夏季臨時休診

夏季臨時休診のお知らせ 8月14日(金)~8月19日(水)臨時休診します。

2026年6月30日火曜日

日本 vs ブラジル


いゃ~、頑張りました。お疲れさまでした。

日本代表の選手の方々はもちろん、スタジアムにかけつけたサボータの方々は言うに及ばす、われわれテレビ観戦組も頑張った。

何しろ日本時間の午前2時キックオフですから、もう大変です。今日の仕事は睡魔との戦いになることは必至です。

前半、佐野海舟の先制ゴ~~~~ル !!

しかし、圧倒的にブラジルにボールを支配され、守りの時間が多く、後半同点弾を食らいました。

守りが長いほど、見ていて苦しくなってきます。アディショナル・タイムに逆転され、万事休す。

敗れましたが、本当によくやりました。ブラジルを追い詰めた試合でした。確実に次につながる試合だったのではないでしょうか。

日本のWorld Cupは終わりましたが、これからもガンバレ!! SANURAI JAPAN !!

2026年6月29日月曜日

Self Portrait (1970)


ビッグ・ピンクでのセッションが終了すると、Hwaksはグループ名をThe Bandsに変更し、1968年7月にボブ・ディランとのセッションから生まれた曲を集めたデヴュー・アルバム「Music from Big Pink」を発表し高い評価を受け、世間を席巻していたサイケデリック調に一石を投じました。

ディランはというと、同じ時期に地元ともいえるウッドストックで大々的に開催された歴史に残るフェスティバルへの出演依頼は断って、1969年8月に人気がでてきたThe Bandと久しぶりにイギリスの第2回ワイト島音楽祭 (Isle of Wight Festival 1969)に出演しました。ナッシュビルでカントリー・ミュージックに浸りまくっていたディランが、久しぶりThe Bandとの共演で3年ぶりのまとまったライブを行うということで、ファンの期待は否が応にも高まります。

しかし、ナッシュビルで鍛えたつんつるてんの声による歌い方に観客は不満だったようで、全17曲、約1時間の短いステージも不評を買いました。現在では「The Bootleg Series Vol.10 Another Self Portrait」に、ステージが丸ごと収められています。

途中で4曲のディラン一人のアコースティック・パートを含みますが、確かに以前より角が取れ過ぎてぼやけた楽曲もありますが、逆に丸くなってより音楽的になったものあり、全体を通しては(ベストではありませんが)悪くはない演奏だと思います。そう感じる要因としては、The Bandの面々の成長が大きいかもしれません。

さて、次のアルバムのタイトルは「自画像」です。「Blonde on Blonde」以来のLPレコード2枚組として1970年6月にリリースされました。タイトル通りでボブ・ディラン自ら5分間で描いたという自画像が、どーんとジャケット表に採用された、それはそれでインパクトがあるアルバムです。これを上手いと思うかどうかは個人の主観によりますが、アルバムとしてはありかと思います。

内容は1969年前半のナッシュビルでのセッションで収録された物、そしてワイト島のライブから4曲、さらに年が明けて、1970年3月を中心にニューヨークで行われたセッションで生まれたものが、順不同で配置されるというものでした。

ニューヨークに戻って、ディランらしい声に戻りつつあるものの、ナッシュビルのつんつるてん声もばらばらに出てきて、さらにライブありというてんでんバラバラの構成は、意図的に一貫性を無くしたものでしたが、批評家からは不評を買ってしまいます。ニューヨークでは、初めて女声コーラスやストリングスを導入し、編曲と言う点にも気を回したことは特筆すべきポイントです。

これまでにも、しばしばアルバムの冒頭1曲目で聞く者を驚かすことをしてきたディランですが、ここでもいきなりほとんど女声コーラスだけで「陽にあたって疲れた馬にはどうやって乗ればいいのでしょうか」という歌詞を3分間ひたすら繰り返します。そこからはトラディショナルや他人の曲が続き、やっとオリジナル曲になったと思ったら、ブギウギのリズムに乗せた歌無し演奏のみ。

CD2枚目には、何とジャズのスタンダードでもある「ブルー・ムーン」がプレスリーばりの歌声で登場したのには驚いた。さらに驚くのはサイモン&ガーファンクルのヒット曲「ボクサー」を自らのつんつるてん声とダミ声でセルフ・デュエットしてしまうという・・・よく言えば「遊び心」に富んだ構成です。

後年、ディラン自身が語っていることはどこまで本心なのかよくわからないことが多いのですが、このアルバムは端的に言うと世間に対して「あかんべー」をしたかったということらしい。


All the Tired Horses*
Alberta #1
I Forgot More Than You'll Ever Know
Days of '49
Early Mornin' Rain
In Search of Little Sadie
Let It Be Me
Little Sadie
Woogie Boogie*
Belle Isle
Living the Blues*
Like a Rolling Stone* (live)
Copper Kettle
Gotta Travel On
Blue Moon
The Boxer" Paul Simon
The Mighty Quinn (Quinn the Eskimo)* (live)
Take Me as I Am (Or Let Me Go)
Take a Message to Mary
It Hurts Me Too
Minstrel Boy* (live)
She Belongs to Me* (live)
Wigwam*
Alberta #2

* written by Bob Dylan

Bob Dylan ( vo, g, harmonica, keyboards)

Norman Blake (g), Kenneth A. Buttrey (ds), Fred Carter Jr. (g)
Charlie Daniels (g), Pete Drake (steel g), Doug Kershaw (vn)
Charlie McCoy (b), Robert S. Wilson (p)

April 24, 26 & May 3, 1969, Nashville


Rick Danko (b), Levon Helm (ds), Garth Hudson (key)
Richard Manuel (p), Robbie Robertson (g)

Aug 31, 1969, Isle of Wight Festival


David Bromberg (g, Dobro, b), Emanuel Green (vn)
Al Kooper (key, g), Hilda Harris (vo), Albertine Robinson (vo)
Alvin Rogers (ds), Maeretha Stewart (vo), Stu Woods (b)

March 3–5, 1970, NYC

☆☆☆☆・・・・・・

2026年6月28日日曜日

Nashville Skyline (1969)


1968年4月4日、公民権運動をーの陣頭に立っていたマーティン・ルーサー・キングJrが暗殺されました。さらに、6月6日には公民権運動に理解を示しアメリカのベトナムへの介入に反対していたロバート・F・ケネディ上院議員(故ジョン・F・ケネディ大統領の実弟)も暗殺されたのです。この頃、アメリカの大都市では毎日のように大規模なデモや暴動が発生して、社会は混乱していました。

若者たちの間には、自由を求めてヒッピー文化が広がり、薬物により現実から逃避することが常態化していたと言っても良いと思います。古い保守的な音楽は聴かれなくなり、ポピュラー音楽の世界ではサイケデリック調の物が人気を博し、ジャズも音楽のルールを排除したフリー・ジャズが人気となります。

1962年に登場して以来、ボブ・ディランは体制批判の先頭に立たされてきました。時代に流されてきただけで、本人が望んだことではなかったのですが、世間のディランに対する注目は続いていました。しかし、ディランは現実世界から一歩ひいたところで、相変わらずマイペースな音楽活動を続けていたのです。

本作では、前作で入り込んだカントリー・ミュージックの世界に最も深くのめり込んだアルバムと位置付けられています。何しろ最初の1曲目が、カントリー・ミュージック界の大御所、ジョニー・キャッシュとの共演ですから、インパクトは絶大です。

ディランがキャッシュと初めて対面したのは1965年のことで、キャッシュはそれ以来ディランに対しては好印象をもっていたようです。ディランは再びナッシュビルを訪れ、カントリー・ミュージックの懐深く入り込みます。1969年2月13日からにセッションを開始し、18日までで収録を完成させました(実際は21日までらしい)。その最終日にスタジオにやってきたジョニー・キャッシュとは、丸一日かけて別テイクを含めて38曲も収録をしています。

ただ、結論として二人がデュエットしても新しいことは何も生まれなかったのです。その結果がアルバムに収録されたのは「Girl from the North Country (初出は"The Freewheelin'")」の1曲のみということで、4月9日のアルバム発売後の5月1日にキャッシュの冠番組にディランが出演しのが最後の共演になりました。

アルバムは全11曲で30分に満たない、短い曲ばかりなので聞きやすい。ですが、その反面、物足りなさも残ります。それにジャケット写真の、とっても丸くなって微笑みかけるディランという構図も好き嫌いが分かれるところ。

何よりも、全体を通してディランの声に一番驚きます。初っ端から、あれ? この声誰? ジョニー・キャッシュってこんな声だっけとなります。ところが後から出てる歌声は、まさしくキャッシュそのもの。ということは最初のがディラン!? と耳を疑いたくなること必至です。

クルーナー唱法とは、B・クロスビーやF・シナトラで有名になったもので、声を張り上げずに耳元に直接響かせるような歌い方で、これまでガラガラ、しゃがれ声だったディランがこの歌い方をしてつんつるてんになっています。

カントリーに寄せたというか、一時的に禁煙していたからとか言われていますが、これを良しとするならこのアルバムはOKです。でも、とても違和感が強いのでこれも評価を大きく分けることになりそうです。実際、エルビス・プレスリーになりたがっているという批判も起こっています。

一番の収穫は「Lay Lady Lay」です。けっこうストレートな求愛ソングで、「二人の間に朝までずっといて」とお願いし続ける内容ですが、ロック版になってライブの重要なレパートリーになりました。

これらのセッションでの多くの未発表テイクは、その後いろいろな形で分散されて公表されていますが、特にジョニー・キャッシュとの共演はまとめられて「The Bootleg Series Vol.15 Travelin' Thru」で全貌を聴くことができます。


Girl from the North Country*
Nashville Skyline Rag
To Be Alone with You
I Threw It All Away
Peggy Day
Lay Lady Lay
One More Night
Tell Me That It Isn't True
Country Pie
Tonight I'll Be Staying Here with You

Bob Dylan (vo, g, harmonica)
Norman Blake (g, Dobro), Fred Carter Jr. (g)
Charlie McCoy (g, harmonica), Pete Drake (pedal steel guitar)
Charlie Daniels (b, g), Bob Wilson (org, p)
Kenneth A. Buttrey (ds, perc)

* Johnny Cash (vo, g)
Bob Wootton (ele.g), Marshall Grant (b), W. S. Holland (ds)

February 13 ~ 18, 1969, Nashville

☆☆☆☆・・・・・・

2026年6月27日土曜日

日本 vs スウェーデン


日本チームのグループ・リーグの戦いが終了しました。

昨日の対スウェーデンは先に先制したものの、1-1の引き分けで、ちょっとだけモヤモヤした感じが残りました。

これでF組は、1位オランダ、2位日本が確定し、決勝トーナメントへの出場が決定したので、まずは良しとしましょう・・・

というわけで、相手も決まっています。ブラジルです。

あ~、何んてことでしょう。勝てばベスト16ですが、ブラジルとの対戦成績は、日本の1勝2分け11敗。昨年、奇跡的な初勝利がありましたが、そんな簡単に続けて勝てるような相手ではありません。

さぁ、運命の試合は6月30日(火)、キックオフは午前2時、場所はヒューストン。移動が少ないのは良いことです。

寝るか、観るか、いゃ~、悩ましい!! ですが、
がんばれSAMURAI JAPAN !!

2026年6月26日金曜日

茅ケ崎杉山神社 @ 都筑区茅ヶ崎中央


センター南の都筑中央公園の東端の敷地に鎮座する、というよりは神社の周辺の丘と森を公園にしたという方が正しいのかもしれません。

自分もクリニックの最寄りの神社として何度か参拝に訪れている場所です。区役所通りからは、急な階段を上っていくことになりますが、公園側には緩やかな坂道があります。

とにかく杉山神社については不明なことが多すぎて、ここの御祭神についても混乱があります。

神社本庁のホームページだと天照大神(あまてらすおおみかみ)だけが御祭神として紹介されています。

でも、神社にある案内によると、主祭神は五十猛命(いそたけるのみこと)であり、神明社の天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、天王社の素戔嗚命(すさのうのみこと)、稲荷社の稲倉魂命(いなくらみたまのみこと)を合祀しているとされています。

杉山神社が初めて歴史に登場するのは、平安時代の「続日本書紀」で「武蔵国都築郡の枌山神社」の記載があります。そして、10世紀はじめに作られた全国の神社リスト、「延喜式」に現横浜市内としては唯一記載されたのが「武蔵国都筑郡 杉山神社」で、いわゆる式内社として有力な神社であったことは間違いありません。

しかし、式内社となったのが数多くある杉山神社の中のどれなのかは確定した資料がありません。また各杉山神社で御祭神も一定していないのですが、基本的な御祭神はいずれも五十猛命か日本武尊((やまとたけるのみこと)であり、それ以外は後に合祀されたものと考えられます。

現存する44社の杉山神社のうち、横浜市内では港北区に5社、都筑区に6社、緑区に6社、青葉区に4社あり、旧都筑郡だけで半数近くをしめています。

横浜市の海側にあと14社が散在し、あとは川崎市に3社、町田市・稲城市で6社です。多摩川を超えて東京側にはありません。そのため、鶴見川を中心に海側から山側へ開拓が進んだ中で増えていったと考えられています。

文化文政期に編纂された新編武蔵風土記稿には73社の杉山神社が記載されていて、その中で茅ケ崎村のものが式内社として記載されたものではないかと推測されていますが、中川、新吉田、末長が本社だという説もあり確定はしていません。

不思議なことが多い神社ですが、横浜市北部を生活圏にしていると必ず目にするので、ちょっとでも気にしておいて悪いことはありません。


都筑区内ではもう一つ大熊町にあるんですが、まだ行けていないので、Google Mapのストリート・ビューでチラ見せしておきます。

2026年6月25日木曜日

中川杉山神社 @ 都筑区中川


港北ニュータウンの大塚の交差点で、minamoのはす向かい、少し奥に入った場所にある神社です。比較的大きい神社で、独自のホームページも展開しているので、管理がしっかりしている感じがします。とは言え、常駐する神職はいません。

御祭神は、五十猛命(いたけるのみこと)と日本武尊(やまとたけるのみこと)の2柱ですが、配神(サブみたいな立ち位置て祀る神)として、伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉弸尊(いざなみのみこと)を祀っています。

また、神明社から 天照皇大神(あまてらすおおみかみ)、吾妻神社から橘姫尊(たちばなひめのみこと)、八幡社から応神天皇(おうじんてんのう)を合祀していて、「いけいけどんどん」という感じもあったりします。

もともとここにあったわけではなく、明治、大正期に引っ越し、さらに平成になって港北ニュータウン開発事業の一環で今の場所に移ってきました。もともとあった大棚の地名を含めて大棚中川杉山神社とも呼ばれます。

都筑区だけでなく、横浜市北部の旧都筑郡には杉山神社と呼ばれる神社は大変多い。しかし、その発祥のおおもとはわかっていません。大棚杉山神社はその候補の一つと考えられています。

2026年6月24日水曜日

The Original Mono Recordings (2010)

若い方は、音楽は2チャンネルのステレオ、左右のスピーカーから音が立体的に聞こえてくるのが当たり前だと思うでしょうし、サラウンド・システムで360゚全方向から聞こえるのもまったく不思議なことではないと思います。

そもそも音を記録するというのは、1857年、フランス人のマルタンヴィルによって発明された「フォノトグラフ」が最初。実用化したのは1877年、かの有名なトーマス・エジソンによってで、19世紀終わりにはいろいろな記録媒体として普及し始めます。演奏会場に出かけてその場限りの楽しみであった音楽も、家庭で繰り返し楽しめるようになるわけです。

音の振動を細い溝に刻んだレコード盤が開発されたことで、音楽はより身近に物になっていくわけですが、日本でレコードが普及するのは戦後の事。1960年代には、たいてい家庭に一台はレコード・プレイヤーがあったものですが、自分が知っている大きさは厚さ10cm、20~30cm四方の箱型のもので、直径30cmのLPレコードは枠からはみ出します。

ポリ塩化ビニール製の円盤は直径17cmのEP盤と30cmのLP盤がありましたが、EP(Extended Play)は回転数は1分間に45回で最大で片面に8分、主としてシングル盤用で中央にある穴が大きかったのでドーナッツ盤とも言われていました。LP(Long Play)は回転数は1分間に33.3回で最大で片面に30分程度が収録できますが、最善の音質を考慮して片面20分、両面で40分くらいが標準となっていました。

2chのステレオは、1881年に実験的に始まっていましたが、実用化されたのは1930年代のこと。1940年のディズニーの「ファンタジア」は、映画館で初めて一般向けにステレオ音響が提供された映画として有名です。

最初のステレオ・レコードは左右のチャンネルを別々の溝で再生するため、振動を拾うためのピックアップは2個、アンプも2個、そして当然スピーカーも2個必要としました。1950年代になって、各社がさまざまな実験と開発を行い、実用的なステレオ・レコードが市場に出始めたのは1958年のことだと思います。

60年代には過去のモノラル音源を高音と低音などに分割した疑似ステレオ・レコードが盛んに作られたりしました。さらに70年代になると、音像の位相を変えることで、さらに立体的に聞こえる4chステレオが登場しましたが、これは今のサラウンドほどの効果はなくあまり普及はしませんでした。

レコード・プレイヤーの内臓のスピーカーは当然1つですから、聞こえる音はモノラルが当たり前。家庭にステレオ再生装置(当初はHi-Fi装置と呼ばれてとても高価でした)が普及してきた70年代のことで、60年代のレコード会社はしばしばモノラル用のレコードとステレオ用のレコードを別々に作って販売していたのです。

例えば、右から左にドラム、ベース、ギター、ピアノと並んでいる場合、ステレオではそれぞれの楽器の音をとらえやすいのですが、そのまま単純にモノラルで聞くと音が混ざって解像度が下がってしまいます。従って、モノラル・レコードでは、ステレオの場合とは別のマスタリングが必要になります。

この時期、自分も含めて大多数の人々はモノラルで音楽を聴いていたわけで、21世紀になってそういった年代の人々をターゲットとしたモノラル盤の再発売が行われるようになりました。2009年のビートルズの「mono box」はこれらの先駆けとして有名ですが、すぐさまSony Music Entertainmentも、旧コロンビア・レコード(CBS)からボブ・ディランの初期音源のモノラル・ミックスのCDボックスを発売していたのです(やっとここから本題)。

実際のところ、当時のプロデューサーとディランは、一般のニーズが高いモノラルでのマスタリングに多くの時間を費やしていて、ステレオでのマスタリングはついでのオマケのように考えて作業をしていたそうです。つまり、本当に聞いてほしかった音はモノラル盤にあるということ。いやいや、そんなに違わないだろうと思うかもしれませんが、各楽器の音の聞こえ方が違うと、同じ録音でも随分と違った印象を持つものです。

2010年に数量限定で発売されたのは、モノラル盤が発売されていた「John Wesley Harding」までの最初の8つのアルバムをまとめたボックスで、CDの他にもアナログのLPレコード盤、選りすぐりのモノラルベストCDも用意されました。こだわる方の究極の選択はアナログですが、通常はCDがおすすめ。

CD化再発売に際して、基本的にはオリジナルの第一世代マスターテープが用いられましたが、マスターテープを失った「The Times They Are A-Changin'」と「Highway 61 Revisited」については新たなマスタリングが行われました。また、形態も発売時の紙ジャケットを採用しただけでなく、日本盤は当時の帯なども復刻するという念の入りようでした。

デヴュー・アルバムの「Bob Dylan」は、ディランの唄とギター、ハーモニカ演奏のみというシンプルなものですが、さすがにほとんどが短時間の一発録りでステレオ盤でもそれほど凝ったミキシングは行われいません。しかし、次の「The Freewheelin'」からは、同じディラン一人の演奏ですが、ステレオ盤ではギターの残響を左右に振り分けて立体感を出していました。

3作目「Times They Are A-Changin'」と4作目「Another Side of Bob Dylan」までがフォーク期ということで、モノラルとステレオで大きな差は感じにくいのですが、最大のポイントは、ステレオ盤が少し離れて聴いているのに対してモノラル盤はすぐ目の前でディランが歌っているように感じるところです。また全体的に低温が強めで、音の塊感が強めの印象です。

4作目以降はバンドが入り、演奏者・楽器が増えるので、もっとわかりやすい。ステレオは左右に分かれたれぞれの楽器の解像度は良好ですが、しばしばディランがその中に埋もれてしまう感じ。モノラルの方がディランのボーカルがメインに立つので、にぎやかな曲ほど聴き取りやすくなります。

これらの差異は些細なことだと言ってしまえばそれまでですが、時には曲の印象も左右する場合があり、マニア向けの音源ではありますが、ステレオ・ミックスがついでの後付けだったこの時代の音楽では捨てがたい魅力があるということです。ディランについは、CD1枚のベスト盤だけでも聴くことを強くお勧めします。


Data : Refer to each album.

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年6月23日火曜日

John Wesley Harding (1967)


デヴューして5年で、ボブ・ディランは従来のフォーク・ソングから脱皮して、ロック・ミュージックの開祖となりましたが、その根底にあったのはブルースが中心です。またその過程で、従来のフォーク・ファンからのバッシング、難解な歌詞から来るメディアからの質問に辟易し、ディランは謎の多い非常に気難しい男というイメージがつきまといました。

人気が高まるほど、人々は同じことを続ける期待と新しいことに挑戦する変革を求めるようになります。ディラン本人からすれば、その時々に一番やりたいことをやった結果というだけのことなのかもしれませんが、ここまでファンの思惑のはるか上を強行突破して進撃を続けてきたのがボブ・ディランという男だと思います。

1966年7月のバイク事故は、そんなディランに立ち止まって見る余裕を与えたという点で重要です。ファンやメディアの目が届かない田舎に籠って、気心の知れた仲間と気楽に音楽を楽しむ生活を続けたことで、こどもの時に夢中になった音楽などを思い出したのかもしれません。

1967年秋になると、新しいアルバム制作のために重い腰を上げるのですが、春からビッグ・ピンクで密かに行われていたHawksとの「地下室テープ」セッションで生まれた多くの新曲は著作権登録をしただけで封印し、別の新たに新曲を用意しました。

当時のポピュラー音楽界は、ドアーズ、ジェファーソン・エアプレインなどが台頭してきていてヒッピー文化から生まれた幻想的な音作りを看板としたサイケデリック・ロックの人気が高まっていました。

世間に漂うそんな雰囲気とはまったく関係なく我が道を行くのがディランらしいところで、10月17日の最初のスタジオ・セッションに集められたのは、ドラムのケネス・A・バトリー、ペダルスチールギターのピート・ドレイク、そして3作続けて登場するチャーリー・マッコイの3人だけ。しかも、マッコイは本職のギターではなくベースを担当しました。

驚いたことに演奏された新曲は、何とロックではなく、フォークとも言えない、いわゆるカントリー・ミュージックに寄せた内省的なものばかりでした。カントリー・ミュージックはアメリカ南部で始まった白人音楽の原点的なトラディショナルなもので、そこから派生したのがフォークというのが大雑把な理解として間違ってはいないと思います。ディラン自身も十代の頃にははまっていた時期があることを公言しています。

しばらくディランの動向が伝わっていなかったファンにとっては、12月27日に発売された久しぶりのアルバムということで期待したことだと思いますが、大いに肩透かしを食らった格好でした。しかし、シンブルな伴奏だけにボーカルが表に立ち、メロディの良さが際立つ曲が多いので、大変聞きやすいアルバムと言えると思います。

アルバムのトップはアルバムタイトルにもなった「John Wesley Harding」で、19世紀後半の実在した西部のならず者(正しくは「Hardin」)の名前で、貧しい者の味方で、女性を守り、なかなか捕まらなかったと持ち上げています。「All Along the Watchtower」は後々までライブの定番になりましたが、ジミ・ヘンドリックスがカバーしたことで有名になりました。内容は旧約聖書の一説を借りて、堕落した世界で道化師と盗人の二人が自分たちだけはまともに生きていこうと語り合うというもの。

ディランはアルバムの宣伝を極力しないように要請し、アルバムからシングルを出すことも拒否しました。翌年1月に10月3日に亡くなったウディ・ガスリーの追悼コンサートに久しぶりに姿を見せた以外は、公衆に身を晒すことのない生活を続けるのでした。

John Wesley Harding
As I Went Out One Morning
I Dreamed I Saw St. Augustine
All Along the Watchtower
5The Ballad of Frankie Lee and Judas Priest
Drifter's Escape
Dear Landlord
I Am a Lonesome Hobo
I Pity the Poor Immigrant
The Wicked Messenger
Down Along the Cove
I'll Be Your Baby Tonight

Bob Dylan ( aco.g, harmonica, p, vo)
Kenneth A. Buttrey (ds), Pete Drake (pedal steel guitar), Charlie McCoy (b)

October 17, November 6, November 29, 1967 Nashville

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年6月22日月曜日

日本 VS チュニジア


日本のワールド・カップ史上最多得点!!

昨日は日曜日、しかも試合開始が日本時間午後1時。もう、ゆったり、ゆっくりTVで観戦するしかない、これ以上の好条件はないと言う感じ。

始まって早々に、あれよあれよと1点先取。さらに前半に、上田選手の完璧なシュートで2点目。

後半、しばらく我慢の時間かと思ったら、伊藤選手が抜け出して落ち着いたシュートで3点目。

さらに上田選手のふんわりヘディングで締めのゴール。

終わってみれば4-0という完勝でした。

グループ・リーグ突破の可能性が高まりましたが、次のスウェーデン戦で引き分け以上が条件になります。

決勝トーナメントの枠を見ると、2位通過の場合はいきなり強豪と激突しそうなので、出来れば1位通過して次のステップに上ってほしいものです。

最終戦はオランダはチュニジアとの対戦なので、勝つ可能性が高い。日本は再び大量得点で勝てば1位通過するかもしれません。

それにしても、驚くほど多くのサポータが試合会場に集合しました。なかでも、度々テレビに映った二人組の女性(?)のインパクトが絶大でした。

運命の次の試合は、6月26日 (金) 8:00 (現地25日 18:00)です。場所は第1戦と同じダラスに戻ります。気合を入れてガンバレ、SAMURAI JAPAN !!

2026年6月21日日曜日

勝田杉山神社 @ 都筑区勝田町


中原街道から一本入ったところにあり、最乗寺の近くですが、場所はちょっとわかりにくいかもしれません。

入口の鳥居には「杉山宮」と書かれています。

そもそも神宮という呼び方があるくらいですから、主に天皇や皇族などが祀られている格式の高さを「宮」という言葉が示しています。

由緒不明ですが、15世紀初頭の鰐口(神社の入口に吊られた金属製の平たい鈴)に銘がはいっていたらしい。また、天保9年(1838年)には改築の記録があります。

御祭神は5柱。

日本武尊(やまとたけるのみこと)
五十猛命(いたけるのみこと)
応神天皇(おうじんてんのう) 
大己貴命(おおなむちのみこと)
大日貴命(おおひるめむちのみこと)

大己貴命は、大国主命(おおくにぬしのみこと)のことで、一般的には「大黒様」です。大日孁貴命は、天照大神(あまてらすおおみかみ)の別名。

明治44年に近辺の大山咋神(おおやまくいのかみ)の日枝神社と天照大神の神明社を合祀しているのですが、大山咋神が御祭神から抜けている理由はわかりません。

2026年6月20日土曜日

池辺杉山神社 @ 都筑区池辺町

 


都田小学校の南側です。ちょっとわかりにくかったです。

由緒不明ですが、明治時代に力持ち自慢の七五郎に関連した「地雷石」という石塚があったりします。

いずれにしても池辺町の鎮守として、賑わってきたようです。

御祭神は五十猛命(いたけるのみこと)。

境内神社として、八坂神社、鹿島社、稲荷社もあります。

2026年6月19日金曜日

佐江戸杉山神社 @ 都筑区佐江戸町


都筑区南端の佐江戸町にある神社。もう少しで鶴見川、近くにはららぽーとがあります。 

風車がたくさん飾ってある無量寺のすぐ横、階段をあがると社殿が見えます。

すぐ横には、少し小さい稲荷社も祀られています。

由緒は不明で、昔はこの辺りには城があったらしい。

御祭神は五十猛命(いたけるのみこと)。

五十猛命はスサノオの子で、林業の神として信仰されています。

2026年6月18日木曜日

The Basement Tapes (1967, release 1975)


1966年7月29日、ボブ・ディランは自ら運転していたトライアンフのバイクの後輪がロックしたことで転倒しました。ディランが交通事故というニュースは、あっという間に世間に知れ渡りますが、中には死亡説まで飛び出すのです。実際は脊椎のヒビ程度のケガで命には別条はなかったのですが、秋のツアーをキャンセルして雲隠れしてしまうという伝説が生まれます。

実際には、ニューヨーク郊外のウッドストックの自宅で、ここまで休みらしい休みを取っていないディランは隠遁生活を送ることにしたのです。それまで何かととんがってきたディランは、妻子との田舎暮らしによって精神的な充足感を味わったことは間違いありません。

とは言え、音楽家としての仕事をまったく無視するわけにもいきません。マネージャーから曲作りを催促され、またそれらの著作権を取るためのテープ・レコーダーを渡されたディランは、翌年2月にHawksのメンバーを自宅に召集します。ディランの事故で仕事が無かった彼らはウッドストックに移り住んできて、早速ディランの自宅でセッションが開始されました。

ただ自宅では手狭だったので、近くに地下室のある家を借り、セッションの場は移動します。この家が外壁がピンク色だったため、通称「ビッグ・ピンク」と呼ばれるようになります。Hawksは、その後「The Band」と改名して人気を博すのですが、彼らのデヴュー・アルバムのタイトルは「Music from Big Pink」でした。

外界からシャットアウトされたプライーベートな空間で、彼らは半分自分たちの楽しみのために、自作曲だけでなくお気に入りの曲などをビッグ・ピンクの地下室で演奏し続けました。南部を放浪していたレヴォン・ヘルムも戻ってきて、これらのセッションは10月まで続きます。

マネージャーは膨大なツアーのキャンセル費用などのために、ここで録音された新曲のデモ音源をまとめて、他のアーティストに使用権を売り込むことにします。こうして作られたごく少数のレコードが業界外に流出し、1969年に「Great White Wonder」というタイトルで非公式に発売されてしまいます。これが、世界初の海賊盤レコードと言われているもので、真っ白のジャケットにスタンプで押したタイトルだけが表記されているだけで、アーティスト名はどこにも記載されていませんでした。

こうなると、公式も黙ってこれらの音源を放置していくわけにはいきません。本来レコードとして正式に売り出すつもりのないプライベート録音ですから、音質もバラバラ、楽器間のバランスも一定ではなく、演奏者たちの会話なども入っていたりというしろものです。コロンビア・レコードは、その場に居合わせた当事者であるロビー・ロバートソンを呼び寄せ、商品に出来るだけの編集を加えます。この過程で、実は多くのオーバー・ダビングが追加されていました。

全24曲のうち、8曲はTHE BANDだけの演奏が含まれましたが、1975年7月に2枚組レコードが「地下室」というタイトルで発売されると、ディランの謎の空白期間を埋める音源であり、さらに気負わず楽しく演奏する良質な内容が高く評価されました。

初めて聞くと、これが本当にプライベート録音かと思うほどですが、実は幾多の未編集の海賊盤が出回っていて、それらは当然だろうという音質です。逆に大企業のリマスター力に関心すると同時に、よそ行きに作り替えられた本当の姿とは違うところに疑問も生まれてきます。

そのような声は当然コロンビア・レコードにも届いているわけで、2014年についに「The Bootleg Series Vol.11」として生の(raw)音源を集大成したボックスが登場しました。ロバートソンが行ったオーバーダビングを排除して、ビッグ・ピンクの地下室で生まれた音だけを集めたものですが、残念ながらTHE BAND単独の演奏は除かれています。

とは言っても、本当の「生音源」は海賊盤で知れ渡っているように聞き苦しい物も含まれているので、公式盤として最低限のリマスターは施され、音質はかなり改善しています(それが生ではないという批判もあります)。CD6枚に時系列に138曲が収録されたうち、117曲が未発表曲というのにも驚きますが、しだいにお遊びから仕事モードにスイッチしていく感じがわかるのは貴重です。

ただし、基本的に注意しないといけないのは、これらは本来は公開されるつもりのなかった音楽であるという点です。ミュージシャンにとっては、正式に自分の音を主張する場ではない、その場での掛け捨て、あるいは将来発表するためのプロトタイプの音楽の集大成という意味合いがあることは忘れてはいけません。


Odds and Ends
Orange Juice Blues (Blues for Breakfast)*
Million Dollar Bash
Yazoo Street Scandal*
Goin' to Acapulco
Katie's Been Gone*
Lo and Behold!
Bessie Smith*
Clothesline Saga
Apple Suckling Tree
Please, Mrs. Henry
Tears of Rage
Too Much of Nothing
Yea! Heavy and a Bottle of Bread
Ain't No More Cane*
Crash on the Levee (Down in the Flood)
Ruben Remus*
Tiny Montgomery
You Ain't Goin' Nowhere
Don't Ya Tell Henry*
Nothing Was Delivered
Open the Door, Homer
Long Distance Operator*
This Wheel's on Fire

Bob Dylan (aco.g, p, vo), Rick Danko (b, mandolin, back.vo)
Levon Helm (ds, mandolin, b, vo), Garth Hudson (org, clavinet, accordion, ts, p)
Richard Manuel (p, ds, harmonica, vo), Robbie Robertson (g, ds, back.vo)
* THE BAND only

April ~ October, 1967,  "Big Pink" Woodstock

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年6月17日水曜日

Blone on Blonde (1966)


1965年8月に「Highway 61 Revisited」をリリースしたボブ・ディランは、ツアーのため固定のバンドを結成しようと考えます。しかし、アルバムやニューポート・フォーク・フェスティバルで活躍したギタリストのマイク・ブルームフィールドは、本来のポール・バターフィールド・ブルース・バンドに戻ってしまいます。

そこで、新たに新人のレヴォン・ヘルム(ds)、ロビー・ロバートソン(g)、リック・ダンコ(b)、リチャード・マニュエル(p)、ガース・ハドソン(org)からなるHawks、後のThe Bandに白羽の矢を立てます。9月3日のハリウッド・ボウルでの公演から、ロバートソン、ヘルムが加わりました。

10月からは全面的にHawksの全員がバックを務めます。しかし、新しいロックを演奏するディランに対する従来のファンの否定的な反応が激しく、落胆したレヴォン・ヘルムすぐに脱退してしまい、ドラム奏者は流動的になります。

それでも、ディランはHawksを伴って、10月には次のアルバムのためのセッションをニューヨークで開始しました。しかし、なかなか思ったような結果が出せずに、数回のセッションで採用されたのはたったの1曲だけだったのです。ディランは11月22日にサラ・ローンズと結婚し、12月から翌年1月なかばまで結婚休暇を取ります。そして、1月下旬に再びニューヨークでセッションを再開しますが、どうしても結果が出せません。

そこで、プロデューサーの助言もあり、ディランはカントリー・ミュージックの聖地、テネシー州ナッシュビルのスタジオにアル・クーパーとロバートソンを連れて移動しました。他のミュージシャンはナッシュビルで評判の実力者を招集します。スタジオ内では各自の間の衝立を取り払い、主としてクーパーが曲想をメンバーに伝えておき、後はディランのその時の勢いにまかせるようなライブ感のある収録になりました。

すると録音は順調に進み、3月初めまでにすべての曲が完成していますが、その内容はポヒュラー音楽史上初となるLPレコード2枚組(現在のCDだと何とか1枚に収まる量)という画期的なものになりました。特に2枚目のB面は11分半の長尺1曲だけという、かなり思い切ったものになっています。

当時もヒットし売れたレコードでしたが、現在ではすべてのロックのアルバムの中でも最重要と位置付ける人が多く、ディランのアルバムの中でも一二を争う人気作となりました。内容は最初の1曲から驚かされます。管楽器も入って、まるで狂ったお祭り騒ぎのような「Everybody Must Get Stoned」という謎めいた歌詞を繰り返し、いきなり旧態然としたフォーク・ファンに石を投げつけたかのようです。

ニューヨークで何度やってもダメだったのが「Visions of Johanna」で、ナッシュビルの最初のセッションですぐに完成形になります。この曲は関係が終わったジョーン・バエズが脳裏から離れない苦悩を歌ったものと考えられています。代表曲の一つ「Just Like a Woman」は日本語だと「女々しくて、女々してく、辛いよ」というどこかで聞いたことがあるような内容で、別れた恋人に対する未練がにじんでいます。

「Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine」では、「君は君の道へ、僕は僕の道を行く」というタイトルですが、浮気をされて彼女に裏切られた恨みつらみを歌っています。一方で、長尺の「Sad Eyed Lady of the Lowlands」は妻のサラを歌ったものとされていて、「いろいろ苦難があるかもしれないが、あなたは乗り越える力を持っている」と讃えるような内容。

アルバムの6月20日の発売を待たずに、ディランはHawksを引き連れてワールド・ツアーに出発します。4月13日のオーストラリア、シドニーとメルボルンを皮切りに、5月になってコペンハーゲン、ダブリン、ベルファスト、そしてイギリスに渡ってブリストル、カーディフ、バーミンガム、リパプール、レスター、シェフィールドと怒涛のライブが繰り広げられます。そして、5月17日のマンチェスター公演では、また新たなボブ・ディラン伝説が生まれます。

このツアーは前半はディラン一人のアコースティック・ステージ、後半がバンドを加えたエレクトリック・ステージという構成でしたが、最後の「Like A Rolling Stone」を始めようとしたときに客の一人が「ユダ!! (裏切り者)」と叫びました。ディランは「お前を信じない。嘘つきめ・・・さあ、大音量でいくぞ」と言って曲を始めたのです(このライブは最初の海賊盤で誤ってロイヤル・アルバート・ホールとされていました)。

ツアーは、その後もグラスゴウ、エディンバラ、ニューキャッスル、フランス・パリと続き、5月26日、27日のロンドン、ロイヤル・アルバート・ホールまで続きます。このツアーの全体は、今では何とCD36枚組という巨大ボックスにて、マンチェスターの出来事も含めてすべてが聴くことが可能になっています(The 1966 Live Recodings、2016年発売)。

それほど変わり映えしないセットリストで、一部はテスト録音で聞き苦しい音質、時には途中切れの不完全なものも含まれていますが、しだいにバンドとしてまとまっていく様子と、長丁場のツアーで次第に疲れがたまってきているのかと思えるようなドキュメントとしても面白さも捨てがたい魅力になっています。

この後、ニュー・アルバムが発売され、着実に新しい音楽を支持する波か広がっていきます。しかし、秋のツアーも予定されていたディランに、新たな伝説が生まれます。7月29日、自ら運転していたバイクで事故を起こしてしまったのです。


Rainy Day Women #12 & 35
Pledging My Time
Visions of Johanna
One of Us Must Know (Sooner or Later)
I Want You
Stuck Inside of Mobile with the Memphis Blues Again
Leopard-Skin Pill-Box Hat
Just Like a Woman
Most Likely You Go Your Way and I'll Go Mine
Temporary Like Achilles
Absolutely Sweet Marie
4th Time Around
Obviously 5 Believers
Sad Eyed Lady of the Lowlands

Bob Dylan (vo, g, p)
Robbie Robertson (g, vo), Al Kooper (org, g), Bill Aikins (key)
Wayne Butler (tb), Kenneth Buttrey (ds), Jerry Kennedy (g)
Charlie McCoy (b, g, tp, harmonica), Wayne Moss (g, vo)
Hargus "Pig" Robbins (p, key) Henry Strzelecki )b)
Joe South (b, g)
NYC only : Rick Danko (b), Bobby Gregg (ds), Paul Griffin (p)

October 5, 1965 ~ January 27, 1966, NYC
February 14 ~ March 10, 1966, Nashville

☆☆☆☆☆☆☆☆☆・

2026年6月16日火曜日

日本 VS オランダ


昨日の日本時間の早朝、FIFAワールドカップ2026北米大会のグループ・リーグ、日本の初戦が行われました。

結果はすでに皆さんご存知のことと思います。

格上のオランダと2-2で引き分けて、貴重な勝ち点1を獲得しました。

今回の日本はグループFで、FIFAランキングでは、日本は18位です。同じグループの対戦相手は、オランダ 8位、スウェーデン 20位、チュニジア 44位です。

オランダは優勝候補の一角ですし、国際A級マッチでの日本の対オランダ戦の成績は、0勝2敗1分です。

もちろん勝つに越したことは無いのですが、とにかくこの初戦を負けないことが絶対的な目標だったと思いますので、まずますの船出としたいところです。

特に、前半は0-0でしたが、後半にリードを許す展開を追いついて引き分けに持って行ったところは、高く評価してよいポイントでしょう。

日本はエース三苫を欠き、また直前にキャプテンの遠藤航のケガによる離脱という大きな不安要素を抱えたままで大会が始まったので、この結果を導き出した選手の皆さんには拍手を送りたいと思います。

次の日本の試合は、6月21日 (日) 13:00 (現地20日 22:00)にキックオフ。相手はチュニジアです。気を抜かずにガンバレ、SAMURAI JAPAN !!

2026年6月15日月曜日

コバンソウ


またまた不思議な植物を見つけちゃいました。

蝉の抜け殻みたいなものが、たくさん鈴なりになっている感じ。

最初は、何かの虫がたくさんひっついているのかと・・・ちょっと気持ち悪いとか思ったんですが、例によってGoogle画像検索を利用したみたところ・・・

コバンソウ(小判草)、という名前らしい。

確かに小判に見えなくもない。

イネ科の一年草で、もう少し早い時期だと緑色っぽいらしいのですが、しだいに黄金色というか茶色くなってきて小判みたいな感じになってくるようです。

垂れさがっているのは小穂(しょうすい)と呼ばれて、花びらが退化して鱗みたいに重なり合った苞が変化した物。

基本的には雑草として扱われるようなんですが、そんなに頻繁に見かけた覚えはありません。

やはり、何かあるかなと注意して見ていないと、気がつかづにいるもんです。

2026年6月14日日曜日

FIFA World Cup 2026


サッカーの、というか今や全スポーツの中でも最も注目されると言っても過言ではない国別対抗戦、FIFA World Cup 2026が6月11日に開幕しました。

日本は着実に実力をつけてきていて、アジアの中ではトップクラスであることは間違いありませんが、日本の過去の実績はというと・・・

1954年 初参加 予選敗退
1962年、1970~1994年 予選敗退

1998年 フランス大会
グループリーグ アルゼンチンvs日本 1-0、クロアチアvs日本 1-0、ジャマイカvs日本 2-1

2002年 日本韓国共同大会 ベスト16 (予選免除)
グループリーグ 日本vsベルギー 2-2、日本vsロシア 1-0、チュニジアvs日本 0-2
決勝トーナメント  トルコvs日本 0-1

2006年 ドイツ大会
グループリーグ オーストラリアvs日本 3-1、日本vsクロアチア 0-0、ブラジルvs日本 1-4

2010年 南アフリカ大会 ベスト16
グループリーグ 日本vsカメルーン 1-0、オランダvs日本 1-0、日本vsデンマーク 3-1
決勝トーナメント  パラグアイvs日本 0-0、 PK 5-3

2014年 ブラジル大会
グループリーグ コートジポワールvs日本 2-1、日本vsギリシャ 0-0、コロンビアvs日本 1-4

2018年 ロシア大会 ベスト16
グループリーグ コロンビアvs日本 1-2、日本vsセネガル 2-2、ポーランドvs日本 1-0
決勝トーナメント  ベルギーvs日本 3-2

2022年 カタール大会 ベスト16
グループリーグ 日本vsドイツ 2-1、コスタリカvs日本 0-1、日本vsスペイン 2-1
決勝トーナメント  クロアチアvs日本 1-1、PK 3-1

当然、出場するからには優勝を目指すというのはあるんですが、日本にとって「越えられないベスト8の壁」というのが最重要課題です。

「三苫の1mm」で記憶に新しい前回大会では、ドイツ、スペインというヨーロッパの強豪を撃破したことが話題になりました。日本人選手の多くが海外組となった昨今でも、その出先はヨーロッパ中心です。

サッカーが盛んな南米に対しては、ワールドカップでも実績を残せていませんが、詳しいことはわからないのですが、何か根本的な部分がヨーロッパとは違うのかもしれません。

さて、今大会はアメリカ・カナダ・メキシコによる共同開催で、試合地がかなり離れているので、組み合わせによっては移動が大変で気候もだいぶ異なることになりそうです。

グループFに入った日本の試合スケジュールを整理します。

6月15日 (月) 5:00 (現地14日 15:00) オランダ 場所ダラス(アメリカ)
6月21日 (日) 13:00 (現地20日 22:00) チュニジア 場所モンテレイ(メキシコ)
6月26日 (金) 8:00 (現地25日 18:00) スウェーデン 場所ダラス(アメリカ)

最初のキックオフは明日、早朝です!!
ほぼ半日の時差があるので、しばらくは眠い日々が続きます。

2026年6月13日土曜日

Highway 61 Revisited (1965)


ボブ・ディランの活動をあえて時期にわけると、デヴュー作から4作目の「Another Side」をフォーク期として、その後はロック期とすることが多いようですが、実際のところ「Bringing It All Back Home」は半フォーク・半ロックみたいなアルバムですし、5月に行われたイギリス・ツアーも従来のギターとハーモニカだけのフォーク・スタイルで通しています。

1965年6月、イギリスからアメリカ戻ったディランは、早くも次のアルバムの録音を開始しました。フォーク・ロックと呼ぶより、ブルース・ロックと呼びたくなるような全編高らかにロック歌手宣言をするようなアルバムとなりました。

今作はバンドを単なる伴奏ではなく、音楽の一部として機能するように組み込む意図が感じられます。おそらく、一般貢献したのがポール・バターフィールド・ブルース・バンドから参加したマイク・ブルームフィールドです。ブルース・ギター奏者としてエレクトリック・ギターの普及に影響を与えた人物です。また、後に、ブラッド・スウェット&ティアーズを結成するアル・クーパーが参加しています。

特に6月16日のセッションでは、代表曲の一つ、アルバム冒頭曲となる「Like a Rolling Stone」だけが繰り返し試行錯誤されました。この模様は「The Bootleg Series Vol.12 Cutting Edge」でその全貌を知ることができます。故・中山康樹が「この曲は最初から4拍子だった」と推論した説は見事に裏切られ、驚きの3拍子でのリハーサルが始まりますが、何とものんびりした雰囲気が続きます。数テイクの後、4拍子に変更されオルガンがたまたま居合わせた本来キーボード奏者ではないアル・クーパーに交代し、気の利いたリフが入って完成形になっていくところはなかなかスリリングで興味深い。

ディランがこだわり抜いた歌詞は、「昔は偉そうにしていたけど今は落ちぶれた気分はどうだい? すべて失って転がる石みたいだ」という内容。「A rolling stone gathers no moss (転石苔むさず)」という英語圏のことわざがあって、イギリスでは伝統的に「転々とする人は成功しない」という否定的な解釈がされますが、アメリカでは「活発な人は時代に取り残されない」という近代的な肯定的解釈がされています。変化を求める自分と、古い体質のフォーク・ソング信奉者を対比させていることは間違いなさそうです。

「Like a Rolling Stone」の録音が一段落したディランは一度収録を中断して、7月22日から26日にかけて行われたニューポート・フォーク・フェスティバルに3年連続で参加します。ここで、ボブ・ディラン伝説の一つとして有名な「事件」が起こりました。24日はアコースティックなステージを披露しましたが、25日夜の部ではマイク・ブルームフィールド(g)、ジェローム・アーノルド(b)、アル・クーバー(org)、サム・レイ(ds)を従えてエレクトリック・ギターを持って登場したのです。

彼らは「Maggie's Farm」、「Like a Rolling Stone」、「悲しみは果てしなく」を演奏し引っ込んでしまいます。観客からはブーイングの嵐を浴び、司会者も事態を収拾するためディランをステージに呼び戻します。フォーク・ギターを持って一人で再登場したディランは、「Mr.Tambourine Man」と「It's All Over Now, Baby Blue」の2曲を歌うのですが、明らかに古い伝統に固執する観客に対する決別宣言となったと考えられています。

スタジオに戻ったディランは、追加の数日で数曲を完成し、8月末にはアルバムが発売されました。その後もライブなどでは重要なレパートリーになる曲が多く含まれますが、特に注目したいのは「Disolation Row (廃墟の街)」です。

ポップス系アルバムとしては異例の11分に及ぶ長い曲で、現代社会の欺瞞や幻想などを一見脈絡のない言葉の羅列で歌い続け、最終的には「絶望のどん底」に逃げ込むしかないとしています。それはゴミ溜めのようなニューヨークのどこかかもしれないし、あるいはアメリカの田舎の本当に廃墟となった町かもしれません。チャーリー・マッコイのギターがボーカルに絡みつき、長くて英語歌詞がよくわからなくてもずっと聞いていられる感じがします。


Like a Rolling Stone
Tombstone Blues
It Takes a Lot to Laugh, It Takes a Train to Cry
From a Buick 6
Ballad of a Thin Man
Queen Jane Approximately
Highway 61 Revisited
Just Like Tom Thumb's Blues
Desolation Row

Bob Dylan (vo, guitar, harmonica, piano, Acme siren)
Mike Bloomfield (g), Charlie McCoy (g), Al Kooper (org, p)
Paul Griffin (p, org), Frank Owens (p), Harvey Brooks (b)
Russ Savakus (b), Joe Macho Jr. (b), Bobby Gregg (ds)
Sam Lay (ds), Bruce Langhorne (tambourine)

June 16 ~ August 4, 1965, NYC

☆☆☆☆☆☆☆☆・・

2026年6月12日金曜日

Bringing It All Back Home (1965)


1965年年明けから、ボブ・ディランは5作目のアルバムの準備にとりかかります。自身初のバンドを従えた演奏を披露しますが、一般的には初の「フォーク・ロック」アルバムと評されています。

1月の3日間で十数曲が録音され、11曲が採用され数曲がアルバム収録を見送られました。主としてバンド伴奏がレコードのA面、従来の自信のギターとハーモニカ演奏によるものがB面に配置されました。

当時のディランのファンたちは、多くはフォーク・ギターのアコースティックな響きを期待してレコードに針を落としたはずです。ところがいきなり出てくるエレキギターの音にたまげたことでしょう。

ただし、ここでは取り合えず集めたセッション・ミュージシャンがバックを務めましたが、特に積極的なアレンジがされているわけではなく、あくまでもディランの演奏に合わせたという感じですし、B面がアコースティックなので、従来のファンにも受け入れやすかっただろうと思います。

それこそが1964年の1年間を通して、ディランが周到に準備してきた新しい表現手段が実行され記録された結果でした。この1曲目の「地下のホームシック・ブルース」では、歌詞は意味のある一定の節度を保つことより、脈絡が感じられない若者の文化に出てきそうな単語・文節でたたみかけることを意識しているようです。そして、それが「ロック」であると主張しているかのようです。

「ジョニーは地下室で薬を調合 / 俺は舗道で政府を考える / トレンチコートの男がバッジを見せて首になった言う / 咳こんでいて治すための金を欲しがる」という感じで、何が何だかよくわからない。この曲をバックにディランが文節の一部の単語だけが書かれたフリッブを紙芝居のように、次から次へとめくっていく動画が作られました。

これが、世界で初めて作られた今でいうミュージック・ビデオと言われています。これはアルバム発売後に行われた5月のイギリス・ツアーのドキュメンタリーである「DONT LOOK BACK」に収録されています。意図的に「DON'T」ではなく「DONT」としてあり、またこのタイトルはアルバム2曲目の「She Belongs to Me」の歌詞の中に登場します。

「DONT LOOK BACK」では、当初イギリス・ツアーに帯同していたジョーン・バエズが、ステージに登場することは無く、対外的にもプライベートでも二人の方向性が合わなくなってきたことがわかります。メロディと一体になって意味を成す「歌詞」から、相変わらず詞についてだけの観念的な質問をしてくるメディアに対しても、ディランは苛立って攻撃的になる様子も克明にとらえています。

アルバムは3曲目以降も「Maggie's Farm」、「Love Minus Zero / No Limit」、「Gate of Eden」、「It's Alright, Ma」、「It's All Over Now, Baby Blue」などの後年までライブのレパートリーに登場する有名曲がる目白押しです。

特にB面のアコースティック・サイドのトップを飾るのが名曲「Mr. Tambourine Man」です。架空のタンバリン奏者に、「疲れたけど眠くない俺に1曲聞かせてくれ。そしたら束縛から解放されて、新しい世界に行ける」というような内容で、ディラン本人も含めて当時の様々な人々の心に刺さる内容でした(現代人にも通用しそうです)。


Subterranean Homesick Blues
She Belongs to Me
Maggie's Farm
Love Minus Zero/No Limit
Outlaw Blues
On the Road Again
Bob Dylan's 115th Dream
Mr. Tambourine Man
Gates of Eden
It's Alright, Ma (I'm Only Bleeding)
It's All Over Now, Baby Blue

January 13 ~ 15, NYC

Steve Boone (b), Al Gorgoni (g), Bobby Gregg (ds),
Paul Griffin (p, keyboards), John P. Hammond (g),
Bruce Langhorne (g), Bill Lee (b), Joseph Macho Jr. (b),
Frank Owens (p), Kenny Rankin (g), John Sebastian (b)

☆☆☆☆☆☆☆・・・

2026年6月11日木曜日

石油原料節約パッケージ


出た!!  出た、出た、出た。

クリニックのスタッフが偶然見つけて、買ってきたそうです。

石油原料節約パッケージのスナック菓子です。

誰もが知っている、食べたことがあるだろう有名ブランドですが、記憶にある赤いパッケージと比べると、ものすごい違和感です。

もっとも、従来の入れ物は、中身とは無関係。作り手からすれば、アピール度合いを強めたいという理由だろうし、買い手の側は見つけやすいってとこ。

十分に知名度が広まった商品は、これで十分でしょうから、他の商品もこの際過剰包装を廃して値段をおさえてもらいたいものです。

2026年6月10日水曜日

ビワ


たいてい実がなるのは秋というイメージがありますが、今の時期に結実するものの一つが「びわ、枇杷」です。

普通に庭とかに植えている家がけっこうある。注意して見ながら歩いていると、オレンジ色にぷっくらとした実が簡単に見つけられます。

昔はよく食べた覚えがありますが、最近はスーパーでもあまり見かけない。

人気が低迷している理由は何でしょうか。

九州では多いらしいのですが、寒さに強くはないので、本州では安定した収穫が難しいらしい。

もしかしたら、種子が大きくて食べれる部分が少ないとか、味が薄いとか・・・

よくわかりませんけど、まぁ、今でも季節を感じるものの一つではあります。

2026年6月9日火曜日

Another Side of Bob Dylan (1964)


1963年11月22日・・・全米に激震が走りました。

テキサス州ダラス・・・「ダラスの熱い日」・・・現職大統領、ジョン・F・ケネディが市内パレードの車中で銃撃され死亡しました。

当時、一気にフォーク界の寵児に上り詰めたボブ・ディランは、社会の不平等を感じる多くの事件をすぐさま歌にして発表していました。しかし、リアルタイムのテレビを見ていたディランは強い衝撃を受け、この事件については沈黙したのです。

時間は一気に飛んで、2020年、ボブ・ディランは新しいアルバム「Rough and Rowdy」を発表し、CD2枚組の2枚目に17分間の大作を持ってきました。タイトルは「最も卑劣な殺人 (Murder Most Foul)」で、ケネディ大統領暗殺事件の惨劇から始まる半世紀の世界の変化を歌い上げるというものでした。57年たって、ディランはやっとこの不条理を歌に乗せることができたのです。

この事件の衝撃は、少なからずディランに変化をもたらしたことは想像似難くありません。いずれにせよ、3作目となるアルバム「 The Times They Are a-Changin」の録音作業を終えたディランは、すぐさま次のアルバムとせかすレコード会社を尻目に1964年2月に気心知れた仲間とロサンゼルスまでの3週間ほどの車の旅に出てしまいます。

この間にもう一つの「事件」がありました。ビートルズの訪米です。新たなポップ・カルチャーの到来に、ディランも衝撃を受けたようです。ビートルズの歌は他愛のない恋だの愛だの数分間の短いものばかりで、ライブも30分間のパッケージショーでしたが、当時の若者を開放するエネルギーが詰まっていたのです。

ディランは旅の中で、社会的な出来事よりももっと内省的な思考に耽るようになりました。そして背伸びしていた自分に気がつき、本当の自分は今の環境とは違うところにあると思うようになるのです。そして、それらの思いを書き溜めた新曲を用意して、1964年6月9日にスタジオ入りをすると、4作目のアルバム「Another Side of Bob Dylan」のための曲をすべて1日で録りおえてしまいました。

ディラン自身が語っているように、このアルバムには「誰かを非難する」曲はありません。一部の曲に社会性を残すものの、ほとんどが自らの心情をいつものギターとハーモニカだけで歌うスタイルに徹しています。なお、このセッションでアルバム収録から却下された数曲の中にディランの代表曲になる「Mr. Tambourine Man」、「Mama, You Been on My Mind」が含まれていました。

一曲目の「All Really Want to Do」は、時事問題のかけらもない恋愛ソングで、ひたすら「僕が本当にしたいのはも君と友達になること」と繰り返します。一番の注目曲は7分を超える「自由の鐘」で、鳴り響く雷が虐げられている人々にとって自由を呼び起こす鐘の音だと歌うのですが、暗殺されたケネディ大統領の鎮魂の祈りをこめていると考える評論家が多数います。

「マイ・バック・ページス」は、実はジャズ・ピアニストのキース・ジャレットの演奏で初めて聞いた曲で、その時はジャズっぽくないかわった曲だなと思いました。タイトルは「私の過ぎ去った日々」という意味で、(体制批判を歌っていた)自分は大人ぶって背伸びをしていたけど、今の自分の方がずっと若いと歌うことで、「反体制の旗頭」とか「フォークの貴公子」という呼ばれ方と決別しようとしているようです。


All I Really Want to Do
Black Crow Blues
Spanish Harlem Incident
Chimes of Freedom
I Shall Be Free No. 10
To Ramona
Motorpsycho Nitemare
My Back Pages
I Don't Believe You (She Acts Like We Never Have Met)
Ballad in Plain D
It Ain't Me Babe

June 9,1964, NYC

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年6月8日月曜日

梅雨入り


昨日、関東・東海地方が梅雨入りした(とみられる)・・・

と、気象庁が発表しました。

毎年、この時期に必ず登場するタイトルなんで、もう今更追加でコメントすることもありません。

あくまでも記録ということで・・・

去年は6月10日。今年はほんの気持ちだけ早めか、くらいの感じです。

すでに風呂場にナメクジが現れました。ジメジメは嫌ですが、暑すぎるのも困る。

去年の梅雨明けは、結果としては6月末で大変早かった。でも7月半ばになっても、はっきりとした梅雨明け宣言はされませんでした。

とりあえず見上げると、低く重苦しい雲が空全体を覆っていました。そりゃ、梅雨入りだろう、という感じです。

2026年6月7日日曜日

The Times They Are a-Changin' (1964)


1963年という年は、間違いなくボブ・ディランにとって飛躍の年だったはずです。

5月27日に2作目となるアルバム「The Freewheelin'」が発売されると大きな反響があり、6月にすでに人気があったピーター・ポール&マリー(PP&M)が「風に吹かれて」をカバーしたシングルが大ヒット(全米2位)しました。

1954年に始まったロードアイランド州ニューポートで行われるジャズ・フェスティバルが着実に人気を得ていたことに対抗して、フォーク・フェスティバルが1959年、1960年に開催されていました。第1回では、当時18歳だったジョーン・バエズがデヴューしています。

1963年は4年ぶりの開催となり、7月26日~27日のいくつかのセットで、ディランは代表曲の数々を歌いました。そして、その大舞台でPP&M、ピート・シガーやバエズらを後ろに従えてディランが「風に吹かれて」でトリを飾ったのです。また、初顔合わせとなったバエズは、いきなりディランの独特の節回しにハーモニーを付けていて歌唱力の凄さを再確認できます。この時の映像は2007年に「The Other Side of the Mirror」として残されていて(DVD、Blurayあり)、1963年から1965年までのニューポートでのディランを堪能できます。

8月23日は、アメリカにとって歴史的な出来事がありました。それは、キング牧師を筆頭に「ワシントン大行進」と呼ばれるようになる大規模な公民権運動のデモです。有名なキング牧師による「I have a dream・・・」から始まる演説が行われた同じマイクに向かって、このデモに参加したボブ・ディランは「風に吹かれて」と「しがない歩兵」の2曲を歌ったのです。

知り合ったばかりの政治的活動に積極的なジョーン・バエズらの影響を強く受けたディランは、急激に運動家としての行動が目立つようになり、「しがない歩兵」は、その年の6月に起こった黒人公民権運動指導者M・エバースが暗殺された事件をテーマにして作られたばかりの曲でした。

ディランは、バエズのツアーのゲストとして招かれる一方で、8月の初めから10月末にかけて次のアルバムの録音を行ないました。ここではついに全体が人種差別や不平等、貧困と言った社会性の強いテーマを持つ自作曲で構成され、翌年2月に「The Times They Are a-Changin'」というタイトルでリリースされました。伴奏は自らのギターとハーモニカだけです。何度かのセッションでは、アルバムに採用されなかったたくさんの曲が録音されていて、そのほとんどが後に公式に聴くことが可能になっています。

タイトル曲となる「時代は変わる」では、古い価値観を持つ人々に危機感を持つように訴え、「ホリス・ブラウンのバラード」は貧困から実際に起こった一家五人の無理心中を歌い、「ハッティ・キャロルの寂しい死」でも気分でハッティを殺した殺人者が法に守られたことを批判します。さらに「神が味方」についているからいくつもの戦いに勝利し、「神が味方」だから核兵器だって使えると皮肉を込めて歌います。

そうかと思うと、「いつもの朝に」は朝が来るたびに離れていく恋人のことを歌うのです。
そして興味深いのは「スペイン革のブーツ」という曲の歌詞。これも私小説的な感傷的な歌になっています。バエズと急接近したディランは、前作のジャケット写真で仲の良さをアピールしていた恋人と次第に疎遠になっていきます。そこで、スペインに旅立ってしまった恋人と恋の終わりを自覚する自分とが互いに心情を歌う形式になっています、

ディランは「異国の空気に飲まれないでほしい」と歌い、彼女は「あなたへの贈り物をさがしている」と答えます。「ほしいものはないけど、どうしてもというならスペイン革のブーツにしてくれ・・・」という内容で、これを男女の関係を逆転させると・・・そうです、松本隆作詞の大ヒット曲「木綿のハンカチーフ」になります。松本がディランの歌からヒントを得たというのは有名な話です。他にも多くの日本のフォーク歌手が、このアルバムからいろいろな影響を受けたのでした。


The Times They Are A-Changin'
Ballad Of Hollis Brown
With God On Our Side
One Too Many Mornings
North Country Blues
Only A Pawn In Their Game
Boots Of Spanish Leather
When The Ship Comes In
The Lonesome Death Of Hattie Carroll
Restless Farewell

April ~ October, 1963, NYC

☆☆☆☆☆☆・・・・

2026年6月6日土曜日

In Concert (1963, unreleased)


1963年のボブ・ディランは知名度がいっきに上がったことで、大きなホールでも集客が期待できるアーティストになりました。

4月21日には今では国定歴史建造物として指定を受けている由緒あるタウンホールでコンサートが開かれました。収容人員数は1,500人です。7月にニューポート・フォーク・フェスティバルに初登場し、さらに10月26日には、こちらもクラシック音楽を中心とした権威のある音楽の殿堂であるカーネギー・ホールにたった一人で立ちました。ここの収容人員数は2,804人です。

スタジオ・アルバムにしても、小さな場所でのライブにしても、そして大きな会場でのコンサートも、そのほとんどがギター1本、ハーモニカ1個による弾き語りのスタイルでしたから、ボブ・ディランはどこへでも気軽に登場することが可能でした。誰かと演奏を打合せする必要もありませんし、しいて言うなら夏以降共演機会が増えたジョーン・バエズは、圧倒的な歌唱力でどんな状況でもディランに合わせてくれるので助かったことでしょう。

まだテープ・レコーダーが一般に普及する前ですから、テープ・レコーダーがある家では何でもチャンスがあれば録音をしていたのだと思います。ディランがあちこちの家庭を訪問した際に、歌を催促されテープに残されたものが驚くほど残っています。ですが、どんな状況でもディランの歌唱そのものは、一聴しただけではあまり変わり映えしない。

これらの音源は多くの海賊版として世の中に登場していますが、そのほとんどを網羅した公式音源として「The Bootleg Series Vol.18 Through the Open Window」がCD8枚組のセットで2025年にリリースされました。今では、可能な限りリマスターされた聞きやすい音になって簡単に聞くことができるのはありがたいことです。

コロンビア・レコードは、当初タウンホールとカーネギーホールでのライブを合わせて、「In Concert」としてディラン初のライブ盤を発売する予定でした(写真左)。しかし、発売直前でディランから「ライブももう過去のものだから新しいものに注力したい」との意見により発売は中止になっています。

2005年に、ディラン作品の購入特典としてカーネギーホールでの音源から6曲を収録したCDが配布されました(写真右)。また同年にM・スコセッシ監督によるドキュメンタリー映画「No Direction Home」にはカーネギーホールでの別の2曲が使われました。そして、2025年に「The Bootleg Series Vol.18」で、ついにカーネギーホール・コンサートのすべてが公開されています。

スタジオで録音されたレコードしか無い時期ですから、後から出てきた公式盤、あるいは海賊盤であっても無視することは悪くはないのですが、リアルタイムのファン達はおそらくレコードよりも実演に接して口コミでディランの人気を盛り上げた部分がかなり大きいだろうと想像します。

ですから、ディランのようなフォーク歌手にとっては客を前にしたパフォーマンスは、レコードよりもよりその真価を発揮する機会として重要だと思います。「The Bootleg Series」は海賊盤対策として新たに著作権を主張する根拠として立ち上がった企画だとは思いますが、埋もれていた音源を可能な限り聞きやすく集大成するという意味では大きな意義があります。

カーネギーホールのコンサートは録音が終わったばかりの次のアルバムのタイトル曲「The Times They Are a-Changin'」からスタート。4枚目のアルバムに収録されることになる曲なども含めて客の反応が良いのは、すでにライブではお馴染みなのかもしれません。

アルバム「The Freewheekin'」で録音されながら政治的過ぎる理由でボツになっていた「Talking John Birch Paranoid Blues」は、反共産主義の極右結社であるジョン・バーチ協会を揶揄した曲で、聴衆が歌詞に反応して度々笑いが起こります。また「風に吹かれて」を歌う前にはタイトルにまつわる笑い話を語り全体的に饒舌です。

このようなディランの雰囲気はスタジオ・アルバムだけしか知らないと意外な印象を持ちますが、全体的にプロテスト・ソングが多いセットリストの中で、ディランが実に余裕をもってユーモアを持ち合わせていたことが伝わってきます。


The Times They Are A-Changin'
Ballad of Hollis Brown
Who Killed Davey Moore?
Boots of Spanish Leather
Talkin' John Birch Paranoid Blues
Lay Down Your Weary Tune
Blowin' in the Wind
Percy's Song
Seven Curses
Walls of Red Wing
North Country Blues
A Hard Rain's A-Gonna Fall
Talkin' World War III Blues
Don't Think Twice, It's All Right
Story: Hootenanny Hoot
With God on Our Side
Only a Pawn in Their Game
Masters of War
The Lonesome Death of Hattie Carroll
When the Ship Comes In

October 26, 1963 Carnegie Hall, NYC
from "The Bootleg Series Vol.18 Through the Open Window"

☆☆☆☆・・・・・・

2026年6月5日金曜日

ビヨウヤナギ


美容柳と書きます。

真正バラ類キントラノオ目オトギリソウ科オトギリソウ属のHypericum monogynumです・・・って、難しいなぁ。そもそも柳の仲間じゃないし。

大きくなっても人の身長ほどで、今が花期で、けっこうあちこちに植えてあることに気がつきました。

葉を煎じると消炎鎮痛効果があるらしい。と言っても、下手に使うのは危ないこともあるかもしれない。

たくさんの長い雄蕊(おしべ)が特徴ですから、一度覚えると忘れなさそうですね。

2026年6月4日木曜日

The Freewheelin' (1963)


フォーク・ソングというのは、そもそもはその土地に伝承されてきた民族音楽のことですが、それらを手軽に楽しむための道具としてギターやハーモニカといったものが普及しました。それらをうまく使って、人々に寄り添ってその気持ちを代弁することで人気を集めたのがウディ・ガスリー(1912-1967)でした。

次第にフォークは反体制的な色合いを強め、ジョーン・バエズのようなスター歌手の登場とともに60年代になってベトナム戦争に対する反戦運動が盛んになるとプロテスト・ソングの傾向はさらに濃くなっていきます。

1941年生まれのロバート・ジマーマン少年は、小さい時から家にあったピアノとギターに慣れ親しみ、50年代の普通の少年と同じでロカビリーに夢中になっていました。1959年には大学へは登校せず、ガスリーに感化されミネアポリスでフォーク・シンガーとしての活動を始めます。この時、ロバートの愛称と詩人のディラン・トーマスからとった「ボブ・ディラン」を名乗り始めるのでした。

1960年12月にニューヨークに出てきたボブ・ディランは、カウンター・カルチャーの聖地、グリニッジ・ヴィレッジを根城にして歌える場所ならどこにでも顔を出すようになります。1961年2月、すでに歌手としては引退しているガスリーと彼が長期療養のため入院している病院で面会しています。

少しずつ小銭稼ぎ的な仕事をしているうちに、コロンビア・レコードで力を持っていたプロデューサーであるジョン・ハモンドがディランの存在を知ることになるのでした。ロバート・ジマーマンが「ボブ・ディラン」に変貌していく過程は「The Bootleg Series Vol.18 Through the Open Window」に多くのプライベート録音が収録されていて、大変興味深いものがあります。

デヴュー・アルバムがあまり話題にならなかったディランは、あちこちのクラブなどでの「対外試合」を加速させ、知名度を広げ技能的にも向上させることに集中したかのようです。また自作曲を増やし、出版社に売り込むためのでもデモ音源を作成していて、これは後に「Witmark Demos」として「The Bootleg Series」からも公式にリリースされました。

1962年4月からは、再びコロンビア・レコードのスタジオで断続的に1年ほどかけてレコーディングが開始され、1963年5月にいよいよ発売されたのが初期の傑作とされる「The Freewheelin'」です。フリーホイール(freewheel)は、ほぼすべての自転車に備わっているペダルを回し続けなくても惰性で進める駆動輪のことで、アルバムのタイトルとしては意味深です。

特に傑作とされる理由は、ディランの初期の代表作となる「風に吹かれて (Blowin' in the Wind)」、「はげしい雨が降る (A Hard Rain's a-Gonna Fall) 」、「戦争の親玉 (Masters of War)」、「くよくよするなよ (Don't Think Twice, It's All Right)」、「北国の少女 (Girl from the North Country)」など、後々まで歌い続けられる曲が目白押しであるところが大きい。

1作目では2曲だけが自作曲でしたが、この2作目では全13曲中2曲だけがカバー曲です。基本的には前作と同様にディラン自身のギターとハーモニカ、あるいはピアノによる伴奏だけですが、カバー曲の「コリーナ・コリーナ (Corrina, Corrina)」だけにバンドが加わっていて浮いた印象を持ちます。

冒頭の「風に吹かれて」は、ピーター・ポール&マリーがカバーして大ヒットし、ジョーン・バエズもアルバムで取り上げました。「どれだけ歩けば男は一人前と認められるのか。どれほどの砲弾が飛び交えば武器がなくなるのか・・・答えは風に吹かれている」という抽象的な内容が、ディランの意図とは関係なく当時吹き荒れていた公民権運動のテーマソングのように扱われたのです。その結果、ディランは反体制の旗頭であり、彼の歌うフォークはプロテスト・ソングであるという固定観念が浸透してしまうのでした。

もっとも「戦争の親玉」では積極的に武器を作る人・使う人を糾弾しています。「第3次世界大戦を語るブルース」では、キューバ危機により核戦争が現実味を帯びていた時期に、夢の中での不思議な体験を語るのですから、プロテスト・ソングを歌う歌手として祭り上げられてしまうのはしょうがない。

もっとも「北国の少女」は寒さの厳しい北国のかつての恋人に思いをはせる歌ですし、「くよくよするなよ」は恋人同士のすれ違いの歌です。そもそもアルバム・ジャケットが当時の恋人と一緒に写っている写真が使われているのですから、真っ向から社会を敵に回そうとする意志はあまり感じられません。


Blowin' In The Wind
Girl From The North Country
Masters Of War
Down The Highway
Bob Dylan's Blues
A Hard Rain's A-Gonna Fall
Don't Think Twice, It's All Right
Bob Dylan's Dream
Oxford Town
Talking World War III Blues
Corrina, Corrina
Honey, Just Allow Me One More Chance
I Shall Be Free

"Corrina, Corrina" Leonard Gaskin (b), Herb Lovelle (ds), Bruce Langhorne (g), Howie Collins (g), Dick Wellstood (p)
April, 1962 ~ April, 1963, NYC

☆☆☆☆☆☆☆☆☆・

2026年6月3日水曜日

Bob Dylan (1962)


ある特定のアーテイストの音楽を聴こうという場合、正規の公式アルバム単位で、できれば古い物から順番に聴くというのが基本です。ですから、ネットで「おすすめ」とか「ランキング」で検索すると、アルバムごとの評価が並ぶことになる。

ボブ・ディランの場合も基本的にはそれでいいんですが、通常は一定のコンセプトでまとめられたはずのアルバムのはずが、意外とあまり考えられていない場合があったりします。ただやりたいからやったみたいな、かなり雰囲気だけで決めている節がないわけではないので、ボブ・ディランを聴き込む場合は、一つ一つの曲により注目することも忘れてはいけません。

また、ネットの情報はやはり個人の主観、そしてすでに定まった評価に基づいていることが多く(当然、ここでの話もそうなんですが)、必ずしも良し悪しを判断する最適な方法とはならないことがしばしばあります。とにかく、他人の意見に左右されずに自分の耳で聞くことが大事ということを忘れてはいけません。

さて、記念すべきボブ・ディランのデヴュー・アルバムは1962年3月にリリースされた、ずはりタイトルは「BOB DYLAN」です。全13曲収録で、自作曲は「ウディに捧げる歌」、「ニューヨークを語る」の2曲だけであとはカヴァー曲という構成。録音は前年の11月20日と22日の二日間だけで行われました。

自作曲が少ないという理由で、たいへん評価が低いのですが、それは作詞家・作曲家というの一面についてのみ注目しているからです。才能が有ると認められたから大手のコロンビア・レコードと契約できたものの、まだ海の物とも山の物ともわからない二十歳になったばかりの若者を売り出すためには、誰もが知っている曲を利用するというのはレコード会社の常套手段です。

ですから、ここでは歌手としてのボブ・ディランに注目すべきところ。そう思って聞くと、ディランの意識的に曲によって声色を変える特徴はすでにここでも聞くことが出来ます。また、曲によってはフォークというよりは、明らかにロック歌手のような歌い方もしていて、自分で演奏するフォーク・ギターとハーモニカだけのシンプルな世界なのに、独自の雰囲気をしっかりと出している作品で悪くはないと思います。

とは言え、他人の曲ばかりでは本人も多少不本意な部分はあったのかもしれません。後にリリースされた「The Bootleg Seriese Vol.1」に数曲のアウトテイクが収録されていますが、何度も歌うことには乗り気でなかったようです。いずれにせよ「ボブ・ディラン」はここから始まったことは否定しようのない事実です。


You're No Good
Talkin' New York
In My Time Of Dyin'
Man Of Constant Sorrow
Fixin' To Die
Pretty Peggy-O
Highway 51
Gospel Plow
Baby, Let Me Follow You Down
House Of The Risin' Sun
Freight Train Blues
Song To Woody
See That My Grave Is Kept Clean

November 20 & 22, 1961, NYC

☆☆☆☆・・・・・・

2026年6月2日火曜日

山田神社 @ 都筑区南山田町


初詣はここに行くという方がけっこういるんじゃないかと思いますが、サレジオ学院の近くにあって、中原街道からの長い参道を持つしっかりした神社です。

敷地内に「皇太子殿下御成婚記念碑」というのがあって、平成5年のものなので、今の天皇陛下の結婚の際に建てられたもので、ここに神社の由緒が刻まれています。

山田の地は太古の昔から豊かな土地だったらしく、ずいぶんと栄えたらしい。貞観2年(860年)にはすでに諏訪神社があったと記されています。

そこから時代はいっきに進んで、明治43年11月、村社神明神社、無格社諏訪神社、同八幡神社2社、同熱田神社、同稲荷神社七社、同菅神社、同熊野神社、同子聖神社を妙見社へ合祀すると同時に山田神社と改称したとなっています。

従って、それぞれの神社の御祭神がまとめて祀られているため、その数は全部で9柱と多くなっています。神明社代表は大日孁貴尊(おおひるめむちのみこと、天照大神の別名)、諏訪神社代表は建御名方神(たけみなかたのかみ)、八幡神社代表は応神天皇(八幡神)、稲荷代表は倉稲魂命(うかのみたまのみこと)、熊野神社代表は伊弉冊尊(いざなみのみこと)、子聖神社代表は大己貴尊(おおなむちのみこと)です。

あと日本武尊(やまとたけるのみこと)と菅丞相霊(かんしょうじょうのれい、菅原道真のこと)が残ったのですが、熱田神社は天照大神以外に日本武尊も祀っています。菅神社は名前からして菅原道真関連のように思います。

そして、それらの神が集められた妙見社というのは北極星・北斗七星を神格化した天地開闢の最も真っ先に登場する天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)を御祭神としているので、全部で9柱の勢ぞろいということになります。

神奈川県神社本庁HPには天之御中主神のかわりに高皇産霊神(たかみむすびのかみ)が入っていますが、高皇産霊神は天之御中主神の次に登場するので間違いではないかと思います。

写真を見て、あれ? と思った方いますか。本殿の左側にあるもの・・・鐘楼です。一般的に鐘は寺で見かけるものなので、神社にあるのは違和感を感じますよね。

平安時代に仏教の勢いが増してくると、しだいに古来から土着の信仰であった神道との境界がが曖昧になり「神仏習合」と言われるようになります。その結果、神社に鐘楼があったり、寺に鳥居ができたりしたのです。

ところが、明治維新により「神仏分離」が行われ、今では基本的には別のものと考えられるようになりました。ですから、その名残りとして鐘楼が残されたということで、神社が古い歴史を持っていることを示すものと考えられます。

2026年6月1日月曜日

ボブ・ディラン


さて、いきなりですが問題です。

ロック史上で世界で最初にいわゆる「海賊盤 (bootleg)」と呼ばれる、非公式発売のレコードが登場したミュージシャンは誰でしょうか。


ヒント・・・登場したのは1969年夏。タイトルは「Great White Wonder」で、誰の演奏なのかは表記されないタイトルだけの白いジャケットでした。

では、今では必須と言えるミュージック・ビデオですが、これを世界で初めて作ったアーティストは誰でしょうか。

ヒント・・・ビートルズだとか、いやいやマイケル・ジャクソンだとか言われていますが、1965年に公開されたもので、手書きの歌詞の断片を書いたたくさんの紙を、本人が歌に合わせてめくっていくというものでした。

それでは、最後の問題。2016年に世界で初めて、ミュージャンで歌詞が評価されノーベル文学賞を受賞したのは誰でしょう。

これはかなり話題になった有名な話なので、本人に興味が無い人でも、このニュースには驚いたことと思います。

そうです。いずれも答えはボブ・ディランです。

ボブ・ディランBob Dylan、本名はRobert Allen Zimmerman。1941年5月24日、アメリカのミネソタ州ダルースで生まれ。御年85歳になっても、多くのステージをこなして、フォーク、ロック界で絶対的な生きる伝説として君臨する存在です。

1962年にコロンビア・レコード(現Sony Music Entertainment)からデヴューし、すでにそのキャリアは60年を超えています。公式に発売されたスタジオ録音のアルバムは40作品、ライブ・アルバムは22作品、ベスト盤などのコンピレーションの類は世界中で数えきれないくらい発売されています。

流出したセッション・テープやライブ録音からなる海賊盤の数はほとんど無限にあって、さすがに頭を痛めたコロンビア・レコードは、著作権延長のための未発表曲集を作ったり、海賊盤音源さえもリマスターして取り込んでしまう「The Bootleg Series」を制作しています。

普通なら海賊盤の音源は「隠し録り」された劣悪な音質のもので聞くに堪えないはずだったんですが、サウンドボードという音響機器から直接出力された公式音源に負けないものが多数あるから困ったものです。

さらに。ボブ・ディランはアルバムに採用しなかった未発表曲が膨大な数になることが知られていて、それらの中に何でアルバムに採用しなかったのか不思議なくらい素晴らしいものが相当数あるので厄介です。つまり、時間的にも量的にも最大深度まで深入りしてみる価値があるということ。

自分の初めてのボブ・ディランとの出会いは、だいぶ古くて1972年にさかのぼります。

自分が初めて世界地図で知った東パキスタンと呼ばれていた土地が、西パキスタン(今のパキスタン)からの独立を求めて紛争が勃発し、後にバングラ・デシュとなる東パキスタンの国民は極度の飢餓にさらされたのです。これに対して、ジョージ・ハリスンとインドの国際的なシタール奏者、ラビ・シャンカールが中心となって1971年にチャリティ・コンサートが開催されました。

この時のライブが翌年にLPレコード3枚組で発売されました。骨と皮だけのこどもの写真をメインにしつらえたジャケットも強いインパクトがあり、豪華な出演者につられて自分も購入したわけです。ただ、1枚目SIDE-Aのシャンカールの長いシタール演奏は、ほぼ最後まで聞いたことが無い。


リンゴ・スターの歌もあんまり真剣になれず、ジョージ・ハリスンとレオン・ラッセル中心に聞いて、いよいよ3枚目のSIDE-Aにボブ・ディランが登場します。初めてのディランは、ハリスンらのごく軽いバッキングはありますが、ほとんど自ら演奏するフォーク・ギター伴奏による歌唱で、今から考えるとその時までの代表曲のオン・パレードでした。

独特の声と歌い方に面くらいながらも、何度か聞いていくうちに癖になってくるから不思議です。その後も新しいアルバムが出ると注目はしましたが、実は他に聞きたい音楽がたくさんあったのでディランまでは懐が回ってきませんでした。

さすがに大人買いもできる年齢になったので、積極的にディランのこれまでの軌跡を埋めていきたいと思うようになりました。知れば知るほど、音楽的にも人間的にも実に興味深く、音楽好きならはまること請け合いです。