ホンダの車のようなタイトルですが、これはあくまでも邦題。原題は"The Martian"で、「火星の人」とでも訳すんでしょうか。
昔は、英語に不慣れな日本人が多かったので、原題とは離れて絶妙な邦題をつけることは珍しくありませんでした。しかし、いまどき、原題から離れたタイトルは珍しい。"odyssey"は長い放浪・冒険という意味。
2015年、アメリカ映画。日本では今年の公開で、監督はリドリー・スコット。今年のアカデミー賞でも、他部門にノミネートされ、大きな話題になりましたが、結局受賞は一つもありませんでした。
2013年の「ゼロ・グラヴィティ」は、宇宙空間での事故で帰還できなくなった宇宙飛行士が、使われていない施設を利用してなんとか地上に戻る比較的短期間のサスペンス。
本作も、似たような話ですが、舞台は遠くなって火星。しかも、長期間の火星でのサバイバル生活を強いられるというところが、発想としては面白い。
火星での調査活動中に、強大な砂嵐ののため、主人公は吹き飛ばされ行方不明。着陸船が危険なため、残りの隊員はやむを得ず彼を残して離陸。ところが、主人公はなんとか生存していたというところから始まります。
火星の調査用の簡易住居の中で、残された食料だけでは、次に火星探検の宇宙船が来る4年後までもたないと判断して、施設内で食料を作り始める・・・というのは、完全に無人島生活の状況。
科学的には、ものすごい砂嵐は火星で起こりうるらしいのですが、重力の関係で宇宙船にダメージを与えることはないらしい。そもそも、映画の中では地球との重力の差を表現していないのは、宇宙空間での無重力表現があるだけに多少の違和感はあります。
ただ、サバイバルをする上での、いろいろな科学技術などは十分な根拠があって、実際に実現可能なことらしい。2年くらいの生活の中で、生き残るためにありとあらゆるものを利用していくところは、すごいなぁと感心します。
前半がサバイバル生活、後半が何とか地球の連絡手段を取り戻して脱出のための地球とのやり取りが軸に話は進行します。火星まで行くというのは、相当な時間がかかることなので、2時間20分の映画の中では、時間軸は加速度的に省略されていくので、多少話が進むにつれバタバタ感が出てくるのはいたしかたがないところでしょうか。
「ゼロ・グラヴィティ」では、最後は中国の宇宙船を利用して帰還しましたが、この映画でも中国が重要な援助を申し出ます。いまや、宇宙開発はアメリカ、ロシアだけでなく、中国が大きく関与していることが無視できないレベルであるということでしょうね。
映画的には・・・「ゼロ・グラヴィティ」のように、短期間の中で次々に起こるサスペンスと違い、映画の緊張感が甘い感じがします。
絶望的な状況においては、人間は驚愕・否定・悲嘆という過程を経て立ち向かう気力を取り戻していくのですが、本作の中では最初から立ち向かうところがポジティブと言ってしまえばそれまでですが、長期の話としては人間描写としては物足りないかもしれません。
監督のリドリー・スコットは、「エイリアン(1979)」で一躍有名になり、「ブレード・ランナー(1982)」で地位を不動のものにしました。日本では松田優作最後の作品になった「ブラック・レイン(1989)」でも知られています。
「エイリアン」も一種の宇宙サバイバルみたいなもので、仲間が一人一人消えていき一人きりになった主人公がエイリアンと壮絶な戦いを繰り広げるもの。映画のキャッチコピーは「宇宙ではあたなの悲鳴は誰にも聞こえない」でした。
本作は、リドリー・スコットが、エイリアンのコピーに再度挑戦した映画ということもできるかもしれません。ただし、今回は何とか聞こえるようにするというのが違いますけど。
宇宙サバイバルは時間との闘いというのが必ずあって、「ゼロ・グラヴィティ」にしても「アポロ13」にしても、切迫する時間がサスペンスを産み出すことが定石として使われていました。
本作は、火星での生活がおそらく中心になる話なんだと思いますが、そちらばかりでは助けられないし、救出部分に時間を割くと火星でどうやって生き延びたかがわからなくなる。やや、テーマがぼやけてしまった感は否めません。
☆☆☆