戦争映画と呼ばれるジャンルについては、古今様々な名作が生まれているものの、サスペンス物の殺人事件なら許容できるのに、人と人との殺し合いを画面で見るのは勇気がいるものです。何故なら、お互いに個人的な殺す、殺される動機が無いため、シンプルに人間性の喪失を感じさせることが辛い。
当然のことながら、(戦時中のプロパガンダを除いて)戦争を肯定する映画は見たことがありません。どの映画をとっても、戦争の愚かさ、虚しさ、仲間との連帯などをテーマにしているわけで、結論も似てしまうところがあります。ですから、結論に至る過程によって、代表的な作品を吟味して見ることが大事なのかもしれません。
戦争映画として重要なポイントは、戦闘そのもののリアリティも大事ですが、できるだけ史実に基づく内容という点です。もちろん、歴史は勝者が作るものであるという原則があることと、戦争で功をなしたり、あるいは亡くなった方々を安易に批判するようなことはできません。
もっとも、すべての目撃証言があるわけではありませんし、完全にノンフィクションだと、それはドキュメンタリー映画になってしまいます。エンターテイメントとしての映画としては、「事実の基づく」ある程度の創作は許容されます。
とは言っても、戦場を舞台にして完全にフィクションとして作られた、例えば「ナバロンの要塞」、セガールの「沈黙シリーズ」やスタローンの「ランボー・シリーズ」のような映画は、アクション・エンターテイメントであって、それはそれで面白いのですが、厳密な戦争映画というくくりに入れることは抵抗があります。
戦争をイデオロギーの違いによる集団同士の争いとするならば、例えばアメリカの南北戦争もこの定義に含まれますが、より集団の差がはっきりと出るのは国同士の戦いの場合。あまり古い時代になると歴史映画(時代劇)の色合いが強くなるので、映画としては一般的には第1次世界大戦以後の約100年間が対象となり、特に映像技術の進歩に伴い第二次世界大戦以降が中心となると思います。
第一次世界大戦は、一般的にはサラエボ事件に端を発し、1914年7月28日にオーストリア=ハンガリーがセルビアに宣戦布告して始まりました。8月1日にドイツに宣戦布告されたロシアは、同盟のフランスに援助を依頼したため、ドイツは8月3日にフランスにも宣戦布告しました。ドイツの侵攻に対して8月4日にイギリスがドイツに宣戦布告し、イギリスと同盟していた日本も追従します。
その後、ヨーロッパ中の国々が、ドイツ側の中央同盟国か英仏露を中心とした連合軍に参加して戦火が拡大しました。1918年11月11日に休戦協定が結ばれ、人類史上最大の死者数となった戦争は事実上連合国の勝利で終結。1919年1月パリ講和会議で、敗戦国の責任が話し合われ、国際連盟の発足につながります。しかし、領土を失い多額の賠償責任を負わされたドイツの屈辱は、わすが20年後に再び全世界を巻き込む戦争の引き金になるのです。
もちろん、こんな短い説明で終われるものではありませんが、教科書的な知識として最低限このくらいはおさえておきたいところ。さすがに、現代人としては、第二次世界大戦の方がより身近な出来事ですし、その原因の一つとして認識すべきことです。
第1次世界大戦を題材にした映画としては、古くは1930年のアカデミー賞作品となったドイツ軍の側から描いた「西部戦線異状なし」という名作がありますが、事実考証はかなり正確と評判ですが、原作は基本的にはフィクション。スピルバーグの「戦火の馬」は戦争に巻き込まれる人々のドラマですが、ファンタジー色が強い。
キューブリック監督作にも「突撃」がありますし、「大いなる幻影」、「武器よさらば」なども思い出されます。「アラビアのロレンス」も時代背景は同じですが、事実をもとにしていても一個人のヒューマン・ドラマなので戦争映画とは言いにくい。
そんな中で、喜劇王として名を馳せたチャーリー・チャップリンが、監督・脚本・制作・主演した短編映画「担え銃」は、最も早くに作られた第一次世界大戦にまつわる映画の一つ。
何しろ、まだ戦時中でしたが、チャップリンは塹壕戦の中で、兵士たちの日常を笑いに変えパロディにすることで反戦思想を映画に込めています。100年たった白黒のサイレント映画で確かに古いのですが、今見るとむしろ新鮮な感じ。
もちろん、パロディのフィクション戦争映画ですが、戦闘映画ではありません。戦死者も一人も登場しません。しかし、リアルタイムに戦争に反対する姿勢を見せたことは、映画人としてのチャップリンのすごいところで、最後の字幕「Peace on Earth - good will to all mankind」にメッセージのすべてが込められています。