2022年12月24日土曜日

俳句の勉強 64 鳥雲に入るで苦心


長い季語です。「鳥雲に入る(とりくもにいる)」は、仲春の季語で、春になって北に帰っていく渡り鳥の群が雲間に入って見えなくなるということ。そこらに普通にいる鳥が夕方になって、巣に帰っていくことではありません。

単に北へ帰るだけなら「鳥帰る」という別の季語もあります。鶴に特化した表現だと「引鶴(ひきづる)」、鴫(しぎ)なら「戻り鴫」、白鳥は「白鳥帰る」、雁なら「春の雁」あるいは「帰雁(きがん)」、鴨は「引鴨」などなど。

「鳥雲に入る」は「鳥雲に」と短く使っても良い事になっていますが、単に帰るだけでなく遥か雲の合間に消えていくところがポイント。そこには、寂しくなるという感傷が確実に含まれていて、使用する場合に意識しないといけなさそうです。

鳥雲に入りて草木の光かな 闌更

鳥は北に帰って行って寂しいけれど、春が近づき草木が生き生きと大地に芽生え始めたのが輝いて見えるというところでしょうか。この季語に対しては、教科書的な模範解答ともいえる句だと思います。

鳥雲に娘はトルストイなど読めり 山口青邨

この場合は、あくまでも仲春という季節感を出すために使われている感じがします。わざわざトルストイという固有名詞を出して字余りにするのは勇気がいるところ。にもかかわらず、「など」として絶対的じゃなくしたのは不思議です。

少年の見遣るは少女鳥雲に 中村草田男

もしかしたら、ちょっと気になる同級生の女の子が転校で去って行ってしまうのを、少年がセンチメンタルになって見送る様子なんかが想像できる。何かちょっとした青春映画の冒頭の一シーンを見ているような気がします。

それにしても真っ向からこの季語を使うと7文字ですから、上句・下句なら字余り、中句だと全部使ってしまう。これは困った。盛り込みたいことを思いついても、とても字数が足りません。泣き言を言ってもしょうがないので、とにかく考えましょう。

校門を出れば大鳥雲に入る

これ、どうでしょう。いきなりちょいと捻った使い方ですが、下句を「雲に入る」だけと分解した形ですが、うまく五七五に収まりました。卒業で校門を出ていくと、こどもたちは思った以上に大きく成長していて、雲の中に消えていくように巣立つという感じ。

ちょっとひっかかるのは、仲春の季語ということは、基本的にまだ2月。卒業自体は3月で晩春の季語とされています。春の季語で夏の事をいっているわけではないので、許容範囲にできるものでしょうか。

鳥雲に人は夢無く地にはべる

これは鳥と人の対比。けっこう悲観的な内容。大空を自由に飛び回れる鳥たちと比べると、人は地上から自分の力で飛ぶことはできません。毎日、同じところであくせくと働いているだけです。本当は「人は」ではなく「吾は」でもいいくらい。

「入る」の二文字を省略すると、かなり自由度は高くなる感じですが、分離がはっきりする分、季語の持つイメージを生かすのが難しいように思います。