2019年2月19日火曜日

鉄道員 - ぽっぽや (1999)

高倉健の東映任侠物の時代を知らない自分にとっては、平成になって健さんの映画の中の存在感をあらためて確認させてくれた映画が、浅田次郎原作、降旗・木村・高倉の鉄壁のトリオによる「鉄道員」でした。

亡くしたこどもの幽霊が、人生の終わりが近づく鉄道一筋の男の元に会いに来るというファンタジー。これを「バカげている」と思うか、単なる夢話と思うか、あるいは「そんなことがあってもいいじゃないか」と思うか・・・そんなことがあれば、とっても幸福なことだと思って見ることができるなら、任侠物後の健さんのベスト・ピクチャーと呼べるかもしれません。

映画の舞台は、北海道の真ん中あたり、かつて炭鉱で盛った幌舞。これは、架空の町で、JRには幌舞線も幌舞駅もありません。昔、機関車の釜焚き、そして現在は幌舞駅のたった一人の駐在駅員である駅長の佐藤乙松(高倉健)は、定年が迫っていました。幌舞線もまた廃線が決定している最後の正月を迎えようとしていました。

乙松の妻の静枝(大竹しのぶ)は数年前に亡くなりましたが、鉄道一筋の乙松は妻の臨終の際にも駅に立っていました。さらに、思い出されるのは高齢でやっともうけた一人娘の雪子の事。雪子は生まれて間もなく、肺炎により亡くなっていたのですが、この時も乙松は駅を離れることができませんでした。

若い頃からの乙松の仲間の仙次(小林稔侍)は、定年後の再就職先を決め、乙松にも一緒に誘うつもりで、おせち料理を携えて大晦日に幌舞駅にやってきます。しかし、仙次の説得にもかかわらず、乙松は「俺にはぽっぽや以外はできない」と頑なに断るのでした。

仙治が酔って寝込んだ頃、見知らぬ少女が人形を持って駅に現れます。乙松は名前を尋ねますが、はっきりしたことを言わないうちに人形を忘れていなくなってしまいました。それからしばらくして、もう少し大きな女の子が現れ、妹が忘れた人形を取りに来たというのでした。でも、乙松をからかうように笑って、また人形を置いていなくなります。

翌朝、仙治は考え直すように言って始発に乗って帰っていきました。夕方になって、高校生くらいの女の子(広末涼子)が現れます。乙松は、正月でお寺の祖父母のもとに来た三姉妹だと思います。女の子は鉄道のことに詳しく、乙松が夕方の上り列車を見送っている間に夕飯の支度をして乙松を驚かせます。

ちょうどそこへお寺から電話があり、孫たちは来ていないということを知った乙松は、女の子に「雪子なのか。成長してきた姿で順に会いに来てくれたのか」と尋ねます。人形は、乙松が雪子のために買ったもので、静枝が人形用にちゃんちゃんこを縫って着せたものだったのです。

乙松は、鉄道の仕事のために何もできなかったことを詫びるのですが、雪子は「お父さんはぽっぽやなんだから、しょうがないよ。ありがとう、お父さん。私は幸せだよ」と言って乙松を責めません。そして、人形を持って消えていくのでした。翌朝、除雪のためのラッセル車が幌舞駅に到着すると、駅のホームにはすでにこと切れた乙松が倒れていました。

映画では、雪子の霊が乙松の人生をすべて許して、幸福な気持ちで死んでいけるように導いていくように思います。でも、乙松はもう一人、静枝にも負い目を抱いて生きてきたのです。静枝は、乙松を認めてくれていたのでしょうか。

映画の中で静枝が口ずさむ曲は、アメリカの名曲懐メロである「テネシー・ワルツ」です。乙松と静枝の夫婦愛を示す場面で何度も登場し、時には健さんも口ずさみます。

実は、この曲は江利チエミのデヴュー曲です。江利チエミは、高倉健の妻であり、やむをえない事情で離婚し、1982年に急死しました。死後、健さんは毎年の墓参を欠かさなかったと言います。健さんが、プライベートでもずっと背負ってきたものと、乙松が妻と娘の死に対する気持ちを重ねる演出は・・・ずる過ぎる。

そこに気がつくと、いつもよりもやたらと涙腺が緩い健さんが見えてきます。静枝からも許されていることを通じて、江利チエミの死から気持ちを開放させてあげたいという、映画仲間からのメッセージが込められているのだろうと思います。

健さんは、昔の東映時代の映画作りの仲間が定年で続々映画界を去っていくなかで、もう一度最後に一緒に仕事をしたいという願いを聞いて出演を決意しました。「ぽっぽや」を「映画屋」と変えて見ると、公私取り交ぜた高倉健の集大成という見方もあながち間違いではなさそうです。