2017年8月31日木曜日
挿し木の顛末
去年盆栽を嗜むようになって、勢いに任せて手あたり次第近くに生えているものを挿し木にしていました。
結果発表です。じゃじゃ~ん。
生き残ったのはこれだけ。皐月です。よくぞ頑張ってくれました。
たったこれだけしか、と思うか・・・それとも、一つだけでも残れば大成功とするか・・・
まったくの初心者がわけもわからずやったことですから、よしとしましょう。
何度かこれはダメかと思うことがあったのですが、何とか持ちこたえてくれました。
1年たって小鉢に植え替えして、しかも針金もかけてみました。それでも、根元から新しい枝がでてきたので、まず大丈夫そうです。
このまま放射状にうまく形が育って行ってくれれば、なんか物になりそうな気配・・・が漂っていません?
まだまだ、形になるには、そして花芽がつくには数年以上はかかりそうですが、気長に水遣りをつづけましょう。
2017年8月30日水曜日
処暑
暦では処暑。
厳しい暑さが終わり、秋の気配が少しずつ増してくる頃・・・のはずなんですが、今年は天候がぱっとせず雨と湿気の8月前半でしたから、今週なんかの方が、よほど夏っぽい。
順調だったら、稲はそろそろ穂先を垂れ始める頃なんですが、どうなんでしょう。まだまだ、伸び足りていない感じでしょうか。
スーパーでは野菜が高くなっています。日照不足で、葉物を中心に生育が悪いためですのでしょうがない。
いつもの量で高いものを選ぶか、それとも少ない量で価格据え置きでがまんするか、悩みどころです。
でも、夏は間違いなく過ぎていき、夜になると虫の声が聞こえ始めています。着実に一歩一歩、秋の気配が近づいているわけですね。
2017年8月29日火曜日
ゴルフ
ずいぶんと昔のことです。もう、忘れてしまいました。あっ、女子医の時に、一度やったっけ。
それが最後。15年くらい前の話。
生涯ラウンド数は、両手の指で足りるくらいかと。
何しろ、膝がもたないんですよ。右膝。
学生の時のテニスのせいか、靭帯が緩くなっていて、上手ければ問題ないんですが、何しろひとたびコースに出ると山あり谷ありゴルフになってしまう。
しかも、だいたい自分より上の先生とかと一緒なので、ゆっくり歩いていられない。
そうなると、半分回る頃から、痛みが出てきて、最後は足をひきづる始末です。そうなると、楽しむどころじゃないし、行きたくなくなる。
上手ければいいんでしょうけど、何しろこのフォームじゃね(30年くらい前の写真)。軸は曲がって、膝は伸び切っているし、そもそもダフっているし。
日頃、外来でそんな打ち方をしているから痛みを出すんですよ、とか偉そうに患者さんに説明しているんですが、自分じゃこれですもん。
もっとも、名選手が名監督とも限らないのがスポーツですから、ご勘弁いただきたいものです。
2017年8月28日月曜日
胡楼亭 @ あざみ野
これです! これが、タン・タン・タン・坦々麺です!!
・・・という感じの担々麺を食べたいときはここ!!
というくらい文句無し。これ以上何をか云わんや。
胡楼亭の場所はあざみ野、駅から少し歩きますが、駅前通りからちょっとだけ入った場所なので、意外に知られていない・・・と思ったら大間違い。
もう、とっくに担々麺の美味しさは知れ渡っていて、昼時は行列の店です。
今回はスタンダードな担々麺ではなくて、しびれる辛さの麻辣担々麺。
鷹の爪が8本入っていました。これをごま油でじっくり炒めて、注文が入るたびに「辣油」を作っているわけです。
山椒もかなり効いていて、食べていくうちに舌がびりびりしびれてくる感じがたまりません。
麺はストレート細麺と縮れ中太麺の選択が可能ですが、濃厚な坦々スープはからみつくので、中太麺がお勧めです。
元々は、たまプラーザのイトーヨーカドーの裏にある四川料理SHUNという店が、担々麺が好評過ぎて専門店として出店したということ。
とにかく期待を裏切らない、美味しい担々麺を食べたかったらここです。
2017年8月27日日曜日
夏のシクラメン
冬になると、花屋や園芸店の店先にいっせいにシクラメンの鉢が登場します。
春になってだんだん花が少なくなってくると、だいたいおしまいということで、鉢はほったらかし。いつのまにかゴミになっていることを繰り返してきました。
でも、元々は地中海沿岸に自生する球根植物で、当然多年草ですから、ちゃんと管理すれば次の冬にも花が咲くはず・・・なんですが、なかなかうまくいかない。
通常、春に葉が枯れて休眠状態になったら、涼しい場所で水を一切遣らない。秋になったら植え替えをして・・・って簡単なんですけど、実際は腐っていて、結局ゴミになる。
今年は、いっそのこと水遣りを続けてみました。裏の日当たりが無い場所で、一番暑いころが日照が少なったせいか気温が高い日が少な目で、今のところまぁまぁ元気なまま。
このまま、なんとかいけるかなぁ・・・いけないかなぁ・・・何とも言えませんけど、持ちこたえてもらいたいものです。
2017年8月26日土曜日
やっと開花
百日紅(サルスベリ)です。
やっと、やっと、開花しました。
樹で咲く夏の花の代表みたいなもので、そこらを歩くと庭に植えている方はけっこう多くて、もう7月終わりごろから桃色~紅色の花が咲いていました。
これは、昨年盆栽として植え込んだもの。今年の夏に花がたわわに咲く・・・というのを期待していたのですが、8月になってやっと蕾が見えてきた。
実は、通常の百日紅ではなくて・・・あ~、名前忘れちゃったんですけど、なんちゃらかんちゃらというカタカナの名前がついていて、本来は洋風鉢植えか地植えにするためのものらしい。
クリニックのベランダの棚にありますので、少ないですけど蕾はいくつかあって、しばらくは見頃かと。
2017年8月25日金曜日
メゾソブラノの系譜
歌手はそれぞれの声域によって、女性はソプラノとアルト、男性はテナーとバリトンの4つに分けられていることは、音楽にあまり興味が無い方にも比較的知られているところ。
ただし、実際はそれらの中間的な存在もある。日本で有名なのは、米良美一のカウンターテナー(昔はいい歌手だったのに、もののけでこわれちゃった)。
女性の場合は、例えばモーツァルトの「魔笛」での夜の女王のアリアなどは花形的な存在ですが、これはソプラノの持ち歌。女性特有の高音をいかに歌いきるかが注目されます。
ところで、いろいろ聴いているうちに自分のお気に入りの歌手の一人になったのがナタリー・シュトッツマン。この人はアルトなんですが、とくに低音に強く、テナーに近い表現ができるのでコントラルト(コントラ=アルト)と呼ばれます。
そして一番のお気に入りが、アンネ・ソフィー・フォン・オッターなんですが、この人はメゾソプラノと呼ばれています。メゾソプラノは、通常のソプラノよりも音域が少し低く、かといってアルトまではいかない。
へたくそなソプラノはキーキー声で聴くに堪えない。華やかさは少し減るかもしれませんが、メゾソプラノは声が少し太くなって温かみがあるところが聴いていて気持ちがいい。
手持ちのCDの中からメゾソブラノを探してみると、一番古い方は1928年生まれのクリスタ・ルートヴィッヒ。続いて1939年生まれのブリギッテ・ファスベンダー。
手持ちのCDの中からメゾソブラノを探してみると、一番古い方は1928年生まれのクリスタ・ルートヴィッヒ。続いて1939年生まれのブリギッテ・ファスベンダー。
そして1955年生まれ、ほぼ自分と同世代なのがアンネ・ソフィー・フォン・オッター。皆さん20歳頃から注目され、30歳代に世界中に有名になり40歳代まで大活躍。声の衰えは必ずありますから、50歳代以後は活躍場が変化してきます。
フォン・オッターの場合、クラシックにとらわれない幅広いジャンルに躍進したことで、60歳を過ぎても独特のポジションを維持しているところがすごい。
それからさらに若い方を見てみると、当代一番の人気を誇っているのが1966年生まれのチェチリーア・バルトリでしょう。バルトリが登場すれば、ほほほ間違いなし(もちろんはずれもあるようですけど)ということで、現代オペラ界の女王的存在。
ただ、バルトリはイタリア人で、当然イタリア歌劇が活動の中心です。したがって残念ながら、自分的には守備範囲にはないので、あまり興味が湧かないんですよね。
そして、現在もっとも熟成していて旬な存在と言えるのが、1973年生まれのマグダレーナ・コジェナーですが、ベルリンフィルのサイモン・ラトルの奥さんになって、子育てで忙しいのか最近はやや活躍は控え気味。
そして、一番ヴィジュアル面(これも大事!!)も含めて大注目なのが1976年生まれのエリーナ・ガランチャです。おそらく、実力に伴った最も安定した活躍をしている。
ただ、最新のアルバムで初めて宗教音楽を取り上げたくらいですから、古楽界的なバッハやヘンデルなどへのアプローチが無いところがちょっと寂しい。
ガーディナーも、2000年以降は手兵のモンテヴェルディ合唱団からソロイストを出す方式になっていて、スター歌手を前面に立てるやり方はしなくなった。その方が、古楽演奏の理想・理念に近づくということで、スター歌手が古楽に入り込むことが難しい環境になったのかもしれません。
さて、その次の世代、つまり1980年代以後生まれの歌手にも注目株がではじめているようです。このあたりをうまく探し当てるというのも、楽しみの一つにできそうですね。
2017年8月24日木曜日
2017年8月23日水曜日
事件 !!
朝っぱらから、大変なことが起こった!! と、すわ、事件かと・・・
もちろん、違います。正解は、酔っ払いが公の場所で寝込んでしまった図というところ。
夏で凍死することはないでしょうけど、横浜駅周辺ならともかく、さすがにこのあたりでは珍しい光景です。ちょっと、ドキっとしてしまいました。
通りすがりに、立ち止まり生きているのか気にする人、近寄りたくなくて回り道をする人、そしてまったく何もなかったように通り過ぎていく人・・・
また、それを冷静に観察して写真を撮っている人・・・(^^;)
まぁ、反応はいろいろですが、気がついて30分ほどし時にはいなくなっていました。めでたし、めでたし。
2017年8月22日火曜日
A.S. von Otter / TEREZIN, THERESIENSTADT
お恥ずかしいことに、テレージエンシュタットについては知りませんでした。
アウシュヴィッツ強制収容所は、ユダヤ人虐殺の象徴として、戦後はたびたびメディアでも取り上げられたので、多少のことは知っていました。
テレージエンシュタットは、1941年にナチス・ドイツがチェコに建てたユダヤ人入植地で、6万人弱のユダヤ人が「ドイツ領内からのユダヤ人一掃」のために運ばれてきたということです。
実質的には、アウシュヴィッへの通過収容所として機能し、残ったユダヤ人の多くが劣悪な環境のもと命を落としたそうです。
ナチスはアウシュヴッツの実態を隠すために、テレージエンシュタットではある程度の自由を許していて、その中で送られてきた音楽家たちは細々と音楽活動を行うことができました。
わずかに残された音楽・・・それらを集めたアルバムが"TEREZIN/THERESIENSTADT"です。大好きなメゾソプラノ歌手のアンネ・ソフィー・フォン・オッターのアルバムを漁っているうちに見つけました。
他にも、フォン・オッターの伴奏ピアニストであるベンクト・フォシュベリ、バリトン歌手のクリスティアン・ゲルハーヘル、ヴァイオリンのダニエル・ホープ、ピアノのゲロルト・フーバーらが参加しています。
クラシックというより、1940年代のポップス、あえて言うならパリの裏街あたりの酒場で、いろいろな人生を歌にのせて語る・・・とでもいうような感じでしょうか。
歌詞の中身をしっかりと把握して聴いているわけではないので、歴史的事実の重さからするといい加減で申し訳ないのですが、音楽家たちの小さな希望であったり、現実への絶望などが交錯して感じられる大変魅力的なアルバムです。
アルバム参加者らで行われたライブのDVDもあるので、こちらも注文しました(まだ未着)。DVDには、テレージエンシュタットのドキュメントも含まれているので、これらをきっかけにちょっとでも現代史の隠れそうな一面を考えることは悪いことではないと思います。
アウシュヴィッツ強制収容所は、ユダヤ人虐殺の象徴として、戦後はたびたびメディアでも取り上げられたので、多少のことは知っていました。
テレージエンシュタットは、1941年にナチス・ドイツがチェコに建てたユダヤ人入植地で、6万人弱のユダヤ人が「ドイツ領内からのユダヤ人一掃」のために運ばれてきたということです。
実質的には、アウシュヴィッへの通過収容所として機能し、残ったユダヤ人の多くが劣悪な環境のもと命を落としたそうです。
ナチスはアウシュヴッツの実態を隠すために、テレージエンシュタットではある程度の自由を許していて、その中で送られてきた音楽家たちは細々と音楽活動を行うことができました。
わずかに残された音楽・・・それらを集めたアルバムが"TEREZIN/THERESIENSTADT"です。大好きなメゾソプラノ歌手のアンネ・ソフィー・フォン・オッターのアルバムを漁っているうちに見つけました。
他にも、フォン・オッターの伴奏ピアニストであるベンクト・フォシュベリ、バリトン歌手のクリスティアン・ゲルハーヘル、ヴァイオリンのダニエル・ホープ、ピアノのゲロルト・フーバーらが参加しています。
クラシックというより、1940年代のポップス、あえて言うならパリの裏街あたりの酒場で、いろいろな人生を歌にのせて語る・・・とでもいうような感じでしょうか。
歌詞の中身をしっかりと把握して聴いているわけではないので、歴史的事実の重さからするといい加減で申し訳ないのですが、音楽家たちの小さな希望であったり、現実への絶望などが交錯して感じられる大変魅力的なアルバムです。
アルバム参加者らで行われたライブのDVDもあるので、こちらも注文しました(まだ未着)。DVDには、テレージエンシュタットのドキュメントも含まれているので、これらをきっかけにちょっとでも現代史の隠れそうな一面を考えることは悪いことではないと思います。
2017年8月21日月曜日
汁なし担々麺
「Hey! Siri! 美味しい担々麺の店」、とかiPhoneに向かって叫んでみても、まともな答えが返ってこない。
「役立たず!」怒ると、「できるだけ頑張っていますが、私のできることはこれだけ」と開き直られてしまいます。
「アンドロイドの方がまし」とぼやくと、「すみません、わかりません」と、とぼけているんだから始末に悪い。
しょうがないので、だったら自分で作ってみようかということで・・・やってみました。ただし、さすがに麺は出来合いのものを利用しましたのであしからず。
材料
すりごま 売っている普通のもの1袋
ごま油 適当量
味噌、豆板醤、にんにく、しょうが、豚挽肉、砂糖少々、片栗粉少々
トッピングに青梗菜、もやし、長葱
まずは大事な坦々麺の命である、芝麻醤油を作ります。すりごま(できるだけ擦ってあるものがいい)を、フライパンで温めながらごま油でといていきます。
焦がすと悲しいので、弱火でじっくりこねこねしましょう。ある程度火が通って、なんとなくペースト状になったらOK。
豚ひき肉を炒めます。ここに味付けを適当に・・・実際適当なんですけど、辛い方が良ければ豆板醤を多めにします。
砂糖は、少しだけです。味が弱いと思う時は醤油で調節しましょう。最後に水溶き片栗粉を入れますが、あんかけにするわけではないので、全体がまとまる程度でいいと思います。
最後に作っておいた芝麻醤を、けっこう多めに入れて混ぜれば美味しい坦々肉味噌になります。混ぜた芝麻醤は、火を通し過ぎてはいけません。
好みの難さに茹でた麺の上に、あらかじめ茹でておいた青梗菜、もやしを載せて、出来上がった坦々肉味噌をかけます。白髪ねぎをのせて完成。
お、おっ、お、おおおお・・・けっこういけてるじゃん。
これなら一皿980円、大盛は100円増しでいけそうです。材料は一人前だと300~400円くらいでしょうかか、儲かりそうでんな。
2017年8月20日日曜日
2017年8月19日土曜日
2時間待つかもしれません
お盆休みが明けて、一昨日、昨日と、クリニックは激混みです。とにかく初診の患者さんが多すぎて、もうどうにもできない。
いつもは、この待合室に数人しか座っていない・・・(ちなみに、この写真は、照明を通常は使わないラウンジ・モードにしたもの)
診察でお呼びできるまでに1時間待ちは当たり前で、一時は最大で2時間近くお待たせする状況。
待つ方も大変だと思いますが、正直待たせている側も、ずっと動き続け、喋り続けていて体力消耗はキャパを超えてしまいます。
普段は標準的な整形外科クリニックの患者数の2/3くらいで、お待たせすることにあまり慣れていないので、待たせているという精神的ストレスも半端ない。
待ち時間を何とかしたいと思うけど、急ぎたくても急げない。そのうち開き直るしかなく、もう溜息しかでません。
駅を鋏んだ一番近い整形外科クリニックが、まだ夏休みにしているせいなのかもしれませんが、都筑区の他の整形外科はもう通常の診療を行っています。あまり待てないという患者さんには、他のクリニックをご案内しています。
予約制にしたらという意見はしばしば耳にしますが、急いで受診したくなる痛みが中心の整形外科は、予約制はほとんどうまく回らない。本音を言うと、一般整形外科はやめて、予約制のリウマチ専門クリニックにしたい・・・
というのも、簡単にはできませんしね。もう一人、医者を雇うほど繁盛しているわけでもありません。
今日まではしょうがないかもと、あきらめるしかありません。来週には、また普通に戻る・・・のんびり診療できるだろうと期待しているんですけどね。
2017年8月18日金曜日
ドラゴ(Drago) @ 青葉台
横浜市青葉区の中では、たまプラーザの次に栄えているのが青葉台。ただ、道が細めでやや雑然とした感は否めません。
ふだん、青葉台はあまり利用する機会がありません。何か美味しい店を探すときも、優先順位ではやや落ちてしまいます。
これは、昔、口コミをたよりにとあるラーメン店に行って、えらく冷めたラーメンを出されて以来、何となくイメージが悪いせいだと思います。
さて、そんな青葉台の名誉回復、というほどの大そうなことでもありませんが、担々麺をネットで探していて見つけたのがドラゴという店。青葉台の駅から北へ10分くらい歩く桜台にあります。
メニューを見ると、いろいろなパターンの担々麺が並んでいるので、確かにラーメンについては担々麺で勝負している。
ところが、この店のちょっと変わったところは、メニューの中にもう一つ幅をとっているのがスバゲッティだったりしますし、洋風居酒屋的な料理も用意している。
ちょっと多国籍感があって面白いのか、雑然としているのか、どちらかというと夜に来た方が真価がわかるのかもしれません。
さて問題の担々麺ですが、通常芝麻醤を溶かし込んであるのですが、この店では普通っぽい醤油ラーメンに、辛さの要望に応じてかけて出すというところでしょうか。
芝麻醤よりも豆板醤が多いのかもしれませんが、ねっとり感が少ないからなのか麺は細いストレート麺です。
大肉(ターロー)担々麺というのを注文すると、通常の肉味噌そぼろの代わりにかなり厚めのチャーシューが乗っかってきます。
標準的な担々麺を想像していくと違和感がありますが、これはこれで美味しくいただきました。一口に担々麺といっても、いろいろなバリエーションがあるものだと思いました。
2017年8月17日木曜日
夏休み(前半!!)が終了
今年は分割した夏休みの前半、お盆休みが終了。今日からは、また通常の診療です。
休み前と後では、特に変わったことは無いのですが、強いて言うならクリニックのベランダに置いている盆栽を一部入れ替えしました。
だから何? というところではありますが、ごくごく少数の楽しみにしている患者さんもいる・・・かもしれませんしね。
休み中は、ほとんど根が生えたように「完全休養」だつたのですが、唯一の目標であった読書は終わられませんでした。
何しろ、翻訳物の「ヘンデル」なんですが、ある程度の予備知識を前提としている本で、次から次へと出てくる人名が多すぎて・・・
しかも老眼鏡使わないと読めないという・・・まぁ、所詮言い訳ですけど。そのかわりと言ってはなんですけど、曲はだいぶ聴きました。
10月なみの涼しさということで、夏らしさがありませんけど、エアコン無しで過ごしやすいのは悪くはありません。
とにかく、今日から、また頑張ります。
2017年8月16日水曜日
妻家房@ たまプラーザ東急SC
暑い、暑いと言っていたのは・・・つい最近だったように思いますが、気がつくと台風以来の連日の雨降り。地面も大気も随分と冷え込んでしまいました。
確かに暦では、すでに秋を迎えているというものの、もう少し暑くてもいいのかも・・・こういう時は辛い物を食べて、ばーっと汗をかきましょう。
というわけで、韓国料理です。
スンドゥブです。
真っ赤です。
辛いのですが、海老、イカ、帆立、あさりで海鮮の旨味がしっかり出ていて、めちゃめちゃ美味しいです。
で、今回の「問題」なのはこの妻家房(さいかぼう)というお店。
この店は、たまプラーザ東急SCの中にあるんですが、レストラン街は5階で、そこにある韓国料理店は・・・あれっ? 違う名前ですよね。
そう、実は知る人ぞ知るという、いわゆる「デパ地下」の食料品売り場の中のイートイン・スペースなんです。
普通に韓国料理の食材を売る店なんですけど、端っこに4席の食べれる場所があって・・・ ・・・ ・・・
いや、確かに物は美味しいのですが、さすがに買い物客がわんさか通っている所で食べるというのは、けっこう勇気が必要ですし、誰か知人にでも見られると・・・
少しでも奥まって、ちょっとは周囲の視線から逃れられるような雰囲気を作ってくれればいいんですけどね。
何にしても、月火水と3日間、クリニックはお盆休みにさせてもらいました。どこへ行っても混んでてお金もかかるので、どこに行くでもなく、しかもひたすら雨ですからそろそろお尻がカビてきそうです。
今年は一週間の夏休みは、8月と9月に分割して取らせてもらっていますが、とりあえず前半は本当に完全休養で終わりそうです・・・まっ、それもいいかっ!! というところでしょうか。
2017年8月15日火曜日
ヘンデル 立身出世物語
ヘンデルは本名をGeorg Friedrich Händelと云うわけで、もともとはドイツ人、ザクセンのハレという街で生まれました。1685年2月23日のことですから、だいたい350年前くらいのこと。
これはハレの聖母マリア教会の洗礼記録というのが残っていて、生年月日については間違いがありません。ちなみにヨハン・セバスチャン・バッハは、何と同い年で、1685年3月21日生まれですから、わずかに1カ月としか違わない。
少なくとも一地方都市の教会音楽家のバッハのことなど、ヘンデルはまったく意に介していなかったと思いますが、バッハは国際的有名人になったヘンデルに会おうと2度チャレンジして、いずれも失敗している。
現代では音楽の父・母と称される二人は、同じバロック期に活躍した音楽家としてとにかく対照的な人生を歩みました。
二人ともキリスト教徒ですが、プロテスタントは共通ですけど、バッハはルター派でヘンデルはカルバン派。
音楽家の家に生まれ、音楽の道に進むのが当然だったバッハに対して、ヘンデルは法律家にしたかった父親の希望に逆らいました。
2度の結婚で子どもを20人も作ったバッハですが、自由人ヘンデルは生涯やもめ暮らしです。
宮廷に仕えたり、教会の中に入って、いろいろな手かせ足かせの元で仕事をしたバッハに対して、自由にヨーロッパを行き来して、うまく宮廷などに取り入ったものの、最後のところで自由を放棄せず好きに生きたヘンデル。
いつも根底に厳格な信仰心を貫き、少人数の楽団しか使えない音楽活動を中心にしたバッハ。ヘンデルは、貴族、大衆を楽しませる歌劇作りを中心に、時には大人数の歌手や演奏家を自由に使ったヘンデル。
亡くなったのは、バッハが1750年7月28日、65歳でした。ヘンデルは1759年4月14日、74歳。実は、晩年に二人とも眼の病気を患い、ジョン・テイラーという眼科医の手術を受けているという偶然があり、そして二人とも手術は失敗とされているのが唯一の共通点かも。
これだけでも、ヘンデルの人となりは何となく見えてきますが、ヘンデルの生涯をもう少し詳しく追いかけていくことにします。バッハについては、教会歴に沿ってカンタータを聴くというテーマで、かなり細かい点まで掘り下げた(・・・つもり)ので気になる方は以前のエントリーを参照してください。
ヘンデルは、だいたい3つの時期に分けて考えるのが便利そうです。
1. 1685~1711年
ハンブルグ~イタリアでの修行時代
2. 1712~1738年
イギリスでのオペラ時代
3. 1739~1759年
イギリスでのオラトリオ時代
修行時代というと、最初の音楽との接点はハレの教会です。ヘンデルの父親は音楽とは無関係の仕事でしたが、反対する父親をよそにヘンデルは隠れて教会のオルガン奏者シァハウを初めての師とします。
当地の宮廷からは音楽の才能があると目を付けられ、父親にも音楽家にするように勧められます。でも、お父さんは頑なに拒否し、ヘンデル自身もそんな頑固な父親に対抗して1703年、17歳で強行的に自由都市ハンブルグへ旅立ちます。
カトリックとプロテスタントの対立から起こった三十年戦争が終わって50年という時代。ドイツは国土の荒廃から立ち直りはじめ、特に北の玄関、自由都市ハンブルグは文化的にも熟成していた時期です。
すでにオペラは、ハンブルグの一般大衆の重要な娯楽として定着していました。ヘンデルはヴァイオリン奏者、鍵盤奏者として名を上げると同時に、作曲活動を開始します。
劇場の監督だったラインハルト・カイザーの配慮で、1705年に初めてのオペラである「アルミラ(Almira)」が作られ好評を博しました。しかし、続く3作はぱっとせず、楽譜も失われています。
当時の音楽の最先端はイタリアです。ヘンデルのオペラもイタリア音楽を見様見真似で作り、うまくいかないなら本場にいくしかないと思うようになったんでしょうね。
1706年、ヘンデルはついにイタリアに向かいます。ローマ、ヴェネチア、ナポリなどを行ったり来たりしながら、スカルラッティ、コレッリらと親交を深めます。
演奏家として評判をとると同時に、教会、宮廷などのパトロンをうまくつかみますが、カトリックへの改宗を拒否したり、あくまでも自由人として振る舞います。
1707年、「時と悟りの勝利(Il Trionfo del Tempo e del Disinganno)」はイタリアでの最初の大作ですが、オペラではありません。当時のローマはオペラが禁止されていて、形式的に演技を控え、題材を宗教的にしたオラトリオが盛んに上演されていました。
この作品の上演の練習では、コンサートマスターであったコレッリが、「イタリア風」じゃないからうまくヴァイオリンを弾けないと言うので、ヘンデルは「こうするんだ」と見本を見せるというエピソードが残っています。
「時と悟りの勝利」はカトリックの枢機卿による台本によるもので、ヘンデルはイギリスに渡った際に再度改変して上演し、さらに生涯最後の作品でも2度目のリメイクを行っています。
1708年のオラトリオ「復活(Resurrezione)」も初期の重要作として忘れてはいけませんが、この時期、ヘンデルの作品として重要なものはイタリア語のカンタータでしょう。
短い物から長めの物までかなりの数が残されていて、後にいろいろなオペラやオラトリオにも流用されているものも少なくありません。特に1708年の「アチ、ガラテアとポリフェーモ(Aci, Galatea e Polifemo )」が有名です。
1709年、ローマを離れてヴェネチアでイタリア生活2作目になるオペラ「アグリピーナ(Agrippina)」を作曲しました。これは、イタリアでの作品の多くからの流用を含み、イタリアでの集大成とも言える作品ですが、逆に急な依頼による仕事だったのかもしれません。
いずれにしても、「アグリピーナ」を最後にヘンデルはドイツに戻り、ハノーファーの宮廷楽長に就任します。しかし、実際は就任直後に休暇をとり、生家のあるハレを訪れたりして楽長としての仕事はまったくせずに1710年ロンドンに向けて出発してしまいます。
これはハレの聖母マリア教会の洗礼記録というのが残っていて、生年月日については間違いがありません。ちなみにヨハン・セバスチャン・バッハは、何と同い年で、1685年3月21日生まれですから、わずかに1カ月としか違わない。
少なくとも一地方都市の教会音楽家のバッハのことなど、ヘンデルはまったく意に介していなかったと思いますが、バッハは国際的有名人になったヘンデルに会おうと2度チャレンジして、いずれも失敗している。
現代では音楽の父・母と称される二人は、同じバロック期に活躍した音楽家としてとにかく対照的な人生を歩みました。
二人ともキリスト教徒ですが、プロテスタントは共通ですけど、バッハはルター派でヘンデルはカルバン派。
音楽家の家に生まれ、音楽の道に進むのが当然だったバッハに対して、ヘンデルは法律家にしたかった父親の希望に逆らいました。
2度の結婚で子どもを20人も作ったバッハですが、自由人ヘンデルは生涯やもめ暮らしです。
宮廷に仕えたり、教会の中に入って、いろいろな手かせ足かせの元で仕事をしたバッハに対して、自由にヨーロッパを行き来して、うまく宮廷などに取り入ったものの、最後のところで自由を放棄せず好きに生きたヘンデル。
いつも根底に厳格な信仰心を貫き、少人数の楽団しか使えない音楽活動を中心にしたバッハ。ヘンデルは、貴族、大衆を楽しませる歌劇作りを中心に、時には大人数の歌手や演奏家を自由に使ったヘンデル。
亡くなったのは、バッハが1750年7月28日、65歳でした。ヘンデルは1759年4月14日、74歳。実は、晩年に二人とも眼の病気を患い、ジョン・テイラーという眼科医の手術を受けているという偶然があり、そして二人とも手術は失敗とされているのが唯一の共通点かも。
これだけでも、ヘンデルの人となりは何となく見えてきますが、ヘンデルの生涯をもう少し詳しく追いかけていくことにします。バッハについては、教会歴に沿ってカンタータを聴くというテーマで、かなり細かい点まで掘り下げた(・・・つもり)ので気になる方は以前のエントリーを参照してください。
ヘンデルは、だいたい3つの時期に分けて考えるのが便利そうです。
1. 1685~1711年
ハンブルグ~イタリアでの修行時代
2. 1712~1738年
イギリスでのオペラ時代
3. 1739~1759年
イギリスでのオラトリオ時代
修行時代というと、最初の音楽との接点はハレの教会です。ヘンデルの父親は音楽とは無関係の仕事でしたが、反対する父親をよそにヘンデルは隠れて教会のオルガン奏者シァハウを初めての師とします。
当地の宮廷からは音楽の才能があると目を付けられ、父親にも音楽家にするように勧められます。でも、お父さんは頑なに拒否し、ヘンデル自身もそんな頑固な父親に対抗して1703年、17歳で強行的に自由都市ハンブルグへ旅立ちます。
カトリックとプロテスタントの対立から起こった三十年戦争が終わって50年という時代。ドイツは国土の荒廃から立ち直りはじめ、特に北の玄関、自由都市ハンブルグは文化的にも熟成していた時期です。
すでにオペラは、ハンブルグの一般大衆の重要な娯楽として定着していました。ヘンデルはヴァイオリン奏者、鍵盤奏者として名を上げると同時に、作曲活動を開始します。
劇場の監督だったラインハルト・カイザーの配慮で、1705年に初めてのオペラである「アルミラ(Almira)」が作られ好評を博しました。しかし、続く3作はぱっとせず、楽譜も失われています。
当時の音楽の最先端はイタリアです。ヘンデルのオペラもイタリア音楽を見様見真似で作り、うまくいかないなら本場にいくしかないと思うようになったんでしょうね。
1706年、ヘンデルはついにイタリアに向かいます。ローマ、ヴェネチア、ナポリなどを行ったり来たりしながら、スカルラッティ、コレッリらと親交を深めます。
演奏家として評判をとると同時に、教会、宮廷などのパトロンをうまくつかみますが、カトリックへの改宗を拒否したり、あくまでも自由人として振る舞います。
1707年、「時と悟りの勝利(Il Trionfo del Tempo e del Disinganno)」はイタリアでの最初の大作ですが、オペラではありません。当時のローマはオペラが禁止されていて、形式的に演技を控え、題材を宗教的にしたオラトリオが盛んに上演されていました。
この作品の上演の練習では、コンサートマスターであったコレッリが、「イタリア風」じゃないからうまくヴァイオリンを弾けないと言うので、ヘンデルは「こうするんだ」と見本を見せるというエピソードが残っています。
「時と悟りの勝利」はカトリックの枢機卿による台本によるもので、ヘンデルはイギリスに渡った際に再度改変して上演し、さらに生涯最後の作品でも2度目のリメイクを行っています。
1708年のオラトリオ「復活(Resurrezione)」も初期の重要作として忘れてはいけませんが、この時期、ヘンデルの作品として重要なものはイタリア語のカンタータでしょう。
短い物から長めの物までかなりの数が残されていて、後にいろいろなオペラやオラトリオにも流用されているものも少なくありません。特に1708年の「アチ、ガラテアとポリフェーモ(Aci, Galatea e Polifemo )」が有名です。
1709年、ローマを離れてヴェネチアでイタリア生活2作目になるオペラ「アグリピーナ(Agrippina)」を作曲しました。これは、イタリアでの作品の多くからの流用を含み、イタリアでの集大成とも言える作品ですが、逆に急な依頼による仕事だったのかもしれません。
いずれにしても、「アグリピーナ」を最後にヘンデルはドイツに戻り、ハノーファーの宮廷楽長に就任します。しかし、実際は就任直後に休暇をとり、生家のあるハレを訪れたりして楽長としての仕事はまったくせずに1710年ロンドンに向けて出発してしまいます。
2017年8月14日月曜日
亜沙郎中華飯店
とにかく、一つ一つの量は大したことはないのですが、休みなので(って、関係無いけど)何となく作れそうな家庭で楽しむ定番中華料理をいろいろ作ってみました・・・(^_^:)
エビチリ、鶏肉と胡瓜の酢和え、回鍋肉、麻婆豆腐、焼餃子、かに玉、青椒肉絲の七品です。
エビチリと麻婆豆腐は市販のソースを使用しました。餃子は冷凍品。
ふだんあまり家に常備されていないかもしれない調味料は、豆板醤とオイスターソースくらいでしょうか。
油は当然ごま油。でも、肉を使うものは肉から油が出ますから、量はほんの少しだけ。胡麻の香りを強く出したい時は、すりごまを混ぜています。
酢和えは、醤油、酢、砂糖、豆板醤。回鍋肉は、味噌、醤油、にんにく、しょうが、砂糖、豆板醤。
かに玉とはいっても、カニは入っていません。甘酢のあんかけは、醤油、砂糖、ケチャップ、お酢、少量の豆板醤。
青椒肉絲はオイスターソースと豆板醤だけ。
材料を切ったりして準備するのに1時間くらい。あとは一つ一つフライパンで5~10分。最後ができた時には、最初は冷めていました・・・
2017年8月13日日曜日
銭湯
クリニックは、お盆休みです。8月17日(木)から診療を再開します。
例年、この時期にまとめて1週間休みを取らせてもらって・・・一番どこに行っても混雑していて、しかも旅行代金も高くつく時期なので、あまり休みを有効に使っていませんでした。
去年は、初めて旅行らしい旅行として伊勢志摩に出かけましたが、やはりお盆の時期に遠出をするのは体力が必要です。そこで、今年は初めて休みを8月のお盆と9月のシルバーウィークで半分ずつ取ることにしました。
話はかわって、銭湯の話。
急な展開で脈絡も何もあったもんじゃない・・・なんですが、急に昔、原宿にも銭湯があって、家の改築工事の時に利用したことがあつたなあと思い出した。
自分の実家は、元々物心ついた時には青山大学の向かいの小路を入って3軒目でした。そこから、原宿側に数百メートル引っ越した。幸い、どちらも家風呂があつたのですが、原宿の家は古い中古だったんだと思います。
建て替えることになったのはいいけど、父が医院を開業していて休むわけにいかない。そこで、半分ずつ取り壊して、それぞれを立て直すという、随分と七面倒くさいことをしました。
風呂が無い半分を壊したら、新しく建てる方に風呂をつければいいんでしょうが、診療スペースが優先だったのか、数カ月間は風呂が無い生活でした。
だから何ということでもないのですが、今どきだとスーパー銭湯というような、けっこうな値段がするところしかありませんから、現実的に家族何人かが毎日外風呂してたら、けっこうな金額になりそうです。
今では都内の銭湯も、かなり少なくなったので、最初から建て直しで銭湯を使おうなんていう考えははなから思いつかないでしょうね。
例年、この時期にまとめて1週間休みを取らせてもらって・・・一番どこに行っても混雑していて、しかも旅行代金も高くつく時期なので、あまり休みを有効に使っていませんでした。
去年は、初めて旅行らしい旅行として伊勢志摩に出かけましたが、やはりお盆の時期に遠出をするのは体力が必要です。そこで、今年は初めて休みを8月のお盆と9月のシルバーウィークで半分ずつ取ることにしました。
話はかわって、銭湯の話。
急な展開で脈絡も何もあったもんじゃない・・・なんですが、急に昔、原宿にも銭湯があって、家の改築工事の時に利用したことがあつたなあと思い出した。
自分の実家は、元々物心ついた時には青山大学の向かいの小路を入って3軒目でした。そこから、原宿側に数百メートル引っ越した。幸い、どちらも家風呂があつたのですが、原宿の家は古い中古だったんだと思います。
建て替えることになったのはいいけど、父が医院を開業していて休むわけにいかない。そこで、半分ずつ取り壊して、それぞれを立て直すという、随分と七面倒くさいことをしました。
風呂が無い半分を壊したら、新しく建てる方に風呂をつければいいんでしょうが、診療スペースが優先だったのか、数カ月間は風呂が無い生活でした。
だから何ということでもないのですが、今どきだとスーパー銭湯というような、けっこうな値段がするところしかありませんから、現実的に家族何人かが毎日外風呂してたら、けっこうな金額になりそうです。
今では都内の銭湯も、かなり少なくなったので、最初から建て直しで銭湯を使おうなんていう考えははなから思いつかないでしょうね。
2017年8月12日土曜日
かぼちゃ
かぼちゃ、南瓜、唐茄子、pumpkin、squash・・・・
日本へは中国・東南アジアから入ってきたらしく、カンボジアからカンボジャ、かんぼちゃ、かぼちゃとなったらしい・・・って、まじですかっ!?
最近では、かぼちゃは10月末のハロウィンで活躍するようになりました。ただし、これはアメリカ原産の表面がオレンジ色のもの(pumpkin)で、通常日本人が食用にしているもの(squash)とは違う。
かぼちゃはウリ科で、栽培は日当たりさえよければ比較的簡単。普通は夏前に開花して実をつけ、これから次第に大きくなって秋に収穫を迎えます。
特に女性は好物という方が多いかぼちゃですが、自分は実は苦手。一番の売りである甘いところが好きになれず、口の中でいつまでもその甘さが残る感じがどうも・・・
胡瓜(きゅうり)、苦瓜(ゴーヤ)、西瓜(すいか)・・・とかは栽培してもいいかなと思いますが、かぼちゃは種を撒きたいとは思わない。余所の家で作っている人を見て、物好きだなぁと・・・いや、感心するだけです。
2017年8月11日金曜日
ヘンデル本
ヘンデル探究を始めるのに、当然まずはネットを探すわけですが、本当に情報量が少ないのには驚きです。同時代を生きたバッハについては、様々な資料が揃っている(不足はありますが)のに、この違いは何でしょう。
まず、バッハはこどもがたくさんいたので、遺産がある程度ちゃんと残った。ヘンデルはやもめで、しかも生まれたドイツから後半生はイギリスに渡り帰化していますから、天涯孤独で墓標の生年月日すら間違ったままらしい。
そしてバッハは生涯ほとんど移動が少なく、ごく限られた地域でしか活躍していないし、また教会中心の活動ですから記録が残りやすい。一方、ヘンデルは各地を転々とした「国際人」で、しかも常に新しい物を求められる「流行」にのった歌劇が中心のため、忘れられるのも速かったのかもしれません。
そこで、今度は本を探してみるわけですが、やっぱりこちらも少ない。英語の本は対象となる読者は十数億人はいるでしょうけど、何しろ日本語の本は対象が1億人で、しかも音楽のマニアックな書籍となると、数千冊売れたら大ヒットなんでしょうから、数も少ないし重版もほぼ無いという状況です。
そこで見つかる、ほぼ唯一と言ってもいいくらいのテキストが、クリストファー・ホグウッドが1984年に書いた「ヘンデル」です。日本のヘンデル研究の第一人者、三澤寿喜が邦訳し、音楽専門書を数多く出版している東京書籍が1991年刊行しました。
ホグウッドはイギリス人の古楽演奏のパイオニアの一人ですが、古楽学者としても有名で、自分の中では古典派の作曲家が中心というイメージがありました。
しかし、2014年に亡くなった後に、いろいろな録音が集成され発売されるにつけ当然バロックも多くの重要なレパートリーであることを、遅ればせながら気がつきました。
同世代のガーディナーが、バッハ、モンテヴェルディ、パーセルなど宗教的な色彩の強い物、ラモー、グルックなどのフランス歌劇が中心なのに対して、ホグウッドはヴィヴァルディ、ヘンデルなどにより力を入れていたようです。80年代のヘンデル再発見運動は、この二人の功績はかなり大きいのかもしれません。
ちょうど、ホグウッドのヘンデル集大成の22枚組CDボックスが今年登場していて、幸いなことにガーディナーのヘンデルとのかぶりが少なくて助かります。
CDボックスはまだ到着していませんが、それより前に大量のガーディナーのヘンデルを聴き終えていませんので、まずはそっちから。もう一人、ミンコフスキーのヘンデルも合わせればだいたい有名どころの音源は揃いそうです。
ヘンデル本については、Amazon古書では定価より高い物しか見つからないので、「日本の古本屋」でリーズナブルなものを見つけました。
とりあえず読みだしてみたんですが、いきなり覚えにくい名前がたくさんずらずらと出てきて・・・ちよっとめげそうですが、このお盆の休みの課題としたいと思います。
まず、バッハはこどもがたくさんいたので、遺産がある程度ちゃんと残った。ヘンデルはやもめで、しかも生まれたドイツから後半生はイギリスに渡り帰化していますから、天涯孤独で墓標の生年月日すら間違ったままらしい。
そしてバッハは生涯ほとんど移動が少なく、ごく限られた地域でしか活躍していないし、また教会中心の活動ですから記録が残りやすい。一方、ヘンデルは各地を転々とした「国際人」で、しかも常に新しい物を求められる「流行」にのった歌劇が中心のため、忘れられるのも速かったのかもしれません。
そこで、今度は本を探してみるわけですが、やっぱりこちらも少ない。英語の本は対象となる読者は十数億人はいるでしょうけど、何しろ日本語の本は対象が1億人で、しかも音楽のマニアックな書籍となると、数千冊売れたら大ヒットなんでしょうから、数も少ないし重版もほぼ無いという状況です。
そこで見つかる、ほぼ唯一と言ってもいいくらいのテキストが、クリストファー・ホグウッドが1984年に書いた「ヘンデル」です。日本のヘンデル研究の第一人者、三澤寿喜が邦訳し、音楽専門書を数多く出版している東京書籍が1991年刊行しました。
ホグウッドはイギリス人の古楽演奏のパイオニアの一人ですが、古楽学者としても有名で、自分の中では古典派の作曲家が中心というイメージがありました。
しかし、2014年に亡くなった後に、いろいろな録音が集成され発売されるにつけ当然バロックも多くの重要なレパートリーであることを、遅ればせながら気がつきました。
同世代のガーディナーが、バッハ、モンテヴェルディ、パーセルなど宗教的な色彩の強い物、ラモー、グルックなどのフランス歌劇が中心なのに対して、ホグウッドはヴィヴァルディ、ヘンデルなどにより力を入れていたようです。80年代のヘンデル再発見運動は、この二人の功績はかなり大きいのかもしれません。
ちょうど、ホグウッドのヘンデル集大成の22枚組CDボックスが今年登場していて、幸いなことにガーディナーのヘンデルとのかぶりが少なくて助かります。
CDボックスはまだ到着していませんが、それより前に大量のガーディナーのヘンデルを聴き終えていませんので、まずはそっちから。もう一人、ミンコフスキーのヘンデルも合わせればだいたい有名どころの音源は揃いそうです。
ヘンデル本については、Amazon古書では定価より高い物しか見つからないので、「日本の古本屋」でリーズナブルなものを見つけました。
とりあえず読みだしてみたんですが、いきなり覚えにくい名前がたくさんずらずらと出てきて・・・ちよっとめげそうですが、このお盆の休みの課題としたいと思います。
2017年8月10日木曜日
夏はパエリア
何か、空気が沸騰している感じ。外に出るというより、サウナに入るような暑さで、もう本当に嫌になります。
それでも、そこそこ患者さんが来てくれるというのは、院長としてはありがたいこと。来週は前半をクリニックのお盆休みにさせていただいているので、患者さんも今週多くなっているのかもしれません。
こんな時は・・・って、あまり関係ありませんけど、パエリアで元気をつけましょう。
あまりこだわらなければ、作り方は簡単。
2~3人前という感じなら、白米は1合。少量のオリーブオイルで炒めます。ここにちょっと濃い目のコンソメスープを200mlほどをいれます。
ここで、この料理をよりそれらしくするために、どうしても最低限必要なサフランを適当にぱらぱらと。サフランは高価ですけど、これだけははずせない。
あとはもういい加減ですけど、食べたい魚介や野菜を表面が隠れるくらいに好きなだけ敷き詰める。
今回は、たまたまムール貝があったので、だいぶそれっぽくなりました。真空パックになっているあさりも追加。あとは普通の冷凍のシーフードを使いました。野菜は、トマト、インゲン、茄子、玉ねぎ、マッシュルーム・・・
難しいのは火加減。蓋は必ずします。初めは強火、途中から弱火で40分くらいでどうでしょうか。湯気が減ってきたら、特に匂いには注意。できるだけ焦がさないようにしたいのですが、けっこうわからない。
もっとも、多少焦げているくらいが美味しいんですけどね。屋外でキャンプなんて時のメニューにも最適です。
2017年8月9日水曜日
望みを叶える月
今は、みずがめ座の場所に輝く満月で、しかも部分月食にもなって、夢や希望を現実にしてくるパワーがある・・・
・・・何てことが、あまり目立たない程度に話題になっていましたが、実際そうなるのは8月8日午前3時11分・・・って、台風きていたやないかい。空曇っていたやないかい。
残念ながら、見れた方は日本中にあまりいなさそう。というわけで、台風一過の8月9日の満月をお届けします。
1日違いですが、残念ながらもうただの満月です。月食もないし、右下付近は少し欠け始めているように見えるので、厳密には満月とは言えないかもしれません。
ですけど、強めの月明かりで十分に輝いていて、最大の1/10くらいのパワーは秘めているかもしれませんね。
2017年8月8日火曜日
救急車
それにしても、今回の台風、遅くないですか。自動車並みと思っていたら、そんなもんじゃない。自転車並みです。
各地で長い時間大雨になっていますので、様々な災害被害が起こっており、関東地方もまだまだ安心できません。
さて、救急車の話なんですが、乗ったことあります? って、もちろん、救急車に乗るということは、それなりに体調が悪いわけですから、むやみやたらと乗るもんじゃありません。
自分は医者ですから、付き添いの同乗という経験が何度かあります。その時思ったのは、赤色灯を点灯しサイレンを鳴らして走っていても、道を譲ってくれる自動車が本当に少ないということ。
当然、道路交通法に規定されていることですから、緊急車両が接近した場合の対処は、ドライバーなら皆さん、教習所でさんざん習ったはずなんですけどね。
実際乗って前方を見ていると、がっかりさせられる。すぐ後ろに救急車がいるというのに、まったく停まる気配の無い車が多すぎです。交差点でも、前を平気で横切っていくんですよね。
一方、救急車の呼び方もずいぶんと問題になりました。
もっとも、どうなったら救急車を呼ぶかというのは、難しい判断です。命に関わりそうな、自分で動けそうもない状況が一番間違いないのですが、それを簡単に決めることはなかなかできるものじゃない。
少なくとも、かぜをひいたからとか、夜間で行ける病院が近くにないからとか、病院に行く足がないから・・・ということで救急車を利用してはいけないし、実際そういう利用は少なくない。
そして、救急車を受け入れる病院側の問題もよく指摘されます。
昔、救急にいた時に50km以上離れた場所から患者さんが運ばれてきたということがありました。途中、何か所もの病院で受け入れを拒否され、ついにここまで来てしまったということ。
もっとも、中規模病院では、当直はたいてい一人ですから、自分の専門以外の問題だつたり、専門だとしても一人では対処しようもないケースというのは山ほどあって、医者側の立場からは救急車を断ることは無理もないと思えることも少なくはありません。
大きな病院では各科の当直が揃っていて、また専門とする救命センターも増えたので、そのあたりはだいぶ整備されてきている印象はありますが、まだまだ地域によっては不十分と言わざるをえない。
救急車は、絶対不可欠な公共サービスの一つですが、まだまだいろいろな問題が解決されていないし、実際に解決するのはかなり困難なことですね。
2017年8月7日月曜日
立秋
暦の上では、今日から秋なんですって。
そんなこと言われても、暑いし、蒸すし、寝苦しいし。台風来ていて、今日は四国、明日は関東かと・・・
まぁ、明治時代に世界に合わせて統一した暦を使うようになったので、しょうがない。旧暦で何でも物を言うと、実際と1カ月くらいのずれが生じてしまう。
まぁ、暑さのピークくらいに思っておけば、これからは少しずつ涼しくなると気持ちも楽になるとというものです。
暑い時は川の近く行けば、よりいっそう涼しい・・・んですが、このあたりの川は、こんな感じ。
両側をコンクリートの壁で囲まれて、風情も何も無い。防災対策と言ってしまえばそれまで。
暦は人が自然に寄り添って生活するための知識ですけど、人は自然を自分らのためにいろいろ変えてしまいましたね。
2017年8月6日日曜日
ヘンデルの世界を知るための序章
ヘンデル・・・とグレーテルなら知っているという方はいるかもしれない。いやいや、それはヘンゼルだし、グリム童話だし。
ヘンデルというと、日本クラシック音楽界では「音楽の母」と言われるドイツ人の大作曲家(ちなみに「音楽の父」はJ.S.バッハ)。
正確にはGeorg Friedrich Händelで、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルとなるのですが、実際のところイギリスに帰化して生涯の2/3をイギリス人として過ごしている。
ですから、George Frideric Handel、ジョージ・フリデリック・ハンデルという呼び方もあったりします。
小学校の音楽の授業などで教わるヘンデルの名曲・・・「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」、そしてオラトリオ「メサイア」の中の「ハレルヤ」コーラスのほぼ3つだけ。
バッハについても、その仕事の大部分は教会と密接に関係していたにもかかわらず、音楽の授業で教わるのはごく一部の器楽曲だけでした。今はどうなっているかわかりませんけど、ずいぶんと偏向教育だったように思います。
さて、ヘンデルの音楽を聴くのに、その資料的なものを本・ネットで探してみようと思うと、そのあまりの少なさに驚きます。仮にも「音楽の母」と称するにもかかわらず、父バッハの膨大な記述に比べて、その他大勢扱いです。
これでは水上・花火・ハレルヤの三羽烏の世界から広がるはずもなく、ヘンデルの世界を堪能することはかなりの困難がつきまとう。自分は音楽学者ではないですから、あくまでも与えられた限られた知識しかありません。
ただ、資料の多いバッハの音楽、特に宗教曲の世界をいろいろ知る中で、同時代にバッハと対称的な生き方をしたヘンデルの話は断片的に登場し、少なくとも小学校の音楽室以上にためになりました。
ですから、ヘンデルの仕事の多くはバッハのそれと同じように声楽にあったことを知ることができました。バッハはストイックな教会の礼拝のために多くの声楽曲を作り、そしてヘンデルは一般大衆の娯楽のために劇場音楽、つまりオペラ、オラトリオを作った。
当然、一般の民衆の認知度には雲泥の差が生じるわけで、生前の人気は「流行作家」のヘンデルが圧倒的で、「純文学作家」のバッハは相当コンプレックスをもっていたかもしれません。
しかし、流行音楽は忘れられやすく、厳格な教会の記録が残されたバッハの方が資料が多く、没後の研究が盛んに行われたことが、今の差になっているのかもしれません。
バッハと同じく、1980年代に古楽演奏が注目されるようになり、忘れ去られていたヘンデルのオペラの再演が行われるようになりました。
ここで、重要な活躍をしたのがジョン・エリオット・ガーディナーです・・・そうなんです、自分にとってクラシック趣味を大きく変えてくれたガーディナー先生がここでも登場するのです。
この時期にガーディナーが取り上げたヘンデルのオペラ・オラトリオは10作品ほどで、全部で70作くらいある中の一部ではありますが、今日重要とされるものはだいたい含まれています。ガーディナー先生の世話になって、一つ一つを確認していくことから始めたいと思います。
そして、ネットでほとんど唯一と言ってもいいくらいのヘンデル情報が日本語でまとめられているのが「ヘンデル御殿」です。こちらのサイトは、情報が抜けている作品もありますが、ほとんどそのまま本にして刊行してもいいくらいの完成度は頭が下がります。
さて、ヘンデルの音楽の世界・・・って、よくわかっていないのに、ずいぶん強気の話ですが、少し興味が湧いてきましたから、これからガーディナー先生のCDを順番に聴いていきたいと思います。
ヘンデルというと、日本クラシック音楽界では「音楽の母」と言われるドイツ人の大作曲家(ちなみに「音楽の父」はJ.S.バッハ)。
正確にはGeorg Friedrich Händelで、ゲオルク・フリードリヒ・ヘンデルとなるのですが、実際のところイギリスに帰化して生涯の2/3をイギリス人として過ごしている。
ですから、George Frideric Handel、ジョージ・フリデリック・ハンデルという呼び方もあったりします。
小学校の音楽の授業などで教わるヘンデルの名曲・・・「水上の音楽」と「王宮の花火の音楽」、そしてオラトリオ「メサイア」の中の「ハレルヤ」コーラスのほぼ3つだけ。
バッハについても、その仕事の大部分は教会と密接に関係していたにもかかわらず、音楽の授業で教わるのはごく一部の器楽曲だけでした。今はどうなっているかわかりませんけど、ずいぶんと偏向教育だったように思います。
さて、ヘンデルの音楽を聴くのに、その資料的なものを本・ネットで探してみようと思うと、そのあまりの少なさに驚きます。仮にも「音楽の母」と称するにもかかわらず、父バッハの膨大な記述に比べて、その他大勢扱いです。
これでは水上・花火・ハレルヤの三羽烏の世界から広がるはずもなく、ヘンデルの世界を堪能することはかなりの困難がつきまとう。自分は音楽学者ではないですから、あくまでも与えられた限られた知識しかありません。
ただ、資料の多いバッハの音楽、特に宗教曲の世界をいろいろ知る中で、同時代にバッハと対称的な生き方をしたヘンデルの話は断片的に登場し、少なくとも小学校の音楽室以上にためになりました。
ですから、ヘンデルの仕事の多くはバッハのそれと同じように声楽にあったことを知ることができました。バッハはストイックな教会の礼拝のために多くの声楽曲を作り、そしてヘンデルは一般大衆の娯楽のために劇場音楽、つまりオペラ、オラトリオを作った。
当然、一般の民衆の認知度には雲泥の差が生じるわけで、生前の人気は「流行作家」のヘンデルが圧倒的で、「純文学作家」のバッハは相当コンプレックスをもっていたかもしれません。
しかし、流行音楽は忘れられやすく、厳格な教会の記録が残されたバッハの方が資料が多く、没後の研究が盛んに行われたことが、今の差になっているのかもしれません。
バッハと同じく、1980年代に古楽演奏が注目されるようになり、忘れ去られていたヘンデルのオペラの再演が行われるようになりました。
ここで、重要な活躍をしたのがジョン・エリオット・ガーディナーです・・・そうなんです、自分にとってクラシック趣味を大きく変えてくれたガーディナー先生がここでも登場するのです。
この時期にガーディナーが取り上げたヘンデルのオペラ・オラトリオは10作品ほどで、全部で70作くらいある中の一部ではありますが、今日重要とされるものはだいたい含まれています。ガーディナー先生の世話になって、一つ一つを確認していくことから始めたいと思います。
そして、ネットでほとんど唯一と言ってもいいくらいのヘンデル情報が日本語でまとめられているのが「ヘンデル御殿」です。こちらのサイトは、情報が抜けている作品もありますが、ほとんどそのまま本にして刊行してもいいくらいの完成度は頭が下がります。
さて、ヘンデルの音楽の世界・・・って、よくわかっていないのに、ずいぶん強気の話ですが、少し興味が湧いてきましたから、これからガーディナー先生のCDを順番に聴いていきたいと思います。
2017年8月5日土曜日
内閣改造なんだって
戦後日本は、民主主義・資本主義国家として高度経済成長を経て世界の中で比較的裕福な国に再生・成熟した・・・というのは正しい認識だと思います。
その中で、国に勢いをつける産業が重視され、大企業が成長する。またその大企業が国に利益を還元し、国も大企業を支えるというのは、資本主義の原理原則からして間違いではない。
その結果として、今の自由民主党が存在するわけだし、「民主」と名の付く野党もありますが、本当の意味で一人一人の民よりも、大きな経済活動に寄与する集団 - - - つまり大企業に政治の優先度が高いというのが現実です。
ですから、資本主義に傾きすぎると、本当の意味での民主主義は後退せざるをえないのは必然なのかもしれません。
高度経済成長期は、確かに企業の成長が一般国民の利益にも比例的に還元されていて、その結果民衆は労働力を提供するというサイクルがうまく回転し、経済成長は頂点に達します。
余剰利益が生まれだしたとき、企業はそれを目に見えない「投資」に注ぎ込みだしたのがバブルの始まりであり、架空の利益が現実のものではないことが判明したのがバブルの終焉でした。
その結果、続く他国の経済成長に資本が流出する状況も加わって、経済停滞、場合によっては後退とともに、その補填として一般民衆は労働力の提供だけが増大することになりましたが、労働に見合った収入の増加はないというのが平成の現実です。
日本国民は、選挙で政治家を選ぶ権利を有していますが、民意を反映するはずの政治家のレベルが上がれば上がるほど、その視点は民衆から離れていくことになる。
経済成長が順調な時は、それでも回り回って「民主」の形になっていましたが、現在の日本では本当の意味で民主主義を回復できることが政治家に求められているのではないでしょうか。
・・・なんてことを、やたらとスキャンダルばかりの何だかよくわからない今の政治家の方に向けて言いたくなったということです。
部下の多くのスキャンダルで潰されそうになっている総理大臣という見方もあります。ですが、いくら内閣改造しても、自身もスキャンダル(下ネタでないだけまだましですが)を抱えていまだ国民を納得させていません。
10年間で、総理大臣もずいぶんとお年を召されたじゃありませんか。10年前の若々しい青年宰相の面影はありませんね。もっともその時は、病気のためという理由はあっても、結果として責任放棄辞任の前歴がありますけどね。
少なくとも長期政権は問題を増やすことしかないことは、歴史上多くの例がある。そういう政権を許しているのは、今の日本には力のある野党が無いことが一番悔やまれるのかもしれません。
2017年8月4日金曜日
鮨 くさびや@ あざみ野
暑い、暑いとぼやいていたら、この数日は急に寒い、寒いになって、体調管理が難しい。大型台風の影響なんでしょうが、少なくとも天気は晴れている方がいいですけどね。
さて、納涼会ということで・・・あざみ野駅前にある「鮨 くさびや」に行きました。
あざみ野駅はちよっと複雑な構造をしていて、知らない人だとこの店にはどうやって行くのかと悩むかもしれません。実際は、すぐ裏で徒歩1分という感じ。
基本は寿司屋ですから、海鮮系の食事が中心。まぁ、だいたい想像するメニューはだいたいあります。
特に刺身は種類も多く、その日のおすすめが充実している感じです。
実はワインをたくさん飲んでしまい、最後に肝腎の握りが出たんですが、食べた? 記憶が無く、味について書けません・・・
まぁ、高からず低からずのほどほどのお値段でした。小さな会合にはちょうどいい感じです。
2017年8月3日木曜日
実になる前は花
去年、小紫の実を話題にしたんですが、小さな紫の実がたくさんなっていい感じでした。
実がつくのは「実りの秋」というくらいですが、実ができるということは、その前に花が咲いているということ。
昔だったら、そんなことまで気にも留めていなかったんですけど、どんな花が咲くのか興味深く1年待っていました。
そして、夏のこの時期、やっと花を見ることができました。
なるほど、小さい紫の実がたくさんつくわけですから、花も小さくてピンク色。実よりも小さいくらいです。
これは、その気になって注意していないと見過ごす可能性が高い。
でも、1年間の懸案事項が一つ解決した感じで、何か嬉しくなりました。
2017年8月2日水曜日
大雨
連日、干されたり蒸されたりで、大変過ごしにくい毎日が続きますが、昨日は昼からは土砂降りの雨。
昔だったら「夕立」、今は「ゲリラ豪雨」とよく言いますけど、もう風情も何もあったものじゃない。
気温が少しは下がっても、湿気が凄すぎて快適感はまったくない。台風が近寄っていますから、しばらく昨日のようなことも多くなるかもです。
やばいくらいの量が一気にふって、外は白く煙った感じになりました。ただ写真にしてしまうと、残念ながらそのあたりの雰囲気はぱっとしませんね。
こんな天候だと、外を歩くのは大変です。クリニックにお出でになる患者さん方もびしょ濡れ。すべって転倒したり、かぜなどをひいて体調を崩しやすくなりますから注意しましょう。
2017年8月1日火曜日
東急ハンズ
もともとは渋谷区民でしたから、1978年に東急ハンズがパルコの裏にできた時はこんな場所にと驚きとともに、ずいふんと変わったもの、だけど斬新な面白い物ばかりがある店として喜んだものです。
ハンズは東急グループの「ホームセンター」という立ち位置にあるのですが、ちょっと便利なもの、へぇっと感心するもの、他ではまず見つけられないものがたくさん取りそろえてあって、生活にゆとりを持たせてくれる。
渋谷の店舗に行くと、まずエレベータで最上階に行くのが始まり。各階は、ちょっとずつ高さがずれたA・B・Cの3つのフロアからなっていて、順番に見ながら降りしてくるのがお決まりのコース。
お店には悪いのですが、実際に購入するのは数百円程度の文具が中心でした。ですが、けっこうな時間楽しめて、時にはどうでもいいものに出費したこともないわけではない。
今は、あちこちに店舗が増えましたので、自分のテリトリーにも何か所かありますが、あの建物全体がハンズという渋谷店ほどの売り場面積はどこにも無い。
似たような店なら伊東屋というちょっと高級感のある品を取りそろえる大型文具店がありますが、小さいハンズはカジュアル感で差別化している文具店的な存在なのかなと感じます。
まぁ、大きくても小さくても、ちょっと暇つぶしにもってこいの場所であることは今も変わりません。
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