2018年12月31日月曜日

平成最後の大晦日


今上天皇の退位が決まっているので、この時期のイベントはすべて「平成最後」ということになります。

当然、今日は平成という時代の最後の大晦日。

平成になった時、昭和は過去扱いになりましたが、今度は平成が過去になる番です。ですけど、過去が積み重なって未来に向かって行けるわけですから、そういうことも必要ということ。

さて、年々、季節の風物詩みたいなものが薄れていきます。この時期に必ずあるものが年賀状なんですが、平成が終わるの機に辞める人が多いらしい。

何を隠そう、実は自分もこのチャンスにと思っていました。

確かに、久しく会っていない方々との連絡手段として意味があることは否定しませんが、今や連絡手段はたくさんあって、特に郵便は本当に使わなくなってしまいました。

ラジオよりもテレビ、レコードよりCD、ビデオテープよりDVDなど、文化はどんどん変化して、ネットの普及により、それらすら過去の遺物になりつつあります。

消えていく文化を懐かしむのはいいのですが、実用性はどんどん少なくなっていくことは認めざるを得ないわけで、年賀状というのもそういう一つ。

自分の知り合いが、全員このブログを読むわけではありませんが、ここで年賀状やめます宣言をしておきます。年賀状をいただいた方にだけは返信しますが、自分からはもう出しません。

どうか、皆さま、良い新年をお迎えください。

2018年12月30日日曜日

ちょっと電飾

f/5  1/50sec  ISO-8000  85mm

一頃、狂ったように流行りまくったのが、自宅の電飾。

うちの近くでは、テレビでも取り上げられるくらい、飾りまくった家が密集する地域があったりしました。

そのあたりは、もう動かないエレクトリカル・パレード状態でしたけど、震災以後どんどん減っていき、今ではちょっとだけやっている家が、ところどころで見られる程度です。

巷では、あちこちでライトアップが復活していますが、さすがに個人でやるのは大変なのか、単に流行りが終わっただけなのか、以前のような盛り上がりはありません。

まぁ、それでいいんじゃないですかね。飾っている人は、あくまで自分が楽しめればいいんですからね。

2018年12月29日土曜日

2018年総決算

f/1.4  1/800sec  ISO-100  20mm

うちのクリニックは平成17年12月5日に開院したので、今月14年目に突入しました。10年目以後は、あまりそのあたりの感慨はなく、とにかく毎日毎日を精一杯こなしていく感じです。

当然、間違いなく、年齢を重ねて肉体的・精神的に自分が劣化していることは間違いなく、今から新しくクリニックを開業するとしたら、そうとう辛いだろうなと思います。

さて、クリニックの中身的にはあまり変化はないわけですが、まずはスタッフについて。

クリニックで働いてくれる看護師さんを探すのは大変なんですが、今年は一人増やすことができました。もちろんパートですけど、少しでも余裕があると、何か急な時の人的なゆとりが確保できます。

受付は一人辞めて、一人新規で、プラスマイナス・ゼロです。辞めたのは、元気があるムード・メーカーみたいな人だったのですが、自分の夢(ピアニスト!!)を叶えるチャンスが来たということなのでしょうがない。

話はそれますが、安部政権の下で「働き方改革」とかが進んでいますが、その中の一つに「最低賃金引上げ」というのがあります。

うちの場合は皆パートさんですが、パートの方は、扶養の範囲とか、所得税無しの範囲とかで働く量を希望してきます。その範囲を見直してくれないと、最低賃金が上がっても、働ける時間が減るだけ、経営も人件費の支出が増えるだけです。

それに、何を根拠にしているのか知りませんが、各都道府県ごとに決められている神奈川の最低賃金は、東京に続いて全国2位で、一番安いところより200円以上も時給が高い。これって、あんまりじゃないですかね。それに毎年の上がり方が、春闘で話題になる通常のベアよりも多いと思うんですけど・・・・

さて、今年はクリニックの機器で壊れたものは一つありました。10年を超えると、何が急に壊れても不思議はありません。だいたい、そういうことは突然起こるものなので、いつでもすぐに対応できるだけの体力・・・つまり資金の確保が重要です。

今年壊れたのは、レントゲンの透視装置。レントゲン撮影装置の付加的な機能で、骨折のずれを直す時にときどき利用していたのでが、修理に400万円かかるといわれ断念しました(たいていの施設が壊れたら修理をあきらめるらしい)。面倒ですけど、必要な場合は細かく普通のレントゲン写真を何回か撮ることで対応することにします。

大きな出費がなかったからというわけではありませんが、今年は関節の状態を簡単に確認できるエコーの機械を新調しました。リウマチ診療を中心に、簡単にいろいろと確認できるので便利なんですが、前から使っていたのは古い中古でした。

今回は新品で、より簡便に使えるものです。ただし、エコーの機械というのは、来た患者さんに対して実施する回数はそれほど多いわけではありませんので、はっきり言って投資額を回収できるのは10年以上先の話。ですから、患者さんサービスの向上と、使う自分の自己満足的な部分が多いものです。

個人的には、ついに大学から離れることにしたことが最大の出来事でしょうか。まぁ、定年退職みたいなものです。東京女子医科大学膠原病リウマチ痛風センターに、開業後も非常勤講師として所属させてもらって、多少なりとも自分のモチベーションの一つにしていました。でも、辞めても、OBとしてのプライドみたいなものはありますし、人としての繋がりは残ります。

これで、自分のクリニック以外の仕事は、あとは横浜新緑総合病院でのリウマチ外来と横浜市社会福祉協議会のケアプラザの協力医ということになります。こういう仕事は、クリニックのためにもなっているわけですが、やはり体力的にきつくなってきたことは否めない。少しずつペンディングすることも視野に入れて、考えていきたいと思っています。


2018年12月28日金曜日

烏の会議

f/5.6  1/100sec  ISO-4000  180mm

夜明け直後、たくさんの鳥が空を舞っていました。

カラスだと思いますが、カメラを取り出したときには、一斉にマンションの屋上に落ち着いていました。

まるで、情報交換の会議でもしているんでしょうかね。

ヒッチコックの「鳥」を思い出すシーンでした。

もっとも、あまり怖さはありませんので、あえて白黒にして、ノイズも多めに出してみました。

これからネグラに帰っていくのか、それとも全員でゴミを漁りに行くのか・・・とりあえず、一斉に鳴かれるとうるさいでしょうね。


2018年12月27日木曜日

是枝裕和 #4 誰も知らない (2004)

原作のストーリーをドキュメンタリー風にきちっと構成したデヴュー作の「幻の光」、素人へのインタヴューを混ぜドキュメンタリーをストーリーに組み込んだ「ワンダフルライフ」。

そして、ほぼシチュエーション設定のみで、俳優たちの感性に任せた予定されたドキュメンタリーの「DISTANCE」という具合に、ノイ・フィクション映像作家としてスタートした是枝が、そのテクニックを映画に導入したスタイルの完成形と評価されるのが4作目となる「誰も知らない」です。

カンヌ映画祭で主演男優賞を受賞したこともあり、自分を含めて一般に是枝の名が知られるようになった記念碑的作品だと思います。

この映画でモチーフになったのは、実際にこどもたちを置き去りして母親がいなくなった事件でした。是枝の視点は、無責任な母親を非難するわけではなく、こどもたちの悲惨さを描くわけでもありません。

おおよそ1年にわたって断続的に撮影され、世間から隔絶された4人のこどもたちの、しだいに苛酷さを増していく生活を淡々と追いかけていきます。そのことが、物語にプロスペティクブなリアリティを産んでいます。

登場するこどもたちのナチュラルな演技はしばしば絶賛されますし、女優としてはかけだしのYOUの好演も光ります。有名な話ですが、台本にはほとんどセリフが無く、また子供たちには台本は渡されず、毎日その場で指導していたということ。

母親は、4人のこども(柳楽優弥、北浦愛、清水萌々子、木村飛影)を隠して暮らしていましたが、それぞれの父親は異なり、また出生届をだしていないため、こどもたちは学校に通っていませんでした。しかし、母親はまた恋人との暮らしのためいなくなってしまいます。

こどもたちだけの生活が始まり、長男は父親の立場で責任を全うしようとします。しかし、しだいにタガが緩み始め、生活は荒れていくのは必然だと言えます。映画ではそういう流れを、こどもたちの言葉や動きから、時には悲しく、時には楽しくきめ細やかにエピソードを積み重ねていくのです。

当然、このような生活はすでに破綻しているわけで、ゴールは悲劇しかありえない。突然の事故で次女を失いますが、こどもたちには普通に処理する方法を知りません。彼らのできることは、誰にも知られていない自分たちは、誰にも知られずに消えていくしかありませんでした。

タイトルの意味を考えてみましょう。この映画に出てくるこどもたちの現実を「誰も知らない」ということもあると思いますが、実際は知ったとしても「誰も知らない」ふりをしてしまうことに問題の深さがあると是枝は言いたいのではないでしょうか。

もちろん、映画の中のことで見ている我々も手の出しようがありません。でも、大家の奥さんが一度だけ家賃の催促でやってきて、部屋の中を覗きますが、けげんな顔をしただけで去っていく。これが、我々を含めた大多数の大人の態度を象徴しているように思えました。

見終わって、最後まで救いのない映画だと思いました。でも、楽しげに生き生きと暮らしているこどもたちのおかげで、後味の悪さは無く、名作として鑑賞できる作品に仕上がっています。

2018年12月26日水曜日

是枝裕和 #3 DISTANCE (2001)

3作目の是枝裕和監督の映画は、本人自ら認めているように、まさにどこまで映画として成立できるかの実験です。前作「ワンダフルライフ」のリメイク権をハリウッドが買ってくれたことでできた予算の余裕がなければ、商業映画としては絶対に作れなかったもの。

新進気鋭の映像作家の若さがなせる作品という言い方も、あながち無理がありません。つまり、一般に受け入れられるかどうかで成功か失敗かの二者択一ならは、どちらかというと失敗作。ただし、確実に伝わる現実味のあるメッセージを感じることができます。

ドキュメンタリー作家が、フィクションをどれだけノン・フィクションとして見せられるかということで、一番の特徴は台本にセリフがほとんどなかったということ。俳優には、キャラクターの説明と、最低限の行って欲しい言葉が書かれた紙だけが渡され、相手がどう出るかは知らされていませんでした。

つまり、ほとんどは俳優がその人物になり切って、初めて聞く相手の言うことに反応して、自然と口から出るだろうことを話すというのは、ほぼドキュメンタリーです。
音楽は一切無し。カメラは手持ちの一台で長回し。感度の高いフィルムを使用しているのか、ノイズが多めの画面がリアルさを増幅させます。

ドキュメンタリー作家としても、是枝が注目してきた「オウム真理教事件」をモチーフにしています。あるカルト教団が、大量殺人を実行してから3年目。教祖は自殺し、教団により暗殺された実行犯の遺族4人が、慰霊のため実行犯が潜伏していた山奥の湖に集まるところから話が始まります。

花屋で働く敦(ARATA)の姉の夕子(りょう)は、何かの歴史の終わりと始まりに立ち会うために教団に入っていきました。水泳コーチをしている勝(伊勢谷友介)の兄は、医学を志す半ばですが、医学では肉体しかなおせないことに不満を持ち出家します。

普通のサラリーマンの実(寺島進)の妻は、忙しくてしっかりと自分に向き合ってくれない夫を避けていくうちに教団に感化されていきました。そして、高校教師のきよか(夏川結衣)は大学での同級生の夫(遠藤憲一)とこどもと暮らしていましたが、夫は真理を探究するために家族を捨てて入信します。

4人は帰りに乗って来た車が盗まれて途方に暮れていましたが、元信者の坂田(浅野忠信)の案内で、かつてのアジトにしていた近くのロッジで一夜を過ごすことになります。坂田は次第に教団に対して疑問を持ち、事件が起こる直前に脱走していました。そこで、5人はいくつかの会話の中から、それぞれの家族が壊れていく様子を回想したり、語ったりするのでした。

翌朝、何とか通りがかりの車に拾われ駅に戻った4人は、それぞれの現在の家族に無事を連絡し、電車に乗り込みます。皆が寝込んだ時、坂田は寝てい無かった敦に声を掛けます。「夕子さんからは弟は数年前に自殺したと聞いています。ところで、あなたは一体誰なんですか?」

ある日の事、あの湖にやってきた敦は、桟橋から山百合を投げ入れると「とうさん・・・」とつぶやき、火をつけて炎をあげる桟橋を背にして去っていきました。

通常、何かの事件があると、メディアが取り上げるのは悪の加害者、悲惨な被害者、そして悲しみの被害者家族の三者のどれかの立場からの視点。ところが、ここでは加害者側の家族と言う、まったく新しい立ち位置から話が進みます。

最っも重大な加害者というと自殺した教祖であることは明らかで、その家族が登場するということはストーリーの枠をかなり大きく拡大するはずです。実は映画の冒頭で、敦が周囲からは父親と思われている入院している老人に対して、家族とは思えない会話をしていたことが最後に氷解した気がします。

いずれにしても、ほぼ全編にわたって俳優たちの芝居じみていない自然発生的な会話が、ある種のリアリティにつながり、予定調和を崩しているにも拘らず一本の映画として成立できていることはこの監督の一つの到達点であることは間違いありません。

2018年12月25日火曜日

是枝裕和 #2 ワンダフルライフ (1999)

是枝裕和監督の劇場映画第2作は、ずばり、ファンタジーをドキュメンタリー仕上げにした作品です。

テーマは、「あなたの今までの人生の中で、最も大切な思い出を一つだけ選んでください」というもの。第1作の「幻の光」は原作がありましたが、今回は監督自身のアイデアを自ら脚本に起こしました。

物語の舞台は、死んだ者が天国(?)に向かう途中に必ず足止めされる場所。そこでは、3日間の間に「大切な思い出」を一つだけ選び出し、次の2日間でスタッフがそれを映像化。そして6日目にそれを観賞し、その思い出だけを持って天国へ旅立っていくというもの。

一つだけと言われて、簡単に思い出を選び出せる人はなかなかいるものではありません。この施設のスタッフは、いろいろと話を聞いて、時にはその人の人生の概略が録画されたビデオを提供したりして手伝います。

スタッフを演じるのは、まとめ役の谷敬、実際に担当するのが、内藤剛志、寺島進、そして俳優デヴュー作となる井浦新(ARATA)の三人。研修中の新米に小田エリカ。ちなみにセリフの無い端役で木村多江が出演していますが、今と全く変わりませんね。

今回新たにやってきた亡くなった方々には、内藤武敏(若い頃を阿部サダヲ)、由利徹、白川和子、原ひさ子などの有名人もいますが、当時芸大の学生だった伊勢谷友介も起用されました。

そういう、まだ世間的に知られていない俳優と共に、実際に素人もたくさん死者の中に混ざっていて、彼らの演技ではない「本物の」インタヴューが、このファンタジーにリアリティを与えることに大きく関与しています。

前作では、カメラは俳優に寄らず客観的に視点に終始することで、ドキュメンタリー・タッチを醸し出していました。しかし、今回はしっかりと選ぶ側の渡辺老人(内藤武敏)と、選ばせる側の望月(井浦新)、そして望月に好意を持つ里中(小田エリカ)の三人を中心に、映画を見る側は彼らの心情を主観的に捉えようとすることになります。

しかし、完全にドキュメンタリー的な手法で撮影され編集されている映像は、俳優陣の演技すら素でやっているように見えてきます。また、変に感情を操作される音楽は排除され、映画に必要な音としての音楽以外はありません。

さて、物語は比較的簡単に思い出を選べる人もいれば、なかなか一つに絞れない人もいます。またフリーターの若者、伊勢谷(本人が希望して役名も同じ)は、いろいろ屁理屈を言って選ぼうとしません。

その中で、渡辺老人もなかなか選択できない一人で、望月は一緒に彼の人生ビデオを見ることになりました。その中で、老人が見合いをして結婚した相手を見た時はっとします。

実は、この施設のスタッフは、結局思い出を選択できず天国へ行けなかった人々だったのです。望月は渡辺老人と同世代で、終戦直前に婚約者を残して戦争でのケガが原因で亡くなったのでした。そして、渡辺老人のすでに亡くなった妻が、実は自分のかつての婚約者だったことに気がついたのです。

渡辺老人も、望月の命日などから彼の素性を察します。そして、ギリギリのタイミングで妻との何気ない日常を選択することができました。渡辺は望月に手紙を残し、謝意を残します。

望月は、渡辺の妻の選択した思い出を確認してみると、何とそれは自分とのデートの様子でした。そのことを知った里中は、望月に「ついに持っていく思い出を見つけてしまったのね。私のことも忘れてしまうことになる。自分は皆の事を忘れたくないから、思い出を見つけたりはしない」と言うのでした。

望月はかつて渡辺の妻と一緒に座ったベンチに一人で座り、それを撮影しているところを仲間が見守るシーンを映像化します。出来上がった映画を、全員で見終わった時、望月の姿は消えていました。

里中は独り立ちし、新たに思い出を決めなかった伊勢谷が研修生としてスタッフに加わり、新しい週がまた始まるのでした。

生きていくための思い出は必要ですが、無くても生きていけるし、また後から作ることもできる曖昧さみたいなものを指摘しているように思います。そして、思い出を映像化する、つまり映画を作ることそのものの難しさみたいなものも提示しているのかもしれません。

いずれにせよ、商業映画という制約の中で、かなり実験的なアートな作品作りだと思いますが、ファンタジー要素を取り入れることで成功した作品なのではないかと思います。

2018年12月24日月曜日

是枝裕和 #1 幻の光 (1995)

「幻の光」は、是枝裕和監督の初長編劇場映画です。また、主演の江角マキコにとっても、映画デヴュー作。

国内での評判は悪くはありませんでしたが、海外でも評価され第52回ヴェネツィア国際映画祭金オゼッラ賞、バンクーバー映画祭グランプリ、シカゴ映画祭グランプリを受賞しました。

監督の是枝裕和は、幼いころから映画に親しみ、番組制作会社テレビマン・ユニオンに入社、テレビ番組の制作に携わりました。1991年に初めてドキュメンタリーを手がけ、ドキュメンタリー作家として注目され始めました。

そして1995年に初めての劇場映画として作られたのが本作ですが、原作は70年代から人気作家だった宮本輝の短編小説。残念ながら、自分は原作読んでいません。しかし、宮本輝を知る方々からは、宮本の持つ雰囲気を原作以上に感じることができると評価されています。

出演は、主演の江角マキコ以外に、最初の夫に浅野忠信、再婚相手に内藤剛志、舅に柄本明、母親が木内みどり、その他にも比較的有名な方々が脇を固めています。

今でこそ凄いメンツが集まったと思いますが、当然江角は俳優デヴューですし、浅野も注目され始めたばかりの若手。内藤は中堅どころですが、やっと名が知られるようになった頃です。つまり、中心となる三人はいずれも、当時は今ほど有名ではありませんでした。

予算の制約もあったのかもしれませんが、このキャスティングは、ドキュメンタリー作家としてスタートした是枝の意図的な選択があったと思います。この物語は、理由がわからずに家族を失うトラウマを持つ女性を淡々と追い続ける、ある種のドキュメントです。

見るものが有名俳優によって、最初から一定の主観を持つことを避け、フィクションですがあくまでもノン・フィクションのように作ることを意図したように思います。ですから、これほどあらすじを書きにくい映画も珍しい。

尼崎の工場街、「下町」に住むゆみ子は、幼い頃に祖母の失踪を止めることができなかった心の傷を抱えていました。幼馴染の自転車が大好きな郁夫と結婚し、こどもが生まれささやかな幸せな日々を送っていた時、突然郁夫が「自殺」してしまいます。

数年して、妻に死に別れた子連れの民雄と再婚し能登半島の海沿いの寒村に移り住むことになりました。こども同士はすぐに打ち解けていき、ゆみ子もしだいに新しい家族、近隣の人々、そして厳しい自然に晒される能登の生活に慣れていきます。

しかし、弟の結婚式で尼崎に戻り、かつてのアパートを訪ねたゆみ子は、まったく理由がわからずに死んでいった郁夫の事が再び大きな心の重荷になり、能登に戻ってもふさぎ込むことが多くなります。

誰かの葬列の後ろをついていくゆみ子は、荼毘に付される炎をじっと見つめていましたが、迎えに来た民雄に「郁夫が死んだのは何故なんだろう」とに問いかけます。民雄は、「わけもなく引き込まれる光を見つけてしまうことがある」と答えるのでした。

好天に恵まれた日、民雄はこどもたちに自転車の乗り方を教え楽しみ、それを見ているゆみ子は舅に「いい日和になりました」と話しかけるのでした。

なんとかストーリーを拾っていくとこんな感じですが、セリフは少なく、積極的な説明もほとんどないので、ものすごく静かに話が進行していく感じです。本当に、どこにでもありそうな普通の会話がところどころにあるだけ。

それを全編にわたって距離を置いたロングショットで、印象的な風景の一部として捉えていきます。俳優のアップはごく稀で、表情による演技は無いと言ってもよい。また、屋内はあえて暗く、日中でも逆光での撮影を多用しているため、絶えず物語を客観的に淡々と進めていくのです。

また、あくまでも彼らを見つめる観客の視点を重視する横からの撮影にこだわったところも、映画の特徴を印象付けています。このあたりは是枝が、しばしば「小津」的と呼ばれる所以の一つのようです。

見ている側は、これらの手法により俳優たちに感情移入することはできません。もしも、登場人物の主観で描かれていたら、彼らの気持ちになって鑑賞することになり、何故祖母が失踪したのか、何故郁夫は自殺したのか、何故民雄は自分と再婚したのか・・・いろいろな疑問をきちっと解決しなければならなくなるでしょう。

客観性を重視するドキュメンタリーの手法により、ある程度の疑問を解決する糸口は見せつつも、絶対に分かるはずがない解答は、見る者の感性にその解決を任せたのは映画的に成功だと思います。

しかし、最後にゆみ子がある程度の心の開放を得ただろうという「救い」を見せることで、後味の悪さが無くなり、しずかに見終えることができたことも好印象でした。


2018年12月23日日曜日

ゆず湯(ただし昨日)

f/5.6  1/50sec  ISO-800  150mm

昨日は冬至。

一年の中で、昼間が一番短い日。暦の中では、冬の真ん中。

かぼちゃを食べる日という風習も広まっていますが、やはり、一番知られているのは冬至風呂と称して、柚子を入れた風呂。

冬至風呂は江戸の銭湯から始まったらしく、冬至(とうじ)と湯治(とうじ)をかけて、健康で融通(ゆうずう)が利くように願ったという、まさに江戸っ子の洒落。

アロマテラピーでも、柑橘系はイライラを解消して気持ちをリラックスさせる効果があるとされています。

何にしても、普段よりゆっくりお湯につかることで、しっかりと温まることができるのがいいのでしょうね。

2018年12月22日土曜日

The Shawshank Redemption (1994)

邦題は「ショーシャンクの空に」です。原題を直訳すると「ショーシャンク(刑務所)の救い」という感じか。

原作は「キャリー」「シャイニング」で有名なスティーブン・キング。キングというとホラー作家というイメージですが、映画化されたものでは「グリーンマイル」、「スタンド・バイ・ミー」、そして本作のようなヒューマン・ドラマも少なくありません。

この映画の監督は、ハンガリー出身のフランク・ダラボンですが、本作と「グリーンマイル」以外には、目立った作品はありません。

この映画は、公開時は興業的にも成功作とは言えませんでしたが、その後じわじわと人気が出始めて、今では世界中のランキングの上位に必ず選出されるほどの評価の高い作品となりました。

ただし、日本では公開時にキネマ旬報の年間一位になっています。ビデオ時代になって、「ブレード・ランナー」のように、もう一度見たいと思う、見たら感動するという評価が次第に浸透していきました。

1947年、妻殺しの冤罪でショーシャンク刑務所に収監された銀行員のデュフレーンは、調達家のレッドらと仲良くなり、劣悪な刑務所生活を送るようになります。刑務官の税金上の悩みを解決したことで、所長の隠し財産の管理を任されるようになりました。

デュフレーンは20年間におよぶ獄中生活を続けたのですが、ついに冤罪を証明できるかもしれない手掛かりを得ました。ところが、所長らによって証人を闇に葬られ、ついに嵐の夜に独房から消えていたのです・・・・

長く刑務所にいると、そこでの生活が身についてしまい、高齢になって釈放されても外の世界に馴染むことができないというエピソードが強調されています。最初にカメラが刑務所の外に出た時、それは元受刑者の老人の自殺を描いていました。

主人公は冤罪を晴らすことはできず、仲間のレッドも釈放されて外の世界に疎遠感を強くしています。刑務所の中にいても、外に出ても「絶望」しかない状況がつづられている中で、ラストのハッピーエンドに向かっての展開は、性急で違和感を感じました。

(原作には無いエンディングの付け足しもあって)見終わった後の後味の悪さはありませんが、結局主人公が冤罪である必然性が薄れてしまった感は否めません。いくつかのテーマが混在して、最終的にいいとこどりした結末でまとめたというところ。

というわけで、アマノジャクな自分としては、平均点のヒューマンドラマという位置づけになりそうです。見る価値はありますし、人に勧めることもできますが、基本的に一度見ればいいかなと思っています。

2018年12月21日金曜日

バス停までの長い道のり



・・・というと、どんだけぇ~という話ですけど、ふだん運動不足で、通勤も車に頼る自分からすれば、この道が精神的にこたえるんです。

真っすぐに道が続いて、突き当たりがバス通り。ゴールが見えているのため、けっこう遠いなぁと思ってしまいます。

Google Mapで確認してみると、たかが200m程度ですから、世界のトップ・ランナーが走れば30秒とかからない距離。実際に自分が歩いても、5分もかかっていないはずなんですけどね。

2018年12月20日木曜日

割烹 SEKIDO @ あざみ野


昨日は、リウマチ勉強会の仲間との忘年会。

あざみ野駅の近くにある割烹の店・・・というと、和食なんですが、ここは和と洋をバランスよく混ぜた創作料理を食べさせてくれます。

ですから、日本酒というよりも、ワインが似合う店。いや~、3人でフルボトル3本、ハーフ1本・・・けっこう飲み過ぎたかも。


何しろ美味しい料理があって、楽しい雰囲気で、酒が進まないわけがない。

器もなかなか楽しい。飾りつけも年末模様で見事です。

2018年12月19日水曜日

街は年末モード全開


やっと寒くなった・・・・ら、かぜひいてしまいました。

ふだんから、体調管理にはご注意くださいとか言っている立場としては、何とも情けないわけです。

多少の鼻詰まり感が残っていますが、だいたい落ち着いてきました。

医者の場合、自家診療の禁止というのがあって、自分の保険を使って自分に処方したりできません。といって、クリニックを閉めて他へ受診するわけにもいかない。

というわけで、普通の市販薬に頼りました。×××ブロックとか、××ァリンとか・・・

気がつくと、街はクリスマスから年末の雰囲気ばりばりで、もうほとんど今年は終わりました感があります。実質、あと1週間ちょいですから当然ですね。

2018年12月18日火曜日

Apollo 13 (1995)


1995年、アメリカ映画。監督はロン・ハワードで、のちに「ビューティフル・マインド」や「ダヴィンチ・コード」で知られますが、監督としての知名度を決定づけた作品と言えます。


アメリカの宇宙開発は、50年代のとにかく人を宇宙に送り出すマーキュリー計画から、人を月に降り立たせるアポロ計画へと推移していきました。

故ケネディ大統領は、1961年の演説で「10年以内に月に人を送り込む」と宣言しました。日本の高度経済成長のような「国威高揚」のためのスローガンの一つだと思いますが、アメリカの科学技術者は一丸となって月旅行を目標にしたわけです。

アポロ計画では、一号が発射台で火災を起こし搭乗員3名が死亡しましたが、その後は順調に計画が進行し、ついに1968年に11号が月面への着陸に成功しましたが、目標が達成されると、人々の関心は急速に消退していきました。そこで、再び全米の注目を集めたのがアポロ13号(1970年)でした。

月への往路で、爆発事故により致命的な破壊が起きたのです。宇宙船の中で生存し帰還する戦いは、搭乗していた3人の宇宙飛行士だけではなく、地上の管制塔でも多くの人がスタッフがこの難題に挑み、そして成功させたのです。これは「成功した失敗」として、NASA史上に記憶されることになりました。

この映画では、その実際にあった宇宙サバイバルを映像化することに成功しています。一般的に知られている事実からすると、かなり忠実に再現している感じで、フィクションはほとんど無いらしい。

その割には、全編にわたって緊張感が続くのは、まさにこれが「事実」だったということ。特に、最後の大気圏突入で通信が途絶えた後、「3分間で通信が回復しないと死を意味する」中での、早送りされない映画の4分間のサスペンスがすごい。

この緊迫感のおかげで、無線が回復した時、映画を見ていた者も50年近くの時をタイム・スリップして、本当に良かったと感動を爆発させることができるわけです。

来年早々に公開が予定されている"FIRST MAN"という映画では、月面着陸を初めて成功させたアポロ11号が題材にされています。順番はまちまちですが、いくつかある宇宙開発をテーマにした映画を総復習して待ちたいと思います。

2018年12月17日月曜日

The Hidden Figures (2016)

直訳すると「隠れている数字」ということですが、確かにそれだとこの映画の内容が伝わりにくい・・・と思った配給会社がつけたタイトルが「ドリーム」です。

ただし、これがけっこう大問題になった。初めにつけたタイトルは「ドリーム 私たちのアポロ計画」というもので、実はこれはその前のマーキュリー計画の話なので、アポロ計画は無関係。

いろいろと批判が噴出して副題が公開の間際に削除されたわけですが、それでも「ドリーム」はどこから来たのか?

おそらく、黒人3人のコーラス・グループのシュープリームスを題材にした映画「ドリーム・ガールス」を意識したことは間違いない。

できるだけ興行成績を上げるために、いろいろと邦題を考えるんでしょうけど、これに関してはあまりいただけません。それでも、映画そのものが良かったので救われました。

アメリカの威信を賭けた宇宙開発で、最初に人を宇宙に送り出したマーキュリー計画を天才的な頭脳で支えた3人の黒人女性の話です。基本的には実話ですが、もちろん映画的な創作・脚色は混ざっているようです。

まず驚くのは、現代では、特に日本人からは想像できない黒人に対する合法的な差別が「自由の国」アメリカにあったということ。まるで、アパルトヘイト時代の南アフリカじゃないですか。

その中で、積極的な人権運動をするわけではなく、黙々と自分の頭脳をフル回転して責務を果たし、認められていく三人に対して、惜しみなく拍手を送りたくなります。

そして、もう一点も今のようなコンピュータは無い時代、すべての高度で微細な計算をすべて人がこなしていたということも驚きます。当然と言えば当然ですが、60年代は確かに大型電子計算機が導入される本当の黎明期です。

どうしても、実際に宇宙に行ったパイロットたちに焦点が当たりやすいところですが、影で支えていた地上スタッフの努力の量も相当なものだったということ。

映画は、三人の女性たちの葛藤だけでなく、家族との小さな幸福も交え、ストーリーがテンポよく展開していきます。アカデミー賞などでは無冠に終わりましたが、十分に名作として讃えることができる作品です。

2018年12月16日日曜日

2018年 気になった出来事

平成最後の師走も半分過ぎて、まだ2週間あるというのに、ほとんど終了という雰囲気です。そういう意味では、12月後半は毎年急ぎ足で気の毒な期間。

何とか体面を保っているのは、舶来のクリスマスがあるおかげかも。もしも、クリスマスがなかったら・・・

実際のところ、暦の区切りでしかないので、昨日と今日、今日と明日に差が無いのと同じで、去年と今年、今年と来年であまり違いは無いだろうと。そのあたりは、年を取るほど強くなってくる感じです。

ですから、毎日が惰性のように流れていくのも困りものですから、逆に区切りを意識しておくことは悪い事じゃありません。

そこで、お決まりの今年の大きな出来事を思い出してみます。

まずはスポーツ関係。一番は3月の平昌五輪でしょう。特に、スケートの羽生選手の金メダルは印象的でした。若者の活躍が中心ですから、未来的な活気があってよかったです。

5月に表面化したのは、日大アメフトの悪質タックル問題。これを皮切りに「パワハラ」問題が各方面から噴出。物事に対する価値観が、大きく変容していることに気がついていない人々が大勢いるということ。

6月はサッカーのワールドカップ・ロシア大会。日本は直前の監督解任がありましたが、期待以上の活躍を見せてくれました。

そして去年からもやもやが続いていた角界の暴力事件は、結局もやもやもやもや。登場した非権力側の全員が消え去ることことで、最終的に幕引きがされた感じです。

続いて国内ニュースから。清水寺で発表される、今年の漢字は「災」でした。7月の西日本豪雨災害、9月の北海道地震などがありました。

医学部不正入試問題は、自分の仕事柄注目度が高いニュースでした。基本的に私立大学が、独自の基準のもとに入学者を選別することはある程度許容できるとは思います。何にしても、一度だけの入学試験は、万人に平等ではありえない。

むしろ、内輪を優遇したり、男女を問わず優秀な学生を排除してしまうことは、大学としての力を落としていくことに気づくべきなのではないかと思います。

オウム真理教事件死刑囚の刑の執行は、当然のことではありますが、いざ実行されると驚きを禁じえませんでした。平成を代表する凶悪事件ですが、ついに歴史の中に埋もれていくように思いました。

そして、今も進行形である衝撃的な出来事が、日本の経済界を支えるトップ何人かの一人である日産のカルロス・ゴーン氏逮捕。今のところ、我々一般人には、どういう事なのかはほとんどわかっていません。

世界レベルで注目される話なので、捕まえてからゆっくり調べるのではなく、早急に事実を明らかにしていかないと、日本が世界中から非難される材料にしかならないという危惧があります。

世界に目を向けると、やはりいろいろな意味で注目されたのがアメリカ大統領。相変わらずの「自分」第一主義に磨きをかけ、中間選挙での評価としても半分のアメリカ人がそれを指示しているという結果は・・・

もともとから愛国主義国家である中国は、国家体制を強化していて、今やアメリカと対等かそれ以上の脅威となっています。アメリカとの経済戦争の先行きはまったく不透明。

北朝鮮は対外威圧行動を止めて、関係国との対話外交に作戦を転じたように見えます。経済的に強気な外交を行うことが難しくなってきた、あるいは国内的に批判勢力が強まってきたということかもしれません。ただし、その方向性は流動的で、これもまだまだ先は見えていません。

ヨーロッパでも、イギリスのEU離脱は難航。ISは鳴りを潜めましたが、世界中のテロ事件も続いている。とにかく世界中で、不確定要素が増加の一途をたどるだけの一年だったのかもしれません。

2018年12月15日土曜日

The Right Stuff (1983)


冷戦時代に、アメリカ合衆国とソビエト連邦は、宇宙の覇権を巡って熾烈な競争を繰り広げていました。

・・・そもそも平成生まれの人たちには、ソビエトって地球のどこにあるのかと言われそうですが、その中でアメリカが計画したのがマーキュリー計画とアポロ計画でした。

この映画は、マーキュリー計画を主軸にして、とにかくスピードの壁に挑んでいくパイロットたちの生き様を淡々と描いていきます。タイトルの"Right Stuff"は、「正しい資質」という意味。

第2次世界大戦のときに優秀なパイロットだったチャック・イェーガーは、テスト・パイロットとして、次々と最高速度・最高高度の記録を塗り替えていました。しかし、彼は、一人の才能によって成功が導き出される古き良き時代の遺物となりつつありました。

宇宙を目指すための組織が整備され、国家の威信をかけて、その管理下に厳重なプログラムにはめ込まれた次世代のパイロットたちが養成されていく過程を追いかけていきます。

一見、際立った大きな事件があるわけではありませんが、3時間の長丁場が意外なほど短く感じられるほど、次はどうなるのか目が離せない展開は監督・脚本を担当したフィリップ・カウフマンの技量なのかもしれません。

ただしねカウフマンは、はっきり言ってこの作品でだけ記憶に留まる程度で、必ずしも映画人としてハリウッドで成功したとはいえない。やはり、宇宙飛行計画そのものがドラマティックであり(一部を除いて実話に基づく)、戦後のアメリカを大きく推進したエンジンの一つだったということ。

アカデミー賞では、メインの受賞はありませんでしたが、自分の中では名作として位置づけられる素晴らしい映画です。

2018年12月14日金曜日

DESTINY 鎌倉ものがたり (2017)

ちょうど1年前に公開され、今年の正月映画としてヒットした作品。監督は「ALWAYS 三丁目の夕日」シリーズの山崎貴で、得意の特撮を駆使した昭和感が色濃く漂うファンタジーです。

幽霊・魔物・妖怪が日常的に登場する鎌倉に住む作家の一色正和は、亜紀子との新婚生活を始めます。ある日、亜紀子が体を失い幽霊となり黄泉の国へと旅立ってしまったため、正和は意を決して黄泉の国へ行くことにします・・・

まず、間違いなく言えることはこどもが一緒に見ても、まったく問題ない、実写版ジブリ・アニメのような内容ですが、実力派の演技陣を配して、嘘っぽい内容を感じさせないしっかりとした絵作りが好感を持てました。

あえて文句を言うなら、特撮が目一杯使われていますので、その世界に入るための細かいエピソードがもう少し欲しかったかもしれません。

それでも、主人公たちに感情移入するための努力はだいぶしたんでしょうから、後半の悪役とのアクション部分(物語の解決部)が駆け足で短めですのであっさりした感は否めません。全体で120分を超えているので、さすがにこれ以上長くもできませんね。

消化しきれなかったサイドストーリーもいくつかありましたので、この特撮のクオリティを保ちつつ10回の連続ドラマでやれれば、すべての内容をきっちりと描き切れるかもしれません。

2018年12月13日木曜日

カプリコン・1 (1977)

1977年というと、「スター・ウォーズ」の年。以後、「スーパーマン」、「エイリアン」などのシリーズ化するSF物映画が大人気になりました。

「カプリコン・1」は、NASAが初めて送り出す有人火星着陸計画が、実は大ウソだったという話で、SF的ではありますが、どちらかというと陰謀物のアクション映画という感じ。

華々しい特撮が活躍するSF映画の陰に隠れて、何となくB級映画みたいな扱いをされていることがよくあるんですが、映画としてはけっこうよくできています。

基本的にはフィクションですが、この映画がNASAのアポロ計画での「月面着陸は実は嘘だった」という都市伝説を作り出したともいわれています。

飛行士たちが乗り込み、いよいよ発射だという間際に、飛行士は強制的にロケットから降ろされ、砂漠の基地に連れていかれます。

そこで聞かされたのは、装置の不具合からこのミッションが失敗することが判明したため、批判をかわし宇宙開発予算を削減されないために、用意された「火星」風のステージでテレビ用に本物らしく演技をしろというもの。

飛行士たちは家族を人質に取られ、不本意ながら「演技」をするのですが、NASAの怪しい動きを嗅ぎ付けた新聞記者が真相にせまります。

当初協力的だったNASAは、試写を見た後協力を拒否しました。そりゃそうです。NASAが有人火星着陸を捏造するという話なんですから。

2018年12月12日水曜日

おしゃれな街

from iPhone

何をおしゃれとするのかは、評価の基準はまちまち。

好きか嫌いかみたいなもので、個人の価値観を反映する主観的なものです。

例えば、カラフルでコンパクトな自転車が置いてあったり、入り口に観葉植物を飾ったり。ショーウィンドウのディスプレイはカントリー風で、アルファベットのレタリングもセンスを感じます。

一方で、ビルの壁だけは店の考えがあっても変えようがなく、この白いタイル張りはコストパフォーマンスはいいけどいただけません。例えば、煉瓦作りならポイントアップだったかもしれません。

こういう感じの店先は、たまプラーザ駅付近でも多少は見かけるんですが、都内に入ればかなり多くなる。駅から離れた場所でも見かけるところが、かなわないかと。


2018年12月11日火曜日

今度こそ冬?

from iPone

まるで夏から延々と続く残暑のようでしたが、やっと寒くなって冬らしくなってきました。

・・・って、もう年末も近いわけですから、やっとという感じなんですが、天気予報ではまた温かさが戻るようなことも言っています。

数年前に、一年を通して七十二候を追いかけてみた時は、現代でも暦は的確に季節の変化を表していると思いました。

ところが、今年は夏以後実際の季節の変化がゆっくり過ぎて、暦についていけていない。季節の変化を土台にしている文化はたくさんあるので、今後が心配になります。

温暖化の影響とか、一言で言ってしまえば簡単ですが、日本、いや世界、いやいや地球はどうなっていくんでしょうかね。

2018年12月10日月曜日

The Wall (2017)

イラク戦争末期、要請により偵察に赴いた二人のアメリカ兵が、敵の伝説的なスナイパーに狙われます。一人がやられ、残ったアイザックは負傷して崩れかけの壁に隠れます。

そこに無線機を通じて流れて来た敵の声。相手は、いろいろな質問をしたり、逆にこちらの問いかけに返事をしなかったりと、様々な揺さぶりをかけてくるのでした。

・・・という、戦争映画というよりは、見えない敵による心理的な戦いという、ある種のサイコスリラーのような感じです。

まず、驚かされるのは、この映画がAmazon謹製ということ。へぇ~、こんなところにまで進出しているんだとびっくり。

次に驚くのは、画面に登場する人物は、ほぼアメリカ兵の二人だけ。一人は、ほとんど壁の向こうに倒れているので、まともにセリフがあるのはアイザックだけ。相手のスナイパーは、無線からの声だけです。

さらに、場面もほぼ壁のこっち側だけという、かなり限定的な状況の中で話が進みます。

これらを実験的とか、斬新とか褒めるかというと、これまでにもこういう映画はあるんですが、やはり映画としての面白みには欠けることは今更言うまでもありません。

映画としての自由を捨てると、それは舞台劇になってしまうわけで、そう思って見ればセリフ劇として面白い・・・かというとそうでもない。

ほとんど一方的に、アイザックは追い詰められているだけで、優劣の立場は最後まで逆転するわけでは無いので「心理戦」とは言えず、単に絶望にむかっていくだけという感じです。

90分という比較的短い上映時間なのですが、これ以上の長さではもたないということも言えるかもしれません。

2018年12月9日日曜日

愛と青春の旅だち (1982)

基本的に恋愛映画は苦手。甘ったるいセリフを聞いていると、何か、こっちが恥ずかしくなってしまう感じて、真面目に最後まで見る気になりません。

恋愛もので最後まで見れる数少ない映画の一つがこれ。だいたい、タイトルからしてかなりベタな邦題ですが、オリジナルは"An Officer and a Gentleman(士官と紳士)"というもので、邦題の方が内容を直感的に表現しているのかもしれません。

公開当時、主題歌のヒットして大人気を博した、今や大物になったリチャード・ギアの出世作の一つ。退廃的な生活を止めて、士官学校に入学した若者が、いろいろな試練を乗り越えて街の女性との恋を成就させる・・・ラストは「よくやった!!」と思わず拍手喝采したくなるハッピーエンドです。

ここで取り上げるのは、アメリカの士官学校が取り上げられているから。この時期、立て続けにいろいろな形で映画に登場しました。

キューブリックの「フルメタル・ジャケット」では、ある意味、映画の主人公でもあるパワハラ度マックスの鬼教官が登場し、新兵の人格を否定して殺戮マシーンへ作り替えていきます。

イーストウッドの「ハートブレイク・リッジ」は、今や時代遅れとなった老兵が、教官としていかにも今どきの若者らしい兵士を、彼らに媚びることなく鍛え上げていく様子が描かれました。

この映画では、士官学校は主人公の人間的成長の場です。フルメタのような鬼教官はいますが、これがまた実に人間味がある。厳格で妥協せず鍛えるのは、生徒が死なないようにするためであり、それがまた国家のためという実直さからきていることがよくわかる。

軍曹である教官にとって、生徒が卒業し下士官になることは一つの仕事を終えたことを意味し、かつての生徒に"Sir"を付けて呼ぶことが一つのけじめです。

描かれる訓練は似たり寄ったりのところがありますが、どこに視点を持っていくかによって物事のいろいろな側面が見えてくるような気がします。

2018年12月8日土曜日

ハートブレイク・リッジ 勝利の戦場 (1986)

無条件に好きな、クリント・イーストウッドの1986年の監督・主演作。

久しぶりの戦争物ですが、あからさまにイーストウッドも年を取ったんだなと思った作品として記憶しています。ただ、年を取ったことを隠すわけではなく、年相応をうまく消化しているようにも思いました。

イーストウッドの役どころは、引退間近のたたき上げの軍曹。軍人としては有能で現場での仕事に固執しますが、私生活では妻に逃げられ、酒を飲んでは暴れてしまうダメ男です。

映画のあらすじは、退役前の最後の仕事として、いまどきの若者が集まる小隊を鍛え上げることになり、実戦での勝利へ導くというもの。ただし、時代は1983年のグレナダ侵攻で、アメリカとしてはベトナム以来の大規模軍事行動でした。

ここでイーストウッドは、ハスキーな声をさらにつぶして喋るので、それだけでもこれまでとはだいぶ雰囲気が違います。鬼教官としては、考え方の違う若者に対して、ひたすら鍛え上げたパワーで若者を圧倒します。

直接的に若者を殺人機械に変えていくのではなく、少しずつ彼らの信頼を得ていくのは現代的というところ。教練の風景は、キューブリックの「フルメタルジャケット」とあまり変わりませんが、人間味がありました。

上司たちは士官学校出身の実践経験の無い「書類バカ」で、むしろ機械化しているのは彼ら上層部の「サラリーマン指導者」たちでした。戦争は作戦室ではなく現場で起こっており、実戦の中では臨機応変に対応して生還することが兵隊の任務として大事であるということ。

イーストウッドは、一匹狼的な役どころが多いのですが、ここでは親分肌の男イーストウッド炸裂という感じで、日本ではいまだにブルーレイ化されていませんが、ファンとしてはお気に入りの一本に並べたい作品です。


2018年12月7日金曜日

Full Metal Jacket (1987)

「シャイニング」でヒットを飛ばしたスタンリー・キューブリック監督の7年ぶりの作品。

毎回、違ったシチュエーションの映画を作って来たキューブリックですが、何とベトナム戦争を題材にしたというので、当時も驚いた記憶があります。

キューブリックは飛行機に搭乗するのが嫌いで、その頃イギリスに住んでいたので、何とイギリスの中ですべての撮影をしています。廃工場を利用して戦場を再現し、たくさんの木を植えこんでベトナムを作り上げました。

ところが、映画の製作に取り掛かった後から始まった別のプロジェクトに先を越されてしまいます。それがオリバー・ストーン監督の「プラトーン(1986)」で、ベトナム戦争でのアメリカの混迷を描いてアカデミー賞を取りました。

この結果、キューブリック作品は否が応にも比較される事態になり、またキューブリックだからという普通よりも過大な期待を寄せられた結果、興業的には必ずしも成功とは言えませんでした。

前半は、海兵隊に入隊した若者が、過酷な訓練を受け殺人マシーンとして出来上がっていく過程を淡々と描いていきます。最後に、劣等生が卒業の日に鬼教官を射殺して自殺します。

後半は、一転してベトナムに配属された新兵の彼らが、廃屋で見えない狙撃兵によって、一人、また一人と倒されていきます。やっと狙撃兵を発見すると、それはゲリラの少女でした。少女を射殺し、仲間の死を乗り越えて、なおも続くのが戦争なんだという・・・・

少なくとも勝ち負けのストーリーを中心とする単なるアクション戦争映画とは違いますし、戦争の渦中で病んでいく「プラトーン」や「デア・ハンター」のように戦争の非を前面に出しているわけでもありません。

それにしても、新兵の訓練シーンは印象的。登場する鬼教官を演じたのは退役軍人のリー・アーメイで、今年の4月に亡くなりました。実はこの時は演技指導スタッフで参加したのですが、あまりに素晴らしいということでそのまま出演したらしい。

俗語の嵐で、英語のセリフはまったく何を言っているのかわかりませんが、字幕で見ていてもおそらく「罵詈雑言」とはまさにこれだというくらいすさまじい。徹底的に新兵の人格を否定して、人を殺すことにためらいを感じられないように仕向けていくのかと。

おそらく、キューブリックはこの映画で、単に「戦争とはこういうものだ」ということを見せようと思ったのかもしれません。戦場以前でも、人を殺す前に人を壊していくというのも「戦争の一部」ということなんでしょうね。

2018年12月6日木曜日

センター南の色づき

f/2  1/400sec  ISO-100 35mm

本当に12月? と言いたくなるような温かさが続き、季節感もあったもんじゃない日々が続きます。

でも、このあと急に寒くなるらしいので、衣服の選択が難しい。体調管理が大変ですので、体調管理には注意が必要そうです。

クリニックのあるセンター南駅前はいろいろな樹木が植えてあるので、晩秋から初冬にかけて色とりどりの紅葉が楽しめます。

今年は、やっと緑・赤・黄のコントラストがはっきりしてきたんですが、見てわかるように葉のボリュームが「斎藤さんだぞ」です。大半の葉が落ちてしまっているので、ずいぶんと寂しい事この上ない。

また、来年に期待するしかありませんが、季節の変化が変わってきているので、今後はどうなるんでしょうかね。

2018年12月5日水曜日

The Shape of Water (2017)

どうせ見るなら素晴らしい映画を見たい、というのは当然のこと。

そこでアカデミー賞というのは、どれを見るかを探す時の一つの参考として無視できないものなんですが、必ずしも映画そのもの意外の理由で選ばれているように思えることも少なくない。

今年のアカデミー作品賞に選ばれたのは、「究極のファンタジー・ロマンス」のうたい文句がつく「シェイプ・オブ・ウォーター」でした。

口を利くことができない娘が、研究用の半魚人との間で心を通わせ、それは次第に愛に変わる。彼女は、研究のために殺されそうな半魚人を脱出させ、二人は海に戻っていく・・・

まぁ、確かにファンタジーです。間違いなく究極の愛の形の一つなのかもしれません。素晴らしい映像美ですし、いくつもの賞をとることにやぶさかではありません。

ただし、自分の感想としては、そもそもそれなりにリアル(?)っぽい半魚人に対して感情移入できないというところ。もう少し人間らしい外観ではいけなかったのかなぁ。

そして、もう一つ問題は、この映画は成人指定というところ。何で? という感じ。

これは冒頭ですぐわかるんですが、主人公の女性のいきなりの入浴シーンがあります。ここまで全裸をさらすだけの必然性がわからない。こういうと申し訳ないのですが、主役の女優さん(サリー・ホーキンス)はアラフォーで美人ではありませんしね(スミマセン)

さらに途中でも、なんでここでセックス・シーンがでてこなきゃいけないのかという・・・気分が分断されてしまい、せっかく話に入っていても現実に戻されてしまう感じでした。

というわけで、自分的には良くできた映画の一つというところで、★三つです。


2018年12月4日火曜日

Yellow Road

f/5.6  1/125sec  ISO-100  200mm

黄葉はいまいちだった近くの銀杏並木でしたが、急ぎ足で落葉が進んだので、歩道が黄色の絨毯を敷きつめたようになっています。

通りすがりとしては、きれいでいい。早朝ジョギングをする人も、足に優しくていい。ただし、なんでもいいというものではありません。

前の家の住人の方が、せっせと早朝から掃除をして取り除いているところもけっこうあるので、まばらにアスファルトが覗いています。

もっと冷え込むと、朝露が降りると滑りやすくなく危ないですよね。今のところ、温かい冬が幸いして、その心配はありませんけど。

2018年12月3日月曜日

Blade Runner 2049 (2017)

やっと見ました。Blurayですけど。

前作が1982年でしたので、"正統派"続編となる「ブレード・ランナー2049」まで35年もたったんですね。

映画の中の話は、前作が2019年のこと(って、来年の話やないかい!!)。続編は2049年で、30年後の話という設定。この間に起こったことは、予備知識として知っている必要があるんですが、ご親切なことに3本の短編が用意されています。

Blurayにも含まれていますし、ネットでも見れるので是非見ておいた方がいいのですが、簡単に整理しておくと・・・

人間がするには危険な作業などを任せるために作られたレプリカントだったのですが、彼らにも感情が生まれてくるため、安全装置として4年間の寿命が設定されていました。

これを何とかしたいというレプリカントと、地球に紛れ込んだレプリカントを排除するブレード・ランナーとの個対個の戦いが前作の話。

その後、寿命の設定を無くした型のレプリカントが製造されますが、人間との確執が増大していきます。レプリカントは大気圏で核爆発をおこし、LAは大停電となりほとんどのデータが消滅しました。

タイレル社は潰れるのですが、その資産を受け継いだウォレス社は、さらに従順な新型レプリカントを製造しのし上がります。

そして、いよいよ本編の話ですが、まず公開時の評判もおおむね好評だったようですが、一応続編としての出来は悪くはありません。

ただ、前作のようなストーリーと関係ない所の雰囲気を醸し出す作り込みはあまりありません。そのあたりがマニア的に楽しみだったのですが、今回は人間とレプリカントの関係により深く切り込んだストーリーが中心です。

ただし、敵対するのは新型と旧型のレプリカント同志で、そこへ大いなる野望を抱いているウォレス社が大きく絡んできます。

さらに言うと、明らかに話が完結しているとは云い難く、さらに20年後くらいの続々編が登場する余韻を残しています。たぶんそこでは、いよいよ人間とレプリカントとの間で戦争になっていく・・・・んじゃないかみたいなところなんでしょうか。

キューブリックの「2001年」の続編として作られた「2010年」は、まったく別物でした。にもかかわらず、「2001年」の謎をほとんど説明してしまいました。

「2049」は同じリドリー・スコットが絡んでいるだけに、前作の謎をうまく引き継いで、さらに膨らませているところは悪くありません。

ただし、映画としては、もちろん前作を超えるだけの名作とは言えないでしょう。まぁ、これはしょうがない。ブレード・ランナーのファンなら見ておいて損はありませんが、前作を★五つとするなら、★三つくらい。

2018年12月2日日曜日

帰り道の目印

f/4.5  1/125sec  ISO-25000 58mm

もう、今からちょうど50年前、半世紀たったということなんですが、実は家に帰る時の目印になったのが、夜明け間近に東の空に輝く星だったんですね。

・・・って、なんのこっちゃ、と思うでしょうが、実はこれは「ウルトラセブン」の話。

地球の平和のために戦い続けボロボロになったセブンは、最後にアンヌ隊員に「西の空に、明けの明星が輝く頃、ひとつの光が宇宙へ飛んでゆく。それがぼくなんだ。…さよならアンヌ」と言い残して最後の戦いに挑んでいくのでした。

おお~、かっこええなぁ。男前やなぁ。当時、リアルタイムで見ていても、かなり心に残った場面。その後、大人になっていろいろなメディアで再度見ても、それなりに感動できる名場面です。

・・・ただ、あれっ? 何かおかしくないか。

「明けの明星」と言ったら、金星の代名詞です。実は金星が見えるのは、東の空です。西の空には朝焼けは起こりません。

これは、かなり昔から指摘されていたことらしく、実はセブンは金星の方向に去っていくのではなく、「明けの明星が輝く頃、西の空にひとつの光が宇宙へ飛んでゆく」というなんだと。

つまりセブンは帰る方向を説明したのではなく、帰る時間帯を説明したということ。

でも、実際の映像ではセブンは明るい星に向かって飛び去って行くんですけどね・・・

2018年12月1日土曜日

師走スタート


・・・にもかかわらず、やっと見つけた今年の「ちいさい秋」です。

仙石原あたりまで足をのばせば、このくらいの光景はいくらでもありそうです。でも、ここらの街中では、まばらに生えているすすきはいくらでもありますが、絵になるものはあまりない。

これもまばらな一つではあるんですが、人物写真ならダメダメの逆光が、すすきを仙石原並み(?)にしてくれました。

穂先の細かい隙間に陽の光が入り込んで、半色の綿毛のように見えました。

写真を撮っていると、横を通り過ぎたおばちゃんが、「きれいよねぇ~」と声をかけてくれました。