2025年11月17日月曜日
夜明けのすべて (2024)
2024年の映画賞の多くを受賞した作品で、若手(?)の日本の映画監督の中で、注目すべき一人である三宅唱の監督作。原作は実写化作品がいくつかある瀬尾まいこの小説で、脚本は三宅と和田清人の共同脚本です。
この映画を理解する上で、2つの病気が重要な意味を持っています。一つは月経前症候群(PMS)で、生理の時期に体や精神の不調を生じるもので、軽いものは多くの女性が経験します。5%程度で日常生活に支障をきたすような、情緒不安定、イライラ、抑うつ、めまい、倦怠感、腹痛、頭痛などを起こしています。もう一つはパニック障害です。突然の激しい不安発作が繰り返し起こり、発作時には動悸、息切れ、めまいなどの身体症状が現れ、日常生活に大きな支障をきたします。
いずれの病気も、多くの時間は普通に社会生活を送っているので、周囲の人々には気がつかれないこともあり、発作時の苦しみはなかなか理解されにくいところがあります。主人公の一人、藤沢美沙(上白石萌音)は、発作が終わると攻撃的だった自分を嫌悪し、希望を持てない生活を送っているのです。もう一人の主人公である山添孝俊(松村北斗)も、電車に乗ることもできず自分の殻の中に閉じこもり生きる希望を失いつつありました。
大会社の中では居場所を見出せなかった美沙は、今ではプラネタリウムの玩具などを製造・販売する栗田金属で働いていました。社員は10名に満たない小さな会社でしたが、社員全員が家族のようにお互いを気遣うような環境でした。1か月前に大きな会社から転職してきた孝俊は、他の社員と交流することはなく黙々と仕事をするのです。
ある日、孝俊は美沙のイライラをぶつけられ驚きます。また、孝俊が社内で発作を起こしたことで、美沙は自分も使ったことがある薬を孝俊が服用していることに気がつきます。美沙に苦しい時はお互い何かできるかもと言われた孝俊は、自分の主治医にPMSの本を借りて勉強し、次に美沙が発作を起こしたときは、何とか落ち着かせようと協力するのでした。
小学校で毎年行っている移動式プラネタリウムのイベントを、今年は孝俊と美沙がメインで担当することになりました。二人は知識の整理だけの解説では面白味がないため、昔社長(光石研)の弟が担当していた時の、録音テープや資料を参考にして、より生き生きとした解説原稿を作ります。しかし、美沙は脳梗塞を起こした母の介護のため会社を辞めて、実家の近くに転職する決意をしていたのです。
映像的に特別に凝ったことはしていませんが、終始ゆったりとしたシーンをつなぎ合わせて、大変おちついた描写を心がけている作品です。音楽の使い方もシンプルで、ストーリーをまったく邪魔することなく、映像の中にしみ込んでいくような単調な音楽が心地よい。
一番良いのは脚本です。無駄な台詞は排除して、いちいち説明的な言葉はありません。見る者の想像力に頼る部分が多いのですが、俳優の演技や情景により伝えるべきことは伝わるような脚本だと感じました。
タイトルの意味は、プラネタリウムの解説の最後に美沙が説明する言葉にすべて込められています。美沙は「夜明け前が最も暗い時間です。そして朝が来れば、また夜が来る。喜びに満ちた日も、悲しみに沈んだ日も、地球が動き続ける限り必ず終わる。そして、新しい夜明けがやって来る」と、来場者のみならず自分にも向けて語るのです。
孝俊と美沙の間には、いわゆる恋愛感情はおそらくありません。孝俊は、男女の関係には助け合うというものもあると語っています。それは、同性同士であっても、上下関係の中でも、人と人の関りという点では共通のものだろうと思います。この映画には、悪意を持つ者は一人たりとも登場しません。すべての人に感じてもらいたい作品なのてす。
