イエス・キリストが磔刑になる前に、12人の弟子とともに最後の夕食をとったという新約聖書の記述は有名です。
この時に、キリストはユダが裏切ること、ペテロは自分を守るためにイエスを知らないと3度言うだろうことなどを予言します。そして、使徒たちの足をイエスが洗い、パンは私の体、ブドウ酒は私の血として振舞いました。
これらは、芸術の分野では様々なイマジネーションを引き起こし、これらの出来事をモチーフにした多くの作品が生み出されてきました。
現代に残る、最も偉大な作品は、やはりレオナルド・ダ・ヴィンチによって制作された壁画ではないでしょぅか。この作品を、何らかのメディアで見たことがないという方は世界中にほとんどいないかもしれません。
もともと修道院の食堂の壁に描かれ1498年に完成したものですが、中央下が通りやすいようにくりぬかれるという破壊が行われました。またその後厩として使われるようになったり、洪水にあったりと、ずいぶんと大変な目にあっています。
また、湿気の多い悪環境のもとに、どんどん表面の剥離や汚れの付着が進み、20世紀後半にはかなりぼけたくすんだものになっていました。そこで、1977年から1999年にかけて、大規模な修復作業が行われ、本来の姿に近いかなりはっきりとしたものに生まれ変わっています。
この過程は、直接修復にかかわった方々の記録として大型本として発売されていて、 かなり精細なアップの写真も多数掲載されています。この本は大変興味深く、是非一読をおすすめしたいのですが、残念ながら大きくてやたらと重いので、簡単に手に取れません。
よくポスターなどになって、人物部分だけを横長に切り取ったようなレプリカを目にしますが、これは絶対にだめ。むだと思っても背景が可能な限りすべて含まれているもので鑑賞したい。
なぜなら、ダ・ヴィンチの数学的な遠近法を用いた徹底した空間デッサンがあるからで、そのなかで自然と中央のキリストに目が行くように構図が作られています。
よく、いろいろな暗号が隠されている、映画「ダヴィンチ・コード」はその最たる物ですが、 それは考えすぎかとは思いますが、それでも不思議なところは多々あります。
キリストの左隣のヨハネとされている人物の描写は確かに女性的で、キリストの服装との鏡対称になったところは、確かにひそかにマグダラのマリアを描きこんだという説もうなずけなくは無い。いくつもの手が描かれているものの、誰の手かよくわからない不思議な位置にあるものがあったりします。
いずれにしても、それぞれの使徒の混乱と猜疑、キリストに対する尊敬などさまざまな思惑が生き生きと描かれ、それぞれがいろいろと話しているかのような見事な絵画で、人類の遺産として確実に後世にまで残すべき価値があるものとして誰も文句は言わないでしょう。
もう一度、ゆっくりとこの絵を眺めながら、今日の聖木曜日に受難曲を聴くと言うのは、けっこう贅沢な時間の使い方なのかもしれません。