最初は2020年に1時間もののテレビドラマとして福島中央テレビが開局50周年記念として製作した物。大震災によって経営困難になった地元の小さな映画館で、集まってきた人々の映画に対する愛をドラマ化しました。
モデルになったのは朝日座という実在する映画館ですが、実際には1991年に閉館していますが、震災後も地域の人々の数少ない娯楽として建物が存続し、いろいろな催事が行われています。
映画は、スタッフや出演者は同じで、テレビドラマの前日譚として朝日座が取り壊される計画を何とか阻止しようというストーリーになっています。監督と脚本は「マイ・ブロークン・マリコ」のタナダユキです。
南相馬の高校2年生の浜野あさひ(高畑充希)は、父親が震災成金と非難され家族がバラバラになってしまいました。ともだちも離れてしまい、東京に引っ越すことになったあさひは、学校の屋上で飛び降りるか悩んでいるところを、教師の田中茉利子(大久保佳代子)に止められます。茉利子はどうせ百年後には死んでいるんだから、ここで急ぐことはないと言って、あさひに自分が好きな映画の楽しみを語るのでした。
東京で母親はノイローゼになり、あさひも何で地元にいられなくなったのか知れ渡ってしまい、登校できなくなってしまうのでした。あさひは家出して、今は郡山にいる茉利子のもとを訪れ同居するようになります。茉利子は男にはだらしがなく、すぐに好きになってはふられてしまうのでした。
しかし、娘が家出したと評判になることを恐れた母親が警察に被害届を出したため、誘拐の疑いで茉利子が捕まってしまい、しかたがなくあさひは東京に戻ることにします。茉利子はあさひに高卒の資格を取って絶対に大学に行くようにすすめました。そして映画会社に就職したあさひのもとに、茉利子が病で余命宣告されたという連絡がはいります。
茉利子は南相馬の映画館は、自分が落ち込んだ時に光をもらえた場所で、経営難らしいから何とか立て直してほしいとあさひに頼みます。あさひも食べるものが一番大事だけど、その大事なものを作る農家の人たちにちょっとでも心が休まる時間を提供できる映画館は絶対に必要だと考えていました。
そして、茉利子が亡くなり、その遺志を実行するためにあさひは南相馬に戻ってきました。しかし、支配人の森田(柳家喬太郎)は続ける意欲を無くして映画館はすでに取り壊しが決まっていたのです。あさひは茂木莉子と名乗り、クラウドファンディングを立ち上げたり、町の人々を説得したり行動を開始するのでした。
最近はネット配給の映画が勢いを増し、映画館の存続は厳しい状況になっていますが、東北では大震災による人口減少、その上コロナ禍という絶望的な状況に置かれたことは容易に想像できます。いわゆる活動写真と呼ばれていた時代を知る人もほとんどいなくなり、他にも多種多様の娯楽が増えたことも大いに関係しています。しかし、確かに映画館という非日常的な場所で映画を鑑賞することは、そう簡単には消えない意義があることも否定できません。
そんな映画館の存亡をモチーフにして、東北の再興、そして家族の在り方を考えさせる優れた作品に仕上がっています。この映画もコロナ禍の最中に公開されたため、興行的にはまったく振るわない結果になっていますが、そんな時期でも制作をストップしなかった関係者の方々には敬意を払いたいと思います。これらの良作が埋もれてしまわないように、新作ばかりに注目せず、再評価できる流れがあっても良いと思いました。
ここでも演技者として高畑充希はさすがです。それにも増して印象深いのは大久保佳代子さんで、ふだんのバラエティのイメージも残しつつ、なかなか味のある役所を好演していますので見所になっています。