2014年2月3日月曜日

チャップリン「黄金狂時代」 (1925)

1914年2月に銀幕デウューしたチャップリンは、瞬く間に人気者になり、出演する映画は次から次へと製作されます。最初の年には36本に出演し、特に4月以降は自ら監督もこなし、20本が監督・脚本も兼ねています。

当然サイレント映画ですから、セリフは関係なくチャップリンのドタバタの滑稽な仕草が受けたわけでしょう。ほとんどは20分以下の短編で、他愛の無い内容のものがほとんど。まだ、後年のメッセージ性はほとんどありません。

1915年には会社を移籍して13本、1916年は9本、1917年は4本という具合に本数は減っていくのですが、内容的にはしだいに濃くなってくるのが、順番に見るとよくわかります。

そして、人気を不動のものにして経済的にも余裕ができたのか、ついに自分のスタジオをハリウッドに持つことができて、映画会社も興したのが1918年。

ここからは、有名な短編がぞくぞくと生まれ、1918年には「犬の生活」と「担え銃」、1919年には「サニーサイド」と「一日の行楽」、1921年には「キッド」と「のらくら」、1922年は「給料日」、1923年に「偽牧師」が製作されました。

そして仲間とユナイテッド・アーティスツを作って、ついに1923年に長編「パリの女性」が作られます。ただし、これはコメディではなく、チャップリンは登場しない。その後は、数年ごとにどれもが傑作といえるようなチャップリンの長編映画が続くことになります。

これらの作品では、確かにチャップリンの超人的な動きによる笑いが映画の重要な要素としてあるわけですが、笑いの後ろには人間のドラマがしっかりと描かれている。特に哀愁(ペーソス)を隠すための笑いであり、また人間の幸福とは何かということを絶えず訴えてくるものなのです。

そんな中で、淀川長冶さんが、最も大好きだったのが「黄金狂時代」ですが、現在一般的に見ることができるのは、1942年にチャップリン自ら、音楽とナレーションをつけたサウンド版と呼ばれているもの。

字幕ででた分を、言葉として説明したり、一部はセリフのようにアフレコした感じに仕上がっています。画面が字幕で分断されることがないので、見ていて話の連続性が感じられ、現代の目からすると出来栄えは素晴らしい。

サイレント映画とは思えないくらいに、音楽もうまくかみ合い、一部の効果音を取り入れて、映画としての完成度がより高まっています。ちょっと前に完全トーキーの「独裁者」を作ってみて、チャップリン自身がサイレントの限界みたいなものを感じたのかもしれません。

でも、他の作品をサウンド版にしていないのは、もともとサイレントで撮ったものはそのままがいいと思うところもあったのかもしれませんね。実際、「キッド」や「街の灯」のこどもや女性の声をチャップリンがアフレコするのは雰囲気を壊すかもしれません。

サウンド版のエンディングは恋しい女性と再会して、新聞記者が「ハッピーエンドですね」と言って終わります。一方、オリジナルでは、そのあとに二人が見詰め合って記念撮影をするところでキスをして終わるんです。

個人的にはオリジナルのほうが、幸せそうなチャップリンの笑顔が印象的で好きです。たぶんもサウンド版は言葉で説明したので、内容がだぶる映像をカットしたのかもしれません。 もしかしたら、戦時下という時節柄キスシーンは遠慮したのもしれませんね。