年末年始診療 12月29日~1月5日は休診します

年内は12月28日(土)まで、年始は1月6日(月)から通常診療を行います

2009年1月31日土曜日

愛妻の日

1月も早くも晦日。今日は「愛妻の日」だそうですよ、皆さん。いつの間にか、決まっていたようです。131で愛妻。

どこかの宝石店か花屋が商売繁盛を願って作ったのかと思ったら、なんと、日本愛妻家協会というのがあって、そこが制定したそうですよ。

妻を大切にする人が増えると世界は平和になるという理想のもと、愛妻家というライフスタイルを世界に広める活動をしているらしい。事務局は群馬の嬬恋村。

まぁ、悪いこっちゃないでしょうから、いいんですけどね。もっとも、男子たる者、結婚したからには妻のため、こどものために身を粉にして働いている・・・んですけど。

愛夫の日というのはないのかしら。愚痴を言ってると、女々しい感じですからやめときます。

とにかく、奥さんに感謝することは忘れていませせんよ。いろいろ支えてくているのは、よくわかってますから。

いつもいつも本当にありがとう。

2009年1月30日金曜日

パソコン治った

先週、自宅のパソコンが壊れた話を書きました。

これは、昔コンピュータ界のガリバーと呼ばれたメーカーの製品。もっとも、今はブランド名が変わりましたが、それでもさすがにその万全のサポート体制をまじまじと実感したのでした。

パソコンはいまどきのものとしては、けっこう貧相なものでAMDのdual core 2.3GBのCPUです。グラフィックはオンボード、メモリーは2GB。5万円くらいの、比較的安いもので、オプションも削れるだけ削ったわけです。

使っている途中で、何の前触れも無く、突然にダウンして、その後は電源すらまったく無反応という、かなり致命的な故障を感じさせるものでした。こりゃ、直すより買ったほうが安いんじゃないかと思っていたわけです。

それでも、保障期間内だったので、まぁ一応電話で修理の問い合わせをしてみようと思ったのが昨日の午後。そしたら、この機種は出張修理の対象とのこと。しかも、保障期間内なので無料です、というのでさらにびっくり。当たり前と言えば当たり前かもしれませんが、それなら当然修理を依頼しますと返答。

でもって、昼前に修理用の部品が宅急便で送られてきました。午後から担当者がやってきて、早速修理にかかりました。とりあえず、電源を入れてみましょう・・・

うんっ?

あれれ、ファンが回りだした。

おやおや、Windowsが起動したよ。

なんかフツーに動き出したじゃありませんか。

とにかく調べてみます、ってんでいろいろログを見たり、各パーツを点検。結局、明らかな異常は発見できず、こっちは立場がありません。コンピュータ・マニアとしては、何とも恥ずかしい。一過性の加熱による暴走という推論しかありませんが、とにかく一番怪しい電源ユニットを新品と交換してくれました。

けっきょく、無事にまたそのパソコンを使ってブログを書いているわけですが、きちんとした対応には感謝感激雨霰です。クリニックで使用しているものを含めて、このメーカーのものを今4台稼動させていますが、何かとても安心したわけです。

2009年1月29日木曜日

政治のニュースにうんざり

医療は景気に左右されない、ということが言われていましたが、さすがに最近は皆さん受診控えをしているような雰囲気があり、誰に聞いても患者さんが減ったと言います。

もちろん、正直にいいますが、クリニック経営者としては大変困る。もちろん、自分も含めて世の中に病気が嬉しい人はいないわけで、医者という職業は、ある意味他人の不幸で生活しているという側面があることは否定できません。

このところの診療報酬(健康保険で病院にかかるときの国が決めた定価)の連続的な引き下げは、多くの病院・診療所に大きな打撃を与えているわけで、余裕のない切羽詰まった診療が、いろいろな問題につながっていることは周知の事実。

高齢化社会が迫ってきて、このままでは自民党が世界に自慢する国民皆保険制度が崩れてしまうと言われ、1999年に強引に介護部分を医療保険から切り離し、見かけ上の医療費の抑制を実現しました。

ある意味では、そのような背景のもと根本的な改革が必要とされていたことは事実です。そこで、小泉氏の登場です。小泉改革はみんなに我慢を要求していましたが、郵政問題の例を出すまでもなく、意見を2極化することからはじめました。賛成か反対か。反対の者は切り捨て。確かに、そのくらいの強引さがないと仕事は進まないのかもしれません。

今だから言うわけではありませんが、自分はこれには大きな疑問を持っていました。白か黒か、善か悪か、その時代の価値観の中でその両者が存在することは間違いない。しかし、どっちつかずの中途半端な灰色は別として、白っぽい青、とか黒っぽい黄色のようないろいろなパターンが存在することを忘れてはいけない。

いろいろな価値観が存在する以上、白といってもいろいろな白があるはずなのです。民主主義であるからには当然の話。まさに、すべての集団の価値観が一つしかなくすべてが白に統一される、その究極的な状態が独裁国家ではないかと思います。

医療に関していえば、根本的に破綻しかけている保険制度を維持してとにかく予算の枠だけを下げるだけという、まさに見かけだけの改革の結果は、今や国民全体に大きなつけをまわしたと言える。今言われている多くの医療問題のかなりの部分は、小泉改革により始まったり、あるいは悪化したと言うと言い過ぎでしょうか。

この物事を2極化する見方は、前アメリカ大統領のブッシュ氏がおそらく先輩なんでしょう。アメリカの世界統一路線の片棒を担いだ小泉氏は、ミニ・ブッシュと言えなくもありません。

オバマ新大統領の就任演説で、物事の多様性、様々な価値観を認めた上で困難に立ち向かっていこうという主旨が出ていました。これはブッシュ氏の否定であり、アメリカが変わるのではないかという期待感をアメリカ国民だけでなく、世界中の人々に抱かせるに十分だったように思います。

それに比べて、今の日本の現状はあまりにお粗末。政権与党は小泉改革の悪かったところを整理して、次のステップへ前進するかと思えば、単に時間を元に元に戻しているだけ。野党も、このチャンスに、いつあるかもわからない選挙に向けての与党批判に終始している。自分たちが政権を取れば、どんな日本にしたいというアピールが伝わってこない。

首相が漢字を読めるかなんてことを、国会でうだうだやっている場合じゃない。内閣の中から、首相はやる気がないなんて意見が漏れてしまう現状をよく考えないといけません。自分のこどもたちの時代、さらにその下の時代と問題を大きくしないためにも。

2009年1月28日水曜日

リウマチ医の責任

関節リウマチの新しい患者さんを見つけたときは、大変に気を遣う者です。すでに、診断されている方、さらに治療を受けている方の場合は気楽、と言ったら怒られてしまうかもしれません。

でも、一度リウマチと決まれば、やることは決まっているわけで、いかにその患者さんに合った薬物療法を推進できるかが鍵になります。

新規の患者さんの場合には、そもそも確信を持って診断することができなければ、リスクの高い薬を使用することを患者さんに納得してもらえません。

ところが、これがあるからリウマチだという検査はありません。あくまで、怪しいという域を超えない。世間にはリウマチ反応、あるいはリウマチ因子と呼ばれている血液検査項目がありますが、残念ながらこれが陽性だといって確定するわけにはいきません(確定してしまう医者が多い)。

この数年でMMP3や抗CCP抗体といった検査が使えるようになり、判断材料が増えましたが、それでも100%のものではないのです。最終的には、経験的な医者の主観的な判断の介在する部分を排除できないのです。

つまり、リウマチは診断すること、それもできるだけ早期の状態で診断を確定することが一番難しい病気だということになります。

そして、リウマチであると判断したならば、場合によっては死亡するような重大な副作用を持った薬を使わせていただくわけですから、患者さんへの説明し十分にしなければならない。

さらに、現状では完治する病気とは言えないので、患者さんは一生病気と付き合っていくことになるわけですから、ある意味人生そのものに大きな影響を与えることになるのです。だから、大変に気を遣うということになるわけです。

また、一生懸命説明しても、結局大きな病院への転医を希望されることも少なくありません。正直言って、これはめげる、と同時にほっとする部分もあるんです。

現在も日本で最大患者数を誇る女子医リウマチセンターの非常勤講師をしている立場からは、自分のクリニックでやっていることとセンターでやっていることにはそんなに違いはありません。

それだけの自負を持って診療にあたっているのわけですから、患者さんが転医すると言うことは大変寂しい。自分の力の無さを痛感する瞬間です。

一方、リウマチと診断を下すことの責任から逃れられるということは、気持ち的には楽であるというのも事実。薬が必ず効果を奏するとは限らないので、どんなにがんばってもどんどん悪くなる方が必ずいるのです。そんなときには、患者さんから責められているような気持ちになります。

今日は、他院での今までの治療がほとんど効果を出していない患者さんと、まったく新規に発症した患者さんがいらっしゃいました。どちらに対しても、まだ道筋が見えていないわけですから、大きな責任があるわけです。

幸い、今日は(というか、今日も)比較的閑だったので、十分にお話ができたと思います。これから、一緒に何とかかんばっていきましょう。

病気は医者だけで治す物ではありませんから、医者と患者さんとが同じ目線で、協力していくことが大切なんです。

2009年1月27日火曜日

3年もの

最近、なんかやたらと壊れる。自宅のパソコンが壊れたのを皮切りに、先週の土曜日に、実はレントゲンが壊れました。

幸い、最後の患者さんの時だったので、診療には支障は無かったのですが、場合によっては100万円以上の修理費がかかるかもしれないということで日曜日は気が気じゃありませんでした。

月曜日は朝からメーカーの方に来てもらって、何とか応急的に使用できるようにしてもらいました。後は、部品待ち。

うちのレントゲンは普通の撮影だけでなく、透視ができるタイプなので、透視のためのレントゲン回路をまわしたそうです。こんなところは高いだけのことはあったというところでしょうか。整形外科でなければ、透視なんてのは、まぁ要らないでしょう。

そして、今日部品が届いて昼に修理完了。一番高いところが原因ではなかったので、修理代は数10万円ですみましたが、それでも急な出費は痛い。

さらに、うちで一番高価なリハビリ器機である、総合電気刺激装置が動かなくなりました。一難去ってまた一難。しかし、これも電話でエラーコードを伝えると、直し方を教えてくれて回復しました。

ふぅ~。

3年たつと、なにかしらトラブルを起こしはじめるんでしょうかね。これからは、維持費もばかにならなさそうです。

2009年1月26日月曜日

Alfred Brendel / Beethoven Piano Sonatas

皆さん、又かとお思いでしょうが、まぁ勘弁してください。この1年、ベートーヴェンのピアノ・ソナタを聞き続けてきましたが、しつこいようですがちょっと自分のために整理しておきたいわけです。

最初がアシュケナージ。これは、開業したころにBOOK・OFFで買った物で、「悲愴」「月光」「熱情」の人気3大ソナタがはいっているもの。でも、まったくピンとこなかった。

そして、グールドのゴールドベルク変奏曲でクラシックに開眼して、その勢いでグールドのベートーヴェン。バッハで有名なピアニストですが、ベートーヴェンでもバッハ的な雰囲気が出ています。

そして、とにかく速い。サーカスのようなスピードです。後で、他の人の演奏を聴くと、その速さが尋常ではないことがよくわかります。

そして、アラウ。これもBOOK・OFFの中古。21番の「ワルトシュタイン」でしたが、とにかくどっしりとした風格がベートーヴェンのイメージとしっくりきて、やっと面白くなってきました。

そしてやっと全集として手に入れたのがケンプ。32曲を通して聴いて、ベートーヴェンが音楽家として成熟していく様子が感じられ、ケンプの堅実で淡々とした演奏に好感が持てました。

そうすると、いろいろ評判のよい演奏を聴きたくなる物です。まずはアラウの全集。そしてギレリス、グルダ、ニコラーエワ。そして11月にリル。それがなかなかよかった。

そして年末に、ついにブレンデル(90年代)にたどり着きましたが、これがいいのかよくわからない。というか、このところバロックばかり聴いていたので、まだ少ししか聴いてないのです。悪くはないと思うのですが、なるべく通して聴いてみないとなんとも言えません。

この全集は、けっこう評価が分かれるようで、研究しつくしたブレンデルの演奏を絶賛する声と、個性に走りすぎた演奏として批判する意見があるようです。

自分で演奏する立場からは、厳しい評価が上がりやすいのではないでしょうか。自分のように聴くだけの者にとっては、他人との差があればあるほど楽しいわけです。

ところで、定番中の定番、バックハウスなんですが、やはりどうも興味がわかない。たぶん、もっと聴いてみたいものがあるからなんでしょうね。それと、最初に聴くタイミングをなんとなく逸失した感があるわけです。

ここまでは、ほとんどが録音は比較的古いものばかりで、現役ピアニストのものがはいっていません。そろそろ次に狙うのはそこらでしょうか。評判からはコヴァセヴィチプルーデルマッハーあたりに行きたいところ。

それから、去年から全集にとりかかった、日本在住のメジューエワ(75年生まれ)にも注目です。また過去に数曲だけ弾いているグリモー(69年生まれ)でも是非聴いてみたい。どちらも女性ですが、だいぶタイプは違う感じです。

こんな感じで、まだまだずーっと楽しめそうです。

2009年1月25日日曜日

Let's 医師会 1月

先週の金曜日は医師会の新年会でした。自宅のパソコンが使えないため、ブログには話題が書けませんでした。

区の医師会の新年会というは、する区としない区があります。

する区も、やり方はいろいろで、来賓を招いて盛大にするところ、会員だけでお店に行くところなどですが、我が横浜市都筑区医師会は去年から、医師会館で会員だけで立食で行っています。

これは仕事が終わる時間がまちまちなので、好きな時間に来て、好きな時間に帰れるようにという配慮からで、なかなか好評のようです。

自分は到着が開始の7時半ぎりぎりになってしまいました。到着すると堅いことは抜きにして、とにかく飲む・食べる、そして他の先生方と喋る。

しば~らくしてから、会長の挨拶や新入会員の紹介などのイベントが少しだけあって、また飲む・食べる・喋るです。かなりお気楽な会で、いろいろな先生方と四方山話をしているうちに、またもやバスの最終の時間に遅れてしまいました。

自分もさすがに開業して3年、医師会の仕事をしている関係もあって、このような会に参加されるだいたいの先生の顔を覚えることができるようになりました。

こういう、ちょっとした顔が見える関係が大変重要なわけで、小さなクリニックの欠点を補ってくれる大きなポイントになるわけです。

Vivaldi Masterworks

クラシック音楽の中でバロックというと、何となくさわやかで聴きやすい朝向けの音楽みたいな印象ですかね。

絢爛たるヨーロッパの貴族社会の中で、宗教色を色濃く出しながら、庶民とはほど遠い貴族の娯楽のためのものでしょうから、本来は自分たちが楽しむことはできなかったんでしょうね。

もちろん作曲家はたくさんいるわけですが、自分も含めて大多数の人にとっては、J.S.バッハとヴィバルディの二人がいれば、だいたい間に合うことになっています。

小学校の音楽の授業などでの名曲鑑賞なんかで、バッハのオルガン曲「トッカータとフーガ ニ短調」はメロディを知らない人はいないでしょう。そして、もう一つの超有名曲といえば、ヴィバルディの「四季」です。

このヒットに大きく貢献したのがイタリアのイ・ムジチ合奏団。70年代を中心に何度も来日して、その度に「四季」を中心としたプログラムで絶大なる人気を誇りました。しかし、時代が変わりクラシック界では古楽器が幅をきかせるようになりました。

つまり、作曲された当時の楽器でなるべく作曲者の意図に沿った演奏が正しいという考え方です。それはそれで、正しいのかもしれませんが、その結果イ・ムジチのようにモダン楽器で演奏する集団は隅っこに追いやられるようになりました。

しかし、どうなんでしょう。どんなにがんばっても、作曲された当時と同じ環境は絶対に手には入らないわけで、そもそも聴く側の感性は絶対違うわけです。古楽器至上主義みたいなことを言っても、どこまでも中途半端でしかありません。

現代の耳に馴染む演奏もあり、できるだけ当時の雰囲気を再現する演奏もあり、もしかしたら未来を想像した演奏(富田勲のシンセサイザーなんかがいい例でした)もありでいいじゃないですか。

その中から、それぞれの方が自分の好みの物を選べばいいんです。それに作曲家の意志を尊重すればするほど、演奏家のオリジナリティは消えていくわけで、それでは楽譜通りにパソコンの打ち込みで演奏するので十分になってしまいます。

伝統に重心を持つと、型破りができなくなり時代の流れに乗り遅れ、単なる歴史になってしまいます。それも大事ですが、時代とともに発展していく部分もないと、文化は消えていってしまいます。日本の歌舞伎にも、同じような気持ちを抱いてしまうわけです。

それで、イ・ムジチですが、やはり「四季」の演奏としては日本人的にはデフォルトになっているわけで、やはりモダン楽器のてきぱきした響きは気持ちのいいもんです。CDの時代になって最初に買ったクラシックの1枚はそれでした。

ずっと、他のヴィバルディの曲も含めて聴きたいと思っていましたが、書いたように、最近はイ・ムジチのCDはあまり手に入らない。正月にバロック全集を聴いていて、やはりイ・ムジチで聴きたいと思って探していたら、こんなのがありました。

DECCAが作ったVivaldi MasterworksでCD40枚組です。主に協奏曲はイ・ムジチ、歌曲はネグリという一時代を築いた名演の集大成です。ただ、いつものHMVでは8592円。正月に散財した後では、ちょっと厳しい。

そこで、今回は通販のもう一方の雄、Amazonの中古にお世話になりました。目当てはイ・ムジチで、半分の20枚です。これで、有名どころは全部含まれます(作品1~12)。歌物が不得手なのですが、中古で3000円ちょっとだったので、イ・ムジチ全集20枚組に歌物20枚がおまけについていると思えば破格の値段です。

ヴィバルディは生涯に500曲もの協奏曲を書いているわけですが、一言で言うなら「偉大なるワン・パターン」ということになり、どれを聴いても金太郎飴みたいなもんです。その中で「四季」に含まれる12楽章は傑出している。親しみやすいメロディと、四季の移り変わりを音楽で表現するコンセプトが貫かれていることが要因なんでしょう。

その他の曲も含めて、少なくともイ・ムジチの演奏は聴き疲れすることはありません。18世紀前半の音ではないでしょうが、やはり人々を魅了するだけのことはあります。細かいことを言えば、何枚かあるイ・ムジチ盤では独奏のバイオリン奏者が違いますが、それを聴き分けるだけの力は自分にはありません。

Il Giardino Armonicoの「四季」の古楽器演奏も悪くはありませんが、どうしても古楽器では響きが少なくなるようで、その分全体のスピード感か強まるような印象です。まあ、クラシック・ファンならずともイ・ムジチの1枚は一家に一枚くらあってもばちは当たりません。

2009年1月24日土曜日

パソコン壊れた

パソコンは壊れる物です。うん、間違いなく。
それも、世の定めと、諦めるか否か。壊れ方によります。

なんか、カチャカチャ言っているなぁ、と思っているうちにしだいに動作が不安定になってきた場合は、たいていハードディスクが原因。

この場合は、データどの救済はまず無理と諦めますが、取り替えてOSを再度インストールすれば、まあ問題なく使えます。

しかし、今回自宅のパソコンが、そんなもんではなく壊れました。まったく、何の前触れもなく。直前までピンピンしてましたよ。

これはやばい。うん、相当やばい感じです。

一番怖いのは、心臓というべきCPUが吹っ飛んだ場合。CPUはもの凄い熱を出していますから、ちょっとした冷却の低下でも焼けてしまうことがあります。この場合は、ある日突然即死。

ただ、過熱してきた時点で挙動がおかしくなることが多い。以前にクリニックの電子カルテのパソコンが潰れたときがこれでした。

今度は、あまりに予兆がなかったことと、その後まったく電源がはいらないので、どうも電源部がいかれたのではないかと思うんですよね。あるいはシステムのROMが破壊されたのかもしれません。

どっちにしても、致命的なことは間違いない。たぶん、ハードディスクはほとんど回収可能だろうと思いますが、最近はデータ類はほとんど本体には入れないで、外付けハードディスクを利用しているので、あまりありがたくはありません。

あ~、何にしても泣きです。泣き。

かなり安めのデスクトップなので、下手に部品をいじっても本体よりも費用がかかってしまいそうです。どうするよ。買い直すか?

とはいっても、いろいろあって余計な出費をできる時期ではないので、簡単にはいきません。修理に出すしかないかな。それも、けっこう面倒なんですよね、なにしろ大きくて重いものですから。

とりあえず、クリニックに転がっている壊れたパソコン数台を結集して、ひとつでも動くようにできないかやってみましょう。でも、すでにけっこうパーツ外しちゃっているしなぁ・・・

そんなことを考えながら今日は一日が終わりました。

2009年1月23日金曜日

医師会新年会

センター北
さむ
医師会新年会
いろんな先生と話ができて楽しかったです。

2009年1月22日木曜日

次男誕生日

次男はじいちゃんと誕生日が一緒
食べきれない唐揚げとカツ丼というリクエスト
よっしゃ
まかせろ
鶏肉もも2キロ

今日は自宅のパソコン壊れました
携帯からでゴメンナサイ

2009年1月21日水曜日

Hello, Mr.President

アメリカの大統領がオバマさんに変わりました。

日本とアメリカの大きな違いは、日本は国のリーダーを直接選挙で選べないこと。日本人が選ぶのは、あくまでも議員です。

衆議院の第1党となった政党が総理大臣を出すシステムですから、間接的には民意を反映しているはず・・・ですが、議員さんは国民から選ばれても、議員になった途端に政党の論理でうごくので、政治と国民の意識はかけ離れていくばかり。

今日の昼のTBSラジオで、誰がしゃべっているかはわかりませんでしたが、「天皇は京都に置いておいて、日本はアメリカの州にしてもらいたいもんだ」というような発言をしているのを聴きました。

自分は右翼でも左翼でもありませんが、さすがにこの発言は問題だと思います。冗談だとしても最低のものだと思います。公共の電波に載せることができるような発言ではありません。

日本という国の否定ですから、日本国民という立場では許されるものではありません。確かにアメリカは自由の国という印象があり・・・それも、だいぶ見掛け倒しという雰囲気になっていますけど、オバマさんはその象徴のひとつであると思います。

よその国のことではありますが、世界を牽引していく国の新しいトップになったことで、よその国でも大きな期待を寄せることは当然のことです。

だからと言って、日本がアメリカに併合されることを希望するというのはどういうことでしょう。あきれてしまいます。少なくとも日本人として生まれたからには、いろいろ不満はありますけど、日本人としての誇りはもっていたいと思います。

日本のいいところは山ほどあります。オバマ大統領、それぞれの国の誇りをしっかりと尊重してくださいね。その中から、世界のリーダーとして物事を考えてくれれば、世界中から尊敬される歴史に名を残す大統領となるはずです。

2009年1月20日火曜日

初心忘れるべからず

昨日も今日もクリニックはガラガラ。どうしたもんでしょうか。もっとも、開業して3年。やっと1日の平均で60人くらいの患者さんに来ていただけるようになっただけですから、普通のはやっているクリニックからすればたいしたことはない。

30人来たときは、もう一杯一杯で、40人なんて無理と思っていましたが、40人くるようになるとなんとかなる。でも50人は無理と思っていても、60人までこなせるようになっていて、ぎゃくに50人じゃ少ないと思っているというのは贅沢な話ですかね。

初心忘れるべからず。どんな状況でも、最初の志を貫徹していくことが男の花道ぞ、ってな大げさなことは考えていませんが、まだまだ現状に甘んじてしまうわけにはいきません。

借金が全くないのなら、あるいはこどもたちが成人しているのならともかく、まだまだのんびり温泉旅行をしていられる身分ではありません。

去年はさんざん書いた横浜市都筑区の新規開業ラッシュも、さすがに最近は落ち着いてきたようです。昨年の地下鉄の新線開通で駅が増えたため、いろいろ医療ビルのテナント募集などがいっきに増えたわけですが、さすがにここにきて飽和した感があります。

正直言ってライバルは少ないにこしたことはありません。ライバルの中で、どうやって差別化していくかが大きな問題です。行政はいわゆるかかりつけ医を作ることにやっきになっていますが、もちろん総合診療科というようなものでは他との差が出しにくい。

かといって、専門性だけを突出させても開業医にできることは限られてしまうわけで、特に整形外科という手術してなんぼの科では開業して基本的には手術ができないと、結局手術のできる病院に紹介するしかないわけです。

そう考えると、関節リウマチという病気を主に扱っているとちょっと有利なのではないかと思ってしまうわけです。

なぜなら、診断はレントゲンと血液検査。MRI検査は使えるにこしたことはありませんが、絶対ではありません。うちの場合は、近くの別の整形外科クリニックに依頼するのですが、たいていすぐに検査をしてもらえるので助かります。

治療も薬を使った治療が主で、特別な処置が必要なわけではありません。最新の生物学的製剤という注射薬を使える状態なら、大学病院と特に違った部分はありません。

あとは、副作用などの問題が出たときのベッドの確保さえできればたいていのことは困らない。ですから、近くの病院で月に1回外来をしていることが意味があるわけで、多少の無理は聞いてもらえます。また、手術が必要な患者さんがいれば、そこで手術も可能なわけです。

ですから、内科的な治療と外科的な治療のバランスをとるには、けっこう理想的な環境のモデルと言うと手前味噌過ぎでしょうか。

あと、患者さんからすれば医者が変わらないというのも大きな利点です。大学病院では人事の関係で担当医がしょっちゅう変わるというのが、患者さんにとっては大きな不満になります。リウマチは医者と患者さんとは長い付き合いになるわけですから、医者がずーっと同じクリニックというのは悪くない。

もう一度初心に帰ってみると、大学病院並みの医療を地域で提供するという当初の考えに沿って、次はどうしていくかを考えないといけませんね。

2009年1月19日月曜日

光陰如箭

新年があけて、そろそろ3週間。さすがに、「あけましておめでとうございます」というのはちょっと恥ずかしい。別の言い方をすれば、あと2週間程度で1月も終わってしまうわけです。

本当に、時がたつのは早い。光陰矢のごとしとはよく言ったもんで、月日が経つのは早いので日々を後悔することなく送るようにという意味です。自分のような平々凡々と毎日を過ごしていると何もしないうちに時間が過ぎてしまっているのでした。

やるべきことは少なくはないのですが、どうも年を取るといくつものことを同時進行させるが難しい。かといって、ひとつずつこなしているうちにほかの事を忘れてしまうからたちが悪い。

この前も、次はあれをやらなくちゃ、と思ってその場所にいったところ何をしたくてそこへ来たのか思い出せない。元の場所に戻って、そうお思ったときにしていたことを思い出せば、何とかやろうとしていたことも繋がってくるかと考えました。

実際には、戻ってみても何をしていたかが思い出せないので始末に悪い。着実に脳の萎縮が始まっていることを実感するわけです。

2009年1月18日日曜日

医師不足

1月12日のニュース。国家公務員共済組合連合会の横須賀北部共済病院(横須賀市船越町)が、医師不足による経営悪化から独立採算を維持できなくなり、効率化に伴い婦人科の廃止などが避けられない。

1月15日のニュース。県立大野病院(福島県大熊町)を、JA福島厚生連が運営する双葉厚生病院(双葉町)と統合する方針を固めた。2006年帝王切開手術について執刀医が逮捕・起訴されて産婦人科を休止。近年、患者数が落ち込んで収入が減少していた。

1月17日のニュース。山鹿立病院(熊本県)の小児科は2007年8月から常勤医が不在となり、大学病院から派遣された非常勤医による週2回の診察となった。医師不足に伴って外来・入院患者も減り、累積赤字が膨らみ、医師確保のメドも立っていない。

1月18日のニュース。県立延岡病院(宮崎県延岡市)の医師計6人の退職に伴って腎臓内科と神経内科の医師が不在となり、後任や補充のめどは立っていない

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この1週間だけでも、簡単にこんなニュースを拾い出せる。去年の千葉県銚子市の市立病院問題は、首都圏に近いこともあって記憶に新しい。

共通して言えることは、いずれも地方であること。2006年に始まった研修医制度改革のせいで、都会に偏在する傾向を作った。きつい大学病院に残る医者がいなくなった。と、いうような論調です。

それは正しい物の見方だと思いますが、ところが去年大きな問題を投げかけたのは、東京での産科たらい回し。都会でも医師が足りていないという現状が露呈したわけです。

じゃ、医者はいったいどこにいったのか。開業医?

医者の数は着実に増えていて、勤務医と開業医の数の増加に、それほどの大きな差はないといわれています。もっとも、都筑区のように地下鉄の新規開業による人口増加地区などは事情は異なるところはありますが、医者の中での大変さによる専門性の偏在ということが関係しているのでしょう。

産科・小児科医が少ないことは、既に指摘されているわけですが、じゃぁ、この科がきついのかというと、もちろん大変なのは間違いありませんが、現実の問題として少子化という問題も大きく関係していることを忘れてはいけません。

出産する人が減って患者さんが少なければ、当然医者はなり手がいなくなります。そして、高齢出産の増加・・・その原因を考えると、いろいろ価値観があるのでそれには触れませんが、リスクの増大に拍車をかけていて医師の減少に関わっていることは容易に想像できることです。

また、知り合いにも医師免許は持っていても医者をしない人がいます。以前は、医者は医者しか仕事はなかったのですが、現代社会の多様性の中では思ってもいないような仕事があるものなんですね。

いずれにしても、あまりに根が深い問題で、一町医者がどうのこうのと言える事ではありません。でも少なくとも医者はみんな単純な生き物で、患者さんが治って喜んでくれれば自分も嬉しいだけのもんですから、そこだけを考えていける環境が欲しいもんです。

2009年1月17日土曜日

ポケモン

1996年のクリスマス商戦。毎年のことですが、おもちゃメーカーは、こどもへのプレゼントとしていろいろな新作を用意して、何とか親の財布を開かせることにやっきになります。

この年は、うちの長女がそれまでは「美少女戦士セーラームーン」のキャラクターグッズを卒業し、はじめてゲームソフトをサンタクロースにおねだりしたのでした。

「ポケットモンスター」というゲームを欲しがっているという情報を得たのは、実にクリスマスイブの数日前のことでした。なんだ、そりゃ?

服のポケットで怪獣を飼うゲーム?
超ミニサイズの怪獣対戦ゲーム?
だいたいゲームボーイって何?
赤とか緑とか言っているけど、信号になっているの?

もうわけがわからない。どうもこどもたちの間ではものすごい話題になっているらしい。父親の悲しい性で、クリスマスイブの夜にこっそり枕元にプレゼントを置いて、翌朝こどもが喜ぶのを見たいというのは本能的な気持ちなのです。

それにしても、あと数日というのは時間が無さ過ぎる。世間では、とっくに普通の親はプレゼントは用意しているわけで、お店はほとんど売り切れ。

夜の限られた時間をおもちゃ屋さんを探し求めて、青葉台・あざみ野・たまプラーザ界隈をうろついて・・・そして、やっと、赤バージョンを1個手に入れることができたのでした。

って、書いていたら、こどもたちに「なんで今頃クリスマスねたを書いているんだ」と、するどい突っ込みを食らってしまいました。

2009年1月16日金曜日

消耗品

医者の言葉、よくわからん、としばしば言われてしまうわけです。そこで、それぞれの医者は、なるべく言いたいことを理解してもらいたいと考えて、自分なりに言葉を選んでいくわけです。

まぁ、せっかく話すことをわかってもらいたいと思うのは、どんな職業でも同じなんでしょうけどね。ただ限られた時間で、数をこなさなければならない場合には、どうしても一般の方にはわかりにくい専門用語を使ってしまう。

この言葉を使うと、意味が通じないかもと思いつつも、思わず使ってしまう。今は、暇な時間のほうが多いクリニックですから、できるだけわかりやすい説明をしているつもりですが、自分では分かりやすいと思っても、患者さんにとってはどうなんでしょう。

整形外科では足腰が痛いということでクリニックを訪れる方が多いわけで、その多くは「老化現象」という説明ができてしまう。この老化現象というのは、一見わかりやすいようですが、けっこうあやふや。

それに、高齢者の方に老化現象という言葉を使うと嫌がられますよね。そりゃ、自分では年を取ったと思っても、人には指摘されたくないものです。

若い方にももちろん使いにくい。自分はまだ老化なんかしていないと思いたいのは当然。簡単に老化ですなんていうと、ショックですよね。

でも、人間の体なんてもんは、10代後半で成熟して完成するわけです。完成したら、後は待っているのは老化しかありません。老化現象は転がる坂のように忍び寄ってくる・・・どころか、インディ・ジョーンズに迫ってくる転がる岩の如しなのです。

20代は、そんなことに気がつかず若さを享受し続ける。30代も、その勢いのまま突き進む。ところが、40代に入ると、そろそろ何か違うなぁと思うことがしばしば。以前は簡単だったことが、大変になってくる。

50代に入ればさすがに受け入れの準備ができてくるものの、社会的生活環境はそうは変わりません。60代には老化を認めて、生活も変わってくるものです。昔は、そろそろ社会的引退となるのでよかったのですが、現代ではまだ老人の仲間入りはできません。

高齢化社会が進む日本では、自分が70代のころには100歳を超えないと老人とはいえないようなことになっているかもしれません。

まぁ、そこで患者さんに向かって使う老化現象という言葉に代わる言葉をいつも考えているわけなんですが、「老化現象みたいなもの」なんていうぼけた言葉も使っていましたが、やはりどこか嘘っぽい。

最近、自分で気に入って使っているのが、「人間の体なんてものは消耗品」という説明です。これは嘘ではない。「でも、心はいつでも若く保てますから」というフォローの一言を続けて使うのも忘れてはいけない。

そんなわけで、気持ちの持ちようで良くも悪くもなることは多いわけですから、若い心で消耗を少しでも抑えようではありませんか。

2009年1月15日木曜日

100

加山雄三さんのお父さんといえば、上原謙。
その上原と共演した戦前の空前のヒット「君の名は」の女優といえば、田中絹代。

「斜陽」「人間失格」で最近また注目されているのが、太宰治。
「野火」「レイテ戦記」などで有名な作家といえば大岡昇平。
社会派推理小説を確立した人といえば、松本清張。

「欲望という名の電車」「エデンの東」の監督といえばエリア・カザン。
スイングジャズのクラリネットの大家といえば、ベニーグッドマン。

さよならさよならさよならで有名な映画評論家といえば、淀川長冶。
おばちゃまで人気だった映画評論家といえば、小森和子。

日本のジャズ評論の草分けといえば、野口久光。
三味線で都々逸を歌うタレントといえば、都家かつ江。
日本の美容界のパイオニアといえば、山野愛子。

み~んな、1909年、明治42年生まれです。生きていたら、今年で100歳。

一方、1909年に亡くなった方としては、作家の二葉亭四迷とか、暗殺された伊藤博文など。

1909年創業の会社としては、スズキ自動車、味の素とか講談社。

一世紀というと、途方も無く長い時間のように思いますが、意外と自分の知っている世界が混ざっていたりするんですね。

医療の仕事をしていると、ときどき100歳を超えた方にお会いしますが、基本的には元気で頑丈だから長生きできるわけです。それからすれば、自分はまだ半分。いゃ~、そこまではもたないだろうなぁ・・・

2009年1月14日水曜日

内科医だっけ?

当直バイトをしていると、ほんと整形外科医とは思えない。自分は内科医だったんだ、と錯覚をしてしまいます。

この前の成人の日も、外来は老人病院としては随分きました。

事務から救急車の問い合わせ。「転んで足を痛がって歩けない人だそうですが・・・無理ですよね」といわれて、「それが本職です」と言いたい所なんですけど、実際、レントゲンも撮れないし、整形外科医の常勤がいない病院ですから受けても後が困るわけで、「はぁ、そうですね」としか言いようがない。

大変複雑な気持ちになるわけです。

それから来るのは、昨日から高熱と喉の痛み、あるいは今朝から嘔吐と下痢ばかりです。高熱の人はインフルエンザの疑いありで、検査で半分はA型が陽性に出ました。実感として、一番流行っているピークを迎えている感じですね。

そうこうしていると、また事務から電話。「転んで額を切った人から問い合わせです」これは、ここでもOKなんで、「ハイ、どうぞと言ってください」と返事をします。しばらくして、また電話。「先ほどの方は、他に行くそうです」うーん、縫うのにはけっこう自信があるのになぁ。

続けて高熱の人、下痢の人。

またまた救急車から連絡。「一昨日から食べれなくなって歩けなくなった人ですが・・・」こういうのは、何があるかわからないので一番怖い。とりあえず、血圧や呼吸などは問題ないとのことなので受けることにしました。どうしても困るようなら大きな病院へ送ればいいや、と多少開き直り気味です。

実際、来てみると明らかな意識障害も無く、どうも脱水のようです。明日の検査でも大丈夫そうなので、とりあえず入院してもらうことにしました。

続いて高熱の人、下痢の人。皆インフルエンザの予防接種を受けていない人ばかり。だから、予防接種をしなさい、っつーの。

なんか、普通に内科外来やっている感じです。夕方にやっと外来も落ち着いたと思ったら、今度は病棟で、おしっこが出ない人、痰がやたらと多い人。のんびりベートーヴェンでも聞いていたいところですが、夜中にいつ起こされるかわからないので9時過ぎには寝てしまいました。

まぁ、前にも書いたのですが、お陰で整形外科だけしかできませんということもなく、簡単な内科的なこともできるというのは関節リウマチ診療の上では大いに助かるわけです。

自分は、基本的には狭く深くの専門中心の医者ですが、なにしろ関節リウマチではいろいろな内科的な合併症や、薬の副作用なども対処しなければなりませんから、広く浅くというのも大事。

当直バイトは生活のために必須であるのですが、さらに本職にも貢献するというのはありがたい。まぁ、今年もこのペースで整形内科に磨きをかけたいと思うわけです。

2009年1月13日火曜日

医学部受験生

今週の週末は・・・そうです。センター試験です。

大学入試を目指す受験生にとっては、いよいよ本番の幕開け。毎年毎年、雪が降ったりして妙に天気が悪い。今年は、どうなんでしょうか。

自分が大学受験のときは、国立1期校と国立2期校とに分かれていて、医学部は自分の母校などは新設校といわれて格下に見られていました。

浪人してしまい、共通一次試験というのが始まり1期校も2期校もなくなりましたが、結局受験せずに自分の大学受験は終了しました。

自分が入学したとき、母校の競争率は20倍。入学してから医師過剰とか言われて、医者は救急車にでも乗っていろみたいなことが言われました。卒業するとき競争率は3倍。

医学部の定員も減少し、だいたいどこの医学部も、新規募集100名くらいだったのが80名くらいに減っていったのです。医学部は優秀な学生を集めて質を高めるために、他の大学を卒業した学士を優先的に集めるようになりました。

それは、確かに医学部の人気を盛り返すことにつながり、しだいに各医学部の競争率も再び上昇したと思います。しかし、ここに一つの問題の根が生まれていたのではないかと思うんですよね。

学士は当然現役の学生よりもかなり年上で、学生の間での仲間意識の低下は避けられません。また、卒業しても年齢が高く即収入が得られることを希望して、大学に残る者が減ったのです。

さらに医療に対する社会の不信感がつのるような、いろいろな事件・事故が続発しました。そして、研修医の「人権」を擁護した研修医制度改革が、大学を中心とした日本の医療の舞台を崩してしまったことは、度々報道されている通り。

さて、最近は産科・小児科・救急医療を中心にした医療崩壊に対する危惧から、医学部の定員の増加も叫ばれています。しかし、今後もさらに医療に対する厳しさが増すことは容易に想像できることで、受験生はどう考えているんでしょうか。

と、いうわけで、たいへん厳しい現実が待っているわけだから、心してかかれよ、受験生諸君!!

2009年1月12日月曜日

都筑区15周年

自分がクリニックを開業した横浜市都筑区は、横浜と言っても潮の香りはせず、港町ヨコハマという雰囲気ではありません。

横浜市の中では最後にできた区で、今年が分区して15年目になるわけです。いわゆる港北ニュータウン構想の中心である、センター南駅とセンター北駅を真ん中にして、周囲を囲む青葉区、緑区、港北区の3区から独立しました。

はじめてこの地区との関わりを持ったのは、母校から緑区の病院の非常勤を仰せつかったときからです。それが、平成4年ですから、その時はまだ都筑区はありませんでした。翌年、非常勤から常勤の整形外科医長となって、その翌年の平成16年11月に都筑区が誕生したわけです。

なんか、そう考えると自分と都筑区の誕生とは赤い糸で・・・

そんなことはないですけど、医長を辞したあとも、結局こどもの学校のことを考えて、青葉区に住むようになったので、この付近の発展もだいぶ目にしてきました。

青葉区に住み始めて、港北ニュータウンというのは、なんかやたらとモダンな街だというので、来てみるとセンター南もセンター北も駅前に大きな商店ビルがあるだけで、あとはやたらと空き地ばかりという印象がありました。

平成17年12月にいざクリニックを開いてみて、人口は17万人。それが、3年間で19万5千人だそうです。今年中に20万人を突破することはまちがいありません。

しかし、新しい地下鉄開通などのバブルに踊らされたようなところがあって、似たような大型商業ビルの乱立や、クリニックの新規開業バブルなども含めて、これからその中身が問われることになるんでしょう。

駅前のバスロータリーは、ある意味、駅の表玄関です。自分のクリニックのビルはそのセンター南駅のバスロータリーに面しているわけですが、これが寂しい。それでも去年のauneの開業で、ちょっと駅前ビルらしい風情が生まれました。

しかし、駅に隣接した土地が空き地のままでは、どうにもこうにも始まらない。今年の初めから、auneの本館?が建設工事を始めるという噂でしたが、このところの景気の冷え込みなどの世相を考えると、当分着工されることはないんじゃないでしょうか。

平均年齢が40歳に満たない激若い街、
その一方で老人施設や高齢者マンションの乱立する街、
モダンな街並みと都筑野菜を作る農地の混在する街、
比較的地盤が良好なので港地区が壊滅したらかわりに市政を担う予定の街
などなど、いろいろな言い方ができる多面的な街のこれからの発展を、クリニックとともに見ていきたいと思います。

2009年1月11日日曜日

今年への期待

昨日のエントリーは、皮肉タップリみたいな政治批判みたいになってしまいました。まぁ、ただの一般市民が考えるほど政治は簡単ではないんでしょうから、あまりぶつぶつ文句は言っちゃいけないんでしょう。

ただし、これは自分の仕事でも言えることですが、プロフェッショナルとは、素人に揚げ足を取られる様なことは無く、しっかりとした知識を持ち的確な実行力をみせるものです。

誰とは言いませんが、アマチュア政治家が多いのか、一般人のレベルが上がったのか・・・おそらく後者ではないように思いますが、しっかりしてもらいたいものだと思うだけです。

自分のことで言えば、もちろん新年が始まったばかり。医療の値段を決める診療報酬の改定は2年ごとに行われていて、今年は大きな変更は無いはずです。その分、大きな飛躍も無ければ、大きな落ち込みもないでしょうから(もっとも今の社会情勢からは、大幅アップなんてことは期待できませんけど)、現状をいかにするかということに絞って考えることができます。

地道にクリニックが認知され、患者さんが少しずつ増えるまでひたすら我慢する時期は・・・たぶん終了。しかし、いきなり拡大路線に転じるだけの余力はまだありません。

まずは環境整備。待合室やリハビリ室のような、患者さんがそれなりに長い時間を過ごす場所の充実が課題です。

医療内容についても、一人で何でもやるというのはすぐに限界が来ますので、やはり自分の抱えている役割のうち分担できるものについては少しずつ周りに振り分けたい。

それから、患者さんの満足度を上げるために考えたい。もちろん、きちんと診断して治療することが最大の満足を生むわけですから、医療レベルのきっちり設定することは最重要課題です。

もちろん関節リウマチ治療は大きな柱ですから、最新の知識を取り込む努力は怠れません。今までは雑誌やリウマチセンターに在籍していることで何とか不足をおぎなってきましたが、今年は学会にも出かけて行きたいと思います。そのためには、ある程度の休診はやむを得ないと思います。

関節リウマチほど日進月歩の激しいジャンルは、医学の中でもそうはありません。これについていくだけでも、相当な努力が必要です。また、関節リウマチ診療の大きな特徴は、基本的な診療については大病院とクリニックでできることの差がほとんど無いというところにあります。

ですから、自分の研鑽次第でどうにでもなるわけで、あとは治療の安全性の確保を充実させることが重要です。そのためにはいろいろな問題が生じたときの、病診連携・診診連携を構築することが課題になります。最近、横浜市北部地域でも少しずつそのような流れが見え始めていますので、うまく関連していければいいなと思っています。

純粋に整形外科的なジャンルについては、地域での「かかりつけ医」としても完成度が求められるわけで、大病院と同じ事をできるようにするわけにはいきません。そのためには、手術適応を含む高度の治療が必要な患者さんを見極めることが大事。けっきょく、最新の治療方法に対する知識の充実が必要ということになります。

まぁ、いずれにしてもいきなり変えるわけにもいかないので、小さいことからコツコツと見直しをしながら、クリニックのバージョンアップをしたいと考えているわけです。

2009年1月10日土曜日

来年への期待

今年も、早いもので・・・あと355日。光陰矢のごとし、月日はあっというまに過ぎていきます。

今年を振り返ってみると、投げ出し福田内閣の後に拾い物で総理の座についた麻生総理でしたが、昨年後半にアメリカ発の世界規模の経済危機が始まり、いきなりどん底に突き落とされました。

当初は減税目的で消費の拡大をはかるという趣旨であったすぐにでもばらまくはずだった定額給付金も、いざ配布されたのは4月。焼け石に水で、冷え込んだ国民の購買意欲を刺激することはなく、何の効果も上げませんでした。

挙句の果て、ひたすら総選挙を後回しにしてきた国民の不満が爆発し、各地で麻生退陣を要求する集会が行われました。国会でも1月の渡辺氏の離党以降、自民党議員が次々と反旗をひるがえし、5月についに衆議院でも自民党は過半数割れとなりました。

祖父は「バカヤロウ」といって解散、孫は「バカヤロウ」になって解散という事態にいたりました。この間、いくつもの大企業が倒産し、もはや支持母体さえ失った自民党は、あっさりと民主党に政権を譲ったわけです。

小沢新総理は、さっそく速効性の景気対策を矢継ぎ早に発表し、なんとか国勢の落ち込みを抑えることができていました。しかし、そのために日本の保護貿易的な作戦の展開から、アメリカとの同盟関係は大変微妙な変化を始めているのです。

アメリカのオバマ新政権も威信をかけて、世界のリーダーとしての立場を堅持することを掲げており、日本を押さえ込むために様々な圧力をかけ始めています。

このような不安な要素を多数抱えたまま平成21年も終わろうとしています。来年こそは良い年になるようにと、心から願わずにはいられません。それでは、皆様、良いお年を。

2009年1月9日金曜日

クリニックが閑だと

今日は横浜でも雪が降るかという冷たい雨の天気となり、クリニックは閑古鳥。閑はいろいろな不安をあおり、ろくなことは考えません。

政治の予算委員会の話を聞いても、現内閣のチャランポランさに腹が立つばかり。一定の収入がある人は受け取らないようにと言っていた定額給付金。

次から次へと閣僚が貰いますと表明し、総理大臣もあとで考えますとか答えているわけで、大臣と呼ばれる人たちが、ましてやホテルで毎晩酒を飲む人が、一定の収入が無いグループに入るわけないだろう。

ほんと、いいかげんにしろ!!って感じです。はぁ~、もう何も期待できないでしょう。

医師会に入ると、自動的に自民党応援団みたいなところにも入るわけですが、さすがに今のような状況で自民党を応援するなんて、どうかしていると思われてもしょうがないでしょう。じゃ、民主党ならいいのかというと、それも・・・

ホント、ろくなことは考えない。

もっと、新年ですから、希望のみえる話を聞きたいもんです。いや、もっと世界へ視点を広げましょう。イスラエル対パレスチナ。またもや、以前の中東戦争のような泥沼が泥沼を呼び込んでいます。

またもやアメリカは、イスラエル支持の立場から、国連でも停戦決議を棄権したりしています。もう自分達の理論だけに走り、経済問題も含めてもう世界標準とは成りえないことを露呈していながら、いまだに一番だと思っているようです。

ここにも希望はありません。

クリニックが閑だと・・・

2009年1月8日木曜日

とりとめもなく考え事

健康とは、病気が無い状態のこと。病気とは、体が正常に機能していない状態。正常でしだいに機能が低下していくのは生理であって、病気ではありません。

その一番わかりやすいのが、老化です。老化は病気ではありません。年を重ねる事は自然のことであって、人間をはじめいかなる生物も成長が終了すれば、あとは消耗品なわけです。しだいに、ところどころがまともに働かなくなってくる。

でも、どんどん落ちてくる機能のままに生活の質を落としていくことはできません。実際、少しでも機能の低下を踏みとどまって、元気に生活ができる期間を健康寿命と呼び、健康寿命をいかにして伸ばすことができるかが現代社会の大きな課題となっているのです。

高齢化社会の到来と言われるようになって、医療についてもいろいろな問題が浮き彫りになってきました。あんまり、社会問題をどばーっと取り上げるような大げさな話をするつもりはありませんが、身近なところであらためて考えることがよくあるもんです。

関節リウマチの年老いた奥様を一人で介護しているご主人。もちろん、ご主人も高齢で、息子が一人いるのですが外国で働いているのです。典型的な老老介護のパターンです。最初はクリニックに定期的にいらしていましたが、転んで骨折をしてからは往診で伺うようになりました。

そのうち、リウマチの治療そのものは必要ではなく、内科的な問題が大きくなってきたので、24時間対応できる在宅支援の診療所の先生にお願いしました。ご主人も必ずしも体調が万全ではなく、時々腰痛や足のしびれがひどくなって来院されましたがいつの間にか来なくなりました。

そしたら、たまたま老人施設で数ヶ月ぶりに奥様にお会いしたのです。びっくりしました。
「××さん、いつからいるの? 元気ですか?」
「誰だったかしら」
全然自分のことを覚えてくれていませんでした。これは、けっこう哀しいことです。

しばらくしてご主人が亡くなったことを耳にしました。必死に奥様を介護していた方だったので、奥様を施設に入れたことで、自分の生きる目的が無くなってしまったのかもしれません。

老化は確かに病気ではないのですが、健康寿命を伸ばすことに弊害となることがあれば、そこには医療が介入する余地があるわけです。そして、健康であるためには健康でいるための目的も必要なわけで、そういう精神的な部分で少しでも役に立てるかもしれないのは開業医なのだろうと考えさせられました。

少なくとも勤務医の時には、患者さんが自分が治療していたことと関係ないところでは亡くなっても知ることはありませんでした。

開業してまだ3年ですが、通院されていた高齢の方ですでに何人か亡くなったことを知っています。また、よく来ていた患者さんが、ぱったり来院されなくなると心配になります。1年ぶりに、また腰が痛くなったといって来院されると、患者さんには申し訳有りませんが、ほっとすることもあるんですよね。

2009年1月7日水曜日

Glenn Gould / Well-tempered Claviere

ピアニストにとって・・・もちろん、自分はピアニストじゃ、ありませんが、ベートーヴェンの32のピアノソナタは「新約聖書」。そして、J.S.バッハの平均律クラーヴィア全2巻が「旧約聖書」に例えられるわけです。

ベートーヴェンについては、すでに何度か書いていますので、今回はバッハの話。

平均律というのは音程の決め方。例えばドからはじめて、れ・ミ・ファ・ソ・ラ・シときて次のドまでを1オクターブというわけですが、この1オクターブの周波数を12等分したものが平均律。

すべての音程の変化が均等なので、調が変わったりしても均等な音程を確保できるわけです。しかし、ハンパがでてしまうので、すっきりと割り切った比率にはならない。

音程の周波数の比率がきれいな数字に収まるほど和音がきれいに共鳴するので、そのようにしたものが純正律(違っていたら、だれか指摘してください)。この場合、音は美しく響きますが、転調したりすると比率の関係がずれてしまうわけです。

バッハは半音ずつ調をずらした鍵盤曲集を作曲したわけで、どんどん弾きこなしていくためには、楽器の調律が平均律である必要があるわけです。クラーヴィアは鍵盤楽器のことで、バッハの時代であればチェンバロかオルガンということになります。

チェンバロは弦を引っ掻いて音をだします。オルガンは空気を振動させて演奏します。いずれも、強弱をつけるには不利な楽器。テンポの変化と、いろいろな装飾音を追加することでいろいろな曲調を表現していくわけです。

現代のピアノは弦をハンマーで叩くので強弱をつけることができ、響きの程度をペダルで調節することができるわけです。そのくらいの知識の整理をした上で、あらためていろいろな奏者の演奏を聴いてみました。

さて、フリードリッヒ・グルダからいきましょう。これは、ジャズの世界にも手を出して、クラシックファンからはいろいろ物議をかもしたグルダらしい演奏。ピアノ独奏ですが、うしろで甘いストリングスが伴奏をしているかのような雰囲気があります。パーシー・フェイスやレイモンド・ルフェーブルのようなスタイル、あるいはリチャード・クレイダーマン。曲の中でも、かなりテンポを意識的に可変的に操っているようです。それがポップス的な楽しさを出しているので、自分は嫌いじゃありませんが、こちこちのクラシックファンには受け入れられないようです。

さて、ロザリン・チュレックの演奏は、ある意味教科書的。たぶん、楽譜に書かれた一つ一つの音を正確に再現しているのではないかと思います。堅実ですが、面白みにはかける。

アンドラース・シフもピアノでのバッハ弾きの成功者とされていていますが、シフの平均律はつまらない(激!)。きびきびした演奏ですが、一本調子さはにぐえません。

タチアナ・ニコラーエワはロシアの女流で、ショスタコービッチのピアノ曲の演奏が有名です。大変に気持ちが安らぐ、落ち着いた演奏で、最初に聴くのにもオススメの一品です。

ウラジミール・アシュケナージはやはりロマン派ムード族のピアニストです。和音が使われない、対位法のバロックは向いていません。美しい和音を響かせるショパン(か、ぎりぎりシューマン)に特化した演奏家じゃないでしょうか。

スヴァトスラフ・リヒテルの演奏はHMVでもベストセラーの名盤といわれていますか、自分は風呂場で演奏しているような過度の残響でもうダメです。音符が団子になって、バッハの本来の味を聞き取ることができません。

あくまでも作曲家の時代の音にこだわる古学派の代表がグスタフ・レオンハルト。もちろんチェンバロでの演奏は、おそらく最も評価された一枚と言えるかも知れません。

そして、最後がグレン・グールド。もう、ピアノによるバッハ演奏については、もう何もいうことはありません。グールドがいなければ、これほどにピアノでバッハが弾かれることは無かったはずです。ペダルをほとんど使わず、指の押さえ方だけで音の響きをコントロールしていき、一つ一つの音符を際立たせた演奏は誰にも真似のできるものではありません。

と、いうわけで、名のあるピアニストなら、たいてい録音があるので聞き比べていたらきりがありません。ピアノで聴くなら、絶対のオススメはグールド。バッハにこだわらず、聴いて楽しいのならグルダ。チェンバロならレオンハルトにつきるというところでしょうか。

2009年1月6日火曜日

使い捨ての音楽

音楽のダウンロードでの購入してます?

自分はしてません。ひたすらCD買って、MP3に変換してパソコンに保存したり、CDに書き込んでMP3対応プレイヤーで連続再生したりします。

若者の間では、ダウンロード数は最近急激に伸びているそうです。iPodを代表とする携帯型音楽プレイヤーの普及のおかげで、わざわざCDから音楽を入れるより、直接ダウンロードの方が簡単なわけです。

ダウンロードさせて、「お~、いい曲じゃん」と思わせておいてCDアルバムを購入してもらうというのが、もともとの作戦だったらしいですが、実際はアルバム全部をネットから仕入れてしまうためCDの売れ行きがおちているんだそうですよ。

SPレコードが最初のROM、続いてレコード、そしてCD、DVD、ブルーレイ。一方、RAMはオープンリールテープから始まり、カセットテープ、いっときLカセットっというのもありましたが、次がMD、そして今はCD-R、DVD-R、ブルーレイと変遷してきました。

カセットテープの時代にSONYがデンスケという持ち出せる録音用デッキを出したのが、モバイルの始まり。そして小型化してWalkmanが爆発的にヒット。さらにMDで小型化しましたが、比較的短命だったように思います。

この辺から、MP3というデジタルデータが普及して、メモリータイプの登場となり、今ではわずかに数cmの大きさの中に、数千曲も詰め込めてしまうわけです。でも、電池には寿命があるわけで、最長再生時間となるとせいぜい半日。

メモリーの小型化に、電池の技術はついていけてない。まあ、24時間休み無く音楽を聴き続けている人はいないでしょうけど、せめて1週間くらいは充電しなくてもいいようにしてもらいたいものです。

でも、そうやって手に入れた音楽はどうやって楽しまれているんでしょうか。iPodが一杯になったら、パソコンにためるんですか。ハードディスクがクラッシュしたらぱ~です。だいいち、歩きながらでしか聴かれないんでしょ。ついでに聴く音楽ですよ。

まぁ、いちいち構えて音楽を聴くのがいいわけではないんですけど、好きな音楽なら時にはしっかりと聴いてみたくなりませんか。

2009年1月5日月曜日

悪魔の手毬唄

今夜は、SMAPの悟郎ちゃんの金田一耕介シリーズが放映されました・・・というか、今やっているんですけどね、自分にとっては金田一耕介はなんと言っても石坂浩二。

1970年代半ばに角川映画第1弾として製作された「犬神家の一族」が最初でしたね。今では当たり前になったメディアミックスの元祖といえます。強烈な個性をもった主役級の俳優さんを大量に配役して、話題性もたっぷり。

しかし、もともと「犬神家」は横溝正史作品としては、けして評判のいいほうではありません。なんでこれにしたのか・・・それは内容として、仮面の主人公、不気味な三人の老姉妹などの設定に華やかさがあって映像的だったんでしょう。

しかし、監督を務めた市川崑はシリーズを立て続けに担当して、監督としてのキャリアを積み上げました。「悪魔の手毬唄」は角川映画ではなく東宝で作られた第2弾。映画としての完成度は、遥かに上だと思います。

これは、もともと原作が横溝作品の「おどろおどろしい」雰囲気を持ちつつも、最も事件の背景・動機がロマンチックなのです。しかし、全編に広がる色彩は灰色。けして総天然色的な派手さはない。横溝が創作した手毬唄をモチーフに、悲しみが最初から最後まで貫いているのです。

このあたりの映画的処理は、さすがは市川監督です。岸恵子の演じたヒロインも見事でしたし、最後のシーンでの加藤武演じる警部に金田一がかける言葉も素晴らしい余韻を作り上げているのです。

そんなわけで、本当にファンの方には申し訳有りませんが、金田一悟郎はだめです。このシリーズは市川シリーズの雰囲気のリメイクになっていて、はじめからオリジナルの金田一ではないと思います。やはりアイドルのイメージをひきずっていては、「かっこ悪さ」を出し切ることはできない。

石坂金田一が成功したのは、それまでの片岡知恵蔵や岡譲二のダンディ金田一を捨てて、原作に忠実な風采の上がらない人間的な探偵像を実体化したからなのです。同じ頃にテレビシリーズでは古谷一行が演じていましたが、外見は原作に近いもののテレビという媒体の影響か、しゃべりすぎ。決めセリフ的な演出も鼻につきました。

横溝正史は戦争が終わって、「さぁこれから探偵小説をかける」と喜んだといいます。そして、本格的謎解きを本筋にもってきた「本陣殺人事件」で1946年に金田一をデヴューさせました。続いて発表された「獄門島」はその独創的なトリックとともに、横溝世界を初めて構築することができた最大の傑作でした。

戦前からの探偵小説作家は、いずれも谷川潤一郎の耽美的世界観の影響を受けているわけですが、横溝はその代表といっても過言ではありません。江戸川乱歩も初期の作品では、その影をひきずっていましたが、しだいにエンターテイメント方向に向かってしまいました。

横溝は、戦前に書き続けた谷川風の犯罪小説の雰囲気を、戦後に初めて探偵小説の世界に結実させたと言えます。しかし、その後逆にその自分の作った世界に縛られ、「八つ墓村」「犬神家の人々」「悪魔が来たりて笛を吹く」「女王蜂」という具合に金太郎飴的な作品を書き続けます。

そして金田一が登場して10年。「悪魔の手毬唄」はついにそれまでの横溝ワールドの総集編ともいうべき作品として、小説としてのロマンが結実した「獄門島」以来の傑作となったわけです。その後の金田一シリーズは、一度読めばいいような、あえていうならテレビの2時間サスペンスみたいなものです。

2009年1月4日日曜日

年寄りのつぶやき part3

年末年始、どう過ごしました?
まぁ、人がどうしようと関係ないんですけどね。まぁ、昔は1週間、街は完全に沈黙していましたから、家でひたすらコタツに入って、みかんを食べながらテレビを見ているしかなかった・・・でしょ?

大晦日は紅白歌合戦ですか・・・どうも、これ昔から好きじゃないんです。渋谷のNHKホールが出来る前は、内幸町のNHKホールでやってましたよね。70年代は帝国劇場でレコ大が7時からあって、人気者は数分間で紅白の会場へ移動するのが名物になってましたね。

その頃の裏番組というと、すばり、欽ちゃんの紅白をぶっとばせなんてね。11時45分になるとNHKはゆく年くる年。必ず除夜の鐘でぼーん。しずかに年が明けていくんですよね。

民放は、全局合同企画で、どのチャンネルを回しても一緒。見ててもしょうがないので、友人と初詣に出かけたりしたもんです。

とりあえずお年玉をもらうためには、一家揃って新年の挨拶。旨くないお屠蘇をなめて、これもまたこども心にはあまり旨くないおせちを食べます。

朝は午前中はマンガ、マンガ、マンガ。昼からはおしどり夫婦タレントが出てくるバラエティ。必ず中村メイコ/神津善行、南田洋子/長門裕之、渡辺トモコ/ジェリー藤尾なんてとこがレギュラーで出てきましたっけね。夜になると芸能人かくし芸大会。ここまでで、みかん1箱分くらいがなくなっちゃう。

翌日は顔が心なしか黄色いわけで、ビタミンC120%補充されてかぜをひかないというわけです。あとはオールナイトで洋画劇場を見れるだけ見て・・・・あくびをしているうちに、さぁ明日は始業式。

急に時代は昭和から平成に移って、開業してからは、年末ぎりぎりまでクリニック。それから正月当直(給与がいいんです)。そして、再びクリニック。というわけで、ほとんどテレビを見ることはありません。

今年は元旦から3日まで当直していたので、今日は朝からクリニックに行ってレセプト。昼からは年賀状整理をしていました。夜になって、テレビを見てもほとんど正月らしさはありません。ふだんの特番バラエティと変わりませんね。まぁ、世の中正月でも働いている人が増えて、あまり正月らしさを意識することが少なくなったんでしょうね。

まぁ、それでも、毎日毎日クリニックのことであくせくしているので、数日間まったく考えないですんだのは良い息抜きになりました。明日からは、また通常診療です。さあ、がんばろう!!

Miles Davis / Kind of Blue

よくある質問で、無人島に1枚だけ音楽CDを持っていくとしたら何にしますか? と、いうのがあります。CDだけ持っていっても、プレイヤーが無ければどうせ聴けないので、捨ててもいいやつを持っていくというのが答え。大事なものは家にとっておく。まぁ、それじゃ話が進まないので、質問を変えましょう。

あなたが一生大事に聴くことができるCDを1枚だけ選んでください。CDといえども、永久不滅ではないわけで、プラスチックがしだいいたんで音質は劣化するわけですから、一生聴けるCDなんてありません、というのが答え。最近は、劣化の無いガラスCDなんという、1枚20万円くらいするようなものもあります。これでも、話が進まないじゃないか。

要するに、一番お気に入りの音楽は何?

最初から、単純にそう訊ねればいいじゃないか。音楽以外でも、本でも、映画でもいいです。いわゆるカルチャー、無くても生きていくことはできますが、有ればより人生を豊かにすることができるもの。

でも、そういうものには絶対というものは無いわけで、人によっても好みはいろいろ。なかなか一つだけをピックアップするなんてことは大変に難しいし、ましてや万人を納得させることが出来るような答えなんて最初からありゃしない。

そんなわけで、JAZZの世界では無理して答えを作ると、かなりの人は1959年に録音されたMiles Davisの"Kind of Blue"をあげてくるわけです。

1950年代のJAZZは、テーマになるメロディがあって、そのコード進行に沿ってアドリブをばりばりしていくハードバップと呼ばれる形が人気がありました。その推進力となってJAZZの世界で一気にスターダムにのしあがったのがMiles Davis。

でも、さすがにMIlesはコードにしばられた演奏の限界を感じていたわけで、モード奏法という和音(コード)にしばられない自由な演奏を思いついたわけ。とは、いってもそこには白人ピアニストのBill Evansの力もかなりかぶっているわけです。

そういう二人が作り上げたアルバムが"Kind of Blue"であって、Miles評論家の中山康樹氏に言わせれば、この1枚がなかったら、JAZZは歴史的な成果は何もないことになってしまうというくらいのものなわけです。もちろん、自分も激しく同意するわけで、高校1年生のときに初めて聴いてから35年間、いまだにこれ以上のJAZZは無いと思っています。アドリブを一緒に口笛で吹けるくらい覚えているものはそうはありません。

このアルバムのすごいところは、簡単な演奏のためのスケッチだけがMilesとBillによって用意され、2回のセッションでほとんどが一発で録音されていることです。当時、JAZZのアルバム作りではTake 2、Take 3なんて当たり前で、Miles Davisもしばしば満足のいくTakeをつぎはぎにしたりしているわけです。

これは、セッションの会話を含む全体の録音テープがみつかり、数年前からBootleg(いわゆる海賊盤)で出回っていましたのでまちがいないところ。アルバム全5曲のうち、完全な演奏として別Taketがあるのは1曲だけ。他はスタートでのやり直しが数回だけで、完全な演奏というのは発表されている1takeだけなのです。

最も有名な1曲目の"So What"では、Paul Chambersのベースがメロディラインを弾いて行くところに、Milesのトランペット、John Coltraneのテナーサックス、Cannonball Adderleyのアルトサックスがさりげなく絡んでいくところは絶妙です。

そしてとどめの一撃がJimmy Cobbのブラシで叩くシンバル。もうこれ以上の音はありえないというタイミングで、湖に小石を投げてゆっくり広がっていく波紋のようなのです。そしてここから、Milesの最初から楽譜ができていたんではないかと思いたくなるような、一瞬のすきもないアドリブに入ります。

あまりに完成度が高く、その後のライブなどでもある程度アドリブのラインを踏襲していくことになるのですが、さすがにこの初演をこえることはありません。

続いて、それまでいつもノー天気にブヒブヒと吹くだけのColtraneが抑え気味のアドリブを展開します。さらにブファーと吹きまくるだけがとりえのCannonballまでも知的な雰囲気を醸し出してしまうのには驚き。

最後にEvansがアドリブとはいえないカデンツァ風のピアノでまとめて、テーマに戻ります。当時のJAZZでは珍しいフェードアウトで遠ざかっていくのは最高の演出でした。

実は、あまりに凄いアルバムですから、ここでプログに取り上げるのは恐れ多いと思っていたのですが、昨年発売50周年として正規盤としては究極のセットが発売されていて、いよいよ期は熟せりという感じだったのです。

"Kind Of Blue: 50th Anniversary Collector's Edition"というタイトルなんですが、CD1は通常のアルバムが収録されています。そこに、Bootlegでマニアにはすでに当たり前のセッションテープを追加。とはいっても、完全なものではなく、その辺がCBS(Legacy)の中途半端なところ。

CD2も、すでに発売されている音源の寄せ集め。DVDには当時にテレビ出演した際の映像などを収録。豪華装丁の解説本とブロマイド風の写真。まぁ、このあたりまではいまさら感があるわけですが、もう一つこのセットにはマニア心をくすぐる仕掛けがあって、これのためについつい何回目かの"Kind of Blue"購入となってしまうわけです。

それはオリジナルジャケットに入った30cmアナログレコード。わざわざ擦り減らして聴こうとは思いませんが、この大きさ、レコードの懐かしい感触がたまりません。針を下ろさなくても、自然と音が響いてくるようです。完全初回限定生産とうたわれると、多少の疑いを持っても買わないわけにはいかない。

たまには、聴くためではなく所有するための音楽というものがあってもいいじゃないかと、自分を納得させるのでした。

2009年1月3日土曜日

年寄りのつぶやき part2

交通事故が減ったんだって。2008年の死者数が5155人。2007年につづいて5千人台を維持できたということです。

1970年ごろに交通事故による死者の数は年間16000人。一度減少しましたが、1990年ごろに再び1万人を超えてたそうです。

70年代は交通戦争なんていう言い方があって、東京の空はどんよりスモッグで煙っていました。自分が中学~高校生の頃ですかね。車が走り去ると、猛烈な臭い煙があたりに漂っていて、しばらく息を止めて歩いた記憶があります。

1960年代からのいろいろな公害訴訟なども、少しずつ決着が着き始め、日本人も環境というものに心を配りはじめました。しかし、1億総中流時代を迎え、それまで高嶺の花だった自家用車は、どこの家でも家電製品のように当たり前のものとなって、自動車の総数は増加の一途をたどりました。

また、バイクの数もそれにあわせて増えたんでしょうね。いわゆる暴走族の登場により、交通ルールを無視して運転する連中があふれかえったことで、90年代に再び交通戦争状態に突入。

その頃、自分は大学の救急に入り浸りの整形外科医でしたから、もう毎晩うんざりしていたんですよね。交通事故のケガは強い外力による損傷ですから、ケガの仕方もハンパじゃない。特にバイク運転者は生身の体をむき出しにしているわけですから、ひとたまりもありません。

昔は頭を決められて、即天国行きでしたから、ある意味よかった。ヘルメットの着用義務が導入されて80年代には確かに死亡者は減ったんでしょうけど、そのかわり首をやられて一生手足の麻痺になる脊髄損傷の患者さんが急増しました。

手足の骨折なんて、当たり前。それも何カ所も折れているから、もう全部を何とかするなんて無理、ということも珍しくない。肺が潰れたり、肝臓が破裂していたりした日には、もうとんでもありません。

それでも、各地に救急施設が増え始めて、かなり救命については可能になってきたということが、数字にも表れているんだと思います。

悲惨な飲酒運転事故が多発し、取り締まりが強化されたことも、事故を減らすことに大きく役立っているはずですよね。去年に限って言えば、ガソリン高騰からみんながECO運転をするようになったことも関係あるかもしれません。

しかし、交通ルールの無秩序だけはエスカレートする一方。信号は赤でも進めだし、反対車線でも平気ではみ出て走っていくバイクなんかは当たり前になっています。暴走族みたいなのではなく、それを一般の人がやっていることが恐ろしい。

そう考えると、それ以上は死者数は減少するもんじゃなさそうですよね。政府の方針としての死者数減少の目標達成ということらしいのですが、負傷者数は思ったより減っていないんじゃないでしょうか。医療的にも、こっちの方がむしろ大きな問題なのかもしれません。

2009年1月2日金曜日

Baroque Masterpieces

クラシック音楽というのは、だいたい6世紀頃から主にヨーロッパの教会や宮廷で始まり現代に至るわけです。特に、17世紀からのバロック音楽は18世紀前半のJ.S.バッハの活躍で一区切り。

それからハイドン、モーツァルトの活躍で貴族も楽しめる娯楽音楽的な発展をして、ベートーヴェンで芸術的にも完成した古典派が19世紀前半まで。

続いてブラームス、シューベルト、シューマン、ショパン、ワグナーといったロマン派が出てきて、マーラーやブルックナーが活躍する20世紀初頭まで主流になりました。

またチャイコフスキーなどの東欧圏、あるいはサンサーンスなどのフランス圏などの国民楽派も台頭してきます。20世紀には、シェーンベルクのような不協和音を多用する作曲家も登場します。ラフマニノフ、プロコフィエフ、ショスタコーヴィッチなどが最後のロマン派となるんでしょうか。

まぁ、そんな付け焼き刃的な講釈をしても、すぐに底がわれてしまいますからその辺りまでにしておきます。あくまでも、マニアをのぞいた一般人にとっては、クラシック音楽というのは18世紀から19世紀までの200年間くらいの間に集約されるわけです。

特に、一番人気がある、あるいは名を知られている作曲家といえば、モーツァルトとベートーヴェンでしょう。後はバッハとショパンくらいでたいてい足りてしまう、というとクラシック音楽好きの方に怒られてしまうかもしれませんが、たぶんそれが現実です。

彼らはとうの昔に亡くなっているわけで、当然新作はありません。最近クラシックにはまっていろいろCDを漁っていて、その当たり前のことに気がついたんです。

例えば、ベートーヴェンなら、9つの交響曲、5つのピアノ協奏曲、1つのバイオリン協奏曲、16の弦楽四重奏曲、32のピアノソナタ、10のバイオリンソナタ、2つのミサ曲でだいたいおしまい。もちろんその他にもありますが、基本的には限られた数の曲しかないということに愕然とします。

ピアノ独奏曲のCDを探していても、有名どころの手に入る物は限られてきます。だいたい1周してしまうと、別の演奏者の物を聴きたくなる。あっちが評判がいいとなるとあっち、こっちが名盤と言われるとこっち、という具合です。

そのあたりから、単なる一般愛好家とマニアの差が出てくるんでしょうね。確かにいろいろ聞き比べると、楽譜のある音楽とはいっても演奏者の考え方で随分と違って聴こえる物です。

ただし、それは当然独奏であるほど個性がでます。合奏するためには、好き勝手に演奏するわけにはいきません。たぶん、自分が交響曲などのオーケストラ物があまり好きでない理由はそこにありそうです。

こどもの頃には、いわゆる名曲を中心にクラシックを聴いていましたが、その後当然のように思春期はロックに走り、その後大人になってずっとジャズ。その耳でクラシックに戻ってみると、やはり演奏者の生きた音楽を楽しむには独奏が一番です。

ピアノはそれ一つで伴奏と独奏をこなすマルチな楽器ですので、最も向いているんでしょう。楽譜通りの音楽が聴きたければ、最近のコンピュータの進歩でMIDIでも十分に楽しめてしまいますからね。

ただ、どうもクラシックをCDで楽しむ限界が見えてしまったので、次の段階はどうしましょうか。たぶん、次は音楽本来の楽しみ方であるコンサートなどの実演を聴きに行くことになるんでしょうけど、さすがにそれは時間的な余裕がありませんので老後の楽しみにするしかありません。

さて、長い前置きでしたが、昨年末にどっか~んっと購入したCDセットの話です。昨年、バロック音楽を聴くのに最適な2つのセットが発売されました。

1つは「ドイツ・ハルモニア・ムンディ設立50周年記念限定BOX」でCD50枚。マニアには垂涎のバロック音楽の名盤が怒濤の如く含まれて、なんとHMVで5742円。100円ショップのわけのわからんCDを買うくらいなら、絶対にこっちというものです。

さて、もう1つは「バロック・マスターワークス」で、こちらはさらに上回ることCD60枚セットで、同じく5742円です。もうクラシックCDデフレの極みみたいなもんです。

ハルモニア・ムンディはややマニア向けで、マスターワークスのほうが一般に知られている作曲家の代表作を広く網羅していると言えそうです。と、いうわけでマスターワークスを購入しました。大盛り弁当箱を3個重ねたくらいの箱に入っています。

ただし、難点は苦手な歌物が多いこと。まぁ、こんなセットでないと単独で買うこともないので、せっかくの機会だからというので聴いてみました。バッハは好きな作曲家ですから、まぁ何とかがまんできるかと・・・

マタイ受難曲、ヨハネ受難曲、ロ短調ミサ、マニフィカトとがんばってみたんですが、やっぱりダメだぁ。随所にあらわれるメロディや清楚な歌声の美しさは認めるのですが、いかんせん何を歌っているかもわからないから、曲の盛り上がりに気持ちがついていきません。

BGMとしても存在感がありすぎで、箱根駅伝のテレビ画面とはとうてい合いそうにありません。そういえば、小学生の時にモーツァルトのレクイエムを買ってきて、一度聴いたきり二度と聴かなかったことを思い出しまた。

まぁ、まだCD50枚以上残ってますから、ゆっくり聴いていくことにします。

年寄りのつぶやき

昨年はいろいろと嫌なニュースばかりで・・・もっとも、良い噂は広がりにくいし、良い話は忘れていまい易い。悪い話の方がニュースになりますし、良く考えれば反省して成長にもつながるということで。

黒澤明の映画で「天国と地獄」というのがありましたが、これは白黒映画でしたが、最後の方で映画の鍵になるシーンだけがカラーで、その対比が強烈なインパクトを与えていました。

この映画は、こどもの誘拐がテーマの犯罪物です。三船敏郎と山崎努の善悪の2極に別れて対決するすごい映画でしたが、この映画がきっかけで刑法が改正されて誘拐事件の罪が重くなったと言われています。

そういう誘拐事件というのが、最近はめっきり聞かなくなりました。世間が多様化して、犯罪者はさらに深く潜行して姿を見せない形か、あるいはまったくの行き当たりばったりのものになったように思います。

前者の代表は振り込め詐欺、後者の代表は無差別殺人でしょうか。誘拐事件は一般にリスクが高く割が合わないと言われていましたが、その理由は金を受け取るために必ず犯人は姿を現す必要があるためです。

黒澤映画の中でも、犯人は必死に姿を出さないためのいろいろな工夫をしていました。もともと犯罪ですから正義などないのですが、昔の犯罪はある意味正々堂々と行われていたのかもしれません。

個人情報を声高に叫ぶ現代人は、匿名性ばかりが突出しより犯罪を、それも陰険な犯罪を起こしやすい環境を作ってしまったのかもしれません。

無差別殺人事件も、社会の弊害から来る病的な心の問題を掲げて犯人を正当化するような論評も見受けますが、精神疾患であれば罪を問えないというのは、いまだに納得がいかない話です。

通常精神状態がまともなら、人を殺したりはしないわけで、その時は犯罪者はすべて精神異常になっていると思います。

話を誘拐事件に戻すと、うちにもこどもが3人いるわけで、何となく誘拐されたらどうしようみたいなことは考えたことがあります。身代金を要求されて、数百万円くらいなら何とかなるでしょうけど、数千万円なんて言われたらアウト。

そうなったら、すぐに警察に頼むしかありません。さすがに、こどもたちももうだいぶ大きくなったので誘拐されるようなことは無いとは思いますが、より複雑になった犯罪に巻き込まれたりしないとは限りません。

正月に年始参りをするような習慣、言い方を変えれば近所の顔が見えるお付き合いみたいなものが、少しずつ戻ってくるような社会がいいんじゃないかな、と新年早々考えているのでした。

2009年1月1日木曜日

お年玉

自分の苗字は珍しいもんですから、ほとんど親戚以外では見たことがありませんでした。もっとも、インターネットの普及のおかげと言っていいのか、検索してみると同じ苗字でも知らない人も見つかったりします。

まぁ、何が言いたいかというと、お年玉のこと。親戚は熊本とか岡山とかなので、正月だと言ってどこかに集まることもないので、結局父の知り合いの方々と唯一近い浦和の親戚からもらうので精一杯でした。

自分がこども時は、けっこう年始参りという風習が残っていて、他人でも正月には挨拶にいったりしたものです。そうすると、そういうおじさんが、思わずお年玉をくれたりしてたいそう嬉しかったわけです。

よし、今年は準備してきたぞ、ってんでドバっと渡されたのが5円玉の束だったことがあります。何でも毎日牛乳を買うのにお釣りで貰った5円玉をひもに通して貯めたんだそうです。う~ん、気持ちはわからなくはないですが、こども心にもこれはあまり嬉しくはない。

それから、もらったポチ袋を開けたら、板垣退助さんが一枚。当時一件につき2~3千円くらいだった時なので、さすがにがっかり。そのまま取っておけば、今なら少しはプレミアがついているかもしれませんが、その頃は貰っておいてぶつぶつ文句を言って親に怒られました。

さて、それじゃお小遣いも貯まったし・・・と言っても、昔は正月の前後1週間くらいの間は、ことごとくお店は閉まっていたんですよね。

結局おもちゃ屋さんなんかは開いていないから、せっかくのお金を使えない。お店が開く頃は、もう学校もすぐですからそうそう遊んでいられませんでした。

そう思うと、正月の様子というのも、随分とかわったもんですよね。スーパーも元旦からやっているのが珍しくなくなりましたから、せっせとおせち料理を用意しなくてもすんでしまいます。

まぁ、少しでも伝統的な行事を後世に伝えていくことは大切なことなので、初詣、松飾りと鏡餅、そしてお雑煮くらいは続けたいと思ってはいます。

謹賀新年 2009

2009年。あけましておめでとうございます。 昨夜は年越しで遊んでいたため、さすがに朝からでかける力がありません。そこで、初日の出はテレビで鑑賞です。 昨夜も空は晴れていて、首都圏にしては星がいっぱい輝いていました。今年は初日の出は日本全国で、しっかり見ることができたようです。 今年は、いろいろな世間のもやもやがすっきりと晴れて、素晴らしい年になってくれそうな始まりですね。 本年もよろしくお願いいたします。