2020年1月9日木曜日

Christa Ludwig, Fritz Wunderlich, Otto Klemperer / Mahler Das Lied von der Erde (1964)

グスタフ・マーラーは、都市伝説のような「第9の呪い」というジンクスを信じていたらしいことはよく言われている話。

ベートーヴェンは交響曲第9番までを完成させました。ドヴォルザークもそうですし、マーラーに近い所で、ブルックナーも同じ。つまり、交響曲は第9番まで作るとその作曲家は死んでしまうということ。

兄弟の死、娘の死、そして自分の心疾患など、マーラーの人生には死の影が付きまとっていたのは事実ですし、実際作られた曲は生と死、そして死からの復活などのテーマが見え隠れしていることは否定できません。

「大地の歌」は、実際のところ交響曲第9番となるはずだったことは、タイトルにマーラー自身が「Symphony for 2 voices and orchestra」としたことから明らかですが、現実的には交響曲と呼ぶのには、あまりに形式的な違いが際立っています。

ベートーヴェンが完成させた交響曲という枠を、マーラーはベートーヴェンを超えるために壊し続けたというところがあります。「大地の歌」も普通に交響曲として発表しても、「あー、またマーラーがやった」という話になったろうと思いますので、実際のところマーラー自身が交響曲と呼ぶには無理があると思ったんではないでしょうか。

普通に考えれば、これはオーケストラ伴奏による6つの連作歌曲と呼ぶ方が普通。最後の第6曲だけが、伴奏を超えてオーケストラによる器楽曲部分が大きく占めているために、単なる歌曲とは呼びにくくなっているという感じ。

マーラーの交響曲全集という場合、番号のふられた第1番から第9番は必須ですが、未完の第10番は完成しているアダージョのみ、あるいは後年他人が補筆完成させた版で加えることは珍しくありません。

しかし、「大地の歌」は第10番よりも含まれる頻度は少ないように思います。やはり、全編にわたって歌唱がはいるため、全集としては異質な感じがあるということでしょうか。聴く側としても、当然歌手に耳がいくので、オーケストラは伴奏という感覚から離れられません。

ですから、「大地の歌」の名盤を探す時は、どうしてもまず名唱のものから探してしまうことになり、指揮者、オーケストラは二の次になりやすい。それでも、両者のバランスの良さで一番の名盤はというと、一般的に選ばれるのがクリスタ・ルードヴィヒ、フリッツ・ヴンダーリッヒという二大スター歌手にオットー・クレンペラー指揮フィルハーモニア管弦楽団という鉄壁のキャスティングで有名な演奏。

1964年の録音で、マーラー受容がまだ進んでいなかった時期であるにもかかわらず、さすがにマーラーからの直接の薫陶をうけたクレンペラーの演奏は、その後の演奏の規範となるもので、音質も悪くなく広がりのある優れたものと言えそうです。

二人の歌手も30代後半で、歌手として一番油が乗り切って歌声も張りがあります。第1曲で、最初のテノールの第一声は、この曲を聴くうえでカギになる重要なポイント。ヴンダーリッヒの突き抜ける澄んだ声は、いきなり聴く者を鷲掴みにする魅力にあふれています。