2021年4月25日日曜日

史上最大の作戦 (1962)

1941年12月、真珠湾を日本に攻撃されたアメリカ軍はついに参戦し、1942年6月にミッドウェイ環礁において日本海軍に圧勝しました。1943年になると、日本とアメリカは一進一退の攻防を繰り広げていましたが、1944年には日本は侵攻した南西諸島やマレー半島などから、じりじりと後退を余儀なくされます。

7月にマリアナ諸島(グァム島、サイパン島)を手中におさめたアメリカ軍は、ついに日本本土への爆撃が可能になりました。1944年10月、アメリカ軍はフィリピンに上陸、レイテ沖海戦でほぼ日本海軍はほぼ壊滅という状態に陥ります。

この頃から、海軍の残存部隊による神風特攻が始まりました。また、各戦地で降伏より自決を選ぶ日本兵がアメリカ軍兵士に異様な恐怖を与えたようです。この日本の自殺攻撃は、終戦まで続き、少年兵も駆り出され、時にはわずかな訓練で出撃させられました。日本の制作した映画では、今でも多く取り上げられるテーマになっています。

1944年のヨーロッパは、東部戦線では6月にソビエトがこれまでに無い大規模な「バグラティオン作戦」を展開し、ドイツが侵略した土地の大半を奪還します。撤退し続けるドイツ軍に対して、8月にポーランドのレジスタンス組織がソビエトより先に武装し自国開放を目指したのが「ワルシャワ蜂起」です。

しかし、いくらじり貧のドイツ軍といえど、民間人の武力勢力が立ち向かえるほど弱体化していたわけではありません。約5週間でレジスタンは鎮圧され、20万人が戦死・処刑されました。この時ソビエトは、ワルシャワのすぐ近くまで進軍していたものの、レジスタンスに対する援助はせず静観し、西側諸国の連合軍の援助の申し出にも協力を拒否しています。ヒットラーは、ワルシャワを徹底的に破壊することを指示し、町は廃墟と化しました。

ポーランドの映画監督、アンジェイ・ワイダは、ワルシャワ蜂起におけるレジスタンスの様子を「地下水道(1956)」で映画化しています。また、ソビエトの「見殺し」に対する反ソ感情を見て取れる「灰とダイアモンド(1958)」も作っており、ポーランドが戦後共産圏に取り込まれたものの、禍根を残したことは間違いないようです。

枢軸国と呼ばれる主な三か国のうちイタリアはすでに降伏し、残るドイツ、日本もこの年後半から敗戦に向けて着実に追い詰められていました。それでも、勝利を信じているのか、あるいは敗北を知らないのか、各地での兵士の命を消耗するだけの戦いが続いていました。

西部戦線は、何といっても連合国軍により「オーバーロード作戦」の発動が大きな出来事でした。ある意味、第二次世界大戦のハイライトと言ってもいいかもしれません。これは連合国の首脳会談で、スターリンが東部戦線の負担を減らすために、西部戦線の再構築を米英に迫ったことにも起因します。

計画は何度も討議されてきましたが、ついに1944年6月6日(一般にDデイと呼ばれる)、イギリスからドーヴァー海峡を渡りフランス西岸に上陸、いわゆるノルマンディ上陸作戦から始まり、ライン川を越えてドイツ本土に迫るというものです。

映画でのノルマンディ上陸作戦の再現は、何といってもスピルバーグ監督の「プライベート・ライアン(1998)」が、驚愕のリアリティで見るものを圧倒します。映画開始から30分近く使って描かれる、兵士が吹き飛ばされて死体の山ができていくところは、まさに阿鼻叫喚の修羅場で、戦場を知らないものを恐怖のどん底に突き落としてしまいました。

この作戦の一部始終を比較的事実に基づいて忠実に映画化したのが、「史上最大の作戦」で、「クレオパトラ(1963)」で倒産しそうになっていた20世紀フォックス社が、社運をかけたオールスター・キャストの群像劇です。

監督は、イギリス部分はこのあと「バルジ大作戦(1965)」でもメガホンをとったケン・アナキン。アメリカ部分はアンドリュー・マートン、ドイツ部分はベルンハルト・ヴィッキという三者が共同で行いました。音楽はモーリス・ジャールですが、有名なテーマ曲は出演者の一人、歌手のポール・アンカが作りました。

ただ、この手の作品に付きまとう欠点としては、どうしても登場人物が多くなり、軍の位と名前がいきなりわんさか出てきて混乱します。まぁ、有名な俳優が多いので、ある程度そこで見分けをつけていくしかありません。

基本的には、作戦を決行する数時間前からの24時間のストーリー。ドイツのロンメル将軍が、連合国軍の上陸を許すまじ、その戦いは長い一日になると言うところから、原題の「The Longest Day」が来ています。

イギリスからドーヴァー海峡をフランスに渡るには、距離が一番短く、ドイツへも近い北寄りのカレーの町付近に上陸するのが比較的楽と考えられたため、連合国はドイツが恐れるアメリカのパットン将軍を囮部隊としていかにも本物の大軍勢が待機しているようにふるまいます。ドイツはカレー上陸を警戒しますが、一部の将校はノルマンディを心配していました。

じつはイギリスとしては、自国から離れていて、ソビエトも牽制できるバルカン半島への上陸案を出していましたが、それではドイツまでの距離が遠すぎるため採用されませんでした。そこで、意表をついてドーヴァー海峡の最も広がったところから上陸することになり、選ばれた場所がノルマンディでした。

しかし、5月から待機していた連合国の大部隊は、6月に入って天候が荒れ、なかなかタイミングが掴めない。6月5日に、一時的に天気が回復するという予想により、ついに決行が決定しまた。ドイツ軍は天候の悪さで、油断していたのです。

映画では、まずイギリスのグライダー部隊が、ノルマンディの北、ベヌヴィルの町のオルヌ川にかかるペガサス橋を敵の補給路を断つために攻略します。フランスのレジスタンスは鉄道を破壊、ノルマンディ近くのカーンの付近には、人形をパラシュートで降下させ攪乱。アメリカの第82空挺師団と第101空挺師団は、カレーのすぐ近くサント・メールにパラシュート降下し後方を急襲。

そして夜明けとともに、ノルマンディの海岸には6千隻にも及ぶ艦艇が接近し、砲撃を開始。イギリス軍が上陸したソード・ビーチ、カナダ軍が上陸したジュノー・ビーチ、そしてイギリス軍が上陸したゴールド・ビーチは、死傷者(合わせて死者3000名)をだしつつも比較的早くに上陸に成功します。

しかし、オハマ・ビーチに上陸したアメリカ軍は、ドイツ軍の要塞化した防御態勢による間断ない砲撃と浜に設置された地雷などにより最も過酷な状況に陥り、ここだけで2400名の死者を出します。そして最西端のユタ・ビーチは潮流により着岸地点がずれたため比較的簡単に上陸に成功します。そして、連合国軍のそれぞれの部隊が、この長い一日を何とか乗り切るところで映画は終わります。

あまりにたくさんのスター俳優が登場するので、名前を挙げていたらきりがない。メイン・キャストと呼べるのは、第82空挺師団を率いるジョン・ウェイン、オハマを攻めるロバート・ミッチャム、ドイツ軍将軍のクルト・ユルゲンスでしょうか。ヘンリー・フォンダ、リチャード・バートンもちょこっと登場します。人気が出る前のショーン・コネリー、ロバート・ワグナーの顔も見えます。

ごく一部に、事実と異なる部分があるようですが、概ねノンフィクションに近く、映画のドラマ性という意味では、正直ぱっとしませんが、それぞれの立場から連合国軍の反攻とドイツの敗北の始まりが、この一日で決したという意味では大戦中もっとも大きなイベントだったことはよく伝わります。

製作されてから60年近くたちますが、当然後の映画のような特撮やCGを駆使したリアル(過ぎる)戦闘シーンはありません。まだ物量で勝負できたハリウッドが作った、第二次世界大戦物の映画としてはやはり外すことのできない傑作という評価は間違いありません。