2008年7月27日日曜日

夏の風物

いゃ~、暑いですね。去年にも増して今年の夏は暑いように思うのは、自分だけでしょうか。地球温暖化どころか高熱化といってもいいかもしれません。

昔は・・・って、年寄り臭い表現かもしれませんが、自分のこどもの頃は暑いと言っても30度そこそこで、今みたいに35度くらい当たり前とは明らかに違いました。

当然、エアコン、あるいは昔風に言うとクーラーなんて言うものは、お店でさえ無くて当たり前。唯一、大きなデパートくらいでしょうか。ですから、渋谷の東急東横デパートや西武デパートに行くのが嬉しくてしかたがありませんでした。

自分のこどもの頃の原宿というのは、山手線の内側としては下町に近い雰囲気がある町でして、それも明治神宮の「門前町」みたいなものだったからだと思いますが、表参道だって正月以外は、そんなに人が歩いていることもありませんでした。これは青山通りの方から原宿駅のほうを写した写真ですね。オリンピック直前で、原宿駅では一回の電車で数人しか乗り降りしなかった頃だと思います。

一本路地を入ると普通の住宅地で、夏になるとまさに「三丁目の夕日」か「おとな帝国」の世界だったのです。

小学生の自分は、縁側でタオルを首に巻いてスイカをがぶがぶ食べました。種は庭先に、ぷっぷっぷっ・・・

そこへ「金魚ーや、きんぎょっ、めぇだかぁ~、金魚」といいながら、リアカーに水槽をいろいろ乗せた金魚屋さんがやってきます。通った後には、水槽からたっぷんたっぷんとなった水が転々とついています。

金魚をみたいのですが、それよりもうじき来る屑屋さんの方が大切です。「くずぃっ、おはらいっ」と声が聞こえると、すぐに家の中から新聞紙の束を持って行くのです。屑屋のおじさんは、鯨秤ではかって、たいてい50円をくれるのです。これは大きな臨時収入でした。

そろそろ夕方、西の空が何となく赤くなってくると、坂の上から自転車に乗った豆腐屋さんがラッパを吹きながらやってきます。近所のおかあさんが、ちょっと金色っぽいアルミの両手鍋を持って出てきて、夕食の味噌汁に入れる豆腐を買い込みます。

豆腐屋さんのラッパの音楽は、もともと歌詞があったんですよね。「とぉーふぅ~、なまあげぇー、がんもどぉーきっ」というのが本当らしい。最初の部分だけがラッパで吹かれるようになったみたいですね。

そうこうするうちに夕立がざーっと来て、雷がピカっ、ゴロゴロゴロ。すぐに停電になるので、蝋燭は欠かせません。ちょっと蒸し暑さが一段落して、母親が台所でトントントントン、夕飯の支度を始めるのでした。あぶら蝉の声が、よけいに暑さを増すのです。

今日はたまたまインターネットで、昭和40年ごろの表参道の写真を見つけたので、そんなとを思い出したのでした。