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2016年5月23日月曜日

臼井先生

医者になって30年・・・って、ずいぶんと長いことやっているようですが、大学に残って入れば教授・・になれるわけもなく、今はしがない開業医。

まぁ、うちの父も開業での内科医でした。そういう父を見て育ったせいか、一人一人の患者さんと向き合って、自分が取得してきた医術を実践したいということで、大学よりも開業医の方が向いているんだと思います。

最初は卒業した大学で研修医をスタートさせ、ここではあちこちの出向もあり、いろいろな勉強ができました。次は東京女子医科大学にうつり、ほぼ関節リウマチだけという環境で専門性の勉強。ひして開業して、10年を過ぎたわけですが、もちろん何人かの恩師と呼べる先輩がいるわけです。

最初は、卒業した大学で入局を許可して下さった、当時の教授だった今井望先生。初めての出向で、医療の実践をいろいろ教えてもらった寺田洋先生(若くして亡くなられて、本当に残念でした)。そして、女子医にひっぱってくれた戸松泰介先生。これらの先生のお陰で、今の自分があることは間違いありません。

そして、もう一人、忘れてはいけないのが、臼井宏先生です。

臼井先生は、卒業した大学で当時は講師をされていて、股関節が専門でした。自分が股関節を中心にしていなかったので、直接的なボスではなかったのですが、臼井先生は中間管理職みたいなもので、若手の教育に深く関係していました。当時のスタッフの中では、最も理論家で、技術的にも優れた先生なんです。

何しろ外傷が多い大学病院でしたので、ぐちゃぐちゃの症例が多くて、若手には経験不足でどうしていいかわからないような患者さんがたくさんいました。

そういう時に、真っ先に相談し、手術も手伝ってもらうのが臼井先生。おそらく、次から次へと相談されて、こんなこともできないのかと毎日憤りを感じることだったと思います。

臼井先生が助手に入ってくれることは、若手には大変心強いのですが、術中の「これ何」攻撃はすさまじかったものです。皮膚を切った後に次から次へと出てくる解剖学的構造を次から次へと何かと質問してくるので、事前の勉強は手を抜けません。中には、臼井先生が入ると緊張のあまり固まってしまう医者もいたほどです。

高齢者に多い股関節近くの骨折の手術では、通常ならレントゲンの透視を見ながら位置を決めて金属の固定具を挿入するのですが、ある時、臼井先生に透視を使うなと言われました。

透視を使うということは、患者さんの被爆量が増えると同時に、自分もたくさん被爆することになるのだから、レントゲンの使用量はできるだけ少なくするという理由からです。

これは、体の立体的な構造がイメージできて、骨折がどのような向きにずれているかなどを正確に把握しておくことができないと難しい話です。ポイントでだけ通常のレントゲン写真を撮影して確認するだけというのは、なかなか勇気がいることなんです。

何があってもリカバーできる自信があるから、若手の医者にそういう無理難題をやらせることができるわけで、臼井先生の実力たるやものすごいものがあるというものです。

その後、初めて自分が一人医長として出向した時は、臼井先生は大学を辞められていて、比較的近くの病院に勤務されていました。自分も一人だけで、自分のやっていることがいいのか悪いのか不安を感じることも多々あったので、臼井先生のいる病院に出かけて行って症例検討会をやらせてもらいました。

同じように臼井先生を信頼する数人が集まる会になって、ここでも知らないことがまだまだたくさんあることを指摘され、本当に勉強になったものです。

その後、臼井先生は東京医療センター副院長、村山医療センター院長を歴任され、 数年前に定年を迎えられたと思います。ネットをいろいろ探してみると、今は岩手県で、診療を続けているらしい。

手術の実際の手技、医者としての心構えなど、臼井先生から教わったことはたくさんあって、そのどれもが本当に大切なことばかりでした。おそらく、勤務した先々でたくさんの臼井信者が生まれていることだと思います。

開業して手術はしなくなりましたが、今後の臼井先生の教えは、しっかり守ってやっていきたいと思っています。