2025年4月25日金曜日
Glenn Gould
伝統と格式を重んじていた20世紀までのクラシック音楽界の中で、グレン・グールドほど異彩を放つ存在は皆無と言ってもよいかもしれません。
それはヨーロッパではなくカナダ出身というところも大いに関係していることだろうと思いますし、隣国のアメリカとの往来が容易であったことで自由な空気に触れることが多かったことも影響したことでしょう。
1932年にトロントに生まれたグールドは、音楽に理解のある両親のもとで幼いうちからピアノに親しみ、わずか13歳でプロ・デヴューを飾り、15歳でリサイタルを開催しました。世界中に名が知れ渡ったのは、1955年に発売されたデヴュー・レコードのJ.S.バッハの「ゴールドベルグ変奏曲」でした。
この曲は、バッハの時代にならって基本的にはチェンバロで演奏し、最初と最後のメイン・テーマのアリアに挟まれた30の変奏曲からなる曲で、通常1時間以上かかるのが「普通」と思われていたのですが、グールドは何とピアノで快速に飛ばして、わずか38分で弾き切ったのです。しかもペダルを使わないため、その弾むような音色は独特の魅力を放っていました。
さらに同じ演奏技法を駆使して、ベートーヴェン、ハイドン、モーツァルトなどを矢継ぎ早に発表して世界中を驚かせます。そんな中で、自分がバッハのチェンバロ曲を聴きたくて中学1年生の時に買ったレコードが「2声と3声のインベンションとシンフォニア」でした。当然グールドがどんな人か知らないわけで、何でピアノで弾いているの? という違和感で、ほとんど聴きもせず放置してしまいました。
それから時は流れて、2006年、クリニックを開業したすぐ後、グールドの「ゴールドベルグ変奏曲」の新録音に接する機会があり本当に驚いた。クラシック音楽は楽譜通りに演奏するのだから、誰が演奏しても同じと思って、アドリブ主体のジャズの方に興味が移っていたのですが、この演奏は誰も真似できないグールドのゴールドベルグだと思ったのです。
他の演奏家や他の楽器で奏でられる「ゴールドベルグ」を集めてみると、クラシックと言っても演奏する人が違うとこんなにも違いのかといまさらのように気がつかせてくれたのです。グールド本人の演奏ですら、旧録音(1955年)と新録音(1981年)ではまったくの別の演奏です。
グールドの演奏は奇抜であるとしばしば言われます。モーツァルトのトルコ行進曲は、普通よりかなり遅いのですが、これは行進曲として足を運ぶリズムを合わせたから。ブラームスの協奏曲では、あまりに遅いテンポ設定に、指揮者のバーンスタインがわざわざ「これは私の考えではない」と始まる前にアナウンスするという前代未聞の出来事が記録されています。極めつけは、演奏会を否定して1964年に「コンサート・ドロップアウト」して、以後はスタジオにこもってレコード録音とラジオ・テレビ出演だけで活動したことです。
確かに「普通」ではないかもしれませんが、今のように多様性を認める時代であれば、グールドはもっと楽に生きれたのかもしれません。確かに多くのクラシック演奏家とは違う解釈や弾き方なんですが、一度ファンになると、グールドの音楽は「グールド」という特別なジャンルとして認めざるをえないくらい楽しいのです。
そのほとんどの業績は、CBSレコード(現Sony)に80枚くらいのレコードとして残されています。レコード会社は手を変え品を変えいろいろなフォーマットでグールドの作品を再発売してきましたが、2015年にリマスターされ大きなボックスで「The Complete Columbia Album Collection」で今のところは打ち止めになっています。
自分もゴールドベルグの新録音だけでも4回くらい買わされていますが、さすがにもうこれ以上は必要ありません。その後にゴールドベルグの別テイク集も出ていますが、未完成の部品を聴く意味は感じませんので手を出していません。
グールドは1982年に急逝しましたが、その人生は2つのゴールドベルグの録音に挟まれた、数々の変奏曲のようなものだったのかもしれません。自分の中では、クラシック音楽趣味を復古させた原動力になったグレン・グールドは、今でも時々原点回帰のように聴きたくなる大きな存在と言えます。