年末年始診療 12月29日~1月5日は休診します
年内は12月28日(土)まで、年始は1月6日(月)から通常診療を行います
2016年9月30日金曜日
写真の現像
自分の父親は自宅で内科の開業医をしていたので、レントゲン写真を撮影すると、そのまま自分で現像していたました。
レントゲン写真は一眼レフカメラなどで撮るのとは撮影方法こそ違いますが、フィルムはそのままでかくしたもので、現像のりくつは一緒。
普通のカメラフィルムも、同じように作業して現像できるので、父も写真が好きでしたから、通常の写真の焼き付け器も用意していました。大きなトレイの中に現像液と定着液を入れて用意して、それぞれの中に露光した印画紙をくぐらせることで撮影した画が出てくる。
ただし、できるのは白黒だけ。カラーフィルムの現像はできません。それでも、高校生の頃に、カメラ屋さんからもどってきたカラーフィルムを使って、自分で白黒写真をいろいろ焼き付けてみるということを随分とやりました。
このあたりが、自分の写真趣味のルーツだと思いますが、露光具合をちょっとずつ変えたり、現像液に入れている時間を調節したりして、いろいろと面白い写真が出来上がるのが楽しかった。
今や、時代はデジタルで、そういう現像・焼き付け作業をするための暗室は不要になりました。すべて、コンピュータでの作業ですんでしまいます。もちろん、レントゲン写真も同様。
コンピュータによる「現像」は、暗室はもとより、現像液も定着液も、乾燥することもしない。その場でソフトウェアをいじって、その変化をすぐに確認しながら、やり直しもしながら進めていきます。
上の写真は、空という明るい部分と、樹々に囲まれて暗い池という光量的に対照的な風景。なんとなくボケっとして撮影していると、明るい方か、暗い方に露出が合ってしまうので、なんとも味気ない写真になってしまいます。
元々の写真はこれ。
こりゃダメだ。空が飛んでしまい、せっかくの少しだけ見えていた青空が飛んでしまいました。全体的にも彩度が上がらず、なんか物の怪でも棲んでいそうな雰囲気になっています。
HDRという撮影法があって、一回シャッターを押すと、2回カシャカシャとなって、暗い方を中心にしたものと、明るい方を中心にした撮影を同時に行い、即座に合成してくれるというもの。
これは便利なのですが、2回絞りが開くので、手持ち撮影では微妙にブレが出やすくなる。こういう写真ばかりを撮影している万年素人写真家としては、後からコンピュータ上での「現像」作業が必須になってくる。
あー、便利な時代になったものです。ダメダメの撮影でも、後からどうにでもなったりする。もはや、「現像」という言葉の意味するものは、昭和の頃とはまったく違うということですね。
2016年9月29日木曜日
実ほど頭を垂れる稲穂かな
・・・というのは、秋になって、田んぼの稲は先端に実をつけ、その重さで次第に垂れてくる様子を詠んだもの。
そこから、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になるものだという故事。そして、その反面、小人物ほど尊大に振る舞うものだという意味を含んでいる。
うーん、気を付けないといけません。天狗になってはいけない。調子に乗りすぎちゃダメ。いつも、反省する気持ちを忘れないことが大事。
・・・と思ってはいるものの、そこは人間ですからいろいろな煩悩があって、ついつい謙虚さを忘れがちになりやすい。
そろそろ収穫の時期ですが、連日の雨で垂れた稲穂は、さらに腰が低くなっている感じがします。
2016年9月28日水曜日
ザリガニ
ザリガニです。
一応、「カニ」を含む名前ですが、基本的には「エビ」の仲間・・・ということになるんでしょうけど、このあたりは、いろいろと中間的な要素があるらしく、生物学的には面倒なところ。
まぁ、我々一般人にはどっちでもいいところですが、少なくともザリガニは淡水の池や沼に広く棲息し比較的身近な生き物です。ヨーロッパでは、食材として利用されるということですが、日本ではあまり一般的ではありません。
小学生の時、明治神宮の中の広場は絶好の遊び場の一つでした。奥に池があるので、ここはザリガニ釣りの穴場。
今も昔も、ザリガニ釣りの餌はスルメということになっています。竿から垂らした糸の先に結んで、挟んだところを釣り上げます。ところが、神宮ですから、生き物を捕まえたりしてはいけないことになっている。
竿とバケツを持って表から入ろうものなら、すぐに警備員に見つかって怒られることになる。そこで、こどもなりに考えた。
まずは囮が道具をあからさまに持って突撃し、わざと警備員に見つかります。警備員が「ダメだ!!」と言いながら追いかけて行った隙に、本隊がすり抜けていくわけです。
もう、これは、ザリガニを捕獲することよりも、いかに中に侵入するかのゲームを楽しんでいるようなものなんですね。
一応、「カニ」を含む名前ですが、基本的には「エビ」の仲間・・・ということになるんでしょうけど、このあたりは、いろいろと中間的な要素があるらしく、生物学的には面倒なところ。
まぁ、我々一般人にはどっちでもいいところですが、少なくともザリガニは淡水の池や沼に広く棲息し比較的身近な生き物です。ヨーロッパでは、食材として利用されるということですが、日本ではあまり一般的ではありません。
小学生の時、明治神宮の中の広場は絶好の遊び場の一つでした。奥に池があるので、ここはザリガニ釣りの穴場。
今も昔も、ザリガニ釣りの餌はスルメということになっています。竿から垂らした糸の先に結んで、挟んだところを釣り上げます。ところが、神宮ですから、生き物を捕まえたりしてはいけないことになっている。
竿とバケツを持って表から入ろうものなら、すぐに警備員に見つかって怒られることになる。そこで、こどもなりに考えた。
まずは囮が道具をあからさまに持って突撃し、わざと警備員に見つかります。警備員が「ダメだ!!」と言いながら追いかけて行った隙に、本隊がすり抜けていくわけです。
もう、これは、ザリガニを捕獲することよりも、いかに中に侵入するかのゲームを楽しんでいるようなものなんですね。
2016年9月27日火曜日
2016年9月26日月曜日
エアコン分解清掃
いやいや、何日ぶりでしょうか、太陽見たのは。
しかも、日曜日。さてさて、どこに遊びにいこうか・・・ ・・・ ・・・ うん? えっ!? マジ? 朝から・・・そうでした。大事な用事が入っていました。
ということで、昨日はクリニックの据付エアコンの分解清掃をすることになっていました。エアコンは、このビルの付属品ですが、掃除は各テナントでということになっています。
毎年、2回フィルターの清掃をしていましたが、特に問題が発生したことがなかったので、実は大々的なクリーニングは今回が初めて。
エアコンの設置してある場所は、一番の外枠だけ残して、ほぼすっぽりと空洞みたいになりました。分解されたそれぞれのパーツは、ベランダで高圧洗浄機、一部は手作業でしっかりきれいになりました。
クリニック内には6基のエアコンがありますが、場所によって汚れ具合はまちまち。全体的にはあまりひどい方ではないということでしたが、意外だったのは一番汚れていたのがスタッフ室のエアコンでした。
上の写真は、どっちも清掃前。左はレントゲン室で、右はスタッフ室。ずいぶんと汚れ方には差がありますが、とにかく3時までかかって作業は終了。
もうちょっと冷房を使うかもしれませんが、すぐに暖房を使うわけで、ほぼ一年中稼働させるものです。すっきりしたので、これからは気持ちのいい空気が出てくる気がします。
2016年9月25日日曜日
レンズ再考 (2) 今の自分に合うセレクション
さて、昨日の続き。1年間、毎日一眼レフカメラを持ち歩いたうえでの結論としては、自分の場合のレンズの組み合わせとして、現時点で最良の組み合わせを考えると次のようになります。
まず、望遠域は簡単。これは今まで通り、SIGMA APO 50-500mm F4.5-6.3 DG OS HSMを使いたいと思います。思い切り超望遠ができて、とっさの場合にはいっきに標準域の50mmもカバーできます。
さらに、利点としてフルサイズ・レンズであることが挙げられます。APS-Cサイズ専用レンズは、確かに安いのですが、今後のカメラ本体のグレードアップで使えなくなる可能性があります。
超望遠ですから、暗めになるのはあきらめるしかありません。このクラスで明るいものを求めるなら、価格でゼロ二つくらい増えることを覚悟しないといけません。
そして、広角域については、APS-C専用のSIGMA 8-16mm F4.5-5.6 DC HSMのフルサイズ用が、同じSIGMAにありますが(しかもリニューアルされたものが発売間近)、結局広角端しか使わないのは同じですから、わざわざ暗めのものを選ぶ必要はありません。
ただ、フルサイズ用の12-24mm F4 DG HSM Artが近日発売予定で、ズームは必要ないのですが12mmの超広角の画角は一度知ってしまうと捨てがたい魅力があり、価格によっては選択肢になるかもしれません。
そこで、現時点で登場するのが、広角単焦点レンズです。単焦点にすることのメリットは、構造が単純化して解像度が上がり、価格も抑えられる。そして、何よりも明るいレンズを選べるというところ。
SIGMAは、その点がんばっています。本来はニコンのカメラを使用しているわけですから、豊富な純正ニコンのレンズを探すのが本道なんですが、以前から価格が安いSIGMAを使用していましたし、そもそもレンズそのもののデザインが圧倒的に好みです。
最近のSIGMAは、レンズのシリーズを再構築していて、特にARTシリーズの評判は高い。低価格で純正を凌駕する性能のものも少なくないと、高評価です。
F1.4の大変明るい広角単焦点レンズが、今のところ焦点距離20mm、24mm、35mmの三種類そろっています。さらに標準域では50mmもあり、85mmの中望遠も近日発売という状況です。
広角の画角の面白さを考えると、多少使い処が難しくなるかもしれませんが、一番広角の20mmの焦点距離が魅力的。周辺光量落ちの話も出ていますが、その点はレタッチで修正は可能ですし、フルサイズの超広角であればやむをえない点だと理解しています。
SIGMA 20mm F1.4 DG OS HSM Artなら、超広角でボケを強く出せるので、遠景を広く撮影するだけでなく、比較的近距離の対象物を背景をぼかしつつ入れ込むという使い方ができます。
そして、広角と望遠の間を埋めるのに、最低でもう一本のレンズが必要なんですが、できるだけ持ち歩きのレンズは少なくしておきたいのは今でも同じ。となると、標準ズームを選択するのが一番よさそうです。
となると、焦点距離は50mmを中心として35~100mmくらいをカバーできれば十分かなと思いました。SIGMAで探してみると・・・あるんですね、これが。
SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM Art というのがあります。これはまさにストライクなレンズ。大きい重いと言われるのですが、その解像力の高さは特筆すべきと評価されています。
明るさだけが、ちょっと惜しいのですが、ズーム全域でF4を実現しているところはなかなかたいしたもの。一世代前のレンズだとF2.8があるのですが、望遠側が70mmまでで、ちょっと物足りない。いつでも、どでかい500mmのバズーカを持ち歩く元気はありません。
どうしても標準域でボケを強く出したい写真を撮りたい場合は、ArtシリーズからF1.4の35mmか50mmの単焦点を追加してもいいかもしれません。
フルサイズへの移行も念頭に置いて、探していくとSIGMAファンの自分の選択はこんな感じ。よく一眼レフカメラ愛好家の言う「レンズ沼にはまる」という表現がありますが、さすがに一台のカメラに対してこれ以上レンズをそろえる気持ちはありません。
最低で超広角単焦点、標準ズーム、超望遠ズームの3本、場合によっては標準単焦点、マクロを加えた5本あれば、それ以上のものを撮影する気力も機会もありませんからね。
最初からベストな組み合わせでレンズを揃えるというのは、大変難しいことです。ある程度使っていくうちに、それぞれの方の使い方がわかってくるもの。湯水の如く金が使えるわけではないので、いずれにしても最初のうちはあまり高いものをいきなり用意することはやめておいた方が賢明ということでしょうか。
今回のセレクトも、また時間がたつと必ずしもベストではないようになることは、普通にあることです。できるだけ「レンズ沼」にははまらないようにしたいと思っていますけどね。
まず、望遠域は簡単。これは今まで通り、SIGMA APO 50-500mm F4.5-6.3 DG OS HSMを使いたいと思います。思い切り超望遠ができて、とっさの場合にはいっきに標準域の50mmもカバーできます。
さらに、利点としてフルサイズ・レンズであることが挙げられます。APS-Cサイズ専用レンズは、確かに安いのですが、今後のカメラ本体のグレードアップで使えなくなる可能性があります。
超望遠ですから、暗めになるのはあきらめるしかありません。このクラスで明るいものを求めるなら、価格でゼロ二つくらい増えることを覚悟しないといけません。
そして、広角域については、APS-C専用のSIGMA 8-16mm F4.5-5.6 DC HSMのフルサイズ用が、同じSIGMAにありますが(しかもリニューアルされたものが発売間近)、結局広角端しか使わないのは同じですから、わざわざ暗めのものを選ぶ必要はありません。
ただ、フルサイズ用の12-24mm F4 DG HSM Artが近日発売予定で、ズームは必要ないのですが12mmの超広角の画角は一度知ってしまうと捨てがたい魅力があり、価格によっては選択肢になるかもしれません。
そこで、現時点で登場するのが、広角単焦点レンズです。単焦点にすることのメリットは、構造が単純化して解像度が上がり、価格も抑えられる。そして、何よりも明るいレンズを選べるというところ。
SIGMAは、その点がんばっています。本来はニコンのカメラを使用しているわけですから、豊富な純正ニコンのレンズを探すのが本道なんですが、以前から価格が安いSIGMAを使用していましたし、そもそもレンズそのもののデザインが圧倒的に好みです。
最近のSIGMAは、レンズのシリーズを再構築していて、特にARTシリーズの評判は高い。低価格で純正を凌駕する性能のものも少なくないと、高評価です。
F1.4の大変明るい広角単焦点レンズが、今のところ焦点距離20mm、24mm、35mmの三種類そろっています。さらに標準域では50mmもあり、85mmの中望遠も近日発売という状況です。
広角の画角の面白さを考えると、多少使い処が難しくなるかもしれませんが、一番広角の20mmの焦点距離が魅力的。周辺光量落ちの話も出ていますが、その点はレタッチで修正は可能ですし、フルサイズの超広角であればやむをえない点だと理解しています。
SIGMA 20mm F1.4 DG OS HSM Artなら、超広角でボケを強く出せるので、遠景を広く撮影するだけでなく、比較的近距離の対象物を背景をぼかしつつ入れ込むという使い方ができます。
そして、広角と望遠の間を埋めるのに、最低でもう一本のレンズが必要なんですが、できるだけ持ち歩きのレンズは少なくしておきたいのは今でも同じ。となると、標準ズームを選択するのが一番よさそうです。
となると、焦点距離は50mmを中心として35~100mmくらいをカバーできれば十分かなと思いました。SIGMAで探してみると・・・あるんですね、これが。
SIGMA 24-105mm F4 DG OS HSM Art というのがあります。これはまさにストライクなレンズ。大きい重いと言われるのですが、その解像力の高さは特筆すべきと評価されています。
明るさだけが、ちょっと惜しいのですが、ズーム全域でF4を実現しているところはなかなかたいしたもの。一世代前のレンズだとF2.8があるのですが、望遠側が70mmまでで、ちょっと物足りない。いつでも、どでかい500mmのバズーカを持ち歩く元気はありません。
どうしても標準域でボケを強く出したい写真を撮りたい場合は、ArtシリーズからF1.4の35mmか50mmの単焦点を追加してもいいかもしれません。
フルサイズへの移行も念頭に置いて、探していくとSIGMAファンの自分の選択はこんな感じ。よく一眼レフカメラ愛好家の言う「レンズ沼にはまる」という表現がありますが、さすがに一台のカメラに対してこれ以上レンズをそろえる気持ちはありません。
最低で超広角単焦点、標準ズーム、超望遠ズームの3本、場合によっては標準単焦点、マクロを加えた5本あれば、それ以上のものを撮影する気力も機会もありませんからね。
最初からベストな組み合わせでレンズを揃えるというのは、大変難しいことです。ある程度使っていくうちに、それぞれの方の使い方がわかってくるもの。湯水の如く金が使えるわけではないので、いずれにしても最初のうちはあまり高いものをいきなり用意することはやめておいた方が賢明ということでしょうか。
今回のセレクトも、また時間がたつと必ずしもベストではないようになることは、普通にあることです。できるだけ「レンズ沼」にははまらないようにしたいと思っていますけどね。
2016年9月24日土曜日
レンズ再考 (1) この1年の使い方のまとめ
一眼レフカメラと言えば、使用する最大のメリットは「きれいな写真」が撮れること。
きれいな・・・というのは、何と比べるかということですが、最近では携帯電話の普及で、誰もがスマホについたカメラを持ち歩いている時代。
そのために、コンデジと呼ばれる一般的なカメラは影を潜めてしまいました。コンデジはむしろ、高機能化して、スマホのカメラとの差別化を図っている。
一眼レフが優位に立つのは、当然これらのカメラに対しての話。もっとも、ただシャッターを押せば「きれいな写真」が撮れるわけではなく、カメラ本体と機能を熟知して、何を撮るかということに合わせて最適なレンズを使用するというのが基本的な約束になる。
ですから、自分のようにカメラの機能が多すぎてよく理解していないままに、特に何というわけでもなく、面倒なので1本のレンズで済ましてしまうおうと考えているような輩には、まっとうな写真など撮れるはずもない。
何となくカメラを向けているうちに、たまたま偶然の奇跡の一枚に喜んでいるようでは、とてもとても写真愛好家とは呼ばれるわけもなく、重たい機材は宝の持ち腐れになってしまいます。
そもそも、できるだけ1本のレンズでというのは、一眼レフのレンズ交換ができるという大きな特徴を無視しているわけで、根本的な部分で一眼レフを否定していることにつながる矛盾だらけの振る舞いです。
でも、それにはそれなりの事情というものがあるわけで、さすがに何本もの重たいレンズを常時持ち歩くわけにはいきません。そして、屋外でのレンズ交換というのは、カメラ内へのゴミ・埃の侵入の危険があることや、またレンズ落下による破損の危険もつきまとう。
ですから、1本ですべてをまかなうというのはもさすがに問題ありですが、できるだけ持ち歩くレンズの数は少なくしたいと思うのは、アマチュアとしては許容範囲の話かとは思います。
屋内での撮影が主体の場合は、望遠域は必要ないわけで、むしろ光量が不足しやすい狭い場所で広く撮影したくなることを考えると、広角単焦点レンズが活躍できます。
一般的な標準レンズと呼ばれるレンズの焦点距離は35~75mmで、真ん中をとって50mmくらいが多いのですが、写り込む範囲や歪みが実際に人の目に入る光景に近いという理由がよく言われます。
しかし、実際に人の視野はもう少し広いわけで、標準域の中でも短い35mmくらいのほうが、人の視野に近い。しかし、広角にいくほど周辺が広がるパースと呼ばれる現象が強くなってきます。
極端な例は魚眼レンズですが、さすがにこれで日常をスナップするというのは無理がある。写真としての面白み、美しさを求めるなら焦点距離は24~35mmくらいの広角くらいが無難な選択になるのかと思います。
屋外の風景を切り取る場合には、むしろパースを生かしたダイナミックな写真は見応えがあるので、さらに焦点距離の短い超広角レンズも使って楽しいものです。
SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 DC HSMの超広角ズームレンズ(APS-C専用なので、フルサイズ換算だと12-24mm)を使用していると、想像以上に広い範囲が画角に入るので、大変面白い写真が撮れます。
しかし、広角端の8mmばかりを使用していて、望遠側はほとんど使用していないことに気がつきました。16mmの画角だと、標準ズームの範囲に入るので、実際使用する意味があまり見出せません。
また、屋内での使用は8mmだと、さすがに広角側過ぎて、写り方は不自然と言わざるを得ません。それを良しとするのも一つの考え方ですが、そのあたりをいろいろ考えると、このレンズをふだんから付けっぱなしにするのは無理がある。
つまり、何が言いたいかというと、普段使いとしては24~35mmくらいの広角を中心に使いたいのですが、風景に対しては超広角のみを交換するというのが自分に合っているようだということです。
じゃあ、望遠についてはどうかと言うと、確かにあると便利ですが、比較的使用頻度は少ないということに気がつきました。
自分が通常装着していることが多いのは、SIGMA 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO OS HSMというレンズ(フルサイズ換算27-450mm)ですが、まさにこれ一本でほとんど足りてしまうという「神レンズ」なのです。
ところが、望遠端300mmまで引き寄せる写真というのは、特殊な場合になってしまい、その場合はたいていもう少し寄りたくなるわけで、その不満から超望遠のSIGMA APO 50-500mm F4.5-6.3 DG OS HSM (フルサイズ用)というバズーカ的なレンズを後から購入しました。
手持ちの撮影が基本の自分としては、これ以上さすがに手持ちは不可能な重さですし、そもそも値段がすごすぎて手がでません。
となると標準ズームとしては、そんなに広角側は使わないし、ましてや望遠側はもっと使わないということになって、「神レンズ」と思っていたのは、いざというときに便利な広く浅いレンズだということがわかってきました。
結局、この3本のレンズについていえば、一番の不満はF値が大きいこと。つまり明るくないということで、これは美しいボケが出にくいということにつながる大きな欠点になります。
初心者にお勧めの定番、標準焦点距離の単焦点レンズとしてはSIGMA 30mm F1.4 DC HSM (フルサイズ換算45mm)を最初に揃えましたが、F1.4の明るさからくる写真の美しさは圧倒的です。
経済的に許されるなら、ズームではない単一の焦点距離のレンズをいろいろ揃えている方が明るさでは圧倒的な優位性がありますが、なにしろ本当に何本ものレンズを持ち歩くことになってしまう。
そこで、本数を減らすためにズームレンズは使いたいが、できるだけ明るいものが欲しいという、相反する希望が出てくるわけで、あらためて自分の普段のレンズをセレクトしてみたくなってきました。
きれいな・・・というのは、何と比べるかということですが、最近では携帯電話の普及で、誰もがスマホについたカメラを持ち歩いている時代。
そのために、コンデジと呼ばれる一般的なカメラは影を潜めてしまいました。コンデジはむしろ、高機能化して、スマホのカメラとの差別化を図っている。
一眼レフが優位に立つのは、当然これらのカメラに対しての話。もっとも、ただシャッターを押せば「きれいな写真」が撮れるわけではなく、カメラ本体と機能を熟知して、何を撮るかということに合わせて最適なレンズを使用するというのが基本的な約束になる。
ですから、自分のようにカメラの機能が多すぎてよく理解していないままに、特に何というわけでもなく、面倒なので1本のレンズで済ましてしまうおうと考えているような輩には、まっとうな写真など撮れるはずもない。
何となくカメラを向けているうちに、たまたま偶然の奇跡の一枚に喜んでいるようでは、とてもとても写真愛好家とは呼ばれるわけもなく、重たい機材は宝の持ち腐れになってしまいます。
そもそも、できるだけ1本のレンズでというのは、一眼レフのレンズ交換ができるという大きな特徴を無視しているわけで、根本的な部分で一眼レフを否定していることにつながる矛盾だらけの振る舞いです。
でも、それにはそれなりの事情というものがあるわけで、さすがに何本もの重たいレンズを常時持ち歩くわけにはいきません。そして、屋外でのレンズ交換というのは、カメラ内へのゴミ・埃の侵入の危険があることや、またレンズ落下による破損の危険もつきまとう。
ですから、1本ですべてをまかなうというのはもさすがに問題ありですが、できるだけ持ち歩くレンズの数は少なくしたいと思うのは、アマチュアとしては許容範囲の話かとは思います。
屋内での撮影が主体の場合は、望遠域は必要ないわけで、むしろ光量が不足しやすい狭い場所で広く撮影したくなることを考えると、広角単焦点レンズが活躍できます。
一般的な標準レンズと呼ばれるレンズの焦点距離は35~75mmで、真ん中をとって50mmくらいが多いのですが、写り込む範囲や歪みが実際に人の目に入る光景に近いという理由がよく言われます。
しかし、実際に人の視野はもう少し広いわけで、標準域の中でも短い35mmくらいのほうが、人の視野に近い。しかし、広角にいくほど周辺が広がるパースと呼ばれる現象が強くなってきます。
極端な例は魚眼レンズですが、さすがにこれで日常をスナップするというのは無理がある。写真としての面白み、美しさを求めるなら焦点距離は24~35mmくらいの広角くらいが無難な選択になるのかと思います。
屋外の風景を切り取る場合には、むしろパースを生かしたダイナミックな写真は見応えがあるので、さらに焦点距離の短い超広角レンズも使って楽しいものです。
SIGMA 8-16mm F4.5-5.6 DC HSMの超広角ズームレンズ(APS-C専用なので、フルサイズ換算だと12-24mm)を使用していると、想像以上に広い範囲が画角に入るので、大変面白い写真が撮れます。
しかし、広角端の8mmばかりを使用していて、望遠側はほとんど使用していないことに気がつきました。16mmの画角だと、標準ズームの範囲に入るので、実際使用する意味があまり見出せません。
また、屋内での使用は8mmだと、さすがに広角側過ぎて、写り方は不自然と言わざるを得ません。それを良しとするのも一つの考え方ですが、そのあたりをいろいろ考えると、このレンズをふだんから付けっぱなしにするのは無理がある。
つまり、何が言いたいかというと、普段使いとしては24~35mmくらいの広角を中心に使いたいのですが、風景に対しては超広角のみを交換するというのが自分に合っているようだということです。
じゃあ、望遠についてはどうかと言うと、確かにあると便利ですが、比較的使用頻度は少ないということに気がつきました。
自分が通常装着していることが多いのは、SIGMA 18-300mm F3.5-6.3 DC MACRO OS HSMというレンズ(フルサイズ換算27-450mm)ですが、まさにこれ一本でほとんど足りてしまうという「神レンズ」なのです。
ところが、望遠端300mmまで引き寄せる写真というのは、特殊な場合になってしまい、その場合はたいていもう少し寄りたくなるわけで、その不満から超望遠のSIGMA APO 50-500mm F4.5-6.3 DG OS HSM (フルサイズ用)というバズーカ的なレンズを後から購入しました。
手持ちの撮影が基本の自分としては、これ以上さすがに手持ちは不可能な重さですし、そもそも値段がすごすぎて手がでません。
となると標準ズームとしては、そんなに広角側は使わないし、ましてや望遠側はもっと使わないということになって、「神レンズ」と思っていたのは、いざというときに便利な広く浅いレンズだということがわかってきました。
結局、この3本のレンズについていえば、一番の不満はF値が大きいこと。つまり明るくないということで、これは美しいボケが出にくいということにつながる大きな欠点になります。
初心者にお勧めの定番、標準焦点距離の単焦点レンズとしてはSIGMA 30mm F1.4 DC HSM (フルサイズ換算45mm)を最初に揃えましたが、F1.4の明るさからくる写真の美しさは圧倒的です。
経済的に許されるなら、ズームではない単一の焦点距離のレンズをいろいろ揃えている方が明るさでは圧倒的な優位性がありますが、なにしろ本当に何本ものレンズを持ち歩くことになってしまう。
そこで、本数を減らすためにズームレンズは使いたいが、できるだけ明るいものが欲しいという、相反する希望が出てくるわけで、あらためて自分の普段のレンズをセレクトしてみたくなってきました。
2016年9月23日金曜日
お彼岸
昨日は秋分の日。せっかくの休みなのに丸々雨で、気温も上がらず寒い一日でした。
秋分の日と言えば・・・お墓参り。
春分の日と秋分の日の前3日と後3日を合わせた1週間がお彼岸です。
仏教で悟りの世界を彼岸と呼び、迷いや煩悩にまみれた世界を此岸(しがん)と呼ぶわけですが、太陽が真東から登り真西に沈む春分の日と秋分の日は、彼岸と此岸がつながりやすい・・・ということで、先祖供養をする習わしになったということてす。
・・・にしても、やはり天気。雨降りの中で墓参というのは、けっこう面倒。いつもなら入念に雑草取りをしますが、今回は目立つものだけに省略。雨で雑草を抜きやすいのはよかったけど・・・
お線香も省略です。御免なさい。
2016年9月22日木曜日
アンクル・トリス
サントリーのウィスキーの歴史など知る由もなく、昔はレッド→角瓶→だるま(オールド)の順に高級だくらい。
レッドは個性的なCMが印象的で、宇津井健のものが最初に記憶があります。さらに大原麗子の「少し愛して、長く愛して」のキャッチフレーズは、テレビCM史上ベスト10に入るくらいの人気になりました。
サントリー全体では、アンクル・トリスというおじさんのキャラクターが活躍したわけで、そこからトリスバーなる大衆酒場がたくさんできて、最初のハイボール・ブームを生み出していたりしたらしい。
彼は、昭和のサラリーマンを代表する設定で、ちよっとかっこつけて、やや小心者。哀愁漂う人気者です。
アンクル・トリスの楊枝立て・・・昭和のどこの家の食卓にもあったように思います。くるっと回すと、背中には大きくレッドの文字がある。
ところが、今どきの楊枝は頭がこけしになっている。そのせいか、ちょっと長めで、ここに入れると微妙に頭の部分のキャップが浮いてしまうんです。
だからと言って、わざわざ2~3mm短い楊枝を探すのも面倒ですよね・・・
2016年9月21日水曜日
2016年9月20日火曜日
2016年9月19日月曜日
海外旅行
昭和30-40年代の新婚旅行の定番は熱海、昭和50年代になるとハワイ。
今では、熱海くらいはちょっと日帰りでくらいのものですから、平成人には「マジすかぁっ!!」って、想像もできない話かもしれません。
海外旅行というのは高嶺の花で、そう易々とは行けるものではありませんでした。そもそも、飛行機なるものも、簡単には搭乗できるものではなく、新幹線ひかり号に乗っただけで大威張りできたものです。
自分の場合、飛行機でデヴューは20歳ごろでしたし、初めて海外に出かけることができたのは医者になって2年目の夏でしたか、先輩の夏休みに便乗してのハワイでした。
その後も、新婚旅行で2度目のハワイ、家族全員で3度目のハワイ、外国の学会参加で北欧、パリ、ソルトレイクにそれぞれ一度というのがすべて。
そのすべてが、大学病院勤務の時で、日本の地にしっかりと根を下ろして、すでに16年がたとうとしています。
国際学会に行くというのは、仕事の肩代わりをしてもらえる人がたくさんいる大学病院勤務医の特権みたいなものでしたが、あくまでも勉強のために行くわけで物見遊山が目的ではない・・・とは言っても、せっかくの機会ですから、プラス数日の遊び日程は多めに見てもらえました。
ですから、北欧の時はフィンランドでの学会の後に、スウェーデン、ノルウェイと回ることができました。ノルウェイのフィヨルドの写真なんかを撮る余裕がありました。
でも、パリは本当に学会のみ。当時、入院ベッドの調整係をしていたので、1週間以上空けることができませんでした。一緒に学会に出かけた連中が、スイスに行くというのに一人で帰国です。
ソルトレイクも、ロスから飛行機乗り換えで、言ってみれば山奥みたいなもので、どこに行くでもなく、観光らしきことは市内を半日まわったくらい。
あー、外国行ってみたいというのはたくさんありますが、今では時間的に無理で、こういう話はボヤキで終始するというのは、書き始めた最初からわかっていたことではありますが・・・
2016年9月18日日曜日
更科 @ すすき野
いつもの更科です。
毎度のことですけど、一番家から近いとはいえ、本格手打ちのこだわりの店は別として、普段使いの日本蕎麦店に関してはここはぴか一です。
細い蕎麦なのに腰があり、喉越しもすっきり。蕎麦の味もしっかりあって、言うことなし。出汁も、醤油が勝ちすぎず、ちょうどよい。
蕎麦は、基本はざるなんですが、涼しくなってきたので、温かいのも悪くありません。冷たい蕎麦に比べると、出汁の香りが強くなります。
蕎麦屋の定番というと、合わせ××丼というメニューがあり、今回はその中の王道であるかつ丼にしました。
この店のかつ丼は、これまた美味しいんです。これぞ蕎麦屋の丼という感じ。 揚げたての豚ロースにさっと卵がまとわりついて、さくさくふわふわです。
かつ丼に関しては一過言を持つうちの次男も、ここが一番旨いと絶賛します。
でも・・・合わせで頼むと、お腹がきつくなってきた。年かなぁ・・・
2016年9月17日土曜日
2016年9月16日金曜日
中秋の名月 2016
昨日の9月15日は、十五夜お月様、中秋の名月といわれる満月でした。
天気はあいにくで、きれいに満月を見れたところは日本中でそう多くはなかったと思います。横浜あたりも、雲の多いどんよりした天気で、何となくぼやーっ見える程度。
でも日をまたいだ頃に、だいぶ雲が少なくなって、叢雲の中にきれいな満月を見ることができました。たぶん、その間は1~2時間程度だったのではないかと思います。
旧暦では、現在の8~10月が秋で、8月が孟秋、9月が仲秋、10月が季秋と呼ばれていました。「仲秋の名月」と書いた場合は、9月中の月ならどれでもよくて、秋のと真ん中の満月に限定した場合は「中秋の名月」となります。
ところが、旧暦の月の満ち欠けの数え方に特徴があるので、本来の月齢とはちょっとずれが生じていることが多いらしい。今年は、実は真の満月は9月17日です。
昨日の満月を見逃したという方は、明日の「天文学的中秋の名月」に期待してみてください・・・って、また台風来ているからなぁ・・・
2016年9月15日木曜日
Trattoria CinCin @ 藤が丘
どこにでもある、ちよっとレトロな建物・・・一見すると、ここでいいのかしら? と思うような外観なんですが、ここがこの界隈ではそれなりに知られたイタリア料理のお店。
トラットリアというのはイタリアの食堂のことで、チンチンは乾杯。まぁ、わかりやすいネーミングですが、店内もおそらく元々の家屋の構造を最大限にいかした感じで、誰かの家で御馳走になるような雰囲気。
藤が丘は、田園都市線の沿線の中では急行が止まらないので、ちょっとマイナーな地域。だからこそ、逆にグルメな人にはたまらない隠れ家的な店が喜ばれるのかもしれません。
今回は、美味しいワインと食事と楽しい会話がはずんで、料理などは写真がありませんので、この店のことについてはHPを見ていただきたいと思います。
昨夜は、ちょうど自分が開業した時から始まった、近くでクリニックをしている大学同門の集まり。開業したてで、右を左もわからないときに、先輩方からいろいろと教わることが多かった。
昔からの知り合いばかりですから、とても気楽な楽しい会です。以前は製薬会社の接待という形でしたが、数年前から一切そういうサービスの提供は無くなりました。
でも、かえって製薬会社の担当者が同席しないので、会としての楽しさは増したと思います。自腹でけっこう。本当に気が休まる会合は、ちゃんと続くものです。
2016年9月14日水曜日
トルマリン
いっときブームだったかも・・・と思っているのですが、ブームと言うほど全国的に知られていたわけではないかも。どっちゃでもええねん的な話。
パワーストーンという、何か神秘的な力を秘めた石が人気になって、その末席辺りにあったのがトルマリンというもの。
もともと10月の誕生石だったりするので、それなりに有名なんでしょうけど、健康志向にあやかって妙に盛り上がったことがありました。
何でも圧をかけたり熱すると電気を発生する性質があるようで、科学的には圧電体と呼ばれるものなんだそうです。
この石を風呂に入れると、水か滑らかになって、肌がすべすべしてくる・・・とか、ポットの水の中に入れて飲むと塩素臭さが無くなる・・・とか。なんでも、健康にいいんだとか・・・
まぁ、確かに水が変わることは間違いないんですが、それが健康にいいのかどうかは別問題。
マイナスイオンや遠赤外線を発生、電磁波を吸収するなどというのが健康にいい理由とされているのですが、これらはまったく根拠は無いといってよく、鰯の頭も信心からの世界。
というわけで、「いいじゃないの、幸せならば」なのでした。
2016年9月13日火曜日
Chinese Dining CHAO @ みなとみらい
みなとみらいに行ったのはいいけれど、横浜市民のくせして日頃から「横浜」にはうとい。何しろ横浜市の北の隅っこで生活しているので、どちらかというと東京の方がわかりやすい。
みなとみらい・・・って、もちろん今までにも何度か行く用事はあったのですが、そのたびに感じるのは「テリトリー外」で「余所者」というところ。
そんなわけで、ランチをするのにどこの店が美味しいのかよくわからんので、横浜美術館の向かいにあるMARK ISというモールに飛び込みました。待たなくては入れるところというシンプルな理由でCHAOというモダンな中華屋さんに決定。
そして選んだのは担々麺セット。生春巻きと餃子がついていて、そしてご飯か…なぜか、杏仁豆腐の二者択一。
ご飯とデザートのどちらかを選ぶというのは、何か違和感がありません? 普通あるでしょ。まぁ、それは横に置いておいて、餃子と春巻きは普通ですかね。特にどうということはない。
問題は主役の担々麺です。これは、いけてます。最初の一口で、ちょっと酸味を感じたのが新鮮。胡麻の濃厚な味わいは、しっかり出ていて、本格中華という雰囲気を醸し出している。
担々麺はスープが主役ですが、麺もしっかり味を主張していて悪くない。あえて文句をつけるなら、もう少し肉味噌を増やしてほしかった。でも、十分満足できる味で、よかった、よかった。
食べ終わったら、何と丼の中にポッポがいました。
2016年9月12日月曜日
メアリー・カサット展
昨日はあいにくの天気でしたが、みなとみらいにある横浜美術館に行ってきました。
お目当ては、メアリー・カサット展で、横浜での最終日。ここで行かないと、今月末からは京都で年内の展示に行かないと見れません。
メアリー・カサットの画家としての有名度は、必ずしも高いとは言えないので、この機会を逃すとこれだけまとまった作品数見ることは難しいでしょう。
メアリー・カサット(1844-1926)はアメリカ人で、主としてフランスで活動した女性画家。その画風を一言で言うなら「印象派」にくくられます。
1870年ごろにピサロの下で勉強し頭角を現わしますが、ドガの絵を見て印象派に鞍替え。一時はまさに「印象派」と言うべきタッチの絵を描いていましたが、母と姉の病気をきっかけに印象派を離れます。
1890年頃からは、銅板を使った版画(エッチング)をたくさん制作し有名になります。特に喜多川歌麿などの日本の浮世絵にインスパイアされた構図などを導入し、オリジナリティに溢れる独特の世界を構築します。1900年以後は、白内障で視力が落ち、絵画ではパステルを用いることが多くなりました。
母子をテーマにした作品が多く、女性らしい細やかな表現力が有名で、現在も高く評価されている画家の一人です。
2016年9月11日日曜日
進歩しない写真術
あらためて言うのもなんですが、カメラ。
カメラを昨年新調したんですよね。一眼レフです。重いです。大きいです。
でも、コンパクト・カメラとは、まったく違う写真が撮れる・・・と。確かにそうなんですが、写真というのは、何で撮るかも重要なんですけど、何を撮るかがもっと大事。
いくら機材を良くしたって、撮影する対象が無ければしょうがない。当初から危惧していたのは、自分の生活では、自宅とクリニック以外に出かける場所がほとんどなく、撮影対象に恵まれないということ。
そこで、頑張って休日にはできるだけ出かけるようになりましたし、そもそも毎日バッグにカメラを入れて持ち歩くようになりました。これは、単調な生活からすると、悪いことではない。実際、こどもたちが成長して、自分にゆとりができたことも大きいわけです。
ところが、残念なことに、天気にだけはあまり恵まれないんですよね。今まで、何か悪いことをたくさんして、天罰なのかと・・・
今日は天気がいい。じゃあ、ちょっとあそこまで足を延ばしてみよう・・・なんていうことは、まったく無理な話。最初から、この日にしか行けないというところから始まりますから、その日が天気が悪ければそれまでのこと。
もっとも、働いている人は、たいていそんなもんでしょうけど。特に自分の場合は、カレンダーの赤いところ、それも連休になっていないと、なかなか遠出はできません。
そういう時は、どこに行っても人混みです。宿も、たいてい高い。閑散期に比べると、平気で2倍近い値段だったりして、もう溜息をつくしかない。
その上、天気までいまいちでは、せっかくいくつもレンズを用意していっても、結局そこらの花を撮影しておしまいという、なんともしょぼいことになってしまいます。
この一年で、何度か気持ちが盛り上がって、現在のAPS-Cからフルサイズ・カメラに変えようと思いました。ポチっとする直前まで何度もいきかけましたが、そのたびにフルサイズの値段と、そしてこの一年に撮影したものを思い出してしゅんとなっているわけです。
そんなわけで、あまり進歩がない自分のカメラの腕に心が折れているカメラ・ライフですが、とにかく撮り続けていれば、きっと明日には、いや来月、来年・・・いつかは・・・希望を捨てずに続けましょう。
でも・・・せっかくの日曜日なのに、朝から雨かぁ・・・
2016年9月10日土曜日
秋茄子は嫁に食わすな
嫁いびりをする姑が言いました。秋茄子は美味しい。嫁に食べさせるのはもったいない。
一方、嫁を大事にする姑が言いました。秋茄子は水分が多くて体を冷やす。お嫁さんには食べさせてはいけません。
そもそも「よめ」というのは夜目と書いて鼠のことです。せっかくの茄子を、鼠に食べられてしまわないように注意しましょう。
・・・などと、いろいろな解釈があるようです。
まぁ、あまり深く考えずに、単純に茄子は秋に一番美味しいということだとしておけばいいんじゃないかと。
あまり、突っ込むと古き時代の封建的な問題も絡んできそうな表現ですから、話がややこしくなってしまいます。
漬物、焼き茄子、煮びたし・・・中華なら麻婆茄子、イタリアンでトマトと一緒に煮てもよしです。
いろいろなものが美味しくなってくる季節ですね。
2016年9月9日金曜日
テニスやってました
実はキャプテンでした。大学の時の、テニス部で。
えっー、嘘でしょう。
そう思うのはごもっともです。中年太りで、日頃からまったく運動らしい運動はしていないので、まさかのまさかです。
始めたのは、大学入学してから。それまでは、まったくラケットなんてものは触れたことも無い。
なんでテニスか・・・完全にミーハーに気持ちからです。浪人生活がおわった開放感で、さぁ大学生といえば楽しくテニスというイメージだったんですよね。
ところが、それは主として文系学生のサークル活動の話(違っていたら御免なさい)。自分の入ったテラス部というのは、サークルとはだいぶ雰囲気が違いました。
ほぼ体育会系ののりでした。何しろ入った大学は総合大学でしたから、体育学部もあるし、まじな体育会が存在していて、時々体育会硬式庭球部に混ざって練習するんですよ。
さすがに時間の関係で、医学部生が全部一緒にはできませんから、あくまでも精神面の強化のために、たまにご一緒させていただいたというところ。
医学部の建物の裏に。牛小屋の匂いがするクレー・コートが2面あって、主たる練習場はそこ。始発の電車で通学、授業までの1時間は朝練。放課後も夕方の日が暮れて、ボールが見えなくなるまで練習という毎日でした。
関東レベルで医学部のリーグがあって、団体戦と個人戦が春から秋にありました。そして夏休みは東日本の医学部が集まる体育大会。毎年。これらのために汗と土にまみれた青春を過ごしていたわけです。
・・・が、うちの大学はあまり強くはなく、リーグもいつも最下位への部落ちの危機にさらされる毎日。
そんな感じで4年のリーグが終わり、さて幹部交代というときに・・・主将になってしまいました。レギュラーでもないのに。たいして強くもないのに・・・
まぁ、人間性で選ばれた、と言うとかっこいいのですが、やはり実力がないとかなり辛いものがありますよ。まぁ、何とか1年こなして、5年生のときの幹部交代の後は、とにかく泣いて泣いて・・・
そんな実力が伴わない主将は、理論で武装するしかないので、技術書はいろいろ読みました。今では、テニスのスタイルは随分と変わりましたけど、基本中の基本は同じ。
整形外科医としては、テニスを始めとしたスポーツの障害も扱うわけですが、その時の知識はたぶん随分と役に立っていると思います。
あと、当時のテニスラケットも、布団叩きとして、いまだに役に立っています。
2016年9月8日木曜日
寄木細工
箱根といえば・・・いろいろなものを連想するとは思いますが、その中で寄木細工は有名なものの一つ。
箱根を代表するというより、世界に出しても恥じない日本伝統工芸ですから、今後もしっかり残していきたいもの。
いろいろな樹木を組み合わせて、その断面の風合いや色の違いを利用して、和の模様を作り出すところは、製作者の想像力が遺憾なく発揮されます。
箱根の土産屋には、いろいろな完成品が並んでいますが、どうやって作っているのか興味が湧きますよね。
そういう時は、工房を訪ねてみるのがおすすめ。
簡単な細工をその場で体験できるのも楽しいですし、出来上がっていく途中の素材なども、いろいろ見れてけっこう楽しいものです。
2016年9月7日水曜日
パラリンピック
パラリンピックが今日開幕です。
通常のオリンピックに比べると、日程も短く、競技の種類も少ないですから、どうしても地味な印象になるのはしかたがない。
しかし、考えてみれば、いろいろな肉体的なハンディを持った選手たちが、努力に努力を重ねて、常人をはるかに超える力を発揮するわけですから、ものすごい大会だと思います。
日本人選手も、多くの競技に参加しますので、応援する気持ちを忘れずに注目していたいと思います。
パラリンピックという言葉が使われるようになったのは、1988年ソウル大会からで、比較的新しいこと。起源とされるのは、イギリスで1948年に病院内で行われた患者によるアーチェリー大会。
その後も毎年のように開催されていたのですが、1960年ローマ大会の時に、初めてオリンピックと同時開催になり、この時を事実上「第1回大会」とするようです。
整形外科では、脊髄損傷という重大なけがを扱います。大学病院にいるときは急性期、つまり受傷してから数週間を扱います。
この時期は、患者さんは手足を動かせないこと・・・それも、ほとんどの場合は生涯続くことに、ショックを受け悲嘆し、そして後悔し、さらにそういう自分を否定する複雑な心の変化があります。
その後に、やっと障害を受容する時期が来て、リハビリテーションに本格的に取り組むわけですが、自分が脊髄損傷専門のリハビリテーション病院に出向していたときに、車椅子を自由自在に操りバスケットをする患者さんを何人も見ました。
もちろん、障害の重症度によっては、毎日生きていくだけで精一杯という患者さんもいて、誰もがスポーツを通して社会性を回復させることができるわけではありません。
ただ、リハビリテーションの本来の意味は「日常性の再獲得」であって、失われた機能を回復させること目が行きがちですけど、重要なことは残された機能を引き上げていくことです。
パラリンピックは、いろいろな障害があっても、残された力を最大限に発揮するための目標として、重要な意味があるスポーツ大会になっていると思います。
通常のオリンピックがコマーシャル化して、一部もう止めてもいいんじゃないかと思わせるような問題がいろいろ出てきていますが、パラリンピックはそういうことと無関係に維持存続してもらいたいと思います。
2016年9月6日火曜日
2016年9月5日月曜日
トマトとアンチョビの冷製パスタ
これは、家内の作。
そこんとこをはっきりさせておかないと、後で叱られます。
テレビで紹介されていたそうで、早速試したわけですが、なかなかいける。簡単で、家内の新たなレパートリーになるかもしれません。
トマトを小さく乱切りし、細かくみじん切りにしたアンチョビと玉ねぎ、ニンニク、オリーブオイルと一緒に混ぜ合わせます。
アンチョビがかなり塩味が強いので、よけいに味をつけなくても十分。
彩を考えて、鉢に育ってきたバジルの若芽をのせました。バジルは、若い小さい葉でも、けっこう香りが強くなっていました。もっと少なくてもよかったかも。
パスタは、いろいろなものに合いやすい素材なので、イタリアンにこだわらず、使い方の工夫次第では面白い発見があるかもしれません。
2016年9月4日日曜日
姫林檎
バラ科リンゴ属、落葉低木
小さい実がなるリンゴなので姫林檎と呼ばれますが、実は食べられません。深山海堂(みやまかいどう)の改変と言われていて、手に入るものは海堂に接ぎ木したものがほとんどです。
通常の盆栽店で購入すると5,000~10,000円くらいですが、これはホームセンターの隅に忘れ去られたように置いてあったもので、なんと1,680円でした。
安いかわり、枝の剪定だけはしてあるのですが、あとは伸び放題で、実もやたらとついていて、ちょっと多すぎかと。もう少し整理しないと、見た目的にも混み合いすぎです。
実りの秋というくらいで、秋は実物の季節ですから、この手の盆栽も一鉢あると楽しいものです。ただ、多くの実物は自家受粉では実がならないものが多く、同種異体、あるいは近縁種を横に置いて栽培することが必要というのが面倒かもしれません。
3~4月に白い花を咲かせ、この花も姫林檎の魅力の一つになります。そのあと結実し、枝には来年の花芽ができてきます。ここから肥料と水は多めに必要。
日当たりも必要ですが、夏の強い日差しによる葉焼けに注意。実がきれいに赤くなるためには、まんべんなく全体に陽が当たることが大切なので、葉は多すぎてはだめですし、鉢を回して日照が均等になるようにします。
全体の形を作り込みたい場合は、開花後摘み取って実をつけないようにして、枝を伸ばしながら剪定・針金かけをします。落葉後にしっかり剪定して作り込むのがいいようです。
2016年9月3日土曜日
アウトレット
なんか、ずいぶんとあちこちに増えました。
いわゆるアウトレットモールというやつ。
outletという言葉は、本来「出口」という意味。壁についている、いわゆるコンセントもoutletと呼ばれます。それらかに転じて、工場直販というような意味がある。
アウトレットというと、売れ残ったものをまとめて安く売りさばくというイメージがあります。できるだけ安いものをゲットするための場所・・・というのが、アウトレットモールだと。
確かに、モールが登場した初期には、大きすぎたり小さすぎるサイズのものしかなくて、安くても使えないようなものが並んでいたように思うます。
しかし、近年のアウトレットモールでは、ほぼ普通に商品が並んでいる。そして・・・大事なポイントは、特に安いということはないんじゃないかと。
いろいろな有名ブランドが、一堂に会する博覧会みたいなものと思えばいいんでしょうか。主に女性の方には、大変楽しい場所らしいのですが、お父さんにとっては・・・
ですから、もっと座って休憩できる場所をたくさん用意してほしい。それも、涼しい場所で。あと、家族が今どこにいるのか、簡単に発見できると助かるんですけどね。
2016年9月2日金曜日
吉田の選択
ちょっと間があきましたが、リオデジャネイロで開かれた今年のオリンピックで、日本の大きな話題といえば、男子体操団体金メダル、柔道復活、女子レスリング伊調4連覇・・・
しかし、最も大きかったのは「吉田敗れる」だったと考える方は多いと思います。自分も早朝のテレビ生中継で観ていて、かなり衝撃的だったですね。
女子レスリングの中では、吉田沙保里と伊調馨の両選手の金メダルは既定路線でした。「霊長類最強」とよく言われる吉田選手の敗れて呆然とする姿は、日本人にとって、場合によっては世界的にも相当ショックだったと思います。
しかし、敗戦直後の誰もが想像しなかった泣き顔でのインタヴューの中にも、さすがに世界に誇れるスポーツ選手であることを感じさせるものがありました。
負けて一番ショックを受けたのは本人であることは間違いなく、それでも相手を褒め、自分を反省し、そして周りに謝罪する言葉をしっかり口にしていました。
簡単なようで、あの状況の中で即座に話すことは、凡人にはかなり難しいことだと思います。ショックで一言も喋れなくても不思議はありません。
翌日には、自分が悲しんでばかりいると、他の選手が金メダルを喜べないというコメントもしていました。しかし、その後は「新しい道」を向いていくというような発言もあり、引退を匂わすようなところもありました。
しかし、昨日「現役続行」を明言したようで、自分としては吉田選手らしいと選択だと思い、嬉しくなりました。
以前より、吉田選手は「勝ってやめるのと、負けてやめるのは違う」という主旨の発言をしていました。選手としてのピークは過ぎていることは、本人も自覚していると思いますが、やはり「勝ちたい」という気持ちが優っているのだと思います。
勝利への意欲が続いているならば、中途半端な休養を入れずに現役を続行することが吉田選手らしさだと思いますし、その結果がどうであれ、本当に引退を決意した時には後悔を残さないことにつながるのだと思います。
スポーツ選手は負けて強くなると言われますが、負けずに強くなった吉田選手は、負けたことでさらに強くなることを期待します。
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