原作のストーリーをドキュメンタリー風にきちっと構成したデヴュー作の「幻の光」、素人へのインタヴューを混ぜドキュメンタリーをストーリーに組み込んだ「ワンダフルライフ」。
そして、ほぼシチュエーション設定のみで、俳優たちの感性に任せた予定されたドキュメンタリーの「DISTANCE」という具合に、ノイ・フィクション映像作家としてスタートした是枝が、そのテクニックを映画に導入したスタイルの完成形と評価されるのが4作目となる「誰も知らない」です。
カンヌ映画祭で主演男優賞を受賞したこともあり、自分を含めて一般に是枝の名が知られるようになった記念碑的作品だと思います。
この映画でモチーフになったのは、実際にこどもたちを置き去りして母親がいなくなった事件でした。是枝の視点は、無責任な母親を非難するわけではなく、こどもたちの悲惨さを描くわけでもありません。
おおよそ1年にわたって断続的に撮影され、世間から隔絶された4人のこどもたちの、しだいに苛酷さを増していく生活を淡々と追いかけていきます。そのことが、物語にプロスペティクブなリアリティを産んでいます。
登場するこどもたちのナチュラルな演技はしばしば絶賛されますし、女優としてはかけだしのYOUの好演も光ります。有名な話ですが、台本にはほとんどセリフが無く、また子供たちには台本は渡されず、毎日その場で指導していたということ。
母親は、4人のこども(柳楽優弥、北浦愛、清水萌々子、木村飛影)を隠して暮らしていましたが、それぞれの父親は異なり、また出生届をだしていないため、こどもたちは学校に通っていませんでした。しかし、母親はまた恋人との暮らしのためいなくなってしまいます。
こどもたちだけの生活が始まり、長男は父親の立場で責任を全うしようとします。しかし、しだいにタガが緩み始め、生活は荒れていくのは必然だと言えます。映画ではそういう流れを、こどもたちの言葉や動きから、時には悲しく、時には楽しくきめ細やかにエピソードを積み重ねていくのです。
当然、このような生活はすでに破綻しているわけで、ゴールは悲劇しかありえない。突然の事故で次女を失いますが、こどもたちには普通に処理する方法を知りません。彼らのできることは、誰にも知られていない自分たちは、誰にも知られずに消えていくしかありませんでした。
タイトルの意味を考えてみましょう。この映画に出てくるこどもたちの現実を「誰も知らない」ということもあると思いますが、実際は知ったとしても「誰も知らない」ふりをしてしまうことに問題の深さがあると是枝は言いたいのではないでしょうか。
もちろん、映画の中のことで見ている我々も手の出しようがありません。でも、大家の奥さんが一度だけ家賃の催促でやってきて、部屋の中を覗きますが、けげんな顔をしただけで去っていく。これが、我々を含めた大多数の大人の態度を象徴しているように思えました。
見終わって、最後まで救いのない映画だと思いました。でも、楽しげに生き生きと暮らしているこどもたちのおかげで、後味の悪さは無く、名作として鑑賞できる作品に仕上がっています。