2025年11月9日日曜日

野球場の話


今はサッカー人気が高いので、こどもたちの夢はJリーガーなりたいというのがダントツで多い。昭和のこどもは、特に自分に関しては当然のように野球少年であり、将来野球選手という夢をもつこどもがほとんどでした。

それというのも、王・長嶋全盛期、読売ジャイアンツが連続V9を達成していた頃ですから、娯楽も今ほど多くなかったので、こどもだけでなく大人も野球が大好き。

東京にいるとジャイアンツの試合は全試合テレビ・ラジオ中継がありましたから、ジャイアンツの選手の名前は憶えても、他のチームの選手はわからない。必然的に、ジャイアンツのファンとアンチ・ジャイアンツに二分されるということになります。

後楽園球場のチケットを入手するのは大変だったらしく、ほとんど観戦に行ったことはありません。ただし、神宮球場は当日券でも楽勝に入場できたので、生の野球観戦といえば、ほぼサンケイ・アトムズ対読売ジャイアンツに限られるということになります。

サンケイ・アトムズはもともとは国鉄スワローズだったわけで、後に巨人に移籍した大投手の金田正一がいたチーム。東京オリンピックのあとに産経グループに売却されましたが、大坂万博の頃にはヤクルト・アトムズに変わっています。1974年にヤクルト・スワローズとなり、2006年から現行の東京ヤクルト・スワローズを名乗っています。

自分が知っている頃のスワローズ(あるいはアトムズ)は、リーグで最弱と言ってもかまわないくらい弱いチームで、神宮球場の外野は閑古鳥なんてものじゃない。その頃は外野スタンドは芝生だったので、好きな場所でゴロっと横になって見物できたし、あきると友人とキャッチボールもできました。

現在、横浜DeNAベイスターズと名乗っているのは、自分がこども時は大洋ホエールズでした。当時は川崎球場がホームでしたが、1978年に横浜に移転し横浜大洋ホエールズとなり、1993年から横浜ベイスターズ、2012年にDeNAが球団名に加わりました。

川崎球場は一度だけ、ホエールズ対ジャイアンツの試合を見に行ったことがある。たぶんJR川崎駅から徒歩で行ったのだと思いますが、何か場末の繁華街みたいなところを通り抜けるので、こども心にはずいぶんと怖い場所にあるという記憶だけが残っています。

セントラル・リーグには、他に甲子園球場の阪神タイガース、広島球場の広島東洋カープ、名古屋球場の中日ドラゴンズがありますが、いずれも球団名はほぼ変更されていません。ただ、地方で野球観戦というのはしたことがありません。

ただ唯一、1974年、確か京都への修学旅行の帰りに、新幹線の中から名古屋球場の灯りを一瞬見ました。実はその日は、ペナントレースの最終戦で、ドラゴンズ対ジャイアンツの試合が行われている時だったのです。ジャイアンツはこの試合に敗北してV10を逃し、鉄人・川上哲治監督は勇退したわけです。