キリスト教とユダヤ教は親戚みたいなもので、実はイスラム教も根っこは同じ。神様と言えば、3つの宗教とも、同じ概念のもとにただひとつ。それまでの宗教は、多神教であることが多かった。
ユダヤ教では、いつか人々に大きな災いが起こり、それを救ってくれる救世主 (メシア) が登場すると待望されていて、ナザレのイエスは救世主として持ち上げられてしまったわけです。
イエスを神格化したキリスト教では、唯一のはずの神様が増えてしまったわけで、イエスも様々な聖霊も唯一の神と一体のものとして合理化したのが、三位一体という考え方です。
今日は、三位一体節後第15主日ですが、教会暦順カンタータ巡礼では久しぶりにちょいと忙しい。明日が大天使ミカエルの祝日となっていて、聴くべきカンタータがたくさんあります。
今日のカンタータは、3曲が残されています。いずれも比較的短い。
BWV138 汝なにゆえにうなだるるや、わが心よ (1723)
BWV99 神なしたもう御業こそ いと善けれ (1724)
BWV51 全地よ、神にむかいて歓呼せよ (1730)
BWV51はかなり有名曲。ガーディナー先生も、以前のマグニフィカトに併録していました。ソプラノ独唱のためのカンタータで、管楽器が大活躍する、大変華やかなカンタータです。
ガーディナー先生は、この日のものにあと1曲加えています。
BWV100 神なしたもう御業こそ いと善けれ (1734)
この曲は、用途がはっきりしていないのですが、何とBWV99とタイトルが一緒。第1曲は、そのまま転用です。
実は、11月に出てくる、三位一体節後第21主日用のBWV98も同じタイトルで第1曲は、多少雰囲気を変えているものの転用しているんです。
さらに最後のコラールも、10年前に作られた三位一体節後第1主日用のBWV75の最後のコラールの転用となっています。出だしの1行は同じ歌詞です。
まぁ、「神様のすることはすべてOK、まかせておけば大丈夫」みたいな内容ですから、比較的気楽にあちこちに使いまわしたのかしれませんね。