2009年1月8日木曜日

とりとめもなく考え事

健康とは、病気が無い状態のこと。病気とは、体が正常に機能していない状態。正常でしだいに機能が低下していくのは生理であって、病気ではありません。

その一番わかりやすいのが、老化です。老化は病気ではありません。年を重ねる事は自然のことであって、人間をはじめいかなる生物も成長が終了すれば、あとは消耗品なわけです。しだいに、ところどころがまともに働かなくなってくる。

でも、どんどん落ちてくる機能のままに生活の質を落としていくことはできません。実際、少しでも機能の低下を踏みとどまって、元気に生活ができる期間を健康寿命と呼び、健康寿命をいかにして伸ばすことができるかが現代社会の大きな課題となっているのです。

高齢化社会の到来と言われるようになって、医療についてもいろいろな問題が浮き彫りになってきました。あんまり、社会問題をどばーっと取り上げるような大げさな話をするつもりはありませんが、身近なところであらためて考えることがよくあるもんです。

関節リウマチの年老いた奥様を一人で介護しているご主人。もちろん、ご主人も高齢で、息子が一人いるのですが外国で働いているのです。典型的な老老介護のパターンです。最初はクリニックに定期的にいらしていましたが、転んで骨折をしてからは往診で伺うようになりました。

そのうち、リウマチの治療そのものは必要ではなく、内科的な問題が大きくなってきたので、24時間対応できる在宅支援の診療所の先生にお願いしました。ご主人も必ずしも体調が万全ではなく、時々腰痛や足のしびれがひどくなって来院されましたがいつの間にか来なくなりました。

そしたら、たまたま老人施設で数ヶ月ぶりに奥様にお会いしたのです。びっくりしました。
「××さん、いつからいるの? 元気ですか?」
「誰だったかしら」
全然自分のことを覚えてくれていませんでした。これは、けっこう哀しいことです。

しばらくしてご主人が亡くなったことを耳にしました。必死に奥様を介護していた方だったので、奥様を施設に入れたことで、自分の生きる目的が無くなってしまったのかもしれません。

老化は確かに病気ではないのですが、健康寿命を伸ばすことに弊害となることがあれば、そこには医療が介入する余地があるわけです。そして、健康であるためには健康でいるための目的も必要なわけで、そういう精神的な部分で少しでも役に立てるかもしれないのは開業医なのだろうと考えさせられました。

少なくとも勤務医の時には、患者さんが自分が治療していたことと関係ないところでは亡くなっても知ることはありませんでした。

開業してまだ3年ですが、通院されていた高齢の方ですでに何人か亡くなったことを知っています。また、よく来ていた患者さんが、ぱったり来院されなくなると心配になります。1年ぶりに、また腰が痛くなったといって来院されると、患者さんには申し訳有りませんが、ほっとすることもあるんですよね。