映画についても、ずいぶんと書いていますが、好きな映画人は決まっていて、アルフレッド・ヒッチコック、ルキノ・ヴィスコンティ、黒澤明、そしてクリント・イーストウッド。
つまり、この4人は全作品を制覇したい対象ということで、だいたいこの4人で映画に関する楽しみは事足りてしまうということなんですが、実は大事な人を一人忘れていました。
それが、チャールズ(チャーリー)・チャップリン(1889-1977)です。日本で言えば昭和の前半が主として活躍した時代ですから、自分が興味を持ったときにはすでに引退していました。
最初に、チャップリンという名前を頭の中に刻んだのは、実はコント55号の萩本欽一さんがらみ。こどもの時に、テレビ番組で当時人気絶大だった欽ちゃんが、引退してスイスにいたチャップリンに会いに行くというのがあった。
欽ちゃんが、それほど会いたいというのなら、相当すごい人なんだろうと思うわけです。しかも、実際行ってみると、まったく会ってくれない。欽ちゃんほどの人気者(・・・日本だけのことですが)を、門前払いするなんて、どれほど偉いんだろうと。
今はウィキペディアで、簡単に当時の話が確認できます。1971年のことだったんですね。少なくとも、何となくチャップリンのあのいでたちは知っていましたが、当時は実際の映画を見ることはできなかったので、こういう話で伝説のスター的な記憶が残ったわけです。
そして、もう一人、映画の話となるとなくてはならないのが淀川長冶さん。テレビ朝日の日曜洋画劇場は、かなりの頻度で見ることがあって、そこで前後に出てくる淀川さんのチャーミングな解説と、「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」は昭和のお茶の間の定番でした。
その淀川さんが大好きで大好きで、事あるたびに話にだしていたのがチャップリンでした。映画会社に入社した関係で、チャップリンに会ったことがある数少ない日本人の一人となりました。
80年代にNHKがずいぶんと集中的にチャップリンの映画を放送したことがあり、ちょうどビデオデッキがあったためしっかりと録画して、短編も含めて初めてしっかりとみることができました。ただビデオがβだったので、せっかく録画したものの繰り返し見ることはできませんでした。
今はDVDやBlurayの時代で、もちろんチャップリンの作品は繰り返し発売されているわけですが、最近やっとまとめて手に入れることができました。そこで、初めて気がついたのですが、チャップリンの初めての映画作品は1914年。つまり、今年はチャップリンが映画に登場してから記念すべき100周年なんです。
初期のサイレント作品は、10分~20分程度のものが中心で、さすがにいくらリマスターされても、画質的にはかなり苦しいところがあります。チャップリンの芸術的変遷を研究していくには重要な作品が目白押しではありますが、やはり映画史上忘れられないのは長編作品でしょう。
その中で、自分の場合一番に位置づけたいのが「独裁者」です。これは、チャップリンにとって最初の完全トーキーであり、今の映画感覚での鑑賞が可能なんです。つまり、サイレント作品の歴史的な位置づけとは別に、最近の映画と同列に評価できるわけです。
この作品については、もういくらでも評論はあって、いまさら自分ごときがどうのこうの言う必要もないくらいの名作とされています。一言で言えば、ヒットラー率いるナチス・ドイツを笑いの中で痛烈に批判した映画。
今でこそ、独裁者としてのヒットラーやナチスが行った残虐行為に対する批判はいくらでもあるわけですが、この作品を見る上で最も重要なことは、この作品が作られた1940年の世界の情勢です。そこを抜きにすれば、単なるブラック・コメディとなってしまうかもしれません。
第一次世界大戦ご政界に進出したヒットラーは、1929年の世界恐慌により国民の政府への不満に乗じて一気にその存在が知られるようになりました。1932年に首相、1934年には大統領も兼任し独裁体制が確立しました。1938年に、ついに隣国オーストリアを武力で併合したのです。
アメリカ国内では、この時点ではヒットラー手腕を評価する声も出ていたらしく、必ずしもヒットラーの独裁がすべて批判されていたわけではないようです。しかしユダヤ人に対する迫害はすでに始まっていて、それらを危惧する文化人も現れ始めていたのです。
チャップリンは、予定していた次回作を見送って、急遽ヒットラー批判の映画を作ることを決断したのですが、真っ向から他国の現役の指導者を揶揄することは、相当な勇気がいることだったのではないでしょうか。今だったら、大きな外交問題になることは必至です。
最大の見せ場は、もちろん最後の演説シーンです。約6分間、途中で一瞬失意の恋人のカットが入りますが、ほぼワンカットで独裁者に対する批判を展開します。もちろんチャップリン自ら監督・脚本をしているわけで、これが心からの悲痛といもいえるチャップリンの叫びなのです。
映画史上、最高の名場面にあげられることが少なくない、現代社会にも大きな意味を持つ演説であり、チャップリンが単なるコメディアンという枠ではおさまらず、映画という道具を用いて世界に向けてメッセージを発信する偉大な文化人たる所以でしょう。
興味深いのは、チャップリンはホロコーストの存在は当時知らなかったと述べていることで、もしも知っていたらこの映画は作れなかったとも言っています。つまり、最も深刻な悲劇においては、もう笑いが入れる余地が無くなるということです。ですから、ナチスの残虐性がほぼ明らかになった今では、このような映画が登場することはおそらくないでしょう。