2008年2月2日土曜日

時には思い出にひたる

自分の卒業した小学校は、渋谷区立渋谷小学校といいます。青山通りと明治通りと表参道の3つの幹線道路にはさまれた三角形の中央にあって、今から考えると、めちゃめちゃモダンな場所だったわけです。

気高き富士を望みみる 美竹(みたけ)の丘の学舎(まなびや)は
遠き明治の昔より 学びの道を進みなん
あー あー あー 伝統の渋谷 渋谷 我が渋谷

明治から100年の歴史があったのですが、実はずいぶん前に廃校になってしまいました。生徒数が激減したからです。もっとも、自分が在校していた時でも、一学年2クラス。各クラスは30人ですから、全校生徒でも360人しかいなかったのです。

校庭はアスファルトで、トラックは1周100mはなかったと思います。何故か校庭で栽培されていた唐辛子を食べて、唇がお化けのように腫れてしまったことがあります。運動会では、徒競走でリボン(3着以内)を付けてもらったことがありませんでした。職員室の隣の部屋にガリ版印刷の輪転機があって、いろいろなものを印刷しました。裏にはコークスが積み上げられ、冬はストーブにくべるため当番が取りに行きます。

隣には東京都児童会館というのがあって、そこでもいっぱい遊べました。そして、何より、一番の遊び場は青山通りに面した広大な都電の車庫でした。昼間は都電は出払っていますから、ひたすら空き地になっています。その中には使われなくなった廃屋があったりして、勝手に入っては2階から床をが抜けて1階に落っこちたこともあります。

そこらに転がっている廃材を集めて、勝手に基地を作ったこともあります。近くの志賀昆虫という、今もある昆虫採集専門店で道具を調達して車庫の原っぱを駆け回ると、おにやんま以外ならスタンダードな虫はすべて揃うので、夏休みの宿題は問題なしです。

小学校の跡地は消防署に、都電車庫の跡地は子どもの城や国連大学になって、自分の思い出の場所は無くなりました。でも、いろいろな楽しい思い出はいつでも思い出せます。写真もビデオもありませんが、素敵な昭和30年代だったんですよ。

ブログランキング・にほんブログ村へ ← この記事が気に入ったらclickをお願いします