2019年2月17日日曜日

夜叉 (1985)

高倉健主演、降旗康夫監督、木村大作撮影となれば、間違いなしの「健さん映画」なんですが、困ったことに嫌いな任侠物の残り香みたいな映画。

「居酒屋兆治」が終わって、次回作となる本作を準備中に、黒澤明監督の「乱」へのオファーがあったことは有名な話ですが、降旗組への礼節を重んじた健さんはこれを断りました。

この映画では、役柄はかなり名の通ったヤクザでしたが、今は堅気になって漁師をしている男。ところが、背中には昔の名残りである、夜叉の刺青が彫られている。回想シーンでは、ヤクザらしい場面が多々出てくるのですが、昔の映画と違うのは、かなりモダンなところもあって、ボルサリーノ帽をかぶってスーツで決める。帽子をボトルにひょいとかけて、ジャック・ダニエルスをくいっと一杯。日本刀も使うけど、拳銃で手っ取り早く終わらせたりもします。

この映画の特徴の一つは、全編にわたってBGMは佐藤允彦とトゥース・シールマンによるジャジーな曲が流れていること。最後のテーマも歌のはナンシー・ウィルソン。ジャン・ギャバンのギャング物が日本海の荒波を舞台にしたみたいなところがあって、こういう荒々しいけど物悲しい風景が木村大作のカメラとぴたっとはまっているわけです。

大坂ミナミでかつて知られた修治(高倉健)は、組を抜け十数年、妻の冬子(いしだあゆみ)の実家で今は敦賀の漁師として、背中に夜叉の彫物はひたすら隠して平穏な生活をしていました。

ある日、そこへミナミから流れてきた蛍子(田中裕子)が居酒屋を始めます。さらに情夫である矢島(ヒートたけし)がやってきますが、矢島は漁師連中を賭けマージャンに誘い、さらに麻薬を売りつけていくのでした。修治の友人の啓太(田中邦衛)も、その誘いにのせられ家の金をつぎ込んでしまいます。

修治の意見で蛍子は矢島の麻薬を棄ててしまうと、矢島が包丁で町中を追いかけまわす大騒動になります。止めに入った修治に矢島が切りつけたことで、衣服が裂け背中の彫物が露わになります。町の人々の修治に対する態度も変化していき、どこかで同じ空気を感じあう修治と蛍子は惹かれ合うようになります。

義母(乙羽信子)は、「夜叉は修治の背中にあるだけじゃない。心の中にいるんだよ」と言った通り、蛍子に頼まれ薬の金を払えず捕まっている矢島を助け出しに、修治はミナミに向かうのでした。挨拶に出向いたかつての姉御からは、「何かするならけじめをつけなきゃいけないのは私。気のすむように見物したら海へお帰り」と言います。

修治は矢島を捕まえている組に乗り込み連れ出しますが、結局矢島は昔の弟分(小林稔侍)に殺されてしまいました。弟分は「すまねえ。でも、こうしないとここで生きていけない」と泣いて詫びます。

修治は町に戻って蛍子に矢島が死んだことを伝えると、蛍子は町を出ていきました。夜行に乗った蛍子は、急に吐き気を感じます。つわり?・・・蛍子は夜叉を思い浮かべうっすらと笑みを浮かべるのでした。そして、修治は再び漁師としての生活に戻りました。

よく健さんのキャラクターは、「生きていくのが不器用」と表現されることがあります。一つ事にこだわり、なかなか自分を変えることができない。でも、見方を変えると、優柔不断で決断を迫られても、「これしかできないんで」と言い訳して逃げているようにも見えます。

夜叉の刺青を隠していたのは、もしかしたらいざとなったら元に戻れる保険のようなものだったのかもしれません。でも、すでに「夜叉の修治」は終わった人間でした。昔の世界に戻ることはできず、ずっと苦しくても心の中を封印し続けなければならないのです。

妻の冬子に対して、修治を過去に引き戻すのは夏の蛍。蛍子は、心のどこかで漁師になり切れていない修治の隠れた願望を具現化する魔性の女であり、本当の夜叉なのかもしれません。