男が男であった、女が女であった
雪は知っていた。寡黙な愛ほど強く激しいことを。
こんなキャッチコピーが、ずいぶんとあちこちのメディアで流れていた記憶があります。基本的には、男女のメロドラマであり、一つの愛の形を描くことが主題なのですので、基本的に登場人物はこのドラマのために作られた架空の人物たち。
見終えた時の最初の印象は、とにかく一見、健さんらしい「生きることに不器用」な男なんですが、「不器用すぎる」という感じ。30代前半の小百合さんの美しさも格別ですが、最後の最後まで二人の絡みは悲壮感が漂い重厚すぎました。
宮城(高倉健)は、脱走した初年兵を捜索してその姉の薫(吉永小百合)と出会います。薫は生活の困窮から身売りされていくところでしたが、宮城は脱走までした弟のためにも何とかしろとお金を渡すのでした。
部下思いで実直な将校であるがために、宮城は上官から疎まれ、辺境に飛ばされますが、そこで、夜を売る芸子に落ちぶれていた薫と再会。そこでも上官の軍用物資の横流しを告発しますが、さらに目を付けられるだけでした。
薫を連れ帰った宮城は、夫婦ということにして東京での生活を始めますが、彼のもとには私腹を肥やす政治家や軍部に反発する青年将校が集まるようになりました。薫と連れ立って鳥取に出かけた宮城は、彼ら昭和維新を目指す者たちの心のよりどころである神崎(田村高廣)に相談します。
その帰り、砂丘を歩いていると、それまで黙って「妻」になっていた薫は宮城についに声を荒げて迫るのでした。「私はただの隠れ蓑としての存在なのか。汚れた体の私を抱けないのか」と言う薫に対して、宮城は「そばにいて欲しい」とだけいいます。
ついに宮城らは武装蜂起し、二二六事件を起こしました。しかし、彼らは逆に国賊として非公開裁判で死刑が言い渡されます。宮城の父親(志村喬)の計らいで、籍をやっと入れた薫が宮城に面会がゆるされたのは刑が執行される数日前の事。「こうなったことを許してほしい」と涙する宮城に対して、薫は「幸せでした」と返事をするのでした。
二二六事件を起こした青年将校たちを、政治の腐敗を正すために蜂起した民衆の味方のように描いたところは、歴史的事実からも批判されているところで、そのために映画としての評価は必ずしも高くはなく、健さんとしては失敗作のように言われるところがあります。
ただし、健さんと小百合さんの二人のシーンは長回しのシーンが多く、二人の役者としての真骨頂が十二分に捉えられており見るべき価値を見出すことができます。清純派だった小百合さんにとっては、今までにない役柄と厳しいシーンも少なくない長期にわたるロケに参加したことで、映画人として成長できた作品だったようです。
それにしても、銃殺刑で死んでいく健さんの姿は、ちょっとショックでした。