Keith Jarrettは、Herbie Kancock、Chick Coreaに続いてMiles Davis Bandに参加したことから70年代にはジャズ・キーボードの三羽烏として扱われました。Funk系のHerbie、Latin系のChickという具合に、それぞれのカラーは際だっていました。
Milesのもとにいた期間は、1970年から1971年でそれほど長くはありません。ここではElectric Musicに走り始めたMilesのもとで、アフロヘアで電気ピアノとオルガンを主として扱い、記憶にある限りアコースティックな音は記録されていません。ところがMilesを辞したあと、急激にアコースティックへ回帰していき現在までエレクトリック・ミュージックには手を染めていないのです。
もともとMilesのバンドに参加する前に、すでにフォーク調のアルバムを発表していましたし、Miles Band中にもECMレーベルからアコースティック・ピアノ・ソロを出していたので、むしろMiles時代が異色といってもいいのでしょう。
1973年に発表されたこのアルバムは、3枚組LPレコードセットでリリースされ、当時としては驚異的なブームを作りました。2時間超にわたって記録された音楽は、ジャズともいえず、クラシックともいえず。はたまたイージーリスニングでもなく、時にはスイングし、時にはただただ美しい。曲名は演奏された地名だけ。ひたすら、その場でKeithの頭の中から自然とわき出てくるイメージがピアノの音となって、聞く者に染みこんでくるのです。
すべてが即興演奏という形態からは考えられないピアノ・ソロは、それまでのジャズの概念をひっくり返してしまいました。70年代のジャズはエレクトリックとアコースティックという2つの大きな潮流に分かれていくことになるのです。
1974年にKeithは初来日し、東京の郵便貯金ホールでソロ・コンサートを行いました。当時はクラシック音楽の殿堂というイメージのホールですが、なんの飾りもない広いステージの真ん中にグランドピアノが1台おいてあるだけ。ゆっくりとKeithが現れ、拍手が静まるとゆっくりと鍵盤をつまびき始めました。これが自分が初めて聞いた「ジャズ」のコンサートです。
翌年、"Koln concert"が発売されると、さらに爆発的な人気となったことは記憶に新しいところです。ただ、その後はこのパターンの表現には限界がつきまとい、バッハやモーツァルト、ショスタコービッチといった即興性を殺したクラシックの演奏に向かってしまうのでした。そこにはジャズ・ピアニストにある音楽家としての潜在的なコンプレックスを見て取るのは読み過ぎでしょうか。
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