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2019年9月21日土曜日

H.V.Karajan BPO / Beethocen Symphonies (1968-72)

バロックの時代に声楽曲の合間に箸休め的に"simfonia"と呼ばれる器楽曲があって、それを膨らませて「交響曲」と呼ぶような多楽章形式にしたのがハイドンであり、モーツァルト。

ハイドンやモーツァルトの音楽が、ヴィバルディの一連の協奏曲と違うかというと、どこを切っても金太郎飴状態はさほど違いが無い(だからと言ってダメということではありませんが)。

それを音楽芸術として完成させたのはベートーヴェンである、という理解はだいたい間違っていないと思います。交響曲に限らず、独奏曲や室内楽曲などの様々なジャンルでクラシック音楽の基礎を作り上げたベートーヴェンは、音楽史上、最も偉大な作曲家なのだろうと思います。

ベートーヴェンは演奏家にとって必ず挑まなければならない巨大な山、登山家にとってのエヴェレストみたいなもの。おそらく、発売された全集で最も多いのがベートーヴェンの交響曲じゃないでしょうか。

Amazonて余裕で100セット以上見つかりますから、ベートーヴェン交響曲全集を集め出したらもうきりがない。100曲以上あるハイドンの交響曲全集は2つ、3つしかありませんし、モーツァルトでさえ数セットです。

ですから、積極的にオーケストラ物を聴いてこなかった自分のような偏ったクラシック愛好家でさえも、気がつくと手元にいくつの全集があったりする。

バーンスタインの70年代のセット、ガーディナーの古楽によるセット、ラトルの最新のセット、アバドの21世紀のセット、バントのセッションなどです。ただし、カラヤン・アレルギーがあるので、王道のカラヤン+ベルリンフィルは持っていません。

ところが、良い時代になったというか、ある意味いい加減な時代ともいえるのが、インターネットの発達でネットで簡単にいろいろなものを見たり聞いたりできるんですよね。カラヤンの全集は年代別に多数ありますけど、映像作品でも70年代と80年代の二つがあって、どちらも見れちゃいます。

特に1968年~1972年にかけて収録されたDGの作品は、一部ライブ収録もありますが、基本的にスタジオでの作り込んだ映像が興味深い。リヒターのバッハ物のビデオと共通するところですが、映像的には地味になりやすいクラシック音楽を、今でいうミュージック・ビデオとしていかに見せるかという工夫が随所にみられます。

ベルリンフィルをデジタル時代にシフトさせた功労者がラトルなら、カラヤンはテレビ時代を取り込んだ先駆者なのかもしれません。

カラヤンの指揮ぶりは、大変優雅で激しく動く時も動作が滑らかに連続していく印象です。面白いのは、というか映像的につまらないのは、カラヤンはほぼ100%目を閉じたままという点。オーケストラを信じて、自分の楽器として意のままに操っているというところなのかもしれませんが、「するどい眼力」みたいなものもあってもいいかと。

それと、楽器が並んだシーンとかたくさんあってカメラアングルが凝っているのはいいんですが、個々のメンバーがちゃんと映っているシーンがほぼ無い。

この当たりも、楽団はカラヤンの楽器であり、個々の個性は封印されているような印象をもちます。アバドのマーラーのビデオのように、メンバーが指揮者を本当に信頼して、心から楽しそうに一緒に音楽を作り上げている雰囲気はありません。

まぁ、音楽家は音勝負ですから、演奏内容が一番重要なのかもしれませんけど、その肝心の演奏については、もともと「重量級戦車の行進」という印象をカラヤン&ベルリンフィルに持っていたのがアレルギーの大元ですが、意外とあっさりしている感じがしました。テンポがいいと言うか、緩急の使い方のバランスがしっくりきます。

完璧にカラヤンにコントロールされるベルリンフィルを開放して、楽器奏者に音楽の楽しさ・喜び・自由を再び取り戻させたのがアバドであり、その空気の現代化させるがラトルということなのかもしれません。