眼で見えていたよりも何十倍もの星が写りました。


これは、現像操作前の写真。さすがにシャッターを2秒間開くというのは手持ちは辛いわけで、物干し台にしっかり腕を固定しての撮影です。

元の画像に白黒を強調して、彩度を上げて、ノイズを減らしつつ、シャープをかけたものがトップのものですが、だいぶ見やすくなったと思います。

夜でも地上の光が多いし、そもそも近視で乱視の老眼では、空を見上げてもボケボケで星はまったく見えません。カメラのおかげでちょっと感動しました。

2018年8月14日火曜日

日常から (5) Bus Stop

f/14 1/15sec ISO-100 92mm

クリニックのあるビルの下はバス・ターミナルですから、ベランダから下を覗くと、バス待ちの行列が見れます。

ほとんどのバスが始発ですから、座れて安心なんですが、横濱市営地下鉄のグリーンラインが開業してからは、かなり本数が少なくなってしまい、お年寄りはかなり困っている。

だからというわけでもないのでしょうけど、この日は行列は男性サラリーマンばかりで、服装も白黒ばかり・・・あれっ? 赤い人がいる。白黒の中に女性が一人混ざっていました。

これだけ暑いと、ただバスを待っているだけでも大変ですよね。ご苦労様です。

写真的には、一見すると白黒写真。やはり、ワンポイントの色がさすと違いますね。ただ、相変わらず、あわててカメラを向けるので設定がひどい。

たまたま手振れがあまり目立たないからいいようなものの、1/15secはないですね。絞りを開けて、シャッター速度は1/100secくらいにするべきでした。

タイトルは「Bus Stop (バス停)」です。

2018年8月13日月曜日

日常から (4) Scrap

f/4 1/640sec ISO-100 50mm

写真を白黒にすると日常の何でもない光景が、急にアートっぽくなる・・・というのは、勘違いなんですが、でも、勘違いしたくなるところがあります。

ただの廃車が置いてあるだけの場所の写真なんですが、色彩があると、妙に生々しい感じがしますが、白黒にしてしまうと、捨てられゴミと化した文明の利器の哀しい末路みたいな・・・

無機質な鉄くずみたなものなので、あえてコントラストは強めにして、白黒の差を多めにしてみました。シャープな感じで、ディテールはよりはっきりしたと思います。

タイトルは「Scrap (廃車)」です。街撮りスナップアートらしい・・・いや、やはり、勘違いだな。

2018年8月12日日曜日

日常から (3) Red Rain Shoes

f/5.6 1/100sec ISO-800 122mm

ふっと窓越しに見えた光景に、ピピっと来るものがあった時はシャッター・チャンスです。

この時は、お母さんに手を引かれて歩く女の子の赤い長靴が鮮やかでした。やはり、赤い色というのは、ワンポイントとして目立つ色なんですね。

ちょうど前に出た足がまっすぐなところが、こどもっぽく楽し気に歩いている感じがして微笑ましく、これからどこへ行くのかなと想像したくなります。

左端のぼけて入った窓枠は、写した状況がわかるのでそのまま。右端は建物で区切られ、2本の街灯や街路樹のいずれも動かない物ですが、縦方向へ視線を誘導します。

一方、人の動きは横方向。縦横のバランスを考えて、正方形にトリミングしてみました。あわててカメラを構えたので、設定でISOが高すぎで露出オーバー気味でしたので、かなり調整しています。

タイトルは・・・う~ん、「Red Rain Shoes (真っ赤な長靴)」ですかね。

2018年8月11日土曜日

日常から (2) Puddle

f/5 1/100sec ISO-400 85mm

今年は台風の当たり年になるかもという話が、天気予報でよく出てきます。数日前に来た台風はぎりぎり関東地方に上陸はしませんでしたが、それなりの風雨でしたね。

雨が降ると水たまりができますが、いわゆる水鏡で、そこに映っているものに注目してみるのも面白い。

写している地面のタイルと水たまりは同じ距離にあるのに、水たまりに映った木にフォーカスを合わせると、被写界深度の効果が出てボケてくるんですね。

この場合は、前ボケと呼ぶのか、後ボケと呼べばいいのか、どっちなんだろう。たいしたことではありませんけど、光のマジックみたいな感じ。

写真のタイトルは、そのものすばりで「Puddle (水たまり)」でいかがでしょうか。

2018年8月10日金曜日

日常から (1) To and From

f/20 1/30sec ISO-100 85mm

特別な光景を撮影できる場所に出かけていく努力をするわけではなく、モデルさんの撮影会に参加する勇気は無い。それでも、頑張って有名な撮影スポットに足を運んでは見たけど、結局「きれいな写真」は撮れても、誰が撮っても同じような写真でつまらない。

何とも贅沢な悩みを抱えていることかと、自分でもバカみたいと思うんですが、いろいろ「いい写真」ってどんなものかと考えても、結局答えは人それぞれ。アマチュアは自分が気に入ればそれで良しみたいなところで、あんまのとんがってもしょうがない。

National Geographicという、有名なアメリカの雑誌がありまして、とにかく目を見張る写真の宝庫です。息を飲むような絶景、まさに驚きの瞬間が見事に捉えられていて、素晴らしい写真の数々を集めた単行本をいくつか持っています。

ただし、どう考えてもナショジオのような写真が撮れるはずもなく、ただ見て楽しむだけです。基本的に街歩きフォトがメインの自分としては、お手本にすることすらできないので、もっと普通っぽい写真の方が、現実的な興味が湧いてくる。

そこで、そこらにいくらでも転がっている日常の中から、面白そうな瞬間を探して見ることにしてみます。

今回の写真は、説明の必要はないただの道路の写真ですけど・・・でも、本当は上下にちょうど車がきっちり入る瞬間を狙っていたんですが、なかなかそうは問屋が卸さない。これが精一杯でした。

シャッター速度はゆっくりにして、車の動きを出してますが、アクセントの赤いポール・・・ちょっと彩度を上げてますけど、動きの無さとの対比が面白いかなと。

ですから、写真のタイトルは「To and From (行きと帰り)」とでもしましょうか。激しい色の赤が止まっていて、冷静さを・・・まぁ、あんまり、無理やり意味づけるのは止めておきましょう。

2018年8月9日木曜日

お気に入りの写真家

f/5.6 1/125sec ISO-320 300mm

あーだ、こーだと写真の事を書き続けていますが、「じゃあ、好きな写真家は誰?」と質問されたら、実は返す答えが見つからない・・・

音楽が好き、というなら、好きな演奏家がいるもんです。読書が趣味、というなら、気に入った作家がいる。これは、あくまでも作る側と鑑賞する側がある程度はっきりと分離されているということ。

でも、自分で楽器を扱ったり、なんらかの小説を書いてみたりしても、だいたいお手本にするようなお気に入りはたいていあるものです。

写真の場合は、撮るだけなら簡単で、今どきスマートホンなどでお手軽に楽しむことができてしまいます。写真家に注目するよりも、さっさと自分で撮影する方が早いのか、それほどこだわる人が少ないのか・・・

とりあえず日本人で有名な写真家を思い出そうとしてみると、池波正太郎、秋山庄太郎、立木義浩、篠山紀信、浅井慎平、野村誠一、荒木経惟、蜷川実花・・・せいぜいこのくらい。

だいたいメディアへの露出が多い方か、女優さんとかアイドルの写真集を出版した方ばかり。もちろん、これらの方々は「巨匠」と呼ぶのにふさわしいのだろうと思いますが、写真の歴史上忘れてはいけない大家と呼べる写真家はもっといるはず。

写真がうまくなるために、カメラやレンズの扱いに慣れることはもちろんですが、もっと有名な写真家の撮影した作品を鑑賞して、見る目を養うということも大事ですね。

ところが、写真に関連した書籍というと、もう大多数がハウツー本であり、それもごく初心者向けのものばかりで、どれをとっても書いてあることはほぼ一緒。カメラを初めて手に取った時に、一冊持っていれば十分です。

一人一人の写真家の作品を見るためには、個々の作品集を購入しないとほとんど見ることができないし、これがまたけっこう高価なので手を出しにくい。写真の良し悪しは、プリントの精緻さに大きく左右されるため、値が張るのはやむをえないのかもしれません。

でも、ネットなどで「ちょっといいな」と思う写真を見つけた場合には、その写真家のホームーページを探してみるのはおススメです。他の作品も見ることができますから、どのような写真を撮るのかわかります。

気に入った写真家が見つかったら、門前の小僧になって、下手は上手の始めと思って真似をしてみるというのもありかなと。

2018年8月8日水曜日

「いい写真」って何だろう (7) ディテール

f/7.1 1/100sec ISO-100 140mm

まぁ、いろいろと考えも、写真にまっとうな意味付けをするなんて10年早い。そもそも、写真を撮る技術そのものがちゃんとしていないと、何を語っても机上の空論みたいなもの。

例えば、フリージャズと呼ばれる、何か音程とかリズムとか無視して無茶苦茶に音をだしているだけみたいな音の洪水みたいなねのがありますが、ベートーヴェンをちゃんと弾ける山下洋輔がやるのと、楽典を何も知らないド素人がただピアノを叩くのとは根本からして違います。

どんなことでも、確かな基本を身に付けた上で、応用として初めて個性の上乗せが成り立つものです。基本の裏打ちが無いものは、「素晴らしい感性」などと褒められる場合が有りますが、それは偶然であり、奇跡みたいなもの。

この写真は、撮る前に意図したものをかなり忠実に再現できたので自分としては満足度が高いもの。カメラの設定も無理が無い。暗い屋内から、明るい戸外にカメラを向けているので、逆光気味の光。絞って光量を下げた分、フォーカスが締まりました。

古民家の軒先にぶら下がった風鈴に、がっつりとピントが決まっています。三分割法の構図で風鈴の立体感が浮き出ている感じがします。茅葺屋根の端が写ることで、どういう場所かも想像できる。背景もきれいにボケて、主題である風鈴を目立たせることに成功したと思います。

以前の様にオート中心の設定でシャッターを切っていたら、たぶんこういう写真は撮れない。マニュアルの撮影だからこそです。こういう場合に、「ディテールがうまく再現された」という言い方をします。

Detail とは、細部とか詳細という意味ですが、写真では被写体の細部がきっちりと写り質感が再現できている状態の事。つまり、ピントがしっかり合っていて、白飛びせず、黒潰れもしていないベストな状態です。

絞りは開くほど入ってくる光が多く、f値が小さいほど高価で良いレンズとされます。でも、光量が多い分、被写界深度は浅くなりボケやすいのですが、ピントは合わせにくくなる。絞りを絞っていくと、ピントは合いやすくなりますが、そのかわりシャッター速度を長めにするためにぶれが生じやすくなる。結局、マニュアルでの設定のバランスの問題ということ。

明るい写真のほうが見やすいことがおおいのですが、白飛びしたところは画像のシグナルが無いので、あとで現像で修正というのは難しい。黒潰れのほうが、まだ調整が可能な場合があります。

また、現像ソフトには「シャープ」というメニューがありますが、安易に使うとノイズが目立ってしまうだけです。「アンシャープマスク」は、色の違いや、その濃さの差が大きいところをくっきりさせて輪郭を無理なく際立たせるもの。よりエッジの検出を細かく設定できるのが「スマートシャープ」です。

現像作業では、これらの機能を利用して多少の補正は可能ですが、最初の写真がだめならどうやってもダメはダメ。ですから「いい写真」と呼べる写真を撮るためには、使用するカメラやレンズの特性をしっかりと理解して、撮影の基本テクニックを身に付けることは大切だろうと思います。

2018年8月7日火曜日

「いい写真」って何だろう (6) モーメント

f/4 1/250sec ISO-200 120mm

「決定的瞬間」ということばがありますが、実はこれは写真好きなら知らぬはずがない、フランスの巨匠アンリ・カルティエ=ブレッソンの1952年の写真集のタイトルから使われるようになったそうです。

写真は基本的に現実のある瞬間(moment)を記録するものですから、誰もがはっとして注目したくなるようなある瞬間をうまく切り取眼事ができれば、それも「いい写真」の一つとして成立しそうです。

特に報道写真などではその傾向は強く、ロバート・キャパによる「崩れ落ちる兵士(1936)」、ジョン・ローゼンタールによる「硫黄島の星条旗(1945)」などは、写真に興味が無い人でも「決定的写真」として知られていると思います。

さすがに、決定的とまで言えるほどのシャッター・チャンスは簡単には訪れることはありませんが、おっと思う瞬間はけっこうあるものです。

上の写真はたいした写真ではありませんが、たまたま目の前をセミが飛んでいき、「何処に行くのかな」と思って目で追いかけていったら、よその家の玄関の扉の横にとまりました。それが玄関灯と対称な位置だったので、思わずカメラをむけてみたというもの。

スタジオ・ワークや、ポートレイト撮影を中心にカメラを使う場合は、「瞬間」は撮影者が自ら用意するわけですが、それ以外では写真に残したくなる「瞬間」にたまたま遭遇するか、「瞬間」が訪れることを予想してじっと待つしかありません。

偶然で遭遇するのはチャンスをいかに逃さないようにするしかありませんが、偶然を呼び込むためには何かを予想して観察する目が必要です。そこを歩いている人をじっとファインダーの中で追っかけていくと、次の瞬間転ぶかもしれませんからね。


2018年8月6日月曜日

「いい写真」って何だろう (5) フォーマット

f/2.8 1/3sec ISO-100 70mm

写真のフォーマットというのは、写真の形のこと。今ではデジタル一眼レフカメラが主流で、35mmフルサイズという規格が最も標準的なフォーマットとされています。

これは、もともと一般的だったロールフィルムの一枚の大きさに由来するわけで、一コマの長辺が36mm(35じゃない!!)、短辺が24mmの3:2の比率を踏襲しています。APS-Cサイズでは、長辺が24mm、短辺が16mmで、それぞれの辺の長さはフルサイズの2/3。

人の視野は横に長いので、横長に撮影する写真は見た目に近い自然な光景です。横長の場合は水平を強く意識する必要があります。よく言われることですが、写真では水平・垂直を崩さないというのは鉄則とされ、歪んでいる写真は見ていて落ち着きません。

一方、縦長に使うこともできる。例えば、東京スカイツリーを横長で撮影すると、かなり両側によけいな景色が入り込んでしまいます。余計なものが写るほど主題がぼけてしまい、何を写したい写真なのかよくわからなくなってしまいます。

縦に長いものは縦長に写す方が自然というもの。ただし、この場合下から上、あるいは上から下へ視線の移動を無理なく誘導できる何らかの導線もあったほうがいい。

よく写真館などでプロの方が使うの二眼レフカメラというのがありますが、これは中判フィルムを使用します。フィルムは35mmサイズの長短辺が倍近くあり、さの比率はいろいろで、中には正方形もある。

正方形の1:1のフォーマットは、今どきのデジタル一眼レフではメニューから選択することが可能です。ただし、正方形だと自然に働く水平・垂直の規制はなくなるので、撮影者が考える構図の撮り方に左右される分、やや写真としての難易度が高くなるように思います。

上の写真は、実は最近のものではなく、10年前に初めてデジタル一眼レフを買ったときに、いろいろと試して撮影していたもの。道の向こう側にあるお店と、道路を走り抜けていく車をうつしてみたもの。APS-Cサイズの横長の写真が元ですが、あえて、左右の無駄な部分をそぎ落として正方形にしてみました。

上2/5が場所の雰囲気を伝え、真ん中1/5が明るい店内の静の部分、下2/5が流れている車で動の部分という感じで分けることができるように思います。シャッター速度はもう少しゆっくりにして、ぶれを減らして方がよかったかと思いますが、ごく初期の写真としてはまぁまぁに復活させられたかと思います。

2018年8月5日日曜日

「いい写真」って何だろう (4) ストーリー

f/4 1/800 ISO-800 18mm

もう、考えれば考えるほど、「いい写真」って何だろうという悩みの答えはわからなくなってきます。そもそも、仮にわかったとしても、それを実践することはけっこう大変難しいことだろうと思うし。

写真に限らず、物事の良し悪しは主観的な評価です。時代によって変化するし、集団によっても違ってくるわけで、絶対的な「いい写真」の正解なんてものは存在しないだろうと思います。

少なくとも、アマチュアの自分の場合には、「いい写真」の定義は自分で決定しても誰にも迷惑をかけることはないだろうと思います。だから、自分が面白いと思うのが「いい写真」である、という曖昧な答えにしておけば悩みからは開放されやすいかもしれません。

じゃあ、自分が面白いと思うのはどんな写真なのか・・・

上の写真は一例ですが、横浜赤レンガ倉庫の写真を「横濱赤煉瓦倉庫」にしてみたというもの。つまり、加工ばりばりですけど、いかにも赤レンガ倉庫が倉庫として活躍していた時代の雰囲気を自分なりに表現してみたということ。

いじっていない元の写真もお見せするとこんな感じ。


まずはカラーを取り除いてグレースケールにしました。続いて、カラーに戻して全体をセピア調にして、周辺減光を積極的に出します。コントラストをきつめにして、ノイズを加えてディテールをつぶしたわけです。

これのどこが面白いのかというと、明治時代にタイムスリップして、鹿鳴館みたいな感じの人々が建物の前の通路を日傘をそしてそぞろ歩いているようなイメージが湧いてくるというもの。さらに、荷車を引いて走ってくる人足がいるかもしれないし、人力車も通るかもしれません。

何か、そういう、一枚の写真から物語が想像できるような感じが面白さにつながるように思います。「わー、きれい」、「これはすごいね」だけで終わってしまうんじゃつまらない。下の元写真だと、「ふ~ん、赤レンガ倉庫に行ったんだね」でおしまいです。

本来は、写真を撮った時点で出来上がっているのが一番いいとは思いますが、時にはこういうデジタル現像による加工もある程度は許されるのではないでしょうか。

これは、シャッターをやみくもに切るのではなく、その前に一瞬でもどんな写真を撮ろうとしているか想像しておくことが大切なのかもしれません。撮ろうとしている写真から、どんなストーリーが生まれてくるかを考えておくだけで、出来上がった写真の面白さが格段と増えていきそうな気がします。

もちろん、そのためにはテクニックはできるだけあった方がいいし、機材もいいものを使うにこしたことはない。でも、ダメダメの写真でも、その写真から何かのストーリーを想像できるなら十分に面白いし、そういうのが「いい写真」と呼べるのかもしれません。


2018年8月4日土曜日

「いい写真」って何だろう (3) アート

f/4 1/400sec ISO-100 100mm

プロのカメラマンにとって「いい写真」というのは、クライアントが満足することが大前提にありますが、中にはまず作品があって、その芸術性を追求していくという立ち位置もあります。

やっと初心者を抜け出そうになっている程度の自分がいろいろ語れるわけではありませんが、写真だけに限らず、芸術というのは究極の自己満足であり、それを容認・共感できる他人が多いほど高い評価を受けるものだと思います。

アマチュアの場合は好きでやっていることですから、基本的には自己満足が得られればいいわけです。そうは言っても、誰かに見せるか見せないかは自由なんですが、やはり何らかの形で他人からも評価されたいというのはある。

例えば、こういうブログで使うのに、あまりちんけな写真ばかりでは残念ですし、ましてや今はSNSの時代で個人がどんどん発信するわけですから、見た人が満足してくれる写真が「いい写真」であることはアマチュアにも適用されること。

ですから、「いい写真」を撮ろうとして試行錯誤を繰り返すわけなんですが、そもそも「いい写真」というのは個人の主観による評価ですから、いろいろと考えても正解というものはなかなか見つかりそうもない。

写真は目の前にある一瞬の光景をそのまま切り取る手法ですが、嘘偽りなくそのまま伝える(例えば報道写真)のとは別に、その切り取り方の工夫によって現実を強調したり、通常は見ることができない世界を写しだすことが可能です。そこを突き詰めていくのがアートだろうと思います。

f/1.4 1/160sec ISO-100 58mm

上の写真は、「ちょっといい感じ」な写真だとは思いますが、アートな面の大多数はショーウィンドウを飾った店の人の手柄ですので、自分が行ったのは、どの部分を切り取るか決定したこと、窓枠を写真の中の二重のフレームに設定したこと、そして現像操作で色調操作を行ったことくらい。

アートな写真としては、自分の意図が含まれている部分は少ないので自慢はできません。でも、「いい写真」の方向性の一つは示しているのかもしれません。

2018年8月3日金曜日

「いい写真」って何だろう (2) テーマ

f/4 1/1000sec ISO-100 190mm

一枚の写真を見た時、その写真が何を現したいのか、あるいは何を撮りたかったのかが見えてくることは重要なことだろうと思います。それは写真のテーマは何かということです。

それが、どかーんとしっかり写っている場合もあれば、時にはさりげなく写真を見る人の想像力を刺激することで浮かんでくる場合もある。

「写真は引き算」という言葉があって、できるだけ無駄なものは入れずに写したいと思ったメインのものに集中する画作りがよしとされます。いろいろなものが写り込んでいると、いったい何を撮りたかったのかが希薄になる。

ですから、シンプルな構成で伝えたいものを明示的、あるいは暗示的にはっきりさせる写真の「テーマ」というものがあった方がいいんじゃないかと思います。

上の写真は、テーマは「いつも見慣れた光景で今年の酷暑を表現する」ということにしてみました。いつものクリニックから見える駅前のバスロータリーの様子で、スペシャルなところはありません。まさに日常の一コマにすぎません。

ここでは、あえて横ではなく、縦に写してみました。自分は、ふだん、ほとんど縦構図の写真は撮ったことがありません。これは、普通にカメラを構えるとデフォルトが横なので、縦に撮るの面倒だということがあります。また、人の視野は左右に広がるのが自然なので、横構図の方が見慣れた雰囲気を作りやすい。

人の視野は左右と同時に下に向かうものなので、最初に自然に目が行くのは下1/3くらいだと思いますが、そこにはぼけた木が写っているだけ。縦構図にしたので、そこから視点を意識的に上に導ていくことができるわけです。

真ん中あたりを見ると、アスファルトや停車している車の照り返しがきついこと、影のくっきりとした感じで、今年のものすごく強い夏の日差しがわかると思います。そして、駅前なのに暑さのために人通りはほとんどなく、視点をさらに上にしていくと、やっと歩道橋の上の日傘をさして歩いている人がいることに気がつきます。

縦構図にした理由のもう一つは、望遠で画角を狭くすることでよけいなものを写さないようにしたため、横より縦の方がより奥行きを強く出せるためです。写真としてはコントラストをきつくして、白飛びを恐れず照り返しの強さを出したつもり。

事前にテーマを決めておいたことで、どういう写真を撮りたいのかがはっきりして、ありふれた景色も「写真」らしく仕上がった気がします。

2018年8月2日木曜日

「いい写真」って何だろう (1) ドキュメント

f/22 1/800sec ISO-2000 370mm

単なる「きれいな写真」ではなく、「いい写真」を撮りたいのだけど、どうすればいいんだろうか、そもそも「いい写真」って何だろう・・・

こんな悩みに突入するのは、ちょっと深めに写真の世界に入り込むと、誰しもぶち当たる壁みたいなもののようです。いろいろな人がいろいろな意見を述べているのですが、どう考えてみてもはっきりとした正解が用意されているものではないようです。

例えば上の写真。もうカメラの設定はだめだめです。いくら日差しの強い状態でも、絞りはもっと開いてシャッター速度もここまで短くしなくてもよさそうです。結果としてISO感度を高くしてしまい、ノイズを増やす結果になっている。

これは、車に乗っていて信号待ちで停車している時に、突然見つけた光景です。車の行き来するアスファルトの道路を横断しようとするカルガモの親子の隊列で、たまたまその前にいじった設定のままで、あわててカメラを向けたため、一番動かしやすい絞りのダイアルをとっさに調節したんだと思います。

構図的にも、カルガモをど真ん中にして「日の丸」にしてしまいましたし、もう少し引いて周囲の状況が分かった方がよかったのでないかと反省していますが、何しろ時間が無かったので、いろいろ考える余裕がありませんでした。

ただ、この写真は「かわいらしい写真」なんですが、それだけでなく車がたくさん通るであろう道路であることから、カルガモ親子はどこから来たのか、そしてこの場所で親子に迫る危険が感じられ、そしてどうにか無事に横断できるだろうかという、「ストーリー」が生まれてくると思います。

もしも、どこかの池で親子が並んで泳いでいる写真だったら、単なる「かわいらしい」だけで終わってしまうかもしれませんが、ある一瞬を止めて記録するというドキュメントとしての写真の特徴が出ているのではないでしょうか。

おそらく、このような方向性も「いい写真」の一つの形なのかもしれません。

2018年8月1日水曜日

「きれいな」ミナトミライ

f/5 1/100sec ISO-6400 68mm

ミナトミライと言えば・・・そう、この近辺では定番のデートスポット!! ・・・じゃなくて、超有名な写真撮影スポットなんですよね。

撮影スポット巡りをしてみて思ったのは、ただ普通に撮っていると、多くのカメラ愛好家によって、すでにほとんど似たような写真は量産されているということでした。

少しでも、何か違う撮り方はできないのかと思っても、素人的にはあまりいい考えは浮かんできません。

それでも、多少面白いかなと思ったのが上の写真。

Queen's Squareのビルで、広い窓ガラスに反射して写り込んだ観覧車です。でも、あとでネット画像検索してみると、当然似た写真がたくさん見つかりました。

一番普通によくあるミナトミライの夜景は下の写真。

f/4 1/60sec ISO-3200 20mm

当然、定石通り三脚を使用して、ぶれを防いで撮影しているカメラマンはたくさんいました。自分はぶれにくい上に手振れ補正搭載の広角ズームで手持ちです。撮影後にPCで明るさを強調しましたが、暗い空のノイズが多くなってしまいました。

まぁ、確かにきれいな写真にはなっているんですが、以前の自分だと十分に満足していたと思います。でも、マニュアル撮影をはじめて、光を少しでも自分で操る意識を持ち始めてみると、何か物足りないところを感じるようになりました。

人に見せたら、「わー、きれい」とか「すごいね」とか褒めてもらえるかもしれないのですが、それ以上の感想はうまれそうもありません。

何となく、一歩踏み込んだ悩みを持つようになってきたわけです。