2025年4月20日日曜日

Claudio Abbado


クラウディオ・アバドは、1933年生まれで2014年に80歳で亡くなった、個人的にはクラシック音楽指揮者として最後の「巨匠」です。フルトヴェングラーやカラヤンに代表されるクラシック界の巨匠と呼ばれる指揮者を聴いて育った世代(つまり昭和の有名な評論家諸氏)からすると、カリスマ性が薄れた中庸な存在と批評されることが多い。

クラシック音楽、特にオーケストラ全体で奏でる交響曲というジャンルでは、アバドの果たした役割は指揮者と楽団員の間に過去の巨匠が作った垣根を取り払ったことではないかと思っています。世界で最も有名なオーケストラの一つであるベルリン・フィルハーモニーで長年にわたって「帝王」として君臨したカラヤンは、オーケストラを自分の意図した音を出すための楽器として扱っていたと思います。しかし、次第に楽団員との軋轢が生じ、晩年は関係が悪化していたのは有名な話。

カラヤンと同時期に活躍したバーンスタインは、自由闊達ななアメリカ人として楽団員と友好的な関係を作った指揮者ですが、後半生は常任はせず客演指揮者に徹しました。アバドはイタリア・ミラノ出身ですが、カラヤンの後を継いで1990年にベルリンフィルの常任指揮者に就任し、カラヤンの負の遺産からスタートしましたが、少しづつ指揮者と楽団員との関係を良好な方向へ修正したことは間違いありません。

ただし、2000年に胃がんを発症したため、ベルリンフィルの芸術監督を辞任せざるをえなくなったことで、評論家からは仕事として未完成で終わったという評価になってしまったのが残念なところです。しかし、病から立ち直って2014年に亡くなるまでは、主として自分が組織したオーケストラで充実した功績を残したことは特筆に値します。

その象徴とも言えるルツェルン祝祭管弦楽団は、もともとスイスの音楽祭のための臨時編成的な色が濃いオーケストラですが、多くの有名オーケストラ員や独奏者が、アバドとの共演を希望して集結たスーパー・オーケストラとして病気から快復したアバドを支えました。また、モーツァルト管弦楽団、マーラー室内管弦楽団を創設し、若手の演奏家たちの育成にも力を入れ、彼らが晩年のアバドの手兵となっていたのです。

アバドもまたマーラーに取りつかれた指揮者の一人で、マーラーの交響曲全集を複数のオーケストラで完成させています。全集としてはシカゴ交響楽団とベルリンフィルで完成した音源が有名ですが、ルツェルンでのチクルスは映像として残されたことで、自分がオーケストラを楽しめる大きなきっかけになったという意味で、絶対的なスタンダードとなりました。

また、ピアノ奏者として自分もほとんどの音源を網羅しているマルタ・アルゲリッチなどを中心に、多くの独奏者との協奏曲録音も多いのがアバドの特徴にあげられます。さらに言うと、自分は不得意分野ではありますが、イタリア出身というだけあってオペラ作品も、かなり力を入れていました。

アバドの残された音源を制覇するのは、亡くなってから多くのボックスが発売されたので可能ですが、自分の場合はすでにマーラー物や協奏曲などは単独で所有しているものが多いので、「Symphony Edition (DG)」だけ新たに購入しました(マーラーだけ丸被り)。そして、病気復活後の映像作品を中心に、その業績を楽しむことができるのは本当に幸せなことだと思います。