2014年9月22日月曜日

ミュールハウゼン時代のバッハ

ちょっと考えてみれば当たり前のことなんですが、イエスはユダヤ教徒だったんですよね。

ナザレのイエスが、ユダヤ教に矛盾を感じて、独自の考え方を示したところ、民衆から支持された。ところが、時の支配者は、イエスの思想に危険を感じて処刑しました。

十字架の磔刑になって、3日後にイエスは復活して、教えを説いたのち神となって昇天します。そののち、弟子たちに精霊が降りてきて、各地に散ってイエスの教えを伝え始めたところからキリスト教が始まるわけです。

ここから、ローマ帝国の中でキリスト教徒は迫害を受け続けるのですが、次第にヨーロッパに拡散・浸透して、ついに313年にミラノ勅令によってローマ帝国から公認され、380年には国教となります。

ここからは、国王との権力争い、内部の勢力争いが活発になりました。その最たるものは十字軍による東方遠征でしょうか。

いずれにしても、イエスが歴史に登場してから、最初の3世紀くらいの間が、おそらく宗教としての最も進展を遂げた時期なんだろうと思います。

16世紀になって、マルチン・ルターらが行った宗教改革は、キリスト教をより民衆のために戻そうという行動でした。その結果、ローマ・カトリックとプロテスタントという2大勢力が誕生します。

バッハは根っからのプロテスタントで、幼少期からルターの自作した讃美歌(コラール)に慣れ親しんでいました。ですから、音楽家を志すにあたって、「整った教会音楽」を作っていきたいという願望は、かなり早くから頭にあったわけです。

バッハの教会カンタータが最初に作曲された時期は、1707年、22歳からの1年間のミュールハウゼンの教会オルガン奏者を務めていたときです。

翌年、ワイマールの宮廷オルガン奏者に転出するにあたっての ミュールハウゼン市への辞表に、すでに「整った教会音楽」に携わるためと記されているのです。

現在残っている、この時期のカンタータとしては、6つのものが推定されています。
BWV4 キリストは死の縄目につながれたり
BWV131 深き淵より われ汝に呼ばわる、主よ
BWV106 神の時こそ いと良き時
BWV71 神はいにしえよりわが王なり
BWV196 主はわれらを御心に留めたまえり
BWV150 主よ、われ汝を仰ぎ望む

ライプチィヒ時代のように、教会歴に沿ってきちっとした記録がないため、音楽学者と呼ばれる方々が、作曲技法などから推定したものですが、後年の確立した様式がないために、一つ一つに個性があり、ある意味未熟な面があるにしても、大変聴いていて面白い。

特に後年多用される、オペラの技法から取り入れられたレチタティーボは、まだ用いられていません。合唱とアリアがどんどん出てきて、若いバッハのスピード感みたいなものが感じられます。

BWV4は、すべてが一つのコラールからできていて、「コラール変奏曲」という呼ばれ方をするもの。最初の弦だけの短いのですが大変深いイントロのあと、見事な合唱や独唱が次々に登場します。

BWV106は通称「哀悼行事(Actus Tragicus)」と呼ばれ、バッハの教会カンタータの中ではかなり人気の高いもの。 若きバッハは、すでに当時の死生観について悟りを開いていたのか、死への恐怖と神の救い、そして死の克服の内容で書き上げています。