2008年2月29日金曜日

センター南北側が元気になってきた

本日うちのクリニックの入っているベルヴィル茅ヶ崎ビルの後ろに、電化製品量販店のエディオンがオープンしました。なんとなく小春日和とでもいうような空に、懐かしいアドバルンがふわふわと浮いている光景は懐かしい感じでした。

事前の告知が無かったのですが、1階のフードコート、コーナンも開店しており、ほぼ全館オープンです。これまで昼間でもほとんど人通りがなかったノウケン通りに、パラパラパラと人が歩いているというのは、けっこう驚きでした。

ビルのオーナーにお願いして駐車場入り口の大きな看板を設置して貰ったのに続いて、何とか開店時間前までにコーナン入り口対面にあるビルの駐車場入り口にセンター南医療ヴィレッジのクリニック名のポスターを張り出すことが出来ました。最初はゲリラ的に張ってしまえ!! というつもりだったのですが、ちゃんとビルのオーナーにもお許しをいただいていますのでご安心を。

フードコートからよく見える位置なので、なんとかクリニックビルであることを認知していただきたいと思います。防水対策でなかなかいい方法が思いつかずぎりぎりになってしまいましたが、手作りのポスターですのでお許しを。

最近のセンター南は、LAOXの撤退は言うまでもなく、中心の港北東急の勢いが無く、なんとなくじり貧という感じがありましたが、駅の南側から北側へ中心が移動してきているとするなら、自分たちのセンター南医療ヴィレッジとしてはとってもWELCOMEなことです。

スポーツ・オーソリティの移転はその象徴みたいなもので、みなきたウォークができて、さらにグリーンラインの開通などによりセンター南とセンター北の間の距離が縮まり、センター南駅の北側の方がセンター北の営業圏内というイメージができつつあるのかもしれません。

センター南の南側が丸の内なら北側は銀座(キャンドルもある)、センター北は新宿、中川は池袋、仲町台は品川・目黒とでもいうところでしょうか。

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弁当にレバーなんて聞いたこと無い

・・・という社長の批判を受けつつ、今更あとには引けません。他のメニュー考えてないモン!
清水台マルエツ 30% off お惣菜なので早く食べないとね(十分遅いといわれていますが)。お惣菜なので、揚げてあるので、まぁいいや。

ただここで問題なのは、長男レバー大好き。次男大嫌い。しかたがないので豚ばら肉を混ぜて炒めて、より分けて盛らなければいけません。

残りの半分は即席麻婆豆腐。ショウガ・にんにく抜きという大英断のもとに作りました。みりんと醤油と味噌と豆板醤に余ったラーメンスープの素を少し。まぁ、弁当用としてはまぁまぁの味です。

行ってきま~す。



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2008年2月28日木曜日

そろそろ冬も終わり

ブログを毎日書いていると便利なことがあるのに気がついた、というかあざみ野棒屋先生は最初から「日々の記録」といっているくらいですから、そういう使い方があるというのを実感したというのが正しいかも。

と、言うのも今夜は今年の冬が終わる前に、もう一度おでんを食べたくなった・・・で、もって、前回食べたのはいつだっけ、と考えていたら11月8日のブログに「冬メニュー発進 」というタイトルで書いていた。

父「おでんといえばちくわぶだ」
長女「ちがうよ、こんにゃくだよ」
長男「大根があればいいんだよ」

そこで、あえて出来る前の写真公開。いかにちくわぶばかりかがよくわかる。それと昆布とこんにゃく。今回は鶏肉だんごをいれてみました。前回コメントいただいた巾着を入れるか悩んだのですが、予算の関係で割愛(さとちん家の皆様申し訳ありません)。

それにしても、去年が比較的暖かだったので、今年の冬は寒かったという印象ですよね。特に1月終わりから数回の雪を降らせて2月の寒いこと寒いこと。寒いと患者さんが激減する整形外科にとっては、辛い期間でした。今年は閏年なので、もう一日あります。

明日は待ちに待った我らがセンター南ヴィレッジのビルの向かい側で電化製品のエディオンが開店します。コーナンは1週間くらい遅れるようですが、お店に来た方にうちのビルをアピールするための秘策を計画中です(間に合うか!?)。

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2008年2月27日水曜日

日吉も中山もみんな集まれ

3月末に横浜市営地下鉄グリーンラインが開通すると、港北区の日吉から緑区の中山まで交通が通り、センター南で開業した理由の一つがやっとこさ満たされることになります。

もちろんこれは生き残りを賭けたクリニックバトルのさらなる一展開ともいえるわけですが、特に自分が専門にしている関節リウマチの患者さんは、コミュニケーションが取れれば遠くからでもきていただけることがあるので、日吉~中山の患者さんが相談に来てくれることを期待してしまうわけです。

この前、ビタミンママのスタッフの方に「あすなろさんはリウマチ専門で、それ以外はやってないと思われている」というような意見をいただいたんですが、もちろんリウマチ患者さんはそんなに多いわけではないので、それだけではとても医院経営はなりたちません。

当然、一般整形外科をやっていた期間の方が長いわけですし、一般病院の整形外科医長も随分やっていると何が専門なんだかわからなくなるくらい、何でもやりました。

でも実際のところ、今も知識のアップデートをし続けているのは関節リウマチであることは否定できませんし、東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センター非常勤講師でもあり、リウマチ患者さん、それも特に手指の変形を中心に現在も手術をしているわけですから、リウマチ専門と思われてもしかたがありません。

ブログではリウマチ関連の話題をどのくらい書いていたか、と思い拾い出してみました。

整形外科医とリウマチ外科医
今日は大学で手術
2008年のリウマチ戦略
大学でのびのび
リウマチ薬 エンブレルの副作用死亡例報道について Part2
リウマチ薬 エンブレルの副作用死亡例報道について
リウマチ・クリニック
あなたの専門は?
リウマチ手指変形を治す
整形内科医、参上。
関節リウマチの21世紀型アプローチ
手の指は大変
リウマチHP作成中
リウマチ診療で思うこと

ちょっと、タイトルだけでも、これだけありました。リウマチにふれているものは、もっとあるはずですから、これまでに公開してきたエントリーの中では、食事ネタを除くとやはり一番多いかもしれません。

と、まぁここまでがIntroductionで、今日書きたかったのは、関節リウマチの新薬の話です。生物学的製剤と呼ばれる新しい薬が登場してから、リウマチ治療は大きく変わりつつありますが、今のところレミケードとエンブレルという2種類の薬しかありません。

そこへ第3の生物学的製剤としてヒューミラ(アダリムマブ)という薬がついに先日承認されました。これは、基本的には先発のレミケードと同系統の薬剤です。そして、たぶんこの数ヶ月のうちに、もう一つアクテムラ(トシリズマブ)も承認されると思われます。こちらは、ターゲットが異なるので、他の薬で聞かない人でも効く期待が大ですので、さらに治療の選択肢が拡大することが期待されます。

現在も数時間かけて点滴で行うレミケードにしても、週に2回通院してもらうエンブレルにしてもクリニックで使用しているわけで、発売当初は全例登録という、医者にとってはかなりめんどうな手続きが必要になりますが、専門にしている以上これらの新しい薬も使える状態は用意しなければと思っています。

もちろんリウマトレックス(メソトレキセート)を中心としたスタンダードな内服薬治療も、しっかりと行っていくことが基本であることはいうまでもありません。

そのためにも勉強会も企画しています。これは田園都市線と市営地下鉄沿線の女子医リウマチセンターOB&OGで集まって、いろいろ情報交換や症例検討をしていこうという会です。なんとか定期的に開催して、しだいに間口を広げていけたらいいなと考えています。内科系と外科系のリウマチ専門医が協力していくことはクリニックレベルでも大変重要なことだと思います。

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2008年2月26日火曜日

ぴかぴかの一年生

こどもの成長は親としての自分の成長でもあります。こどもに言うセリフは、昔自分が親から言われたことだったりするわけで、あのとき親がどう思っていたかなんてことが、初めて理解できたりします。

長女が生まれて、親ばかちゃんりん。写真をいろいろな人に見せて、「うちの子かわいいでしょう?」と言い続けていたのです。

幼稚園に入園する年になって、こどものための親の面接試験に初めて臨みました。

そして小学校という時に、いわゆる「お受験」をするこどものためにあっちだ、こっちだと行きました。事情通の方のところに行って、いろいろアドバイスをもらったりもしました。

小学校から中学・高校はそのまま上がったので、特にあまり心配することもなく過ぎましたが、さぁその後はどうする? 大学進学か、就職か? 本人がいろいろ悩んでいた時期に、こっちはクリニック開業の準備であたふた。さて、いざ開業してみるとゆっくり話をする時間もほとんど無し。

さぞかし役立たずの親だと思っていたでしょう。でも、何とかぎりぎりで受験の話をして最後のところで少しはアドバイスができたかもしれません。

そして、とにもかくにも「合格通知」をいただけました。うちの長女は4月から、ぴかぴかの一年生です。いろいろ自分で悩んだ末に自分の力で勝ち取った物です。これから思いっきり楽しんで欲しいと思います(勉強も忘れずに)。

ちなみに、行くことになった大学は何でか自分の母校なんですね。何となく嬉しいようなところもありますが、他にも大学いっぱいあるのに、というところもちょっぴり。

どうも我が家はこの学校とは縁が切れません。うちの社長も同じ大学卒。社長の姉も附属高校出身。その旦那は附属高校の先生。うちのクリニックに来てくれる患者さんには名誉教授までいるとくれば、もう怖い物無し!!

五色弁当

今朝もDr.Hのアドレナリン分泌促進(胃酸のまちがい!?)を願って弁当公開。500gで390円の(古くなって味付きになった)特売牛肉、昨夜の残り物の塩鮭をほぐしたもの、しらす干し、きゅうり、ほんのり甘みをつけた卵。以上をまとったこしひかりによる味覚(視覚)のハーモニーをお楽しみください。

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2008年2月25日月曜日

豆腐の玉子とじ

玉子のみなら玉子丼、とんかつが入ってカツ丼、鶏肉なら親子丼。海老フライなら海老玉丼。鰻を使うとウナ玉丼。揚げ玉だと木の葉丼。

そして、豆腐の場合は・・・何て言うのかなぁ。まぁ、この際名前はどうでもいいわい。卵とじというのは、なんでもいいわけで、簡単で栄養価が高く、なおかつはずれがないので重宝します。

今夜は豆腐でやりました。少しだけ鶏肉と竹の子を入れてあります。予想通り、好評でした。長男はだんぜん親子丼派、次男はカツ丼派でして、メニューに困ったときは卵とじにしておけば文句はでない。時間が無いときの一品です。

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2008年2月24日日曜日

映画「恋の行方」 (1989)

久しぶりにしっかりとDVDの映画を見てしまいました。実はじゃんぼおかんさんにお借りしたのです。製作総指揮ということで事実上はシドニー・ポラックの映画ですね。

ポラックといえば、1968年の「泳ぐひと、」1969年のジェーン・フォンダの「ひとりぼっちの青春」で一躍名をはせた監督さんです。これらの映画は、いわゆるアメリカン・ニュー・シネマと呼ばれた、ベトナム戦争後の病んだアメリカにテーマを求めた作品の草分けとされています。

その後は1973年のバーバラ・ストライザンドとロバート・レッドフォードの「追憶」が人気を浮動の物にしました。主題歌のメモリーズはスタンダードになりました。そして1985年のメリル・ストリープとロバート・レッドフォードによる「愛と哀しみの果て」でアカデミー賞の作品賞・監督賞を受賞したわけです。最近では2003年のニコール・キッドマンま迫真の演技で話題になった「コールド・マウンテン」を製作しています。

この「恋の行方」は大人の恋愛を描いてきたポラックならではの映画ですね。監督はスティーヴ・クローヴスに任せてます。あんまり聞いたことがない監督ですが、実は監督はこの作品くらいしかなく。、むしろハリー・ポッター・シリーズの脚本で有名。やはり、そこのところが緩い。監督としては素人を使っているので、せっかくの題材とキャストなんですけど、テンポがたりない。

ホテルのラウンジピアノが主役なので、全編ムードのある音楽が流れ続けるのですが、一本調子になっている感は否めない。こけは音楽を担当しているデイブ・グルーシンにも多いに責任があるわけです。リー・リトナーやアーニー・ワッツといった気心しれた仲間を使っての音楽なんですが、むしろオリジナルの曲よりもテデューク・エリントンやベニー・グッドマンの古い録音の方が効果的に使われている感じでした。

出演はジェフ・ブリッジスとミシェル・ファイファー。ジェフはリチャード・ギアのように化けれなかった二枚目俳優さんです。ミシェルはバットマンのキャットウーマンでも有名(007のボンドガールと完全に勘違いしていました)。ジェフの実の兄の ボー・ブリッジスが、映画の中でも手堅く生活するためにがんばっている兄の役で映画の主軸を作っています。

兄弟は生活のために面白くもないホテル周りのピアノ弾きですが、仕事のために女性シンガーを入れたところ人気が出てきます。でも弟のジェフはジャズ・ピアニストの夢をあきらめられません。ジェフとミシェルは次第に惹かれあっていきますが・・・というのが大筋ですけど、いわゆる恋愛映画のハーピーエンドにはなりません。たぶんうまくいくのかなぁ、という余韻を残して終わります。

とにかくこの映画のじゃんぼおかんさんの最大のおすすめはミシェルのボーカル。吹き替えなしで挑んだだけあって、なかなかたいした物です。この役でアカデミー賞の主演女優賞を取ったんですね。特に最初の登場からだんだんうまくなっていく雰囲気はけっこう出ていて、確かにハッピーではない終わりにかぶさってくるMy Funny Valentineは象徴的です。と言うわけで、べたべたしない大人の恋愛ドラマを楽しむには肩がこらずにちょうどいいできです。そして何よりジャズ好きには楽しみの多い映画で、2時間弱ジャズ・クラブにいるような感じでした。じゃんぼおかんさん、またお勧め貸してね。

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Free / Heartbreaker

Freeというロックバンドは、はっきり言ってB級です。でもPual Rodgersのようなvocalがいて、今でもQueen再結成に参加したりするもんですから、何となく忘れられることもなくマニアの心をくすぐるわけです。

音のメインはポール・コゾフのへたうまギター。たぶん下手。早引きできない・・・たぶん。でも時々「うぃーん、ウンウン」とぼそぼそ弾いているところが、うまいような錯覚を出している。オリジナルメンバーでは"At Last"が一番有名だけど、一度解散したあとの1973年に出たこのアルバムが印象深い。

まずベースに山内テツさんという日本人が参加していること。それと1曲目の"Wishing Well"がコゾフがいなくなって、アメリカ受けを狙ってポップなリフの分かりやすい曲になったこと。ここではギターはポール・ロジャースしかいないわけで、コゾフっぽくさらに下手なギターを弾いているのが笑えます。

"Heartbreaker"ではゲスト参加のコゾフがうぃ~んと弾いています。この曲名は当時は、Grand Funk Railroad や Led Zeppelin にもあったし、Pat Beneterのヒット曲、さらにマライア・キャリーまで。自分的にはFreeのものが最初にぴーんときたもんです。

テツは初めて外国で認められたロック・ミュージシャンでしたが、どうしたのかなぁ。masaさん、消息知ってる?最近はout takeが追加になったCDがあってマニアはさらに喜ぶというわけ。このアルバムはそんなわけで、シスアド・ベーシストのmasaさんにおねだりしていただきました。ありがとうございます。

それにしても Free にしても Heartbreaker にしても、普通すぎてGoogleとかで最も検索しにくい単語ですなぁ。

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2008年2月23日土曜日

医者のブログ活用術

横浜市都筑区には、少なくとも毎日ブログを更新している医者が3人いる・・・って知ってますよね。

あざみ野棒屋先生は最年長(といっても50台)ですが、勤務医の頃からインターネットの利用はよく心得ていて、見た目よりも内容で勝負のいろいろなホームページを駆使しておいでです。メインのサイトはここ。秘密の部屋はここ。ブログ倉庫はここ。業績はここ。ブログのミラーはここここ。病気の専門解説はここ。判明しているだけでこんなにある。と、いうことは気がつかれていない物だけでも、きっといっぱいあるに違いありません。

さて、もう一人はDr.M。こちらのメインのサイトはここ。美容サイトはここ。元気が出る注射のサイトはここ

そしてもう一人は自分でありまして、メインのサイトはここ。リウマチ専門サイトはここ。自分で言うのも何ですけど、それぞれ医者の個性がよくでています。

あざみ野棒屋先生はテキスト中心で、画像も豊富ですがレイアウトにはこだわりません。その分、中身の文章がすべてキーワードとしてヒットしやすい。ブログは他人が読むことを想定して時々サービスしてくれますが、基本は日々の自分の記録という観点から書いていらっしゃるのが特徴でしょうか。ただ、本人曰く「遊びとしてのSEO対策」として、いろいろなサイトを作ってそれぞれをリンクさせているところは、なかなかしたたか。

Dr.Mはブログでは三大テーマがありそうです。一つ目が子育てとおしゃれを軸とした自分の話、二つ目が院長の本音という時々過激、でもときどきぼやき。そして最後に、クリニックの自費診療部門の宣伝。古くから都筑区でクリニックをやっていて経済的安定性はあるので、ホームページも業者に依頼してスタイリッシュな見やすいページになっています。

さて、自分はというと、このお二人を参考にしつつ、新規に参入してまだまだ日が浅いことから、もちろんクリニックの宣伝という基本目的はまちがいなくあるのですが、とにかく自分を知ってもらうという点に集中していると思うのですが、いかがでしょうか。

とにかく「地域に密着した」「何でも話せる」クリニックを目指しています、というのは誰もが口にしますが、それを本当に実践することはなかなか簡単なことではありません。ブログはいろいろな人が簡単にコメントを書き込める(自分のブログはコメントの制限はありません)、開けた投書箱みたいなものですし、こんな奴が書いているんだということがわかってもらえれば、いろいろ話しやすい雰囲気作りにつながりやすいと思うんですよね。お金がかからないクリニックの宣伝は一に口コミ、二にインターネット。まちがいない!!

ただ、どちらも浸透するには時間がかかりますから、それまでの体力(or 財力)を何とかしないとね。あとは自分から出張っていく努力です。今の時代はクリニックに座っているだけではだめです。あざみ野棒屋先生のようにテレビ局から取材がくるほど有名人ならともかく、名の知れていない一介の医者は、クリニックでは自分が商品なのですから、あちこちに露出していかないとね。とはいっても、もちろんクリニックがメインなのは絶対条件ですから、診療時間以外をどう活用していくかが問題です。これにはいろいろな意見もあるでしょうし、なかなか一定の答えはなさそうです。

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2008年2月22日金曜日

Let's 医師会 2月

今日は医師会の理事会でした。あざみ野棒屋先生も村長もちゃんと出席!!

4月から始まる特定健診の話題や診療報酬の改定の話、さらには医師会の予算案の話など盛りだくさんで3時間超の会議はさすがに疲れました。とはいっても、自分はほとんど聞いているだけですけど、会長ともなるとしゃべることも多いし、そのための事前に出席している会議の数といったら大変な物でしょうから、本当にご苦労様です。

自分もだいぶ医師会にもなじんできて、他の先生方ともお話をすることができるようになってきました。なかなか頑固な寝たきりのおばあちゃんの往診を頼まれたり、以前より一緒に往診で診させていただいている患者さんの打ち合わせをしたり、他にも他愛のない雑談をすることができます。

今日は、アマチュアボクサーの件で相談を一ついただきました。そのボクサーは手首が腫れていて痛いのですが、注射で何とかして試合に出れるようにならないかということなんです。

局所麻酔薬の注射をすれば痛みを消して試合ができるかもしれません。ステロイドを注射すれば、たいていの腫れは引くかもしれません。その上でガチガチにテーピングして出ることは出たとして・・・さて結果は?

試合後にはもっと腫れて痛みも強くなるでしょうね。ドーピングが関係する試合では失格。もしも骨折とか靱帯損傷があってのことなら、確実に悪くするでしょう。何にしても、全力で殴り合いはできないと思いますので、まず試合には勝てない。そう簡単には根性ドラマのような結末にはなりません。

結局、人生の中でその一つの試合がどれだけの価値があるかということなんでしょうね。最悪の場合手が使えなくなる(大袈裟かもしれませんが・・・)ことと引き替えに、一生の思い出にする価値があるならお手伝いできますけど、少なくともアマチュアにはそこまで賭けるものではないでしょう。

これはこども達のスポーツにも通じる話で、長くしっかりとスポーツをやりたいなら、しっかりとケガを直すことが本当に大切です。ケガをちゃんと直せない人は名選手にはなれません、まちがいなく。

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2008年2月21日木曜日

クラシック三昧

寒い寒いと思っていたら、いつのまにか2月も半分以上終わっていて、あと1週間。そしたら3月ですよ。3月といったら春です。巷の流れる曲も、サクラなどの春をテーマにしたものが多くなってきましたね。

そんな中で、ただいま社長のお気に入りは青山テルマ。なんでも、SoulJaの方のプロモに出てくる女優さん兼ピアニストさんがたいそう美人で素敵らしく、青山テルマより実際はそっちがいいということらしいです。

自分はというと、もちろんジャズとクラシックが中心なわけで、特にクリニックで流せるのでクラシック、それもピアノや室内楽が中心になります。特にHMVの通販で、できるだけ安いボックス物を中心に集めていましたら、だいぶ置き場所にこまるようになってきました。

一番下は左側がモーツァルト。それぞれのボックスに10枚くらいずつはいっているので、50枚くらいあることになります。右側は全部グレン・グールドで30枚くらい。上に横積みされているのは、ギターの背後ぞあ、ハイドン、チェロのビルスマ、サティ、ベートーベンの弦楽四重奏曲、リスト、シューマン、ブラームス。バッハのオルガンなどなどで、たぶん200枚くらいになってしまいそう。この後ろに松たか子さんが隠れてしまいました。一番上はジャズで、マイルス・デイビスのブートレグがひたすら並んでいるのですが、これももうじき見えなくなりそうです。

もともとクラシックには廉価版と呼ばれる、格安レコードが昔からあって、LPレコードが1枚2000円から3000円した時に、ちょっと有名じゃない演奏家のものがたいてい1000円くらいで手に入りました。でも、今のボックスは違います。超有名な演奏家のものや、ちょっと古くなった名盤などが、5枚~10枚組とかで2000円から5000円くらいで手に入ります。一枚につき500円から1000円くらいというのがすごい。

昔なら考えられないような全集物がいとも簡単に手にはいるのです。まとめて聞くことで、より作曲家の特徴や、演奏家の意図が伝わってきます。さすがに聞き比べをするところまではやっていませんが、あらためてクラシックといわれる音楽の楽しみがわかってきて、なかなか病みつきになってしまいました。これも年を取ったということでしょうかね。

でも、さすがにクラシックばかりだとクリニックの音楽としてはめりはりがないかもしれません。これからは自分のもうひとつのお気に入りであるジャズを積極的に流してみたいと思っているんですよ。ちょっとムードが出過ぎて、これまで敬遠していたんですが、まぁそれもいいじゃん。

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2008年2月20日水曜日

世の中捨てたもんじゃない

・・・と思いたいのですが、実際、ずいぶんとしんどいことも多々ある世の中です。でも、今日は、まさに捨てたもんじゃないよ、ということがありました。

認知症があるおばあちゃん、お嫁さんが連れてうちのクリニックに受診しにきたのですが、お嫁さんがちょっと用事をしてくる間に行方不明となってしまいました。お嫁さんが、クリニックに駆け込んできて「うちのおばあちゃん来てませんか?」とあわてていました。いないというと、また慌てて出て行きました。

それから1時間近くたって、まだ来ないのでどうしたのかなぁ、と思っているところへ、センター南地下駐車場のおじさんがクリニックにやってきました。
「こちらのかかりたいというお年寄りを預かったのですが・・・」
早速社長が迎えに行ったところ、確かにみたことがあるおばあちゃんです。

駐車場のおじさんの話によると、ふらふらと歩いているおばあちゃんを心配して、連れてきてくれた人がいるとのこと。おじさんは自分が職場を離れるわけに行かないので、応援を呼んで、わざわざうちまで知らせに来てくれたのです。

クリニックに連れてきたものの、おばあちゃんは連絡先のようなものは何も持っていないし、登録されている自宅の電話はだれも出ません。しょうがないので警察に電話して、お嫁さんから連絡があったらうちにいることを伝えてくださいと頼みました。そうこうしているうちに、やっとお嫁さんから電話が入って、無事確保を伝えることが出来ました。

見つけてくれた人、応援に来てくれたおじさん、わざわざうちまで伝えに来てくれたおじさん、皆さんのおかげでおばあちゃんは無事に家に帰ることができました。自分たちも何とか、終了時間ぎりぎりで仕事が終わりました。本当によかった、よかった。

「おばあちゃん、お嫁さんの言われたとおりにちゃんと待ってないとだめですよ。勝手にふらふらしちゃいけませんよ」と言ったら、
おばあちゃん曰く
「嫁が勝手にどっかに行っちゃうから、探すが大変なのよ」

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2008年2月19日火曜日

簡単夕食シリーズ

デスノの話題で盛り上がった食卓に上がった、本日の夕食は切り干し大根と、写真のものです。

手前は、おくらと長いもを和えてとびこをいれたもの。ご飯がおいしっ!! (Knysさん風)ちょっと前に浮くウ××のことを書いたので、明日の朝を期待します。

奥に写っているのは、肉豆腐。これも我が家の定番なんですけど、作り方はいたって簡単。タマネギと豆腐と肉、鶏でも豚でも可です。味付けはしょうがと醤油と砂糖だけ。ただ煮るだけ。これ、実は昔居酒屋で食べたメニューなんですけど、あまり旨かったので作り方を聞いたら、こんだけ。こどもたちにもうけまくるので、ときどきやってます。是非お試しを。

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我が家にもあったDeath Note !!

最近の映画公開にあわせて、テレビでDeath Noteの映画を続けてやったりして、やっとストーリーがおぼろげにわかってきました。

昨年あざみ野棒屋先生VSさとちんさんのディスカッションも、実はよくわかりませんでした。ふーん、そんな話ですか、みたいなところだったんですが、キラがライトだっというのも、やっと最近知ったことなのであります。

と、いうような話をしながら、本日の夕飯は進行していたのですが、そこへ長女から強烈なパンチが。

「だから、言ったじゃん。デスノ面白いよ。読む?って聞いたけど、興味なさげだったくせに。でも面白いのはLが死ぬまでの7巻までだよ」

そこからさとちん家と同じ意見だと思うのですが、「ジャンプはやめさせてもらえないから、その後は無理矢理引き延ばしました感があるのよ。でも人気がおちたところで、ばっさり終了。僕全部持ってるもん!! しかも帯付き。しかも初版!!」
といって、ずらりと並べてくれたので、記念にパチリっ!!

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2008年2月18日月曜日

カレーライスのお作法

カレーライスは日本食といってもいいくらい、各家庭でなじんでいることと思います。今夜は短時間で絶品!!カレーライスを作ってみましたよ。総行程45分ですが、一晩寝かせたに近い味になります(自画自賛)。

さて、タマネギ2個を一気にみじん切り。涙と鼻水を振り払って突き進みます。ここにニンニクとショウガをたっぷり入れて、ひたすら炒めます。同時にジャガイモの皮をむいて、多めの油で弱火でじっくり炒めます。別々にやっているところがポイント。

タマネギは茶色くなって形が崩れるまで30分近く炒めます。今夜は鳥のむね肉であっさりと作りました。一気に強火にして水を入れ、沸騰してあくをとったらルーをいれます。5分たったらジャガイモをざーっといれてできあがり。今日はおしゃれにヨーグルト入り。

家族絶賛、お父さん株上昇。拍手喝采、おかわり連続。満腹満足、みんなでメタボ・・・・

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2008年2月17日日曜日

今、医療の何が問題なんだろう

今日のあざみ野棒屋先生のエントリーでも触れていましたが、4月からの診療報酬改定の骨子が公表されて、直接経営者を兼ねる開業医にとっては大いる関心を払わずにはいられません。Dr.Mもさらに先まで見ながら日々の診療をしています。昨今の一般の医療についての関心事をまとめてみました。ただの新米の平開業医の考えることですから、間違いや不足があれば指摘していただけれは幸いです。

①産科と小児科を中心とする救急医療への不安

産科医師・小児科医師の減少が現場の医師への過酷な労働を強いていることが問題とされており、ここ数回の診療報酬の改定はこれらの科の収入を増やすことに重点がおかれてきました。今回もその流れの中にある改定となるようです。

しかし、いくら収入を増やしても、過酷な条件での仕事をしていることには変わりはありません。そこには③にも関係してくる、100%の成功を求められる法的な厳しさが上乗せされていると考えられます。何故医師が少なくなったのかという根本的な理由については、あまり触れられませんが、まさに少子化が最大の原因であると言わざる得ません。

これは自分たちが研修医であった80年代から言われていたことであって、こどもが減るから産科や小児科医になってもしょうがないというようなことが言われ始めていたのです。厚生行政は少子化を抑制していく抜本的な対策をもっと強力に推進すべきではないでしょうか。出産の高齢化など書きたくなることは山ほどありますが、このくらいにしてしておきます。

②高齢化社会に向けての医療供給への不安

勤務医の「過酷」な勤務に対する同情はいいとして、「昼間しか働かない開業医」への批判が出ていることは開業医としては無視できないところです。少子化を食い止めることができたとしても、高齢化社会がむこう数十年は進むことは避けられそうにありません。

そこで厚生行政が今やっていることは、高齢者に対する医療費の抑制政策ということになります。しかし、必要になるのがわかっているのですから、他を削っても高齢者対策に財源を充てるべきではないでしょうか。介護保険制度も医療費抑制の一環として始まったわけですが、結局実質的な自己負担増と変わらないし、むしろ医療と分離したことによって医療の介入を大変難しくしました。

さらに国は高齢者の在宅への誘導を計っています。在宅の高齢者が増えたときに、必要となる医者は開業医です。勤務医は基本的には出向いていくことはありません。ただし夜間・休日に働けといわれても、薬局・検査会社・その他の関係業種すべてが夜間営業にシフトしてくれて、かつ夜間に働きたいスタッフを集めることができなければできることは非常に限られてしまいます。社会全体がその方向性に同調して動かなければ、今度は開業医が「たらいまわし」をすることになりかねません。

また、保健所などと協力して目立たないところで予防接種や健診などの日常的な医療を支えているのは開業医です。これらに対する協力の余裕がなくなると保健行政は崩壊します。つまり、開業医と勤務医のどちらかがいいとか悪いとかではなく、役割分担を明確にすることが必要なのではないでしょうか。

かぜの患者が病院を受診するようなことがないように、病院でかぜと診断された場合には2倍の値段がかかるとか、紹介状のない病院の受診は3倍になるとか、そして入院の必要のない救急車の要請に対しては実費を徴収するなど。ただし、診療報酬に差をつけても効果は期待薄で、自己負担割合を施設の規模によって変えるような形が必要かもしれません。その分開業医は在宅の高齢者や、プライマリー医療をしっかりと担い、病院に救急をやる余裕を作ってもらう。もちろん、一定のルール作りが大変難しいことは想像できますが、根本的な議論が広くされているとは言えないと思います。

③薬害問題への不安

エイズ、肝炎問題は言うに及ばず、良好な結果が得られなかった医療への不満は医療界にとって大きく受け止めなければならない問題です。確かに、自分たちは最高の治療効果を出すために最大限の努力を行う義務があります。また、そのためにはできる限りすべての人とのオープンな情報の共有が必要です。しかし人間の個人ごとの差は歴然としているわけで、数学的な一定の効果を導き出すことは不可能なのが医療です。

この点を十分に理解することが必要で、現在わかっているbenefitとriskの両方を熟知しなければなりません。この点では、もっと統計学的な理論を勉強することが必要です。近年いわれているEBM(統計学的推論に基づいた医療)も、このような観点から重視されてきています。

と、まぁ難しいことは考えても、自分はただの医者ですから、具合の悪い人を診て何とかすることができるだけで嬉しいわけで、それが来院した人でも在宅の人でもかまいません。ただ、家族がいますのでこどもたちを、安心して大学にいかせるくらいの、そして時にはかみさんと旅行くらいできるくらいの収入と休みだけは欲しいと思うわけです。ふぅ~。

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Keith Jarrett / Solo Concert (1973)

Keith Jarrettは、Herbie Kancock、Chick Coreaに続いてMiles Davis Bandに参加したことから70年代にはジャズ・キーボードの三羽烏として扱われました。Funk系のHerbie、Latin系のChickという具合に、それぞれのカラーは際だっていました。

Milesのもとにいた期間は、1970年から1971年でそれほど長くはありません。ここではElectric Musicに走り始めたMilesのもとで、アフロヘアで電気ピアノとオルガンを主として扱い、記憶にある限りアコースティックな音は記録されていません。ところがMilesを辞したあと、急激にアコースティックへ回帰していき現在までエレクトリック・ミュージックには手を染めていないのです。

もともとMilesのバンドに参加する前に、すでにフォーク調のアルバムを発表していましたし、Miles Band中にもECMレーベルからアコースティック・ピアノ・ソロを出していたので、むしろMiles時代が異色といってもいいのでしょう。

1973年に発表されたこのアルバムは、3枚組LPレコードセットでリリースされ、当時としては驚異的なブームを作りました。2時間超にわたって記録された音楽は、ジャズともいえず、クラシックともいえず。はたまたイージーリスニングでもなく、時にはスイングし、時にはただただ美しい。曲名は演奏された地名だけ。ひたすら、その場でKeithの頭の中から自然とわき出てくるイメージがピアノの音となって、聞く者に染みこんでくるのです。

すべてが即興演奏という形態からは考えられないピアノ・ソロは、それまでのジャズの概念をひっくり返してしまいました。70年代のジャズはエレクトリックとアコースティックという2つの大きな潮流に分かれていくことになるのです。

1974年にKeithは初来日し、東京の郵便貯金ホールでソロ・コンサートを行いました。当時はクラシック音楽の殿堂というイメージのホールですが、なんの飾りもない広いステージの真ん中にグランドピアノが1台おいてあるだけ。ゆっくりとKeithが現れ、拍手が静まるとゆっくりと鍵盤をつまびき始めました。これが自分が初めて聞いた「ジャズ」のコンサートです。

翌年、"Koln concert"が発売されると、さらに爆発的な人気となったことは記憶に新しいところです。ただ、その後はこのパターンの表現には限界がつきまとい、バッハやモーツァルト、ショスタコービッチといった即興性を殺したクラシックの演奏に向かってしまうのでした。そこにはジャズ・ピアニストにある音楽家としての潜在的なコンプレックスを見て取るのは読み過ぎでしょうか。

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整形外科医とリウマチ外科医

患者さんはほとんど意識していないとは思いますが、整形外科とリウマチ外科というのがあるんですよね。これは、医者の中での分類みたいなものですから、一般の方には理解しにくいものだと思うんですよね。はっきりとした区別がありそうで、なさそうなところなんです。

例えば、心臓の病気で救急車で運ばれてきた患者さんがいて、最初の治療は救急を専門にしている医師があたるかもしれませんが、緊急手術が必要となると心臓外科医の出番になります。この場合は、救急専門医の上に心臓外科医が位置しているわけです。

ところが整形外科医とリウマチ外科医は上下の関係ではないんです。整形外科というのは、けっこう範囲は広くて、いくらスーパードクターでもすべてをこなすというわけにはいきません。

まず、大きく分けると関節外科と脊椎外科に分かれます。また関節外科の中で、膝関節とか股関節とか、あるいは手の外科などのように部位によって細かく分かれていることが多いと思います。でも、病気によっては部位を超えて関係してくるので、病気別の専門というのもあるわけです。例えば腫瘍専門とか、小児疾患専門などです。リウマチ外科もそういう病気別のジャンルですから、腫瘍が専門で膝を中心に手術をしている医者とか脊椎が専門でリウマチも診る医者というような具合になります。

リウマチという病気は全身に及びますから、膝しかやりませんなんてことは言っていられない。患者さんも、できるだけ信頼関係のできた医者にいろいろ診てもらいたいと思っていらっしゃいますので、トータルコーディネートが必要になってきます。ただし、脊椎の手術はなかなか別格なので、関節中心のリウマチ外科の中では、なかなか一緒にはできません。また、「歩けなくなる」という下肢の問題が深刻なので、主として膝関節を中心とした手術が多くなりますので、一般的にはリウマチ外科医は膝関節の専門医であることが多くなります。従って、他の関節を専門にやっている整形外科医から見れば、リウマチ外科医の手術はたいしたことないと思われるかもしれません。

でも、逆に普通の整形外科をこなせないものにはリウマチ外科はこなせない、と言ってもいいのではないかと思っています。当然行う手術の種類も限定されてきますが、いろいろな応用力がないとさまざまな形に壊れている関節を再建することはできません。そういう意味で、リウマチ外科医はまず整形外科医であるべきと断言します。通り一遍のことができてから、リウマチを勉強して欲しいと若い先生方に進言したいと思っています。

自分の場合は、手の手術をする者がいなかった関係で、なかなか膝までやっている時間がなかったので(膝の手術のうまい先生はいっぱいいますし)、膝だけは他の先生にお願いしていました。でも、指・手首・肘以外に、実は人工股関節置換術なんかは5年間の間に数10件やっているんですよね。正直に告白しますが、股関節の手術は深いところをいじるし、けっこう出血もしたりして、「手術らしい手術」なんで好きなんです。足関節の手術も術者のセンスが出るところなんで嫌いじゃありません。ただ、さすがに今のように月に数回の手術では、手の周辺以外をやっている時間はありませんので、おそらくもう手を出すことは無いのではないかと思っています。

リウマチの手の手術で最も多いのは腱断裂です。指を動かす筋肉の紐の部分を腱といいますが、手首の周囲で切れてしまうことがしばしばあり、年間数10件の手術をやっていました。次が指の変形。これは状況によって関節を固定したり、あるいは人工関節を使用します。外来手術レベルでは腱鞘炎、いわゆるばね指と指がしびれる手根管症候群の手術が多くなります。リウマチセンターにいた時は、週に1日バイト先の病院に行って、普通の骨折の手術ができるのが妙にほっとさせてくれました。

クリニックでは整形内科医ですけど、やはり手術室というのは外科系の医者にとっては特別な場所なわけで、当分細々と続けていきたいと思うわけです(でも、そろそろ老眼鏡を買わないとつらいかも・・・)。

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2008年2月16日土曜日

T教授への手紙

拝啓
まだまだ寒い日が続いておりますが、少しずつ春の気配も感じられる日々となってまいりました。

さて、そもそもT教授と初めてお会いしたのは医学部の5年生の時(1984年)です。自分の母が膝の痛みを訴えて、「大学の先生の診察を受けたい」というので、膝の専門は誰かと思ったら、4年生の系統講義の授業の時にはいなかったはずの新しい先生のいるとのこと。そこで学生の分際で、母を診ていただきたいと挨拶にしに行ったのが、初対面ということになります。当時、K大学から移られてきたばかりのT先生は40歳そこそこだったはずで、今の自分よりもはるかに若い。

そして医者になって入局してすぐの時に、新人向け研修会があり、最初のテーマが膝でした。「とりあえず3週間ギプスを巻いてから考える」では遅すぎるというのは、今でもしっかりと実践させていただいている教えとなっています。

関節の中に出血している患者さんが来ると、T先生にインストラクターをお願いして関節鏡をやりました。何回かやっているうちにパンチなどの道具を使わせてもらえたときは、嬉しかったのを覚えています。

ある手術では、いざ始まるとT先生は患肢とは反対側に立つので、そっちからやるのかと思いながら、自分が患肢側に立つと、「さぁ、やって」と言われ目を白黒させたことがあります。さらに骨肉腫のこどもたちとの関わりで随分と教えていただいたりもしました。

T先生はアイディアマンで、いつも何かしらもっと効率的に手術することを考え、いろいろなオリジナルの道具を走り書きしているのです。実際に膝靱帯再建手術の道具などはその代表で、発明家的なセンスは大いに見習わせていただきました。

その後、たまたま手の外科関係を中心にするようになったので、自分は「隠れ膝班」とこっそり名乗っていましたが、1999年に当時の教授に呼ばれ、「女子医に転出したT先生が、手の手術を手伝って欲しいと言われているので、君行きたまえ」といわれたのです。

これは、ある意味母校ではいらないよ、と言われたようなものでしたが、以前より興味があったリウマチをしっかり勉強できるし、T先生の下なら仕事も楽しくできると思い、何でもポジティブに考えたい自分としても二つ返事で受けさせてもらったわけです。

そして、女子医に移ってからは、リウマチの難しさを知ることができましたし、それまでほとんどやったことがない指や肘の人工関節を積極的に取り入れ、大変に充実した5年間を過ごすことができました。今の自分にとっては、それまでの15年間と同じ、いやそれ以上の医者としての基盤を作ることができたのは、まさにT先生のお陰と思い、感謝している次第です。

T先生は3月で定年となり退任されるわけですが、むしろ手かせ足かせがなくなり、自由奔放にご活躍されることと思います。ますます、意気盛んに仕事をされることを心から祈念いたしております。くれぐれも、ご自愛いただきますようにお願いいたします。

敬具

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2008年2月15日金曜日

沈むウンコ、浮くウンコ

・・・って、気になっているんですよ。トイレでするでしょう、ウンコ。ウンコは汚いものと思っているかもしれませんけど、ウンコが出なかったら大変なことになりますよ。ウンコは健康のバロメータですから、出したらしっかりと観察することは、まじで大切なことですよ。

もちろん、ウンコに限らず、おしっこや汗、涙・鼻水、体から出る物は何でも健康度のチェックの役に立つわけですから、もっともっと関心をもちましょう。

ウンコで気がつきやすいのは色。真っ赤な色は出血。それも肛門に近いところの出血であることが多いので、最も多いのは痔。最も怖いのが直腸ガン。

黒い色は胃酸の影響で変色した血液であることが多いので、胃潰瘍とか十二指腸潰瘍の出血、あるいは胃ガンからの出血かもしれません。でも貧血の薬を飲んでいるとウンコは黒くなります。

ウンコの黄色は肝臓から出てくる胆汁の色です。肝臓の病気で胆汁が出ないとき、通り道か胆石やガンで塞がっているときには、ウンコに胆汁が混ざらないので白いウンコになります。

ウンコが固くなって出にくくなると便秘。少食だったり、不規則な時間の食事をしている便秘になりますよね。年を取ると腸の動きが弱くなったり、ストレスで腸がけいれんしたりすると、細いウンコやコロコロウンコになります。ガンで通りが悪くなるのも原因の一つ。

逆にウンコが腸に止まらずに一気に出てしまうと下痢になるわけです。だいたいは腸の炎症が原因で水分の吸収が出来ないときが多いわけで、安易に下痢止めでなんとかしようとせず、水分をしっかり補給して出すだけ出してしまうことが大事ですよね。

そもそもウンコは食べ物の水分が腸を通過していく途中で吸収され、剥がれ落ちた腸粘膜や腸内細菌の死骸がまざって固まる物。腸内細菌の発酵によってかぐわしき臭いが付録でついてきます。

でもって、浮くウンコと沈むウンコなんですけど、線維が多くて水分を適度に含んでいるウンコは水に浮くんですよね。ところが、肉ばっかり食べて野菜を食べないと臭い上に水に沈んでしまうというわけ。でも油を取りすぎて消化吸収できないと、ウンコにも残って浮く原因になることがあるわけで、これは問題ですよね。

固いウンコから柔らかいウンコまで、ウンゴ・ウンコ・ウンチ・ウンチョ・ウンニョという五段活用を知っていますか(あるわけないだろ!)。黄色っぽいバナナ型の水に浮くウンコ~ウンチを1本150g程度を目標に1日数本出すのが理想的だそうです。さぁ、皆さんトイレに急げ!!

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2008年2月14日木曜日

St. Valentine Day 2008

男子諸君、本日は成果がありましでしょうか。予想通り、我が家の男子は収穫は無し。本人曰く、「もともと期待してないから、プラマイゼロです」とのことです。

とーさんは、義理チョコ、友チョコ、世話チョコなどをいろいろいただきました。本当にありがとうございます。明治のアーモンドチョコは、大好物なのでして、社長からの本命チョコです。冷やしてカリっとなったところをむしゃむしゃ食べるのは大いなる喜びなのです。サッポロビールチョコは受けまくりです。

そして六花亭の「大地」は北海道からリウマチセンターの教授のところに届いたものの一つ。本日、でかい段ボール箱が届いて、教授がちょうどオープンしているところに顔をだしたおかけで、一つお裾分けしていただきました(masumi先生すみません)。それにしても、中から出てくる出てくるチョコの山に、さしもの教授もびっくらこいてました。さらにびっくりしたのは、全部熨斗がついているのですが、その送り主名が教授になってました。教授も、自分で送ったつもりはないけど・・・と悩んでいましたよ。

今日の大学の外来は、新規のリウマチ手の変形の相談が多く、けっこう時間がかかってしまいました。クリニックとは違って、一人30分間近く使って説明していきますが、手術の話をしても実際にすべてこなせる時間がなかなか作れないので、お話しした方がみんな手術を希望したらどうしよう。夏休みにまとめてするしかないかも・・・と考える、けっこうきついものがあります。

すでに5月の半ばまではほとんど木曜日の午後は埋まってしまっています。ますます若い先生に是非勉強してもらい、おまかせしたいと思ってしまいます。そんなこんなで、今日も充実した1日でした。

帰りに東名高速で、ちょうど夕日が富士山のそばに沈んでいくところにでくわし、思わずパチっ。ただし場所を運転中に狙えませんから、何となくあっちのほうに向けてシャッター押すだけ押したのでベストショットとはいえませんが、雰囲気はでているのでお見せしちゃいます。
ちなみに、今朝の弁当ですか、長男君は開けたとたんに、海苔をかばっとはがしてすぐさま口の中に入れてしまったとのことです。不審な行動は周囲の疑惑を誘ったようですが、なんとかごまかしてきたとのことでした。

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男手弁当 in Valentine Day


今日はあまりチョコがもらえた経験のない男子のための弁当です。なにしろ男の手による男の子のための弁当ですから、あまりこった思いつきもなく、湿って縮んだハート切り抜き海苔トッピングで許してね。

でも太いフランクフルトはしっかり切れ目いれたからね。メインは30%offのミニ串カツとエビフライ。ベーコン+ほーれん草で隙間をうめました。誰か恵まれないうちの子に愛の手を!!

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2008年2月13日水曜日

バレンタインSONG BEST10

さぁ、女の子の皆さぁん、チョコは用意しましたか? 義理チョコは今日中に渡して、いよいよ明日の本番は本命に集中しましょう。

男の子の皆さぁん、チョコを貰う自信はありますか? 予定通り貰えそうな時には、ちゃんとその場の雰囲気作りをしっかりしましょう。

そこで、ちょっとお手伝い。雰囲気作りには音楽は欠かせません。と、いうわけで、バレンタインデイを素敵な思い出にするための音楽を、独断と偏見で紹介します。それでは、10位から発表です。

第10位 チョコくれ!! / 嘉門達夫
いきなりのストレートパンチ。もしも嫌いな女の子から本命チョコを貰った場合には、相手に自分のいじきたなさをアピールしましょう。そうすれば、自然とふられて、相手を傷つけないですむかもしれません。

第9位 Valentine RADIO / 松任谷由実
20年近く前の曲ですけど、さすがは恋人たちのキューピッド、松任谷さんは個人的には、あまり好きではないのですが、こういうイベントものでははずせない強さがありますよね。

第8位 涙のワンサイデッド・ラブ / 竹内まりや
バレンタインとはいっても、なんでもうまくいくとは限りません。それにしても、雨の日に思わせぶりに傘を差しだしておいて、他の女の子といっしょに歩いている男って、つまりナンパしまくりか。

第7位 チャコの海岸物語 / サザンオールスターズ
なんでこの曲が、と思っているでしょう。この曲は1982年1月発売なんです。ということは、時期的にみてバレンタインでカラオケで合唱ということも、想定していたのではないかと・・・

第6位 白い恋人たち / 桑田佳佑
ついでに桑田物といえば、この1曲でしょうか。ほんとはクリスマス向けなんでしょうが、恋人たちにはいつでもいいでしょうということで、お許しを。

第5位 Snowdome / 木村カエラ
ちょっと壊れた感じが木村カエラの魅力ですよね。タイトルの割にはあんまり冬っぽくない曲ですけど、これが今風ということでしょうか。

第4位 20才のバレンタイン / 酒井法子
やったぁ、ノリピーだ。海苔巻きとピーナッツではない。実はタイトルだけ知っているけど、曲はわかりません。すんません。

第3位 いっそセレナーデ / 井上陽水
甘いくちづけ・・・チョコ食べたんだなぁ。他に言うことはありません。ただただ名曲でしょう。

第2位 コイスルオトメ / いきものがかり
長らくこのグループの名前がよくわからず、学校によくある「生き物係」であることを知ったときは、まさに目からうろこでした。素直な歌作りが好感をもてます。

第1位 バレンタイン・キッス / 国生さゆり
確かに、文句なしにこの曲が一番でしょう。1986年バレンタインにターゲットを絞って、一大攻勢をかけて一気にスターダムにのしあがった国生の代表曲であり、数少ないバレンタイン定番曲といっても過言ではないでしょう。今でも、国生はテレビで歌っているのには驚かされますが、バレンタイン・キッス2007はインターネット配信、バレンタイン・キッス2008のクリップはYouTubeでも見られまっせ。実はこの曲「明日はスペシャル・デイ」なのであって、2月13日の歌なのです。

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2008年2月12日火曜日

My Funny Valentine


1986年2月。朝から晩まで学生室と呼ばれる小さな部屋に仲間数人とこもって、医師国家試験の勉強をしているときでした。楽しみといえば、昼飯のメニューを決めるアミダクジ。付属病院内の食堂、とんかつ定食の出前、中華定食の出前。この中からアミダクジの勝者が決定権を得るのです。誰が言うともなく、そういえば今日はバレンタインデイだなぁ。

そういえば、いつからこの風習が定着したんでしょうかね。女性から一方的にチョコレートを送って愛の告白をするというのは、日本独特のものだそうで、戦前のモロゾフの戦略から始まったようですが、実際に定着したのは1970年代くらいなのではないでしょうか。実に日本のチョコレート消費の1/4がバレンタインデイの前後だというのは驚きです。

イベントとして楽しむという意味では、悪くはありませんが、菓子メーカーの謀略に乗っているようなところもなきにしもあらずですので、なかなか評価は分かれるところですよね。まぁ、それをいったら玩具メーカーの謀略に乗せられるクリスマスというのもあるわけで、あまり堅苦しく考えない方が身のためかもしれません。

さて、話を戻しますと、アミダクジをやっているところにテニス部の1学年先輩が学生室に入ってきました。当然、すでに医者になっているわけで、袋の中から、どさーっとたくさんのチョコレートを机の上にばらまいたのです。
「どうだ、どうだ、医者になればこんなにもらえるんだぞ。お前らは勉強でそれどころではないから、お裾分けだ。ガッハハハハ」
自分たちはあっけにとられましたが、よーっし必ず試験に合格して来年のバレンタインデイにはチョコレートをもらいまくるんだ、という気合いがたいそう入ったものでした(←動機不純、でもけっこう素直)。

さて、念願かなって国試に合格して医者になり、最初の年は3ヶ月ずついろいろな科をローテーションして研修をします。そして、いよいよ1987年2月。自分は放射線科というところにいました。放射線科は地下。1日中日の差さない場所で、朝から胃透視、大腸造影をこなし、昼からはレントゲンのレポート書きと血管造影検査。かなり忙しく働いたのであります。ちなみに、ここで全科の疾患を勉強できたことは大変役に立ちました。

放射線科は当然病棟というものがありません。と、いうことは看護婦さんはほとんどいません。当然外来もありませんし。数少ない看護婦さんは、かなり年配の方ばかりだったのです。放射線技師さんもほとんどが男性です。当然、バレンタインデイなどという異国の習慣とはまったく無縁の世界なのであります。

昼に売店で昼ご飯を探していると、整形外科外来の看護助手をしている「浜さん」というベテランのおばさんに声をかけられました。「どうだい、チョコはもらえたかい?」「いいえ、ゼロ個です」「なんだって、若いのにそりゃないね。ちょっと、こっちへきな」そういって、売店のチョコの棚のところで浜さんは、どさーっといくつものチョコを手に抱えてきて、さっさと会計をすますと「ほれ、これでよかったら食べな」といって渡してくれたのです。たぶん明治のミルクチョコとか、グリコのアーモンドチョコとか、そんなものばかりでしたけど、下手な義理チョコよりも、しんそこ心のこもったプレゼントだったと思います。

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2008年2月11日月曜日

恋のなる木


私はショッピングが大好き。でも、本当に買い物ができるのは、給料日の後と、ボーナスの時だけ。あとは、お店をみて回っているだけ。だいたい仕事が忙しすぎて、出掛ける暇もめったにないし。実際に買うのも、結局いろいろ考えて値段の安いもので妥協してばかり。そのうち出逢う人との結婚に備えて、少しでも貯金もしておかなくちゃ。

今日は、会社の帰りにいつものショッピングモールへ寄ってみよう。バレンタインのチョコレートを用意しておかないと。それに、そろそろ春になったら着る服をみておきたいの。流行を少しは気にしていないと、そのままおばさんになってしまうもの。

あら、この前まで改装工事をしていたお店が、新しくなつてオープンしているわ。前は、ちょっと若い子向けのカラフルな洋服を並べていたけど、今度は違うのね。新しくできたのは雑貨屋さんだわ。けっこう古めかしい雰囲気だけど、ちょっときれいな感じだし、面白そうね。開店したばかりの割にはお客さんはいないのかしら。店員さんはひとりだけだけど、ちょっとどんなものがあるのか見ておきたいわ。

まぁ、ほとんどは、どこにでもありそうなものばかり。あら、そこの棚の上には、小さな鉢が並んでいる。ミニバラとか、コニファーとか、ちょっと机に飾っておくのにいいかもしれないわ。一番隅の見たことがない小さな木は何かしら。札がついていないから、どんな植物かわからないわ。手に取ってみると、意外と重たいわ。ホッドの裏に紙が貼ってあるのね。へぇー、恋のなる木ですって。本当にそんなのがあるわけないけど、ちょっと葉っぱがかわいらしいし、値段もてごろだから、買って帰りましょう。職場の机に置いておくのにちょうどよさそうだし。


それにしてもずいぶんと不思議な名前をつけものだわ。それに、どうやって育てればいいのかしら。もちろん、水はあげないとね。肥料はどうすればいいかしら。ネットで調べてもわからないし、植物の本を見ても出ていないもの。いずれにしても、大切にしてあげるしかないわよね。

仕事をしていても、ついつい恋のなる木を見てしまうわ。いったいどんな実がなるのかしら。隣の席の後輩にはめんどうだから説明はしていないの。だって自分でもよくわからないし、あまり夢ばかり見ているように思われるのも嫌だもの。少し水をあげておこうかしら。

でも、こうして見ていると、何となく心が休まるわ。いろいろなことを思い出すわ。そういえば就職してすぐの頃、大きな失敗をして先輩に一杯迷惑をかけたなぁ。あの時は、同期の彼が一緒に謝ってくれたっけ。大学のサークル以来の知り合いだから、いろいろ助けてくれるのよね。それからは大きな失敗はしたことがないわ。

この前はチョコレートを買っておくのを忘れてしまったから、今日は昼に出掛けてこようかしら。そうそう肥料も少しは用意しておかないとね。そういえば、親があんまりうるさいからお見合いをしたこともあったわ。ずいぶん昔のような気がするけど。友人はたいてい賛成してくれたのに、なんでお付き合いしなかったのかしら。仕事が楽しかったから? 相手がイケメンじゃなかったから? いえいえ、違うわ。彼が私には向かないと言ったのよ。昔からの知り合いだから、けっこう私のことをわかっているのよね。

このマンションに住むようになってから、もう何年にもなるわ。こうしてみると、仕事ばかりで、部屋の中は何にも変わっていないわね。ずっと一緒のカーテン。変わらない机と椅子。ベッドの周りも同じだわ。もしかしたら、空気すら変わっていないのかもしれない。こんなんでいいのかしら。今までは疑問に思ったこともないけど、これが充実しているってこと?

あら、そういえば、棚の飾り物の小物だけは増えているのよね。私のお気に入りのガラス細工とか、素焼の人形とか。毎年誕生日の頃になると増えてきたのよね。何となく仕事場の机においてあるのよね。彼が出張先で見つけたからとか、たまたまもらったからとかというメモ書きがついていたわ。

今日の仕事は大事なクライアントとの打ち合わせ。机の木には少しだけ水を足して、書類を束ねて忘れ物がないかチェック。時間にうるさい相手だから、だいぶ余裕をもって出発しましょう。電車とバスを乗り継いで相手の会社に出向いて、15分前に到着。会議室で待っているうちに、もう一度プレゼンテーションの確認をしておこうかな。資料はこれとこれ。そして外国での情報はこれ。それと、相手からの要望にそったサンプルは・・・あら・・・大変! かばんの中に無いわ。忘れてきてしまたのね。そうだ、昨日上司に確認のため渡してそれっきりだったのよ。あー、どうしましょう。あれを見せられないと、今日来た意味はほとんどないじゃないの。今からじゃ会社に戻っている時間はないし。あら、受付の人が入ってきたわ。えっ、私に? お届け物? まあ、今日使うサンプルだわ。見慣れた文字のメモがついているわ。たまたま通りかかったら、ですって。

また、木に水をあげながら、いろいろ考えてしまうわ。そういえば、自分は今までどうだったの。学生の頃は、確かに一緒にいることが楽しかったし、同じ会社を希望したのも、一緒にいる時間が欲しかったからだわ。でも、仕事が面白くなって、だんだん生活が仕事中心になったのよ。この木を見ていたら、いろいろなことが思い出されるのだけど、けっきょくいつも思い出されるのは彼とのエピソードばかりだわ。

彼がいつも私を見つめていたから? いえ、違うの。やっとわかったわ。私が、いつも彼を見ていたからなのね。そうだ、学生の頃のように手作りチョコを作ってみようかしら。この木はいろいろなことを思い出し、そして考える時間を持つことが、とても大事なことだと教えてくれたわ。あら、小さな赤い蕾がついている。

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2008年2月10日日曜日

Richie Beirach / Elegy For Bill Evans

特にすごいことをやっているわけではないのだけど、リッチー・バイラークがビル・エバンスがドラッグで死んだことで1981年に日本の企画で作ったピアノ・トリオの1枚。

もともとバイラークとエバンスは直接の接点はないはずだが、バイラークはエバンスの余情的なところにかなり傾倒していた節があって、このアルバムの前後にもエバンスのレパートリーを取り入れたソロ・アルバムを出している。

70年代にはマイルス・デイビスのもとを去った後のデーブ・リーブマンのグループで活躍し、その後ECMの代表的なアーティストとして活躍していた。比較的スイングする音楽とはあまり関係ないジャズ・ピアニストという印象だったが、ここでは4ビートのストレートな音楽を楽しげに演じている。

ベースは手堅くジョージ・ムラーツ。そして、意外なことにというと怒られるかもしれないが、この時点でも現役のマイルス・デイビスのバンドからアル・フォスターがドラムを叩いている。ある意味ではフォスターが4ビートを刻めるのに、当時はびっくりしたものだ。

In your own sweet wayのようなスタンダードから始まり、エバンスの代表作のひとつであるBlue in greenへと流れ、最後はNardisでしめくくる。ここでのNardisはエバンスよりも、早めに攻撃的な演奏で、あまりに早いエバンスの死を悲しむというより、むしろ怒っているのではないかという気がする。レコードの時代なので、今から思えばあっという間の40分間だ。

2008年2月9日土曜日

雪につき短めでご免

東京は雨交じりのようですが、横浜北部は夜の6時頃から雪が本格的に降り始め、我が家のところでは8時過ぎで、すでに5cm程度の積雪となっています。

社長は車のタイヤにチェーンを装着して(もちろん巻いたのは私)、ぶーんっとスポーツジムにでかけていきました。さて、明日は長女の大学入試です。会場は東京なので、午後には渋谷のおばあちゃんの家に行かせました。この調子では行かせて正解でしょう。とにかく入試と雪は切っても切れない関係のようですね。

明日は天気が回復するようですから、連休明けは心配ないと思いますが、やはり天気が悪いと、うちのような弱小クリニックは患者さんがガクっと減るので涙雪の恨み雪なのです。とはいえ、人の不健康を願うのは筋違いですから、まぁのんびりさせてもらいますか。

ところで、ちょっと前に書いた「お金のなる木」という話。大変好評で、自分でもびっくりしました。久しぶりに多くのコメントをいただき、ありがとうございました。このような話は童話というよりは、「寓話」というのが正しいのでしょうね。

日本の昔話のようなパターンを真似ているので、それほど考えずにだいたいのストーリーはすぐにな思いつくことができました。「金のなる木は欲しいけど、そんなに簡単には手に入らないよなぁ。結局、地道にやっていくしか出来ないしなぁ」と考えていたら、すーっとできたのです。

でもオチの文章はさすがに難しい。1時間くらい考えてしまいました。ここんとこが簡単に思いつくなら、最初から作家になってますよ。でも、素人が勝手にいろいろ書いて発表できるところがブログのよさなら、時々こういう遊びは許されますよね。また、どなたかお題を出してください。

2008年2月8日金曜日

かに鍋

う、う、旨い!! かに鍋。ズワイガニなんですけど、ボリュームはタラバに負けるけど、甘みはごっつーありまっせ。またもやもらい物なんですけど、とやかく言うまい。みんなもくもくと食べましたよ。あらかた蟹が無くなってきて、やっと食卓に会話が戻ってきました。

「(かーさん)今日はとーさんは疲れているんだからね。ゆっくり食べさせてあげなさい」(もう、蟹無いんですけど)
「(次男)俺だって年中無休で学校に行っているし・・・」(部活なんだから文句いうな)

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都筑区だっていつかは高齢化

横浜市社会福祉協議会が運営しているケアプラザというのがありまして、地域の介護福祉事業の中心的役割をになうものです。自分は、その中の都筑区葛が谷ケアプラザの協力医を昨年の6月からやっているのですが、これは横浜市から医師会に依頼が来て、選出(推薦)されて決まります。普段は毎週顔を出して、利用者さんや職員の方々からの相談を受けるのが仕事ですが、そんなに多くの相談があるわけではありません。

昨日は横浜新緑総合病院での外来の後に、区内の介護事業者を集めての整形外科関係の病気の研修会に招かれて、2時間ほど講義をしてきました。今までで、一番仕事らしい仕事だったのですが、いつも思うのは、医者よりも皆さんが積極的に話を聞いてくれるということです。

それはともかく、最初に20問の◯×テストをやってみました。老年医学といわれていることと、運動期の代表的な老化に伴う項目の文章を出してみたのですが、たぶん平均点は70点くらいでしょうか。50点以下はいませんでした。やはり、それなりに皆さんしっかりと勉強されているわけで、少なくとも都筑区のレベルはけっこう高いと思います。

これには、区ができたときからある医師会が関係しているケアネットつづきという連絡会が果たしている役割も大きいと思います。人口の若い地域ですが、だからこそ高齢者のことをしっかり考えることができるのでしょうし、住民は数十年後には、現状よりもさらに厳しい高齢化社会の中にいることになるはずですから、今からしっかりとして基盤ができあがっていくことは大変重要だと思います。

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2008年2月7日木曜日

お金のなる木

昔、昔、小高い丘の上に金のなる木が生えていました。でも、普段は普通の葉っぱしか茂っていません。周りを通りかかった人には、普通の木にしか見えません。

近くの村に町まで作った野菜を売りに行く若者が一人いて、若者は帰りにこの木の下で休憩することを日課にしていました。今日はこのくらい売れたよ、と木に語りかけ、汗をぬぐっては小一時間もたれかかってうとうとするのです。若者は目が覚めると、家に帰って年老いた母親に、今日の成果を報告しました。母親は、病気で寝たきりになっていて元気がありません。若者はご飯の支度をして、母親に食べさせ、明日の支度をして床につくという毎日でした。

ある日、母親の具合が急に悪くなり、さすがに薬が必要になりましたが、若者には薬を買うお金がありません。若者は、いつもよりも多い野菜をかついで町にでかけていきました。しかし、今日に限って、野菜を買い求める人はまばらで、ほとんど売れません。ほとんどの売れ残った野菜をそのままかついで木の下までくると、若者は木に向かって語りかけました。「今日はほとんど残ってしまったよ。このまま持って帰っても、あしたには傷んでしまうし、もう売ることはできないから、かえって母親を心配させるだけになってしまう。だったら、ここに蒔いてあげるよ。そしたら肥やしになるだろう」若者は少しだけ木の根元を掘って、売れ残った野菜を埋めました。

次の日も売れ行きは悪く、また木の根元に野菜を埋めました。母親は、ますます元気がなくなっていきましたが、若者にはどうすることもできません。さらに次の日に、若者が木のところに来ると、いつもと違って、木が黄色く見えました。まだ秋でもないのに、葉が色づくのは変だなぁと思い、よく見ると、なんと葉っぱが小判になっていました。若者はびっくりして、手に届く高さの葉を数枚とってみました。どう見ても小判です。若者は、これさえあれば母親に薬を買うことができると思い、薬を買うのに必要な分だけをとって家に帰りました。

早速村の医者のところに行って、薬をたのんで一緒に家に連れて行き、母親を診てもらいました。よい薬の効果が出たのか、母親はみるみる元気になり、起き上がれるようになりました。その話を医者から聞いた、欲張りの別の村人がいました。欲張りの村人は、さっそく真似をすることにしました。毎日丘の上に行っては、木の根元に売りにだせない腐りかけの野菜をばらばらと蒔いてきました。

1週間くらい、そんなことをやっていると木が黄色い葉っぱをつけました。欲張りの村人は、小躍りして木に近づいていくと、木には小判がなっているので、木に登ってすべての小判の葉を篭に集めてしまいました。木は枝だけになってしまいましたが、欲張りの村人は、そのまま町に繰り出していきました。料理屋で豪勢な食事をして、芸子を呼んでは大騒ぎ。さて、勘定という段になって、篭から小判を出そうとすると、篭の中身は全て葉っぱです。欲張りの村人はびっくりして慌てましたが、他に手持ちのお金はありません。そのままお役所に突き出されてしまいました。

一方、若者は、その後は野菜の売れ行きが順調になり、毎日野菜を少しだけ残して帰ってきては、いつもの木の下に埋めるようにしました。一度は葉がすべてなくなってしまった木でしたが、いつのまにか枝一杯に葉が繁るようになり、立派な大木に戻っていきました。若者はお金が貯まって、野菜を売るためのお店を町に買うことができました。元気になった母親かお店の番をして、若者はせっせと畑を耕して、ますます多くの立派な野菜を作ることができるようになりました。美味しい野菜は、ますますよく売れて、若者は村一番のお金持ちになることができました。でも、丘の木の下で毎日野菜を埋めて、休息を取ることは忘れず毎日続けていたのでした。

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2008年2月6日水曜日

SEO対策

今日は知人からホームページのSEO対策を相談されました。こればっかりはあざみ野棒屋先生のテリトリーで、それほど対策をまじめに考えていない自分が言えることは限られています。とりあえず、知人の許可を得てこちらのアドレスを公開します。

トップページのソースをみると、タイトルは医院の名称だけ。Meta tagのkeywordはなし。また、本文にもあまりキーワードがありません。つまり、検索する側の気持ちを考えていないという指摘をさせてもらいました。クリニックの名称を直接キーワードにしない限りはなかなかヒットすることはありません。でも、クリニックを知っている大多数の方は、わざわざインターネットではもう検索する必要がないわけです。

ですから、タイトルに地域名と自慢のキーワードを入れること、トップページの本文をもっと充実させることが必要でしょう。Meta Tagは棒屋先生によると、YahooやGoogleのロボットが拾ったりはじかれたりするみたいで不安定なので、そうとうまめに調整していないと難しいのではと説明しました。

さて、内容を見るとメニューからたどるところは明快でいいのですが、もっともクリニックの売りの部分がいまいち。生体観察装置というのはことばとしてださい。歯科で治療中モニター管理しているというのは、大変すごいことですから、もっと前面に出さないともったいない。「診療中はバイタルを監視するモニターを使用しているので安心です」みたいな、はっきりとしたセールスポイントをはっきり出した方がいい。点滴棒なんて、あっても当たり前のものでそんなのを大事なものと並べたら大事なものがかすんでしまいます。顕微鏡を使っての肉眼ではできない、細かい処置も普通の歯科ではないところなので、これもセールスポイントですよね。

とはいっても、自分はそれほど対策をしていません。とにかくどんなに対策をしても内容がなければ、ホームページは威力を発揮しないと思っています。内容のあるホームページなら、自然とみんながみてくれると思っている(信じている)ので、とりあえずブログの毎日更新、専門部分の別サイト化などが重要なのかなぁ、と思っています。このあたりはDr.Mのインターネットの使い方も参考になりますね。

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2008年2月5日火曜日

幼稚園まで遡る

いろいろ思い出そうと考えるんですが、なかなかまとまった話は出てこない。時代を遡れば遡るほど記憶はあやふやになるのです。写真もほとんどないし、自分は熊本市内を流れる坪井川の橋の袂で拾われたという伝説を否定する材料も持ち合わせていないのです。

人生最初の記憶は何ですか? 今の子はビデオとかも一杯残っていて、記憶をつなぎ止めておけるので、大変幸せなことです。自分の場合は、たぶん幼稚園のことが散発的に思い出されるのが、最も古い記憶なんだと思います。

青山通りと表参道の交差点、こっちにはみずほ銀行、昔の富士銀行、むこう交番があります。表参道は石畳の参道で、ほとんどビルはありませんでした。何しろ東京オリンピックの直前、原宿駅は山手線が止まっても数人の乗り降りしか無かった頃のことです。

交番の奥にはいっていくと善光寺というお寺があります。長野の善光寺の別院ですが、実はここに40数年前には確かに幼稚園があったのです。自分は確かに善光寺幼稚園に通いました。尼さんの角田(つのだ)先生や普通の関先生といった方々の名前を思い出します。いつだったか閉園してしまい、自分の過ごした学舎の最初の二つはすでに消滅したのです。

ひな祭りの仮装行列をやって、NHKのこどもニュースに映った(らしい)のが生まれて最初(かつ、今のところ唯一の)のテレビ出演。青山通りには「乞食」がいて、通園する時に怖くて通り抜けられませんでした。富士銀行の裏にはモルモン教の教会があって、やたらと背の高く金髪を短く刈り上げた外人がうろうろしていました。

幼稚園ではどんな遊びをしたかはあまり覚えていないのですが、一つだけ記憶にあるのが、今風にいうと「ボディ・ペインティング」です。赤とか黄とか緑とかの色のバケツに入った大量の絵の具を手ですくって、そこらに手形をつけたりするのです。なんで覚えているかというと、とてもすごい臭いがしたからなんです。何だったんでしょうか。口に入ってもいいように、小麦粉か何かを溶いて食紅とかで色をつけたのでしょうか。とにかく楽しいのだけど臭い、ただそれだけで記憶のROMに書き込まれてしまったようです。

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2008年2月4日月曜日

受験シーズン

受験と一言で言ってもいろいろ。

自分の受験したものでは、まず中学。どうして受験することになったのかは、まったく覚えていません。少なくとも、親の意志だったのだろうと思います。いわゆる中高一貫の受験校です。当時は、大学受験以外の受験ビジネスはほとんどありませんでしたから、当然中学受験の塾なんて思いもよりませんでした。父親のゴルフ仲間の友人が家庭教師をしにきてくれました。結果は何故か入れたわけですが、もともとたいした志があったわけではないので、いつでも成績は中の下という感じでした。

さて、次の受験は大学。親の希望もあって、医学部を受験したわけですが、落ちまくりました。でも、落ちればおちるほど、人間としては謙虚になっていく気がするんですよね。浪人してやっと1次試験に通った大学の2次試験で、試験官の先生に忘れもしない一言を言われました。「君は××高校の出身ということは、落ちこぼれだね」そりゃ、「そうですね」としか言えませんよね。結果は合格。入ったクラブの顧問が、その時の先生なのには驚きましたよ。浪人したので絶対に落第はしない、という気持ちでがんばりました。追試は数回受けましたが、何とかストレートで卒業。

そして、医師国家試験の受験。試験前の半年間は、おそらく人生でもっとも勉強をした期間であろうと、今でも思っています。自分のこれからの人生がすべてかかっているわけですから、極度の緊張がなんとか持続したんだろうと思います。

そして、最後が専門医試験。今の自分の知識で合格することが大事なんてことを言って見事不合格。やはり、どんな受験でもテクニックが必要だったのです。おとなしく、「受験勉強」をしてやっと合格。考えてみると、好むと好まざるとに関わらず、様々な試練が次から次へと待っているもんですね。

親になってからは、こどもたちの幼稚園受験(これは楽勝)、小学校受験がありました。ここまでは、親がある程度はレールを敷く必要があります。でも、その後は本人の意志にまかせる(というと、かっこいいのですが、実際は放任に近い)こととし、いよいよ長女は来週大学受験となります。

本人の気持ちが固まるぎりぎりまで、口を出しませんでした。実際、自分が経験してきた大学受験の知識は30年近く前の話であり、共通一次やセンター試験を経験していない自分としてはアドバイスのしようがないというのも正直なところなのです。助けてあげることはできませんが、決めたからには何とか希望通りになって欲しいというのは、当たり前の気持ちなのですが、さて本人はどう思っているのやら。

とにかく、昔と比べると、今の社会は肩書きより実力が評価されるようになってきています。ですから、結果はどうあれ、本人の前向きな気持ちで充実した課程を踏んでいければ、最後には勝者となれると信じていたいと思うわけです。いつものように、何を言いたいのかわからないような話になってしまいました。

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