山口百恵の何が凄いか・・・って、もういろいろな人がいろいろな所で言いつくしていることですが、自分なりに思っていることをチョットだけ。
それまでの日本の大衆歌は、いわゆる演歌と歌謡曲でした。その違いを言葉で言うのは難しいのですが、昭和の日本人は感覚的に判別できていたんですよね。戦後日本の文化はほとんどがアメリカから入って来たものを、日本人なりに作り直したものだと思いますが、歌の世界ではポップス系が混ざったのが歌謡曲で、60年代からはフォークも広がり始めました。
フォーク・ソングは、どちらかというと体制に対する不満のはけ口みたいなところがありましたが、70年代になってしだいに恋愛模様が歌われるようになると、かなり丸くなって荒井由実に代表されるようなニュー・ミュージックと呼ばれる展開につながります。
山口百恵は、まさにそんな歌謡曲の過渡期に登場したわけで、1973年のデヴューから最初の数年間は、王道歌謡曲の作詞家・作曲家が歌を作り続けました。ただ、他のアイドル歌手と違ったのは、女の子が背伸びをする心情を歌に乗せたことで、大人っぽい雰囲気を作り上げたところ。
よく言われることですが、山口百恵の転換期を作り出したのは宇崎竜童・阿木曜子夫妻。宇崎竜童のデヴューは山口百恵と同じ1973年で、ダウン・タウン・ブギウギ・バンドでの「スモーキン・ブギ」が大ヒット。正統派ロックン・ロールのようで、おちゃらけた歌詞が大うけ。
実は宇崎・阿木コンビを指名したのは山口百恵本人と言われていて、最初のアルバム用の曲がよかったのか、ついに1976年「横須賀ストーリー」でシングル発売となり、大ヒットとなりました。その後も1980年の引退まで、70曲ほどが宇崎・阿木コンビから提供され、シングルはことごとくヒットしたというのはよく知られていること。
この転換点から、山口百恵は歌謡曲からJPOPの元祖に生まれ変わったと思っているんですが、実際、桜田淳子は最後まで歌謡曲アイドルだったし、森昌子もずっと演歌歌手だと思います。
それまで、その時の年齢がアルバム・タイトルに使われていたりしましたが、「横須賀ストーリー」以後は、アルバム全体のコンセプトがはっきりしてきて、アルバムをイメージするタイトルが使われるようになります。1977年の「GOLDEN FLIGHT」では、初めて横文字だけのタイトルが採用され、ロンドンで現地ミュージシャンを採用してのロック色を強めた録音。
1978年のアルバム「COSMOS(宇宙)」は、初めての完全なコンセプト・アルバムで、宇宙をテーマに自由に飛び回る世界が描かれています。自身が初めて作詞した「銀色のジプシー」は、作曲が浜田省吾という豪華な組み合わせで、個人的にはBEST10に入るくらいの出来です。
オリジナル・アルバムは6年5か月で22枚という、もともとハイペースでアルバムが出ていましたが、引退の年は2月、5月、8月、そして10月と4枚のアルバムが発売されました。今ではありえない話。
この中では特に「メビウス・ゲーム」の出来が凄い。もう完全に歌謡曲の作りじゃない。フェードアウトして打楽器の音だけが残って次の曲に自然につながったり、ヒットした「ロックン・ロール・ウィドウ」も、イントロ変えて、中間のギター・ソロもたっぷり聞けたりして、作りこみが半端じゃない。
今年はデヴュー50周年、引退から43年。あ~、昔々の話になってしまいましたけど、あらためて今の耳で聞いてみると、JPOP化した以降のアルバムは十分鑑賞に耐えることに驚きます。もしも、もしもですけど、今、山口百恵のCDとか買いたいと思うなら、ベスト盤はやめましょう。横文字、カタカナ・タイトルのアルバムを一枚一枚買うのが絶対にお勧めです。