年末年始診療 12月29日~1月5日は休診します
2020年11月30日月曜日
すかすかの電車広告
もともと、電車を利用する機会は多くないのですが、今年は特にコロナ禍で出かけることがめっきり無くなった。
実際のところ、1年ぶりくらいに電車を利用する事があって、何が驚いたって、電車の広告が激減していました。
中吊りは一つ毎くらいだし、側面も見ての通り。扉と扉の間に7~8枚くらいかかっているところが、今は2枚だけ。
しかも、真ん中は電車の会社から、感染拡大予防のお願いです。
いやはや、どこもかしこも経営は相当苦しいことになっているということですね。電車会社も広告収入が入らない。広告を出す側も、そんな余裕は無いということです。
2020年もあと1か月。もう、今年は無かったことにして早く2021年になった方がいいと思っている人が多いと思います。
でも、寒い季節になってくれば感染症は勢いづいてくるのは、当然と言えば当然。まだまだ、安心できるようになるまでは遠い道のりのようです。
2020年11月29日日曜日
未知との遭遇 (1977)
第一種接近遭遇 UFOを至近距離から目撃すること
第二種接近遭遇 UFOによる機器・動物などに何らかの影響と痕跡があること
第三種接近遭遇 UFO搭乗員と接触すること
これはアメリカ空軍のUFO調査計画に関係した天文学者であるジョーゼフ・アレン・ハイネック博士が1972年に著書で提言した、宇宙人並びに彼らの乗り物と考えられるUFO(未確認飛行物体、Unidentified Flying Object)と人類の遭遇の仕方の分類です。
この分類にはまだ第四種から第九種まであり、友好関係を築くパターンと、逆に侵略される最悪のシナリオまで盛り込まれています。
スティーブン・スピルバーグは、実は1964年、17才の時に8mm映画として何と2時間半もある大作「Firelight」を、500ドルの予算で制作しました。地元の映画館で上映され、入場料1ドルで500人が集まり売り上げは501ドル(誰かが2ドル払ったらしい)。
このフィルムは現存しませんが、断片的な動画が数分だけネットで視聴できます。車に乗っている登場人物の周りに赤い光を放つ物体が飛んできたりして、実はUFOが人間を捕獲するためにやってきたという話らしい。
当然、スピルバーグがハイネック博士の著書に強い興味を持ったことは容易に想像できるわけですし、実際、まさに第三種接近遭遇(Close Encounter of the Third Kind)をそのままタイトルに使ったのがこの映画であり、おそらく長らくあたためていた「Firelight」の内容を刷新する意図もあったものと思われます。
スピルバーグの本質である、こどもの心を持ち続ける大人、こどものままでいたかった大人がはっきりと登場してくる最初の映画です。自分もそうでしたが、UFOは魅力を感じましたし、地球以外にも広大な宇宙には何らかの生き物がいるかもしれないという漠然とした興味と恐怖がありました。
スピルバーグは、自分を投影して最も信頼する俳優であるリチャード・ドレイファスが演じる主人公のニアリーを、ごく平凡な父親であるにもかかわらず、UFOとの遭遇により宇宙人との遭遇を切望する男として登場させます。
おそらくは、こどもの頃からどこか心の中でひっかかていた何かに触れたことで、家族を捨てて(と言うか、常識的な家族に捨てられて)まで、遂にはUFOに乗り込んでしまうという漠然としていた夢を叶えてしまうのです。
また、もう一人も注目されるのがフランス映画の巨匠と呼ばれるフランソワ・トリュフォーが、UFOを学術的に調査する国連の機関に責任者、ラコームとして出演していること。自分の監督作品ではしばしば俳優をしていますが、他人の作品では珍しい。
スピルバーグはトリュフォーの慈愛に満ちた眼差しを切望して、誰も考えつかないキャスティングをしました。脚本に興味を持ったトリュフォーが快諾して、あくまでも俳優として参加すると語ったそうです。
4音では短すぎ、6音ではメロディになるとして、キーとなる5音をつくったのは、音楽を担当するジョン・ウィリアムス。すでにスピルバーグの映画では最重要スタッフの一人になりました。
特殊効果は、キューブリックの「2001年宇宙の旅」で一躍名をあげたダグラス・トランブル。この映画の後も「スター・トレック」や「ブレード・ランナー」などでアナログ時代の驚異的な職人技を披露しています。
公開当時から絶賛され、今や同じ年の公開だった「スター・ウォーズ」と共にSF映画の金字塔として、スピルバーグの映画作家としての地位を確立した作品と位置付けられています。
しかし、傑作と言う評価がある一方で、スピルバーグとしては珍しい一般公開後に追加撮影・再編集した別バージョンが存在することは、ある意味失敗作と呼べる側面も否定できません。
1980年に公開された「特別編 (special edition)」では、スピルバーグの希望により多くの追加と削除が加えられ、本来は、いわゆる監督の意図を強く反映したディレクター・カット版となるはずでした。
しかし、映画会社からの条件として母船内部の映像を加えたことで、母船内は観客の想像に任せたかったスピルバーグの希望とは反する形になっています。そして、1997年に再度の編集が行われ、特別編で行われた削除シーンを復活させ、母船内部の削除した「ファイナルカット」が公開されました。
ただし、いずれのバージョンでも、想像するしかない宇宙人の姿(いかにもそれっぽい)を最後に登場させているところは、母船内を出したくないというスピルバーグとしては矛盾を感じるところで、もっとぼかしておいてよかったのかもしれません。
公開当時は、個人的には、SF映画と言っても宇宙での派手な戦闘シーンがあるわけではなく、内容も何だかよくわからない難しい話という印象だったと思います。前半で、いろいろな場所でバラバラに進行しているシーンが特に疲れるたのかもしれません。
しかし、あらためてファイナルカット版で観賞すると、それらの個々の事件がしだいに一つに収束していく流れは、想像を豊かにすればごく自然に出来上がっていて、モチーフとなる「十戒」や「ピノキオ」などがさりげなく取り入れられているところなども感心してしまいます。
ここでスピルバーグが描きたかったのは、SF(Science Fiction)ではなくサイエンス・ノンフィクションに限りなく近い、理想的な宇宙人との遭遇の話であって、さらにこの点を強く押し出したものが、後年の「E.T.」となっていくことになります。
2020年11月28日土曜日
ジョーズ (1975)
パニック映画、ホラー映画、海洋冒険映画などのいろいろなジャンルの中で、それまでの映画の記録を一気に塗り替える大ヒットとなりました。この映画の後、サメ物の映画が山ほど作られ、さらに動物全般に襲われるものまで数えきれないほどのパチモンが作られています。
ピーター・ベンチリーの書いた小説の映画化権をすぐさま獲得したユニバーサルは、当初考えていた監督に断られたため、急遽スピルバーグに白羽の矢が立ちました。スピルバーグは、最初の時点で「激突!」との類似点に気が付いており、撮影の途中でもシナリオを追加・変更しながら、見ているものに様々な形で恐怖を体験させました。
アミティというアメリカ東海岸の夏のバケーションに絶好の島が舞台。主な登場人物は、海が得意とは言えない赴任したばかりの警察署長ブロディ(ロイ・シャイダー)、鮫の専門家として協力する海洋学者フーパー(リチャード・ドレイファス)、そして土地の荒くれ漁師で鮫に対して異常なほどの憎しみを持つクイント(ロバート・ショウ)の三人。
始まってすぐに不穏な雰囲気が漂います。夜の浜辺でキャンプを楽しんでいた女性が、海に入り泳いでいると、いきなり何かに引っ張られ、海の中へ引きづり込まれてしまいます。翌日、浜辺に死体の一部が打ち上げられました。
そこで二人は海に探索に出ると、破壊されたベテラン漁師のボートと彼の死体を発見します。ここでも、鮫の影もありませんが、突然画面に登場する死体で驚かせます。
そして、映画のほぼ中盤、海開きの日が来ますが、海水浴客の中に鮫の背びれが出現し海岸はパニックになるんですが、これはこどものいたずらでホッとさせます。しかし、その直後、本物の鮫が出現し、またもや犠牲者が出てしまうのです。ここに来て、やっと鮫の頭部が見えて、見えなかった恐怖が現実のものとしてしっかり登場するのです。
ここから、いよいよクイント、ブロディ、フーバーの三人がクイントの小さな漁船に乗り込み本格的に鮫との対決が始まります。最初に登場するのは、プロディが撒き餌をしている時。画面右下のブロディが、左上に映っている海面に背を向けて餌を放り投げているところに、にゅっと顔を出します。もう、絶妙のタイミング。
これ以降、鮫はどんどん船に襲い掛かりますが、鮫との対決の間の小休止で、夜空に流れ星が映ります。すでに「未知との遭遇」の構想を考えていたスピルバーグの遊びのようですが、決戦を前にちょっと心が和む作りになっています。
クイントが樽をつないだ銛を何回打ち込んでも、鮫はものともしません。ついに船は浸水しはじめたため、フーバーが檻に入って毒薬を至近距離で打ち込むことにしますが、檻も簡単に壊され失敗、フーバーは間一髪海底に逃げのびます。
鮫は船尾に乗り上げて巨大な口を開くと、クイントはその中に滑り落ちていき絶命します。ブロディはダイビング用の圧縮空気のボンベを口の中に放り込み、次に襲ってきた時にこのボンベをライフルで打ち抜き、鮫の頭部と共に爆発させたのでした。
恐怖の対象である、鮫の攻撃はこのようにすべて違うパターン。前半は、得体のしれない何かがじわじわと怖さを増幅していきますが、合間でその緊張をうまくほぐしていくことで、次の恐怖・驚愕をより大きな物にしていく演出は実に見事。
実際に本物の鮫を撮影した映像と、機械仕掛けの鮫による攻撃シーンを組み合わせ、さらにミニチュアを使って鮫の巨大さを示したりと、CGの無い時代にあの手この手で作り上げた手腕はさすがです。
とは言え、実は巨大鮫の模型が壊れたため、制作中止の危機もありましたが、当初よりも姿を見せずに鮫の視点からのショットを増やしたことが怪我の功名につながったらしい。また、これもまた有名になったジョン・ウィリアムスの、何かが迫ってくるような不気味な音楽も、見事な効果を演出しています。
スピルバーグ自身が、この映画で学んだことの一番大きなことは、自分で制作・監督・編集などの権利を管理する必要に気が付いたということと、海での仕事はこりごりということでした。
2020年11月27日金曜日
マイナンバー・カード更新
マイナンバー(正式には「個人番号」)が使われるようになったのは2015年から。
とは言っても、記録されたマイナンバー・カードは、実際には今に至っても普及しているとは云い難い。
もちろん、仕事をしている人は税制上の必要から、マイナンバー自体はすでに申告しているはずで、国の利用範囲は少しずつ増えている。
マイナンバー・カードは、12桁の番号、氏名、生年月日、住所などがICチップに記録された写真の付いたもので、身分証明書として使用できます。
ところが、これを用意するのは時間的に面倒だし、そもそもコンビニで住民票が取れるくらいしかメリットがない。
今年はカードの普及のために、マイナ・ポイントをあげますとか、来年から健康保険証の代わりに使えますとか、国としても普及に躍起になっている。
特にコロナ禍での特別給付金の支給で、マイナンバー・カードの有無で簡単になるという話になって(実際はかえってトラブルが多かったけど)、重い腰をあげて手続きをする人が増えました。
自分は、2016年だったか、通知カードが郵送されてきた時点でカードを作りに行きました。そして、今年は「電子証明書の更新」通知が届きました。
で、区役所に行ったんですが、まぁ、マイナンバーの窓口の密なこと。他の窓口は待っている人は数人でしたが、ここだけ100人近くはいます。しかも、待ち時間が長い。
カードを新たに作るよりは簡単なはずなんですが、自分の場合でも15人待ちで、1時間以上待ちました。あ~あ、疲れた、疲れた。
また何年かすると、今度はカードそのものの更新があるようです。もっとスマートな方法をかんがえてくれないでしょうか。
2020年11月26日木曜日
The Sugarland Express (1974)
正真正銘、これがスティーヴン・スピルバーグの劇場用映画の第1回監督作品で、興業的には成功とは言えませんでした。
・・・なんですが、ここで英語のタイトルをのせたのは、あまりにも邦題がひどすぎるから。スピルバーグはこんなタイトルで日本で知られているってしっているんでしょぅか。
何しろ「続・激突!/カージャック」って、誰が考えたのかあまりと言えばあまりにタイトル。確かに日本で公開されたのは、劇場用「激突!」が最初ですが、車が関係するからって続編でもなんでもない。
多少知られた「激突」を使いたい気持ちはわからないわけじゃないけど、邦題だとかなり勘違いをしてしまうので、使わずに済むならそれにこしたことはない。
1969年におこった実際の事件を元にしたストーリー。窃盗で捕まった夫婦。妻のルー・ジーンが先に出所したら、2才の息子の親権は剥奪されて里子に出されていました。夫のクロヴィスは、監視の緩い更生センターにあと4か月拘束されている身分でしたが、ルー・ジーンは息子を取り返すために無理やり脱獄させます。
勘違いからスライド巡査を人質にパトカーで逃走することになり、そのあとをたくさんの警察車両、報道の車、あるいは野次馬の車がついていく事態になってしまう。指揮を執るターナー警部は、二人の犯行動機、そして自分も犯人を殺したことはないという理由から、ある程度二人を自由にさせます。
スライド巡査もターナー警部も、しだいに一緒に旅をする仲間のような雰囲気の中で、それぞれの立場をふまえた上で理解するようになっていく。多くの民衆が、二人を応援し、同情することがさらにかれらの意志を固い物にしていくのです。
目的地であるシュガーランドにある里親の家に到着した時に、スライドは様子がおかしので罠だと警告します。しかし、もう息子のことしか考えが及ばない興奮したルー・ジーンは、クロヴィスを行かせます。しかし、そこには狙撃手が待機していて、背部から撃たれたクロヴィスは何とか車を発進させます。
近くの川原で停止したパトカーに、ターナーが駆け付けると、そこには絶命したクロヴィスと、茫然自失となったルー・ジーンがいました。スライドは「彼らには銃は必要なかった」とターナーに言います。
ルー・ジーンを演じたのは、すでに知名度の高かったゴールディ・ホーン。ちょっとおバカなコメディを得意するホーンは、ここではシリアス度を増した役柄ですが、何も後先考えずに、息子を取り返したいの一心が、自然にうまくユーモアも醸し出し、映画全体のテンションを牽引しています。
冷静だか温かいところもあり、でも最後に射殺を選択するターナーを演じるのはベン・ジョンソン。名だたる西部劇に出演してきた名優です。強引な妻にうまくあしらわれる、ちょっと気弱なクロヴィス役のウィリアム・アザートンは、この映画以降がぜん注目されるようになりまし。
スピルバーグは、二人を悪者に見せないように、むしろ観客を味方につけるような演出をしています。通過する町で二人を応援する人々は、観客の気持ちを代弁しているかのようです。そして、追う警察側も敵に回すことは無く、主要登場人物全員を応援したくなるように話を組み上げました。
後をついていく車の台数がしだいに増えていって、終盤では数百台になるところは圧巻ですし、劇場用映画の初監督作品としては、十分すぎる出来だと思います。
しかし、観客を味方につけた主人公に最後に待っていたのは救いのない悲劇だったことが(事実が元だからしょうがないのですが)、興業的に残念な結果になった要因かもしれません。
ただし、スピルバーグ自身が述べているように、この映画で音楽を担当するジョン・ウィリアムスと出会ったことは、後々まで彼の財産となったことは忘れてはいけません。
2020年11月25日水曜日
激突! (1971)
スティーヴン・スピルバーグは、19才で大学で映画を学び始めました。22才で短編映画「アンブリン」を作りました。
「アンブリン」は、台詞の無い25分程度のもので、ネットで見ることができます。偶然知り合ったヒッチハイクをする男女が、一緒に旅をする話で、これがユニバーサル社の目に留まり、1971年、25才で人気があったテレビのドラマ「刑事コロンボ」の一話を監督してデヴューしました。
続いて監督したのが、この「激突!」で、元々はテレビ用の70分程度の単発ドラマです。これが大好評で、業界内で名前が知られるところとなり、90分に拡大して劇場映画としてあらためて公開される運びとなりました。
セールスマンのデーヴィッドは、自動車で仕事に向かう途中で、大型のタンクローリーを抜き去ります。ところが、このタンクローリーは、追いかけてきてデーヴィッドの車をギリギリで追い抜いたり、前をふさいだりするのでした。
時には先に行けと合図をするので追い抜くと、対向車と衝突しそうになります。道路沿いのカフェに逃げ込みますが、気がつくといつの間にかタンクローリーが店の前に停まっている。客の中に運転手いると考えて、一人一人を吟味していくシーンは、まさに黒澤明の「野良犬(1949)」です。
タンクローリーは、しだいにむき出しの牙で襲い掛かってきますが、警察に電話しているデーヴィッドを電話ボックスごと轢き倒そうとしたり、線路まちで後ろから押し出そうとしたり、攻撃は完全に殺意を露わにしてどんどんエスカレートしていくのです。
このあたりは、ヒッチコックの「鳥(1963)」を連想させ、その襲い方は毎回変化があり、次はどうなるのかというサスペンスをうまく作り上げていく手腕はなかなかのものです。
この物語には原作が有りますが、映画では原作と違って何故執拗な攻撃をされるのかと一切触れずに、また相手の運転手は最後まで顔出しがない。デーヴッドを演じるのは、「刑事マクロード」で人気だったデニス・ウィーバー。ほとんどデーヴィッド一人の視点から物語が進むことで、観客も得体のしれない恐怖を一緒に体験していくことになります。
そこで気がつくのは、このタンクローリーをサメに変えて、さらに恐怖を倍加させたのが監督3作目になる「ジョーズ」であることは明らかです。
何かおかしいという感じから、次第に恐怖が加速していき、遂には対決するしかないと開き直る主人公の心理的な変化を見事に描いた若きスピルバーグの天才がすでに垣間見れる作品になっています。
スピルバーグは翌1972年に、再びテレビ映画である「恐怖の館(Somthing Evil)」を監督しています。小説「エクソシスト」(後に映画化)の人気にヒントを得て作られたホラー物で、悪魔が棲む家に引っ越してきた家族が恐怖を体験する話。
現在メディアは販売されていませんが、日本語字幕付きでネットで見ることができます(良い?時代です)。低予算のテレビですから、特殊撮影はほぼ皆無。カメラワークと音楽を工夫して、主演の女優さんの頑張りでそれなりに見れるものに作り上げました。
さらに1973年には「死を呼ぶスキャンダル(Savage)」というテレビ映画を監督しています(これもネットで視聴可能)。
2020年11月24日火曜日
スティーヴン・スピルバーグ
32本。
スティーヴン・スピルバーグが監督した映画の本数です。
あれ、少ないんじゃないかと思いますよね。もっと、スピルバーグの名前を冠してヒットした映画があったはずだと。
スピルバーグは、1946年生まれで現在73才。1971年にテレビ・ドラマ(刑事コロンボ・シリーズ)で初監督をしてから、来年で50年。
50年で32本は、けっして少ないわけじゃなくむしろ多作と言ってもよいのですが、自ら監督した作品より、制作(プロデューサー)あるいは製作総指揮(エグゼクティブ・プロデューサー)として関わったものがものすごい量になる。
職業監督として、プロデューサーの思惑通りに、与えられた脚本と決められた俳優を使って映画を作る人がいますが、スピルバーグは早くから自らの映画会社を立ち上げ、自分が思ったように映画作りをする映画作家の一人になりました。
以前に映画作家として、チャップリン、ヴィスコンティ、ヒッチコック、キューブリック、そして黒澤明の5人をあげて全網羅すべきという思いを書きました。最近では、これに是枝裕和が加わっています。
昔から、ほぼリアルタイムで楽しんできたスピルバーグですが、どうしても一部のこどもっぽい作品により、何となく避けていた部分があります。そこで、7人目としてスピルバーグも加えていくかどうか、監督作品に絞ってじっくりと鑑賞してみたくなってきました。
スピルバーグが最初に注目されたのは、元々はテレビ映画として作られた1971年の「激突(Duel)」で、好評により劇場公開されたため初監督作品と位置付けられています。
1975年には「ジョーズ」の世界的なヒットで、その名を一気に広めることになり、「未知との遭遇」、「レイダース失われた聖櫃」と立て続けに話題作を送り出しました。
そして1982年の「E.T.」によりアメリカ映画界を支える無くてはならない存在として確固たる地位を不動のものにすると、「カラー・パープル」、「太陽の帝国」、「オールウェイズ」などの人間ドラマ主体の映画作りに本腰を入れるようになります。
1993年の「シンドラーのリスト」で人を描くことの最初の頂点に達した後は、「アミスタッド」、「プライベート・ライアン」のような人間ドラマと「ジュラシック・パーク」のようなファンタジー物を織り交ぜて発表するようになりました。
21世紀になってもその傾向は続き、近未来的なファンタジーである「マイノリティ・レポート」、「レディ・プレイヤー1」、人間ドラマである「ターミナル」、「ブリッジ・オブ・スパイ」、「ペンタゴン・ペーパーズ」、歴史的な視点から重厚な「ミュンヘン」、「リンカーン」、さらには3DCGアニメなども発表し、バラエティに富んだ制作意欲は衰えることを知りません。
製作総指揮で関与した物には、「グレムリン」、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」などファンタジー系が多いため、どうしてもVFXを多用したエンターテイメント作家してのイメージが強くなります。
しかし、あらためて監督作品を思い浮かべると、そういった最新技術をうまく利用しているものでも、人を描くことが映画の根底にいつもあるということが言えそうです。登場人物をちゃんと描くことで、見ている者は感情移入でき、より見終わった後の感動を深くするものです。
2020年11月23日月曜日
2020年11月22日日曜日
自宅居酒屋 #27 鶏つくね
焼き鳥の定番のひとつがつくね。
小さい団子状のものと細長い一塊のものがありますが、いちいち串に刺すのが面倒なので、今回は細長いまま。
作り方は簡単。鶏ひき肉をまるめるだけですが、必ず混ぜ込みたいものが、長葱と軟骨。
特に軟骨は、こりこり食感を出すのにマストアイテムと思っています。細かくしやすいヤゲン軟骨を使います。
基本の味付けは、塩と生姜。あとは、ほんの少しだけ砂糖。
写真左上は、スタンダードを約始めるところ。炭火で焼きたいところですが、大変なのでフライパンです。強火だと表面だけ焦げて、中まで火が通らない。弱火だと、肉汁が出てぱさついてしまいます。
中くらいの火加減で、5分くらい。蓋をして中まで火が通りやすくします。そして、最後にバーナーで全体を炙って、焼き鳥らしい焦げ目をつけました。
今回は生姜なしでアレンジつくねも作ってみた。
写真右下は、ごぼう入り。鶏肉とごぼうは相性がいい。甘めが似合うので、味付けは濃縮そばつゆを使ってみました。
右上は、海老入り。むき粗くエビをばらばらにして、桜エビをぱらぱら。味付けは塩だけですが、隠しで山椒を一振り。
大葉で巻いて食べると最高です。
2020年11月21日土曜日
007 / 美しき獲物たち (1985)
ショーン・コネリーが初めてジェームス・ボンドを演じた「トクター・ノオ」から23年、三代目ボンドのロジャー・ムーアも出演7作目でついに最終作。
原作のタイトルは「From a View to a Kill」で、情景から殺戮へ、とでも訳す感じですが、実際の邦題は「美しき獲物たち」となって、誰がどうして考えたのかというところ。もっとも原作の邦題も「バラと拳銃」ですからよくわからない。
監督は引き続きジョン・グレンが担当し、ムーアの最後を飾るべく予算もふんだんに使い、久しぶりに大規模なセットを用意しました。
あと、忘れてならないのは最初からMの秘書であるマネーペニーを演じてきた、ロイス・マクスウェルも本作を最後にシリーズから退きます。おめかしをして競馬場に出かけたりして、いつもよりも華やかな演出は心憎い。
ブレタイトル・シークエンスでは、ソビエトに潜入していた003が、盗み出したICチップとともに雪山で遭難。これを回収にいくのが007です。恒例となったスキー・アクション、さらには登場したてのスノーボードでのトリッキーなスタントの末、イギリスにICチップを持ち帰ります。
そしてテーマ・ソングは、これも当時大人気だったデュラン・デュランで、これまで以上にロック色が濃いタイトルです。今回は本編はブレタイトルからの続きの話で、このICチップが核爆発でもデータが影響受けない特殊なものであり、カリフォルニアにあるゾーリン社製であることから、ボンドは社長のゾーリン(クリストファー・ウォーケン)の内偵を始めます。
ゾーリンの一の部下で、女の殺し屋でもあるメイデイを演じるのは、ポップスターとして有名だったグレース・ジョーンズ。序盤からエッフェル塔でのボンドとの対決があり、かなりインパクトが高い役です。
ゾーリンも、そしてメイデイも、実はソビエトの副腎皮質ホルモン、ステロイドによるドーピングにより、知能・肉体とも常人をはるかに上回る武器として育てられたのでした。しかし、ソビエトを裏切り自ら世界を支配する狂気に取りつかれ、大洪水をおこしてシリコンバレーを一挙に壊滅し、世界の半導体市場を独占しようと画策していたのです。
ボンド・ガールは、TVドラマ「チャーリーズ・エンジェル」で人気になったタニア・ロバーツ。ただし、初登場シーンはあまり印象的な所は無く、途中からボンドと一緒に活躍するんですが、あまり重要な役どころとは云い難い。
何にしても、それなりの興行成績を残し、ムーア・ボンドは終幕を迎えます。このあと、第4代目のボンドにはティモシー・ダルトンが決まり、「リヴィング・デイライツ(1987)」「消されたライセンス(1989)」の2作を送り出します。
この2作でイアン・フレミングのオリジナル・ボンドのネタは完全に使い切ることになり、その後に続くシリーズはフレミングの創作した007というキャラクターを用いた別物という考え方もできる。
そういう意味で、ショーン・コネリー、ジョージ・レーゼンビー、そしてロジャーロムーアの3人の007で基本的には終了でよかったのかもしれない。今の007を否定するつもりはありませんが、スパイ・アクション映画としてのシリーズは、14作までで十分と感じています。
2020年11月20日金曜日
007 / オクトパシー (1983)
最終的な興行収入はコネリー復帰作を上回り、本家としての面目はたもちましたが、内容的には評価は高くなく、人気にも翳りが見え始めた作品になってしまった感があります。監督は前作に続いてジョン・グレンが担当しました。
今回も原作は短編で、「オクトパシー」と「所有者はある女性」の二つを合わせたような内容。このあたりは、ネタ切れ感にもつながっているようです。
プレタイトル・シークエンスは、今回は本編とは無関係のショート・ミッション。本物のミニ・ジェットで敵を翻弄する辺りはボンドらしくいていい。また最後に燃料切れで、付近のガソリン・スタンド前によって「満タン!」という落ちも気が利いています。
結局、かっこいいんですが、いずれも特殊撮影は最小限で、肉体的なスタントによるアクションということに尽きる。中年ボンドでは、ムーア本人によるアクションに期待するのが無理というもので、見ている側も「誰か」がやっているサーカス的なアクロバットに食傷気味になっているのかもしれません。
当時の世界情勢は、1979年にソビエト連邦がアフガニスタンに侵攻し、東西冷戦は緩和に向かっていた雰囲気を再び緊張に戻していました。さすがに表立ってソビエトを悪者にしてこなかった007シリーズでしたが、ここに来てついにあからさまにソビエトの侵略政策としてストーリーを組み立てました。
ただし、連続登場となるゴゴール将軍のように、ソビエトの中に西側との協調路線を考える人がいることを強調して、あくまでもソビエトの中でも悪人が仕掛けたことという形式をとって配慮することも忘れてはいません。
ソビエトのオルロフ将軍は西側への敵対姿勢を積極的に支持する一方で、国宝級の宝石の偽物を作らせ本物とすり替え私腹を肥やしていました。それらの宝石類をサーカスにまぎれて密輸し、西側に運ぶのがオクトパシーと呼ばれる女性と彼女が訓練したアクロバット集団でした。
オルロフとオクトパシーの仲介をするのがカルマ・カーンという悪党です。オルロフとカーンは、オクトパシーには秘密で宝石を核爆弾にすり替えて、西側のアメリカ軍基地で爆発させ、戦争を起こそうという計画でした。
オクトパシーを演じるのは、「黄金銃を持つ男」で殺されてしまう役だったモード・アダムス。前半でボンドと絡むのはオクトパシーの部下でクリスティナ・ウェイボーンで、ここでも二人ともスウェーデン出身の女優が選ばれています。
カーチェイスにしても、列車の上での格闘にしても、さらには飛んでいる飛行機の上での格闘などの目を見張るスタントがたっぷり出てきます。しかし、ボンドがターザンばりの奇声を発して木のつるを連続でつかんでいくとか、ゴリラの着ぐるみを着たり、最後はピエロのメークで変装するとか、ギャグとしても笑うに笑えないシーンも多く困惑します。
それでも、シリーズはさらにムーアを使って次回作を用意していました。
2020年11月19日木曜日
謎の飛行機
けっこう大きな爆音が空に聞こえてたので、見上げるとかなり低空を大型の飛行機が飛んでいきました。
具体的な高度はわかりませんけど、印象としては150m、50フィート前後じゃないでしょうか。たまに、こういう市街地を低空で飛ぶ飛行機に遭遇することはありますが、今回のはその中でも低くて驚きます。
民間の旅客機は白い機体であることが多く、これは全体が銀色。ボーイング系だと、今使われているのはたぶんエンジンは2基のものばかりだと思いますが、見ての通りエンジンは4基です。自衛隊にしては日の丸がなさそうだし、米軍機でしょうか。
まぁ、うるさいのは短い時間ですからいいんですが、あまり低いとちょっと怖い感じがするので嫌ですね。
2020年11月18日水曜日
007 / ユア・アイズ・オンリー (1981)
宇宙にまで出かけたボンドは、この第12作で地球上で原点回帰の落ち着いたアクション物に戻りました。長編原作のタイトルは使い尽くしたので、今回のタイトルは短編から拝借です。
原題の「For Your Eyes Only」は、「あなたの瞳のためだけに」って訳すとロマンがありますが、実際は極秘文書に使われるフレーズで、「見るだけにしとけ」ということで、見たら処分するという意味らしい。小説の邦題は「読後償却すべし」となっていて、このほかに同じ短編集に掲載された「危険」も映画で使われています。
80年代に突入した最初の007は、まさに正統派? スパイ・アクションという出来ですが、監督は編集を担当していたジョン・グレン。このあと5作続けてシリーズの監督を務めることになります。
ブレタイトル・シークエンスは、かなり思わせぶり。ボンドが「女王陛下の007」で殺された亡き妻の墓参というシーンから始まり、その帰りのヘリコプターをリモート・コントロールされて危機に陥ります。
コントロールしているのは、車いすに乗った白猫を抱いている禿げ頭で、一切顔出しはなく名前などの説明もありませんが、どう見ても宿敵ブロフェルドです。権利の争いで、「ダイヤモンドは永遠に」以降、「スペクター」、「ブロフェルド」は使えないところでの一種のセルフ・ジョーク。
テーマ・ソングは当時人気急上昇だったシーナ・イーストンが歌い、シリーズ史上初めて歌手がタイトルバックに登場するというのは驚きです。
機密機械を装備したイギリスのスパイ船が沈没し、ソビエトの依頼で何者かがイギリス側の船の捜索をしていた海洋学者を殺します。その娘が親の復讐のため立ち向かい、ボンドに協力するという流れ。
この娘が今回のボンド・ガールで、演じるのはキャロル・ブーケで、妖艶でグラマラスというより黒髪で知的・冷静な珍しいタイプです。プロ・スケーターでもあるリン=ホリー・ジョンソンは、得意のスケートも見せてくれますが、言い寄られてもボンドが子ども過ぎるとして相手にしない珍しいパターン。
いつもの常連、Qやマネーペニーは登場しますが、Mが休暇という理由で出てこない。実はMを演じてきたバーナード・リーが亡くなったためで、シリーズ・レギュラーがいなくなったことはちょっと寂しいところです。
密輸や麻薬などを商いにしている、ボンド・シリーズにしては小悪党が相手で、ただ本当の敵が誰なのかがなかなかわからないところでサスペンス色を打ち出している。そして最終決戦の巨大な敵基地というのもありません。
それでも、見終わって物足りない感じはないのは、全体のプロットが珍しく?しっかりしていて、くだらないギャグは少なく、アクション・シーン(スタントですけど)がたくさん出てくることで緊張感が持続するからなのかなと思います。
ただし、最後の最後、作戦の成功に対してお祝いを言うのが、当時のイギリス首相のそっくりさんという落ちは気が利いているのか利いていないのか・・・余計なお世話ですけどね。
2020年11月17日火曜日
007 / ムーンレイカー (1979)
フレミングの原作を並べてみると、長編小説として出版されたものは、発表年順に
カジノ・ロワイヤル
死ぬのは奴らだ
ムーンレイカー
ダイヤモンドは永遠に
ロシアから愛をこめて
ドクター・ノオ
ゴールドフィンガー
サンダーボール
私を愛したスパイ
女王陛下の007
007は二度死ぬ
黄金銃を持つ男
以上の12作品。
後は2編の短編集があり、これらに含まれるのは
バラと拳銃 From a View To A Kill
読後焼却すべし For Your Eyes Only
危険 Risico
珍魚ヒルデブラント The Hildebrand Rarity
ナッソーの夜 Quantum of Solace
オクトパシー Octopussy
ベルリン脱出 The Living Daylights
所有者はある女性 The Property of a Lady
「カジノ・ロワイヤル」だけは他プロダクションが映画化したので、イオン・プロが関係するシリーズとしては、第11作となる本作で長編のタイトルは使い切ったことになります。
この後に続くシリーズは、短編集からのタイトルを使ったり、モチーフを組み合わせてのものになる。そういう意味で、ロジャー・ムーア後の作品については、ある意味別物と考えてもいいと思っています。つまり007らしきキャラクターを用いた映画オリジナルの作品ということ。
とは言っても、ここまでの作品でも原作に忠実な物もありますが、かなり設定を変更した物、登場人物の名前だけ用いた物、タイトルだけ借りて内容はほぼ別物などという具合に、映画は映画なりに独創的な展開をしてきています。
本来は「私を愛したスパイ」の最後で、次回作は「For Your Eyes Only」と予告していたのに、SFブーム到来で急遽、この「ムーンレイカー」に差し替えました。悪人のドラックスという名前は一緒ですが、原作の原子力潜水艦にまつわる陰謀をスペースシャトルに置き換え、遂にはボンドを宇宙に送り込むという大胆な内容変更をしています。
ブレタイトル・シークエンスでは、飛行機の中で襲われたボンドはパラシュート無しで落下。先に飛び降りていた敵のパラシュートを空中で奪い取ると、今度は前作で死ななかったジョーズが襲い掛かってくるという、CG無し、VFX無しの決死のスタントが凄い。
ドラックスは、密かに宇宙基地を作り、そこに選ばれた男女を移し、地球上の全人類を毒殺して新しい世界を作ろうという狂気にかられた億万長者です。そのためにスペースシャトルを開発したのですが、一機が故障したため、すでに政府に納入していたシャトルをハイジャックして奪ったため、ボンドの登場を許してしまいました。
ドラックスのパイロットで登場する一人目のボンドガールは、「O嬢の物語」でセクシー女優として一躍有名になったコリンヌ・クレリーですが、ボンドに協力してしまい、あっさり殺されてしまいます。そして、ドラックスの研究所に先に潜入していたCIAのメンバーとして、最後までボンドと闘うのがロイス・チャイルド。
ボンドが宇宙空間にいるだけでも荒唐無稽の極みなのに、何しろ宇宙でレーザー銃でドンパチするわけですから、「スター・ウォーズ」、「スター・トレック」も真っ青という感じ。それでも、スペース・シャトルのリアリティはNASAにも協力してもらって、かなり本物らしくなっているという評判でした。
ちなみに敵の研究所の扉を開けるキーコードが奏でるメロディは、「未知との遭遇」でお馴染みのあのメロディ。
2020年11月16日月曜日
2020年11月15日日曜日
007 / 私を愛したスパイ (1977)
007シリーズ第10作目で、1977年の映画界は「スター・ウォーズ」、「未知との遭遇」というSFの名作となった映画がひしめく中で、007シリーズとしては過去最高の興行収入を得ました。前2作でパッとしなかった、ムーア・ボンドが開眼した作品として記憶されます。
本家007映画を作っているのはイオン・プロダクションという会社で、原作者イアン・フレミングから映画化権を得ていたハリー・サルツマンと資金協力をして共同制作者になったアルバート・ブロッコリが立ち上げたもの。
前作までは制作は共同名義になっていましたが、「女王陛下の007」あたりから二人の主導権争いが始まり、ロジャー・ムーアの起用に反対していたサルツマンはブロッコリと決裂し、本作以降はブロッコリの単独制作になります。
イアン・フレミングの原作からはタイトルだけ拝借して、内容はまったくのオリジナルストーリーです。監督は「二度死ぬ」以来のルイス・ギルバートで、ギャグ路線はおさえてスピード感が増したスパイ・アクションとして完成させました。
プレタイトル・シークエンスでは、ソビエトのスパイとボンドが、スキーでアルプスの雪山をチェイスします。途中でストックに隠した銃で相手を撃退したボンドは、絶壁から大ジャンプ。落ちていく途中でイギリスの国旗の柄のパラシュートが開くというところは、シリーズ屈指のスタントであり、落としどころにもセンスがあった素晴らしい。
今回の悪人は大企業を牛耳るストロンバーグ(クルト・ユルゲンス)で、イギリスとソビエト連邦の原子力潜水艦を拿捕し、搭載していた核ミサイルで世界の主要都市を壊滅させ、海中都市から世界を支配することを企みます。
イギリスからジェームス・ボンド、そしてソビエトからは女性でトリプルXと呼ばれるアマソワというトップ・クラスのエージェントが調査に派遣されます。二人は当初は情報を奪い合う関係で、エジプトの名所を巡る駆け引きは楽しめます。
そして、両国が共同作戦を取ることになりますが、実はボンドがアルプスで倒した敵はアマソワの恋人だったことがわかり、二人の間には緊張感が持続することになります。二人が乗り込んだアメリカの原潜も、敵のタンカーに飲み込まれるように拿捕され、アマソワはストロンバーグに捕らえられ海洋基地に連行されてしまいました。
ボンドは隙をみて捕らえられていた原潜乗組員を開放し、英米ソの三カ国協同でタンカーを破壊、すでに出航していた2隻の原潜のミサイルを相討ちさせて危機を救います。アメリカ原潜で脱出した彼らの元に国連から海洋基地破壊指令が届きますが、ボンドはアマソワを救出するため単身で乗り込み・・・当然、ハッピーエンドを迎えるわけです。
ボンド・ガールはもちろんアマソワで、演じたのは現リンゴ・スターの奥さんであるバーバラ・バック。前半は腕利きのスパイとして描かれていますが、捕まった後はなすすべもなくボンドに助けられるというのだけは、ちょっと物足りない感じ。
サブ・キャラとして注目だったのは、敵の用心棒で登場するジョーズ。巨大な体を持ち味にして人気だったリチャード・キールが、鋼鉄の歯で何でもかみ砕き、台詞は無いのですがコメディ要素を含ませている。最後でも水没している基地から脱出し泳いでいくところはユニークで、当然のように自作でもボンドを狙って来ます。
これまで積極的ではないにしろ犯罪者の後ろにはソビエト連邦が控えている設定でしたが、ソビエト諜報部のゴゴール将軍が初登場し、イギリスのMと並んでいたりするシーンは、まさに東西冷戦の雪解け、「デタント」の象徴でした(79年のソビエトのアフガニスタン侵攻で崩れますが)。
2020年11月14日土曜日
007 / 黄金銃を持つ男 (1974)
今回の目玉は、ドラキュラ俳優で有名だったクリストファー・リーが悪役で登場するところ。ボンドのもとに「007」と刻印された黄金の銃弾が届くことで、黄金銃の使い手として知られる殺し屋スカラマンガからのボンド抹殺予告と考えられました。
ちょうどイギリス諜報部が追っていた太陽エネルギー転換装置をスカラマンガが手に入れたことで、ボンドはスカラマンガの本拠地に乗り込んで活躍するという話で、主な舞台は香港・クカオです。
公務員(の割にはセレブな)のボンドに対して、スカラマンガは殺人料は高額。イギリスに対する愛国心から時には殺しも辞さないボンドに対して、スカラマンガは殺人をゲーム感覚で享楽している。スカラマンガは、ボンドとの対決を望み楽しんでいるという状況。
こういう設定は今までにはなかったところで、勝利して優越感に浸りたいことからボンド個人に危害を加えたいという悪人はスカラマンガが初めてです。
そして中年ボンドの肉体的アクションはたいしたことはありませんが、今回見どころとなるアクションはカーチェイス。川を渡りたいボンドが、傾いて崩れた(ように設計された)橋を使って、向こう岸に一回転して着地するというトリッキーなスタントは一見の価値があります。
この撮影の数年前に香港湾で原因不明の火災で全焼した豪華客船、初代のクイーンエリザベス号の残骸がイギリス諜報部の出張所として活用されているというのは面白い。数年後には撤去されているので、傾いた無残な姿が記録されているのは貴重です。
ボンドガールは二人。ボンド側の女性諜報部員で、ピター・セラーズの奥さんだったブリット・エクランドは、可愛いけどドジな役柄で、コメディ・リリーフ的な立ち位置。モード・アダムスは、スカラマンガの愛人で裏切ったために中盤で殺されてしまいます。二人ともスウェーデン出身で、アダムスはこの後「オクトパシー」で主役として再登場しました。
前作に続いて、がさつでまぬけなアメリカの保安官のペッパーが登場します。話の本筋とは無関係ですが、怒鳴り散らしているだけの台詞が増えている。こういうキャラのギャグは品を落としているだけで、映画にとってプラスになっているとは思えません。
まぁ、今回も何度もボンドを殺せる機会があるんですが、結局ボンドが長生きできているのも、悪役がかっこつけて凝ったことをしようとして自滅しているだけという結果を再確認できます。
2020年11月13日金曜日
007/ 死ぬのは奴らだ (1973)
「ダイヤモンドは永遠に」を最後にショーン・コネリーはジェームズ・ボンド役を引退し、その後の3代目ボンド(2代目は一作だけのレーゼンビー)を引き受けたのがロジャー・ムーアでした。
6作に出演したコネリーは、4作目あたりからは明らかに年齢的な限界を見せ始め、最後はかなり年老いた感じがしていました。しかし、実はムーアはコネリーよりも3歳年上で、撮影時は40代半ば。
激しい肉体的アクションは期待できず、前作で強調されたギャグ路線を引き継ぎ、おしゃれな伯父様が、いろいろな小道具と大仕掛けなスタントで見せ場を作るという感じ。そもそも監督も同じガイ・ハミルトンですしね。
テーマ・ソングを歌うのはポール・マッカートニーで、これもかなり話題になりました。「ゴールドフィンガー」でボンドは「ビートルズを聴くには耳栓が必要」と言っていたくらいですから、時代がかわったというところでしょうか。
権利トラブルで「スペクター」、「ブロフェルド」を使えなくなったため、ムーア・ボンドの敵は毎回いろいろな犯罪者になります。その第一弾は、カリブの小国の大統領であるカナンガ。彼はニューヨークではMr.ビッグと名乗り麻薬で巨額な利益を出す計画を遂行していたというもの。
カナンガを調査していた諜報部員が立て続けに抹殺されたため、ついにボンドの登場となるわけですが、カナンガは民間信仰であるヴードゥを利用しており、ヴードゥの巫女でタロット・カードを使った占いをするソリテア(ジェーン・シーモア)が今回のボンド・ガール。ボンドと恋に陥ると占いに出たためカナンガを裏切ることになります。
ニューヨークのハーレム、カリブ海の島が主な舞台で、ボンドとソリテア以外はほとんど黒人というのも、今までにはなかったところ。セスナ機を走り回らせたり、モーターボートでの追跡シーンなどの新機軸はありますが、ムーアが直接やっているわけじゃないので、遠目にそれらしいスタントマンで、なおかつやたらとシーンが長いのは退屈です。
敵の本拠地にいとも簡単に乗り込んで、ソリテアのタロットをいじれたりと、相変わらずのご都合主義がたくさんあります・・・って、文句ばかり言っているようですが、とりあえず007シリーズを続けることができるだけの仕上がりにはなっています。
ボンド役が一新されたことで、シリーズとしては気分が若返った感じがしますし、はっきり言ってコネリーよりも男前のムーアが、意外と違和感なく役に溶け込んでいるように思います。
コネリーは最初はヒットさせるという気概が十分で力がはいっていましたが、シリーズ化によりだれてきた部分は否定できない。ムーアは出来上がった世界観を崩さないようにおとなしくスタートして、本領を発揮するのはこれからだというところでしょうか。
2020年11月12日木曜日
北海道ラーメン きむら 初代 @ たまプラーザ
初代の味噌ラーメンとは、久しぶりの再会。
でもって、初代の水差しはというと・・・って話じゃありません。コロナ対策の話。
飲食店は、どこもいろいろと気を遣って大変ですが、ここも例外じゃありません。
カウンター席は椅子を減らしているようですし、テーブル席もアクリル板の就いたてビニールシートで、二人分で分割していました。
これで完璧というものではないと思いますが、これ以上を要求すべきものでもありません。
コロナ禍で、ラーメン店の破産はけっこう表面化している状況ですから、ここのような人気店でも経営はけっこう深刻なんだろうと思います。何とか頑張って存続してもらいたいものです。
でもって、食べたのはいつもの辛味噌。
久しぶりで、やっぱり美味しい。自分のテリトリーの味噌系ではここが一番。
テーブルにおいてある豆板醤を追加して辛さアップ。むせて咳き込む。でもシートがあるから安心・・・ってとこでしょうか。
2020年11月11日水曜日
007 / ダイヤモンドは永遠に (1971)
映画ジェームス・ボンドのシリーズとしては第7作、第5作「007は二度死ぬ」で役からの引退したショーン・コネリーが、莫大な出演料はすべて国際基金に寄付し、希望する2作の映画製作の約束を取り付けて復帰しました。
監督は「ゴールドフィンガー」に続いて2度目のメガホンをとるガイ・ハミルトンで、前作のシリアス路線から一転、ギャグ色が強い荒唐無稽感が強調されました。そして、出たとこ勝負のいい加減な設定が目立ちます。
せっかくコネリーが復帰したものの、はからずもコネリーが自ら感じていたように、がんばるほどボンド役をこなすには年を取ってしまったことを証明した作品ということもできる。
プレタイトル・シークエンスは、前作ラストで結婚したばかりで、宿敵ブロフェルドに新妻を殺されたボンドは、怒りに任せてブロフェルドを探しまわり、ついには倒します。そこにはボンドらしいスマートさは無く、復讐のため怒りに任せて感情的に動く男でしかありません。
これだけ見ると、これまでのシリーズで描いてきたボンド像とはかなり異質で、正直戸惑います。ところが本編に入ると、途端にイギリス紳士に戻っている。初めてこの映画で007を見る人なら、かなりキャラクターに混乱すると思います。
今回はダイヤモンドの密輸事件に絡んで、ラスベガスに乗り込んだボンドが、大富豪(ハワード・ヒューズがモデル)に成りすましたブロフェルドと対決するという話。ブロフェルドは影武者をたくさん用意していて、映画冒頭で殺したのも影武者の一人だったということ。
密輸したダイヤモンドは強力なレーザー光線を発生させるために利用され、宇宙船に搭載し世界中を恐怖に陥れるという計画。「二度死ぬ」では自前で打ち上げロケットを用意していたスペクターですが、今回は大富豪の研究所を利用して経費削減ということらしく、このあたりの描写自体もほぼ省略され映画としてもスケールが小さくなった。
ブロフェルドを演じたのは、「二度死ぬ」ではボンドに情報提供してすぐに殺されたチャールズ・グレイ。グレーの服で白猫を抱いているところは相変わらずですが、ドナルド・プレザンスやテリー・サラバスに比べると、インパクトは落ちます。
最後はボンドの勝利ですが、ブロフェルドの死亡は確認されずに今後の展開につなげています。しかし、原作では敵はゴールドフィンガーの弟だったのをブロフェルドに変更していたため、またもや権利関係のトラブルを巻き起こし、スペクター、ブロフェルドは映画で使用できなくなってしまいました。
ボンド・ガールは基本的に一人で、密輸グループに所属して序盤から登場するジル・セント・ジョン。途中ボンドに絡んでくる女性が殺され役ですが、その存在価値はなんだかよくわからない。
ショーン・コネリーのジェームス・ボンドは基本的にこれで終了で、当初の肉体的アクション路線から、小道具に頼りユーモアを多用する路線に変わったことで、役目は終了したと言えそうです。この後、ロジャー・ムーアがこのボンド像を引き継ぐことになります。
2020年11月10日火曜日
女王陛下の007 (1969)
007シリーズの第6作。いろいろな意味で異色作です。
まず、これまでジェームズ・ボンドを演じてきたショーン・コネリーが、役柄のマンネリで降りたことで、新しくジョージ・レーゼンビーが2代目007に起用されました。
レーゼンビーは、とかくショーン・コネリーと比較されて公開時は不評を買いましたが、これは本人の責任じゃない。そりゃ、5作続けて同じ俳優が演じて来たんですから、ちっとやそっとじゃイメージを変えられなくて当たり前。
監督は一作目から編集に携わってきたピーター・ハント。今までのボンドを知り尽くしていたので、全体の雰囲気を壊すことなくうまく引き継いだと言えます。ただし、彼が監督したのはこの一作だけ。
そして、遂にジェームズ・ボンドが、一人の女性に本気で恋をして、ついに結婚までしてしまうという話。しかも、その恋の結末は悲劇。
そういう意味では、俳優が変わったことは悪い事じゃない。ショーン・コネリーのボンドが結婚じゃ、それまでのボンド像が逆に壊れていたかもしれません。
内容は悪くない。やや年取ってきたコネリー・ボンドと違って、10才くらい若返りましたのでアクションのスピードも回復して切れ味が良くなりました。しかも、前回取り逃がしたスペクターのNo.1であるブロフェルドとの直接対決の話ですから、気合が入るという物です。
冒頭、海辺で女性を助けますが、そのまま逃げられてしまい「今まではこんなことはなかった」とぼやかせるのはご愛敬。タイトル画面でも、歌に歌詞は無く演奏だけというのも新鮮。このタイトル・シークエンスで、これまでの悪役やボンドガールの映像がフラッシュバックされ、続きのシリーズであることを強調します。
ブロフェルドを追跡するも手掛かりを得られないボンドは任務から外され、00ナンバーの職を辞することを決意します。机を整理していると、過去の作品の小道具がいろいろ出てくるし、敵のアジトに乗り込むと掃除の爺さんが吹いている口笛が「ゴールド・フィンガー」だったりします。
結局、辞表じゃなくて3週間の休暇ということになって、ボンドはブロフェルドの行方を個人的に追いかけるのです。今回のブロフェルドを演じるのは、「刑事コジャック」でお馴染みのテリー・サラバス。
前作でのドナルド・プレザンスより悪人感は少ないのですが、早くから登場しボンドとの直接の絡みも多い。ただ、前作の秘密基地で対面しているはずなのに、お互い顔を知らずに初対面風なのはちょっと違和感ありです。
今回は、個人的な行動が多く、秘密の小道具はあまり登場しません。そのかわり、スキーでのチェイスとか、ボブスレーでの格闘とかレーゼンビーの肉体的なアクションが多くなったことでご都合主義的な部分が鳴りを潜め、ギャグも控えてシリアス感がさらに増した映画としてけっこういい出来だと思います。
レーゼンビーは、さらに数本のボンドを演じていれば面白かったのかもしれませんが、この一作のみで降板を申し入れてしまいました。結局、制作サイドは、次作ではかなりの条件をのんでショーン・コネリーのジェームズ・ボンドを復活させました。
2020年11月9日月曜日
007は二度死ぬ (1967)
1966年3月5日、イギリスの旅客機が乱気流のため空中分解し富士山麓に墜落した事故が発生しました。この機体には007映画の撮影を終えたスタッフが多く乗り込んでいたのです。
搭乗予定には、シリーズを制作していたハリー・サルツマンとアルバート・ブロッコリ、監督をしたルイス・ギルバートら主要スタッフも含まれていましたが、離陸2時間前に急用によりキャンセルし難を逃れました。
彼らが搭乗していたら、007シリーズはこれで終了していたかもしれません。そんなエピソードも含めて、ほぼ全編を日本で大規模なロケを行って作られたこの第5作は、特に日本人としては特別なものとして見てしまいます。
フレミングの原作からは、タイトルと登場人物の名前を拝借していますが、同名小説とはストーリー的にはほとんど無関係。アメリカとソビエト連邦の宇宙船が拿捕される事件が発生し、両国は互いに相手国の陰謀として戦争勃発の緊張を強いられます。謎の宇宙船が日本から飛来しているらしいという情報により、ジェームス・ボンドは秘密裏に日本に潜入するのですが・・・
日本でのボンドを助ける秘密組織のリーダー、タイガー田中に丹波哲郎。ボンド・ガールは前半でボンドを助ける田中の部下として若林映子、後半でボンドと偽装結婚する浜美枝が登場します。
1962年の「キングコング対ゴジラ」で共演していた二人の女優が指名されたもので、もともとは二人の役柄は逆だったのですが、浜の英語力が問題となり交換されたもの。確かに若林の方が、外国映画の経験が多くエキゾチックな容姿はボンド・ガール向いている感じです。
1964年の東京オリンピック後の都内の様子がたくさん映像として登場するあたりは、大変に興味深いところ。地下鉄丸ノ内線がタイガー田中の私的移動手段だったり、ホテル・ニューオータニが敵の隠れ蓑の大企業だったりします。極めつけは、かの姫路城が田中の忍者養成所というのは凄い設定。
これらは、当然空想の産物で現実性は皆無といっていいわけですが、昔の海外の映画の日本の描き方はアジア全体がいっしょくたであることが多いのですが、比較的正しく日本を紹介できているので違和感は少ない。
戦争に起こして一儲けをたくらむのはお馴染みのスペクター。「ロシアより愛をこめて」、「サンダーボルト作戦」で白猫を膝にのせて顔を出すことが無かった首領のブロフェルド(ここでは演じるのはドナルド・プレザンス)がついにスクリーンに容姿を現します。
ブロフェルドは最後に自らの基地を爆破させ逃亡し、今後もボンドを苦しめることになるのですが、一つ飛ばしてコネリー最後のボンド役となった第7作では、今回ボンドに情報を提供し、タイガー田中との間を取り持つヘンダーソン役のチャールズ・グレイがブロフェルドとして登場します。
全体的には荒唐無稽さがパワーアップし突っ込みどころ満載ですが、スピード感が戻って良質なアクション娯楽作品となりました。ただし、コネリーはこの映画の前にボンド役は飽きたと公言し、この作品が最後となるため、シリーズとしては大きな転機を迎えることになるのです。
2020年11月8日日曜日
007 / サンダーボール作戦 (1965)
第3作はガイ・ハミルトンが監督しましたが、第1・2作を監督したテレンス・ヤングが復帰しての第4作は、初めての水中撮影をふんだん取り入れた海中での戦いをメインにしたものになりました。
ただし、ジェームス・ボンドは今回は一味違う。薄毛になってきたショーン・コネリーが、本作から鬘をかぶるようになったから・・・だけでなく、全体に偶然性に頼り出たとこ勝負になり、実際細かい所でへまが多くなりました。
今回の敵はスペクター。スペクターの首領であるNo.1はブロフェルドで、「ロシアより愛をこめて」に続いて白猫を抱えて顔出しNGでの登場です。本作でのメインの敵はNo.2のラルゴで、表向きには難民救済事業をしているようですが、何故か大金持ち。
NATO・・・今ではその存在が薄れている感じですけど、北大西洋条約機構という西側諸国の軍事共同体の保有する原子爆弾を奪取して脅迫するという話。直接的にも、間接的にもソビエト連邦はほぼ無関係。
ボンドガールは、最初に登場するのは残念ながら途中で死亡するという公式がありますが、今回はちょっと違う。ラルゴの裏を知らない愛人とスペクターNo.11の美人殺し屋が登場するんですが、No.11は凄腕のはずなんですが、味方の発砲で簡単にさよならします。
最後にボンドに味方をする愛人は、そのまま生き延びてめでたしめでたしとなります。公式的に死んじゃうのは、現地でボンドをサポートする女性諜報部員で、どちらかというと端役だし、そもそもボンドと恋愛感情は生まれてなさそうな人。
ギャグは少なくなってシリアス感は増しているものの、相変わらず都合の良い設定です。それがひたすら楽しい部分はあるんですが、最終決戦が海中というところでどうしても動きが緩慢。アクション映画としては、もったりとしてどうやっても長いだけという感じ。
実際にヤング監督は、水中撮影シーンはスピードが落ちることを自覚していて嫌っていたらしい。最終作ならまた監督しても良いと言い残して、ヤングは本作を最後にボンド映画から去っていきました。
ボンド作品は、原作者のイアン・フレミング、原案者、映画製作者などとの間で、たくさんの権利訴訟があるんですが、特に本作ではその影響が顕著。そんなこともあって、すでにボンドを引退していたコネリーを担ぎ出して、本作をリメイクしたのが本家とは無関係の「ネバー・セイ・ネバー・アゲイン」でした。
2020年11月7日土曜日
007 / ゴールドフィンガー (1964)
さぁ、今回はどんな冒険かと待ち構えていると、いきなり鴨の模型を頭に乗せてボンドが登場。カモフラージュというより、かえって目立つだろうと笑わせます。
しかし、その後は敵のアジトを爆破し、ウエットスーツを脱ぐとバリっとした白のタキシード。戻って女といちゃいちゃ始めると、暴漢に襲われ撃退。緊張感をゼロから一気に高めています。
この数分間のプレタイトル・シークエンスだけで、ジェームス・ボンドのエッセンスを見せ切ってしまう手法は完璧です。さらに最初に登場する美女はいきなり裸に金粉を塗られて死んでしまうというのもショッキング。
ただし、「皮膚呼吸できずに死亡」という説明はダメ。人間は皮膚呼吸してませんから。これは、ボンド映画が誤った認識を広めてしまった悪い見本。
今回の悪人は、ゴールドフィンガー。金に魅せられた悪人ですが、西側も東側も関係なく、塾的スペクターでもありません。権利関係の移動が関係した措置らしい。
アメリカの金を保管しているフォート・ノックス基地を襲撃しようという計画を知ったボンドが捕まったり逃げたりして、戦うアクションの連続でテンポの良い展開は素晴らしい。
フォート・ノックスは上空の飛行機が飛ぶところまでは許可が出たそうですが、中には一切入れません。映画ではスタジオの空き地に、外観そっくりの建物を作って撮影しています。
それだけでも見事なんですが、建物内の金塊が積み上げられた部屋は、制作人が想像して作ったものですが、これも素晴らしくて本物にかなりに近い再現性があったらしい(という噂)。
脇役としては「アー」とか「ウー」とかしか台詞がない用心棒オッドジョブが、随所でいい味を出しています。演じたのはハワイ出身のプロレスラー、ハロルド・サカタで、ボンドと直接対決する悪人としては一番キャラが立っているかもしれません。
2020年11月6日金曜日
大統領選挙
アメリカ国民は幸せだ。自分たちのリーダーを自ら選べるのだから。
・・・と思っていたんですが、どうもそんなに簡単な話ではないようです。
11月3日が投票日。現地で丸一日経過しても、結果が出ないという不思議な状態になっています。日本の選挙のイメージからはありえない。
州ごとに開票して結果を発表していますが、開票結果の発表を途中でやめてしまうところが出てきて、バイデン王手をかけたところでストップです。
さらに、すべて開票しろという要求が出たり、開票をやめろという裁判を起こしたりと、混乱しまくっていて、よそ者には何が何だかわからない。
しかも、結局勝った候補者が獲得するのは、その州ごとの選挙人。その選挙人が最終投票をして大統領が決まるというのは、なんかピンとこない。
それが連邦制度というものなんでしょうけど、これは自由民主党の総裁選挙のやり方を巨大化したようなものなのかと思います。
実質的に世界で一番権力を持つ者、それがアメリカ大統領ですから、他国民と言っても動静を注視したいと思います。
2020年11月5日木曜日
ダーティ・ハリー (1971)
もう今更説明の必要が無いくらい有名な映画。主演をしたクリント・イーストウッドにとっては、西部劇スターからジャンルを超えたハリウッドを代表するスターに押し上げました。
そして、ベトナム戦争介入後の病めるアメリカに切り込んだ、綺麗ごとだけではすまさない「アメリカン・ニュー・シネマ」と呼ばれる映画の一端を担うことになりました。
監督はこれがイーストウッドとは4本目になるドン・シーゲル。ここでは全体のスピード感が回復し、途中の息抜き部分でもだれることなく緊張感が持続する演出が見事。
冒頭、銃口が狙うシーン。ビルの屋上プールで優雅に楽しむ美女が狙撃されますが、金目当ての無差別殺人であることがわかり戦慄します。
続いて、イーストウッド演じるサンフランシスコ市警のハリー刑事は、ランチに立ち寄った店で銀行強盗に遭遇。大型拳銃を右手に、食べかけのホットドッグを左手にいとも簡単に強盗団を射殺していくのです。このシーンで、ハリー刑事のキャラクターが一瞬にして伝わることになります。
一方、犯人の「サソリ」については、ほとんど人間性は語られることはありません。何故犯罪に手を染めたのかの説明も特にない。そのため、無差別殺人を繰り返すサソリに対して誰もが嫌悪感だけを持ち、自然と無謀なハリー刑事の側についてしまうことになるのです。
もちろん、警察側の暴力的な表現に対し批判的な見方は当然あります。そういう部分が、賞レースからこの映画を遠ざけたことは間違いない。しかし、ほぼ同時期に封切られたウイリアム・フリードキン監督の「フレンチ・コネクション」との待遇の差は今もって不思議。
「フレンチ・コネクション」はアカデミー作品賞、監督賞、主演男優賞など主要8部門を制覇しました。ジーン・ハックマン演じるニューヨーク市警の「ポパイ」刑事が強引な手腕を発揮して麻薬ルートを潰していく話。
ある意味ハリーとポパイには、暴力的な捜査方法などの共通点がありますが、映画としての一番の違いは「フレンチ・コネクション」は実録物というところ。50年たった現在では、「フレンチ・コネクション」は、アカデミー賞の記録として残ってはいますがほとんど顧みられることはないことがすべてを語っているかもしれません。
イーストウッドはシーゲルの指導の元、一部のシーンの監督を実際に行っており、同年に公開された自らの第1回監督作品「恐怖のメロディ」とともに、シーゲルの映画作法をしっかりと継承していくことになりました。
2020年11月4日水曜日
真昼の死闘 (1970)
クリント・イーストウッドにとっては、マカロニ・ウエスタンで人気が出てハリウッドに凱旋してから「奴らを高く吊るせ」に続く2作目の西部劇。そして、ドン・シーゲル監督とは、「マンハッタン無宿」以来の2回目の作品ということになります。
邦題はバリバリの西部劇のようなタイトルですが、原題は「Two Mules for Sister Sara」で、直訳すると「尼僧サラの2匹のラバ」。一匹はサラが乗るために連れているラバそのものですが、もう一匹は頑固者(mule)のイーストウッドのことでしょう。
サラを演じるのはシャーリー・マクレーンで、1955年にヒッチコックの「ハリーの災難」で銀幕デヴューして以来、すでにハリウッドでは人気女優ですから、当然イーストウッドより格上。タイトルの名前の登場もイーストウッドより先です。
ひょんなことから、フランス軍により迫害されていたメキシコ・ゲリラを援助している尼僧の姿をしたサラ・・・実は娼婦のあばずれと一緒に旅することになったイーストウッドが、フランス軍陣地にダイナマイトを投げ込んで大暴れするという話。
はっきり言って、ここでのシーゲルの演出は緩い。間延びしたシーンが多く、スピード感が感じられません。B級アクション映画が得意なシーゲルとしては、何をもたもたしているんだと文句を付けたくなる(シーゲルはスタジオから編集権をもらえなかったらしい)。
機関車がダイナマイトの爆発で端から落ちていくところとか、最後のフランス軍とメキシコ・ゲリラの大規模な戦いとか、アクション・シーンとしては見るべきものは無いわけではないのですが、それ以上にはなりません。
そして、西部劇と言っても、やっつけられてスカっとするような悪役がいないことが、最大の敗因かもしれません。メキシコ人を銃殺するシーンは途中であるんですが、相手のフランス軍の蛮行のようなものがはっきりと描かれていないので、どうもぱっとしない。
偽物の尼僧であるマクレーンの往年のおちゃめな演技はいいんですけど、やはり西部劇向きの女優さんとは云い難い。イーストウッドも、マカロニ・ウエスタンの二番煎じのような感じですし、まぁイーストウッド・ファンだけが見ておけばいいかなというところ。
本当にイーストウッドが真価を発揮するのは、翌年の1971年のことになります。
2020年11月3日火曜日
007 / ロシアより愛をこめて (1963)
原題は「From Russia with Love」で、公開当初は「007危機一発(一髪ではない)」でしたが、後に直訳の邦題に改められました。この映画のおかげで「~から愛を込めて」と言う表現は、中学生でも知る英語の常套句になったと思います。
また、この映画で初めて、冒頭に敵の銃口からボンドが歩いてくるところを見るというお馴染みのシーンが加わりました。これは「ガンバレル(銃口)・シークエンス」と呼ばれるようになります。
イアン・フレミングの原作では、ここでも敵はソビエト連邦の秘密諜報機関スメルシュということになっていますが、映画ではソ連諜報機関に潜入していた犯罪組織スペクターが相手です。
何も知らないソ連の女性諜報部員を騙して、亡命するふりをしてボンドを痛めに合わせるという作戦。今回のボンド・ガールはこの女性部員で、1960年の準ミス・ユニバースのイタリア人のダニエラ・ビアンキで、当時21才。
今回は予算も倍増して、各地を巡るロケをふんだんに取り入れ、お金のかかった大がかりなアクション・シーンが増えた分、スピード感が増し良質なアクション映画として仕上がりました。
女性の踊る姿にキャスト・スタッフを投影するタイトル、肉体的な対決をする悪役の配置、ギミック満載のアタッシュ・ケースなどの小道具も登場し、シリーズ化の方向性を作り上げた傑作です。
2020年11月2日月曜日
007 / ドクター・ノォ (1962)
ショーン・コネリーが10月31日に亡くなりました。90才でした(クリント・イーストウッドと同い年!!)が、俳優業は2006年に引退していたので、もうずいぶんと名前を聞いていませんでした。
当然のことながら、ショーン・コネリーと言えばジェームス・ボンド。今でも続いている人気アクション映画シリーズの、初代ボンド役です。本人は、このイメージが定着することが嫌だったのでしょうけど、1962年から1971年までの10年間、6作品でボンドを演じ、007のイメージを作り上げてしまったことは消し去ることはできません。
自分の年齢からすると、その後を継いだロジャー・ムーアの方がリアル・タイムなんですが、何しろ当時はテレビの洋画劇場で繰り返しコネリー・ボンドが放送されていたので、圧倒的に馴染み深い。
1962年のシリーズ第1作となるのが、「Dr.ノー」で、当時の「007は殺しの番号」という邦題が付いていました。時代は東西冷戦の冷真っ只中でしたから、ソビエト連邦(現ロシア)を敵国としたスパイものは妙な現実味がありました。
映画では、ソ連を直接出すわけにはいかないので、スペクターという犯罪組織とイギリス情報部所属のボンドが戦う設定になっていましたが、実際にも西側と東側で実際にもスパイ合戦が火花を散らしていると想像してしまったものです。
アメリカの要請で、ボンドは月面ロケット発射を妨害する不正電波が発せられているジャマイカに向かい、CIAのフィリックス・ライターや現地の美女ハニー・ライダーと協力し、敵の本拠地に潜入しますが、当然一度は捕まることになる。
敵の親分は、犯罪組織スペクターに所属する科学者のノオ博士で、一度はボンドを仲間に引き込もうとしますが、最後はボンドと格闘になり原子炉に突き落とされて絶命しました。と、まぁ、かなりすっ飛んだストーリーですが、それはそれで痛快でした。
ちなみにDr.ノォを演じたのはジョセフ・ワイズマンで、中国人の設定の役ですから、メーキャップで東洋風に変身して、冷酷非情な悪役を見事に演じています。
さて007といえば、美女が出てきてうきうきということなんですが、この第1作から登場するボンド・ガールはウルスラ・アンドレスで、海から上がってくる登場シーンはかっこいい。イギリス紳士たるボンドとの駆け引きは、大人の対応の見本みたいで良かったです。
さすがに後に色々出てくる特殊アイテムはほとんどなく、ボンドの知力と肉体的パワーをメインにしたアクションは、シリーズの基本として十分に発揮されていますので、しっかりおさえておきたいタイトルです。
2020年11月1日日曜日
シノーラ (1972)
クリント・イーストウッドにとって、ハリウッドでのポジションを決定づけた「ダーティ・ハリー」、自ら初めて監督した「恐怖のメロディ」が公開されたのが1971年のこと。そして、それらに続く作品として主演したのがこの西部劇。
原題は「Joe Kid」で、イーストウド演じる主人公の名前。シノーラは、舞台となるメキシコ国境近くの汽車の終着駅がある街の名前。西部劇では土地の名前がつくタイトルが多いための変更かもしれませんが、そもそも製作者の意図を汲まなさすぎ。
この映画は、スタッフがすごい。監督は、「OK牧場の決斗(1957)」、「荒野の七人(1960)」、「大脱走(1963)」などのアクション映画で名を馳せたジョン・スタージェス。
脚本は、小説家としても人気があったエルモア・レナード。音楽はイーストウッドとの絡みも多く、「燃えよドラゴン」で名が知れたラロ・シフリン。そして撮影は、70~80年代のイーストウッドと切っても切れないブルース・サーティースです。
特に注目なのは、正当は西部劇映画を作ってきたスタージェスが異端西部劇のイメージが強いイーストウッドをどのように使うのかというところ・・・なんですが、正直言って、スタージェスには往年の切れが無く、登場人物一人一人の描き方が薄っぺら過ぎて深みが無い。
せめて得意のアクションで凄ければ許せるところなんですが、こちらもめりはりがなく最後の対決シーンもすかすかであまりにあっけない。西部劇ではあまり見かけない銃が登場したり、機関車で街の中に突入するのは面白いアイデアですが、それらを生かし切れているとは言えません。
スタージェス監督はこの映画では60代に入ったところでしたが、ビークは50代前半で以後はパッとしない作品ばかりで「巨匠」になりそこなったと言わざるをえない。イーストウッドは、同じく巨匠になれなかったドン・シーゲルから映画作りの基本を学びましたが、スタージェスは反面教師になったかもしれません。