2014年9月13日土曜日

バッハとラテン語

学生のときに、解剖学の講義の最初にラテン語の授業がありました。解剖学で使われる人体の各部の名称はラテン語、最低限の知識を学べということだったんですが、とりあえず「発音はローマ字読みすれば、当たらずとも遠からず」ということだけ頭に残っています。

キリスト教カトリックの典礼で用いられる言葉はラテン語です。キリスト教関連の音楽の歌詞も当然ラテン語で、Kyrie eleison とか、Gloria in excelsis Deo とか、作曲者は違っても、やたらと出てくる。

ところが、バッハのカンタータを聴いてみると、これがなんとドイツ語。あれ? キリスト教なのに、ドイツ語じゃ、やたらと俗っぽくなっていると、はじめは感じました。

ところが、ちょいと勉強すると、そこがカトリックとプロテスタントの違いとわかってきた。マルチン・ルターは、キリスト教をより民衆の身近にするために、人々が最も理解しやすい母国語を使ったわけです。

バリバリのプロテスタントであったバッハは、当然のことながら、自らのライフワークであった「整備された教会音楽」、つまりぼうだいなカンタータをドイツ語を用いて実現させていったわけです。

昔の日本の医学はドイツ式でしたから、今でも医学用語にはドイツ語から来るものが使われているとはいえ、自分たちの世代の頃には、アメリカに習えに完全に変わっていましたから、ドイツ語の授業もありましたが、知識としてはラテン語とたいして差が無い。

歴史的な時間差はあっても、遠い異国の言葉であることにはかわりなく、ドイツ語のカンタータを聴いても、特に違和感は感じません。

ところが、ドイツ語カンタータに慣れてくると、実はバッハの作曲した曲にラテン語歌詞のものが含まれていることに気がついて、逆にバッハがラテン語? ということが気になりだします。

ラテン語作品は、バッハの最後の作品とされる、いわゆるロ短調ミサ曲 BWV232、そしてマニフィカトBWV243が有名ですが、それ以外に小ミサ曲と呼ばれるものが4つあります(BWV233~236)。

そして意外なことにカンタータに含まれるBWV191が、なんとタイトルがGloria excelsis Deoそのもの。唯一のラテン語カンタータであり、一連の教会カンタータとは別に分類する考え方もあります。それ以外には、細かいSanctusのみが数編ありますが、偽作もありそうで、あまりはっきりしない。

ルターも、ローマのやり方を一切合財否定したわけではなく、カトリックの作法を一部踏襲しているので、プロテスタントでもラテン語を使用する事は特に異なことではなかったようです。特に音楽に取り込まれる言葉は、キリスト教の中でも基本になるものが多いので、そのままラテン語が用いられても不思議ではない。

バッハのミサ曲は、バッハのパロディ手法が顕著にいかされているところで、多くのドイツ語カンタータからの転用が指摘されています。このあたりは、マニアックに突き詰めるとかなり楽しめる部分になっているわけです。