2025年11月12日水曜日

おらおらでひとりいぐも (2020)

若竹佐知子の63歳でのデヴュー小説を原作として、沖田修一が監督・脚本した作品。

日高桃子(田中裕子)は75歳、数年前に夫に先立たれ、一男一女を授かりましたがそれぞれ独立して、今では一人住まいの身の上です。趣味と言えば、図書館で借りてくる本を参考にして書きためた「地球46億年の記憶ノート」を作ることくらい。

桃子の目の前には、桃子の心を代弁するさびしさ1(濱田岳)、さびしさ2(青木崇高)、さびしさ3(宮藤官九郎)がしょっちゅう現れます。朝になると、どうせ(六角精児)が「どうせ起きても昨日と同じでやることはないよ」囁いている。確かに、起きても図書館と病院に通うだけの生活なのです。

桃子は岩手県の出身で、東京オリンピックの年に、親が決めた縁談が嫌で「新しい女」になると東京に飛び出してきたのです。若かった桃子(蒼井優)は、住み込みの食堂の客だった同郷の周造(東出昌大)と知り合い結婚したのです。幸せな結婚生活でしたが、古い習慣に縛られ新しい女のイメージとはほど遠い生活でした。

昔の自分を思い出し、様々な妄想を繰り返しているうちに、むしろ自分が一番輝いているのは周造が死んでからの勝手気ままな生活をしている今なのかもしれないと思うようになります。そして。「おらおらでひとりいぐも」と言うと、今を受け入れるようになるのでした。

タイトルは東北弁で、「私は私で、一人で行きます」という意味。宮沢賢治の「永訣の朝」の中の死の床にいる最愛の妹に対する決別の言葉です。ここでは亡くなった夫に向けた桃子の気持ちの整理を意味しているようです。

原作にならって、現実では標準語、妄想の中では東北弁が使われていて、一部東北弁については聞き取りにくいところがあります。東京に出てきて標準語で通してきたはずの桃子でしたが、やはり標準語を使う自分に後ろめたさを感じていたわけで、出自を完全に捨て去ることはできないということ(46億年前の地球に重なります)。

主たるテーマは「老いと孤独」ということだと思うのですが、沖田作品の特徴である無理しないユーモアのおかげで悲壮感はありません。むしろ、若かったころの桃子の「この幸せが終わることはないと思っていた」という言葉に、「周造が死んだことで、独りで生きてみたいと思っていたことが叶った」と今の桃子が返答するのは、ある意味真実なのかなと思ってしまいました。

田中裕子はこの映画の時は65歳くらいですが、シーンによって孤独な老女とお茶目な少女の両方を演じ分けていてさすがです。もともと地味な印象がある沖田作品のなかでは、群を抜いて地味な感じですが、沖田監督らしさを随所に感じられるほのぼのとした仕上がりになっています。