もともと大編成オーケストラが苦手・・・というのも、音楽を聴きだした70年代は帝王カラヤンが君臨し、その威圧感みたいなものが好きではなかったのだろうと思います。
ですから、クラシック音楽は、比較的コンスタントに聴き続けていたにもかかわらず、指揮者という存在はあまり注目してきませんでした。
そんな中で、レナード・バーンスタインは70年代は若手の旗頭で、いかにもアメリカ人らしい自由が感じられたのか嫌いではなかった。しかし、80年代以降はヨーロッパを主な舞台としてからは、巨匠然として魅力を感じなくなりました。
クラウディオ・アバドは、カラヤン亡き後のベルリンフィルを引き継ぎ、おそらく色濃く残る帝王のイメージの継承を余儀なくされつつも、独自のカラーを出さねばならないという難しい状況にあったと思います。
そういう環境にある姿が嫌いではなく、何かを変えている期待感があったのか、アバドは昔から嫌いじゃない。どっちを取るかという時、アバドがあればアバドを選んでいたように思います。
ですから、いろいろな音楽家が亡くなって聴けなくなるのは残念ですが、2014年にアバドが亡くなった時はことさら感慨深いものがありました。
クラシック音楽は基本的に限られた芸術遺産ですから、器楽曲、室内楽曲を中心に聴き漁って、古楽・声楽曲にたどり着きだいたい聴いてしまうと、あとは残っているのは管弦楽曲です。
そうなると、あらためて指揮者、特にアバドに注目せざるをえないということになってくる。王道のベルリンフィルについては、病気のため2002年に音楽監督を辞任しましたが、療養復活後の活躍がむしろ足かせが取れて、本当に好きなことをやっているという充実感があることに気がつきました。
ベルリンフィルについてはラトルに任せて、アバドの最後の12年間に注目してみると、自ら組織したモーツァルト管弦楽団、そしてマーラー室内管弦楽団を再編したルツェルン音楽祭祝祭管弦楽団との活動が見えてきました。
特にルツェルンでのアバドは、外見は病気をして急に老け込んだ感が強いのですが、むしろこれが全盛期といわんばかりの活躍です。若い頃から多くのマーラー作品を何度取り上げてきたアバドは、ここで最後のチクルスに挑みます。
実は三回のチクルスの録音が残されたにもかかわらず、アバドの本当の意味でのマーラー交響曲全集(全9曲、未完を含むと10曲)は存在しません。
最初が76年から92年までのシカゴ交響楽団とウィーンフィルを取り混ぜたセッション録音。ここでは一番大掛かりな8番が抜けています。そのまま時期が一部重なって89年からはベルリンフィルとライブ録音を2005年まで行いますが、今度は2番と10番が抜けています。
そして、2003年からはルツェルンでのライブが始まり、2009年までに8番以外が収録されました。亡くなるまでに5年間があったので、本気で全集としたかったらできないことはなかったと思いますが、あえて演奏しないという何らかの意図が感じられます。なお未完の10番は2013年に演奏されましたが、メディアとして発売されていません。
マーラーは、とにかく長いという印象があって、5番のアダージオ以外はほとんど聴いてきませんでした。5番は、ヴィスコンティの映画「ベニスに死す」のクライマックスに延々と流れていて、これが実に良かった・・・んですが、こういうときこそ映像があるというのが随分と助けなる。
当分はルツェルンのアバドの、充実の晩年とマーラーを楽しむことにしたいと思います。