クラシック音楽の中でバロックというと、何となくさわやかで聴きやすい朝向けの音楽みたいな印象ですかね。
絢爛たるヨーロッパの貴族社会の中で、宗教色を色濃く出しながら、庶民とはほど遠い貴族の娯楽のためのものでしょうから、本来は自分たちが楽しむことはできなかったんでしょうね。
もちろん作曲家はたくさんいるわけですが、自分も含めて大多数の人にとっては、J.S.バッハとヴィバルディの二人がいれば、だいたい間に合うことになっています。
小学校の音楽の授業などでの名曲鑑賞なんかで、バッハのオルガン曲「トッカータとフーガ ニ短調」はメロディを知らない人はいないでしょう。そして、もう一つの超有名曲といえば、ヴィバルディの「四季」です。
このヒットに大きく貢献したのがイタリアのイ・ムジチ合奏団。70年代を中心に何度も来日して、その度に「四季」を中心としたプログラムで絶大なる人気を誇りました。しかし、時代が変わりクラシック界では古楽器が幅をきかせるようになりました。
つまり、作曲された当時の楽器でなるべく作曲者の意図に沿った演奏が正しいという考え方です。それはそれで、正しいのかもしれませんが、その結果イ・ムジチのようにモダン楽器で演奏する集団は隅っこに追いやられるようになりました。
しかし、どうなんでしょう。どんなにがんばっても、作曲された当時と同じ環境は絶対に手には入らないわけで、そもそも聴く側の感性は絶対違うわけです。古楽器至上主義みたいなことを言っても、どこまでも中途半端でしかありません。
現代の耳に馴染む演奏もあり、できるだけ当時の雰囲気を再現する演奏もあり、もしかしたら未来を想像した演奏(富田勲のシンセサイザーなんかがいい例でした)もありでいいじゃないですか。
その中から、それぞれの方が自分の好みの物を選べばいいんです。それに作曲家の意志を尊重すればするほど、演奏家のオリジナリティは消えていくわけで、それでは楽譜通りにパソコンの打ち込みで演奏するので十分になってしまいます。
伝統に重心を持つと、型破りができなくなり時代の流れに乗り遅れ、単なる歴史になってしまいます。それも大事ですが、時代とともに発展していく部分もないと、文化は消えていってしまいます。日本の歌舞伎にも、同じような気持ちを抱いてしまうわけです。
それで、イ・ムジチですが、やはり「四季」の演奏としては日本人的にはデフォルトになっているわけで、やはりモダン楽器のてきぱきした響きは気持ちのいいもんです。CDの時代になって最初に買ったクラシックの1枚はそれでした。
ずっと、他のヴィバルディの曲も含めて聴きたいと思っていましたが、書いたように、最近はイ・ムジチのCDはあまり手に入らない。正月にバロック全集を聴いていて、やはりイ・ムジチで聴きたいと思って探していたら、こんなのがありました。
DECCAが作ったVivaldi MasterworksでCD40枚組です。主に協奏曲はイ・ムジチ、歌曲はネグリという一時代を築いた名演の集大成です。ただ、いつものHMVでは8592円。正月に散財した後では、ちょっと厳しい。
そこで、今回は通販のもう一方の雄、Amazonの中古にお世話になりました。目当てはイ・ムジチで、半分の20枚です。これで、有名どころは全部含まれます(作品1~12)。歌物が不得手なのですが、中古で3000円ちょっとだったので、イ・ムジチ全集20枚組に歌物20枚がおまけについていると思えば破格の値段です。
ヴィバルディは生涯に500曲もの協奏曲を書いているわけですが、一言で言うなら「偉大なるワン・パターン」ということになり、どれを聴いても金太郎飴みたいなもんです。その中で「四季」に含まれる12楽章は傑出している。親しみやすいメロディと、四季の移り変わりを音楽で表現するコンセプトが貫かれていることが要因なんでしょう。
その他の曲も含めて、少なくともイ・ムジチの演奏は聴き疲れすることはありません。18世紀前半の音ではないでしょうが、やはり人々を魅了するだけのことはあります。細かいことを言えば、何枚かあるイ・ムジチ盤では独奏のバイオリン奏者が違いますが、それを聴き分けるだけの力は自分にはありません。
Il Giardino Armonicoの「四季」の古楽器演奏も悪くはありませんが、どうしても古楽器では響きが少なくなるようで、その分全体のスピード感か強まるような印象です。まあ、クラシック・ファンならずともイ・ムジチの1枚は一家に一枚くらあってもばちは当たりません。